飛ばして頂いても、一向に構いません。
私のクラスではかなり、コードブルー、という名のドラマを見ている人が多いんですよ。
異常な視聴率を誇っているらしいです。
それで、ある女子が言いました。
「コードブルー見てない奴は非国民だろ!」
は~い、非国民で~す(´・ω・`)
これから非国民らしい、どうも、狼々です。
では、そろそろ……どうぞ。
早速ながら懐古の念を抱きつつ、微弱な列車の揺れを感じながら、手紙の封を切る。
中には白の便箋が、二枚に重なっていて、彼女の思いがひしひしと感じられた。
一枚ずつ丁寧に、個別に取り出して読んでいく。
綴られた文字は想像よりも綺麗で、ところどころ高さがズレているところもある。
彼女曰く、お母さんにも手伝ってもらったらしいので、そこまで大きいズレではない。
見えないでも、正真正銘彼女自身が丹精を込めて書いてくれたことがわかり、嬉しくなる。
『前略 私はきっと、列車が発つギリギリまで、貴方にこの手紙を渡せなかったと思います』
思わず、ふっと笑いが出てしまった。
つい先程の別れ際。本当に、その通りだったのだから。
彼女が何を渋ったのか、何を迷ったのかは、俺にはわからない。
が、彼女らしい一面は、彼女自身もわかっているらしい。
『貴方の知っている通り、私は目が見えません。この手紙を書くことにも、きっと一苦労するでしょう。だって、今の文字の数だけでも苦労しているのですから。貴方に伝えたいことは、本当はたくさんありました。その中でも、伝えようか伝えないでおこうか、すごく迷うものもありました。でも、楽しかったという感情は、いっぱい伝えられたと思います』
俺自身も、相当に楽しかった。その感情は、しっかりと表に出すことができたと信じたい。
今年の夏にて彼女との会遇は、運命の巡り合わせだと、俺は本気に考えている。
何かしらの縁があって、俺達は会うべくして出会ったのだと。
大袈裟に言い過ぎているのかもしれない。
誇張された事実なのかもしれない。
しかし、俺にはこの出会いが大仰なものだとは到底思えなかった。
何度でも思ってしまう。
そして夢見村から去った今、その意識は胸の中で渦を巻く。
村にいる時よりも、ずっと強く、まるで全身を縛りつけるかのように。
『私、一応光は感じられるんです。貴方も、目を瞑っても光っているかどうかはわかるかと。それで私、湖の蛍の光、見えたんですよ。綺れい、でした。貴方と同じ光景を見ていると思うと、涙が出そうなくらいに嬉しいです。人と同じ光景を見ることが、あんなにも幸せなことなのだと知りました』
彼女の盲目は、光は感じ取られる。
俺としても昨日の彼女の口振りから、少しは察していた。
ただ、今を、息を呑みながら無言で、無上の幸福を噛みしめる。
『でもでも、それ以上にやっぱり、目が綺れいだと言われたときが嬉しかったです! 泣き虫だと思われていそうですが、あれでも家族以外の前で泣いたのは、初めてなんですからね?』
かなりゆっくりと読んでいたためか、もう列車が駅に停車した。
中に乗り込んでくる人達に気付きながらも、引き続き手紙を読んでいく。
自分のいた夏のある意味での非日常が、元の日常に戻っていく倦怠感。
高らかに発車を宣言する警笛が、耳に煩い。
ドアが閉まるまで暫し待って、静かになってから次の便箋に書かれた文へと移る。
『貴方に優しくされた時は、とっても暖かかったです。できることなら、明日にでももう一度味わいたいな、なんて。すっかり、貴方に甘えてしまいました。思い出すと、恥ずかしさと申し訳ない気持ちが混ざっています。すみませんでした』
「……謝ることじゃ、ないだろ」
俺は小さく、誰にも聞こえないくらいに呟いた。
自分の意志に反して漏れ出した言葉は、少し乾いた笑顔と共に溢れる。
やはり、彼女は彼女だ。謝ることじゃない。彼女に、何度そう言ったことだろう。
回数としては少ないかもしれないが、印象としては随分と色濃く残っている。
「それにしても、これっていつ書いたんだ?」
俺の素朴な疑問としては、そこだ。
文章の内容を見る限り、昨日の夜以降ではある。
湖や蛍のことが書かれてあるので、間違いないだろう。
しかし、俺が寝るときは彼女は同じ布団の中にいたはず。
そうなると、俺が寝てから翌朝起床するまでの間、というわけだ。
昨夜の、突然に消失した手の温もりの寂しさをふと思い出す。
この手紙を書くことが、彼女の手が離れたことを意味したと考えると、納得がいった。
この手の別れ手紙は、相手に悟られないことが前提となることが多い。
彼女もそれに沿って、俺にバレないようにわざわざ夜に書いたのだろう。
そう考えると、悪いと思う気持ちと、手間をかけてもらえて幸せ者だと思う気持ちが入り混じる。
『本当に、幸せな気持ちでいっぱいだったのです。貴方と過ごした夏は、一生忘れられないでしょう。貴方が側にいてくれたお陰で、絶対にできないと割り切っていた手紙を書くことも、こうして挑戦できています。学んだことも多く、何だか貴方が先生に思えてきました』
「先生、ねぇ」
彼女にこう書かれる俺も、色々なことを学んだ気がした。
自然の風景の面白味であったり、人の精神の脆さ、それを救う人間の必要性であったり。
