鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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タービンズの女たちに送り出され『約束の日』に向かって動き出すライドたち。一方、エリゴル一機に撤退を強いられたグウィディオン艦隊は雪辱を誓う。

(※今回以降、原作キャラからも犠牲が出ます。ご了承いただける方のみご覧ください)


第二部: ダインスレイヴ攻略戦線
#57 いつわりの夢


 ずいぶん甘いことだ。敗走させられた部下が哀れだな。地球外縁軌道統制統合艦隊は革命の煽りを食って、他に行き場もないというのに。あんな温室育ちのお坊ちゃんを指揮官につけるなど、エリオン公はあてつけのつもりだろう。我々は見せしめのために生かされたのだ。火星支部(アーレス)もひどいありさまだというが、ここも墓場に違いない。

 まったく、なにがグウィディオン艦隊だ。笑わせる。

 

(……わたしは、ただ……)

 

 呆れてものも言えないとばかりの嘲笑が、とぼとぼと廊下をさまようヒレルに道を開ける。指揮官にだけ許された高潔なロングコートの裾が重い。ハーフビーク級戦艦の廊下は悪夢のように長く、私室までの道のりに終わりはまだ見えない。

 ガンダムと遭遇し、七機ものグレイズを失って撤退してきたヒレルを待っていたのは、予想もしない現実だった。

 

 ここは出世街道を断たれた亡者たちの墓場であり、ヒレル・ファルク三佐もそのひとりなのだという。

 

 かつて地球外縁軌道統制統合艦隊は、謀反人マクギリス・ファリドの指揮下にあった。しかし彼らは司令官の反乱に振り回されただけで、革命の徒ではなかった。慈悲深いエリオン公は戦後の戦力低下を懸念し、ギャラルホルンの未来のために地球外縁軌道統制統合艦隊には攻撃をなさらなかった――と、ヒレルは聞いていた。

 カルタ・イシュー、マクギリス・ファリドといった腐敗の象徴が受け継いできた地球外縁軌道統制統合艦隊はラスタル・エリオン総帥のもとに解体され、統制局を離れて地球外縁軌道統合艦隊グウィディオンとして生まれ変わった。

 ヒレル・ファルク三佐は過去の汚染を除き、因縁を断ち切るために司令官となった。そのはずだった。いつか凛々しき女騎士ジュリエッタの右腕となりたくて、決意を胸に戦場へと赴いた。

 そのはずだ。

 それがグウィディオン艦隊の兵士たちはみな異動も転属も許されず、始末書ひとつ書いたことのない子供を司令に寄越された被害者だというではないか。

 

(話が違う……っ!)

 

 ヒレルはうつむいて、あまりの悔しさにくちびるを噛む。

 部屋に駆け込みたい衝動をどうにか抑え、落ち着きはらった歩調を保つ。ファルク家当主の甥として不相応な醜態をさらすわけにはいかぬという、なけなしの矜持である。

 マクギリス・ファリド事件当時十一歳だったヒレルは、これまでも戦争を知らない世代と軽んじられることが少なくなかった。

 しかし、だからこそエリオン公に仕事を任せていただけたと舞い上がっていたのも事実だ。ジュリエッタを追いかけることを公式に許されたのだと勘違いして、……認めるのは業腹だがヒレルは調子に乗っていた。

 艦隊を預けられたことが誇らしかった。夢にまで見たロングコートをまとえば心躍った。法と秩序の番人たるギャラルホルンのエリートだけがまとう特別な軍服だ。嬉しくないわけがない。昇進したヒレルの頭の中はそんな子供じみた高揚でいっぱいだった。

 だから、気付けなかった。

 海賊狩りをさせられるのに配備されたMS(モビルスーツ)がグレイズのみとはどういう了見だと、廊下のどこかで聞こえよがしに誰かが嘆く。その通りだとヒレルも今さらながら同意する。アリアンロッドには主力MSとして数百機ものレギンレイズがロールアウトしているのに、グウィディオンに配備されたのはヒレルが乗機とするレギンレイズリッターたったの一機。冷静に考えれば不自然だった。

 機動力こそ通常のレギンレイズと同等ながら、レギンレイズリッターは式典など晴れの日を飾るシンボリックな機体なのだ。戦力と見なされていなかったことは明らかだろう。

 前線に出てくる少年兵はみな阿頼耶識システムという旧時代のマン・マシーン・インタフェースを用いて縦横無尽に動き回り、死を恐れることなく向かってくる。鈍器じみた機体で突撃してくるマン・ロディやガルム・ロディを相手に戦うならばグレイズが適切であるとは到底思えない。

 思い起こせば背筋がゾッと冷たくなる。ガンダムを前にして、グレイズだけで海賊討伐作戦は完遂し得ないとはっきりと自覚させられた。

 ガンダムフレーム・エリゴルという厄祭戦の中でロストしたままの機体らしいが、三百年前の骨董品だなんて信じられないほどに、その力は圧倒的だった。

 生身のように柔軟な駆動。歴戦の戦士を彷彿とさせる槍さばき。それから稲妻のごとく飛翔する一対のビット兵器。二倍の戦力でもって叩けという教本通りに陣を敷いたはずなのに、迎撃に出てきたガンダム一機に、ヒレルたちは撤退を余儀なくされた。

 帰投できたのはたったの四機だ。七名もの部下を失った。生き残った三名には、ひどく冷たい目を向けられてしまった。

 戦場では多数の命が失われるものだという。それが当たり前だと、みんな言う。

 それでもヒレルは心底より部下全員の生還を願い、犠牲を強いてしまった自身の采配を悔いている。なのに、これ以上の命を奪われるわけにはいかないという正義感のもと決断したヒレルは、ここでは異端だ。

 名誉を挽回する猶予など与えられないのだから死んだほうがましだ、なんて、言わせたくはなかった。

 だって、ギャラルホルンは民主的な組織になったはずだ。出自を問わず出世が叶うようになった。失われた命は戻らなくとも、生きていればやり直せる。そうだろう……?

 ……いや、違うのだ。

 手のひらで口元を覆う。吐き気がぶり返しそうになって脚がもつれる。思わず壁によりかかれば窓にうつる自分自身と目が合って、ヒレルはどうしようもなくなって目を逸らした。

 銃殺されたヒューマンデブリの子供たちを追想すれば、考えるまでもない。

 

 やはり出自がすべてを決定していた。

 

 ヒューマンデブリとは保護者に捨てられ、あるいは売られ、非合法な手術を麻酔もなしで受けさせられた急ごしらえの少年兵だという。体内に異物を埋め込むだけでも生理的嫌悪感がこみあげるのに、彼らは衛生環境もまともにない、病院ですらない手術台に押さえつけられて金属芯を背骨に突き立てられるらしいのだ。

 教育によって育成されたパイロットではなく、禁忌の力でMSにつながれる奴隷たち。彼らは命じられるまま道具のように人を殺め、加害者となってギャラルホルンの裁きを待つ。

 恵まれない子供たちは二度と人間には戻れない。そして世界の秩序によって淘汰されていく。自らの境遇を呪って、いつか殺される日までただ生きるしかない――、そのさまがグウィディオンの現状に重なって、涙がにじんだ。

 ここは墓場なのだと部下たちは口を揃える。民主化されたギャラルホルンでは出自も経歴も関係なく実力によって上を目指せるものと、ヒレルは信じていたのに。

 ファルク家は慣習通りにエレク・ファルク公の長男が継ぐ。直系の子供ではなく、当主の()でしかないヒレルに相続権などめぐってこない。嫡男であれば許されることがヒレルには許されない。セブンスターズの合議制が廃止され、ギャラルホルン内での権力が弱まれば血統だとか後継だとか、そうしたしがらみによる出世はなくなっていくと思っていた。思いたかった。

 生まれに恵まれぬくせに野心など持ってしまった愚か者は、成功など望まず、ここで死ぬまで使い尽くされていろとエリオン公は命じられたのだろうか。

 もしそうなら、この世界そのものがヒレルの敵だったということではないか。

 

(わたしはただ、ギャラルホルンの騎士になりたかっただけなのに……)

 

 窓の向こうは黒く、ごつごつとした岩が無数に浮いている。地球で見上げた満天の星はどこにもない。理想と現実のギャップが、ただ厳然としてそこにある。

 

 

 

 

 

 

 強襲装甲艦スティングレーを見送って、小型船シラヌイは旧タービンズの航路で地球へと向かう道中である。モンターク商会から指定されたポイントを経由して二十四時間後にも大気圏に突入する見通しだ。

