『そうだ、おれを撃て……アリアンロッド!!』
レギンレイズが最後の力を振り絞って放った弾丸がコクピットを揺さぶる。
次の瞬間、両腕を広げたガルム・ロディに篠突く雨が降り注いだ。
掃射されたダインスレイヴが装甲に食い込み、コクピットを突き破る。トロウの視界が真っ赤に染まる。口から押し出されたのは呼気ではなくて血液で、からからにかわいていた喉が閊えて咳き込むと、金属との境界をなくした腹が引きつった。
知らず浅くなる呼吸が詰まって、視界は失血に揺らぐ。ヘルメットのバイザーが内側から汚れているせいで、残された視野は狭く不鮮明だ。
かろうじて動きそうな右手を持ち上げ、覚束ない指先でたどれば、グローブがどろりと滑る。どうやら特殊金属の槍がわき腹を貫通しているらしかった。皮膚を破り、肋骨を押しつぶして、背中とシートを縫い付けている。左腕は、肩が外れたのか折れたのか、動かすことはできそうにない。
コンソールに挟まれた右脚は根元からちぎれて皮一枚どうにかつながっているような格好だ。コクピットブロックからなけなしの酸素が流出し、パイロットスーツが破れた部分からじりじりと、露出した皮膚が宇宙の強い紫外線によって焦がされていくのがわかる。
なのに不思議と頭の中はすっきりとして、焼けつくような痛みはない。
熱くもなく、寒さもない。静かな呼吸を細く、浅く繰り返せば、遠くにガルム・ロディとエリゴルが離脱していく姿を見とめた。やっぱりデルマならできてしまうのかと思うと、正直、悔しい。
だが最後の最後で、トロウにだからできることを成せた。
急激に吹き出す汗に意識はくらりと遠のいていき、死んだやつには向こうで会えるのだからとトロウは思考を投げ出した。
背にした地球の重力に引っ張られて、これから大気圏で燃え尽きるのだ。ウタが再算出した座標を経由して、ガルム・ロディは無事に流れ星になれるだろう。
星屑は大気圏で焼かれることで最後の輝きを放つのだという。
地球はあんなにも青いのに、どうして赤くなるのだろう。……わからないから、あっちについたら団長たちに聞いてみよう。きっと一緒に考えてくれるはずだ。
串刺しのガルム・ロディが赤熱する。もはや何もうつしてはいないモニタの向こう側に、トロウのひとみは地球へ降下するシラヌイの姿をとらえた。
モニタはひどい砂嵐だが、それでも聞こえてくる声はエンビだろう。ざらざらと劣化した通信ごしでも、仲間の声を聞き違えることはない。
何を言っているのかまでは、わからないけど。
呼吸のたびに口角から鮮血をあふれさせながらも、最後の力で笑ってみせる。軋む右腕を動かして親指をたててみせたのが、戦友たちにも見えただろうか。
――お前らは生きて、たどり着いてくれ。
最後のメッセージを託して、ようやくトロウは疲れて乾いた目を閉じた。
鉄華団がなくなってからは復讐でしかみずからの命をつなぐことができなかった。学校には馴染めず、ヒルメにもエンビにも迷惑をかけたに違いない。鉄華団が過去にされていくのが許せなくてわがままばかり言った。
泣いて叫んで足掻いたってギャラルホルンこそがあるべき世界の正しい秩序で、トロウの両手には強権に抗えるような大それた力は宿っていない。鉄華団を再興させる方法だって思いつかなかった。ガンダムフレーム奪還という盟友の夢に、うなずいてやることもできなかった。
だがモンターク商会を継いだ少女がシラヌイに運ばせた
ここで燃え尽きることに悔いはなかった。
戦場しか知らないままにトロウは生きて、そして戦場で死ぬ。それは存外、悪くないことのように思えた。知らない世界の空気では、上手に呼吸ができなかった。
鉄華団の未来を描くというライドの言葉を信じている。信じられるから命というチップをすべて賭けたのだ。
だから、どうか。
どうか。
撤退してグラズヘイムへ戻ると宣言したヒレルに、反論の声はもう上がらなかった。