俺から言わせてみれば、彼女の御蔭で学んだのだから、互いが互いの先生をやっていることになる。
どちらかと言うと、それは先生ではなく、同じ生徒としての切磋琢磨のように思えた。
俺に先生は、恐らくと言うこともなく、確実に向いていない。
幼少期。それも小学生くらいに、学校の先生になることが将来の夢だった気がしなくもないのだが。
今思うと、その幼い頃の夢が小さく叶った、というわけか。
『もし目が見えるようになって、また貴方に会えたならば、字を教えてください。手紙を書く途中に、わからない漢字は母と一緒に別の紙に書いて、感覚だけを覚えてこの手紙に書きました。どうしてそんな面倒なことを、と思われるかもしれませんが、私が私の字で手紙を完成させたかったからなのです。なので、綺れいの「れい」や、お陰の「お」は、あまり感覚が掴めずに書けませんでした。ご容赦ください』
「すげぇな……よくやるよ、本当に」
彼女の行動力は、思いの外あるのかもしれない。
これだけの字を書くのに、時間がどれだけかかったことだろうか、見当もつかない。
その分、俺の感謝の念は強まる一方だ。
『長くなりましたが、本当にありがとうございました。最後に、一番書きたかったことを書きました。どういう意味で取るのかは、貴方に任せることにしますね』
「ん? いや、でも――」
二枚目の便箋は、そこで文が終了していた。
これだけの量でも途轍もなくすごいのだが、こんな前置きをして書き忘れだろうか。
現に、まだ二枚目の便箋には余白が少しだが残っている。
そして、不自然に思って封の中を確認したその時、気が付いた。
二枚の組まれて折った手紙とは別にもう一枚、便箋が折ってあることに。
別々に折る理由がいまいちわからないが、取り出して広げる。
――そこには、たった一文だけが書かれてあった。
さっきまでの文字よりも、ほんの少しだけ大きめに書かれてある。
彼女の想いが孕んでいるのか、それとも、ただ一文だけだから強調したかったのか。
俺にはどうしてか予想もできないのだが、そんなことはどうでもよかった。
『大好きです』
――この一文だけが、堂々と、便箋の中央で佇んでいたのだから。
「う、あぁ、ぐぅっ……!」
気がつくと、俺は嗚咽を漏らしていた。
目からは大きな雫が、溢れ、消えてゆく。
幾筋も引かれた涙の軌跡は、また次の涙が通る一方通行の道に。
近くの席に座っていた乗客が、ある人は奇怪に、またある人は心配気に、こちらを控えめに覗いているのが見えた。
しかし、俺の涙はそんな状況はお構いなしに、流れ続ける。
さすがに気持ちが悪いのか、俺に話しかけようとする人物はいない。
それもそうだろう。つい先程まで手紙を読んでいた赤の他人が、突然に泣き出すのだから。
あぁ、俺は最後の最後、かっこ悪くなってしまった。
そう思ったが、涙は一向に止まらない。止まる気配すら見えない。
霞む視界で、滲んで潤む視界で、あの文字列を見る。
たった五文字。この手紙に書かれた何百文字よりも、この五文字に、泣かされた。
まだ涙が手紙にこぼれ落ちない内に、指で掬い取る。
そしてまた、気付いた。
手紙には既に、いくつかの点がついて、乾いた跡があることに。
まるで、液体が数滴だけ、こぼれ落ちた跡のようだ。
俺の涙はズボンに落ちるばかりで、手紙にはこぼれていない。
その跡は誰が残したものなのか、何によるものなのか、考える必要もない。明白だった。
友愛か、冗談か、願望か。それとも、恋愛か。
俺には意味はともかく、あの言葉が書かれてあるという事実だけで、心が満たされた。
彼女と過ごした日々が、脳裏を掠め続ける。
様々な光景が次々にフラッシュバックして、全身に電流が走った。
俺は正体不明の何かに突き動かされるように、荷物を漁る。
狂気的とも思える行動だが、俺はとにかく急ぎたかった。この『光景』を、一刻も早く形にしたかったのだ。
原稿用紙と筆記具を荒く取り出して、テーブルの上に載せる。
列車が揺れて文字がブレようが、関係ない。
数秒前まで、タイトルさえ未設定だった新作。どんな内容にしようか、ずっと迷っていた新作。
本格的な執筆の前に、明確な軸となる題名を書く。
半ば書きなぐるようにして、白紙の原稿用紙に筆を入れた。
涙で原稿用紙が汚れないように、袖で強引に涙を拭い去り、泣き止む。
逆立つ気分を落ち着けるため、背もたれに深く座り、顔だけ動かして車窓を覗く。
黄色の花の持つ黄金比は、ここでも太陽に向かってアピールを続けていた。
数日前に見たはずの景色が、その時よりもずっと鮮明に見える。
もう、口が裂けても「ただ花が同じ方角向いて並んで見えただけだった」なんて、言えそうにもない。
優雅に咲き誇る向日葵を見ただけでも、感動で身が震えるのだから。言えと強制されるのが無理な話だ。
題名だけが書かれた原稿用紙を手に取り、見直す。
安直すぎるタイトルだが、俺にとってはそれくらいが丁度良い。
「……よし、タイトル、これでいくか」
俺は意思を固め、内容の執筆に入る。
新作を――『
まだ、最終回ではない。
自分の中では、上手く決められているつもり。
本当はどうなのか、わからないけども。