刈谷裕子は紙袋に沢山の本を入れて病院内を歩いていた。最愛の人が目が覚めたのが昨日。一日中話し相手として一緒に居てあげたいが、それは大学受験を目の前にした自分には難しい事だ。だから、自分の持っている本を最愛の人の暇つぶしの為に持ってきたのだ。
「わざわざ、ごめんね。こんなに持って来てもらって。」
「良いのよ。私は受験があるから、読んでる暇ないし。」
昨日の出来事がまだ頭の中をグルグルと回っている。私を浮き足立たせるには十分な出来事だった。数回のノックの音が響いた。
「どうぞ。」
と、彼女は言う。入って来たのは黒い髪の少年だった。赤いマフラーを巻い少年は私の姿を見て少しだけ驚いた顔をした。
「三輪ちゃん。」
「神崎先輩。元気そうでなによりです。」
「昨日、病院内を歩き回っていたら風間ちゃんに怒られたわ。」
そう、彼女はくすくすと笑う。ボーダーで彼女は笑えているんだと思って私は彼女を見つめる。
「昨日、陽介達が寄ったらしいんですが、神崎先輩は寝ていたようだったので何もしないで帰って来たと言ってましたよ。」
「あら、そうなの?起こしてくれても良かったのに。暇だから、寝てただけだから。あぁ、そうだ。裕子、この子は三輪秀次君。私と同期の子よ。だから試験会場で会ってると思うんだけど。」
「うーん、流石に4年前の事は覚えてないなぁ。」
私は昔を思い出しながらそう言った。
「こんにちは、三輪秀次君。刈谷裕子です。」
「三輪秀次です。」
物静かな子だった。目つきは鋭い方だと思うが、影浦ほどでは無い。そして影浦より可愛げがある。
「あの、刈谷先輩はボーダーの試験を受けたんですか?」
「うん。でも、『才能』が無いからって駄目だった。」
「どうして試験を受けたか、聞いて良いですか?」
三輪君はそう聞いて来た。私は頬を掻いた。あまり、人に話せる様な綺麗な理由では無かった。
「第一次侵攻の時に家を壊されたんだ。だから、お金が必要だったんだ。」
そう、表向きの理由を彼に話した。本当は殺された兄さんの敵を取りたかった。でも、きっと親はそれを分かっていたんだと思う。だから、大学を卒業するまでボーダーに入る事を禁止したんだと思う。私まで先走らない様に。
兄さんの死は目の前で見た。大きな白い怪物が兄さんを殺した。兄さんの体に触れて、手が真っ赤に染まっているのを覚えている。ぬるっとした感覚を、一生忘れることは出来ないと思う。
「裕子。」
昔の事を思い出していると、彼女の声が私を現実に戻した。
「何?」
「下の売店でお見舞いに使えそうな菓子を買って来て貰える?」
「……、分かった。」
私はそう言って下の売店にお菓子を買いに行った。
「聞かない方が良かったでしょうか?」
三輪が少し申し訳なさそうにそう尋ねてきた。その言葉に私は苦笑いを浮かべた。
「そうね。裕子のお兄さん、大規模侵攻の時に亡くなってるの。だから、本当は敵討ちがしたかったのかもしれないわ。」
そう言うと三輪は少しだけ驚いた顔をしてから、少しだけ俯いた。
「そう言う意味では、三輪ちゃんと一緒ね。」
「そう、ですね。」
「裕子は多分、敵討ちをあきらめてないと思うの。ボーダーに就職するって言ってるし。」
「あまり、嬉しそうではありませんね。」
「そうね、敵討ちを成功させた身としては、止めて欲しいかしら。」
私はそう言った。それは恐らく、彼にとって許容しがたい言葉だろう。現に彼は眉を寄せている。
「理由を聞いて良いですか?」
「敵討ちをするって事は、人を殺すって事よ。」
私は外を眺めた。今日は青い綺麗な空だ。
「三輪君は、誰かを殺した事はある?」
そう尋ねると彼は眉を顰めた。そして頭を振った。
「私は正確な人数は覚えてないわ。沢山殺した。この手で沢山殺して、敵を討ったわ。」
私は両手を上にあげて見上げた。私は覚えている。血で染まった真っ赤な手を。私には見分けがつかなくなった。この血が自分のなのか、敵の中のか、あの子のなのか。今でも時々、そう見える事がある。したたり落ちる血が見える気がする。それを洗い流そうとは思わない。だってこれは勝利の美酒なのだから。私は両手をゆっくりと降ろした。