ハーフビーク級戦艦三隻で航行していたグウィディオン艦隊は、うち二隻が被弾。これ以上の任務続行が難しいことは火を見るよりも明らかだった。
旗艦こそ無事であったものの、一隻は格納庫をやられて数十機のグレイズと十余名のクルーを失い、もう一隻は推進部をやられて引火、暴発が起きて五十名以上にもおよぶクルーが今も行方不明だ。非戦闘員を含む一二〇名あまりが重軽傷を負って、メディカルナノマシンは満床というありさまである。
海賊の追撃中止を命じ、脱出用ランチを手配させたヒレルの対応は緊急時のマニュアルをなぞっただけのものだったが、それですら今は英断であった。
ブーツの踵を甲高く鳴らして苛立つヒレルはパイロットスーツのまま、グラズヘイムの豪奢なロビーをつかつかと行き来する。
「エリオン公への取り次ぎはまだか……!」
今は一刻も早く、行方不明者たちの捜索部隊を編成せねばならない。
たとえ部下たちにとって招かれざる司令官だったとしても、腐敗を除き、因縁を断ち切ることこそヒレルの職務だ。己の仕事もまっとうできず凛々しき女騎士ジュリエッタに憧れるだなんて自分自身が許せない。ここは希望を断たれた亡者たちの墓場だと自嘲した部下たちを、あのまま死なせてなるものか。
というのにヒレル・ファルク三佐には戦艦を動かす権限がない。部隊を再編する力を与えられていない以上、上官に命令してもらわなければ部下を助けに行くこともできないのである。
独断行動ができるほどヒレルは無謀ではないし、有志の救出隊を募れるほどの人望もない。
かといって大人しく沙汰を待っていられるほど理性的でもなく、靴音を響かせウロウロぐるぐると歩き回りながら苛立ちを募らせる。
常識的に考えて、ハーフビーク級戦艦が沈むだなんてありえない。
幼少のころよりギャラルホルンの騎士になると夢見てきたヒレルは、歴史と秩序については人一倍熱心に学んできたつもりだ。分厚い装甲とナノラミネートアーマーによって堅牢に守られているはずの巨大戦艦を損傷させられる兵器など、歴史で勉強した【ダインスレイヴ】を除いて存在しない。
ダインスレイヴとは厄祭戦終末期に製造された高硬度レアアロイ製の対
厄祭戦終結後に開発されたグレイズには撃てるはずのない禁忌だ。
「くっ……ダインスレイヴを発射したのはどこの部隊だ!! 禁断の兵器を用いるなど、正気かッ」
確かに海賊がガンダムフレームを所有し、兵器として使用していることは看過しがたい。
しかし味方を犠牲にしてまで撃つ必要がどこにあった? ガンダムが相手ならばなおさら、可能な限り状態を保存し、鹵獲すべきだ。あれらはギャラルホルンの
憤るヒレルを遠巻きに見守っていた兵士たちの人垣が、不意に割れて道を作る。
エンペラーグリーンのコートの裾が優雅に揺れ、アリアンロッド艦隊総司令官が白いブーツで踏み出した。控えめなヒールが鳴る。
「何を騒いでおられるのです、ヒレル様」
「ジュリエッタ!! これは由々しき事態です。あなたの膝元にもかかわらず、禁止兵器の一斉掃射が――」
「我がアリアンロッド艦隊のダインスレイヴ隊が何か?」
「……え?」
言葉を失ったヒレルは、口を疑問のかたちに開けたまま、次の挙動を忘れてしまった。ジュリエッタの冷淡なかんばせを見つめるしかできない。
「掃討作戦におけるダインスレイヴの使用はアリアンロッドの通常業務の範囲内です」
「 ジュ リエッタ……? そん な、まさか……」
足元が揺らぐ感覚に、ヒレルは思わず後ずさる。ひとりだけ艦内重力をオフにされたようだった。理想と現実のギャップがヒレルを襲う。
「き、禁止兵器の一斉掃射など、いくら悪しき海賊相手といえど許されません……そうでしょう……!?」
すがるように見つめても女騎士はこたえない。いつもの透明なまなざしは常になく遠くヒレルを突き放す。
長い睫毛が剣先をおさめる。何を今さらとばかりにため息を落としたジュリエッタの言わんとすることを、ヒレルは遅ばせに察した。
