nameless   作:兎一号

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きさらぎゆうきは死んだ。

不思議に思った。あの頃はこんな事を考えている暇もなかった。それでも、落ち着いて考えてみるとやはり可笑しいんだ。近接戦闘武器を持っていた『きさらぎゆうき』と、遠距離戦闘武器を持っていた『nameless』。狙うなら人数を減らす意味で『nameless』を狙うはずだ。実際、『nameless』ならそうしていただろう。なのにどうしてか、あの時の敵は『nameless』を狙わなかった。近距離でライフルが当たらないなんて思えるほど、相手が勝利に酔っていた訳ではないだろう。

 

「私が、殺した。」

 

そう、『きさらぎゆうき』は『nameless』が殺した。『nameless』にはそうとしか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

少女は自分の家にいた。それだけではいつも通りだ。しかし、違うのはそれが昼間だと言う事だ。カーテンを閉められたのなら閉めていた。しかし、カーテンなんて豪華な物はこの部屋にはなく射し込んでくる陽射しが鬱陶しい。

少女は背中を壁に預け、項垂れていた。

 

『視覚認識操作』

 

少女のサイドエフェクトにつけられた名前だった。自分の存在の認識を操作する。東春秋の如月結城が見え辛くなるのは少女の能力の一部だった。

つまり、少女に出来ることは自身を意識させる事、させない事。少女のサイドエフェクトの欠点はそれが視覚的な情報に限った事だと言う事。少女から発せられる音などは誤魔化せない。それでも人間は物を認識するのに約80%を視覚的情報に頼っている。少女が本気で認識を操作すると人間は残りの聴覚や嗅覚で認識しなくてはいけない。そして戦闘という特別な環境下で興奮状態の頭が残りの20%をうまく使えるかと言われればまず使えないだろう。

 

少女は無意識に自身の認識を操作していた。

少女の親はネグレクトを起こしたくて起こしていた訳ではない。という考えが出来るようになってしまった。

 

「私が、原因…。」

 

親が私を良く公園に置き去りにしたのは私を見失うから。当時の事はあまり覚えていない。その後があまりにも濃い人生だった為だ。

 

それでも覚えているのはブランコに座っていたらお母さんが迎えに来てくれた。多分、お母さんだと思う。黒い髪の女性が私に手を伸ばしてくれる。私はその手を取って家に帰るんだ。でも、途中でトリオン兵にあって…。あれは、私を捕まえて。

 

「ーー!」

 

あの時、彼女はなんと言っていたんだろう。どうして、私は自分の名前を忘れてしまったのだろうか?

 

「……忘れた?」

 

忘れた、つまり私には元々名前があったという事を覚えていると言う事だ。どうして、今まで忘れてたんだろう。

 

「名前は、個を示す物。私は、私は…、だれ?」

 

 

 

 

 

 

 

影浦雅人は屋上に来ていた。いつも自分より先に来ているはずの少女がいない。隠れている訳ではなさそうだ。

 

「あいつ、何処にいるんだ?」

 

一週間前、お好み焼きを食べていたあの金髪少女。如月結城。影浦雅人を絞め殺しかけた少女。表情の何処かにいつも影のある少女。影浦雅人は心配だった。少女はいつも詰まらなさそうな顔をして屋上から下を見ていた。

 

影浦雅人は屋上から出た。少女に会うために影浦雅人は屋上に上がっていた。どうして、影浦雅人は屋上に上がっていたのか?

少女から、何も感じなかったからだ。最初に会った時のあの殺気以外、何かが刺さった事がなかった。誰しもが影浦雅人と会話している時、していなくても何かを刺してくるのに。少女は一切刺す事はなかった。

 

どう言う条件で刺さるのかはわからない。それでも、刺さない少女が影浦雅人にとっては貴重だった。少女の前だけが影浦雅人を普通の少年にしていた。だから、影浦雅人は少女に多少の執着を持っていた。

影浦雅人は少女の教室の前に立った。そこには刈谷裕子の姿は見つけたが、如月結城の姿はなかった。教室の前に立っていた影浦雅人の姿を見た刈谷裕子が教室から出て来た。

 

「どうしたの?」

「あいつ、今日は休みか?」

「あいつ…?如月さんの事?如月さん、今日は休みみたいだよ。まあ、学校に連絡が入ってないみたいだから先生、すごく心配してた。」

「ふぅん、そっか。ありがとな。」

 

影浦雅人は自身の教室に戻っていった。

 

「風邪か?親が何してるかあん時聞いとけばよかったな。」

 

影浦雅人は一週間前の屋上で親の事を聞く機会があったが結局聞く事は無かった。あの時の事を悔やんで舌打ちをした。

 

