「……、どうして私まで駆り出されるわけ?」
私は目の前にいる帽子を被った同級生に尋ねてみた。
「そんなの俺が知るかよ。」
そう帽子を被った同級生が答えた。S級隊員の中で入隊式に駆り出されたのは私だけだった。確かに天羽は人前に出て何かするような性格では無い。でも迅悠一だって出てきてもよかったと思う。
「迅ちゃんでもよかったじゃない。」
「迅さんは狙撃手じゃないだろう。」
私は隠そうともせずに舌打ちをした。
「何だ、機嫌が悪いな。何かあったか?」
「最近しつこいのに追われているのよ。」
「しつこいの?」
「戦闘訓練してくれってしつこいのよ。」
同級生の帽子は溜息を付いた。
溜息を付きたいのは私の方だ。
「これ終わったら、お好み焼き食いに行こうぜ。カゲの家のお好み焼き。」
「……、奢りかしら?」
「お前、俺より金貰ってるだろ。お前が奢れよ。」
「割り勘なら行ってあげてもいいわ。」
「今日はカゲは非番だ。美味いの食えるぜ。」
「おお、俄然やる気出て来た。」
そう言ってガッツポーズをする私を帽子は見下ろす。
「本当、神崎はカゲの事好きだよな。」
「荒船ちゃんが思っているような好きじゃないよ。」
「…そうなのか?」
「そうよ。」
帽子はふぅんと少し疑わしいと言う目をしてこちら見てしている。そんな目をされても困るのだ。私は本当に影浦雅人を好きになる事はない。この命に代えても守るだろう。でも、それは絶対に好きからではない。大切なのだ。私は私を探してくれる人を生かしておきたいだけだ。私のために私は影浦雅人を利用している。そう言う、醜い女なのだ。
「もう直ぐ佐鳥が来るみたいだ。二人ともこっちに来てくれるか?」
そう少し離れた東さんの声が聞こえてきた。私は帽子の隣に並んだ。そして入ってきた8人の少年少女。そしてその中には一人だけ見覚えのある少女がいた。雨取は私に小さくお辞儀をした。私も小さく手を振り返してあげると少し安心したような笑みを浮かべた。狙撃手の訓練説明は何事もなく終わるはずだった。雨取千佳がアイビスを撃つまでは。
彼女の放ったアイビスの弾はものすごい爆風を巻き起こしながら壁に穴を開けた。私はその穴を見詰めた。私のトリオン量でもあれ程の穴は開けられないだろう。恐らく私のトリオン量の二倍はあるだろうか。彼女は今までよくトリオン兵に掴まらなかったものだ。彼女が日本で生きている事は奇跡に近いのではないか。
「あ、あ…。あの、すみません。」
と、顔を青くして謝ってきた。
「謝らなくていいわよ。現場監督の佐鳥ちゃんが責任もって鬼怒田さんに謝るから。」
私は佐鳥を指さしながらそう言った。
「えぇ!?神崎先輩も一緒に謝ってくださいよ!」
「佐鳥ちゃん、あの壁に空いた穴を直すのに一体誰のトリオンが使われると思っているのかしら?貴方のトリオン量で、あの壁に空いた穴が塞がると?」
私は佐鳥の頭を掴みながらそう言うと佐鳥はがっくりと肩を落とした。私は溜息を付いた。取りあえず鬼怒田さんに事情を説明しないと。今どこに居るだろうか。
「君は本部の隊員じゃないな。トリオンの測定記録も無い。」
「東さん。その子、玉狛の子よ。」
「玉狛、か。それで神崎を知っていたのか。」
「あ、あぁあの。神崎先輩。私のせいで玉狛の先輩方が怒られたりとかは…?」
「怒られたりはしないと思うけど、文句は言われるかしら。トリオン能力とかの報告してないんでしょ?」
そう言うと雨取は更に顔を青くしてしまった。
「まぁ、でも。壁に穴が開いてしまった後だし、どうしようもないわね。取りあえず、報告して壁の穴塞がないと。」
「なぁんだこれは!?一体どうなっとる!何故穴が空いとるんだ!誰がやった!神崎!お前じゃなかろうな!?」
「私のトリオン量ではどうやったって空きませんよ。ブラックトリガー使わない限り。」
完全なとばっちりを食らった。あぁ、今日は厄日なのだろうか。あの帽子は少し離れた所で見てるだけだし。
私が彼の方へ目を向けると視線を逸らされた。今日はやけ酒をしよう。そう決めた。