信じたくはない。信じたくはないけれど、女騎士の膝元でダインスレイヴ隊が暴虐を揮ったのではなかった。
グウィディオンを撃ったのは彼女の命令だった。
ダインスレイヴの使用を命じたのは今まさにヒレルが部下の救助を要請しようとしていたラスタル・エリオンだったのだ。
なぜ。どうして、そんなことを。問うこともできない。くちびるがこわばり、舌が凍りついたようだった。胸郭からせり上がってくる情動を何ひとつ言葉にできない悔しさが、涙になって眼窩をなだれた。
足場ががらがらと音をたて崩れていくような錯覚に、力なく膝をつく。
「 う……そだ、 あのエリオン公が禁忌の力を使われるなどっ……どうか噓だと言ってくださいジュリエッタ! ジュリエッタ・エリオン・ジュリス――!!」
ひび割れる声をふるわせて、ヒレルは無様な自身を律することもできず慟哭した。鋭く研がれた刀身のようなジュリエッタのひとみは、何の言葉も与えてはくれない。
グウィディオンの部下たちは汚いものでも見るように顔をしかめ、うずくまって肩をふるわせるヒレルを遠巻きにしている。アリアンロッドの兵士たちはみな呆れた顔で笑っている。いつもなら家名を気にして取り繕ったのに、今は何もかもどうでもよかった。
ただ、強くありたかった。強く、正しく、高潔でありたかった。誇り高いギャラルホルンの将校となりたくて、幼心に憧れたのは血統主義を覆した凛々しき女騎士だった。
ジュリエッタ。
呼びかける声もなくヒレルは肩をふるわせる。低重力に涙が散った。
あなたは実直で、潔癖で、うつくしくて。ああ。――わたしが憧れた騎士の姿は、まぼろしだったというのですか。
#058 声は届かない
小型船シラヌイと別れ、強襲装甲艦スティングレーは火星を目指して航行を続けている。あと一週間もすれば到着かと、エーコ・タービンはチェアの上で両膝を抱えた。
私室の照明はつけられず、モニタの光が青白くエーコを照らしている。
デスクは鏡台を兼ねており、愛用の化粧瓶が整然と並ぶ向こう側、通信ウィンドウに現れる景色は何とも殺風景だった。
ごとんとマグカップらしからぬ重そうな音とともに金髪の共犯者が椅子をひく。火星はもう夜半だろうにカッサパファクトリーのつなぎ姿のままだ。
仕事中毒はついつい作業着のまま過ごしてしまうから、気持ちはエーコにもよくわかる。
「あの子の義手、ちゃんと調整しといたよ」
発信器はオフのままにしといた、と報告するエーコに、ヤマギは緩慢なしぐさで首肯した。
「ありがとうございます」とみずからに言い聞かせるように言葉を重ねる。
デルマ・アルトランドの義手を直接的に手がけたのは彼、ヤマギ・ギルマトンである。設計にはザック・ロウが協力し、歳星の整備長にも助言を得た。開発当時を知るメカニックたちの間に、言葉は少ない。
エーコは抱えた両膝で頰をつぶして、顔を隠した。つぶやくように嘆息する。
「阿頼耶識二本ぶんのパワーだって言ったら、デルマくん、喜んでた」
『……だろうね』
わかりにくく高揚するデルマの姿がヤマギのまなうらにも浮かぶ。兄の背中に手を伸ばせるならデルマはきっとそうするだろうと思った。
孤児院で働くのなら生身の肌に近い質感のものはどうかと進言し、首を横に振ったデルマが機能面を優先したときから、漠然と感じていたことだった。
……いや、この五年間ずっと考え続けていたことだ。鉄華団が路肩に捨てられた花のように忘れられていく現状に、いつか誰かが抗うだろうと。どうなっているかもわからない曖昧な未来を案じてきた。
「ヤマギくん、もしかしてここまで全部予想してたの?」
『まさか。こうはならないでほしいって、ずっと思ってましたよ』
「本当に?」
『何が起こるかまで予想できてたわけじゃないし、外れてほしかったのも本音。……ただ、』
ただ。――深呼吸ひとつぶんの時間をヤマギは必要とした。
