多分似たような作品があると思いますが、短編だし許してちょ。
四月。
ほんのり暖かい風が穏やかな日差しに乗って髪を揺らし、少し前までは全てが凍てつくような空気に覆われていたのがまるで嘘のようで気のせいか俺の心まで軽くなっているように思える。春のうららに心が解凍されてしまったのだろうか。
そんな感じで俺が高校二年に進級して三週間と少し経過した。
流石にもう中旬をとっくに過ぎているのも合ってか桜は緑へとその姿を変え、その根元には散り落ちた花びらが少し黒ずんで少し早い春眠を享受している。見る人が見るならば趣深い光景なのかもしれない、しかし俺には何回瞬きしても萎凋した花にしか見えないのはもしかして暗に俺が唯物論者だと謂うことを示しているのだろうか。―――いやいや、俺は小町を全身全霊で大事にしているからして唯物論者はないだろ。てことは俺は小町論者……?
校門を爽やかな風と共に過ぎ去り、校内に指定された駐輪場に自転車を置いて下駄箱の方に歩き始めるとその時。
「校内でいじめを見かけてませんか?もし見かけたなら私の所属する奉仕部に即急に通報してください。虐めは犯罪であって大罪でもあります。繰り返します……」
その女は一言で表すならば黒髪美少女with貧乳といったところだろうか。見てくれはそれはもう、校内でも噂になるレベルであって、だからこそ胸がぺったんぺったん大貧乳となっているのが相対的に顕著に目立っていて些か残念である。―――ってそうじゃなくて。
誠に遺憾ながら、俺は現在進行形で演説をしている彼女とは知り合いである。それはまだ数日程度ではあるのだが、明々白々とした事実であって。
「おい雪ノ下、なにやってんだ」
「あら比企山君」
「俺から引き算しても何も残らねえよ、じゃなくてだな」
俺は声を掛けてそこで初めて俺は雪ノ下の服装、具体的には右肩に掛かった一本のタスキを見つめた。ベースが白の生地の上に黒の油性ペンで手書きで【いじめ撲滅】と書かれている。昨日まではそんなことを一言も喋ってなかっただろうが、いきなり何してんだコイツ。
雪ノ下は俺の方を少し見つめているかと思うと、いきなり思いついたように声をあげて。
「そうだわ、比企谷君も手伝ってくれないかしら?不思議な事に私の演説に全然耳を傾けくれる人がいないのよ」
まるで、日本も冷たくなったものね、とでも言いたげな程冷徹な視線で周りの登校していく同学を俯瞰する雪ノ下に思わず溜息を吐く。本当に何なんだコイツは。
「あのなぁ……そもそも何でこんなことしてるんだ?唐突にも限度があるだろ」
「夢を、見たわ」
はあ?雪ノ下ってもしかしてメンヘラなのか?
「夢の中で私は虐められてたわ。どんなことをされていたかはプライバシーもあるから言わないけれども、机の中にゴキブリの夫婦を入れられたり教科書がゴキブリにリノベーションされたり、挙句の果てには数学の試験の点数を書く所にゴキブリの押し花がされていたわ。それで今朝起きて誓ったの―――虐めは悪だと」
プライバシー言ってんじゃねえか。しかも虐めっていうかそれもうゴキブリの夢だろ、ゴキブリがただ跋扈するだけの夢だろ。なのに何でお前はそんな真剣な眼差しで俺に語ってるんだよ。
「だからは私は行動したわ。このタスキも朝ごはんを我慢して今朝作ったわ」
そんな奇行するくらいなら朝飯食えよ頼むから…!
