nameless   作:兎一号

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神崎蓮奈の悪夢

最近は良く夢を見る。良く夢を見るだけで良い夢では無い。私には苦痛だった。

 

画廊に私は立っている。そこには私が見てきた楽し気な風景がある。その画廊の絵に触る。その絵はとても楽しそうだ。楽しそうなんだ。この中に私を入れる事が出来ない。だから、私はその絵を片っ端から壊していく。叩きつけて、引き裂いて、破り捨てる。楽し気な風景は悉く粉々になるのだ。私はその絵を見詰める。粉々になっても相変わらず、その絵は楽しそうだ。ここに火はない。燃やすことは出来ない。そして、その絵画から手が伸びて来る。その手は私を絵の中に引きずり込もうとする。その手は一つだけでは無くて、沢山の手が私を掴む。足が段々絵の中には落ちていく。それでも手のせいで逃れることは出来ない。手を引き千切る事は可能だ。だから、手を精いっぱい引っ張って引き千切る。すると手は沢山の色のインクとなってしたたり落ちる。そしてまた新しい手が生えて来る。やがて、私の体は絵の中に落ちていく。絵の中はまるで液体の様だ。呼吸が出来なくて手を絵の向う側に伸ばすのに掴む場所が無くて溺れてしまう。口から空気の泡らしきものが上へ浮いて行く。それを見詰めていると上から誰かが見下ろしている。そしてその誰かがその絵に火を放つ。絵の中は燃えるように熱くて。

 

そしていつも目が覚める。夢とは、妄想の塊らしい。私は何を妄想しているのだろうか。

私はベッドから起き上がった。そして冷や汗をかいて張り付く気持ち悪いネグリジェのまま、お風呂へと向かう。朝の5時。誰も起きていない。服を脱ぎ、風呂に入る。シャワーを浴びて、あの夢を思い出す。このまま自分が溶けてしまうのではないかと、恐ろしくなる。

 

恐ろしい。その感情は知っている。近界民は良く私にそう言った感情を向けてきたから、よく知っている。ただ、その感情が強くなると呼吸が荒くなる。そしてそれをどうにかしようと人は人らしからぬ行動にでる。

 

「馬鹿馬鹿しい。私は、どうしたと言うの?」

 

落ち着いて。水に溶けるなんて事は無い。大きく深呼吸をして心を無くした。そして私は風呂から出るとぽたぽたとお湯を滴らせながら歩いた。髪にタオルを巻いて新しい寝間着を着て脱衣所を出る。

 

そしていつも通り、時間を潰して朝食を取って本部に向かう。そしてC級の個人戦ブースでブラブラするのだ。それでお目当の人が見つからなければ、ラウンジに行く。ラウンジで適当に軽食を取って、本部の中をブラブラと歩く。

 

「神崎?」

「あら、北添ちゃん。なんだか久しぶりね。」

「そうだね。遠征から帰って来てからカゲや光ちゃん、ユズルには会ったんでしょ?ゾエさんなんだか寂しかったよ。」

「私が作戦室に行っても北添ちゃんいないんだもの。」

「神崎はこれから作戦室に来る?光ちゃんがたくさんお菓子持って来たからパーティやるんだ。」

「ランク戦の最中なのに相変わらず緩いわよね。」

「カゲは遠征に興味ないからね。」

 

私はクスクスと笑ってから

 

「それじゃ、お言葉に甘えてお邪魔しようかしら。」

 

そう言った。笑いたかった訳ではないけれど、今彼には会いたくないけれど。私は北添と歩き出した。カツカツとブーツのヒールが廊下を鳴らす。

 

「それにしても、珍しいね。」

「珍しい?何が?」

「ゾエさん、神崎に会ってから髪を下ろしてるところ見たことなかったからさ。」

 

そう言われて私は自分の髪を触った。ああ、確かに今日は髪を結って来るのを忘れてしまったようだ。私らしくない。腰ほどまで伸びた金色の髪。歩くたびに左右に揺れる。

 

「髪を結うの流石に持ってないよね。」

「ないよ。光ちゃんにでも借りたら?」

「そうね。そうしようかしら。」

 

私は大きなため息をついた。

 

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない。なんだか集中出来てないみたい。はぁ、ダメね。」

「何か悩み事?」

「そんなんじゃないわ。少し夢見が悪かっただけ。」

「夢?」

「そう、夢。だから、どうしようもないのよ。」

 

そして私達は作戦室についた。中に入るとそこには絵馬と仁礼と影浦雅人がいた。

 

「おっせぇぞ、ゾエ!って、お前まで来たのかよ。」

「廊下で会ったんだ。神崎もパーティに誘ったんだけどいいよね。」

「勿論!レナも早く座れよ。」

「それじゃあ、お邪魔するわね。」

 