鉄華団には戦うことしか知らないやつが多かったから。行動を起こすならば武力を用いるだろうことは想像に難くなかった。
『やっぱりおれはライドが大事だから。デルマならきっとライドを守ってくれるって、多分、期待してた』
「……悪い男」
思う通りに責めてくれるエーコに、ヤマギは曖昧に苦笑する。
こいつも電子技能を学びたいんだってよ、と酔ったダンテが機嫌良く打ち明け、ダンテひとりじゃ頼りないからだよとデルマが毒づいていたのが懐かしい。
追尾システムをデルマがことごとく無効化することくらい当然想定できたのに、まったくなんてことをしてくれたのだと苛烈に嘆いてしまった先日の八つ当たりを謝らなければならない。
クリュセの安全を守る監視カメラのデータは膨大で、地下サーバールームをダンテのみに切り盛りさせるのはクーデリアがかかげる
それにダンテはああいった、感覚で理解してしまうおおざっぱな男だから教育係には向かない。
デルマが自主的に学んでくれたことは意外だったが、発想としては実に理想的だった。技術をその手に宿すには、やはり意欲の有無が明暗を分けるものだから。
そんなデルマに、戦う力を求めるように誘導したのは、おれだ。――義手の設計者としてヤマギは折りに触れて自責に沈んだ。
思い起こすのは、かつてヤマギがその手で慈しんだ流星号たちだ。
例の義手は
MSと取り回しのよく似た義手を作って与えたことで、デルマの行動を誘導したかもしれないという、懸念は常につきまとっていた。
戦場の記憶を片腕に宿させた罪悪感が、ヤマギの声を重くする。
『おれは戦えないし、戦うみんながひとりでも多く生き残れるように手を尽くすのがおれたち整備士の仕事でしょ』
今でこそカッサパファクトリーのチーフメカニックの肩書きを持つヤマギだが、はじめから整備に興味があったわけではなかった。
CGSに就職したころ、まだ銃を持てないほど幼かったヤマギは大人たちから女のようだと揶揄され、下世話な興味の標的にされていた。そんなときノルバ・シノが目ざとく気づいてくれて、整備班への異動を打診してくれたのだ。さいわいヤマギは文字が読めた。計算ができた。レンチは銃よりも小さな手に馴染んだ。整備を担うようになったきっかけは、たったそれだけだ。
鉄華団が発足して、取り急ぎMSの知識が必要になった。死なないために情報が必要だった。
恩人であるシノがMSに乗ると言いだし、ヤマギは持てる知識と頭脳を総動員して、おれが守らなければと奮起した。
読める資料は全部読んだし、歳星でありったけのデータをコピーして、寝食を忘れて読みふけった。どうか生きて戻ってきてくれと願うための力が、ヤマギには必要だったからだ。
四代目流星号ことガンダムフラウロスはギャラルホルンに
ギャラルホルンの本部でもある巨大人工島は地球圏外からのアクセスが断絶され、火星からでは地球のどのあたりに浮いているのかもわからない。
三日月がバルバトスで乗り込んだこともあったが、あれはマクギリスの手配で連れて行かれたようなものだし、当時の座標データも消失してしまった。ガンダムたちは実質上の行方不明だ。
MSは一機も手元には残っていない。何を捨ててでも生き残るのだと決断し、最低限の荷物だけを抱えてトンネルを抜けた日、雷電号も、ランドマン・ロディも獅電もすべて、基地とともに散った。
残ったのは記憶と後悔と、手に宿した技術だけだった。
クーデリアの意向で団員たちの多くは学校に入れられたが、誰も彼もがヒルメのように将来を見据えて勉強に打ち込めているわけではない。医者になりたいと語ったヒルメだって、原動力は死んでいった仲間たちへの哀惜だろう。
犠牲を背負う方法を自分なりに見つけ出して、前に進むしかない。頭ではみんなわかっている。折り合いをつけられた者から少しずつ、何らかの光に向かって歩きだしている。
そんな中で希望の光を戦いの中に見出してしまう団員の存在に、ヤマギどこかで期待していたのかもしれない。