 降下予定地はアーブラウ西海岸、バンクーバー。

 そこからテイワズの鉄道でエドモントンへ向かう手筈になっている。

 SAUとの国境にほど近く、五年前の悲劇を風化させないためにと両正規軍による合同軍事演習も行なわれている件の地は、地球圏では最もギャラルホルンの軍事干渉を受けにくい土地と呼べるだろう。火星ハーフメタルの流通、正規軍の武器弾薬などの輸送を主とするラインを使えばMSを運んでいても怪しまれず済む。

 万が一ギャラルホルンに見つかったとしても、厄祭戦時代の骨董品を採掘したから売却しに来たとでも言えば商売の邪魔をした兵士を経済圏のルールで撥ね付けてしまえる。

 アーブラウとの癒着がどうのと糾弾されても世論のほうが「お前が言うな」と返してくれるのは大きな強みだ。

 

「で、どうするよ?」

 

 こいつ。――と、デルマは疲れた顔で嘆息した。

 その両手に吊るされた白いノーマルスーツの裾がだぶつく。宇宙人でも捕獲してきたみたいな格好である。ぶすくれているエヴァンは先日までに比べればずいぶん大人しく、暴れようとも逃れようともしないのがさいわいといえばさいわいか。

 火星行きのコンテナからこっそり抜け出していたらしく、船内に潜んでいたところをデルマが見つけて引っ捕まえてきた。

 シラヌイのブリッジにはクルーが全員集合し、ベンチではライドが仮眠中だ。向かい側ではトロウが難しい顔で腕を組んでいる。

 通信・索敵管制席で食事中のエンビは苦笑いだが、背中合わせのイーサンが露骨に嫌な顔をした。

 

「地球についたら孤児院探して、どっかに預けるしかないだろ……それまではおれらも面倒見てやるよ」

 

「エドモントンにはタカキもいるしね。きっと力になってくれる」

 

 イーサンの厳しい糾弾に、操艦席のウタが仕方なさそうに眦を下げた。

 ここからはテイワズ管轄の航路を使って地球へと降り、アーブラウの南西に位置するグレートプレーンズを目指すことになっている。道中で孤児院も見つかるだろう。

 

「つうか食糧足りんのか? モンターク商会が指定してきた座標までも結構あるし、バンクーバーからエドモントンまで鉄道で十時間はかかるんだぜ」

 

 作り置きのタッパーは乗組員の人数に配慮されているので、足りないといえば足りないのだが、余裕がないわけでもない。モンターク商会の輸送船から補給用の物資、水、食糧も充分な数を積み込んでいる。

 レーションのパッケージに書き込んだ日付が合わなくなることがイーサンの気に障ったのだろうと察して、エンビは雑に折り畳んだケサディーヤを口に押し込んだ。タービンズの女たちが作ってくれた、本物の鶏肉入りである。もぐもぐと咀嚼して、ソースに汚れた指先をぺろりと舐める。

 

「ガキひとり増えたくらい変わんないだろ?」

 

 なあ、とエンビに同意を求められ、一周してきた話題にデルマは何とも微妙な顔をして、口角をひきつらせた。

 どう言うべきかと逡巡し、両手で吊るしていた子供の足をフロアにおろすと靴底が軽い音を立てて接地する。

 

「……それが、こいつ。ひょろひょろだけどガリガリじゃねえんだよ」

 

 健康体には遠くとも、アバラが浮くほど痛ましい痩せ方はしていない。宇宙での生活が長くなれば誰でもこうなるだろう痩躯だ。

 デルマたちが鉄華団に迎え入れられたころは栄養失調と発育不良で鶏ガラのように痩せていたことを覚えていたらしいエンビとトロウが目をまたたかせた。

 ヒューマンデブリにとって、一生に一着しかないノーマルスーツが着られなくなったら()()確定なのだとかつてのデルマは信じていた。ブルワーズではそうだった。足元でだぶついている裾がピンと伸びてしまえば最後、仲間の誰かが船外投棄を命令される。成長したやつはノーマルスーツを剥がれて宇宙のゴミになったし、どうしても腹が減って屍肉に手を伸ばしてしまったやつも遅かれ早かれ死んでしまった。賞味期限切れのレーションバー一本きりの食事に文句が出なかったのはそういうことだ。

 くすんだ濃紺のタンクトップから突き出る手足は確かに細いが、エンビが差し出したスープを遠慮なく飲み干すなど、……なんというか、エヴァンには悲壮感のようなものがない。

 

「見たところ痣もねえし」

 

「めくんな!」

 

 ぎゃんと甲高く子供は吠え、短い足をばたつかせる。

「道理で甘ったれてると思ったんだよ……」と弱り切ったため息を落とすデルマは、何とも頭痛が痛いような心地だ。

 鮮やかなグリーンの双眸はアストンを想起させたし、ぼさぼさの黒髪は昌弘を思い出す。直情傾向はビトーのようだと感じた。消えかかっていた記憶が全身をめぐり、おかげでガルム・ロディを自在に操ることができた。

 だがエヴァンくらいの子供だったころ、ブルワーズの戦友たちはもっとささくれていた。任務内容を振り返れば無理もなかったと今になって思う。

 MS隊が鈍器のようなマン・ロディで暗礁を駆け抜け旗艦を落とせば、次は突撃部隊が爆弾を巻き付けて飛び込んでいく。自爆によって開かれた道に駆け込む白兵戦部隊は銃撃戦の中で死んでいく。戦闘後処理の中で仲間の残骸にも出会い、まだうめき声をあげていようと袋に詰めてファスナーを閉じて死体置き場まで引きずるしかない――、そんな環境で育ったデルマは、少なくともエヴァンほど生意気ではなかった。

 

「おれもコレ着てたんだよ、お前くらいのころ」

 

 忌々しくも懐かしい、ヒューマンデブリ共通の仕着せをつつく。

 裾の余ったノーマルスーツも、濃紺のタンクトップもデルマには馴染み深い。肩を脱ぎ落として腰元で袖をくくりつける着こなしも、誰にならうでもなくそうしていた。艦内は一定の温度に保たれていたし、中でもMSのそばは年中温暖であったから体温調節のためにみんなそうする。

 

「……あんたもデブリなのか?」

 

「元、な。今は違う」

 

「なんだよそれ。デブリはデブリだろ? 違うものになんかなれない」

 

「それは――」

 

 デルマの言葉を遮るように、すっと手で制したのはエンビだった。人差し指をくちびるにあてる。静かに、と示すジェスチャーに、エヴァンはむぐっと自身の両手で口を覆った。

 首にかけていたヘッドセットを耳にあて、聞き入るために伏せられたひとみに緊張の色がうつる。

 

「……艦隊規模のエイハブ・ウェーブだ」

 

 エンビの眼光が鋭くブリッジクルーへ投げ寄越され、手の早いウタがすぐさまパネルを叩いた。

「敵襲か、」とトロウが腰を浮かす。ときを同じくして眠っていたライドのひとみも開かれ、無意識がかたわらのヘルメットをつかみとる。

 

「出ました! この固有周波数、この前の地球外縁軌道統合艦隊(やつら)だ」

 

 報告のときだけイサリビ乗艦時の口調に戻るウタが「メインモニタに出します」と続けた。

 ハーフビーク級戦艦三隻が接近しているようだ。肉眼ではまだ目視できない距離で、……これだけ遠ければMSの発進までは時間がある。戦闘のために出てくるのに、移動に推進剤を使い果たす馬鹿はいない。

 

「エリゴルで待機する」

 

「おれも出る」

 

「頼んだぞ、ライド! トロウ!」

 

 ひとつうなずいたライドがブリッジを飛び出し、トロウが続いた。

 艦内重力が解かれた廊下へとふたりを送り出したイーサンは、手元のコンソールを睨んで拳を握る。

 ウタが戦闘開始時刻を計算しているが、敵機の数は計り知れない。今度はグレイズ十機どころではないだろう。あらかじめノーマルスーツを着用していたおかげで大気圏突入直前に焦ることはないにしても、予定ポイント到達までギャラルホルンの艦隊と追いかけっことなると盤石ではない。

 

「エンビはどうする?」

 

 振り向いてから、いやとイーサンは首を振った。パイロットスーツ姿のエンビに、もはや問うまでもないだろう。かるく肩をすくめると「行ってこい」と握った拳を突き出した。

「ああ」とエンビが応じる。

 拳をぶつければ無重力が反動でエンビを送り出した。ブリッジの扉をつかむと壁を蹴って廊下に消える。

 それに続こうとしたデルマの裾が、くんと突っ張った。

 

「おれもいく!」

 

「おまえ……」

 

