「久しぶりにワタシに、精をちょーだい?」
サキュバスであるリリィは、儚げな笑みを浮かべながらそう言った。
「相変わらずですねあなたは。僕はあなたに一滴たりとも精を与えた覚えはありませんが」
そう言いながら僕はリリィに近づき、おもむろにデコピンをする。デコピンの衝撃で軽く後ろに仰け反ったリリィは、赤くなった額をさすりながら
「……アラン君のいぢわる」
と言った。
「……人型、お前はウチをどういう店に連れてきたんだ? 1番大きい棚には官能小説がぎっしりだし、この店員さんは……?」
持っていた本を落としていたことに気づき、それを拾い上げてパタパタとホコリを払っているリリィを、ポカンと口を開けて見ながらキスカさんが言った。
まあ、初めてこの店と、リリィを見ればそういう反応になるだろう。特にリリィはサキュバスのトレードマークである大きい翼と尻尾を隠しているし、体つきが貧相(当のリリィがそう言っている)なため、一目でサキュバスと判断するのは難しい。
「まあ、色々と説明が難しいんですが……ここはただの書店ですよ。店員、と言うか店主の趣味全開の書店」
「店主の趣味全開って……どんなスケベ親父なんだよここの店主は……」
「……スケベ親父じゃ、ないよ?」
「え?」
僕とキスカさんの会話に割り込んできたリリィは、くるりと回ってポーズを決めた。
「ワタシがここの店主、です!」
再び口をポカンと開けて、固まるキスカさん。
「ワタシが、店主。サキュバスのリリィ、だよ?」
「……サキュバス? 本当に?」
「うん。翼と尻尾は邪魔だから、隠しているけれど。ワタシはちゃんとサキュバスだよ」
すると次の瞬間、リリィが自分のセーターの裾に手をかける。
ゆっくり、ゆっくりとセーターの裾をまくり、白くなめらかなお腹を露出していく。その姿は妙に妖艶だ。この服を脱ぐ動作だけでも、リリィがサキュバスだとはっきりわかるくらいに。
「す、ストップ!ストーップ!も、もういい!わかったから、わかったから脱ぐのやめ!」
いよいよ胸を露出する!という一歩手前でキスカさんのストップが入る。キスカさんの制止を受けて、リリィはどこか残念そうに脱ぐのをやめた。僕ももうそろそろリリィを止めるつもりだったので、ちょうど良かった。
「あのー、リリィ、さん? なんでいきなり服を脱ごうと……?」
「え?……ワタシがサキュバスだって、あなた、信じてなさそうだったから。翼を見れば、納得するかなぁ……って」
「いや、だからと言って男が居る前で脱がなくても……」
「男のお客さんにも同じことするよ?」
「な、なんで!? ダメじゃん! 男に、そんな簡単に裸見せちゃったら!」
「男に見せなくて、誰に見せるの? ワタシたちサキュバスの身体は、男に味わってもらうためにあるのに」
そう言ってまた、リリィは儚げな笑みを浮かべるのだ。
「あ、味わ……」
「やっぱり……サキュバス以外の女の子ってよくわからないなぁ。人に裸を見せる事をやけに恥ずかしがって。そういう事を積極的にしないって言うのはわかってるけど、やっぱり勿体ないよ。みーんな、素敵な身体をしているのに」
そう言いながらリリィはおもむろにキスカさんのことを抱き寄せ、その唇を奪った。
「ん!? んむー!?」
唐突に唇を奪われたキスカさんはもがくものの、次第に力が抜けていき、リリィに身をゆだねていく……。
流石に、やりすぎ。
行き過ぎたリリィの暴走を阻止すべく、僕はリリィにちょっと強めのチョップを叩き込んだ。
「んむぅっ! いったぁ……何するのぉ、アラン君!」
リリィの唇が離れた途端、キスカさんはその場にへたり込む。
「リリィ、流石にキスはやりすぎ。キスカさんへたり込んじゃったじゃないですか。なんで今日はそんなにテンション高いんですか」
僕がそう聞くと、リリィはばつが悪そうに黙ってしまった。
「……リリィ?」
もう一度、少しだけ強くリリィに聞いた。
「……久しぶり、だから」
「何が?」
「お客さんが来るのが……久しぶりだから」
ふむ。予想通り。僕は大袈裟にため息をついて、心底あきれた、といったジェスチャーをする。
「だからと言って女性に、それも初めて来た客に無理矢理キスするとか完全にアウトでしょう」
