八月の夢見村   作:狼々

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朱色

 地面さえも焦がしてしまいそうな暑さは、夕方になってから少しだけ身を引いていた。

 赤く照りつける優しげな暖かみが、この空間一帯を包み込む。

 彼女の白い肌もワンピースもハットも、薄く蜜柑色に染まっている。

 

 遥か遠くの地平線をくぐっていく太陽が、やはり美しい。

 ヒグラシの甲高い声が、切なさを誘うようで、郷愁を感じてしまう。

 感慨深いノスタルジアに心を震わせながら、彼女の家へと歩を進める。

 来た道は覚えているので、まだまだ鮮明な記憶を辿っていった。

 

 どうやらこの女性、本当に方向音痴のようだ。

 行きのときもそうだったが、一本道でも方向が心配なのか、時々立ち止まっている。

 その度に俺が手を引いて、一本道に限ってひたすら前を進んでいたのだ。

 

「なぁ、この村って君が迷うほど大きいのか?」

「いえ、そうでもないですよ。ただ私が人よりも迷いやすいってだけで……あはは」

 

 彼女はそう言って、柔らかくはにかむ。

 頬が少しだけ赤らんで見えているのは、夕焼けのせいなのだろうか。

 神秘的な後光を携える彼女を見ていると、そんな自分の願望も湧いて出てくる。

 

「……やっぱり、可愛いな」

 

 本当に小さく、無意識に呟いてしまうほど可愛かった。

 霞んだ呟きは、明細であるようでぼんやりとした薄暮の光に呑み込まれる。

 

 ともかく、自分でも認めてしまう程の方向音痴らしい。

 そんな抜けている要素も、さらに相まって可愛く思えてくるのだが。

 

「で、でも私ほど村に住んでいると、目を瞑ってでも家に帰れますよ!」

「ほう、あれだけ迷ってて言うのか? じゃあやってみるか?」

「え、えぇいいですとも! 行きますよ!」

 

 道を覚えていた俺の先導役を、目を瞑った彼女に任せる。

 小さな見栄を張っている彼女に、優しく笑いかけながら。

 すると意外なことに、行きと同じくらいの速度で、すいすいと進んでいく。

 が、先程と同じように時々止まってはいた。

 

 そして、俺はようやく気付く。

 止まっているときの全神経を、耳に集中させていることに。

 当たり前と言えば当たり前なのだが、どこか緊迫感も伴われている。

 歩行音と吐息を、まるで潜んでいるように抑え込んでいた。

 

 俺も妙な緊張感を感じ、影響されて息を潜める。

 ヒグラシの上品な囁き、風のざわめき、ざわめきに呼応する葉の掠れ声。

 その全てが、鮮明な『色』を持って情報として脳へと伝達された。

 少々躊躇いつつも、口をゆっくりと開く。

 

「……耳、いいのか?」

「はい。私、耳の良さには自信があるんですよ? なのでさっき貴方がその……か、可愛いと言ったのも、聞こえてましたよ? あはは、お世辞が上手ですね」

 

 恥ずかしながら軽い冗談を言う子供のように、輝かしい素直な笑みが浮かぶ。

 屈託のない彼女の笑顔が、どこまでも明るい。

 こんな笑顔ほど、彼女に似合う笑顔はあるまい。

 

 昼の真っ直ぐな光の下の笑顔もいいが、茜色の淡い光の下も笑顔もまた一興。

 各々の表情を変えた光の礫が、彼女の印象を違う方向へと先導しているのは、本当に面白く、綺麗だ。

 この時間帯の溶けた光は、彼女によく馴染んでいた。

 

「いいや? お世辞じゃないとも。第一、俺は世辞が嫌いなんだよ」

「そう……なのですか? それはまた、どうして?」

「繕っている感じが見え見えだろ。他人の印象さえはっきり言えないようなら、それまでだ。かくいう俺も、そう言いながら実行せざるを得ないって言い訳付けて、実行しているんだがな」

 

 『お世辞』は、本来ならば美化語の範疇に入らないのだろう。

 二枚、三枚と自ら複数の舌を使い分け、相手のご機嫌取りを繰り返す。

 吐いた嘘は、未来永劫引きずることとなり、一度のお世辞が今後のお世辞を呼ぶ、いたちごっこが起こる。

 そんな機械のような、冷淡な人の振る舞い方を、俺はどうにも好きになれずにいた。

 

 社会に入ると、そんな考えは絶対に通用しないことはわかっている。

 何事にも、理由を求めてはいけないのだ。降りかかる全てを飲み込まなければならない。

 俺も、毒にも似た固形物の嫌な苦味を、今も今までも、そしてこれからも飲み下していく必要がある。

 幾度にも渡って深く顔を顰めながら、自分の本心は決して曲げず、美化語の背景を嫌っている。

 ……いや、言い訳をして世辞を並べる俺も、本当に心が曲がっていないか、と聞かれると痛い。

 

 しかし本来、世辞は『お世辞』というように、美化語となるべきではないのだろう。

 世辞の黒々とした全体を隠蔽する、盾のつもりなのだろうか。

 しかし、そんなにも薄っぺらい盾で隠れきったと思っているならば、大きな間違いだ。

 見え透いた隠れているつもりの自己防衛ほど、気持ち悪く、嫌悪感を誘い出すものは、他にそうそうないだろう。

 

「ともあれ、俺のさっきの可愛いって言葉は、決して世辞じゃないさ」

「そ、そう、ですか……ありがとう、ございます」

 

 依然として、彼女の頬は朱に色付いている。

 願わくば、この色が風景の齎すものではないと思いたいものだ。

 だって、どう見ても残映より深い、深い赤色に彩られていたのだから。




情景描写練習中。頑張りたいです(`・ω・´)ゞ

物語の進行が遅めですが、ご了承ください。

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