八月の夢見村   作:狼々

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確定的未来の別れ

 彼女が泣き止むのに、そう時間はかからなかった。 

 悲壮による涙だったのが、唯一の救いだっただろうか。

 女性の哀愁の泣きも、感動の泣きも、俺にとっては区別が中々に付け難い。

 

 だが、だからこそ彼女のそれが感動によるものだとわかって、嬉しくもあった。

 

「……先程は、突然すみませんでした」

「いいんだって。そんなに喜ぶとは思わなくて、驚いただけだよ」

 

 今でもその驚きは収まることを知らない。

 目の前で広げられた光景は、まだ自分の頭に焼き付いたままだ。

 

「で、でも……そんなことを、よりにもよって貴方に言われたら……」

 

 そう彼女は、小さな声をさらに隠すように、両手でハットを目深に被る。

 せっかくなので、もっと目を見せてほしいものではあるのだが。

 

 少々残念だと感じたその時、弱々しい声を遮るように、扉が開く。

 そこには、外出の格好をしている彼女のお母さんがいた。

 

「じゃあ、今から買い物に行ってくるわね」

「あっ、その、え~っと……悪い、今日は君と約束したんだけどな」

「ふふっ、いいんですよ。私は貴方のそういうところ、素敵だと思います」

 

 驚愕と羞恥と幸甚が、同時に体を支配するとは思わなかった。

 まず、今の言葉で察することに驚き。

 次に、素敵だと言われたことによる恥ずかしさと、嬉しさ。

 

 同じくして、罪悪感にも襲われた。

 彼女と交わした約束を、破ってしまうことに対して。

 それほど大きなことではない、と思えばそれまでだ。

 しかし、ここに滞在できるのは、今日を入れて二日であるという事実が重くのしかかる。

 

 僅かに軋む土台には、重荷が過ぎる。

 支えるには、少し大変そうだ。

 

「あの、よければですが、自分が代わりに買い物に行ってきますよ」

「い、いやでも――」

「さすがに泊めてもらう一方では、申し訳ないので」

 

 このままお金も出さず何日も泊めてもらって、はいさようなら、と帰るわけにはいかない。

 かといって、現金を手渡すのも、何だか忍びない。

 代替策としては、こうやって何かを手伝うことだろう。

 

 約束を破ってまですることではないかもしれない。

 が、残りの日数で彼女の家族に何かに尽くせるとも限らない。

 機会があるときに、やっておくべきだろう。

 

「お願いしたいところだけど、場所がわからないでしょう?」

「じゃあ、私も一緒に行くよ、お母さん」

 

 彼女がそう言いながら、席を立った。

 すると、彼女のお母さんは怪訝そうに言う。

 その表情に、何か深い意味があるのだろうか。

 

 普通は、あんな顔をしない。

 それだけに、俺が感じる違和感には棘があった。

 突き刺さるほど鋭利ではないが、ずっと残り続ける鉤のような、そんなもどかしい違和感が。

 

「貴方……大丈夫なの?」

「うん。大丈夫」

 

 彼女はいつもの笑顔を、お母さんに向ける。

 しかし俺には、その笑いがニヒルに見えていくのがわかった。

 

 最初は明るい、いつもの笑顔に見えていたのだ。

 けれども、徐々に徐々に、笑って顔の色が薄れて、無くなっていった。

 俺の錯覚かもしれないが、どうにも胸の中で引っかかる。

 

「……じゃあ、お願いしちゃおうかな。ごめんなさいね」

「いえいえ、僕が言い出したことなので」

 

 今の服装自体、ここに来たときのために着る外出用。着替える必要もない。

 そのままバッグとお金を受け取って、彼女と一緒に外に出ようとした。

 

 そこをお母さんに呼び止められる。メモを手渡されてから、今度こそ出発。

 当然であるかのように、互いに無言ながらも彼女と片手を繋ぐ。

 何度か経験したこの柔らかな手の感触に、慣れることはなかったらしい。

 しかし、この小さな関係性を楽しんでいるのも、また事実だった。

 

「すまないね。俺が言い出したことに、付き合ってもらっちゃって」

「いいんですよ。こうすれば、話しながら向かえますからね。とは言っても、向日葵畑よりもずっと近いんですけどね」

 

 それでも、彼女の笑い方には一切の影が降りていない。

 ささやかに通りゆく風も、頬を優しく撫でて、ハットを微弱ながらに揺らす。

 いつもと変わらない光景に、俺は不信感を感じずにはいられなかった。

 

「えっと……夢の話の続きを、いいですか?」

「ああ。お願いするよ」

 

 彼女の驚異的予知夢。到底説明ができないような、一言で片付けるならば、あり得ない。そんな夢。

 内容こそ限られているものの、その制限を物ともしない。

 そんな夢のある『夢』に、俺は少しどころではなく興味をそそられていた。

 

「夢に出てくる方以外にも、この村にやってくる方はいらっしゃるのです」

「ってことは、その予知夢も漏れがある、と?」

「言ってしまえばそうなのですが、大抵夢に出てこない方は、他の夢見村の住人が泊めているんです」

 

 彼女の言葉を言い換えるならば、自分が泊める必要のある相手が予知夢に出てくる、ということだ。

 何とも不思議で、限定的だろうか。

 ただ、現実性はないにしろ、面白いとは思える。

 

 ここまで条件があるとすると、尚のこと嘘だとも疑いにくい。

 最初から疑うつもりはないのだが、どこか突飛だという印象が剥がれなかったのだ。

 

「運命か何かはわからないんです。ただ、夢に出てきた人と話すことは、とっても楽しかったですよ」

 

 懐かしむように、深い笑みを彫り込んだ彼女。

 ただ、それも一瞬だった。

 明色に暗色を混ぜて、色が薄暗くなるように。

 

「……だからこそ、その分別れるときは、辛かったのです」

 

 悲しげな笑みを、貼り付けた。

 俺も心が痛いが、どうしても別れは避けられない、確定的未来だ。特に、この村では。

 

 恐らく、ここに移り住む人間は少ない。

 仮定が正解だとするならば、夢見村を訪れる人の大半は、いずれ帰ってしまうということ。

 つまるところ、最後には別れがある。

 

 彼女の辛さは、俺には少ししかわからなかった。全ては、知り得なかった。

 来訪者が現れることの喜びは、どれほどのものか計り知れない。

 テレビなどの娯楽はあるにしろ、限界はある。

 そんな中の唯一と言っていい飽きの来ない楽しみは、旅人の話なのだろう。

 

「特に貴方との別れを考えると、今までで一番苦しいのです」

 

 笑顔は完全に失せた顔で、彼女は胸の辺りのワンピースを強く握り締めていた。

 本当に辛そうで、俺との別れを心の底から悲しんでくれる。

 

 そんな夢のある現実は、俺の胸をも強く掴んでいた。

 

 雨の兆候など全くない、カンカン照りの昼下り。

 灼熱の印象を、さらに陽炎や蝉の叫び声が強く引き立てている。

 炎天下の中、俺は暑さを感じない無二の箇所である右手を、強く握った。


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