「ヒューマンデブリは、戦うのが仕事だっ!」

 

 パネルに向き直るはずだったイーサンの双眸がまたたく。

 しかしデルマは想定済みだとばかりに嘆息して、低い頭に手のひらを置いた。

 

「お前はもうデブリじゃない。おれたちの命はもう鉄くず以下のゴミじゃないんだ」

 

「ちがう、おれはデブリだ! 宇宙で戦って、散るっ!!」

 

 返す言葉を見失ってデルマはおおきく目をみはる。その脳裏に、鮮明に蘇る声があった。

 

 

 ――ヒューマンデブリ。宇宙で生まれて、宇宙で散ることを恐れない、誇り高き選ばれたやつらだ。

 

 

 思い出す。古い記憶が全身をめぐる。使い捨ての命として戦場を生きてきた同胞の心を、あの言葉が救ってくれた。

 ゴミ同然に虐げられてきたヒューマンデブリたちは消耗品としてのみ生きることを許され、戦って戦って死ぬのが仕事だった。それ以外の生き方なんてできない、おれたちはデブリだと諦めきっていた心を、オルガ・イツカはたった一言で掬い上げてみせた。

 可哀想にと上から憐れむこともなく、保護してやると恩を着せることもしなかった。新しい家族として迎え入れ、食事を寝床を分け与えてくれた。

 お前はデブリじゃないんだと言われたって、すぐには受け入れられない。どうすればいいかわからなくなるだけだ。

 人間ではなくゴミであるという自意識のもとでさえ、これまでの人生を否定されれば警戒する。どんな過酷な環境であれ、自身が生きてきた唯一の日常を軽んじられれば、死んでいった仲間を馬鹿にされたくない心が衝動的に突っぱねてしまう。デルマにも覚えのある感覚だった。

 

「おれにも命令をくれよ! おれを役立たずにしないでくれよぉ……!」

 

 すぐに泣きが入るエヴァンは良くも悪くも子供らしく、足手まといのように思える。それでもヒューマンデブリとしての生き方を全身で覚えている。

 生きることは戦うことだった。戦わないことは、呼吸をやめることだった。もう戦わなくていいと諭す言葉は『お前はもう生きていなくていい』という自殺教唆と同じに響く。

 

 ヒューマンデブリ。

 

 人間としては一度殺され、宇宙にふたたび生み落とされて、ゴミのように死んでいく。――自虐に等しかった精神を、鉄華団は前向きに捉えてくれた。

 命ひとつしか持たないヒューマンデブリがその魂に宿した戦闘技術を評価し、仲間のために戦うという仕事をくれた。そこはもう海賊に選ばされた戦場ではない。恩人が選んだ、仲間の未来につながる戦場だ。敵を殺すためではなく、家族を生かすために戦う。

 生きて団長命令を果たせとデルマを送り出した兄の大きな背中も、オルガ・イツカの言葉があったからこそだ。でなくばデルマは最後の戦場でともに散ることを選んでしまっていただろう。

 段階的な救済が、デルマをここまで成長させた。

 ここで幼い戦士にかけてやれる言葉は何か、今のデルマは知っている。

 

「……よく言った」

 

 ぱあっと涙目が明るくなる。鮮やかなグリーンが輝くさまを見たのははじめてだ。

 

「けど、必ず生き残れよ。それが鉄華団のルールだからな」

 

「うんっ――うん!」

 

 背中を押してやれば宇宙育ちの身軽さで壁を蹴って、ガルム・ロディの格納庫へと一直線に無重力の廊下を駆ける。はしゃぐ足取りを一歩遅れて追いかけながら、デルマはふうと苦笑した。

 シラヌイの両舷に位置するMSハンガーにそれぞれ二機ずつ積載されたガルム・ロディが踏み出す。ハッチが開く。エアロックから飛び降りるように出撃する構造だ。

 ブリッジからの通信がヘルメットの内部スピーカーに届いた。

 

『ハーフビーク級よりグレイズ二十機の発進を確認しました。接敵まで約十二分』

 

『ライドは先に出てる。左舷デッキのガルム・ロディ、トロウ機。発進いけるか?』

 

『おう!』

 

『続いて、右舷デッキよりエヴァン機。発進どうぞ!』

 

『いきます!』

 

『左舷デッキ、エンビ機。行ってこい!』

 

『よっしゃあッ!』

 

『右舷デッキよりデルマ機。発進、どうぞ!』

 

「――了解!」

 

 ふたりのブリッジクルーに見送られ、各デッキから戦場へと飛び立つガルム・ロディ四機の胸には、鉄華団の紋章が誇らしげに咲いている。

 

 

 

 

 #057 いつわりの夢

 

 

 

 

 背部に大型ブースターパックを装備したエリゴルがふわり、いまだ黒々と広い宙域をふりあおぐ。

 ハーフビーク級戦艦のカタパルトハッチが開き、出撃してくるのはグレイズ二十機の連隊らしい。発進するエイハブ・ウェーブの反応を追えば前回と同じグレイズもいる。……レギンレイズリッターの出撃は最後か。

 数でこそ劣っているがライドのガンダムエリゴルも旧タービンズのメカニックたちによってセッティングが更新され、エーコが持ち出してきた獅電・辟邪の戦闘データも移植された。より雷電号に近い取り回しだ。

 それに今回は心強い味方もいる。機体に施したペイントを()()()と呼ぶ気持ちが今のライドにはよくわかった。

 コンソールを操作し、QCCS(量子暗号通信)で友軍機に呼びかける。

 

『グレイズ隊を中央突破、分断して撃破する』

 

『了解、ガルム・ロディ(おれら)で援護する。あんまり無駄弾撃つなよ』

 

『いつの話だよ……』

 

 釘を刺されて、ライドはわかりやすく辟易してみせた。

『言ってみただけだ』とデルマがSOUND ONLYの表示ごしに薄く笑ったが、もはや癖なのだろう。

 五年のうちにずいぶんと世話焼きになったデルマは戦闘経験で頭ひとつ抜けているので、ライドもあまり大きな口を叩けない。

 獅電に乗っていたころ、射撃精度に雲泥の差があったのは紛れもない事実である。雷電号に乗り換えてからは格闘戦中心に切り替えたので弾丸を無駄にするような真似はしていない。直感的に動くほうが向いていたのだろう。当時MSパイロットの中で最も小柄だったライドが格闘戦を得意とすることは師匠にも兄貴分たちにもずいぶん驚かれたものだが、リーチの差がなくなるのだから当然だ。

 エリゴルのリアスカートでファンネルビットが剣呑な光をまとう。

 

『機雷設置ポイントを転送した。落とし穴にかかるなよ!』

 

『了解!』と四機のガルム・ロディが応答する。量子暗号通信システム(Quantum Cryptography Communication System)可視光通信システム(Laser Communication System)とは異なり、特定のアルゴリズムを共有するデバイスにしか情報として認識されない。

 惑星間をタイムラグなしで横断できるという特性から要人のホットラインにも採用され、機密性は非常に高い。傍受・解析を目論むやつがいないとも限らないが、個別に解読コードが割り振られているためリアルタイムでの解析はまず不可能だとあのダンテ・モグロが言いきったほど。

 コードの事前共有という何ともアナログな手段によって守られているために内通者に鍵を奪われてしまえば脆い壁だが、このシステムを逆手に取ったラディーチェ・リロトが火星本部と地球支部の連絡を断つという事件もあり、外部の介入を受けにくいことは実に皮肉なかたちで証明されている。

 機雷群の座標を共有した通信も、気付かれてすらいないようだ。小規模海賊船と見なされているなら電脳のノウハウを持っているとも想定していないかもしれない。

 ゲリラ戦に慣れた宇宙ネズミたちが挑戦的に笑む。

 

隊長機(レギンレイズ)がお出ましだぜ』

 

『先手をとる!』

 

 最も機動力に優れるエリゴルが背部のブースターからガスを吹き上げた。一気に加速する。ガルム・ロディが続き、意図せず作り出された幾何学的な陣形がグレイズ隊を迎え撃つ。

 二十機の連隊が一斉にサブマシンガンの弾幕を撃ち出した、その一瞬が戦闘開始の合図になった。

 はらりと花が傾くように機体を制御し、銃撃の雨をくぐり抜ける。阿頼耶識による重心制御が無重力を自在に舞う。肉眼ではっきりと武装が視認できる距離まで到達したエリゴルの双眸からエメラルドグリーンの光がぎらりと散った。

 一拍の呼吸。グレイズ隊の中央を狙って、レールガンが最高出力でほとばしる。

 反動とタイムラグが玉に瑕だが、大口径の電磁投射砲はグレイズを横転させられるだけの威力だ。ナノラミネートアーマーが撃ち貫けなくとも命中さえすればパイロットへの打撃攻撃も同じである。不意打ちに陣形を崩れさせた連隊の穴を目ざとく見出し、すかさずデルマが先陣を切った。

 ガルム・ロディのスラスターが強く火を噴く。

 

『おれが道を開く! 続け!』

 

 リアアーマーに懸架されていたブーストハンマーを引き抜く。力任せのような抜刀だが勢いを使って振りかぶり、一撃にしてコクピットを打ち据えた。

 強襲されたグレイズが、何が起こったのかと戸惑うようにモノアイをさまよわせる。そのまま光はふつりと途切れた。

 沈黙する僚機に怯むことなく、デルマの背後から二機のグレイズが迫る。肩越しに振り返ったデルマは取り落とされたバトルアックスをつかみ、振り向きざま左手をなぎはらった。

 なす術もなくもんどりうって、ぶつかりあいながら吹っ飛ぶグレイズ二機から機械オイルの血飛沫が散る。確実に背後をとれたと油断していたのか、あるいは、それだけデルマの動きが速かったのか。

 

(これが神経接続……左腕がすげえ軽い、反応も速い!)