ただ予想外だったのは、ライドがあの日の記憶に囚われてなどいなかったことだ。
止まらずに進み続けろという団長命令を果たすために、この五年の間、一度も立ち止まることなく未来を見据えて、息を潜めていたのだろう。政治的アプローチを視野に入れ、家族にネガティブな影響がないように、ライドは考えていた。
どれほど孤独だったろう。仲間一人ひとりと会って話をしてみても、ライドが行動を起こした経緯を誰も知らない。
察していたという声ならちらほら聞かれたが、それもヤマギが抱いていた漠然とした不安と同質のものだ。いつか誰かが動き出すなら旗頭になるのはきっとライドだろうと、予感していたのはヤマギだけではなかった。
だからデルマもまた目ざとくライドの動向をかぎつけて、いちかばちかと走り出した。
……そんなデルマに、MSを想起させる義手を与え、神経接続すればもっと強くなれるとそそのかした。
嘆息して、昼間は縛り上げていた金髪をざっくりとかきあげて乱す。手持ち無沙汰な指先がマグカップにたどりついたのでコーヒーをぐいと飲み干した。
『……アルコールでも用意したほうがよかったかな』
義肢とは欠損者を肉体的に補うだけでなく、精神的に補助するためにもある。失ってしまった隙間を埋めるために装着者が求めるものは、たとえば自慢の俊足であったり、きめ細やかな肌であったり、あるいは器用な指先であったりする。
戦うことを諦めきれない鉄華団の残党たちに知れれば、彼らは何を思うだろう。
機械の補助による肉体強化にリスクがともなわないことを、図らずも証明してしまったのだ。健康な手足をみずから損なおうとする仲間が出ないとも限らない。安全に阿頼耶識の端子を増やせる方法があると知れば、誰かが三日月の背中を追ってしまう。
地球圏でもギャラルホルンによる情報操作の夢から目覚めた地域では義肢の需要が高まっているらしく、タカキから輸入の話を持ちかけられている。アーブラウにはテイワズの鉄道があるから流通ラインが確立できれば火星にも木星にも経済的貢献ができる。
だが高性能な義肢は、たやすく倫理を崩壊させうる。喪失を埋めるために役立てばいいが、技術の結晶であればこそ値段も張るし、金持ちほど手が出しやすいシロモノだ。
義肢に挿げ替えれば力が手に入る、それなら生身の四肢なんて捨ててしまえば――と、きっと誰かが考えるだろう。
誰かの助けになればと作った機械の手足が、誰かの手足を切り落とさせる理由となってしまうかもしれない。設計者としては慎重な姿勢を保ち続ける必要があった。
厄祭戦終結後に阿頼耶識システムがロスト・テクノロジーとなったのも、こうした背景があったのかもしれない。MSと一体化してまで強い力を求める仲間に、どうか肉体を損なうような真似はやめてくれと願い、つなぎとめるために禁じられた手術なのだとしたら。
その解釈はひどく、ヤマギの心にしっくりと馴染む。
「あたしもお酒ほしいかも」とエーコが同意した。
愛用のコスメの中からペンタイプのマニキュアをとりあげ、指先でもてあそぶ。
ガルム・ロディにつながれたデルマの横顔を思い起こして、もしもラフタと昭弘との間に子供があったらあんなふうに育つのだろうかと、ありもしないことを夢想する。
ラフタなら、昭弘なら、ふたりの背中を見て人間らしく成長したデルマを、よくやったと褒めてやるのだろうか。もしそうなら、……もしそうなら。
『火星についたら飲みにいきましょう』
「ヤマギくんのおごりで?」
『払わせてくれるならありがたく』
苦い顔のヤマギは、まるで自傷のように微笑した。
戦わなくても生きていけるはずの弟分に力を手渡すという汚れ役を託したのだ。飲み代くらいで支払える対価ではない。一生かかっても払いきれない額と知った上での狼藉だ。
すべてを承知で片棒を担いでいるエーコは、同罪の戦友をなじる。
「……誰に似たんだか」