どう反応すべきか迷っていると、これまた下駄箱の方から見慣れた姿の女教師がこちらにやってくるのが見えた。……正直助かった、本当に。
「雪ノ下!……に比企谷もいたか」
そう言いながら皺の寄った白衣を翻しながら近付いてくるのは現代文教師兼生活指導主任で、また俺の所属する奉仕部の顧問もしている平塚先生だ。平塚先生は朝っぱらから疲れた表情をしながら、ポケットに手を突っ込んでいる。
「平塚先生……何でここに?」
「何でって決まっているだろう。雪ノ下、早朝から変な活動をするな。他の生徒から苦情が来ているぞ」
なるほどなぁ。そりゃあ朝から校舎前で無許可で活動する人間を取り締まらない訳がないよなぁ。
独りでにそう納得していると。
「それに雪ノ下。制服の崩れた生徒を捕まえて数分余り説教をするのは常識的にどうかと思うぞ?」
何やってんだこの大馬鹿問題児は。
「服装を乱している人間は虐めが起きた時に主犯格である可能性が私調べではかなり高いので妥当な判断だと思います。虐めは悪なので」
「それは完全に偏見だろうに……ともかくほら、早く教室に行け。もうあと10分だぞ?」
平塚先生が手でハエを追い払うような仕草をするが、雪ノ下は尚も反論する為に続けて口を開く。
「しかし私にはゴキ、もとい虐めを廃絶しなくてはならないという使命が」
「それとも生徒指導室がお望みならば私はそれでも一向に構わんが?」
「失礼しました」
それはもう、見事と評するに値する程の綺麗な踵の返し方であった。
平塚先生の脅しに逡巡の迷いもなく撤退を選んだ雪ノ下は、捕まってたまるものかと背中に書かれているかの如く、早足でスタスタと数秒ほどで廊下の向こう側へと消えてしまった。
「面倒を掛けたな、比企谷」
そう労いの声を掛ける平塚先生の顔には苦労に満ち満ちていて。
「平塚先生、お疲れ様です」
「良いんだ、これが私の仕事だからな……」
そう少し掠れた声で呟く平塚先生に思わず同情してしまったのは仕方のないことだろう。
俺が雪ノ下雪乃と出会ったのは高校二年になってまだ1週目の事だった。
【高校1年生を振り返って】という、いわば過去を焼べる作文において至極真っ当な意見を書き綴った俺はどういう訳か平塚先生の目に留まり、問題児認定され奉仕部と謂う部活動に強制入部させられてしまった。
そして平塚先生に連れていかれた先の部室で、雪ノ下雪乃は部長としてそこで本を読んで、否、読んでる途中で睡魔に襲われたのか朗らかな陽気に当てられたのか。―――ともかく、そこにはだらしなく涎を垂らしながら寝落ちしている雪ノ下雪乃がいたわけである。
かくして俺と雪ノ下は遭逢した訳であるが、それからの今日までの日々と言うものの全く部活動らしい部活動は行われていない。それ以前に部活動の内容も分からない。やったことと言えば校内の秩序を更に良くする方法や高校生がバイトすることについての是非の討論、他にトランプや将棋や読書くらいなものである。……一体全体、この部活の活動内容は本当に何なのだろうか?もしかして平塚先生はぼっちを集めてきて将来的には隣人部にでもする気なのだろうか?
まあそんな訳で俺は雪ノ下に対して多寡はあれど、その人物像について若干の知見があるわけである。
基本的に雪ノ下雪乃は善人であり、天然であり、ポンコツである。地頭は良いらしいのだが、完全に抜けたところがあって先程のような突拍子のない行動を起こしたりする。また他人との協調性は薄く、クラスでは友人は一人もいないらしい。―――その点を考慮すると何故俺が容易に受け入れられたかは分からないが、俺自身雪ノ下の個性を完全に把握している訳ではないのでそれについては触れないでおく。
そして容姿に関しては言わずもがな、街中に居れば目を引く程度に麗しい。その立ち姿は清楚と言う言葉が一番ぴったりと当てはまるだろう、これで喋らなかったら校内でも随一の美少女として名を覇していただろうに。
高校一年間ぼっち帰宅部だった俺だが、こんな美少女同級生と二人きりの部活動で勤しむならば多少の気苦労はあれど役得ではあるし何だかんだ気が合わないこともないので思えば悪くはないのかも知れない。そう感じているのだろう、俺は。
まあ悪くはないのだが―――偶に起こす気まぐれに注意しろと、過去に戻れるならばそう、当時の自分に警告を鳴らしたいものである。
放課後、俺はバッグ片手にまだ見慣れぬ部室へと繋がる廊下をゆっくりと歩いていた。
開いた窓からは少し冷えた風がひゅるりと廊下に流れ込み、思わず両手をブレザーのポケットに突っ込む。春場は気温の上下が激しいとは言え、朝はぬくぬくとした丁度の良い気温だったのに何故だろうか。
奉仕部のドアを開くと、そこには案の定雪ノ下が居た。俺より後に来たことが無いしまあ、それに関してだけは慣れたものである。
しかし部室の中は普段と違いホワイトボードが二つポツンと置かれた椅子の前に鎮座していた。……おかしい、奉仕部の備品にホワイトボードは無かったはずだ。
「あら比企谷君、やっと来たのね」
「おい雪ノ下。それどうしたんだ」
雪ノ下は前髪を弄りながら。
「比企谷君のくせにこれに気付くとは目聡いわね。この香水は実はこの間通販で買ったのだけれど、フローラルの匂いが凄く気に入って」
「違う、そうじゃない」
俺が香水なんかに気付くわけないだろうが。
「俺はそのホワイトボードについて聞いているんだ」
俺がそう言うと雪ノ下は漸くといった感じで気付いたようで、何気ない表情で雪ノ下は説明し始める。
「―――これは生徒会室からかっぱらった、じゃなくて借りた物よ。安心して使って良いわ」
「使えるか!前から思ってたけどもお前本当に阿呆だよな!」
生徒会室から窃盗を働くとかこいつ馬鹿にもほどがあるだろ!