 

 これならもっと――! デルマの中で眠っていた好戦的な本質がふつふつと熱を帯びはじめる。戦うことが好きなのではない、戦えるから闘争心が本質に根を張るのだ。

 戦いしか知らないことは汚点ではないと鉄華団が教えてくれた。他の仕事はこれから覚えればいいと、みんなそうしてできることを増やして得意なことを見つけるものだと。

 戦いを知っていたデルマは新進気鋭のPMCであった鉄華団において重用される戦力だった。お前は強いなと兄貴分が口々に褒めてくれた、あのとき誇らしいと言えなかったぶんだけ、今ここで力を発揮したい。

 要するに、どんな子供も得意なことを褒められたらうれしい。

 一息にしてさらに二機を撃墜してみせ、余ったバトルアックスをぶん投げれば左手のコントロールが意識せずとも敵機のコクピットに命中する。中央で分断された連隊は僚機を撃ってしまわないようにと銃口とさまよわせる。実戦にこうも不慣れな部隊で海賊退治だなんて、ギャラルホルンも無謀なことを命じるものだ。

 デルマの奮戦に続いてハンマーアックスをさばきながら、トロウはおれも負けていられないと意気込んだ。

 鉄華団のために戦いたいという強い意志は、幼いころから色褪せることなくトロウの中に育ち続けている。トロウの記憶は鉄華団の思い出ばかりだ。地球行きのメンバーに選ばれた日。戦闘員として MW(モビルワーカー)を預けられた日。ホタルビの砲撃手を任された日。副団長と基地防衛戦に加わった、あの日のことも。

 練兵教官から直々にMSの訓練を許されたときの高揚。模擬戦の戦績を競い合った仲間たち。戦友もライバルも守りたい家族も、みんな鉄華団が与えてくれた。

 阿頼耶識に頼らないようにと教えられはしたけれど、パイロットがガチャガチャやって動かしているグレイズよりもトロウたち宇宙ネズミのほうが動きは素早い。阿頼耶識使いは混戦に強く、阿頼耶識システムのない機体よりも反応速度に優れる。

 グレイズなんてこっちから殴りかかれば動きは鈍るし、振り下ろす斧の軌道も速度も一定だ。ハンマーアックスで受け止め、推力を乗せてぶんと払えば質量に圧倒されてひっくり返る。

 挟撃しようと迫ってくるグレイズもやはり同じ動作でバトルアックスを振りかぶる。受け止めれば、……さすがに同じ轍は踏まないか。ぎりぎりと鍔迫り合いになるトロウの両脇を狙って二機のグレイズが加速する。

 くそ、と奥歯を噛んだ瞬間、せめぎあっていたバトルアックスが機体ごとかき消えた。

 反射的に離脱したトロウは、パルチザンの殴打を横腹に食らってすっ飛んでいくグレイズを目視した。

 

『助かった、エンビ!』

 

『フォロー呼べってば!』

 

 サブマシンガンで牽制するエンビが無茶をするなと声を荒らげる。

『悪い』と反射的に詫びを入れて、背中合わせにさらなる追撃を迎え撃つ。共闘が自然としっくりくるのは、やはり長年一緒にいたせいか。

 

 

 分断されたもう一方では、追い込まれた二機のグレイズがワイヤーにからめとられて思わず武器を手放した。

 デルマが放ったワイヤーフックが手足を複雑に巻き取り、ぎゅんと豪快に振り回された機体同士が正面衝突して火花を散らす。コクピットに漏れ出していたオイルに引火して、スパークは爆炎になった。

 恐れおののき動きを止めたグレイズにエヴァンが飛びつく。

 

『おらァ!』

 

 ブーストハンマーで体当たりをして、ブースターをふかして押し切る。鍔迫り合いの格好のまま突っ切っていく二機を間一髪で両脇へ避けたグレイズに、ファンネルビットが突き刺さった。

 一対の光線が闇を裂き、エリゴルの電戟が一閃する。コクピットに届くほどまで深々と突き立てられた槍を引き抜けば、穂先からオイルが血液のように惨憺と散る。

 グレイズを踏み越えて跳躍するライドは、やっと距離を詰めることのできたレギンレイズリッターに躍りかかった。

 

隊長機(あんた)をやれば、もっと偉いやつが出てくるんだろう!』

 

 スピアを振りかぶる。薙ぐ。

 機動力を生かしてどうにか避けたレギンレイズリッターのコクピットで、ヒレルが声をうわずらせた。

 

『くそ、ガンダムめ……!』

 

 パイロットは声からして、若い男。LCSの無差別な通信から漏れ聞こえる敵MSのパイロットはいずれもヒレルと同世代と思しき少年たちだ。少女かと驚いた甲高い声も、粗野な口調の端々から男児であるらしいことがうかがえる。おそらくは、グウィディオンが虐殺したヒューマンデブリと同じくらいの――。

 海賊め、とくちびるを噛む。

 教育も受けず、禁忌の力でMSにつながれて、戦うことしか知らないまま戦場に散っていくパイロットたち。そんな哀れな孤児たちがなぜ、意気揚々とヒレルの部下を殺戮するのか。

 彼らは()()()()()()()()()ではなかったのか?

 保護を必要とする社会的弱者を救いにきたと信じていたのに、少年兵は本当に海賊の一員だったのだ。しかも軍人であるヒレルと比べ物にならない手練の戦士でもある。この世界は一体、どうなっているのだ。

 機動力だけはガンダムに劣らぬレギンレイズリッターで追撃をかわしながら、訓練通りにやればいいのだと深呼吸する。

 緊張と苛立ちに、知らず呼吸は浅くなった。

 

『アンティークはアンティークらしく、飾られていればいいものを……!』

 

 左腰に帯びていたナイトブレードを鋭く引き抜くヒレルの言葉は、そのままヒレル自身に跳ね返る。

 式典の参列にこそ適した機体で、美術品と戦うのだ。

 地球外縁軌道統合艦隊の兵力ではガンダムには勝てない。かなわない。二十機いたグレイズがわずか数機にまで減っているこの現状こそが証左だろう。だが汚名をすすぐ権利すら持たぬグウィディオンには、レギンレイズの配備を嘆願することなどかなわない。もう後がない。そのきっかけを作ってしまったのが、無能な指揮官ヒレル・ファルク三佐だ。

 母艦から援軍の出撃シグナルを確認し、ああ、副官の采配かと、艦長席に座っていることなどできなかったヒレルは操縦桿を強く握る。

 だがガンダムの槍が届かないほうへと逃げ回るのが関の山だ。知らず戦闘宙域から遠ざかってしまう。どこから襲うかわからない稲妻がおそろしくて、討ち取って戦果をあげてやろうと思えるほどの精神的余裕もない。

 次の瞬間には届くはずだった援軍は、しかし地雷畑に足を踏み入れ、宙域をばっと明るく染め変えた。

『かかりやがった!』とガンダムのパイロットがつぶやく。こうなると読んであらかじめ罠を張っていたのかと、とうとうヒレルは希望を見失ってしまった。

 期せずして機雷群に突っ込んでしまったグレイズ隊がまとめて爆散する宙域へ、四機のガルム・ロディが生き残りを狩ろうと群がっていく。

 これだけ数が減っていても撤退を許されない地球外縁軌道統合艦隊は、ここでこのまま終わってしまうのかもしれない。ああ、と嘆いたヒレルを嘲笑うようにガンダムの蹴りがコクピットを揺さぶる。