 

それから一週間が経った。それでも如月結城は学校に姿を見せなかった。如月結城は幽霊だったのではないか、なんて噂が立ち始めた。如月結城が住んでいるとされていた住所には確かに家があったが、そこには誰も住んでいなかった。そして誰もが記憶の中の少女の姿をはっきりと思いだせないでいた。どんな容姿だったのか、誰もがたった一週間と言うとても短い期間で一人の少女の視覚的情報が明らかに欠落してきている。

 

影浦雅人も例に漏れず如月結城の容姿を忘れかけていた。もう、殆ど思い出せない。影浦雅人は覚えている限りの如月結城の特徴を書き記した。

 

金髪・青い目・外国人っぽい顔・160cm程の身長…。

 

それから、それから。

 

影浦雅人は小さく舌打ちをした。

 

アイツが幽霊の筈が無い。幽霊がお好み焼きを食べるかよ。

 

影浦雅人は警戒区域まで来ていた。影浦雅人は覚悟を決めた様に大きく深呼吸をした。ここに如月結城がいるなんて確証はない。それでもここならまず人目につく事は無く、探したくても警察でさえ探せない場所だ。ボーダーが如月結城の捜査に協力的か分からない。

 

中学生の後先考えない行動だ。そして刈谷裕子もそれについて行った。彼らは決して仲がいい訳では無かった。それでも如月結城と言う名の少女の為にと言う共通の目的が彼らを突き動かした。

 

その二人も如月結城をもう詳しくは覚えていない。それでも、影浦には一つだけはっきり覚えている事があった。最初で最後、少女が刺したあの痛みだけは影浦の中にしっかりと残っていた。あの痛みをしっかりと思いだし影浦雅人は刈谷裕子と共に警戒区域内に入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーダー内でも如月結城の事について身辺調査が開始されていた。如月結城が突然ボーダーに顔を見せなくなっていた。そして身辺捜査の結果如月結城が元々提出していた書類の住所こそ存在すれど、そこには住民はいなかった。ボーダー内部に激震が走った。如月結城が一体何の為にボーダーに侵入したのか、本部はそれを図りかねていた。彼女が扱っていた訓練用トリガーはそのまま残されている。彼らには()の奴らが実物無しにトリガーを理解できるわけがないと、そんな傲慢が無かったわけでは無いだろう。それでも何度数えても無くなったトリガーはなかった。それに如月結城がボーダーの開発室に近付いたのはたった一回。東春秋に紹介されサイドエフェクトの検査に来た時だけだった。その後から彼女はボーダーに顔を見せなくなった。

 

ボーダーは『如月結城』では無く『如月有紀』という同じ音の名前の少女が昔、この三門市にいた事を知った。しかし、その少女は10年前から行方不明となっており、その少女が発見されたという情報は出て来ない。『如月結城』=『如月有紀』と決定づけるものは何もない。そして何より情報にある『如月結城』と『如月有紀』の外見は一致しない。『如月有紀』は黒い髪に黒い瞳。『如月結城』とは幼少期の写真しか入手できていないが、骨格が明らかに異なっている。

そしてボーダーはもう一つ情報を入手していた。同時期にもう一人の少女が行方不明になっている。少女は『神崎蓮奈(かんざきれな)』。少女は神崎康一、葉子夫妻の養子として迎えられている。元々の名前は『レナ・クロイツェル』。生みの親は両方とも生粋のロシア人。その夫婦が日本にいる時事故で死亡。そのロシア人と友人関係にあった神崎葉子が『レナ・クロイツェル』を養子として迎えた。現在、神崎康一は大規模侵攻で死亡しており、神崎葉子は長い間精神的な病気で病院に隔離されているそうだ。その隔離されている理由が『神崎蓮奈』を誘拐したのは白くて巨大な怪獣だと証言していた事が理由だそうだ。神崎葉子は長い間娘がいなくなってしまった事で錯乱しているのではないかと思われていたようだ。それに近所の住民に『神崎蓮奈』がよく公園で一人で居るのを目撃されている為、実はネグレクトを起こしていた事を隠す為の演技では無いかと色々言われていた事が、心身に負担をかけたのではないか。今となってはそう思わざるを得ない。十年前、近界の存在などほんの一握りの人間しか知らなかったのだから。

 

「神崎蓮奈が仮に『如月結城』だったとしてどうして態々偽名を使う必要があるんです?なにか後ろめたい事があったに違いありません。」

 

そう決めつけた様に言うのは根付栄蔵メディア対策室長。

 