私は光ちゃんの隣に腰かけた。机には沢山のお菓子が並べられていた。私はその中のチョコレートのクッキーを手に取った。隣で光ちゃんが紙コップにオレンジジュースを置いてくれた。

 

「ありがとう。」

「いいって、いいって。」

 

私はクッキーを食べた。甘くておいしい。ざわざわとしていた心が休まる感じがする。

 

「うん、美味しい。」

 

私はもう一枚クッキーを食べた。

 

「そう言えば、光ちゃん。テスト勉強の調子はどう?今回も大丈夫そう?」

「げっ、どうしてそんな事聞くんだよ!」

「テスト前になってここが分からなーいって、泣きつかれると大変だもの。」

「うう…、今回も宜しくお願いします!」

「えぇ、大丈夫。これから頑張りましょう。」

 

ポテトチップスを食べながら仁礼はそう抱き付いて来た。私は苦笑いを浮かべながら、はいはいとそう言った。

 

「お前、いつものリボンどうしたんだ?」

「今日は忘れてきちゃった。」

「随分長くなったな。」

「そうね。昔は肩までしかなかったから。やっぱり切った方が良い?」

 

今では髪が長くなり、大分重くなってしまった。リボンで結っていても直ぐに落ちて来てしまう。

 

「お前の好きにしたらいいだろ。」

「じゃあ、切ろうかな。いっそのこと結わなくていい位に切ってみようかしら。」

「綺麗なのに、切っちゃうの?」

「うーん、絵馬ちゃんがそう言うとなんだか切りたくなくなっちゃうじゃない。」

 

私は髪を弄りながらそう言った。

 

「でも、最近邪魔だから昔くらいまで切ろうかしら。」

「そのままでいいだろ。」

「そう?」

「あぁ、刈谷並みに短くなると似合わねぇ。」

「うーん、そうかな…?」

 

確かに刈谷裕子は髪が短い。長さで言えば影浦雅人と同じくらいだ。

 

「ねぇ、ちょっと髪いじらせてよ。」

「良いわよ。」

 

仁礼が私の髪をいじり出した。私の長い髪で仁礼は三つ編みを結い始めた。

 

「ん、何?」

 

視線を感じてそちらを見るとじっと私を見つめていた影浦雅人と目があった。

 

「別に、なんでもねぇよ。」

「そう?」

「いやー、レナの髪はサラサラだなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、何かあったのか?」

 

パーティが終わり、帰宅途中に影浦雅人がそうたずねてきた。私は首をかしげる。

 

「何が?」

「今日はお前の感情が刺さらねぇ。」

 

私は影浦雅人の話を聞いて彼から視線を外した。

 

「夢見が悪いの。それだけ。」

「夢見が悪いだぁ?」

 

私は暗い空を見上げた。そして目を細めた。

 

「私の中は、私が変わることが嫌なんだよ。」

「変わるのが嫌?」

「うん、私は私が変わっちゃうのが嫌で、怖いんだと思う。だから、夢見が悪い。」

「お前は、変わるのが嫌なのか?」

「変わるのって、怖いでしょう?怖いんだと思う。怖いを正確に理解しているかわからないけど。でも、怖いんだと思う。」

 

夢で絵を破くのはどうして?絵を破けば、もう引きずり込まれることはないと思うから。焦がれなくて済むから?手を伸ばさずに済むから?でも、結局絵は手を伸ばしてくる。手を伸ばして私を引きずり込むじゃないか。そして私は燃やされて。

 

「その夢は、どんな夢なんだ?」

「画廊に立ってるの。楽しそうな絵が沢山飾ってあるの。でも、私はそれを全部破くの。壊してしまうの。そうしたら、ばらばらになった大量の絵が床に散らばっているの。そこから人の手が出てきて、私を絵の中に引きずり込もうとするの。手を払っても手は色々な色のインクになっちゃうの。結局、絵の中に引きずり込まれるわ。絵の中は外から見ていた時と違って中は真っ暗で。上からの光だけが、明るくて。それから…。」

「それから?」

「誰かが、絵に火をつけるの。火のついてしまった絵の中はとても熱くて、苦しくて。」

 

そこまで言うと影浦雅人の手が頭の上にのった。それから、彼は私の頭を優しく撫でた。

 

「大丈夫か?」

「少し、大丈夫じゃない。」

 

変わりたいのに、変わりたくない。知りたいのに、知りたくない。

私はきっと、絵の中に入ってそのまま絵と一緒に引き裂かれてしまうのが怖いんだ。私のような人間に引き裂かれるのが。だからと言って()()側に誰かを連れてこようとは思わない。あの場所は酷く、酷く…。なんだろうか。わからない。

