腹から流れ出る血。痛さが分からない。傷口が酷く熱い。傷口を抑えて私は『きさらぎゆうき』のもとに行った。
「いたい、ょ。おね、ちゃん。」
「ごめん、ね。守れなくて。」
「ね、ぇ。ゆ…きのおねがい、きいて、くれる?」
力無く震えてる手が私の方に向かってくる。その手には赤いネームプレートが握られている。
「えぇ、何?」
「に、ほんにね、いけたら。ママとパパにね、ゆぅ、きしんじゃったって。き、とみんなさがしてる、から。もぅ、いいんだよ、て。」
「分かった。必ず日本に帰って、貴女のお父さんとお母さんに伝えるわ!」
私は涙を流していた。『きさらぎゆうき』が死んでしまうという寂しさか。それとも、これからは一人で歩いて行かなければならないと言う恐れか。当時の私にはそれを考えられるほどの知識などなく、心の余裕などなかった。
「なまえ、…げ、る。こ、どは…ゆ、きがまも、てあげる。」
「おね、ちぁん…ぁ、はす、のはな。みたいに、きれい…。」
「疲れたでしょ。休んでいいのよ。後は私が頑張るから。」
『きさらぎゆうき』は安心した様に笑みを浮かべた。彼女の体が眩しく光った。私達は見た事があった。ブラックトリガーになった人を。彼女も見様見真似にやってみただけかもしれない。そこに残ったのは塵と十字架。
「あ、ああ…ああああああぁぁああ。」
そうして、私は一人になった。
★
「こちら風間、現地に到着した。近界民が倒されている。それに…。」
『それに…?どうしたんだ?』
「本来、白いはずの近界民が真っ黒になっています。」
『黒…?分かった。取りあえず回収班を回す。触らない様に頼む。』
「了解。」
真っ黒に変色したバムスターだった物を見た。白い所もあるが段々と黒い何かに侵食されて行っている。そして最後には全てが真っ黒になった。バムスターは何かに侵されている事は確かだ。
「おぉ、これは凄いな。」
「油断するなよ、太刀川。これが一体何なのか、分からないんだ。」
太刀川慶は自身の持っていた弧月で黒い物を突いた。すると弧月の先が黒くなった。最初は先の方だけだったが段々上の方に登ってきている。
「うわっ。」
太刀川慶は弧月を離した。
「太刀川…。」
太刀川慶が悲鳴を上げたのを聞いて風間蒼也は彼の方を向いた。そして彼の物であろう弧月が地面に置かれていた。
―――パキッ
真っ黒なバムスターにひびが入った。そしてバムスターは崩れ始め、最終的には光となって消えていった。そして太刀川慶の弧月も同じ様に光となった。そして光は霧散していく。
「これは、何だ。」
壊されて黒く変色していたバムスターの姿は無くなっていた。そこにいる二人には何が起こっているのか分からなかった。そして侵食していた黒い何かはもうこの場にはない。これでは開発室に回す事も出来ない。
「忍田本部長、回収班の必要は無くなりました。」
『それは、どう言う事だ。』
「その事について報告したい事があります。一度、太刀川と本部に帰還します。」
『分かった。報告を聞こう。』
★
私は大きな溜息を付いた。床に無造作に置かれている影浦雅人は一向に目を覚ましそうになかった。
「ん、バムスターのトリオンを全部侵食しきったのか。」
先程の戦闘で疲労を感じていた訳では無いが、体の中に入ってきたトリオンを感じてそう呟いた。ゆうきのブラックトリガーは性能が特殊過ぎた。
元々あの鎧だけで武器はなかった。しかし、あの鎧で触れたトリオンは黒く変色し、やがて霧散したトリオンはブラックトリガーの中に保存された。黒く変色したトリオンは完全にこちらの支配下にある。トリオン供給器官かトリオン伝達脳が完全に侵食されれば、それらを取り出されたと同じことになる。そう、相手はトリオン体を維持できない。それでも侵食にはある程度時間が掛かる。集団対私では数の暴力で押し切られる。しかし、それは逆に侵食さえしてしまえば、こちらにはその場でトリオンを回復する術を持っているという事だ。
