マーケットというものを、ムラは幾度となく経験してきた。だが、ムラが経験してきたマーケットの雰囲気とは、何もかもが違っていた。
「なに、これ……?」
不可解、理解不能、初見、判別不可、今まで見た事の無い物品の数々が、山の様に積み上げられ、濁流の様に取り引きされていく。
この光景は一体何なのか。理解の限界を超え、呆気に取られ、呆けた顔で立ち尽くすムラの背を、強い力が叩いた。
「ムラ、仕事だ」
「いや、ロディ。解ってるけど、これなに?」
「野菜だ。……コロニーで見た事は無かったのか?」
「無いわ。野菜って、こんな形だったのね」
丸い、葉が幾重にも重なり合い、球を形作った野菜を手に取り、興味深げに眺める。手には確かな重みと爽やかな瑞々しさ、それが初見のムラにも確かに〝本物〟だと理解させる。
「それは適当に千切って、塩を振って食うとイケる」
「サラダね」
「洒落た言い方をするじゃないか」
コロニーに居た頃は、毎日の様にきらびやかな食卓に、新鮮な肉や野菜が調理されて並んでいた。
だが、コロニーでもシェルターでも、これ程に瑞々しい野菜を見たのは、初めての事だった。コロニーでは調理済み、他シェルターでは萎びてもっと色が濁っていた。
「この変なのも食べれるの?」
「ん? ああ、食える」
極彩色の世界を、ムラは歩いていく。歩を進めれば進める度、新たな発見をしては、足を止めて眺める。
色鮮やかな野菜や果実、異臭も無く虫も集っていない肉類、シェルターの常識が崩れ去る光景だった。
「凄いわね……」
「これが、南のシェルターだ。っと、ここだ」
マーケットを進むロディが足を止め、狭い路地へと入っていく。
「ちょっと、ロディ」
「ムラ、こっちだ」
狭い路地から続く廃墟を越えて、マーケットから離れた辺鄙な場所に、それはあった。
マーケットに並んでいた店とは違う。コンクリート造りの建屋に並ぶ、純白と褐色と黒が詰まった袋。そこには、医療品と並んで高値で取り引きされる砂糖があった。
「これって、砂糖よね?」
「そうだ。言ったろう? 南のシェルターには、良い砂糖があると」
甘い、砂糖が放つ独特の匂いの中を進み、奥にあるカウンターに置いてあるコールベルを鳴らす。多種多様な砂糖が放つ甘い匂いは、服や髪に染み着きそうで、夜にフィーリアに何か言われそうだと、ムラは眉間に皺を寄せた。
「ムラ、今日は顔見せもあるからな? 機嫌よくしとけ」
「分かったわ」
「まあ、このシェルターに居る間は、風呂に入り放題だ」
己とフィーリアの関係を知ってか、ロディが欠伸混じりに言う。今の御時世、性差による差別というのは、いまいち無い。
強ければ生きる、弱ければ死ぬ。ではなく、生きる奴が生きて、死ぬ奴が死ぬ。それがコロニーの外の世界、シェルターの絶対ルールであり、そこに性別は関係無い。
故に、差別するのが無駄であり、余計なものを抱え込む奴は早死にする。
ムラとフィーリアも、そういった関係だが、互いに互いを見捨てる事も厭わない。シェルターや外の世界に生きる者は、生き残った者が正しく勝者なのだ。
「しかし、遅いな」
「誰が?」
「店主」
ロディが煙草を喫おうと、古ぼけたライターを取り出した時、横からライターがかっ拐われる。
何事かと、ムラが手が伸びてきた方を見ると、柔らかな笑みを浮かべた女が居た。
「ロディさん、ここは禁煙です。砂糖に臭いが付いたら、どうするんです?」
「あ、ああ、済まんな。〝ツッカー〟」
白い女がライターを片手で弄び、ロディへと返す。
「まったく、もし火を点けていたら、店に出している砂糖、全部買い取ってもらいましたよ?」
「……ツッカー、恐らく次からはコイツが、商談相手になる」
「はい?」
ムラの背を押し、ツッカーと己の間に出す。長身のロディよりも長身で、体格も良いツッカーは、体を折り曲げてムラを見る。
「ふぅん、ツッカーです」
「……ムラよ」
覗き込んでくるギョロりとした目に、若干気圧されながら、ムラはツッカーに名乗る。
甘い匂いのする女だ。ムラは煙草の匂いに慣れた鼻に伝わる匂いに、僅かに眉をひそめる。
「砂糖の匂いは苦手かしら?」
「こうも強いと、酔いそうね」
「……プッ、ロディさん。貴方と同じ事言ってますよ」
「え?」
「はぁ……」
ツッカーが吹き出し、ロディが溜め息を吐く。ムラが呆けた顔で、ロディを見る。
「まあ、私も先代に聞いた話なんですけどね」
「ツッカー、あまり無駄話をする気は無いぞ」
「はいはい、注文は白砂糖で?」
「ああ」
ツッカーが店の奥に引っ込み、ロディが首を左右に鳴らす。年季の籠った皺と、深い傷が刻まれた顔は、老人一歩手前だが、加齢による弱々しさを感じさせない。
煙草を喫えない為か、若干手持ちぶさたな雰囲気で、ロディはムラに顔を向ける。
「ロディは、ここと長いの?」
「先代からの付き合いだ。と言っても、南のシェルターには、あまり来ていないがな」
甘い匂いが鼻につく。
どうにも、ムラはこの匂いが好きになれそうにない。
嫌いではないが、こうも強いと、鼻に残りそうだ。
なるべく、鼻で息をしないようにしていると、ツッカーが店の奥から戻ってくる。
「はい、ご注文の白砂糖。ムラの分もおまけしてます」
「ああ、済まんな」
「あと」
袋に詰めた白砂糖を検品していたロディに、ツッカーが顔を寄せる。
「なんか、シェルターの東のマーケットから、変なクスリが流行りだしてるみたいですよ」
「そうか」
リュックに袋を詰め、ツッカーに背を向ける。
「ムラも気を付けてね。話によると、深海棲艦だか艦娘だかを材料にしてて、ものすごい効くらしいわ」
「そう。というか、私に気安くない?」
「だって、あのロディさんの後継でしょ? それに、ムラ可愛いから気に入っちゃった」
「あっそ」
手を振るツッカーに背を向け、店を出る。
砂糖独特の甘い、鼻に残る匂いが薄くなり、慣れた煙草と酒、人の混じった匂いが鼻に届く。
「帰るぞ」
「待ってよ」
嗅ぎ慣れた匂いに、鼻を慣らしていたムラは、先に行くロディの背を追う。
賑わう人混みを掻き分け、二人は市場の中に消えた。