「うぅ……そうだけど……」
リリィは不満そうに口を尖らせる。
「他のお客さんにもやってるし、良いじゃん別に……」
「アウトでしょう! 何やってるんですかあなたは、本当に!」
「……てへ?」
「てへ? じゃないですよまったくもう……」
本当に。本当にやっかいだ。リリィの所に来るとやはり話が進まない。
「……人型」
「あ、キスカさん! 大丈夫でしたか!?」
「……大丈夫だけど」
へたりこんだままのキスカさんは顔を真っ赤にして、僕と目を合わせようとしない。本当に大丈夫なんだろうか、これ。
「……これでもし星屑姫が見つからなかったら、ぶっ飛ばすからな。人型」
「え、なんで僕なんですか!?」
理不尽極まりない。これはなんとしてでも星屑姫を売ってもらわねばなるまい。
「……星屑姫?」
キスカさんの言葉にリリィが反応する。リリィは性格はあれだが本のことに関しては真面目なヤツなので、心当たりがあるのかも知れない。
「そう。今日ここに来たのは、その星屑姫を探すためなんですよ。売ってます?星屑姫」
リリィはむぅ……と唸って、俯いて何事か考え始めた。すぐに顔を上げ、
「ちょっと待ってて」
と言って店の裏へと引っ込んでいく。
「……雰囲気、変わったな。リリィさん」
いつの間にか立ち上がっていたキスカさんが、僕の隣に立つ。
「リリィは本のことになると真面目なんです。官能小説が大好きで、こんなに広いお店を持ってるのに棚にある本の5割が官能小説で、そのせいで他の本を置く場所がないなんて喚いていても、本に対する愛情は本物なヤツなんです」
「半端ないなあの子! ……人型、リリィさんとは長い付き合いなの?」
「まあ。そうですね、僕が魔王街に来てすぐに知り合った感じですから、もう相当長い付き合いになりますね」
「……ふぅん。そう」
それからしばらく、僕もキスカさんも何も喋らなかった。気まずいとかそう言うことはないんだけど、ただ、話すネタが無かっただけ。キスカさんもそうなのだろう。
他に客の居ない書店。響く音は振り子時計の針の音だけ。心地の良い静寂が、リリィズブックショップを包んでいた。
「……星屑姫。あると良いですね」
静寂を破ったのは僕だ。ただ純粋に、思ったことを口にした。ここは書店だ。本のことを話すのだったら、この心地よい静寂を破ることも許されるだろう。
「無かったらお前がぶっ飛ばされるからな」
「だからそれ何でですか!?」
「ウチが辱めにあったのはお前がここに連れてきたからだろ? それで収穫もなかったら、ウチが無駄に辱め受けただけって事だろ? 責任を要求するだろ」
「そんな理不尽な!」
「理不尽な辱めにあったのはウチだっつーの!」
本の話から脱線した口喧嘩が静寂を塗りつぶしていく。その時だった。リリィがようやく戻ってきたのは。
「あ! リリィさん!」
キスカさんは大急ぎでリリィの許へ行く。待っていればこちらへ来ただろうが、待ちきれなかったのだろう。一瞬反応が遅れた僕は、慌ててキスカさんの後を着いていく。
「わかったよ。星屑姫のこと」
リリィはその手にそれなりに大きく、分厚いファイルを持っていた。
「リリィ、そのファイルは?」
「ああ、これ? これはここに置いてある本を管理するためのファイル。こうやって管理していないと、どこに何があるか、どの本を取り扱っているかが、分からなくなってしまうから」
そう言ってリリィはバラバラとファイルをめくる。やがてファイルをめくる手を止めると、その見開きのページを僕たちに見せてきた。
「1文字目がほ、2文字目がしの題名の本のページ。……残念ながら、星屑姫という題名の本は、ここでは取り扱っていない」
「……嘘」
キスカさんはリリィからファイルをひったくり、その見開きのページを穴が開くほど見つめた。彼女の顔がだんだんと青く染まっていく。やがて彼女はゆっくりと目を閉じ、ファイルをリリィに返した。
「無かった。本当に」
キスカさんはそう呟いた。その声はいつも通りの明るさだったが、どこか寂しさを感じさせた。
「星屑姫。オーガの伝承。昔話。」
キスカさんははっとしたような顔になって、リリィを見た。僕も驚いた。リリィは星屑姫を知っているのか?