 ところが刹那、閃いたのはガンダムエリゴルのスピアではなかった。

 篠突く雨の訪れにハッと息を呑む気配がある。突如飛来した槍は戦闘宙域を覆うゲリラ豪雨のように降り注いだ。

 

 

 間一髪でしのいだエンビは、目の前からグレイズが持っていかれる瞬間を目の当たりにした。

 デルマもまた言葉を失う。槍の津波にさらわれていくグレイズの中には、まだパイロットが生きている機体もあったはずだ。

 突き刺さった勢いのまま残っていた機雷に突っ込んで爆ぜ、LCSごしに届いた断末魔は何が起こったのかも理解していないようだった。

 それがダインスレイヴの強襲であったということも。

 

『うそだろ……』

 

 トロウが半ば茫然と取り落とす。

 眼前で地球外縁軌道統合艦隊のグレイズがいくつも犠牲になったのだ。残骸ごと押し流していった槍の雨を避けられたのは、運良く戦闘宙域を外れていたレギンレイズリッターを除いて阿頼耶識使いだけという惨状に、声も出ない。

 パイロットが生きていても機体の破損が激しく、これでは帰投もできないだろう。

『あいつら味方まで……ッ!』とコンソールを殴りつけたエンビの義憤を、ブリッジのイーサンが『いや』と静かに否定した。

 覚悟はしていたが、いざそうなると指先が冷たく引き攣る。

 

『……狙い通りだろ、ライドはこいつを待ってたんだ』

 

 

 さあ、アリアンロッド艦隊のお出ましだ。

 

 

『ジュリエッタ……!? あなたなのですか、ジュリエッタ!』

 

 ふるえる声でヒレルが叫ぶ。スキップジャック級戦艦の艦長席で、女騎士は長く鋭い睫毛を伏せた。通信オペレーターを片手で制する。エンペラーグリーンのコートの膝で、白い手袋の拳を握る。

 

「ダインスレイヴ隊に第二波の準備を急がせてください」

 

「はっ!」

 

 月外縁軌道統合艦隊は圏外圏を中心に海賊退治を行なってきたが、今回ばかりは地球外縁軌道統合艦隊の職域を冒してでも、足を伸ばさざるをえない理由があった。

 

(あのエンブレムは鉄華団のもの。生きて帰すわけにはいかない……!)

 

 その名を捨てるのであればと見逃された恩も忘れ、行動を起こすだなんて、まったく愚かなことをしてくれる。

 毅然とメインモニタを睨むジュリエッタは、そう唾棄することも許されない。アリアンロッドの司令官にふさわしい女騎士の振る舞いでなくてはと自身を戒める。

 鉄華団の残党が活動を再開していたことをネタにクーデリア・藍那・バーンスタインを失脚に追い込むのは赤子の手をひねるようにたやすいのに、それができないから腹立たしい。

 火星連合はラスタル・エリオン、マクマード・バリストン両名による傀儡政権同然である以上、ギャラルホルンやテイワズに不利益があれば潰される砂の城だ。火星市民の反発を受ければクーデリアは民衆によってその座を追われることになる。板挟みにされた革命の乙女は()()()()()()ことを求められていた。

 ところが知名度だけのお嬢様だと目されていた彼女は民衆の支持を集め、予想以上にうまくやっているようだった。

 こうなっては、圧力によるクーデリアの失脚はギャラルホルンへの不信を呼び起こす呼び水にしかならない。ギャラルホルンおよびテイワズの各後継者に女性を立たせるための基盤を築くという役割をしっかりと務めあげていることもあって、クーデリア・藍那・バーンスタイン議長は今やみすみす失うわけにはいかない(クイーン)に育ってしまった。

 イオク・クジャン公亡き今、アリアンロッド艦隊の司令官はジュリエッタ・エリオン・ジュリス一佐だ。クーデリアには今後とも女性指導者としての模範を示し、男尊女卑の観念が根強く残る木星や一部の地球経済圏の偏見撤廃につとめてもらわねばならない。

 ただし彼女の活躍は、あくまでラスタル・エリオン総帥の威光もとでなくては意味がない。ギャラルホルンの威信と繁栄を揺るがす不穏分子は、ジュリエッタが排除する。エンブレムの残骸を持ち帰って晒せば残党どももしばらくは大人しくするだろう。

 

「ダインスレイヴ隊全機、装填完了しました!」

 

「射線上に地球外縁軌道統合艦隊のMSがいるようですが……」

 

「変更の必要はありません」

 

 仮面をかぶるとはこういうことかと、ジュリエッタは冷たく冴えた思考をなだめるように、ブルーグレイの双眸を眇めた。

 グウィディオンには気の毒だが、物事には優先順位というものがあるのだ。

 味方を虐殺しようとしているジュリエッタもまた、大義も意味も持ちえないのかもしれない。しかしジュリエッタには()()がある。

 アフリカンユニオンの片田舎に生まれ、両親をテロで失ったジュリエッタは、そのテロに関与していた傭兵の手で育てられた。戦い方を教わり、強くなれたからギャラルホルンに推薦してもらえた。今はもう飢えることも、寒さにふるえることもない。

 ラスタルはジュリエッタを養女として迎えてくれた。父と呼んでくれて構わないと言ってくれている。

 顔も覚えていない肉親より、恩人が大事だった。貧しさを理由に末娘のジュリエッタを学校にも行かせてくれなかった両親なんかより、ずっと、ずっと。

 間違っていようとも構わない。たとえ悪行であろうとも、ラスタル・エリオン総帥が大義だと言うのなら、それがジュリエッタにとっての大義なのだ。彼が戦えと命じるならば、そこにジュリエッタが戦う理由はある。戦う意味が産み出される。

 出自に恵まれないジュリエッタがギャラルホルンで階級を得たことには大きな意味があるという。女性兵士たちの出世の引き金にもなるのだと。

 ジュリエッタが広告塔(プロパガンダ)の役目を果たせれば、鉄華団残党を匿おうとするクーデリア・藍那・バーンスタインなんか、いらなくなるはずなのだ。

 

(ラスタル様のために……!)

 

 戦いたい。作戦を終えてヴィーンゴールヴへ帰還し、胸を張って恩人を父と呼ぶために。

 くちびるを引き結ぶジュリエッタは、主君のもとへ帰る権利があるのは自身が()ではなく()()であるからだと自覚している。

 戦場にしか生きられないのは、わたしとて同じです。――だからジュリエッタは強く、凛々しく、声を張る。

 

「ダインスレイヴ、放て!」

 

 戦えない女騎士に、行く場所なんてないのだから。

 

 

 

 

 

 

 仄青くきらめく光と機雷が爆ぜる大波で、ダインスレイヴ第二波が掃射されたことがわかった。

 レギンレイズリッターを苛立ち任せに蹴り飛ばし、ライドはサブモニタごしの友軍に向けて呼びかける。

 

『そっちの状況は!?』

 

『エヴァンが被弾した、』

 

 エンビの報告を受けて目をこらせば、ガルム・ロディの左足がごっそり持っていかれている。

 それ以外の損傷は見受けられないが、阿頼耶識使いは生身の感覚で動いてしまうから隻脚のMSは宇宙とはいえ不便だろう。脚部スラスターの欠損は手痛い。

 

『一本だけでもやれる!』とエヴァンは叫ぶ。

 

 デルマの舌打ちが鞭打つように鋭く鳴った。

 

『特攻する気ならやめとけ。途中でハリネズミにされるだけだ』

 

『でも……っ』

 

『生き残れって言ったはずだぞ』

 

 冷たい声で威圧するデルマに、子供の声がひっと裏返る。

 

『おれの言うことが聞けないなら戦線を離脱しろ。残りたいなら鉄華団のやりかたに従え』

 

 恐怖で支配するのはよくないとわかってはいても時間がないのだからしょうがない。LCSでは他のクルーどころか宙域のグレイズにまで聞こえている可能性もあるが、今は構っていられなかった。

 

『はい……』

 

 か細い声でどうにか応じたエヴァンは、戦力外通告に肩を落とす。甘ったれた緑色のひとみに涙が浮かんでいるのが見えるようで、デルマも舌鋒をおさめた。

『いい子だ』と言葉で頭を撫でてやる。

 メインモニタに割り込むと、ウィンドウごしのエヴァンはやはり涙目になっている。

 

『弾丸じゃなく砲撃手をよく見て弾道を読むんだ。おれが戻ってくるまで食らうなよ、お前は船の護衛のために残るんだからな』

 