そしてトリガーが黒く変色するとトリオンと同じ様にブラックトリガー内に保存される。そしてそのトリガーを武器として扱う事が出来る。今でこそ多種多様なトリガーを持っているが、最初は私のトリガーとゆうきのトリガーのみ。
「あの時はつらかったなぁ…。」
と呟いた。
ゆうきのブラックトリガーの恐ろしい所は初見であろうとなかろうと私の攻撃を防ぐ術がないという事だ。黒く変色したトリオンに触れると同じように侵される。鍔迫り合いなんて出来ないし、一々武器を新しく出来る程トリオンに余裕のある人間はまずいない。
私を倒すにはあの黒い鎧を壊し、トリオン供給器官かトリオン伝達脳を破壊する。それ以外に方法はない。ブラックトリガーを扱っている時にはまずトリオン切れが期待できない。そんな事、他の人間が知る由もない事だが。
「まだ、起きないのね。」
私は影浦雅人の頬を人差し指で突いてみた。反応は無く静かに寝息を立てているだけだった。
「こういうのを年相応の表情って言うのかしら。」
もう一度プニプニと頬を突いた。
「おーい、起きてもいいんだよ。」
私は手持無沙汰になってしまった。ここには暇を潰せるものなんてない。睡眠さえできればいいと思い、ここにいる。
「…、寝るか。」
と、私は呟いて床の上で横になった。猫の様に丸まって私は瞳を閉じた。意識は自然と闇の中に落ちていく。
「おやすみ、ゆうき」
★
再び目を覚ますと眩しい西日が差し込んできていた。
「漸く、起きたか。」
「影浦君?起こしてくれてよかったのに。」
「気持ちよさそうに寝てたからな。」
寝起きで頭がよく働かない。普段きちんとした栄養を摂取していない私は常に低血糖状態で寝起きが悪い。頭痛がする。
「ここ、何処だ?」
「オーナーが夜逃げしたマンションの中。」
「ここに住んでんのか?何もねぇけど。」
「まぁ、そうね。寝床として使ってる。」
「お前、何やってたんだよ。学校にも来ないで。」
「私は元々、情報収集の為に学校に行ってたの。貴方達とは学校に行く目的が違う。それに用事はもう済んだから、これからは通う予定はないわ。」
体を起し、私は彼の方を向いた。影浦雅人は気に入らないという表情をした。
「俺の皮膚は他人とは違う。」
「何の話?」
「昔からずっと誰かと話る時、誰かが俺を見ている時、肌に何かが刺さったように痒かった。それは痛い時だってあったし、むず痒い時だってあった。だけど、お前と話してるとき、それを感じた事はねぇ。痛いときって言うのは大抵俺と仲が良くない奴がこっち見てる時だ。むず痒いのは親しい奴と話してる時だ。」
「さっきから、何が言いたいの?」
「お前、俺を見た事無いだろ。俺を、俺として見た事無いだろ!」
影浦雅人は不愉快だと、そう言った表情を前面に押し出して私に訴えてきた。私には彼の言っている事の意味があまり理解できずにいた。
『俺を、俺として見た事が無い。』
影浦雅人を一人の人間として見た事は、確かに無かった。私にとって人間は群をなして群がる動物であり、人間の個に注目する事は無かった。それは自分を守る為でもあった。敵を深く知りすぎて情が湧く事をなるべく避けたかったからだ。下手をすれば、足元をすくわれるのは私だけ。何もなせず、殺されるだけ。
影浦雅人の個を見てしまえば、私はもう彼を殺せない。影浦雅人が私の敵にならないという保証なんて何処にもなかったのだから。
「何とか言えよ!」
「そうね、人間として見た事はあるけど、貴方自身を見た事は無いわね。」
「それがムカつく。刺さるのもムカつくけど、それ以上に如月、お前が刺さらないのが今は一番ムカつく!」
「貴方、理不尽な事言っている自覚あるかしら?貴方の刺さる刺さらないなんて私にはわからないわ。それに私が何をしたら刺さるって言うのよ。」
「何か思えよ。俺を思え!何でもいい。嫌いでも、好きでも。俺を見て、俺を思え!」
私は眉を寄せた。私には影浦雅人に何かしらの思いを抱くことは出来ない。それをしてしまったら、今まで折角忘れていた感情がまた、私の中で根を下ろす。根を下ろしたそれは確実に私の心を蝕む。