「……夜空の星から生まれた美しい女が、オーガと恋に落ちて、結婚した。その女は星屑姫と呼ばれた」
星屑姫は、美しく、また気立ての良い娘だった。曲がったことが嫌いな娘でもあった。
その時のオーガ達は、よく仲間割れをしていた。オーガ達の仲間割れが怒る度に星屑姫は、
『仲間割れはやめなさい!』
と言って、大人のオーガすら敵わない、不思議な力で仲間割れを止めてしまった。
星屑姫は、その力を決して間違ったことには使わなかった。
やがて、オーガ達の仲間割れは減っていった。これ以上彼女に迷惑をかけるのはいけないと、そう思ったのだ。
仲間割れをやめ、助け合って平和に生きていく事を決めたオーガ達だったが、それを良く思わない物も居た。
そのオーガを、ガンボという。ガンボは力だけが自慢だった。多くの仲間を殺して、皆から恐れられた。ガンボは皆から食べ物を奪って生活していたが、星屑姫が来てから何度もそれを邪魔されて、さらには他のオーガからものけ者にされた。
『星屑姫め、許せない』
ガンボは怒っていた。そして、星屑姫が寝ている間に、頭をグシャリ、と潰して、星屑姫を殺してしまったのだ。
このことに、オーガ達は怒った。仲間達全員でガンボを襲い、殺してしまった。
星屑姫の仇を討ったのだ。
そして全てが終わった後、オーガ達は泣いた。
星屑姫が死んでしまったこと。そして、仇討ちとはいえ、星屑姫が望まないであろう仲間割れをしてしまったことを悲しんで、泣いた。
それから、オーガ達は力を合わせるようになった。星屑姫に、もう自分達は大丈夫だと伝えるかのように。
「こんな感じ、だったかな?」
リリィが昔話を語り終えると、キスカさんは涙を流してい
た。
「それ……星屑姫の……なんで……?」
「昔話や伝承のお話は、全て覚えていて当然。本好きとしては、ね」
「ちょっと待ってください、リリィが星屑姫の内容を知ってるって事は、もしかして持ってる……?」
「うん。持ってる。どこにしまったか忘れちゃったから、出来れば取り扱っていたらいいなと思ったんだけど……結局、取り扱っては無かった」
リリィは微笑みながらそう言った。
「キスカ、さん? もし良かったら、私が持っている星屑姫、あなたに差し上げます。いつ見つかるかは分からないけど、必ず」
「え……いいん、ですか?」
「うん。私は覚えているし、本はそれを必要としている人の許にあるべきだから」
それを聞いて、キスカさんの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、リリィさん!」
いつになるかは分からないが、キスカさんは星屑姫を、手に入れられることになった。やっかいだったけど、ここに来て良かったと、僕は心の底から思った。
夕方。日も落ちかけて、空が次第に黒一色になっていく、その途中。
僕とキスカさんは大魔王城までの帰り道を、横に並んで歩いていた。
あの後、僕は目当てだった新しい本を何冊か買い、店を後にした。帰るとき、リリィが寂しそうな顔をしていたから、遠征が終わった後にまた顔を出してやるかと、密かに思った。
しかし、どれだけ客が来ないんだろう。あの書店。
「そういえば、さ」
店を出てからずっと無言だったのだが、ようやくキスカさんが口を開いた。
「こんな時間まで魔王街にいたけど、アランはもう準備終わってるのか? 遠征の」
「はい。昨日のうちに済ませてます」
僕は準備は早めにすませるタイプの魔物なのだ。
「ま、そりゃそうか」
「キスカさんは」
「終わらせてるに決まってるだろ。ウチを誰だと思ってんだっ!」
「痛い!?」
キスカさんは僕の頭にチョップを落とした。それが思いの外威力が高くて、思わず叫び声を上げてしまった。周りの魔物たちの視線が痛い。
「なんだよ大袈裟だな」
「大袈裟じゃないですよ……もうちょっと威力調節してください……」
「えぇー?」
キスカさんは文句を言いながら、しきりに自分の腕をチョップしだした。威力の確認をしているんだろうか?
キスカさん、僕より体も丈夫だから自分の体で確認しても意味が無い気がするんだけど。
……なんだか、自分で言ってて悲しくなってきた。
「そんな痛くないぞ?」
「オーガにとっては痛くなくても人型の僕にとっては痛いんですよ!」
軽口を叩きながらも歩を進めていると、僕たちはいつの間にか魔王城まで来ていた。
「あ、もう魔王城ですね」
「ホントだ。早いなぁ」
魔王城の門番に軽く挨拶をし、魔王城の敷地内へ。敷地を通り抜けて、裏門から出る。
その先は拒絶の森。ここを抜ければ、もう大魔王城だ。
「人型」
大魔王城に真っ直ぐ繋がる通路に入ろうとしたところ、キスカさんに急に話しかけられた。
「なんですか?」
「今日はありがとうな」
僕にお礼を言うキスカさんの声は、今までに聞いたことが無いくらい穏やかだった。
「まあ、ついででしたし。お役に立てて何よりです」
「……星屑姫は、さ。ウチの、数少ないママとの思い出なんだ」
「お母さんとの?」
「うん。ウチ、事情があって子供の頃はまともに親と会えなくてさ。そのー、親に会えなくなる前? その時に、よく読んでもらってた」
「……へぇ」
親との思い出、か。なんだ、それで絵本がほしいなんて、全然恥ずかしいことじゃないじゃないか。
「……ママは、ウチが殺したけど」
「え?」
キスカさんの声が小さくて、よく聞き取れなかった。聞き返したが、キスカさんは何も答えずに、先に直通路に入ってしまった。
「人型! 行くぞ! 明日早いんだから早く寝ないと!」
「あ、はい!」
急いでキスカさんの背中を追いかける。日はもう落ちて、空はもう漆黒に染まっていた。
ついに明日。4大都市遠征が始まる。
今回はショートコントは無しです。一ヶ月以上更新が止まったこと、深くお詫びします。すみませんでした。後で活動報告にもスランプのことを乗せておきます。
一ヶ月もあったので、用語解説のネタは流石に浮かんでます。次回のショートコントはそちらの用語解説になります。
次回もよろしくお願いします。