「鬼怒田開発室長、訓練中にちょっとした事故が起きました。責任の全ては現場監督の僕にあります。」
「その通りだ!」
そう言って鬼怒田さんは佐鳥に掴みかかった。その間に私は彼らから離れるように壁際族をしていた帽子の所へと下がって行った。
「お?どうした?」
「どうした?じゃないわよ。このまま行くと完全に長くなるパターンじゃない。私今日はやけ酒するって決めた。」
「高校生が酒飲むなよ。」
「21歳だもーん。」
「止めとけって。お前酒飲むと面倒になる。さんざん不機嫌になった上に寝るだろう。」
「こんな日、呑まずにはいられないわよ。」
聞く耳を持っていない私を見て帽子は溜息を付いた。そして鬼怒田さんの方を見ると何故か機嫌がよくなっている。それから暫くして眼鏡と白髪が走ってきた。彼らを見て雨取は嬉しそうな顔で名前を呼んだ。そして三雲を見た鬼怒田さんの機嫌が下がって行った。三雲の背中をバシバシと叩いた後、捨て台詞を吐いて訓練室を出て行こうとした。
「神崎!早く来い。」
「ちっ。」
「ラウンジで待っててやるから行って来い。」
「行ってくる。」
「あの!」
鬼怒田さんの後について行く私を雨取は引き留めた。
「本当にすみませんでした。」
「貴女がいくら謝ったって仕方ないでしょ。穴は開いてしまったんだから。」
私はそう言うと訓練室から出て行った。
「あいつ、何をあんなにイライラしてるんだ?」
★
ダンッと大きな音を立ててビールの入ったジョッキが机にたたきつけられる。そしてそのジョッキを持っているののは顔を赤くして涙目の神崎蓮奈。その前には面倒くさいと言う顔をしているには彼女の同級生の帽子。荒船哲次だ。彼は注文したお好み焼きを食べながら目の前の少女を見る。否、年齢的の事を言えば彼女は立派な女性な訳だ。
「お前、まだ飲むのか?」
彼女は先ほどからビールを10杯ほど飲んでいる。決して酒に強い訳では無い彼女がここまで飲むのは大変珍しい事だ。玉狛では酒が飲めるのは木崎さんや林道支部長そのほか従業員数人。戦闘員は木崎さんを除いて未成年だ。だから必然的に彼女が酒を飲む機会が失われている。そして高校生というと事から彼女の周りにいるのがほぼ未成年である事も察せられる。
「もう止めとけって。明日に響くぞ。」
「良いのよ!私は、明日非番だもん!」
「お前な、玉狛までどうやって帰るつもりだ?」
「歩いて?」
荒船は溜息を付いた。彼女をこのまま返すと確実に玉狛には辿り着かないだろう。下手をすると路上で寝るだろう。彼女は固い床でも寝れる人間だ。
「よう、荒船。」
「カゲ…。」
「どうしたんだ、こいつ。」
「さぁな。何も喋んねぇよ。いつもと同じだ。」
影浦は面倒そうな顔をした。そして先程から静かだと思っていたら彼女はこくりこくりと舟をこいでいた。
「あぁ、こいつ寝だしたよ。レイジさん辺りに連絡入れるか。」
「頼むわ。コイツは家で面倒みる。コイツがつぶれるのは何回もあるしな。」
「そうかなのか?」
荒船は不思議そうにそう言った。背凭れに頭を預けて寝ている。
「荒船、ちゃんと金払って行けよ。」
「結局俺が奢るのかよ。」
影浦は彼女を背負うと店を出て裏側から家に入って行った。
「あら、その子。また潰れたの?」
「あぁ。」
「そう、布団敷こうか?」
そう、影浦の母親が話しかける。影浦の背中から寝息が聞こえて来る。
「いやいい。俺がソファで寝ればいいだけだし。」
「そう?」
最初に彼女が寝落ちした時、母親は彼女を家に泊める事を渋った。まぁ、それが普通だ。しかし、影浦は知っていた。彼女には親がいない事を。それを母親に話した。帰っても彼女は一人なのだと。
彼女には実質親がいない。彼女にとって人生で一度たりとも親との家族的な思い出は無かった。それだけではない。彼女を導く大人が彼女の周りにはいなかった。そして彼女自身大人に頼ると言う思考回路は持ち合わせていなかった。自分を守るのは自分だけ。他人は肝心な時に裏切る。
