とことん真面目に知波単学園   作:玉ねぎ島

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最終章の内容は考慮しておりませんのでご了承下さい。


35.年末年始(コラボイベント)

12月下旬。

 

知波単の学園艦は房総半島の沖に停泊している。戦車隊の隊員は寄港先と学園艦を行き来しながら年末年始を過ごすのは毎年と変わらないものの、今年は少し趣きが異なっていた。

 

「大洗の奇跡」

 

世間で知られるそれは、廃校を突き付けられたとある学園艦において、それを阻止するために生徒会が立ち上がり20年ぶりに戦車道を復活させる、そして1人の女生徒が軍神の如く活躍し、初心者ばかりのチームが次々と強豪校を倒し、奇跡の全国優勝を果たしたというもの。そして新たな廃校危機においては、かつて敵であった他校が今度は廃校を阻止するために立ち上がって味方となり、大学選抜チームをも倒し、負ければ廃校というピンチを乗り越えたという物語である。

 

しかし、奇跡はそれだけにとどまらなかった。

 

大洗女子学園の活躍は、東日本大震災で大きなダメージを受けた大洗町をも救った。あんこうチーム他戦車道履修者の面々は、大洗で営業する商店の文字通り「看板娘」として集客に貢献し、また戦車が戦った大洗市街は聖地巡礼スポットとして、全国の観光客が訪れることになり、かつて以上の賑わいを取り戻したのである。

 

この戦車道の人気に目を付けたのが、千葉県においても人口減少率が一番高いとされる銚子市である。かつて漁港の町、観光の町として賑わった銚子市も、都心から離れた立地、他諸々の要因から地盤沈下が著しく、駅前から港へ向かうメインストリートも閑散としている。また銚子と犬吠を結ぶ銚子電鉄も廃線こそ免れているものの、依然赤字に苦しんでおり、観光資源として期待される犬吠埼も特に震災によるイメージダウンや、いわれなき放射能汚染の風評被害もあり、周辺施設も経営に喘ぐ状況が続いている。

 

そんな中、知波単学園は寄港地として銚子市と良好な関係を続けていたが、先の大洗女子学園と大学選抜との試合に知波単学園も加勢し勝利に貢献したことで、否が応でも「おらが町の学園」という空気が高まった。実際 ”知波単の学園艦はいつ銚子に入港するのですか?” という問い合わせも増えているという。

 

そんなこんながあって、銚子市は知波単学園の戦車隊に対し、年末年始のイベントへの協力を要請、寄港地としてお世話になっている同市の要請を知波単としても断る理由はなく、見学用にチハ3輌を上陸させ、隊員も総動員で駅前や犬吠埼のマリンパークにて観光客や地元客の対応に忙しく働いていた。

 

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「わ、私なんかの看板まであるのですか!?」

 

銚子市の職員からは ”大洗のように看板作りましたので” とは聞いていたが、作られるのはてっきり隊長である西だけだろうと思っていた。ところが、出来上がっている看板は3体。見事に美人に作られた自らの看板を見て、玉田と細見はびっくりするやら、恥ずかしいやら、嬉しいやらで困惑しつつ職員に尋ねた。

 

「ええ。この後、福田さん、池田さん、名倉さんのも出来る予定ですよ」

 

「「「わ、私らもですかー!!!」」」

 

福田はともかく、池田、名倉は先の大学選抜との試合において、開始早々に撃破されている。その時の悔しさ、気恥ずかしさが甦り、2人はみるみるうちに真っ赤になった。

 

「はっはっはー! みんな諦めるんだな!」

 

作り込まれた自らの看板を見て満足な様子が溢れていた西が5人を冷やかす。5人は西とはそれなりに長い間親密に接しているはずだが、未だに西の喜ぶポイントが掴みきれていない。

 

「おお、なかなかいい出来じゃないか!」

 

「私達も看板欲しいですね、ドゥーチェ」

 

「な、なんであなたたちがここに!?」

 

「人が集まるところにアンツィオ有り。当然じゃん!」

 

調理服を着たぺパロニが得意げに答える。ぺパロニの横には、先のサンダースとの練習試合の時と同じように、いつもの制服を着たアンチョビ、鮮やかな赤いエプロンを付けたカルパッチョが立っていた。

 

「なんか、久しぶりという感じでもありませんね。実際に2週間ほど前にお会いしていますが」

 

「へへーん、西さんもそろそろアンツィオの味が恋しくなってきたんじゃないですか? 聞いてますよ、知波単に入ってマヨラーになったという話。そのうちにうちのトマトソースとオリーブオイルとアンチョビとチーズの味が忘れられなくなるッスよ!」

 

