鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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双子の片割れを亡くしたエンビ、エヴァン。少年たちはまた充分な用意もないまま戦場へと送り出される。


#55 力を持つ者

 見張りのシフトを終えたライドは、急ぎブリッジに向かっていた。

 交代に訪れたウタが言いにくそうに、思わぬトラブルについて告げたからだ。コンテナでライドが元ヒューマンデブリの子供たちを見ている間に、格納庫では――。

 

「状況は! どうなってる?」

 

 呼吸を整えもしないままブリッジに駆け込む。

 

「どうもこうもないよ」とひとりで操舵席につくイーサンが投げやりに嘆息した。

 

 交代で仮眠をとり、交代で見張りにつき、交代でブリッジに詰める。シフトの通り過ごしてはいるものの、余計な仕事が増えてしまった。

 

「チビはデルマが確保して、部屋に軟禁。あのままコンテナに戻すわけにもいかないし、デルマには悪いけど仮眠シフト潰してつきっきりで面倒見てもらうしかない」

 

 吐き捨てて、イーサンは淡い色のまつげを伏せる。

 

「……あの小さいの、こないだの 戦闘(アレ)で兄貴が死んだんだってな」

 

「らしいな」とライドが曖昧に同意するが、まさかそんな事態になっていたとは予想もしていなかった。

 

 小さいのとは言っても少年兵には珍しくない年齢だ。ライドはまだCGSにも入っていなかった年ごろなのだが、クーデリアを地球に送り届ける任務に参加していた当時のエンビやトロウと同世代だろう。

 成長した今だから、細い手足や甲高い声が子供子供してうつるだけで。

 そんな少年たちを今、人員輸送用コンテナいっぱいに乗せている。

 元ヒューマンデブリという境遇の、幼くとも戦闘経験豊富な少年兵をだ。もしもエヴァンという少年をあのコンテナに戻し、おれたちは仲間を殺した仇に囚われているんだとでも扇動されたらシラヌイは沈むだろう。

 目下の対策としてデルマを各シフトからはずし、エヴァンとともに個室に隔離。エンビの復帰までブリッジはイーサン・ウタ・トロウの三人交代制に、人員輸送コンテナの見張りは四人交代制に、それぞれ変更して回すことになった。

 ……忙しくなるが仕方ない。元ヒューマンデブリたちを敵に回すには味方のクルーが少なすぎる。

 

「おれもブリッジのシフトに入る」

 

「ライドはだめだ。いつ戦闘になるかわからないし、シラヌイじゃ援護もまともにできないんだからな」

 

 何のためにライドにはブリッジの仕事を割り振っていないのか、よく考えろと言わんばかりにイーサンが噛み付いた。

 戦艦の操縦経験がないからではない。ガルム・ロディを鹵獲するまでは操艦未経験のデルマだってブリッジのシフトに入っていた。

 難しい航路はともかく、慣性航法システムに任せている間はマニュアル知識と MS(モビルスーツ) MW(モビルワーカー)操縦の勘があれば何とかなるからだ。

 文字の読めるパイロットなら潰しが利くからと教本をタブレットごと投げてデルマを艦橋シフトに加えた。

 

 シラヌイはクルーザーだが、火器をあれもこれもと搭載しているおかげで足は大して速くない。

 世間知らずのお姫様――アルミリア・ファリド――が世界に向けて弓を引く鉄華団のために過積載してくれたことが数多の装備からひしひしと伝わってくるから表立って文句が出てこないだけで、本来戦場には適さないつくりの船だ。輸送船団が護衛を雇うように、戦闘に巻き込まれるような場面になればMSの直接援護が不可欠である。

 今後はデルマも戦闘要員として控えていてもらうことになるだろう。

 適切な食事と睡眠をとって有事の対応に備えるのがパイロットの仕事だ。他のことはクルーに任せておけばいい。

 イーサンの意図を悟って、ライドは口をつぐんだ。

 現状で戦闘に出られるパイロットはライドのみ。ただでさえ少なく抑えてきたクルーを、予定外の役割に奪われている。戦闘が発生すればウタとイーサンがブリッジに入り、索敵・通信管制代理にはトロウが入るのが妥当な人選だろう――が、今はコンテナの見張りにも人員を割かなければならないし、デルマとトロウをそれぞれ見張りにつけて、エンビの戦線復帰を待つしかないだろう。

