「私にも持たせてください!」
「いいんだって。どっちも軽いんだから」
「軽いなら、尚の事持たせてくれてもいいじゃないですか!」
彼女と青空の中、少しだけ収まった暑さの中を歩く。
青空といっても、もう間もなく夕焼けが見られる時間だ。
俺達に忍ぶ影は、その身長を伸ばし始めている。
そんな今、彼女と買い物の荷物で一口論。
口論と呼べるほどでもないのだが、中々彼女は食い下がろうとしない。
事前に持ってきたバッグを掴んだまま、共に歩き続けている状態。
一向に離す気配もなく、引いて引かれての繰り返し。
「わかった、わかったから引っ張らないでくれ……はい」
もう一つのビニール袋の方の荷物よりも軽い持ってきたバッグを手渡した。
その瞬間に、さっきまでが嘘のようにおとなしくなる。
傍らの女性が、駄々をこねる子供のように思えた。
「で、何でそんなに持ちたがっていたんだ?」
「だって、両手が塞がっていたら……」
俺の空いた手に、僅かな温度。
しかしながら深みのある微温が、接触している手の平から全身に伝わっていく。
柔肌から伝導される温もりは、何よりも暖かい。
「手……繋げないじゃ、ないですか」
恥ずかしくなりながら、そっぽを向いて顔を隠す彼女。
ハットから覗く耳が、ほんのりと赤くなっているのが、また可愛い。
「え、あ、あぁ。そうだな」
そう思っている俺も、恥ずかしさが止まらない。
繋ぐ言葉が、どうしても拙くなってしまった。
自分でも、顔が火照っているのがわかってしまうほどだ。
珍しく無言で、帰り道をゆっくりと歩く。
夕暮れを伝えるヒグラシ、微塵の静けさを伝える夏風。
家に着いた夕陽が映える頃には、それらはより鮮烈になっていた。
「あら、おかえりなさい。ご苦労様でした」
「ただいま、お母さん」
荷物を下ろして、冷蔵庫の野菜室へと収納。
その後、彼女の部屋へと戻った。
そして、ふと気づく。
「……あれ? 手を繋いだままお母さんの前出たけど、大丈夫なのか? 会ったばかりの男と手を繋いでいるところって、君は見られてもよかったのか?」
「ええ。私は……隠すことでもない、かなって。それに、貴方も離さないでくれたので」
「おっ、ちょっとだけ敬語がなくなったね」
「あっ、ち、違うんです! ごめんなさい!」
「謝ることでもないさ。好きな方を使ってくれ」
彼女曰く、敬語が慣れているらしい。
今後も敬語なのだろうが、一瞬垣間見えたタメ口には、親しみと同時に可愛さも感じた。
たまに見える愛らしさは、特別な癒やしを持っている気がする。
「そうだ。敬語と言えば、俺が最初に敬語を使ったときの印象、どんな感じだった?」
「そう、ですね。今だと考えられないですね。合わないです」
「君が正直すぎて何も言えない」
自分でも、敬語を使うような性格ではないことはわかっている。
勿論、目上の方や上司との社交辞令として敬語を使わないというわけではない。
ただ、プライベートで敬語を使うことは、あまりすることはないのだ。
特に敬語は、使うことで時に相手を傷つける。
傷を入れるまではいかないにしろ、多少の影響があることは確かだろう。
相手を敬うと同時に、相手との距離を明確化させるもの、それが敬語だ。
親しき仲にも礼儀ありと言うが、履き違えることがないようにする必要はある。
「ええ。お世辞は嫌いだと言っていたでしょう? 正直に言いました」
したり顔で、小さく胸を張る彼女。
このような子供っぽい一面もあり、どうにも男心は揺れてしまう。
端麗な容姿を持っていながら、長い黒髪のストレート。
白いワンピースがよく似合う目の前の女性。
可愛いか綺麗かと言われると、綺麗なイメージが強い。
清楚な印象を持つと、そんな考えを持ちがちであることは事実。
が、彼女は綺麗でもあり、可愛さも持っている。
恋の相手で、贔屓目もあるのかもしれない。
しかし、俺にはどちらも兼ね備えているとしか思えない。
「変にぼかす必要もないから、いいんだけどさあ」
当たり障りのないようにと言葉を選ばれると、それはそれでこちらとしても対応の仕方に困る。
そんなときは、明らかに選りすぐったことがわかってしまうので、逆に気を遣わなければならないと思ってしまう。
それを思うと、日本人とは途轍もなく不憫だ。
アメリカ人の一部は、日本人を不思議に感じているらしい。
それが、コミュニケーションでの遠慮が多いことだ。
もっと正直に話してもいいだろう、と思う人もいるんだとか。
思慮深い、と言うと聞こえはいいだろう。
ただ、それに偏る必要は一切なく、本能的な会話を楽しむときも必要だろうに。
少なくとも、今の彼女との会話は婉曲的ではないと信じたい。
俺としてはだが、正直な話を展開しているつもりだ。
「では、縁側に行って話をしましょう」
「あぁ、わかった。そうしようか。……どうした?」
彼女が座ったまま、立ち上がろうとした俺に片手を伸ばしている。
完全に直立した後も、その手が収められることはない。
俺が数秒だけ頭に疑問符を浮かべていると、彼女の願望が口に出された。
「私を、縁側まで連れていってください」
「いやでも、縁側ってこの家の中で――」
「だめ、ですか?」
控えめな笑いが、彼女の顔に現れる。
どう考えても、縁側に行けないから案内が必要なわけではない。
一日目の夜に、既に縁側に寄っている上に、ここは彼女の家だ。構造を理解していないわけがない。
そんな野暮なことは口にせず、静かに彼女の白い手を取る。
優しく少しの勢いをつけて引き上げ、縁側まで手を引いていく。
普段歩くよりも、随分と遅い速度で、一歩一歩を踏みしめるように廊下を縫う。
彼女の本当の願いのところはわからない。
手を繋ぎたいだけの願望なのか、はたまた他に目的があるのか。
でも、これだけは明らかだった。
いつも手を繋ぐときよりも、距離が近くなっていることが。
台所から聞こえる調理の音を聞きながら、縁側に座り込んだ。
手を繋ぐときだけではなく、座ったときの距離も近い。
それはもう、肩と肩がくっついてしまうくらいに。
心臓は焦るように、早鐘を打ち始める。
彼女の甘い匂いが鼻腔の奥まで届いて、鼓動は音を小さくしようとしない。
自分の中から、安らぎが消えた。
ただ、この状況を楽しいと、嬉しいと思う自分がいた。