「確かにあのピッツァ・・・ですか? 普段知波単では食べられませんのでクセになるやもしれませんな。しかしぺパロニさん、許可は取ってるんですか?」

 

「そんなのうちの高校には必要ないッス!」

 

すると、銚子市の職員がアンツィオの面々を発見し近づいてきた。元々人を集めるのが市の目的である。アンツィオが飛び入りして参加することに異議はなく、保健所の方はちゃんと処理しときますんで、の一言でアンツィオの出店が決まった。

 

「ね! 大丈夫なんッスよ、うちは」

 

突撃というのは・・・うちじゃなくてむしろアンツィオの方がふさわしいのかもしれないなと西は思った。後日改めてそれを痛感することになるのだが、それは後の機会に書くことになるだろう。

 

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こうして12月23日から銚子市において知波単とアンツィオのコラボによるイベントが始まった。

 

先の大学選抜との試合で名を売った西や玉田、細見、福田はもちろんのこと、看板の出来上がった池田、名倉、それ以外の者も含め、知波単の隊員は多くの人に取り囲まれることになった。それぞれ看板とチハを従えて、西と福田は銚子駅前に、玉田と池田は犬吠駅前に、細見と名倉は犬吠マリンパークにて来客の相手をし、チハとも一緒に記念撮影をしていた。アンツィオの屋台も当初は銚子駅前の一店舗のみであったが、日を追うごとに一店舗、また一店舗と店舗数が増えている。

 

「どうも銚子に来られた方が、SNSで知波単とアンツィオが銚子で店出してるぞと拡散して、それでお客さんが増えているようです」

 

ホクホク顔の銚子市職員が嬉しそうに西に話す。知波単の面々も当初は甘酒をふるまったりしていたが、予定していた量があっという間になくなり、今は売れるものは何でも売ってしまえというふうに、地元の農家や漁師からいろんなものをかき集めて販売しているような状況である。アンツィオの屋台も、足らなくなったものは銚子市などの地元民から材料を融通してもらったりで凌いでいたが、それでも屋台で調理・販売している者の疲労もあり、15時までに閉店する、逆にランチと夕食時のみの営業とするなどの対応をせざるを得なくなっていた。

 

「私達はずっと全国大会でも一回戦で負けているのに・・・こんなに集まって頂いて、なにやら恥ずかしいです」

 

「何も恥じることはありません。強い敵に堂々と立ち向かっていく。知波単学園は我々銚子市民の誇りなのです。ましてやこの銚子は、かつて陸軍飛行場において女子挺身隊が活躍していたという歴史があります。当時、若い女性は自らの青春を投げ捨て、お国のためにと兵器に囲まれていたのですが・・・今あなた方は、この平和な時代にかつて兵器であった戦車で青春を謳歌している。それだけで私達は嬉しいのです」

 

そうである。知波単が背負っているのは、決して知波単学園の伝統だけではない。そうした先人の思いも・・・市職員の言葉は、改めて西の胸に染みた。

 

~~~~~~~~

 

1月1日元旦。

 

知波単学園の戦車隊にとっても新しい1年が始まった。

初日の出を見る時間帯。この時間に限っては、隊員も皆犬吠崎に集結している。

幸いにも天気は雲一つない晴天。溢れるような観光客と一緒に、知波単の隊員は太陽が上がるのを今か今かと待ち構えている。

 

群青の空に赤みが増える。やがて強烈な光を放つ小さなオレンジが顔をのぞかせる。その光はだんだんと大きくなり、その中心は円となり八方に光を放ち始めた。足下では朱に染まった波が岩を叩いている。観光客が知波単のために一番良い眺望ポイントを空けてくれたのであった。西はかつてこれほどまでに美しい日の出を見たことがない。また知波単の面々だけでなく、他の多くの観光客もそうだったのだろう。太陽が上がり、至る所で歓声が上がった。

 

「西殿、そろそろ・・・」

すっかり知波単の隊員と仲良くなった市職員が西に声をかける。

 

「承知しました」

そう言って西は右手を上げた。

 

ドン!! ドン!! ドン!!

 

砲声と共に歓声も湧き上がる。

上陸させた3輌のチハが祝砲を放ったのだった。犬吠駅に停車している銚子電鉄の電車も汽笛を鳴らす。知波単と地元の銚子市の楽団が音楽を演奏する。太陽が上がるまで厳かな雰囲気だった犬吠埼は、一気に活気に満ち華やいだ空気となった。

 

「西隊長、今年こそは・・・」

 

「ああ」

 

決意を新たにするにこれほどまでにふさわしいシチュエーションはない。知波単がこの1年で超えないといけない壁は低くはないが、しかし西には多くの観光客に後押しされているような感覚もあった。

 

実際にこの年末年始の間に、何度も何度も ”応援しています”、”頑張って下さい” と声を掛けられた。 ”大学選抜との試合、凄かったです。感動しました” とも。その度に西は ”あまりカッコいいところを見せられませんで・・・” と答えたのだが、声を掛けた者は皆その西の言葉を否定した。彼らが言うには ”知波単がいなければ、大洗は敗北し廃校になっていた” ということである。結果的には双方の残存車輌数がそれを証明しているのだが、それとは別で、大洗の危機に知波単の22輌が勇み駆けつけたのが見た人の感動を呼んだらしい。損得関係なしに仲間のピンチに駆けつける。これこそが大和撫子の、高校戦車道のあるべき姿だと。

 

”勝って恩返しをする” スポーツ界ではよく使われる言葉だが、この年末年始の10日ほどで、西は改めてその言葉が意味するところを噛みしめていた。

 

