nameless   作:兎一号

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少し危ういです。

ご覧の前にそれなりの覚悟をして下さい。


如月結城は間違う

『nameless』

 

名前の無い者を呼ぶ時にそう言う呼び方をする場合がある。他には『anonymos』や『unknwon』なんて呼び方がある。その中で私は『nameless』と呼ばれていた。私は記憶の中で誰かに名前を呼ばれた記憶がない。だから私自身にも自分の名前がわからなかった。私は『きさらぎゆうき』に激しい劣等感を抱いていた。同じ捕虜としての立場であっても名前を証明できる物を持っている『きさらぎゆうき』がとても羨ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ…。」

 

少女の口から小さな声が漏れた。少女の目にはこの前の黒髪の少年が映っていた。

 

あれで瞳も黒かったらなぁ。

 

少女は少年の容姿にケチを付けた。昼休みいつも立ち入り禁止の屋上で人間観察をしていた。殺伐とした世界を生きて来た少女には日本は一見平和で落ち着かないのだ。

 

本当は背後を取られているのではいか。

本当は狙撃で狙われているのでは無いか。

 

命の奪い合いをして来たあの日常の恐怖が少女の中に色濃く残っている。少女は自分の肩を掴み必死に恐怖に耐えた。その手は小刻みに震えており、少女の顔は真っ青だ。

 

瞳を閉じればはっきりと思い出される。

人を斬り裂いた感触。

吹き出す血潮。

焦点の合っていない瞳。

とめどなく溢れでる鮮血。

積み上がる大量の死体。

その中心に佇む真っ黒な騎士兵。

 

少女は自らの唇を噛んだ。その痛みが少女を現実へと意識を帰す。荒い息を整える様に大きく深呼吸をした。それでも瞳孔は大きく開き、細かく揺れている。

 

少女は戦争を経験するには幼すぎた。人を殺すには若すぎた。少女は必死に創り上げた如月結城(仮面)を壊しかけてしまった。

 

「大丈夫、大丈夫…。私は、生きてる。」

 

少女は頭を抱えて丸くなった。自分に言い聞かせる様に大丈夫と繰り返す。ビルの上は特に怖い。常に自分が一番高い所にいなければ気が済まない。目に見えない敵ほど恐ろしいものはない。目に見えない恐怖が少女を着々と蝕んでいた。

 

こんな見せ掛けの平和な場所より初めから危険だとわかっている場所の方が幾分か楽だ。周りに流されてはいけない。日本は、少なくともここは戦争をしているんだ。いつ他国が本気で攻め入ってくるか分からない。

 

「大丈夫。さあ、言ってみよう。私は如月結城。4月8日生まれの14歳。性別は女。4歳まで三門市で過ごす。それからヨーロッパを転々として最近三門市に帰って来た。」

 

少女は如月結城()を演じるために設定を口に出した。自ら暗示をかける。その人になり切れる様に。本当の自分が出てこない様に。

 

「おい。」

 

しかし、その一言で綺麗さっぱり崩れ去ってしまった。少女は大きく肩を震わせた。振り返れば先程の黒髪の少年が少女の後ろにいた。

 

少年は昔から特別な体質だった。体に何かぎチクチク刺さり体が痒くなる事があった。それが、なんなのか少年に知る術はなかった。病院に行ってもなんら問題はなかった。

それでも感じるものは感じるのだ。そして今チクチクしているのが目の前の少女のせいかは分からない。

それでも目の前の少女が異常なのは少年にも理解できたようだ。

 

「お前、大丈夫か?」

 

少年が一歩前に出ると少女は一歩後ろに下がる。

 

「来ないで!」

 

そう叫んで少女はまた一歩下がった。少年は眉を顰めた。

 

「わかった、もう近づかない。だから、お前もこれ以上下がるな。落ちるぞ。」

 

少年は両手を上げてそう言った。少女は少年を少し見つめ視線を落とし膝を抱えた。少年は屋上のドアに背を預け座った。

二人は暫く何も話さなかった。少女はチラチラと少年の方を向いた。少年は不機嫌そうに自分の頭を掻く。それでも少年が視線をこっちに向けないの少年なりの優しだったのかもしれない。