強くあろうとする子供たちを戦場に送り出す技術より、もう大丈夫だと抱きしめて、守り抜ける力があれば。
こんな思いはしないで済んだのにと、苦い諦観を共有している。
リミッターの解放によって感覚機能は研ぎすまされて、両目の視野が裂けるように広がっていく。スピアを振り抜けば面白いくらいの勢いでレギンレイズが吹っ飛んでいく。ライドの口角は愉悦につり上がり、双眸は見開かれたまま、赤々と輝いた。口腔内に鉄錆の味が広がる。
脳髄を焼かれる感覚に、不思議と痛みはともなわなかった。
アリアンロッド艦隊のレギンレイズ隊が宙域から引き上げようとするのを追いかけて、突き刺す。潰す。薙ぎ払って、打ち据える。片腕だって戦えるじゃないかと、まだ息のあるコクピットを蹴り飛ばす。
ダインスレイヴの直撃を食らってエリゴルの左腕は吹っ飛び、衝撃によって生身の腕も折れてしまっているかもしれない。だが、邪魔な鎖を外したせいか、痛覚はどこか遠かった。
これならはじめて雷電号に接続したときのほうが痛かったくらいだ。ヤマギの眼前で苦痛にうめくのは格好悪くて我慢していたら、セッティングに反映させるからフィードバックを口頭でよこせと、叱られたのだっけ――。
不意に背中をぶん殴られてライドの意識はそのまま遠のき、デルマの控えめな罵声を最後に、戦いの記憶はふつりと途絶えた。
赤く濡れたまつげが降りる。
ダインスレイヴ隊と互角に渡り合えた。
その事実がライドに暗いよろこびをもたらしていた。
何のために戦っていたのかと問われれば、生きるためだ。
鉄華団が発足したのは生き残るためだった。
八年前、まだCGS参番組だったころライドたちはギャラルホルンの襲撃に遭った。アーブラウ領クリュセ自治区の首相ノーマン・バーンスタイン氏が、実の娘であるクーデリアを『危険分子』としてギャラルホルン火星支部に売り渡したためだと、あとで知った。
革命の乙女の演説を受けて当時のクリュセでは独立の機運が高まっていた。火星だけではない、各植民地で労働力たちが今の待遇を
ノアキスの七月会議。
各独立運動の発端となった、
登壇したクーデリア・藍那・バーンスタインもまた、思想家アリウム・ギョウジャンの差し金で搾取される、力なき子供のひとりだった。
だってそうだろう、わずか六歳の少女に一体どんな力がある? 大人たちに吹き込まれた言葉を、いとけなくも聡明な頭脳で必死に噛み砕き、社会的弱者を救わなければと彼女は声を張ったのだ。
著名な革命運動家を招くには金がかかるが、善意で戦おうとする令嬢をけしかければ懐は痛まない。
大人たちの恣意に囲まれても、クーデリアは自身の正義感に突き動かされ
クーデリアの純粋な志を利用して、死の商人たちは暗躍した。
働くためだけに生かされている植民地の民は、まともな教育を受けていない。独立のために何をすればいいのか何も知らないのだ。しあわせになる方法すら知らない無辜の民に、ノブリス・ゴルドンは武器を卸した。クーデリアの言葉と偽って蜂起をうながせば、これで自由を手に入れてやろうと労働者たちは奮起し、よりよい明日を求めて武器を取った。
争いを呼べば、ギャラルホルンが動く。圏外圏の治安維持部隊といえばアリアンロッドだ。強大な軍事力によっておろかな叛逆者たちが粛正されれば、労働者たちは大人しくなる。
しかし学のない彼らは世代が変わるたびに息を吹き返し、繰り返し立ち上がっては、見せしめのようにすりつぶされた。
鉄華団もまた、そんな歴史の一ページにすぎなかった。
世界は鉄華団を風化させようとしている。忘れられることで、ふたたび第二第三の【革命の乙女】が現れる。また誰かが武装蜂起して、そして粛正されるのだろう。
そうなる前にギャラルホルンの鼻を明かしてやらなければと考えたのは、ライドだけではなかった。
ある風の強い日のことだった。ライドは、あのうさんくさいトド・ミルコネンに仲介されてモンターク邸に招かれた。
