三雲修が目を覚ましたらしい。しかし、私は彼に会いに入っていない。行けていない。看護師の監視が厳しいからだ。それでも絶対安静は解かれた。傷口はある程度塞がってきたらしい。
「君の回復力には驚かされるよ。」
医者にはそんな事を言われた。私も時々思う。私の回復力は普通じゃないんじゃないかって。それでも、私にはそれをどうこうできるものでは無い。その話を聞いた後、私はまた暇になってしまった。だから私は普段見ないテレビを付けた。食堂にあるテレビだ。流石にそこまでは怒られなかった。
私は今、テレビを見ている。ボーダーの会見だ。記者たちは色々自分勝手な事を言う。私は人間が嫌いだった。勝手だ。彼等は連れ去られてしまった約20名の命を最早無いものと、救えないと諦める。連れていかれた彼らの事を何一つ考える事が無く、記者たちは彼らを一番最初に殺しているんだ。その自覚の無いせいでどれ程の者達が諦めてしまったのか、あそこで話している者達は知らないんだ。安穏とした場所で安穏とした場所が危険だと騒ぎ立てるただの無知な人間だ。
彼らは本当の危険を知らないんだ。本当の死を知らないんだ。だから、彼らは本当の幸せを知っている。その対極あるモノを知らないから、片方だけを知っているから。幸せなんだ。無知は幸せだ。知らなければ、人で居られるだけ。
「ふざけるなよ。」
隣に座っている男がそう言った。彼は顔に包帯を巻いている。
右目を隠している。
失明でもしたのだろうか。
体中に包帯を巻いている。
車いすに座っている。
もう、歩けないのだろうか。
男は酷く動揺していた。掌で顔を覆い、ふざけるなとそう誰にも聞こえない様に呟くだけだった。私は隣からそれを見降ろしていた。
私は知っている。世界は誰にも優しくない事を。世界は平等に優しくない。その平等がどんなふうに人間に襲い掛かるかなんて、分からない。それは、生まれた直後に分かる障害なのかもしれない。それは、生きている時に分かる誰かの死なのかもしれない。それは、生きてから分かる死期の早さなのかもしれない。どれだけ徳を積んでも世界は平等に人を不幸にする。
それは同時に世界はどれだけ悪事を働いても平等に人を幸福にするという事。どれだけの業を背負っても最後には死と言う幸福を与えるという事。
幸福の中にいる者には、死は不幸だ。
不幸の中にいる者には、死は幸福だ。
知っている者と、知らない者。私の隣にいる彼は一体どちらの人間なのだろうか。
記者たちの問いかけを何事もない様に根付さんは躱していく。実際、彼らの鬱憤など根付さんからしたらその程度のものなのだろう。守られている籠の鳥の分際で、ピィピィ騒がしく鳴く。私達が一体何をしていると思っているんだ。彼らは発言の自由をはき違えて、彼らは口から毒を吐く。さも自分が正しいかのように。そして私はそれと同じである事が嫌なんだ。
これは恐らく潔癖症のようなものだ。この世の生物が何と穢れているのだろうと思ってしまったあの時から。石のように固くなった心は割れる事しかしなかった。
「彼らの働きがあったからこそ、民間人死亡者0に繋がったと考えています。彼らの犠牲があったからこそ、市民を守る事が出来たんです。」
私はその言葉が酷く、痛かった。ボーダーは連れていかれたC級隊員がどこの国にいるのか知っていながら助けに行く気が無いのだと、そう言っているからだ。だから、根付さんは『犠牲』だと言う。その『犠牲』がどれ程辛いものか、彼らは知らないから。
私は強く拳を握った。爪が自分の皮膚に食い込んでいることなど、今の自分には考えている余裕などなかった。助けに行かない事を裏切りだと感じるのは、私がそれほどまでにあの組織を信用してしまっているからなのだろうか。最初からそう言う組織だったではないか。城戸派も、忍田派も、玉狛派も。誰も彼もが、助けることなど頭になかったでは無いか。敵を殺すか、今あるものを守るか、敵を作らないか。それしかなかったでは無いか。