 

「ねえ。」

 

少女は漸く口を開いた。消えてしまいそうなその声を少年はきちんと耳で拾い、少女の方に視線を向けた。

 

「んだよ。」

「どうして、屋上(ここ)に来たの?立ち入り禁止だよ。」

「テメェ、立ち入り禁止って知ってて屋上にいたのかよ。」

 

少女は少年から視線を外さない。少年はまた頭を掻いた。

 

「お前が屋上にいるのが見えたから注意してやろうと思ったんだよ。知ってたのに注意しないでお前に…、と、飛び降り自殺でもされたら目覚めが悪いだろ。」

「自殺なんて、しないわ。」

「んなのわかんねぇだろ。現にお前、全然大丈夫そうに見えねぇ。」

 

ビシッと少年は少女に指差した。少女は少し不愉快そうに眉を顰めた。

 

「なんで屋上なんかにいたんだよ?」

「別に、ただの人間観察。」

「お前、友達いないだろ。」

「いないわよ。」

「やっぱ「友達は、殺されたもの。」…、あぁ、なんだ。…悪かった。」

 

少女は視線を落としながら「殺された」と呟いた。

 

話題が悪かった。

 

と、少年は後悔した。つい半年前に大規模侵攻が起きたばかりだ。そういう人間がいても可笑しくない。相手を怒らせて今の状況を打破しようと思ったが失敗だったようだ。

 

「はっきりと覚えてる。二人で逃げたの。でも、ダメだった。私が足なんて斬られなければ、二人で逃げられたのかもしれない。あの時、私は多分あの日常に慣れてしまっていたの。だから失念していたわ。知ってたはずなのに。形あるものは必ず壊れるの。どれ程大切にしてもほんの少しの不祥事で壊れてしまうの。」

 

少女はブツブツと呟き始めた。最初は聞こえていたが、今は聞こえない位小さな声だ。少年は何か危うい雰囲気を察した。

 

「おい。」

 

少年は少女に声をかけた。しかし、少女にはその声が届いていないようだった。先程からチクチクと刺さっていた何かが途端に感じられなくなった。

 

「おい。」

 

もう一度、声をかけた。しかし、少女の様子は段々悪くなっているように感じる。少女が段々見え辛くなっている。景色に呑まれているようだ。ザザッと少女の姿にノイズが走る。少年は目を擦った。しかし、事態は悪化の一歩を辿る。少女の姿はブレ、景色に溶け込みかけている。

 

「おい!」

「消えたい…。」

 

これは異常だ。

少年はそう思った。少年は少女の元に走った。そして勢いのまま肩を掴んだ。

 

「ぐっ…。」

 

視界が反転した。先程まで下を向いていた少女は何故か少年の上にいる。少女の手が少年の首を絞めている。

 

「…ぁ、」

「どうして邪魔するの?ねぇ、どうして?」

 

真っ暗な青い瞳が少年を見下ろしている。少女の手を少年は必死に掴む。少年は手の爪が白む程少女の手を強く掴む。しかし、少女の力は強い。その細い腕にそんな力はないだろう、と思える程。

酸素が足らない。視界が段々ボヤける。涙が流れる。

 

「…ゃ、め、」

 

「ハア、ゲホッゲホッ。」

 

死ぬかと思った。

 

少年は素直にそう思った。口の中は血の味がする。足りなくなった分の空気を肺いっぱいに吸い込む。少女は少年の上から退いている。少年は体を起こし、深呼吸をした。

 

「あ、あの。わた、私…。」

「ゲホッ、悪かったな。」

「え?」

 

少女は戸惑いの声を漏らした。

 

「来るなって言われたのに来たのは俺の方だ。だから、悪かったな。」

 

少女の顔は困惑していた。

 

「意味、分からない。下手したら死んでたのよ…。」

「死んでねぇだろ。」

「殺人未遂よ。立派な犯罪だわ。」

 

震える右手で肩を掴み、少女は少年から視線を逸らした。

 

