八月の夢見村   作:狼々

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今日から八月ですね(`・ω・´)ゞ


君の目に

 彼女は、俺の言葉に嬉しいと、そう言ったのだ。

 それを聞いただけで、俺自身としても、救われた気がした。

 

「泣きたいなら、泣けばいいさ。感涙でも、悲泣でも」

「じゃあ、本当に泣いちゃいますよ。いいんですか?」

「ああ、好きなように。俺にできることなら」

「……じゃあ、ちょっとだけ、胸を貸してください」

 

 俺の返事の前に、こちらに倒れ込む彼女。

 突然のことに少々慌てながらも、拒む気は微塵も起きなかった。

 

 そして再び聞こえる、彼女の泣き声。

 すすり泣く彼女の方は、小刻みに上下する。

 すぐ近くで聞こえる濡れた声に、ドキッとしてしまう自分もいた。

 

「私……ずっと辛かったん、ですよ」

「そうだな。辛かったな」

「痛かったんです。ずっと」

「痛かったな。わかるなんて軽はずみに言えるわけじゃないけれど、よく頑張ったな」

 

 そうそう、人の苦難や努力を共感することはしてはいけない。

 大事な場面であればあるほど、実際にはそうなのだ。

 

 相手の立場に立って励ます。そこまでは問題はない。

 ただ、相手になりすますように共感することは、論外だ。

 それらを積み上げた者からしてみれば、何もしていない人間と同じだと言われていることに等しい。

 きっと無責任な共感は、婉曲的な卑下と同等なのだろう。

 称賛と共感は、必ずしも等式として結ばれるとは限らない。

 

「貴方のそういう優しいところ、私は……好きですよ」

 

 囁かれるように、彼女の声は耳元で響き渡った。

 急に心拍は落ち着かなくなり、音は大きくなる。

 彼女に聞こえてしまうんじゃないかと、緊張もあった。

 好きな人を軽く抱きしめているだけでも、相当な緊張感が全身に巡る。

 

 その上に、告白紛いの言葉を言われると、嫌でも鼓動は加速を始めてしまう。

 そして、俺は何を血迷ったのだろうか。

 

 彼女の艶やかな黒髪を、撫で始めた。

 自分でも無意識の内に、きめ細やかに輝く黒絹を。

 俺が自分の成していることに気付いたのは、彼女の途切れ途切れの泣いた声が聞こえなくなったときだった。

 

「あ、あぁ、ごめん。嫌だったか」

「い、いえ! 違う、のです。落ち着くので、涙も止まってきたんです。えへへ」

 

 繊細な髪を、流れに逆らわず、優しく撫でる。

 俺の手が行き来する度に、彼女は気持ち良さ気に目を細めた。

 面白くも、その可愛さに心が盛大に揺れている。

 

 多少の好奇心に駆られ、手を止めたらどうなるのかという疑問も生じた。

 好奇心と疑問の赴くまま、考える間もなくして手を止める。

 すると、彼女は喪失感を前面に出して、物欲しそうな顔をした。

 心がくすぐったくなり、再度手を動かすと、同じように目を細めて満足そうに。

 可愛すぎて、心が本当にくすぐったい。

 

「なぁ。君は、手術は受けないのか? 角膜なんだろう?」

「……はい。現に、手術を事故のすぐ後に提案されました。ただ、怖かったのです。今でも、それは変わりそうにありません」

 

 俺だって、突然目の手術と言われると怖い。

 臓器の手術も怖いが、目となると別種の恐怖がある。

 特に、事故で一度目に影響があったので、手術で更なる影響があったらと考えると、尚更だろう。

 

「その、今から話すのは勝手な俺の言葉だから、聞いてもらわなくても構わない。不快だったら、耳を塞いで無視してほしい」

 

 一度だけ短い深呼吸をして、告げる。

 これから言うことは、彼女にとってはどんな意味があるのだろうか。

 想像できない辺り、俺は彼女を完全に理解しきっていないのだろう。

 

 ――だからこそ、彼女を少しでも理解したかった。

 

「いつかでいい。手術を……受けてみないか」

「…………」

 

 わかっている。俺の出る幕ではないことくらいは。

 わかっている。俺自身では、どうしようもないことくらいは。

 ――わかっている。彼女が、手術が怖いことは。

 

「本当に、俺の醜い自分勝手な願いなんだよ。君と目を合わせて話をしたい」

「私だって、できることならそうしたいです。貴方の姿が見たい。夢の中でしか見たことがない貴方が、今どんな表情で、どんな格好で話しているのか気になって仕方がありません」

 

 俺の予想に反して、彼女の声は穏やかなままだった。

 もう少し、声が荒くなるか、冷たく突き放されるかと思っていたのだが。

 彼女は、どこまで温厚なのだろうか。

 ある意味で、底知れない。

 