何とも凝った建築様式のくせに邸宅の中はひどく殺風景で、調度品を売り払ったかのようにがらんとしているのに、運び出した痕跡すらない。
カーテンが火星の強い日射しを上品に変換させる応接室に通され、対面した夫人は小柄な少女だった。見たところエンビやトロウたちと同世代だろう。だが膝に抱かれた仮面はライドにも見覚えのあるもので、添えられた古い絹の手袋に血液が凝固しているさまに、彼女の狂気を垣間見る。
少女は幼さの抜けきらない面差しに似つかわしくない落ち着きをもって、モンターク商会の代表だと名乗った。
悪逆の謀反人マクギリス・ファリドの妻であり、悲運の英雄ガエリオ・ボードウィンの妹。
アルミリア・ファリド。
難しい立場だろうに夫の足跡をたどって火星に留学してきた彼女はマクギリスの遺志を継ぎたいという。
兄貴のことはいいのかとライドが問えば、青く澄んだひとみを伏せて、ゆるく首を振ってみせた。カチューシャを飾る黒いベールが揺れ、真珠の耳飾りは涙のように光を乗せる。絵画のような少女は、絞り出すように独白した。
「お兄様のことももちろん心配だけれど……でも、お兄様は、生きているわ」
苦しそうに眉根を寄せ、笑うに笑えないのだろう現状に、それでも淡く微笑んだ。
セブンスターズに望まれる『良い子』であれば、アルミリアは夫ではなく兄を案じたのだろうと。そうすれば幼いアルミリアは騙されていただけだと大人たちが安心する。ねじ曲げられた報道の通り、ボードウィン家を乗っ取ろうとしたマクギリスが愛のない政略結婚を強いたことになる。
しかしノアキスの七月会議に登壇したクーデリア・藍那・バーンスタインの演説を聞いて、彼女が『大人に騙され、いいように使われたお人形』だなんて誰も言わなかった。それどころかクーデリアは火星独立運動の旗頭となり、ついには危険分子として暗殺のターゲットとなった。
暗殺計画当時のクーデリアは十六歳。アルミリアだって、あといくばくかで十七歳になる。もう他者に都合のいい子供のままいる必要はないはずだ。
アルミリアが鉄華団残党をあてにする理由は、それで充分だった。
亡き夫の戦友であり、革命の乙女を地球へ送り届けた騎士たちになら、ガンダムフレーム・エリゴルを託せる。
ガンダムフレームを一機、小型船を一機、他に必要なものがあれば手配するから、だから、人が人らしく生きられる世界がほしい。誰に反対されることもなく愛するひとを愛せる世界がほしい。夫・マクギリスを殺した
裕福な姫君らしく彼女の言葉は強欲で、しかし好もしくライドの胸を打った。
そんなアルミリアとライドはひとつの約束をした。
ヒューマンデブリ廃止条約を受けてギャラルホルンは軍備を増強し、ラスタル・エリオンは今に阿頼耶識システムを根絶するだろう。
鉄華団の少年兵たちが立ち上がれた力が世界から消えてしまう前に、最後の
とある座標めがけてダインスレイヴを撃たせるという約束だ。
圏外圏から地球外縁までアリアンロッドをおびき出し、直接戦うことになる。あまりにも危険な賭けだが、いつか必ず一矢報いてやりたいと考えていたライドと、代わりに抗ってほしいアルミリアの利害は一致する。
交渉はすんなりと成立した。そしてモンターク邸を後にしようするライドの背中を、アルミリアはつたなく呼びかけた。鈴の鳴るような声が不安げに、揺れて。
「あっ あの、……握手を。握手を、してもいい?」
「……は?」
「戦う手がどんなものなのかを、わたしは、忘れてはいけないから」
きゅっと両手を祈るように握りしめ、戦うための力を宿せなかった手のひらを開く。黒いレースの手袋を自然なしぐさで取り去って、アルミリアは繊細な指先をさらした。
夫も兄も、友人もみな軍人であったのに、彼ら彼女らが赴く任務とは何か、アルミリアは何も知らずにいた。
世界の平和を守るためのお仕事だなんてこぎれいな言葉には、もうごまかされない。戦うことは、大切な何かを失うことだ。
