大魔王軍、入隊。
新魔界暦5274000年。
人界と魔界の戦争は記録されている中でも最大のものとなった。
人界の数々の土地は焦土となった。
魔物達のほとんどは虐殺された。
人界と魔界にはそれぞれリーダーが立ち、時には将として戦い、時には兵として争った。
人界軍のリーダーは、当時の勇者。魔界から受け継いだ闇の力と、人界から受け継いだ光の力を駆使して戦う、歴代最強の勇者だった。
魔界軍のリーダーは、当時の魔王。5大元素含む7つの属性の魔法を使いこなし、また、5大元素に連なる5匹の眷属を以って人界を蹂躙した。
彼女もまた、当時の大魔王をはるかに凌ぐ力を持つ、歴代最強の魔王だった。
戦いは熾烈を極め、徐々に両軍は疲弊していった。
そして、魔界暦5274060年。
人界と魔界の間に停戦条約が結ばれ、戦争は終わった。
人界の領土はその大半が侵略され、条約締結後に返還されたものの、その土地は100年は人間の住める環境にならなかったらしい。
数多の魔物達が敗れ去り、死に絶えた。
最強を誇る魔王の眷属達は、その全てが魔王の許へ帰らなかったらしい。
勝者など無かった。その戦いに意味など無かった。
人間の死も、魔物の死も。
等しく、意味など無かった。
時は、新魔界暦5284060年。
戦争の終わりから、10000年が経過した。
当時の魔王は大魔王となり、この魔界を治めている。
大魔王は魔界中の強者を集め、大魔王軍を編成している。
その大魔王軍に入ることが出来れば……それはこの上ない名誉と言えるだろう。
これが僕の知る、人魔大戦と、大魔王城の情報の全て。
僕、アランは、魔界中枢都市ギーグの大魔王城にやってきた。
それはなぜか? もう分かるだろう。名誉ある大魔王軍への入隊が決まったから、である。
「本日付で大魔王軍に入隊する、アラン・アレクサンドルです」
そびえ立つ城壁。来る物全てを拒むような漆黒の門。
そこに立つ厳ついオークの番兵に、僕は自分の名前を伝え、指輪型の入城許可証を見せる。
番兵は手に持ったバインダーを確認し、許可証を確認してから、
「入れ」
と、ひび割れた声で告げた。次の瞬間、閉じていた門は開かれた。僕は番兵に軽く会釈をし、城の中に入る。
「広い……」
玄関ホールに立った僕は、まずその広さに驚いた。
外から見たときもずいぶん大きな城だと思ったが、まさか玄関ホールからここまで広いとは思わなかった。
わかりやすく広さを言うと、一般的な玉座の間の1.5倍くらいの大きさだろうか。
「お待たせいたしました、アラン殿。ご案内いたします」
玄関の広さに呆然としていると、突然後ろからしわがれた声が聞こえた。振り返ると、そこには小柄な、老いたゴブリンの執事が立っている。
「えっと、この城の執事ですか?」
「さようです。私はキースと申します。この城の使用人をまとめる、執事長をやっています。以後、お見知りおきを。ささ、玉座の間へと、案内しましょう」
「あ、はい。お願いします」
執事に先導されて、玉座の間へと向かう。
それにしても豪華な城である。僕が魔王軍にいたときに、魔王城にはよく入っていたのだが、あのとき豪華だと思った城が玩具に見えるほどだ。
壁には気品を感じる壁紙がはってあり、窓はそれ自体が存在しないように見えるほど綺麗だ。
大理石の床はピカピカに磨き上げられており、ホコリなど一つも見当たらない。
「このお城の豪華さに、見とれておるのですかな?」
ゴブリンの執事が問いかける。
「ああ、はい。その……あまりにも、魔王城と違うもので」
「そうでしょうそうでしょう。私もこの大魔王城に初めて来たときには大層驚いたもんです。こんなにも豪奢な城がこの世にあるものなのか、と」
執事はそう言って静かに笑う。
「ええ。想像を絶するほど。……本当に、大魔王軍に入れたんですね」
「ええ。そうですとも。18000歳の若さで大魔王軍に入られたのは、貴方が初めてです。これは、誇っても良いことなのですよ」
「ええ。ありがとうございます」
執事との話は続き、やがて目の前にはこれまた大きな扉が現れた。
「ここが玉座の間でございます。大魔王様がお待ちですよ」
その言葉を聞いて、僕は気合いを入れ直す。
「失礼します」
扉を開け、その中に入る。
その先に待っていたのは、広い部屋にぽつんと置かれた玉座。
そして、そこに座る圧倒的なオーラを放つ女性と、隣に立つ二人の側近だった。
「問いましょう。あなたが、アラン。今日から大魔王軍に所属する、アラン・アレクサンドルで間違いはありませんね?」
玉座の間の中央まで進むと、玉座の女性が重く冷たい声で問いかける。彼女から発せられるプレッシャー。上級の魔物のみが使える、力の差を相手に自覚させるための重圧が、僕を押し潰そうとする。それに必死に耐えながら、僕は彼女の問いに答える。