「殺して、私が手に入れたものは何一つないわ。ただ、私が人として壊れただけ。」
「殺したって、何も変わりはない。もう、私の名前を呼んではくれないし。私に名前を呼ばせてくれない。」
「殺したって現状は何一つ変わらない。それなら、大切な人の手が私と同じ色にならない事を私は願ってるわ。」
そう言うと三輪は酷く顔を歪めた。やはり、三輪には許容できるような事では無かった。
「まあ、止めはしないわ。私の人生では無いもの。好きに生きて好きに死になさい。それが大切なことよ。他人の意思はそこには無い、私達は私達のやりたい事をやる為に生まれて来たんだから。」
「死人に口無し。どんなに死人が願ったって私達には分かりはしないわ。」
「それは姉さんが敵討ちを望んでないって言いたいんですか?」
「貴方のお姉さんが敵討ちを望んでいるかどうかなんて私は知らないわ。私はお姉さんの事を知らないもの。ただ、私はして欲しくないって話。」
そう言うと三輪は黙ってしまった。私はをそんな三輪を見て微笑んだ。それから三輪を手招きした。三輪はこちらに近付いて来た。そして私の横まで来た。
「ほら、しゃがんで。」
三輪は怪訝な顔をしてしゃがんだ。私は彼の頭の上に手を乗せた。そして子供みたいなさらさらした髪を撫でた。
「頑張れ。それを成し遂げた時、新しいものが見つかるわよ。」
「……はい。」
私は三輪の頭から手を離した。三輪とは付き合いが長い。それに三輪は私と似ている。なので心配になったりする。そう言った意味でよく気にかけている。
「三輪ちゃんは眼鏡のお見舞い行った?」
「いえ…。」
「そう、ならよかった。私の代わりに眼鏡のお見舞い行って来てくれないかしら?裕子に行って来て貰ってもいいんだけど、ボーダーじゃないし。面識のない子がお見舞いに行っても困るでしょう?」
「別な人に頼んでください。」
「誰がいつ来てくれるか分からないんだもん。ね、お願い。三輪ちゃん。」
私は手を合わせて頼んでみるが、彼は頷かなかった。
「アイツは玉狛です。」
「そうね。」
「裏切り者の玉狛の人間なんかに…。」
「意見の相違は誰にだってあるでしょう。」
私は冷蔵庫の中から水を取り出した。そして少しだけ飲んだ。
「それは、そうですが。神崎先輩は近界民を許せるんですか?」
「そう言う意味では私は人間も近界民も許せないわ。近界民は私の友達を殺したし、人間は私を助けに来てはくれなかった。」
「それは…。」
「まぁ、それは仕方ない事って言う事になってるわ。私の中では。」
「買って来たよ、蓮奈。」
そう言って入って来たのは刈谷裕子。
「三輪ちゃん、お願い出来る?」
「…分かりました。」
三輪は刈谷裕子からお菓子を受け取ると、一礼して病室を出て行った。
「行ってくれるかしら。」
「何があったかわからないけど、行ってくれると思うよ。責任感の強そうな子だったから。」
刈谷裕子は三輪の出て行った扉を見てそう言った。
「そうね。」
三輪は眼鏡のお見舞いに行ってくれる。そう思うことにした。
「そう言えば、あいつ来た?」
「影浦君の事?いいえ、まだ見てないわね。まあ、ほら。ボーダーは今後始末で忙しいと思うし。仕方ないわよ。」
そう言うと刈谷裕子は面白く無いと言った顔をした。
「どうしたの?」
「別にぃ。あれのことだから蓮奈が目を覚ましたって聞いたらすぐに来ると思ったのに。蓮奈が目を覚ます前は結構来てたんだよ。私ほどじゃなかったけど。」
「私が目を覚ましたって聞いて安心したのかしらね。自分の仕事に集中するのは良いことだわ。」
「そうだけど。」
「裕子ももうすぐ受験でしょ?頑張ってね。」
そう言うと刈谷裕子は疲れた顔をした。そして近くにあった丸椅子をこちらに引き、それに座った。
「うん、必ず合格するわ。あ、そうだ。誕生日の日、空いてる?」
「うーん、どうだろう。本部の日程がまだ上がって来てないからなんとも言えないわね。そろそろランク戦が始まるし。そうなったら暇な私は防衛任務に駆り出されるのよね。」
迅も駆り出されることだろう。天羽は無いか。色々な人達が忙しくなるのだ。今思えば何もテストが重なるような時期にやらなくても良いので無いか、と思ってしまう。