「その手に、わたしは愛するひとの悲願を託すのです」
ライドを見据える双眸は凛と強く、クライアントとしての意思を感じさせる。
お互い、これから力を貸し与えあう。等価交換だ。
「……ご利用、ありがとうございます」
差し出された白魚の手をとり、握る。かわした誓いは不思議と対等なものになった。
そしてライドは動き出した。約束の日に向かって。
光を、目指して。
――ふ、と意識が浮上する。長い長い夢を見ていたような心地だった。血液で凝固したまつげをしばたたかせれば、ここがエリゴルのコクピットであると自覚できた。
ヘルメットはない。口内はまだ鉄錆の味がするが、頰で乾いていた血液はおおかた拭き取られている。
「気がついたか!?」
ぐったりと四肢を投げ出すライドを、エンビがのぞき込んでいるらしい。
補給要員として格納庫で待機していたのだろうか。絞ったタオルを手にしているのを見るに、眠っている間に血を拭ってくれていたのだろう。視線をあげればぼやけた視界もいくぶんクリアになった。
エンビ、と呼びかけようとした気配を察したらしい。疲れた表情がわずかにほころぶ。
「ここはもう地球だ。戦いは終わったよ。怪我の手当てはデルマがしてくれた。なあ、気分はどうだ? 水は? 飲めるか?」
「 トロ ウ、は…………」
ひゅっと息を詰めたエンビは、くちびるを噛んで目を伏せてしまった。
「……ライドの目が覚めたらエドモントン行きの鉄道に乗り換える手筈になってる。三機のガルム・ロディはテイワズ経由で売却できた」
予定通りだ、と、痛ましげにエンビは声をふるわせる。
大気圏突入の予定時刻を前倒したおかげで時間的にはいくらか余裕があるくらいだった。交代で付き添いながらライドの意識回復を待っていられたのは、トロウが作ってくれた時間のおかげだ。
最後の戦いを見据えてエリゴルは持っていかなければならないが、ライドの意識さえ戻れば、機体を運び出して貨物コンテナに移動させ、十二時間ほど鉄道に揺られればエドモントンに到着する。
「とりあえず阿頼耶識の接続、切るな」とことわって、エンビは言葉少なに端末を操作した。
すると、やっと鮮明さを取り戻したライドの視界が、どくりと揺らいだ。
背中の端子からつながっていたエリゴルの気配が遠くなると同時に、ライドを不可思議な感覚が襲う。エメラルドグリーンの光が濁る。こみあげるのは嘔吐感に似ていて、違う。頭痛とも違う。
何がどうなっているのかとうつむき、触れて確かめようとすればギプスで固定されていた左腕が突っ張った。
「……ライド?」
コクピットから出てこようとしないライドを訝る声が降ってくる。エンビの声はたちまち焦りを帯びて大きくなった。
「ライドっ? ライド!!」
「う そ、だろ……」
狼狽するエンビの声は、近くで聞こえるのにどこか遠い。細く息を吐く。変わらず鉄錆の味がする。鼻血が乾いた痕と、自分で流した血のにおい。凝固した血の塊が付着したまつげはそのまま、まばたきを繰り返す挙動に違和はない。
なのに目を開けても、閉じても、とらえる景色が変わらない。
顔をあげて、やっとライドは自分自身に何が起こったのかを察した。……覚悟はしていたことだ。だが、現実そうなると、受け止めるのは難しい。
エンビがいるのだろう暗闇をふりあおぐ。事実を報告するくちびるが、不自然にひきつった。
「――目が、」
見えない。
【次回予告】
二代目雷電号、おれは会わせてもらえないのかな。初代雷電号と違ってガンダムフレームだから、ライドもきっと無茶してるんだろうな。エンビとトロウが怪我してないかって、ヒルメは毎日心配してる。
……ふがいないな。おれはまた、待ってるだけしかできないんだ……。
次回、機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ雷光。第九話『悪魔』。