「今回訓練生ばかり狙われたという事は、訓練生は緊急脱出が出来ないと近界民側に知られていたという事でしょうか?」
その質問で、私の思考は落ち着いた。確かにそうだ。彼らは最初からC級隊員を狙っていた。
「あぁ、そう言う事か。」
数週間前、あの眼鏡が学校で訓練生でありながらトリガーを使って戦った。その戦闘が一体どう言う物であったか私は見ていないから知らないが、イレギュラー門が開いたという事はそこには確実に偵察用のラッドがいたはずだ。その時に知られたのだろう。つまり、今回の犠牲者は完全に三雲修の判断によって生まれたもの、という事か。
これは庇えない。どう考えても、彼のせいなのだ。だけど、彼がいなければ数週間前の事件で犠牲者を出していたかもしれない。どちらにしろ、『犠牲』が出ていた。後か先か、それだけの問題だ。
ただ、痛いのは緊急脱出と言う知恵をアフトクラトルに与えてしまったという事だ。もし、彼らが今後緊急脱出を使ってくるなら今度は死者を出すかもしれない。
そう考えて視線をテレビに戻した。そして私は驚いた。そこには入院中のはずの三雲修が立っていた。私は先ほど考えていたことなど吹っ飛ぶくらいに驚いていた。何回も瞬きをしてそれが現実なのかと疑った。自らの頬を引っ張った。
「痛い…。どうして、彼が。」
私はそう呟かずにはいられなかった。病院服に松葉杖を付いて彼は根付さんを見詰めて立っていた。眼鏡が質問があれば答えると言うので、そして記者は上ずった声で質問をしようとしたが、忍田さんに止められてしまった。それから記者たちが眼鏡に質問をした。記者たちの質問は彼の罪悪感に訴えて来るような質問ばかりだった。記者たちは感情的に質問し、眼鏡はそれに対して淡々と受けえ答えをしていた。私にはそう見えた。記者たちは悪役が欲しいんだ。そして丁度いい悪役になれそうな役者が登場した。なのにそれは悪役になるには不十分だった。悪役になるには彼は正しすぎた。そこに『驕り』はなく、そこに『偽り』はなかった。
「君ね、もう少ししおらしい所を見せたらどうなんだ。さっきから聞いて居れば、開き直っているだけじゃないか。我々が聞きたいのは君が原因で失われた24人の事だ。連れされた若者の人生を君はどう埋め合わせるのか。君はどう考えている?君はどう責任を取るつもりなのかという事だよ!?」
私は三雲修を見詰めた。私は期待していたのだろう。もし私の見立てが間違っていなければ、彼は、私の中にある願いの中の一つを叶えるための一手を打ってくれると、そう期待していた。
「取り返します。」
三雲修はそう言った。
息を飲んだ。私は今日と言う日を忘れないだろう。一生、どんなことがあっても。私は今日と言う日を忘れず、三雲修に感謝する事だろう。
「近界民に攫われた皆さんの家族も友人も取り返しに行きます。責任とか言われるまでもありません。当たり前の事です。」
漸く、あの子の死が報われた気がした。近界で今も死んでいる人たちの命が漸く報われる気がした。私は手から血が流れていることなど気にせず、心臓の上の病院服を掴んだ。
あぁ、心が痛い。
嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
どうしようもなく、嬉しくて心が痛い。
「はぁ、はぁ。」
吐きだす息が熱い。体中の血液が沸騰した様に熱が行き場を無くしている。かつてこれほどまでに興奮した事があっただろうか。
「彼が言ったように、現在ボーダーでは連れ去られた人間の奪還計画を進めている。すでに近界世界への無人機による渡航・往還試験は成功した。」
ボーダーはもう後には引けない。彼は必ず誰かかしらを連れて帰ってこなければならなくなった。涙が溢れた。これで彼らは『犠牲』というただの無個性は言葉で済まされる事は無い。連れていかれた者達がたとえどんなに悲惨な最後であったとしても、残された者達が助かる道が今、示されようとしている。
