八月の夢見村   作:狼々

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夏夜の柔風

 夕食の用意を手伝っていると、すっかり夜更けの時間となった。

 それに従って彼女の父も帰宅したようで、挨拶も済ませた。

 娘を持つ父親へ男が泊まりの挨拶をする、というのはある意味危険な状況だと思い、腹をくくっていた。

 

 が、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 優しく出迎えてくれて、むしろ愛娘を茶化していたようにも見えた。

 それに若干とはいえ焦り、こちらの様子をちらちらと見ていた彼女は可愛すぎた。

 

 むしろこちらの心がくすぐられ、終始苦笑いで誤魔化すことになってしまった。

 

 もう夕食は済ませて、彼女の部屋で話の続きを再開させている。

 彼女とは夕食のタイミングをズラして、入れ替わりでシャワーとなったため、彼女の食事姿は、残念ながら拝めなかった。

 視界いっぱいに広がる薄暗には、満天の星空が広がって、厳かに周囲を淡く照らしている。

 

「やっぱり、こういうところだとよく星が見えるな」

「……そうですね。私も、都会だと見えませんでした」

 

 二人隣同士で縁側に座った状態で宵闇を見上げる。

 ここに月が顔を出したならば、どれほど妖美な景色となるだろうか。

 風景を想像しただけでも、背筋に鳥肌が立つ。

 

「……なぁ、その白のハットは、いつも着けているのか?」

 

 家の中で食事時にも、風呂に入る前にもハットを被っていた。

 常に目深に被っているため、表情が見えづらい。もっと顔を見たいものなのだが。

 だからといって、帽子を脱いでくれたらまじまじと見る、なんて迷惑行為にも等しいことはしないのだが。

 する勇気さえもない俺を、どうか許して。

 

「はい。この帽子は大切なものなんですよ」

 

 彼女は目深に被った帽子を手に取って、脱いだ。

 大事そうに手の上に乗せる彼女は、星空の恩恵を多大に受け、輝いていた。

 目を瞑って、帽子を向いている彼女の雰囲気もまた、周囲に馴染んでいて厳粛だ。

 この彼女と夜空の混合風景は、とても絵になる。

 

「そんなに、大切なものなのか?」

 

 反射的に聞いていた。口が勝手に開き、声帯は震えた。

 素の声で、じっと彼女を見つめたまま、ただ一点の疑問に集中して。

 

 その直後、彼女は手元の帽子から視線をズラした。

 下に追いやられるように、逃げる瞼に遮られた視線を生み出す彼女は、どこか悲しそうでもあった。

 

「この帽子は……私の、亡くなった祖父母から買ってもらったもの、なのです」

「あ……」

 

 再びその視線を帽子に戻し、優しく帽子は撫でられる。

 足の上に置かれたそれは、嬉しそうなんじゃないのだろうか。

 そして、聞いてはいけないことを聞いてしまったことへの謝罪の意が湧き上がる。

 

 反射的に、その謝罪を吐露する。

 

「ご、ごめん! 俺、無神経に――」

「――いいんですよ。……私も、貴方には話したいのです」

 

 一瞬だけ視線は夜空に、目を瞑ったまま向けられて、再び帽子へと戻る。

 先程と同じ動きを繰り返すかのように、帽子を撫でる彼女。

 優しそうな、慈愛に満ち満ちている微笑みを前面に出す彼女は、さらに厳かになっていく。

 

 彼女の周囲の空間が切り取られたかのように、そこだけ別次元のように。

 意味が少し違うが――圧倒された。

 緊迫感をも持ち得るその光景に、固唾(かたず)を呑まずにはいられなかった。

 

「私の祖父母は、つい数ヶ月程前に亡くなったのです。私の隣の部屋には、仏壇もありますよ」

 

 会話というよりも、諭しに近いだろうか。

 無言を義務付けられたように、緊張感が全身にも空間全体にも駆け抜ける。

 それに伴って、心臓の鼓動へ向けられる意識も大きくなる。やけに心音が大きく聞こえてしまう。

 

「さすがに同じ日、というわけではないですが、祖父が天寿を全うしてすぐに、祖母も後を追うように、同じく……」

 

 依然として手を動かし続ける彼女の目は、同じく閉じられている。

 その様子が、さらに悲しそうという俺の想像(イメージ)を増幅させる。

 

「それで、都会に一時期住んでいた、と言っていたじゃないですか。小さい頃に」

「え……? あ、あぁ、言ってたな」

 

 急にこちらに話題を振られ、(せつ)ながらに返事をすることになる。

 動揺が手に取るようにわかる反応に、自分自身で呆れていた。

 

「そこに最後に出かけた時、この帽子を買ってもらったんです。形見、なんですよ」

 

 かける言葉に、迷いが生じた。

 簡単に彼女の過去を語るべきではない。第一、俺と彼女は今日会ったばかりだ。

 そんな人間に、自分の思い出を知ったかぶりのような反応をされるのは腹立たしいだろう。

 

 言葉をかけるべきか、否か。

 正解を悪あがきに近い手探り状態で模索するも、見当すらつかない。

 

「……悪いこと、聞いてしまったね」

 

 俺が出した言葉は、ひどく無難と言える言葉だっただろう。

 だが、無難は所詮無難なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 平坦と言ってしまえば、色がないと言ってしまえば、その限り。

 そこに面白みなど存在しえるはずもなく、適当に流されるだけだろうに。

 

「いえ、本当にいいんですよ。私が勝手に喋りだしただけですし」

 

 貧弱な流れをも掬い取ってくれる彼女に、心底安心した。

 何に対しての安心なのかは、自分すらもわかったものではないのだが。

 

 ようやく手の往復運動をやめた彼女は、帽子を定位置に被った。

 やはり目深に被られた白帽子は、縁側に吹き付ける柔らかな夜風に撫でられていた。

 同じくして彼女の艶やかな長い黒髪が揺れる。それだけでも、俺の心は揺さぶられてしまう。

 俺は思いの外、黒髪が好みなのかもしれない。一番魅力がありそうではある。

 

「ふふふっ、こちらこそすみませんね、雰囲気が重くなってしまいました」

 

 先程の張り詰めた空気は、嘘のように霧散して笑い声が聞こえる。

 軽々しく跳ねるような歌声にも聞こえるそれに、つられて俺も笑いが漏れ出す。

 吊るされた風鈴は静かに鳴いて、夏夜の柔風になびかれる。

 その心地良い柔風を、彼女の隣で座って受けつつ、次の話題を考えるとしようか。




彼女との会話は少しばかりネタを入れていきたい狼々です。

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