 ぱちくりとまたたいたひとみは、怒っているわけじゃなかったのかと驚いたのだろう。

 

『返事は?』

 

『は、はい……っ』

 

 見捨てられたと早とちりした迷子が仕事を受け取ると、狙い澄ましたようにQCCSのアラートが鳴る。

 LCSの遮断を確認するひと呼吸ぶんの間を置いて、イーサンが挑戦的な声を低くした。

 

『一発もらったのも、まったく無駄ってワケじゃなかったぜ』

 

『おかげで発射座標と射角が計算できたよ。すぐにデータを送る』

 

『さすがウタ、仕事が早えな』

 

『でも算出した弾道が絶対ってわけじゃないから油断はしないで。リアクターの疑似重力に引っ張られて軌道は歪むし、弾頭にも発射装置にも癖がついてる。たぶん、回収したダインスレイヴを再利用してるんだと思う』

 

『予測できるだけありがてえよ』

 

 ダインスレイヴは装填に時間がかかる兵器であることをライドたちは知っている。

 射手は隻腕のグレイズ、装填用に控えているフレック・グレイズも丸腰だ。五年前に猛威を奮い、その圧倒的すぎる力ゆえか、これといって改良は加えられていないらしい。

 ギャラルホルンの内情に詳しいモンターク夫人――いや、アルミリア・ファリドでさえ運用記録をつかめなかったというのだから、量産体制が整っているわけではないのだろう。生産ラインの所在がつかめないのもエイハブ・リアクター同様、厄祭戦当時に使われた三百年前の弾頭を使用し続けていると考えれば辻褄が合う。

 対策のしようはある。勝たなくたってアリアンロッドの傲慢を叩ければ一矢報いるには充分な戦果だろう。

 

『……シラヌイは航路を変えずに、モンタークさんの指定してきた座標を目指す。それでいいんだね?』

 

 ライド。――と、ウタが念を押す。

 アリアンロッド艦隊は九時の方角に展開し、シラヌイを左舷から直接叩ける位置にいる。

 小型船シラヌイは左舷右舷と下部に三基の主砲を備えているものの、強襲装甲艦を真似て過積載された火力は小柄な船体とのバランスが悪く、発射の反動が航路を大きく狂わせてしまうというデメリットがある。左舷の主砲でアリアンロッドを狙える方角に舵を切ってもいいが、ダインスレイヴ隊と戦うライドたちを援護するには戦力としてあまりにも頼りない。

 

『ああ。任せたぜ、ウタ。イーサンも、頼りにしてる』

 

『大将が最前線で体張ってんだ、格好悪いとこ見せられるかよ』

 

『そうだよ。アリアンロッドに一泡吹かせてやりたいのは、おれたちだって同じだ』

 

 非戦闘員(おれたち)には支えることしかできないけれどと、自嘲するウタの声は重い。

 だが決して足手まといにはならないという強い自信を胸に、戦闘員を送り出す。

 

『あまり船から離れすぎないで。MSの装甲じゃ大気圏は越えられないんだから』

 

『ああ、わかってる』

 

『そうなの?』と首を傾げたエヴァンをデルマの呆れ声が『そうだよ』とおさえつけ、唐突な緊迫感の霧散にエンビが思わず吹き出した。

 

『おれとエヴァンでシラヌイの直援につく』

 

 アリアンロッドは士気も練度も高い部隊だ。対空砲とダインスレイヴで狙うだけに済ませたりはしないだろう。露払いのMSは置いておく必要がある。状況によっては降下ポイントを再計算し、大気圏突入予定時刻を前倒す事態になるかもしれないのだから、MS回収の手間は少ないほうがいい。

 ああとライドが応じる。ついにか、とデルマが独り言ちた。

 真っ先に飛び出したのはトロウだ。

 

『おれたちは近接戦闘を仕掛ける!!』

 

 駆け出すトロウに続いてライド、デルマがバーニアをふかす。各センサーと演算システムをフルに稼働させて警戒心を機体に預け、最高速で仇敵が連なる宙域へと飛翔する。

 ダインスレイヴの射手は左腕を丸ごと弓に挿げ替えることで、矢を打ち出すことに特化させた専用機だ。威力の大きな電磁投射砲はエネルギーチャージにかかるタイムラグも長い。ジェネレーターを背負っているようだが、あれは威力ではなく推力の増強目的だろう。無重力空間で踏ん張りを利かせるためにスラスターの急噴射を行なっているから、あれだけの質量を繰り出しても反動を受けた様子がない。

 ガンダムフラウロスは変形機構によって反動対策を行なっていたが、ダインスレイヴ発射専用グレイズは背部ジェネレーターで増幅させた推力を全方位噴射することで機体の姿勢、ひいては射撃精度を維持している。

 とはいえ戦う砲台として設計されたフラウロスとは異なり、グレイズは本来、汎用性の高さをこそ美点とするMSのはず。あれだけの反動から機体を維持することに消費されるエネルギーは計り知れない。

 ならば動きは鈍いはずだと目論んで、ダインスレイヴ隊の射線上をさかのぼる。

 いつ被弾してもおかしくない軌道を逆手にとって突っ込めば、アリアンロッドご自慢のMS隊もうかつに踏み込んでは来られない。

 数十機の射手がずらりと列を成して弓を構えるただ中へ、一直線に飛び込む三機のMSは正気を失ったかのようにうつるだろう。捨て身の特攻に見えるならば好都合だった。家族を虐殺された宇宙ネズミは月の蛇の喉笛を食い破るために、何の用意もできなかったと思っていればいい。

 エンビとエヴァンを露払いとして残し、ブースターの推力を存分に使って敵の眼前へと迫る。

 母艦に多数の非戦闘員を乗せていたころにはできなかった戦い方だ。

 イサリビもホタルビももういない。シラヌイに乗艦するのはブリッジクルーふたりきりで、カーゴブロックにも食糧数日ぶんしか積んでいない。暴発しそうな積み荷もない。

 またシラヌイにはアルミリア・ファリドが善意で搭載してくれた【光学迷彩】という機構が実装されている。ナノラミネートアーマーの応用技術で、エイハブ・リアクターの稼働に合わせて鏡面のように周辺の景色をうつしとるという、擬似的なステルス機能だ。

 エイハブ・ウェーブを消せるわけではないため捕捉を避けるにはまったくもって役に立たず、これまで使われてこなかったのだが……、今なら『的を視認させない』という使い方ができる。

 どんな弾丸も飛距離と誤差は比例する。いくら重力が呼ぶほうへ流れる特性があるとはいえ()を目視せず、ただエイハブ・ウェーブの反応めがけて放たれる槍など、そのへんのスペースデブリと変わらない。

 人も荷物も乗せていない。艦内には阿頼耶識による回避運動を躊躇しないコンビのみ。それもユージン・セブンスタークの曲芸めいた超絶技巧操艦を、一番近くで見てきたふたりだ。発射座標を計算できる頭脳も、この日のために息を殺して、周到に準備してきた。

 後衛は問題ない。最前線を駆ける三機の眼前ではフレック・グレイズによって矢がつがえられ、発射までのカウントダウン、3、2、1――。

 

『来るぞ!!』

 

 青く鋭くきらめく光がダインスレイヴの発射を告げる。まだ何も言わないアラートの静けさの中、浅い呼吸を飲み下す。弾道から遠ざかればいいだけだと強く心に言い聞かせ、それぞれが操縦桿を強く握った。

 押し寄せる凶弾の雨を、予期した通りに避けるエリゴル、ガルム・ロディ。一度目の回避成功には三者三様の安堵があった。

 次なる掃射がはじまるまでにとエリゴルのブースターがガスを噴きあげ、あと数百秒、いや数十秒でスピアの射程に届くのだろう虚空に向かって殴りかかるように手を伸ばした。

 雷光一閃、ファンネルビットが射手のカメラアイを殴りつける。エリゴルの固有装備であるビット兵器の射程は全長約十八メートルのMSに対してたかだか半径二十五メートル、スピアの先端より多少遠くへ届く程度しかないが、無重力の宇宙では慣性によって進み続ける剣先が命令せずとも勝手に撃ち貫いてくれる。

 掃射される前の一瞬の隙にバランスを崩したグレイズが、視界を失ってもがく。

 しかし次の瞬間、予定通りに掃射されたダインスレイヴとともに一機のガルム・ロディが派手に後方へと吹っ飛んだ。

 はっとふり返る。まさか、食らってしまったのか。

 

『デルマ? デルマ!!』

 

『 心配、ねえよ……!』

 

 爆発に押し出されるまま遠ざかったガルム・ロディの左わき腹に、大槍が突き刺さって――いない。

 肩が外れそうな衝撃から呼吸を取り戻しながら、高揚にふるえる両手で操縦桿を握りしめたデルマの口角が喜悦と達成感につりあがった。

『はは……っ』とこぼれた笑いは、我がことながら信じられないといった響きでヘルメットの内部スピーカーを突き抜ける。

 

『 つ かまえた……ッ!』

 

 降り注いだ暴力をみずからの手でつかみとり、デルマの心臓は言葉にできない興奮にどくどくと鳴っていた。

 この感覚が高揚なのか緊張なのかもわからない。義手とMSの神経接続による運動能力・反応速度の劇的向上、算出された射角と速度、それから少しの蛮勇で、ダインスレイヴを攻略してやった――!