「出来ないわ。私には何かを思う事なんて出来ない。」
私はそう言って首を振った。
「何でだよ。」
「私の心は昔、壊れたわ。生きている内に疲弊して擦り切れた。」
「嘘だ。」
「嘘じゃないわ。」
「嘘だ!心のない奴が過去を思って泣くかよ!過ちを悔やむかよ。お前はそうやって逃げてるだけだろ。後ろ向きに後退して、前に進んでる気になってるだけだろ!」
「意味わからないわ。」
私はそう言って彼から目を逸らした。許容してはいけない。私が私でなくなる。感情を知った弱い私になってしまう。それでも影浦雅人は私を逃がしてはくれなかった。私の床に置いていた手の上に手を置いた。私は驚いて顔を上げ、影浦雅人の顔を見た。
あぁ、止めて欲しい。これ以上優しくしないでほしい。私の手を引こうとしないでほしい。
今まで作り上げてきた
本音を言う事を忘れてしまった口が開きそうになる。
苦しいと、悔しいと、寂しいと、傲慢な願いが漏れてしまいそうになる。
今まで被ってきた
醜い本当の私の顔が見えてしまう。
赦されたいと、戦いたくないと、愛されたいと、稚拙な願いが溢れてしまう。
溢れだしてしまった涙はもう止まらない。止め方なんて忘れてしまった。
影浦雅人の手が私の頭の後ろに回った。そのまま彼の胸に私の顔を押し付けた。私は彼の着ていた服を強く握った。溢れだした涙は未だに止まる事を知らない。
自らを不幸なのだと、貶めなければ生きていられなかった。
神に見放されたのだと、諦めなければ生きていられなかった。
何にも期待せず、不幸を祈った。
誰にも赦されたくないと、罰を待ち続けた。
『如月有紀』だけが全てだと、それ以外を仕舞いこんだ。
自分をこんな目に合わせた近界民を恨み、自分を助けてくれない人間を誹謗した。
そしていつからか、疲れてしまった私は消えてしまった。
知られたいが、助かりたいが、とめどなく溢れる。
「どうして、放っておいてくれないの…?」
彼の胸に顔を埋めたまま、私は尋ねた。
「うるせぇ、俺にとっても、刈谷にとっても。お前はもう大切なんだよ。」
「大切な物は手にした瞬間から失われる事が約束されてるわ。永遠なんて、あり得ない。」
「それでも、大切にしちまったんだ。刈谷も俺も、手遅れなんだよ。」
如月は俺の胸から顔を離した。そしてジャケットの袖で涙を拭く。顔を上げて、屋上の時と同じように涙を流しながら笑みを浮かべる。何時も大人気な雰囲気を出している如月は子供のような幼さが残る笑顔を浮かべる。
「本当に、変な人。」
そう言うんだ。悲しそうに、何処か嬉しそうに。如月の後ろにある窓から差し込む光が眩しい。そして、俺はどうしようもないむず痒さを覚えた。
「それにしても、『俺を思え』って大胆な事言いうわよね。」
「あぁ!?お前は何でそう、切り替えが早いんだよ!」
「大切な事よ、切り替えの早さは。」
如月は笑みを浮かべる。今度は楽しそうに笑みを浮かべる。何時もこう、楽しそうだと良いんだけどな。
「……何?」
「何でもねぇよ。」
如月は不思議そうにこちらを見て来る。
「ねぇ。」
「あ?何だよ。」
「私は貴方をきちんと刺してる?」
如月は少し不安そうに尋ねてきた。俺は少し驚いて数回瞬きした。
「あぁ、刺してるよ。」
「そう…。あぁあ、何だか恥ずかしい。感情なんて暫く表に出してないもの。」
如月は両手を頬に当てている。頬と耳が心なしか赤い気がした。如月は何かに耐えるように両目を閉じていた。
「そんなに恥ずかしいのか?」
「何?貴方、サディストなの?」
如月は非難染みた視線をこちらに向けてきた。それから彼女はまた笑みを浮かべた。そして如月は肩を震わせて笑いだした。俺は彼女が理解できず、首を傾げた。彼女は顔を上げて俺を見た。如月は俺に顔を近づける。
「はぁっ?ちょっ…。」
何が初めてのキスはレモンの味だ。味なんてしねーじゃねぇか。
お疲れ様でした。
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