米屋達と別れて私は支部に帰る為に廊下を歩いていた。
「あら、宇佐美ちゃんに雨取ちゃん。ランク戦お疲れ様。見てたわよ。6点なんてすごいじゃない。」
「有難うございます。」
前を歩いていた二人にそう話しかけた。雨取ははにかみながらそう言った。
「レイジさんが迎えに来てくれるらしいんですけど、神崎先輩も一緒にどうですか?」
「そうね、それじゃ。お願いしようかしら。三雲ちゃんと白髪は?」
私は先ほど頑張っていた他の2人が見当たらないので尋ねてみた。
「遊真君は緑川君とランク戦に行って、修君はその付き添いです。」
「そう。ランク戦ね。」
「それにしても珍しいですね。神崎先輩がランク戦見るのって。」
「そうね、私も米屋ちゃんに誘われなかったら見に行かなかったわ。」
廊下を歩きながら私は先ほどの事を思い出しながらそう言った。結局、太刀川は見つからないし。今日は何というかついていなかった。宇佐美と雨取は何やら楽しげに話しているが、私はその後ろを付いて歩くだけだった。木崎の車を待っていた。ボーダーの壁に背中を預けて私は彼女達を見ていた。
「あの…。」
「何?雨取ちゃん。」
「その基地に帰ったら私の練習見て欲しいんです。」
私は彼女の顔を伺った。視線を左右に動かして不安そうにしている。
「どうして私なの?貴女の師匠は木崎ちゃんでしょ?」
「レイジさんが言ってたんです。精密射撃に置いて神崎先輩の右に出る人はいないって。」
「精密射撃って、ただ狙った所に当てられるってだけよ。」
「でも、それって凄い事じゃないですか。」
「いいえ、凄い事じゃなくて当たり前の事よ。トリオンの銃弾は重力の影響を受けない。だから弾道落下もしないんだから、それくらい出来ないとどうしようもないでしょう。」
それに精密射撃って言うのは武器を撃って壊したりする事が出来る様な技術だ。ただ撃って当てるだけなら誰でも出来る。
「私、人が撃てなくて…。」
「人が撃てるようになりたいの?」
「撃てるようになれば、皆の役に立てるかなって…。」
私は彼女の顔をじっと見つめた。そして目を細めた。
「その話、木崎ちゃんにはしたの?」
「レイジさんは、皆は私が頑張ってるのを知ってるって。無理をするなって。でも、いつかそんな時が来たら私は誰も守れない。」
「千佳ちゃん。」
「貴女は、私の様にはなれない。」
私は自分が思っていた以上に冷たい声でそう告げた。そして彼女は驚いた表情で私を見上げている。
「どうしてですか?」
「例えば、ここに一枚の絵があったとするわよね。その絵には楽しそうな家族の絵が描いてある。貴女にはその絵に何の思い入れも無い。その絵を貴女は破れる?」
「えっと、それがどんな絵か分かりませんが…。多分破けます。」
「その絵に描かれているのが、貴女の家族でも?」
そう言うと雨取は大きく目を見開いた。
「貴女は自分のお兄さんやお母さん、お父さんの描かれた絵を破くことは出来る?その絵に感情をうつせずにいられる?」
私は小首をかしげてそう尋ねた。雨取はじっと自分の手を見詰めた。
「わ、私は…。」
「忘れちゃいけない。誰かを殺すって言う事は、つまり貴女の家族を殺されることと同じ痛みを誰かが背負うって事よ。」
そう言うと雨取は私の顔を見上げた。30センチ近く身長差がある私を見上げるのは大変な事だろう。私は雨取を見下ろした。
「そして、私にはその痛みが理解できなかった。だから、私は人を撃つのに戸惑わない。私にとって誰もかれもが何の思い入れのない絵と同じなの。額縁に飾られた絵に感動を覚えても決して絵と同じにはなれない。私には世界がそう見えている。」
そして丁度木崎の車が来た。私は木崎の車の方へ歩いて行った。
「それじゃあ、神崎先輩のお母さんも神崎先輩には額縁の世界に見えるんですか!?」
後ろを振り返るとプルプルと肩を震わせる雨取がいた。雨取はお見舞いの時に私の母親に会っている。
「そうよ。私にはこの世の何一つ、現実には見えない。」