私はいつか()()側にも()()()()側にもいられなくなることが嫌なんだ。私はこのままの方が、良いのではないのか。

 

「神崎?」

 

頭を抱えてしまった私に影浦雅人は私を呼んだ。私には影浦雅人の言葉が聞こえなかった。

 

影浦雅人はこの光景に見覚えがあった。4年前、屋上で首を絞められたあの時と同じだ。視界がザワザワと見辛くなる。影浦雅人は目の前の神崎蓮奈の右腕を掴んだ。

 

「神崎!」

 

その大きな声に私は体を大きく震わせた。私の手は震えていた。

わからない。私は私がわからない。影浦雅人を見ているはずなのに、視点が彷徨って彼の顔がはっきり見えない。

 

「そんなに怖がらなくて良い。怖がらなくて良いんだ。」

 

私はゆるゆると首を振った。

 

「怖いわ…、怖いわよ。すごく、怖い。」

 

どうして良いのかわからず、涙が浮かぶ。

 

「神崎…。」

 

影浦雅人は私を抱きしめた。この温もりは私の心を落ち着かせる。瞳を閉じれば涙が頬を伝う。落ち着いて呼吸をする。

 

「落ち着いたか?」

「少し…。ありがとう。」

 

小さな声で私は影浦雅人に告げた。しかし、彼は私を離してくれそうになかった。

 

「私は安心できてる?」

「まだ、不安みたいだ。大分ましになったがな。」

「やっぱり、貴方の温かさは落ち着くわ。」

「…、お好み焼き、食うか?」

「うん、食べる。」

 

 

 

 

 

 

 

結局、酒を飲んだこいつは寝落ちした。穏やかな寝息を立てて、布団にくるまってる。頭の上に頭を乗せる。サラサラと髪を撫でる。

 

「勿体ねぇ、髪切るなよ。すごく綺麗なんだから。」

 

腰まで伸びた神崎の髪にそっとキスをした。

 

それから影浦雅人は風呂に入るために部屋から出て行った。そして戻って来ると先程まで穏やかな寝息を立てていた神崎は眉を寄せて酷く苦しそうにしていた。神崎は空を切るように手を伸ばしていた。

 

俺は神崎の手を掴んだ。強く手を握った。

 

「神崎!?」

 

肩を揺らして神崎を起こそうとした。酷く汗ばんだ彼女は薄っすらと瞳を開いた。数回瞬きをした後、はっきりと俺を見つめた。

 

「泣けよ。怖いんだろ?ここにいてやる。」

「うう…。」

 

神崎は俺の手を額に当てて静かに泣いた。刺さって来る感情は恐怖。それもとても強い恐怖感。

 

「私は結局、変われないの。」

「自惚れんなよ。お前は元々、そんなに強い人間じゃないだろ。なに、一人でできると思ってんだよ。お前を救うのは俺の役目だ。そう言ったのはお前だろ。」

「変わりたくないって、でも、このままだと、私。」

「お前が俺のことを考えてあんな事を言ってくれたのは嬉しい。でもな、その為にお前が泣くんじゃ意味ねぇよ。」

「でも、私は…。」

 

影浦雅人は流れる涙を指で拭った。

 

「ゆっくりで良い。いつか俺を見てくれんならそれまで気長に待つさ。こっちは4年も片思いしてんだ。もう少し待つくらいなんともねぇよ。」

 

こいつは悲しそうに眉をひそめる。刺さる感情は若干の不安。それから、罪悪感。

 

「やめろ。俺は、お前に罪悪感で付き合って欲しい訳じゃない。」

「ざい、あくかん…。」

「ああ、罪悪感だ。」

 

影浦雅人は神崎の額に自分の額を合わせた。

 

「安心しろ、絶対に俺を好きにさせてやる。」

「私はなれるかな?」

「ああ、絶対にさせてやるよ。」

 

そう言うと儚げに笑みを浮かべた。感情は少しの嬉しさと気恥ずかしさ。そして感謝。

そして短いキスをした。

 

「ねえ、もう少しだけここにいてもらっても良い?」

「ああ、お前が寝るまでここにいてやるよ。」

「うん、ありがとう。」

 

影浦雅人は神崎の右手を握った。神崎はゆっくりと瞳を閉じた。神崎の手は少し熱を持っているように温かかった。また穏やかな寝息を立て始めた神崎を見て影浦雅人は安堵のため息をついた。

 

「おやすみ、神崎。」

 

彼女の夢が穏やかな夢だと良いと、影浦雅人は思った。




お疲れ様でした。

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