「冷静になりなさい比企谷君、考えてもみなさい。これは確かに生徒会室の備品よ、つまり包括的にこれは学校の備品ということになるのは分かるわね」
「……おう」
「学校の備品ってことはつまり生徒が使っても良い備品、よって奉仕部の備品になるわ。ほらね、論理的に証明されているでしょう?」
「いや、その理屈はおかしい」
どう考えても生徒会室のものには変わらないだろ……。
雪ノ下はホワイトボードに黒ペンで文字を書きながら。
「まあともかく、早速部活動を始めましょう」
「……そのボード、これ終わったら生徒会に謝りながら返すからな」
「望むところよ」
何でそんな好戦的な返事なんだよ!
「……頼むから謝ってくれよ、頼むから」
そんな問答をしている内に雪ノ下はすらすら文を書き終え、カチンとペンをキャップに収める軽い音が室内に響く。
ホワイトボードを見ると思わず俺はげんなりするような、脱力感を覚えてしまう。
【奉仕部第一回 総武高校の秩序を考える会】
―――こいつ、まだ朝の一件を根に持っていやがる……!
「じゃあ早速議題に入りましょうか」
雪ノ下はペンを右手で回しながら、ボードの手前に椅子を移動させて座った。取り敢えず俺もそれに習って雪ノ下と向かい合う形で椅子に座る。……今更ながら今まで女子とこんなことになった事なかったのに何でこんな順応しているんだろうか俺は。それとも機会が無かっただけで本当は鋼鉄の心臓があったりするのだろうか。まあいいか。
「んで、秩序ってなんなんだ?うちはそんな荒れてないだろ?」
自分の通う高校だからちょっと言うのはアレだが、ここは県内でも有数の進学校である。だからそんな悪い奴はいないし、当然不良なんてのも見かけたことはない。
「いいえ、それは違うわ。この高校にも変な人間はいるわ」
それはお前のことだ、と思わず脊髄反射で返しかけたが何とか喉の奥に抑え込む。
「例えばそうね、制服を崩してくる人間はやはり問題であると私は思うのだけれど」
「崩すっつっても程度の差が大なり小なりあるだろうが」
第二ボタンをはずす程度ならば校則では違反だが、しかし誰でもファッションとか関係なくやるだろう。特に夏場なんかは第三ボタンも普通に開けている人間だってかなり見るしな。極偶に制服がチャンチャラおかしい人間もいるが、そういうのは大抵休み時間に放送で呼び出されて生活指導課の平塚先生に指導されているから結局はそこまで多くはない。
「やはり第二ボタンをはずす人間が虐めの主犯である確率は100%だわ、まずはそこを取り締まることにしましょうか」
「それは無理だろ、どれだけの生徒が第二ボタン開けてると思ってるんだよお前は」
うちの総生徒数が600人程度としても500人は絶対今の時期第二ボタン開けてるからな。
「ポスターを張ったり呼びかけをすれば」
「出来るわけないだろ。朝の一件を忘れたのか?」
「……そうね、どうやら現実的ではないようね。論点を変えましょう」
どうやら、やっと理解してくれたようだ。
思わずほっとして雪ノ下の方を見ると、次の案を考えているようでホワイトボードをペンでトントンと突いている。しかし秩序を考えると言っても特に論点が無い気もするけどなぁ。
一分ほど無言の空間が続いたが、再び雪ノ下が口を開くことでその静寂は瓦解した
「頭髪の色の禁止とかはどうかしら?」
頭髪の色か。確かにうちはかなりカラフルな頭皮をした人間が多い、思い出してみれば俺の新しいクラスメイトの三分の一くらいは有色だった気もしなくはないし。
「そういやクラスに金髪、銀髪、ピンク髪なんてのもいた気がするな」
「貴方のクラスどうなってるのかしら……エレクトリカルパレード?」
「いや知らねえよ」
しかし、有彩色の髪をした人間が多いのは事実だ。しかも世間的には茶髪がノーマルであるのに対して、周りは更に目立つ髪色の人間ばかりである。
「でもこれが虐めの直接的要因になることは少なくともないだろ」
髪色を派手な色に変えるその行為は大方、二つの理由が考えられる。一つは今までの自分を変化させる理由を外的要因に求めた場合で、平易には高校デビューがそれにあたるだろう。髪を金や銀と言った煌びやかなものに変えることで、自身に向けられる視線の種類を異なるものにして自身の内面を刺激するのである。