「寂しくないんですか?」
「それが当たり前だもの。それに寂しいなんて感情は私の中には存在しないわ。私には寂しいなんてものは理解出来ないし、人を撃つことに恐怖なんて感じた事は無い。私と貴女じゃ根本的な所が違う。人を撃ちたいのなら、慣れる事ね。どんなに時間が掛かってでも、人に当てることになれなさい。そうしたら、いつか感覚がマヒして普通に人が撃てるようになるわ。」
彼女は下を向いてしまった。それでもそれ以外に人が撃てるようになる方法が思いつかない。私がそうだったように雨取もこれから心に負担をかけて忘れてしまうのだろうか。でも、彼女は私と違って一人じゃない。そんな事はありえないか。でも、一人じゃないからいつまでも甘えられるという事でもある。
私達は車に乗った。後部座席に乗った私の隣に雨取が、宇佐美は助手席に座っている。私は頬杖を付いて暗い外を眺めていた。
「あの、さっきの話なんですが…。」
「何?」
「人を撃つのに慣れるにはどうしたら良いでしょうか?」
「取り敢えず、撃つしかないでしょう。貴女はどうして人が撃てないの?」
「それは…。」
彼女はそこで言葉を詰まらせてしまった。
「私から言わせれば、人が撃てないって言うのは甘えね。」
「甘え、ですか?」
「そう。自分がやらなくても誰かが何とかしてくれる。白髪がいるから自分は建物を壊していればいい。あの白髪は貴女を守る為にいるんじゃないでしょう?それに自分を守れないような奴が、あっちに行って生きて帰って来られるとは思えないわ。」
「神崎。」
「聞いて来たのは貴女の弟子の方よ。私は私の意見を彼女に言っているだけ。」
私はそう言ってまた暗い外を見る。
「まあ、貴方達がやってるのはチーム戦でしょう?私みたいに個人で全部やらなきゃいけない訳じゃないんだから。人を撃つだけが援護じゃないわ。相手の行動を制限するのも援護の役目よ。」
私はそれから口を閉ざした。人を撃つこと以上に人を殺す事に慣れてしまった私には決して理解できない思想だ。
★
私は訓練室の設定を弄るのにキーボードを押す。人差し指だけで。未だ両手を使ってキーボードを押すのはなれない。人差し指で慎重に押し間違いをしない様に押していく。
「神崎先輩?」
「ん?あぁ。三雲ちゃんか。どうしたの?」
「あ、いえ。そのパソコンを使おうと思って。次の試合の為に記録の確認などをしようと。」
「うん、そっか。ちょっと待ってね。私、キーボードうつの苦手なの。」
そして私が慎重に押しているのを三雲が見つめていた。
「あの、神崎先輩。よければ僕がやりましょうか?」
「…、お願いしようかしら。」
「神崎先輩は本当に苦手なんですね。」
「苦手と言うか、まぁ。そう言う意識はあるわね。烏丸ちゃんがこっちに来たばかりの時に、『機械類は間違った扱い方をすると爆発するんですよ、知らないんですか?』って言ってたからいつも慎重になっちゃうのよね。」
「間違った扱い方、ですか?」
「えぇ、キーボードを押し間違うと大変なことになるんでしょう?電子レンジの操作を間違っても爆発しちゃうみたいだし…。日本人の作る物は繊細なんだか、大胆なんだか。分からないわよね。」
そう言うと三雲は非常に言いにくい声で『それ、嘘ですよ。』と言った。その言葉を聞いて私はすっと立ちあがった。
「神崎先輩?」
「確か上に烏丸ちゃん居たわよね。折角だから私の訓練に付き合ってもらおうかしら。痛覚ありで指先からじっくりと切り落としていってやるわ。」
「お、落ち着いてください!神崎先輩。」
「いやよ、一年近くも騙されてたなんて…。最悪!」
必死に上に行こうとする私を三雲は必死に抑えた。そしてお互い体力の限界が来たのか大きく息をしている。
「えっと、神崎先輩。これで良いですか?」
「……、いいわよ。ありがとう、三雲ちゃん。」
そう言って私は諦めた様にブースに入って行った。