 化け物じみた駆動に安全圏のレギンレイズ隊がおののいている。そうだ、今なら。

 

『ライド!』

 

『は? もしかしておれにそれ撃てっていうんじゃ……!』

 

『その電磁投射砲(レールガン)は飾りか!』

 

『違ぇけど! やだよ、そんないわくつきの!』

 

『発射機構ついてんだろ! スーパーギャラクシーキャノンだと思って撃てよ!』

 

『はァ!?』

 

 違法兵器を先に使用したと情報を操作されてアリアンロッドに大義名分を与えるのは心外だ。

 八つ当たりじみてフレック・グレイズを裏拳で殴りつけたエリゴルと、ダインスレイヴを小脇に抱えたガルム・ロディの応酬がいよいよ子供じみてきて、見かねたトロウが一喝する。

 

『何やってんだ! 次の装填はじまってんぞ!』

 

 ライドとデルマがそれぞれの舌打ちで些末な口論を打ち切って、デルマは仕方なく大槍で手近なグレイズをぶん殴った。打撃武器に慣れたデルマに刺突や投擲という選択はないらしい。

 ここまで来れば無敵のダインスレイヴ隊だって、ネズミにかじりつくされるのを待つしかできない生け贄だ。

 ダインスレイヴはその特性上、混戦には向かない。砲撃に特化させられた装備と機体では抵抗だってまともにできない。

 それでもレギンレイズの救援はなく、次なる装填を命じられたのだろう。

 さっきライドが暴発させた一撃はグウィディオンのハーフビーク級戦艦に突き刺さり、残骸とともに流出した人影が窒息までのわずかな命を燃やしている。

 物質は重力に引っ張られるため、大型のエイハブ・リアクターを搭載する戦艦にはより命中しやすいのだ。

 不意にライドが息を呑み、MSよりも大きなリアクターを持つ母船を振り返った。

 

『ブリッジ、そっちの状況は!』

 

 いや、問うまでもない。ツインアイのズームで追えば、一瞬、呼吸を忘れた。

 光学迷彩が剥がれた箇所がモザイク模様のように歪んで、不穏な煙を吹き上げている。直撃ではなかったらしいが、かすめただけでも損傷は甚大だ。

 ウタが阿頼耶識をつないで軌道の隙間を縫ったとしても、リアクターの引力が軌道を歪め、間隔は必然的に狭まる。そこにシラヌイの船体が収まりきらなければ被弾するのは当然だった。

 エリゴルの索敵システムはスキップジャック級から発進してくる増援を検出する。全機レギンレイズで編成された連隊らしい。この五年で量産化が進んだようだが、一体どれだけロールアウトしたのか。船に向かわれたらエンビとエヴァンだけでは対処できない。

 広域に陣を敷くダインスレイヴ隊の一部では次弾の装填もはじまっている。

 

『ウタ!』

 

『大丈夫! かすり傷だ。この船はおれたちで守る……!!』

 

 跳ね返すようにウタが鋭く声を張る。ライドたちが帰ってくるまで、絶対に沈んだりしない――!

 ぐいと鼻血をぬぐって、傾く船体を制御するウタには、非戦闘員であるという負い目と、イサリビの操舵クルーだという自負があった。これは矜持であり意地だ。立っていることもままならない横揺れの中、それでもみずからの両目で先を見据える。オリーブグリーンのひとみが光学ズームに収縮する。

 奥歯を噛みしめて膨大なフィードバックに耐えるウタを、火器管制のイーサンが援護する。

 

『被弾した左舷ブロックにつながる隔壁をすべて封鎖! 右舷の主砲を爆破して、船体を軌道に押し戻す!!』

 

 宣言を追い越すように廊下をシャッターが叩き付け、尋常でないドミノ倒しの様相にも舵を取るウタは構わない。

 過積載されている火器も自壊させれば衝撃によって進路は傾く。

 

『どうせブリッジしか使ってない船だ!!』

 

 不意の呼吸がひとつに揃う。出番のなかった火器をイーサンが容赦なくパージし、メインモニタの右側を侵蝕した爆散の閃光にもウタは目を見開いたまま軌道から目を逸らさない。

 火星からの旅路をともにした船であろうと、この日を見据えて使わなかった居住スペースに私物はないし、愛着だって抱かなかった。とにかく仲間のMSを連れて大気圏を突破できればそれでいい。

 しかし爆破の光が母船を覆えば、前線で戦う仲間の心をひっかくものだ。

 ぎりっと奥歯を喰いしめたトロウがスキップジャック級を睨む。アリアンロッドカラーのレギンレイズとの接敵まで、カウントダウンに入った。操縦桿を握った拳に復讐心が煮えたぎる。

 

『アリアンロッドめ……!』

 

『待て、よせトロウ! レギンレイズはお前ひとりじゃ、』

 

『やってみなけりゃわからねえ!』

 

『機体性能ってのが……ああもう、』

 

 これだから血の気の多いやつは――! デルマが止めに入ったのは逆効果だったと、みずからの人選ミスにデルマ自身が舌打ちする。

 寡黙なトロウがまともに会話するのは旧知のエンビくらいのもので、エヴァンを拾ってきてしまった外様のデルマではコミュニケーションがうまくとれない。

 

『うおおおおッ!』

 

 先陣を切ってくるレギンレイズ目掛けてトロウがハンマーアックスを振り下ろす。間一髪でかわそうとした、その一瞬を追いかけるように切り返し、白刃で追いすがるように叩き付けた。

 左手のサブマシンガンで牽制、背後から迫るレギンレイズのライフルを一発横腹に食らうも、ぐらつきかけた呼吸ひとつで立て直す。

 鍔迫り合いに火花がガツンと散って、駆けつけたデルマが叩き潰した。

 母船を振り返りつつもライドは、ガルム・ロディ組がレギンレイズ隊の足を止めているうちにとダインスレイヴを放つ弓を次々破壊していく。スピアが閃き、ファンネルビットが飛翔する。

 まるで芽を摘む作業のようだと内心で唾棄しながらも、これ以上船をやられるわけにはいかないのだ。

 装填に失敗してダインスレイヴをぶちまけてしまったフレック・グレイズが破れかぶれで襲いかかってくるのを蹴りで退けても、一定の距離を保って隊列を形成する隣の射手にはうまくぶつけることができない。

 ぎょろりと目を剥くグレイズに取り付くと、槍を真っ向から突き立てた。

 格闘戦にしては一方的だが構っていられない。ついにレギンレイズの猛攻がエリゴルを襲う。四機の連隊。ファンネルビットで牽制するが四対一ではさすがに不利だ。

(囲まれた……!) 鋭く各機の装備を一瞥してからライドはスピアを大ぶりに構えなおした。距離を詰められるのはまずい。動きを封じられたら逃げ場を失ってしまう。

 レギンレイズの主力装備は巨大なブレードを備えたバヨネットライフル。近〜遠距離まで対応した汎用武器だ。

 逡巡している時間はない。足蹴にしていたグレイズを蹴って飛び立とうとした、そのときだった。

 

『――っぐ 、あああああ――!!』

 

 熱が四肢を支配して、わけもわからないまま押し寄せた重力の塊に胸郭を殴りつけられる。頭蓋を揺さぶる衝撃、真っ赤に染まったのは、視界なのかモニタなのかもわからない。

 肺腑から呼気が押し出され、どうにか奥歯を食い締めて意識をつないだ。

 狂ったように騒ぎたてる計器類、砂嵐になった左手側のサブモニタ。いつの間にか遠ざかっていたレギンレイズ隊と、その向こう側でまだびりびりと火花をまとっているダインスレイヴ専用グレイズ。

 脂汗が浮かぶ。片腕を持っていかれたと、否が応でも気付いた。

 

『 ……ぐ、 くそっ……、こ んな……ところで……ッ!』

 