だからこそ、トリオン兵に襲われ、命の危険もある中で彼女を探していた影浦と刈谷を彼女は信頼している。彼らなら肝心な時自分を探してくれると、そう思っているのだ。その安心感からか影浦の家でよく寝落ちする。
「雅人、夜ご飯はどうするの?」
「ああ…、いらねぇ。」
「そう?襲っちゃダメよ?」
「しねぇよ!」
影浦は彼女を自分のベッドの上に寝かせた。そして一つに結っているリボンを解いた。結われていた髪が流れるように広がる。丸まる様に彼女はベッドの上で蹲った。昔より長くなった髪。面倒だからと4年前から切っていないらしい。キラキラと光っているように見える金色の髪。影浦は彼女の頭に手を置いた。サラサラと流れる彼女の髪。彼女は少し安心したような表情を浮かべた。
「何を悩んでるんだ?」
「別に、何か悩んでるわけじゃないわ。」
「やっぱり起きてたか。狸寝入りするんなら家帰れ。」
「いやだ。帰りたくない。」
「子供かよ…。」
彼女は影浦の布団を被った。影浦は大きな溜息を付いた。
「玉狛にね、新しいチームが出来るの。」
「おう。」
「その中の一人がね、友達とお兄さんがトリオン兵に誘拐されたんだって。」
「おう。」
「それを取り返しに遠征部隊に入りたいんだって。」
「おう。」
「それだけ…。」
彼女はそう言うと再び布団の中にもぐって行ってしまった。影浦はベッドの近くで膝を立てて座っている。
「そいつの事、嫌いなのか?」
「ううん、小っちゃくてかわいい子だよ。嫌いなのは一緒に居る眼鏡かな。」
「眼鏡?」
「うん、眼鏡。昔の私を見てるみたいで嫌い。」
「昔のお前か。何が似てるんだ?」
「無力なくせに手に余る事をしようとしてる所。」
「お前は良い奴だ。その眼鏡が心配なんだろ。眼鏡の志が途中で折れるのが嫌なんだ。自分に出来なかった事と同じ事をやろうとしている眼鏡が成功することを望んでるんだ。成功してほしいと思ってるんだ。」
「そして私は眼鏡に出来て自分に出来なかった事に嫉妬している。」
彼女は次第に涙ぐみ始めた。
「まだ成功してないだろう。」
「私のは取り返しがつかない。」
彼女はどうしようもなく彼らに嫉妬していた。
彼女は知っている。助からなかった少女を。
彼女は知っている。助けられなかった人々を。
だから彼女は理解した。自分の手に余る物を守ることは出来ない。そして自身の手には他人はあまりある。他人を守れるように強くなればいいと思った。それでも彼女には他人を守れるほどの強さが無かった。
彼女は羨ましいのだ。他人が手を伸ばし、彼らを助けようとしてくれている。もし、自分の時もそれがあったのなら、助からなかった少女は助かったかもしれない。助けられなかった人々が助けられたかもしれない。
彼は運が良い。実に運が良いのだ。そしてそれを運が良いだけで片付けられるほど、彼女の心は広くなかった。心の余裕が無かった。
手を貸してくれる仲間がいる。手を貸してくれる先輩がいる。自分にもそんな人たちがいたらと。
「俺は、お前に救われた。気を失っていて何があったか知らねぇがな。」
「お前は、人を救えてる。自信を持て。」
そう言うと彼女は顔を布団から出した。
「私は…。」
「もう寝とけ。話は明日聞いてやる。」
「……、おやすみ。」
「あぁ、おやすみ。」
少女は再び瞳を閉じた。そして溢れた涙が流れて行った。
影浦には彼女を理解することなど出来ない。
「神崎、お前はもう一人じゃねぇんだぞ?荒船だって、鋼だって。お前をちゃんと見てる。そんな疑わなくたってお前が大変な時は手を貸すさ。」
小さく寝息を立て始めた彼女を見て影浦がそう呟いた。
「俺も、お前を救えたらいいんだけどな。」
昔とは逆だ。影浦が彼女に顔を近づけた。涙のせいだろうか。少しだけ濡れた唇に触れる。それから自分のした事に対する羞恥心からか影浦の顔は赤く染まる。
「クソッ。」
影浦は悪態をつき、部屋の明かりを消して部屋を出て行った。
「ありがとう。」
その言葉が誰にも届く事無く、闇の中に溶けていった。
お疲れ様でした。
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