神崎先輩はトリオン体になり、弧月を真っ直ぐに構える。そして次々にトリオン兵を切り裂いて行く。そこに一切の無駄はない。確実に相手の急所を切り裂いている。確実に一撃で相手を倒していく。神崎先輩は猫の様に身軽だった。そしてそこに人間らしさが無いように感じた。ただ、目の前の物を切って行くだけの単純な作業。そこには何もないように見える。目的が何もない。どうして先輩はトリオン兵を切っているのか。訓練と言う名の殺傷。意味ないように倒されていくトリオン兵がそこに広がっていた。斬られていく。ただ、斬られていく。金色の髪が靡く。そして青い瞳には深い闇があった。何も映ってないそこには何を見ているのだろうか。
「オサム?何してるんだ。」
「えっ!?あぁ、えっと。」
僕はそう言って慌てて画面を切り替えようとした。気が付けば、空閑が下に降りて来た。
「神崎先輩だ。うわー、凄い。」
どんどん斬られていくトリオン兵を見て空閑はそう感想を零した。
「空閑は、どう思う?」
「どう思うとは?」
「神崎先輩の姿を見てどう思う?」
次々にトリオン兵は斬られていく。金色の髪が靡いて青い目が敵を見据えている。
「強いと思うよ。」
「怖いと、思わないか?」
「怖い?」
そう言うと空閑はもう一度神崎先輩を見た。
「あぁ、そう言う事か。」
「何が?」
「神崎先輩があそこで殺戮を行っているから、オサムは怖いと思うんだよ。」
「殺戮?」
「そう、殺戮。神崎先輩はただトリオン兵を倒している訳じゃない。トリオン兵を殺しているんだよ。理由なしに、殺しているんだ。人は殺す事に嫌悪を覚える。だから、オサムは今の神崎先輩に恐怖を感じているんだ。理解できないんだよ、オサムには。あんなに無感情で殺せる神崎先輩が理解できないんだ。だからオサムは神崎先輩が怖いんだよ。」
「空閑は、怖いと思わないのか?」
俺がそう尋ねると空閑は少しだけ眉を顰めた。そして映しだされている画面を見詰めた。
「怖いとは思わない。でも、神崎先輩は恐ろしい人だ。」
「恐ろしい。」
「神崎先輩は、多分…。玉狛にいる人間を殺せって城戸司令に言われれば、殺せるよ。」
「そんな…!」
「神崎先輩にはそれ位、順列が無いんだ。」
「なんの順列だ?」
「優先順位の事だよ。」
「俺は先輩に会ってまだ1ヶ月も経ってないけど、先輩は俺達の殆どにちゃん付けするだろ?」
「あぁ、それがどうかしたのか?」
「人には誰だって好きな人、嫌いな人がいるんだ。嫌いな人の名前は呼ばないし、関わろうとしない。神崎先輩にはそれが無いんだよ。近界民を嫌いなはずなのに、毎回お土産のお好み焼きを買って来てくれるし。優しくしてくれる。人は生きている内に関わった人たちに優先順位を付ける。友人と赤の他人。どちらか助けられないとしたら、友人を助ける。そんな風に優先を付ける。でも、神崎先輩にはそれが無い。今まで一緒にいた人も、いなかった人も神崎先輩には同じなんだよ。俺が神崎先輩を懐柔しようとしたのオサム、覚えてる?」
覚えている。あれは確か大規模侵攻の作戦会議の前の事だ。
「あぁ、覚えてる。」
「あの時、神崎先輩は言ってた。『絵に感動は覚えても同じなろうとは思えない。』って。つまり、神崎先輩にとっては俺たちは絵なんだ。感動を覚えた絵でもそれを引き裂くことを戸惑わない。そして自分は決して絵と同じ様にはならない。だから、神崎先輩は恐ろしい。神崎先輩は自分をこの世の何とも違う者と思っているから。」
ガシャンっと、音がしてエレベーターの扉が開いた。そして出てきたのは汗を滴らせた神崎先輩だった。汗のせいで服が体に張り付いている。
「随分お疲れだね、神崎先輩。」
「あら、白髪じゃない。白髪も作戦会議?」
「これからね。神崎先輩の戦闘見させてもらったよ。」
「そう。それじゃ、私はお風呂に入って寝るから。お休み。」
「おやすみなさい。」
そう言って神崎先輩は上へ上がっていった。俺達はそれを見送った。その後姿は酷く、寂しげに見えた。
お疲れ様です。
感想お待ちしております。