 至近距離での暴発をまともに食らってしまうとは、油断した自分自身が情けない。ライドは操縦桿とペダルがまだ動くことを確認して、肩で呼吸を落ち着ける。

 左腕を失った。操縦桿を握る指先がしびれて小刻みにふるえている。だがライドの利き腕は右だ。

 まだやれる。大丈夫だ――! 言い聞かせるライドの奥底には、三日月・オーガスへの憧れがある。デルマ・アルトランドへのライバル意識がある。そしてノルバ・シノにかばわれてまで生き残った、あの日の悔しさが。

 ライドを駆り立てる。

 

『ち からを、……力をよこせエリゴルッ……、片腕じゃ何もできないなんて言わせねェぞ――!!』

 

 血を吐くような慟哭に、呼応したエリゴルの双眸がぎらりきらめく。エメラルドグリーンを燃料に光は燃え上がり、色彩が変質する。鮮血のように毒々しい赤があふれた。

 悪魔が目覚める禍々しさにレギンレイズのパイロットたちが生唾を呑む。畏怖が作り出した一瞬の隙を、ファンネルビットが突き破った。

 電戟が閃く。

 繰り出されたスピアがレギンレイズの左肩を貫いた。薙ぎ払う。装甲の破片とともに飛び散る火花を穂先にまとわりつかせたまま、迫り来る僚機をフルスイングで吹っ飛ばした。パルチザンの斬撃に比べれば質量で劣るが、局所で当てれば相応のダメージがパイロットを襲う。

 装甲がひしゃげる。慣性に流されたレギンレイズはしかし、フレームを軋ませながらも脚部スラスターでどうにか踏ん張ってみせた。

 さすがにグレイズとは違うか。獰猛にくちびるを舐めたライドは口内に広がる鉄錆の味を噛みしめながら、襲いくるレギンレイズをレールガンで弾き返す。スピアの先端で穿つ。かわそうとすれば柄で打ち据える。スラスター出力で逃げようともファンネルビットが嘲笑うように逃げ場を命ごと奪い去る。接近してくるなら拳で殴りつけ、ナックルガードで薙ぎ払う。

 手負いの獣が暴れるような乱戦には、さすがのアリアンロッドMS隊も連携を発揮できないでいるようだ。せっかくの戦闘練度を発揮できないのは気の毒だが、今のライドには好都合でしかない。

 双眸からなだれる赤い精彩が笑う。コクピットを蹴りつけるエリゴルに、両翼のように展開していたファンネルビットが隷属する。

 

 稲妻を背負ったガンダムエリゴルの姿はまさに【鉄華団の悪魔】の再来であった。

 

 レギンレイズのパイロットが適正な距離へ逃れようとしても、即座にペダルを踏み込みブースターの加速で追いすがる。コクピットを殴りつけた拳がエイハブ・リアクターとパイロットを板挟みにして押し潰す。所詮は隻腕のMSと侮ったパイロットは稲妻に撃たれて絶命した。

 宙に浮いたバヨネットライフルをつかみとって、残弾をありったけぶちまける。

 引き際を承知している利口なレギンレイズにはファンネルビットが追撃し、背後からメインカメラを貫通した。

 隊列を乱されたダインスレイヴ隊は、もはや撤退以外の選択を残されていない。誘発された暴発のせいでグウィディオンばかりかアリアンロッドのハーフビーク級にまで被害は及んでいる。

 ダインスレイヴが条約で禁じられた兵器である以上、アリアンロッド艦隊は実弾と射手を宙域に残していくわけにはいかないはずだ。自力では動けなくなったダインスレイヴ専用グレイズをすべて回収するより前に付近を通りかかる船があれば、それが民間の輸送船だろうと、たとえ要人の乗った客船であろうと撃墜し、破片ひとつ残さず回収しなければならない。

 ジャーナリズムが息を吹き返した今、ギャラルホルン最強最大の艦隊であるアリアンロッドによる違法兵器の恣意的な解禁は、アーブラウおよびSAUをにぎわす格好の醜聞(ネタ)になる。

 あのスキップジャック級の艦長がラスタル・エリオンであれば目にもの見せてやれたと喜べたのだが、……さすがに総帥ともなった政治家様が艦隊の戦闘指揮など行なっているわけがない。

 あそこにいるのは次期後継者と名高い、あの金髪の女騎士だろう。傾くハーフビーク級を救おうともしない兵士たちも、彼女さえ残ればそれでいいとでも思っているに違いない。

 僚艦であるグウィディオンを排除してまでアリアンロッドは鉄華団を消そうとしている。その実感がライドの心に暗いよろこびをもたらした。母船ただひとつ残ればいいのはこちらも同じ条件だ。

 レギンレイズ隊がみるみるガラクタに姿を変えて、宙域はもはやデブリ帯のようなありさまである。

 LCSでは遮られてしまう宙域を飛び越え、エンビが逸る声をうわずらせた。

 

『MS隊、聞こえるかっ!?』

 

 ひび割れた呼びかけと同時にQCCSがとある座標を報せてくる。

 

『全機すぐに帰投してくれ! シラヌイはこのまま大気圏に突入する! 経由ポイントはウタが計算しなおしてくれた!』

 

 被弾してなおシラヌイは持てる装備をフル活用し、大気圏突入の準備をしてきた。予定ポイントを経由して地球へ降りるのがモンターク商会からシラヌイを託された対価であり、この旅の第一の目的だ。

 だが小型船の脆弱な船体の限界が近い。これ以上砲撃されれば空中分解もありえる。

 もうひとつの戦場をふりあおいだトロウが叫ぶ。

 

『聞いたかライド!』

 

 戦闘中らしいエリゴルのコクピットからは何の反応もない。機影はレギンレイズを追いかけてスキップジャック級側へ遠ざかっており、これ以上離れれば戻れなくなってしまう。

 

『ライドッ!!』

 

 どうするべきかと推進剤の残量を確認するが、……ガルム・ロディの機動力でライドを迎えに駆けつけたってレギンレイズ隊と戦闘になったらトロウはきっと邪魔になる。我を忘れているようすのライドを引き戻す言葉も思いつかない。

 ダインスレイヴ隊もまだ息があるやつがいる。おそらくMSより MA(モビルアーマー)に命中しやすいようにと設計されたのだろうダインスレイヴはエイハブ・リアクター側に引っ張られるため、戦艦のような大型リアクターだけでなく、ツインリアクターのガンダムフレームにも引き寄せられてしまう。

 自在に回避ができるならまだしも、一直線に加速しなければ間に合わない状況になれば、船を追うエリゴルはもはや出来の悪い避雷針だ。それではライドも他のみんなも危険に晒すことになる。

 ……それなら。

 

『おれが時間を稼ぐ!!』

 

『トロウッ?』

 

『その間にデルマがライドを回収して帰投する!』

 

『は? おい待てトロウ、何でおれが――』

 

『お前にしか頼めねーんだよ!!』

 

 怒鳴りつけるようにデルマの言葉を遮って、トロウはワイヤーフックを投げ放った。宙域を漂流していたグレイズをありったけ巻き取る。パイロットの生死は不明だがモノアイの光は失われていない。

 エイハブ・リアクターが稼働をやめていないなら()の役目は果たしてくれる。

 

『行けよ、デルマ!!』

 

 叫ぶ。そして加速する。約束の座標に向けて。意図を察したらしいデルマが息を呑むのをスピーカーごしに聞いて、ふっとくちびるを歪めた。

 不思議とおそろしくはなかった。最後までデルマにかなわなかった悔しさは当然ある。ここでライドを止めて無事に回収して、みんなでシラヌイに戻ってやってやったと笑い合えたなら、それが一番いい結果だった。だけど――だから、これは、二番目にいい結果だ。

 肩ごしに地球を見下ろすトロウの口許に、ひどく自然な笑みが浮かんだ。まだスパークを散らしているレギンレイズが不自由な腕を動かしてガルム・ロディにライフルを向けるが、まとめて地球の重力につかまりさえすればこっちのものだ。

 再計算された座標に向けて身を投げる。沈黙した敵MSの墓場の中で両腕を広げる。胸には鉄華団の赤い花。

 仄青く星がきらめいた宇宙は、生憎の雨模様だが。

 

『そうだ、おれを撃て……アリアンロッド――!!』




【次回予告】

 おれは鉄華団しか知らない。他に行く場所なんてねえし、いらねーんだ。
 だけど過去にしか生きられないおれと、お前らは違った。行ってくれ、ライド。勝ち取ってくれ。鉄華団を語り継ぐための権利を。

 次回、機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ雷光。第八話『声は届かない』。

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