「ここに上がっている情報だけで『如月有紀』は兎も角、『神崎蓮奈』がトリオン兵に誘拐された事は明らか。あちらからボーダーの情報を仕入れて来るように言われたのではありませんか?彼女のサイドエフェクトは侵入す事に長けているようですし。」

「東から上がってきている報告では『神崎蓮奈』は妙に武器になれていた節があるそうだ。」

「でも、トリガーなどの研究データにも実物のトリガーも紛失ないし、複写された形跡は残っていないんでしょ?」

 

根付と鬼怒田の会話に入ってきたのは林藤だった。

 

「それはそうですが、『神崎蓮奈』が完全記憶能力の様なものを持っていたらどうするんです?」

「兎も角、『如月結城』を見つけない事には始まらないでしょう。『神崎蓮奈』が『如月結城』だって証拠も無いでしょ。容姿なんてどうにでもなるんだから。もしかしたら全く関係ない近界民かもしれないぜ?」

 

林道がそう言うと冷たい沈黙が会議室を覆った。しかし、その可能性が無い訳では無い。

 

「門が開いて『如月結城』が近界に戻ってしまう事だけは避けたいですね。手遅れでない事を祈るほかありませんが。」

「あぁ、どんな情報でもあちら側に渡す訳にはいかん。『如月結城』を捕まえるまではより一層、門に対する警戒を強くしよう。」

「それにしても、情報が目当てならなんとも中途半端ですね。」

 

そう言ったのは唐沢克己外務・営業部長だ。

 

「中途半端、とは?」

「中途半端、というよりはお粗末、と言った方が良いでしょうか。情報は鮮度が命です。それは根付さんも良く分かっているでしょう。それなのに『如月結城』がかかわった隊員は東君が主で、それ以外は三輪君と一回だけ食事をした事があるだけ。忍田さんの弟子の太刀川君とも、昔からボーダーにいる玉狛支部とも接触していない。もし、迅君のサイドエフェクトがばれていて接触しなかったとしたらそれはそれで不味い事なんですけど。

『如月結城』が本当に欲しかったのはボーダーについての情報なのか?私にはそう思えませんね。寧ろ、『如月結城』は怪しまれない程度にボーダーとの関係を持ちたくなかったように思えます。『如月結城』は仮入隊の面接時に「友人が勝手に書類を送った。」そう言ったそうですね。もしそれが本当なら『如月結城』は元々我々に接触したくない理由があった。接触する理由が無かった。そう考えられませんか?まぁ、最初に根付さんが言った後ろめたい事があったのかもしれませんが。」

「兎も角、『如月結城』を一刻も早く見つける。彼女と関わりのなかった隊員にもこの事を伝えて見つけ次第至急連絡をするように。『如月結城』を一刻も早くを捕まえろ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めまして、如月雪子さん。」

「貴女は…?」

「namelessと言います。すみません、名乗れる名前を持ち合わせていないもので。」

 

私の目の前に立っている金色の髪の少女はとても綺麗な顔をしていた。しかし、彼女の存在は異様だった。景色から切り取られた様な、そんな異質さを感じていた。

 

「それで、あの。何かご用事でも?」

「えぇ、如月有紀さんから預かりものです。これを。」

 

namelessと名乗った少女は私に差し出したのは赤く古く懐かしい物だった。恐る恐る少女の手からそれを取った。そこには確かに娘の物だった事を示す、娘の名前が書かれていた。涙が溢れて来る。

 

「娘は、有紀は…。」

「如月有紀は残念ながら7年前に亡くなっています。」

「どうして、貴女は、これを…。」

「私にとって貴女にこれを返す事だけが、如月有紀を生まれ故郷に還す事だけが、『きさらぎゆうき』と言う名前をあの子に返す事だけが、私が私を生かしてきた理由だから。」

「貴女は、死にたいの?」

 

namelessは静かに涙をこぼしていた。

 

「今までの不幸に見合った幸福なんて私にはもう二度と手に入らない。如月有紀が死んだあの時から、私は死んだまま動いているの。死人に先はない。死人に感情はない。」

「貴女はそうやって今まで自分を守ってきたのね。」

 

私は目の前の少女を抱きしめた。強く強く、とても強く。

 

「ありがとう、本当に、ありがとう。」

「っ…。ごめん、なさい…。私、守れなかったの。あの、子を。私は…、殺されて、しまった。」

「えぇ、えぇ。ありがとう。これで漸く、あの子のお墓を立ててあげられる。七年も待たせちゃったのね。」

 

この時、漸く

『如月結城』は

『如月有紀』は

死ぬ事が出来た。

 




お疲れ様です。

感想などお待ちしております。

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