「んだよ、刑務所でも入りてぇのかよ。」

「その方が良いわ。私なんて…。」

「好きにしろよ。俺は関係ねぇ。」

「変な人。」

「ああ!?いいか、お前の弱みは俺が握ってんだ。テメェは俺に逆らえないんだよ。」

「そう、私はこれから貴方の慰み者として一生を過ごすのね。」

 

少女はシクシクとしおらしく泣く振りをする。

 

「んだよ、慰み者って。」

「私、初めてだから…。その、痛い事はイヤよ?」

「なっ!?」

 

そこまで言うと少年は『慰み者』の意味を理解したようだ。少年は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせる。少年は少女に対して指差しながらブンブンと上下に手を振るが一向に言葉が出てこない。

 

そんな様子の少年を見て少女は肩を震わせた。少女は涙を流しながら笑っていた。悲しそうに、先程より穏やかな表情で泣いていた。

 

少年は揶揄われたと溜め息をついた。

 

まだ、喉が痛い。

 

少年は喉をさする。その様子を少女はしっかり見ていた。

 

「ごめんなさい。痕残ってるわ。」

「チッ。」

「氷、貰いに行きましょう。」

「イヤだ。説明すんのが面倒だ。」

 

少女は立ち上がり少年に手を差し出した。しかし、少年はそっぽを向いた。

 

「分かったわ。私が氷をもらって来るから、ここにいて。」

「…おい。」

「何?」

「いいか、この事言うんじゃねぇぞ。それから袋は二つだ。」

「二つ?」

「俺と、お前の分だ。そのブサイクな顔、どうにかしろ。」

 

少女は少し惚けた後、笑みを浮かべた。

 

「分かった。」

 

そして少女は屋上から出て行った。

 

「くそ、情けねぇ。」

 

小刻みに震える右手を少年は強く握った。

 

怖かった。怖かった。怖かった。

 

少年は三門市の外側に住んでいた。だから、近海民が現れた時比較的安全な場所に避難出来た。あの時誰もが真っ青な顔をしていたが、あの時なんて可愛いもんだ。あの時、心の何処かで安心していた。

 

どうせ、ここには来ないと。

俺は助かるのだと。

 

違った。死は身近にいた。常に俺を連れて行こうとしている。

 

「何なんだよ…。」

 

アイツの目が怖かった。ドラマの殺人鬼なんかよりよっぽど殺人鬼の目だ。俺を人として見ていない。そこらの虫螻と変わらない。殺す事に一切の迷いがない。

 

「あんな、刺さり方は初めてだ。」

 

初めはアイツの視線が気になっただけだった。アイツが逃げた理由を知りたいだけだった。誰がこんな結果になるなんて思う?

 

「好奇心は猫をも殺すってか?勘弁しろよ。」

 

少年はクシャッと前髪を掴んだ。だが、手遅れなのだ。一度繋がった縁は中々切れるものじゃない。

ギギッと重たい金属音を立てて屋上のドアが開いた。先程の少女が二つの氷嚢を持って帰ってきた。

 

「あの、これ…。」

「おう。」

 

少女が差し出す氷嚢を少年は受け取った。少女は少年からかなり離れた場所に座った。少年は怪訝な表情を浮かべる。

 

「何でそんなに離れんだよ。」

「だって貴方、私が怖いでしょ?」

「怖くねぇよ。」

「手が震えてた。無理は良くないわ。本当、ごめんなさい。」

 

少女は氷嚢を手で弄りながら少年に謝った。少年は氷嚢を首元にあてばつが悪そうに視線を逸らした。

また暫く二人は無言で過ごした。その間、チクチクと何かが刺さるが必死に無視をした。

 

「おい、それ使えよ。もったいないだろう。」

 

いつまでも氷嚢を弄る少女に少年はそう言った。すると少女は素直に瞳に氷嚢をあてた。

 

「お前、名前は?」

「如月結城。」

「如月、か。俺は詳しい事知らねぇけど、あんまり酷いんなら病院行った方がいいんじゃねぇの?」

「そう、ね。考えておく。」

「それ、いかねぇヤツの返事だよ。」

 

少年は呆れたように言った。




お疲れ様です。

書いてる私も疲れました…。

感想などお待ちしています。

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