「やっぱり、怖いか?」

「はい、とっても。できれば、このままでいたいのです」

 

 ――なりすます共感はタブーだ。

 相手を暗に見下す行為とほぼ同意であるから。

 

 ただ俺は、同じ共感でも好まれるものもあると思っている。

 彼女に、好まれたかった。

 恋愛的にではなく、人間的に。

 同じ人間として、好ましく思われたかったのだ。

 

 自分が一番なことが情けない。

 今の今まで、彼女の為と称して自分への責任と罪悪を忌避していたことが、恥ずかしくて仕方がない。

 

 だから、俺は償いたいのだ。

 小さかろうと、大きかろうと、それは俺にとって立派な罪だった。

 ただの罪滅ぼしという甘い考えではなく、彼女の為を第一に考えた結果だった。

 

「俺は、明後日には帰らないといけない。それまででいいんだ。その間だけ――()()()()なりたい」

「……え、えっと、それはどういう――」

「君の目の代わりになりたい。君の手を引いて、色を見せて、側にいたいんだ」

 

 今の俺にできることは、彼女の『目』となることだ。

 視覚情報が共有されるはずもなく、彼女の目は見えないことに変わりはない。

 けれども、不束ながらに彼女の『目』になりたい。

 

 彼女の隣に、立ちたい。

 彼女にとっての、『特別』になりたいことの暗示だった。 

 

「私の、ですか? ふふっ、おかしなことを言う人ですね」

「な、何だよ。俺だって、言うのは結構恥ずかしかったんだぞ?」

 

 側にいたいと言うと、本当に告白しているような気分になった。

 体が一瞬で火照り、羞恥で顔まで赤くなっていないか心配だったのだ。

 彼女に俺の表情が見えていたなら、さぞいじられていたことだろう。

 

「いえいえ、そうではないのです。貴方が言っている内容だと、もう貴方は私の目になってるぁ、と」

「は……? いや、どうして?」

「そのままですよ。私の手を引いてくれて、今までにない鮮やかな色を見せてもらってくれたんですから」

 

 俺は一体、彼女にとっての何なのだろうか。

 手を繋ぎたいと思ったことはあったが、彼女から手を差し出したことが殆どだ。

 色だって、まだ彩られるくらいに楽しませることができなかったはず。

 

「実は私、貴方といるだけで鮮やかな色が見えるんです。それはもう、幸せな色ですよ」

「……そうか。それなら、よかったよ」

「むう、納得してませんね? もう寝ましょう。明日、ゆっくりともう一度話しましょう」

 

 一旦時間を置くためにも、明日のためにも、この時間に布団を用意する。

 二人分の布団を敷いて、電気を消した後に、互いに各々の布団へと入る。

 

 夜空で微睡む月光は、弱々しい。

 しかしながら、その光は部屋全体を微弱ながらに照らしあげている。

 穏やかな明るみに包まれながら、目を閉じようとしたその時。

 

「あれ? 布団の中では抱きしめてくれないのですか?」

「え、えぇ!? い、いやでも……」

「あ~あ、残念です。胸を貸してくれたり、目になりたいとか言ってくれましたが、嘘だったんですね。私は悲しいですよ~」

 

 とはいえ、前言撤回はできない。

 かといって、こうして横たわっている中で抱きしめるのは、如何せん密着度が……

 

 自分の中で葛藤しつつも、欲に負けながら彼女を優しめに抱き寄せる。

 一つの布団で、二人が入っている状態。

 

「ありがとう、ございます。暖かいですね。それに、吐息が少しくすぐったいです」

「し、仕方ないだろ、近いんだから」

 

 そう言うと、彼女が布団の中で手を動かし始めた。

 首やら頭やらを、手探りに伝っていく。

 吐息よりもくすぐったいのは、こっちに違いない。

 

 妙にそわそわとしていると、彼女に後頭部を引き寄せられる。

 そのまま動きは、相互の額と鼻がくっつくまで続くことになった。

 

「ふふっ、おやすみなさい」

「あ、あぁ、おやすみ」

 

 もう少し近付けば、キスだってできそうな距離だ。

 自分の中で、必死に煩悩を抑えつける。

 俺にとって過酷な状況下で、実際にできたのは、顔をずらすくらいだった。

 

 彼女の吐息も、俺の吐息も、髪やら耳やらにかかって背筋に電流が走る。

 悪寒ではない、一種の快感に身を蝕まれる前に、無理矢理に目を閉じた。

 

 意識を引きずり下ろす直前に、彼女の声が聞こえた。

 小さいな、囁きが。

 

「本当に、ありがとうございます」


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