もう一つはまあありがちなものだが、ファッションである。自分をよく見せるための一つのメソッドとして髪を染めるのだ……まあ俺にはどちらもあまり理解できないのだが。
しかし、どちらの理由だとしても虐めを誘発する可能性が低いことはもう一目瞭然だろう。根本的にどちらも自己承認欲求が存在している以上、寧ろ虐めの起こす人種ではないようにも思える。
「そうね、直接的要因にならないのは私も同意するわ。でも間接的には分からないわ」
「間接的……」
「そう、仮に比企谷君が紫色の髪の毛だったとしましょう」
なんで態々そんなケバい色に仮定するんだよ。
俺の不満に訴える視線に気づかず雪ノ下はホワイトボードに書きながら説明を続ける。
「そして、比企谷君はその髪色が気に入ってることにするわ。それである日HRTKさんからその色について言って無視や酷評を受けたとして、比企谷君はどう思うか分かるかしら」
HRTKって平塚先生のことだろおい。どんだけ根に持ってるんだよ。
「まあそうだな、その俺ではない比企谷君はきっと気分を害するかもな」
「そうね、恐らくはそうなることでしょう。そしてそれが虐めの種となるのは既に可視化されているようなものね」
そうか、つまりは自身の象徴でもある髪色を貶されたら必然的に軋轢を生み、そこから虐め問題が発生すると。
「だが普通、髪色について何か言われたら自分がおかしいと思うだろ」
「世の中には自分の価値観が絶対的だと考える人間もいるのよ」
「でもそれだと髪色を規制したところで潜在的な虐めの可能性は消えんだろ」
そう言うと雪ノ下は数秒黙りこくり、徐々に頬を赤らめて。
「と、とにかく次行きましょう次」
と恥じらいながらホワイトボードに書いていた文字を慌てて消すと、また新しい文章を小さく丁寧な文字で書いていく。―――何だかこのポンコツっぷり、少し癒されるな。
雪ノ下はコホンと一度間を置くと、再び話し始める。
「こうなったらもうこれしかないわ……!」
雪ノ下がドンとホワイトボードを叩いた所には【ルサンチマンの排除~目指せ新世界~】と書かれている。―――こいつ、もう案が消えたからって極右的発想に逃げやがったな…!
「あのなぁ……一応聞くがルサンチマンをどう無くす気だよ」
強者に対して強い怨恨や嫉妬に駆られる弱者の心は、いつの時代だろうとどの身分だろうと常に人間に寄り添って存在してきている。秀才が天才に嫉妬し、殺害する事件などは歴史的にも後が絶えない。身近な例でいうならば無能の上司が優秀な部下を妬み、その昇進の機会を潰すなどの事柄などが挙げられるだろう。そう考えるとますますルサンチマンを無くすことが不可能に思える。
雪ノ下は薄氷に覆われた胸を張って、自慢げに告げる。
「とにかくお互いの特徴を褒め合うのよ、そうすればルサンチマンを心に住まわす人の劣等感は薄くなるし持ってない人も褒められて嬉しくなる、まさに一石二鳥だわ」
はぁん、つまり優しい世界を一時的に形成すれば良いと。
互いに褒め合えば自尊心は保たれるし互いにデメリットが無い、まさにジャパリパーク的解決方法な訳だ。ブレインストーミングの如く否定的な意見は言わずに相手の良いところだけを列挙していけばそれで気分の悪くなる人間はいないだろうし、校内の秩序はより良くなることはあっても悪化することはないだろう。
「……良いんじゃないか雪ノ下、それなら一定の効果をエイム出来るしデメリットもない。悪いところが見つからないぞ……!」
自分でも驚くほど抑揚の付いた声になってしまった。
雪ノ下はそれに綺麗な顔で微笑みながら。
「そうね、じゃあ私平塚先生に他人同士で褒め合う授業の導入を検討してもらうよう進言してくるわ……!」
「―――ん?いや!ちょっと待て雪ノ下――」
あることに思い至り俺は教室から出ようとする雪ノ下を止めようとするが、雪ノ下はそれに気づかず廊下へと出て行ってしまった。
……ああ畜生。クラスでぼっちなのになんで俺、他人と褒め合うなんてペア前提の授業に同意を示してしまったのだろうか。
何だろう、凄い死にたい……。
今回は原作との因果関係は1mmも考えて無いので、そのあたりの批判は全部ゆきのんに投げてください。