~~~~~~~~

 

1月3日夜。

 

知波単とアンツィオの銚子市でのコラボは大盛況で幕を閉じた。知波単の隊員は交替で1日だけだが休みをとっての参加だったが、アンツィオの面々は、12/23から1/3まで休みなしで、それこそ知波単の隊員が犬吠埼で初日の出を見ていた瞬間も、当日の開店準備をしていたという。驚くべき商売人根性、料理人根性である。

 

「いやー、この10日間ほど大盛り上がりだったな。さすがに疲れたわ」

 

「アンチョビさん、休みなしでの参加、本当におつかれさまでした」

 

「ちょっと待って下さいよ!」

ぺパロニの言葉が、アンチョビと西の動きを止める。

 

「実は・・・本番はこれからなんすよ! 西さん、明日でも明後日でもいいんで、私達と戦って下さい! それでアンチョビ姐さん・・・あなたはP40に乗って下さい!」

 

「ぺパロニさん?・・・」

西はまだ状況がよく飲み込めていない。

 

「そういうことです。ドゥーチェ」

 

「そういうことって・・・わけが分からないぞ、カルパッチョ!」

 

「姐さん・・・姐さんはまだP40に乗り足りてないでしょ!? このイベント、今年の戦車道の活動資金にするっていうのが建前だったけど、ホントは姐さんにP40でもう一度戦ってもらおうと思って参加したんだ。大学選抜との試合、うちらはナビ役でそれはそれで楽しかったし大洗の役に立ったと思うけど、やっぱ私は姐さんにもう一度P40で思う存分戦ってほしいッス!」

 

「なんだよ・・・そういうのは前もって言え・・・」

 

アンチョビ自身も出来の悪い後輩が用意したサプライズに嬉しいのは間違いないのだろうが、いまいちまだ状況を認識出来ていないようで、反応に戸惑っている。

 

「西さん、私達はいつでも構いません。今日戦車も持ってきました。もっともイベントに参加しつつでしたし、P40を出さないといけないので、あとはセモヴェンテ1輌と、CV33が4輌だけですけど」

 

「分かりました! それでは私達は四式中戦車と、一式中戦車、あとはチハ1輌と、九五式1輌を出すようにします」

 

西は改めてカルパッチョの申出を受け入れた。

 

「それならうちの小見川河川敷を使ってくれ。どうせ大半は刈り取った後の田んぼだ。さすがに明日の試合は間に合わないけど、明日中に調整しておく。耕すつもりでガンガンやってくれ」

 

「砲弾と履帯で耕すもないですが・・・」

 

イベントの見学に来ていた佐倉市の市長の申出に、西はそう答えたものの、状況からしてアンツィオも小細工なしのガンガン走って、ガンガン撃っての戦いがしたいようである。それであるならば、平坦で遮蔽物もほぼない河川敷はもってこいだろう。試合は1月5日の13時からと決まった。

 

「西さん、ものはついでの頼みなんだけど、当日チハドーザーを1輌貸してもらえないかな? うちらがやる戦いでどうしても試してみたいことがあるんだ。もちろんレギュレーションの範囲内で使用するし、壊したら申し訳ないから戦車戦には使わない。使うところで使ったらどっかに隠しておくから」

 

どうやら陣地の構築で使うつもりなのは間違いない。

 

「分かりました。では操縦方法の説明もありますので、10時にお引渡しするようにしましょう」

 

「グラッツィエ! へへーん、でも後悔することになるかもよ。うちらがやろうとしてることは、戦車道の常識を覆す、そしてアンツィオにしか出来ない戦い方だ。度肝を抜くことになるよ! きっと」

 

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そして、試合当日。

西はぺパロニの言うように、度肝を抜かれ、そしてそのまま撃破された。


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