八月の夢見村   作:狼々

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燻ることのない静謐

 燦々と、ぎらぎらと照りつける太陽は、容赦なく太陽光を家の屋根に降り注がせる。

 直接は当たっていないものの、やはり暑い。

 田舎すぎるとはいえ、クーラーや扇風機等の空調設備は整っていたので、クーラーをきかせながら、外との温度の差を感じつつ、畳の上にお互い座って向かい合う。

 

 こうして見ると、本当に綺麗な女性だ。

 都会に出ていたら、ほぼ確実にナンパの被害にあっていることだろう。

 まぁ、俺もナンパまがいのことを言ったので、言えるような立場でもないのだが。いや、それもそれでダメだわ。

 

 ドスッ、と軽く音を立てるほどには重い荷物を置いて、座る。

 

「よし、じゃあ俺がここに来た理由だよな? えっと……まず、俺は列車に乗って来たんだ。小さな旅行にね」

「あぁ、なるほど。だから、重い荷物を……」

 

 宿泊するにあたっての準備は揃えて来ているので、当然荷物は重くなる。

 しかし、これは一泊二日か二泊三日、長くて三泊といった具合の荷物持ちだ。

 さらに一人分なので、そこまで重すぎる、ということはないが。

 

「あぁ。で、列車の中で向日葵畑を見ていたんだよ」

「……どんな感じがしましたか?」

「どんな、って……ただ花が同じ方角向いて並んで見えただけだったよ」

「そう、ですか」

 

 向日葵畑の話をして、少しだけ声のトーンが落ちる彼女。

 まずかっただろうか。向日葵が好きだとか、花が好きだったのだろうか。

 如何せん、俺の女性とのコミュニケーション能力は低いようだ。悲しきかな。

 全く、この左手薬指には、いつになったら指輪が付けられるのだろうか。心配にもなるが、その時はその時だ。

 

「それにしても、旅行に来たのに、早速列車で寝ちゃうんですか? ふふっ」

「あ、あはは……自分でも呆れてしまうよ」

 

 実際、俺はこうやって寝すぎて、終点のこの夢見村前まで来てしまったわけだ。

 返す言葉もない。彼女が来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか。

 暑さにやられて、熱中症になってしまってもおかしくはないだろう。

 旅行に来て、列車で寝てしまったことが原因で熱中症、なんて話は笑えない。いや笑えるかも。いや、やっぱりねぇな。

 

 会社の同期に話したところで、「バカじゃないの?」で終わりだ。

 話のネタになることもない。

 

「そこに……私が来た、と」

「そうそう。ほんっとうに助かったよ。ありがとう!」

 

 最大限の感謝を込めて、座ったまま深く頭を下げる。

 熱中症にならないのも、この彼女が駅で声をかけてくれたお陰だ。

 

「い、いいんですよ! 私から声をかけたんですから! ね? それに、こうやって話を聞かせてもらっていますから」

「そう、か……それで満足させられるなら、俺はいくらでも話すよ」

 

 何と心の広い女性なのだろうか。涙が出てしまいそうだ。

 聖人とも、女神とも言える人の慈愛で満たされている俺は、さぞ幸せ者なことだろう。

 

 クーラーの吐き出す涼風が、(ぜつ)を揺れ動かしてガラス製の江戸風鈴をチリンチリンと和音を鳴らしている。

 俺は個人的に、金属製の南部風鈴も良いと思うが、それよりもガラス製の江戸風鈴の方が、音が好きだ。

 体感的な意味でも、耳で聞く意味でも涼しさを感じつつ、彼女との会話を再会させようか。

 

「それで、俺はしがない小説家をやっているんだよ。内容が閃くままに列車でプチ旅行、ってわけさ」

「へぇ、物書きさんなんですか。……私も、貴方の書く本を読んでみたいです」

 

 物書きさん、って言い方がもう可愛い。

 控えめに、優しく向けられた笑みは、底知れず俺の心をくすぐっていく。

 こういう乾いた笑いも、満面の笑みも、彼女の笑みにはどこまでも心を奪われる。

 それが一目惚れ、というものなのだろうか。

 

「おう、いつか俺の書く本、見てくれよ」

「……えぇ、いつか。読んでみたいです」

「なんなら、俺が読み上げてもいいんだぜ?」

「そうですか? じゃあ、自分で書いた文を自分で読み上げて、私に聞かせてくださいよ? 絶対ですよ?」

「ごめんやっぱ恥ずかしいわ」

 

 さすがに自分で読み聞かせるのは、恥ずかしいところがある。

 いい年してそんなことをするのにも、別の意味で抵抗がある。

 

 そうやって、ずっと彼女と話をした。

 笑って、驚いて、時には皮肉を言って。

 そんな何気ない会話でも、楽しく過ごすことができた。

 何よりも、彼女が俺の話に笑って耳を傾けてくれていることが、嬉しかった。

 

 ふと、部屋に斜陽が差し込んでいることに気付いた。

 風鈴の単独演奏はそのままに、気温だけが低くなっていることに遅れて気付く。

 山並みの隙間からほんの少しだけ顔を出した太陽は、オレンジ色の陽光を輝かせながら沈んでいく。

 神秘的とも思えるその光景は、毎日見るような夕焼けとは違った。

 

 光り輝くネオンと秋波を送る女性の、連なる町並みで見る、それとは違って。

 車の排気ガスで燻ってしまう、それとは違って。

 人々の歓声や金切り声、弾む声などの多種多様な声に掻き消されてしまう、それとは違って。

 

 この村だからこそ、見られるこの光景の意味は。

 焦燥感に駆られ続ける都会では絶対に見られない、この光景の意味は。

 人々の感情という感情を先行させて、消えゆくそれとは、かけ離れた青天井の魅力を漂わせていた。

 

「……ここって、いい村なんだな」

「……? どうして、ですか?」

 

 自然に漏れ出した声に、彼女が反応して白いワンピースを風で揺らす。

 既に切られていた冷房の風は、窓を解放されて通り道のできた通過風と還元されている。

 恩恵を全面に受けた彼女も、魅力を持っていた。

 

「忘れていないから。全ての原点を」

「……そうですか。それは、よかったです」

 

 開拓に開拓を重ね続ける町並みには、持ち得ない美しさを感じられた。

 それがひどく幻想的で、夢のようだった。

 

 忘れてしまった風景が、まだここには残っていた。

 そう思うと……この村は、変に都会な場所よりもずっといい環境なのだろう。

 

 数多(あまた)夾雑物(きょうざつぶつ)に塗れた場所では、到底理解できない光景だ。

 だから、田舎というところはいい。都会は便利ではあるが、忘却の彼方に消えたものが多すぎた。

 俺は、そう思う。

 

 ――須らく、忘れてはいけないものだ。

 

 ――間違えたのだろう、人間は。度を失ってしまった、人間は。

 

 

 ――静謐(せいひつ)の美しさを、忘れてしまった人間は。


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