「蓮奈の誕生日の日くらい休めないの?」
「それは流石に難しいと思うけどなぁ。まあ、シフトが出たら連絡するわ。」
「うん、なるべく早くね。また、一緒にケーキを作りましょう。」
「ええ、良いわね。」
刈谷裕子はどんなケーキにしようか、先程から考えているようだ。
「普通にイチゴのケーキかしら。ガトーショコラでも良いかも。」
「あまり難しく無いと嬉しいわね。今年で4回目だけど、まだまだ慣れないから。」
「たまには挑戦しないと。でも、そっか。もう4回目かぁ。」
「そうね、こっちに来てから誕生日は裕子と毎年ケーキを作って食べてるものね。」
「そうだね。影浦がボーダーに入ってからはこの時期は忙しいみたいだし。ランク戦だっけ?」
刈谷裕子の言葉に私は頷いた。
「そう、一時期はA級にいたんだけどね。」
「根付さんを殴って降格したんだっけ?馬鹿よねぇ。」
「仕方ないわよ。影浦君も辛いと思うわ。私なんかよりずっと。」
「辛さなんて人それぞれよ。私にはわからないもん。私からしたら影浦なんて口の悪い唯の男子高校生よ。」
その言葉を聞いて私は嬉しくて笑みを浮かべた。
「そうね。」
「アイツの事はボーダーに入った後の検査の事とか聞いたけど、私の中ではそれを知る前と知った後の影浦に変わりはないし。私の永遠のライバルよ。」
「裕子と影浦君って何か競ってたの?」
「内緒。決着が付いたら蓮奈にもわかるわよ。」
「そう?」
「そう。」
彼女は人差し指を唇に当ててそう言った。彼らは私の知らない間に仲良くなっていたらしい。少し寂しいが、嬉しい事だ。
「それに、ライバルは手ごわい方が燃えるわ。」
「裕子は勝てそう?」
「うーん、どうだろう。二人とも全然って感じ。」
「何の競技だろう。影浦君、体力はあるけど運動が得意って程じゃないし。それは裕子も一緒でしょう。卓球とかな?あぁ、ゲームって言うのもあるかもしれないけど。裕子はゲームやらないし。『二人とも全然』って言うのは、どういう意味なの?」
「これ以上はダメ。フェアじゃ無いもの。」
「?」
私は彼女の言いたい事が分からなくて首を傾げる。
「ああ、もう。可愛いわね。」
そう言って裕子は私に抱き付いて来た。
「すごいごまかされた感じするわ。」
「いいのいいの。」
そう言って裕子は私にじゃれてきた。私は毎度の如く頭を撫でるのだった。昔の私は人の髪の柔らかさも忘れてしまっていた。こう思うと私も随分甘ちゃんになってしまった。
「ふふふ。」
「嬉しそうね。」
「えぇ、また蓮奈とこうしてお喋りできるんだもの。嬉しい。本当に、嬉しい。」
「私も嬉しいわ。」
コンコンとノックする音が聞こえた。
「今日は来る人が多いわね。どうぞ。」
「失礼します。あ、刈谷先輩。来てたんですね。」
「宇佐美さん、こんにちは。私、帰った方が良いかな。」
入ってきたのは何だか疲れている宇佐美だった。
「そうね、別に帰る必要はないかもしれないけど。勉強した方が良いかもしれないわよ。」
「うん。じゃあ。また明日来るね。」
「えぇ、沢山の本。ありがとう。」
刈谷裕子は病室を出た。私が手を振ると刈谷裕子は嬉しそうに手を振って帰って行った。
「今回の論功行賞の事について、話しに来たんです。」
「あぁ、そうね。そんな物あったわね。」
「神崎先輩は特級戦功です。」
「ふむ、入院費に消えそう。」
「流石に本部が払ってくれますよ。」
「ブラックトリガーを二人倒したんです。凄いじゃないですか。」
「最初のは兎も角、二人目は次やったら勝てないわね。これ治ったら、太刀川ちゃんに稽古付き合ってもらわないと。はぁ。」
宇佐美は私を不思議そうに見ていた。
「どうしてわかるんですか?次は勝てないって。確かにブラックトリガーは強敵ですし、神崎先輩は重傷を負いましたが…。」
「今回のも私は勝ってないわ。敵が撤退してくれたからそう見えるだけで、彼には勝ててない。あぁあ、最近は凸砂の練習しかして無かったからなぁ。基礎からやり直さないと。」
私は眉を顰めてそう言った。
お疲れ様でした。
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