「はい。私が、アラン・アレクサンドルです」
震える声で何とかそこまで言うと、女性は口角を上げ、にやりとした笑みを作った。
そして、次の瞬間玉座の間に響き渡った声は。
「まあまあ、ようこそおいで下さいました! 私が現大魔王たるアニタと言います。よろしくお願いいたしますね!」
先ほどとは打って変わって、ひたすらに明るく、場の空気を和ませるような声だった。
大魔王様は玉座から立ち上がり、かなりの距離があるにもかかわらず一瞬で僕の目の前まで来て手を握った。大魔王様が。僕の手を。
「え、ええと、大魔王様?」
「はい。大魔王です。アニタと呼んでくださっても構わないのですよ? んんー、それにしても嬉しいですね。またこの城の仲間が増えました!」
そう言って、僕の手をぶんぶんと振る大魔王様。
その無邪気な振る舞いは、まるで平和な国の王女様だ。
困り果ててまだ玉座の、隣にいる側近二人に目をやると、どうやらあちらも気が気でない様子。
「す、すみません、ちょっと離して……」
「……あ、あら嫌だ私ったら……」
少し勇気を出してお願いすると、大魔王様は案外あっさり離してくれた。
そこまで来て、僕はようやく大魔王たる彼女の姿をまじまじと見る。
ダーククリムゾンの艶かな長い髪と、同じくダーククリムゾンの目。冷静さと気品を感じさせるクールビューティーな顔。頭には強大な魔力の象徴たる大きな角が、なんと二本も生えている。漆黒のロングスカートのドレスに身を包み、抜群のスタイルを誇る彼女は、見た目を見れば立派な大魔王。である。
が。
「?」
目の前で柔らかく笑うその顔は、大魔王の威厳など少しも感じさせないのだった。
「これが歴代最強の大魔王……?」
「そうですよ? 前の大戦では大暴れしたものです」
しまった。思わず口に出ていた。
「信じられませんか? なら、少しだけ『プレッシャー』なんかかけてみましょうか!」
そう言った彼女は、目を大きく見開いて……。
一瞬、意識が飛んだ。
「アニタ様!」
玉座から飛ぶ声で意識を取り戻す。すると、大魔王様はびくりと背筋を伸ばし、出しかけていたプレッシャーを引っ込めた。
「玉座でプレッシャーを出すのはおやめください。私と貴方以外、誰も立っていられなくなる。……ほら、イグナシオも倒れてますから」
「うぅ……ごめんなさい……つい……」
今。今、何が起こった。僕はプレッシャーで気絶しかけたのか? そこまで強いプレッシャーなど、僕は受けたことがない。
「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
「え? うわっ!?」
ちょっと顔を上げると大魔王様の顔が目の前に。
綺麗とか言う前にちょっと怖い。
「大丈夫、大丈夫ですから」
そう言いながら、大きく後ろに下がって大魔王様から逃げる。
かなり後ろに下がっても部屋から出られないくらい広いというのは、便利なのか不便なのか……
少し遠くに見える大魔王様は、キョトンとしていたが、すぐに気を取り直して話し始める。
「そうですか? それならよかったです。私のプレッシャー、強すぎてちょっと出しただけでも皆気絶しちゃうの忘れてましたぁ」
「……え? もしかして、今までプレッシャーを出していなかったんですか!?」
「え? はい。もちろんですけど」
あり得ない。今まで感じていた重圧ですら、魔王様を上回っていたのに……それで、プレッシャーを出していなかった?
あげく、少し出したら皆気絶する?
この魔物は……どこまで、強いんだ……?
「あー、そうです。アラン・アレクサンドル。何か私に聞きたいことはありますか?」
「へ? 聞きたいこと?」
「ええ。次の話に移りたいのですが、ここから長い話になります。その前に、何か質問はありますか? と言うことです」
ああ、なるほど。そう言うことか。
……いや、ちょっと待て。この人、これまで何も話してなくないか。それなのに質問って……
ある。一つ。
「アニタ大魔王」
「はい! アニタです! なんですなんです?」
それは、僕が大魔王軍を目指していた理由。
「人界侵略は、いつ頃行われるのですか?」
人を、この手で滅ぼすことだ。
「人界侵略……」
大魔王様の一言で、場の空気が一気に重くなる。ぴりぴりとした雰囲気の中、大魔王様が口を開く。
しかし。
「しませんよ。人界侵略なんて」
その返事は、あまりにも予想外で想定外なものだった。
「ちょっと待ってください! 今、あなたはなんて……?」
「だーかーら、人界侵略なんてしません。何事も平和が一番だからです!」
大魔王が。
歴代最強の大魔王たるアニタ様が。
人界侵略を、しない?