眠りから目を覚ませば、寝床のシーツが片方捲れていた。
窓、鎧戸の隙間から射し込む光の量から見て、今は早朝といった具合だろう。
首を回すと、最低限の家具が置かれた部屋に、愛用の背嚢と、その他の仕事道具に杖に偽装した槍が、ソファーに置かれている。
「……フィーリア?」
捲れていたシーツの片方の主、フィーリアの姿が無い。さてと、寝惚けた頭を動かし、彼女の持ち物の有無を確認する。
ナイフとカービンライフルは無い。出歩く際に、この二つを忘れる事だけは無いので、フィーリアは今はこの部屋には居ないという事になる。
はて、首を傾げて記憶を探る。この南のシェルターに滞在してから数ヶ月、小さな仕事をこなして、日銭を稼いで、次の大きい仕事に備える日々を過ごしていた。
ロディは、度々北のシェルターから使者が来るらしく、幾らか辟易とした様子だったが、そのお陰でこうして、シェルター内で良質の宿に、無料で滞在できるのだから、ムラとしては感謝したい。
しかし、問題はこの部屋ではなく、フィーリアの不在である。
仕事はあるにはあるが、それは明日の予定の筈だ。しかも、それほど急ぎの仕事という訳でもない。
そうならば、一体この朝早くから、何処へ消えたのか。
下着姿のまま、ベッドに腰掛け、ベッドサイドテーブルに置いた、若干湿気た紙巻き煙草に火を点ける。
鼻につく尖った匂いの紫煙を、意地汚く吐き出し、起きてきた頭を働かせ、一つの記憶を掘り起こす。
昨夜、就寝前にフィーリアと、報酬で得た酒を酌み交わしていると、少し疲れた様子のロディが部屋に来て、報酬代わりの煙草と酒を、フィーリアに渡して、何かを頼んでいた。
フィーリア曰く、交渉の護衛らしいが、あのロディが護衛を頼む交渉となると、一体どんな交渉なのか。
昨夜は酒と色香で流されたが、こうなると俄然気になってくる。
煙草を灰皿に押し付け、ソファーに引っ掛けたシャツとズボンを手に取り、手早く着替える。
「……」
艦娘から人間となり、肉体も感覚も衰えたが、それでも並みの人間よりは、肉体は強く感覚は鋭い。
だから、ムラは槍を抜き音を殺して、ドアへと二歩程近寄り、防毒面を被り、また二歩ドアへと近付く。
「……鍵は、開いてるわよ」
三秒待つ。だが、返事や動きは無い。
ムラは、槍を構えつつ、ドアの正面から離れた。
間違いなく、何者かがドアの向こうに居るのだが、どうにも気配がはっきりしない。
一人、のような気もするが、何故か複数人居るような、そんな不安定な気配も感じる。
さて、どうしたものかと、ムラは鎧戸の閉まったままの窓に、面倒くさそうに視線を向ける。
この部屋は三階にあり、ムラの身体能力なら、問題なく飛び降りられるが、それから逃げるにしても、南のシェルターは土地勘が無い。
追われた場合、ほぼ確実に詰む。その場合、この部屋に立て籠るのが、答えの様な気もしなくはないが、追い詰められた状況に変わりはない。
寧ろ、部屋に立て籠る方が危険だ。
ムラは足音も呼吸も殺して、窓へ向かう。鎧戸が閉まっているが、ムラの膂力なら問題なく破れる。
荷物を片手に、いざ窓へ飛び込もうとした瞬間、けたたましい銃声が、ドアを乱暴に叩き割った。
「ムラ!」
「フィーリア?!」
チーズの様に穴だらけになったドアを、勢いよく蹴破って現れたのは、大袈裟なまでに弾薬をぶら下げた機関銃を抱えたフィーリアだった。
「あんた、私がドアの前に居たらどうすんのよ?」
「あら、ムラ。あなたがそんな間抜けする訳ないじゃない」
フィーリアがケタケタ笑いながら、そう言えば、ムラも同じようにケタケタと笑い返す。
元艦娘、命の取り合いしかなかった日常を過ごした二人に、この程度は挨拶でしかないのだろう。
ムラが湿気た煙草を咥えると、フィーリアがそれに火を点ける。そして、ムラが紫煙を吐き出すと、現状を簡単に説明し始めた。
「ムラ、現状は少し面倒よ」
「なら、順番に聞くわ」
「まず、Mr.ロディとはぐれたけど、これは心配無用ね。次に私達三人がターゲット」
「理由は?」
「Mr.ロディの功績と、ビジネスパートナーと見られているみたいね」
「その連中」
「飛行船、これで分かる?」
意地汚く、うんざりとした様子で、大量の紫煙を吐き出し、吸殻を床に叩き付け踏み潰す。
フィーリアが次の煙草を差し出すと、かっさらうかの様に、それを受け取りまた火を点け、紫煙を吐く。
「で? 私達三人拉致して、何が動くって? ただのトレーダー二人に、バンディット一人。人質の価値はゼロよゼロ」
「その辺はどうにも、今はさっさと逃げましょ」
フィーリアが空いた手を差し出し、ムラがそれを掴む。
人間なら、何かに備え付けるか、両手で抱え込むなりしないと使えない重火器でも、元戦艦娘のフィーリアなら、片手で扱える。
それに加え、ムラは勘がいい。手は一つ塞がるが、それを補って、今の戦局を生き抜く手段となる。
「フィーリア、まだ動いてるわよ」
「うわ……、これ食らって生きてるとか、何時かのアレみたいね」
「アレはそもそも当たらないわ。しかし、これ何よ?」
ムラが槍で、いまだに蠢く頭を貫きながら、フィーリアに問うが、問われたフィーリアも首を横に振るだけで、答えらしい答えは無い。
仕方がないので、刺した槍を捻り、肉を抉りながら骨を捻り折る。
人の姿はしているが、色は蒼白を通り越して白く、槍から伝わる感触も、生物というより死肉の感触に近い。
だが、黒いコートから溢れてくる液体は赤く、生臭い。
「また、面倒事かしら?」
「さあね。答えを知っている奴は知ってるわよ」
「あら、誰かしら?」
「北の総代イヴェノヴァよ」
肉から槍を引き抜き、溜め息代わりの紫煙を吐くと、ムラは宿の階段、踊り場へ続く曲がり角を指差し、フィーリアがノータイムで、機関銃の引き金を引いた。
「今回の主犯じゃないでしょうね」
「んー? でも、この機関銃、イヴェノヴァがくれたのよ」
「何かやらせる気満々じゃないの」
機関銃が破壊の雄叫びを挙げ、曲がり角に隠れていた刺客を建材ごと粉砕していく。その音を共に連れながら、二人は騒がしい早朝の外気の中へと駆け出した。