「近界民の世界に隊員を送り込む。そう言っているんですか!?」
「危険では無いのですか!?」
そんな質問が飛び交っている。
「24人を救うためにさらに犠牲が「更に?」」
「そうか、君達はこの場合将来を見越してたかが24人は見捨てるべき、と言う意見だったな。」
城戸さんの言葉に記者たちの間には動揺が走った。それから城戸さんは第一次侵攻の時に攫われた人も対象にいれると言う。私は大きく息を吐き出した。興奮は怪我に良く無い。何回も大きく深呼吸をした。そして会見が終わったテレビを見た。隣にいた男も何処かに行ってしまった。そして私はポケットに入っていた十字架に触れた。
「これから、忙しくなるわ。行きましょう。三雲修にお礼を言わなきゃ。」
私達は立ち上がり、ナースステーションに向かった。
「神崎さん!?その血、どうしたんですか!」
よく見ると掌から血が流れていた。看護師に手を取られ、処置します。と言われナースステーションの奥に引っ張られた。両手に包帯を巻かれた。
「もう、手をこんなに強く握っちゃダメですよ。女の子なんだから。」
私は真っ白な包帯を見詰めた。そこには見えていた赤はなかった。
私は今、幸福の絶頂期にいるのだろう。有紀に赦され、大切な人が二人も出来て、願いが叶うかもしれなんて。
幸福な事がこんなにも恐ろしいものだとは知らなかった。不幸があんなにも安心するものだとは知らなかった。
「ちょっと、神崎さん?聞いてますか?」
「えぇ、有難うございます。」
「全く、もう。」
看護師は呆れたようにそう言った。
「すみません、少しお尋ねしたいんですが。」
「なんですか?」
「三雲修の病室を知りたいんです。」
そう言うと看護師は親切に教えてくれた。私はその病室に入るとやはりそこに三雲修はいなかった。
暫くすると彼等は帰って来た。病室の中にいた私に彼等は驚いた声をあげた。
「神崎先輩!?あの、えっとどうしたんですか?」
「どうしたも何も、ここは私の病室よ。」
「え!?」
「嘘だよ、オサム。でも、珍しいね。神崎先輩が嘘をつくなんて。」
「そう言えば、貴方にはそういうサイドエフェクトがあったわね。嘘というより、冗談よ。」
私は窓から外を見た。
「その手、どうしたんですか?」
一度お見舞いに来てくれた雨取がそう尋ねた。
「会見を見ててね、根付メディア対策室長とか城戸司令を一発殴ってやろうかと思って。」
「ええ!?」
「私は影浦君と違って降格とか、減点とか無いから。」
「カゲウラ君?」
「根付メディア対策室長にアッパーをして降格と減点をくらった勇者よ。」
「修、彼女は?」
「あ、ああ。ボーダーの先輩の神崎蓮奈さん。玉狛支部に住んでいるんだ。」
「初めまして、神崎蓮奈です。」
私は黒い髪の女性に頭を下げた。
「えっと、それで…何の用でしょう?」
「貴方にお礼を言いに来たの。」
「礼、ですか?」
「ええ、会見を生で見たわ。貴方のおかげでボーダーはもう一歩も引かないところに来た。ボーダーは連れさらわれた人を連れ帰らなくてはならなくなった。元々、誰もが『犠牲』という言葉で済ませようとしていたけど、もうこれからは通用しない。これで連れさらわれた人達は故郷に帰れる。ありがとう。」
「いえ、そんな。」
「で、あと一つ。」
私は真剣な顔で彼に向かった。彼は不思議そうな顔をした。
「何ですか?」
「C級隊員の緊急脱出がばれたのは十中八九君のせいだ。それは肝に銘じておきなさい。」
「…はい。」
「じゃあ、ランク戦頑張って。私は毎度の如く遠征にはいくんだろうけど、君達は違うんだからね。一緒に行けるのを楽しみにしてるわ。応援してる。」
「はい。ありがとうございます。」
「じゃあ、私は大人しく病室に戻るわ。お大事に、三雲ちゃん。」
お疲れ様でした。
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