 不安要素は集中力を阻害する。背中で何が起こるかわからないことほど、味方の心理を不利に追い込むものはない。

 

(エンビ……)

 

 後悔に似た情動がわきおこり、胸が詰まる。

 コンテナの隅で膝を抱えていたエヴァンがこっそり抜け出して行く背中を見ないふりをしたのは、かつてのエンビの姿に重なったからだった。

 鉄華団の基地が爆破され、クリュセに続くトンネルをくぐって逃げ出してきた、あの日のことだ。

 再会を喜びあう仲間もいた。これで助かったのだと安堵する声もほうぼうであがっていた。まだ戦場に残って戦っている兄貴分ふたりの身を案じながらも、一仕事終えたという空気が流れていた、あのとき。

 双子の弟を亡くしたばかりのエンビは泣くに泣けないまま、拳を握ってうつむいていた。

 みんな多くのものを失いながら逃げてきたし、生きて団長の命令を果たすのが団員の最後の仕事だ。だから助かってよかったんだと感じていなければ――そんな抑圧が働いたのだろう。

 鉄華団には肉親がいない団員が圧倒的に多く、双子の兄弟なんてエンビとエルガーくらいである。一緒に脱出してきたトロウとヒルメと共有できる感傷だって、たかが知れていた。

 

 集団の中で孤独を持て余すのはつらいはずだ。そう思ってライドは黙って見ないふりをした。デルマには面倒をかけるが、子供の扱いには慣れているようだしうまくやるだろうと思った。

 

(それがこのざまなのか)

 

 行き場のない感情がぐるぐる渦巻き、まつげが重たくフロアに引きずられるようだ。瞑目する。どうして行かせてしまったのだろう。

 こんな結果になってほしくて見逃したわけではなかったのに。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 あれから五年だ。鉄華団がなくなって、エンビがひとりぼっちになってから。

 

 薄暗い地下通路を足早に抜ける間も、逃げ延びてタービンズの誘導で地球に送られる道中も不安でたまらなかった。ひとつのコンテナに乗り合わせるのは無理だったから、何組かに分かれたのだ。

 別のコンテナに乗った仲間ともう会えなかったらと思うと眠れなかった。

 戦場に残してきたエルガーが実は生きていたらどうしよう。怪我をして動けなくなったコクピットで、痛くて寒くて泣いていたらどうしよう。あいつ、ずっとおれと一緒だったから――と、眠ろうとしても目が覚めた。

 今すぐにでも部屋を出て片割れを助けに行きたかった。

 じっとしていられないエンビは何度だって駆け出そうとしたが、そのたび理性の縄が首にかかってつんのめった。

 小さな子供ではないのだから家族が恋しくて泣いたりしない。戦場で仲間を亡くすことなんか、今までだってあったじゃないか。喪失も離別も幾度となく乗り越えてきたのに、エルガーのことだけこんなに引きずっていたら、もっと幼いチビたちに示しがつかない。

 トロウやヒルメもきっと同じ気持ちだろうと思ったのに、エンビの顔を見るなりエルガーを思い出して泣きそうな顔をするから会えない。

 ライドなら……とも思ったけれど、爆破された基地に雷電号を投棄したのはエンビだ。

 愛機の最後を活躍で飾れなかったどころか、弟を見捨てた挙げ句に乗り捨てたのだと思うと申し訳なくて、あわせる顔がなかった。

 亡命に成功し、IDが変わってもずっと、次はいつギャラルホルンの襲撃があるかと怯えていた。

 こっちには生まれたばかりの赤ん坊だっているのに、MSはもうない。サブマシンガンだってもうない。手元には何の武器もないのに、どうやって戦えばいい? どうやって家族を守ればいい? 膝を抱えて、ずっと考えていた。

 鉄華団の象徴であったガンダム・バルバトスが討ち取られたことでギャラルホルンの追求は止んだのだと聞かされても、心はまだ戦場から動けない。

 

 整理のつかない気持ちを持て余しているうちに、同姓同名の別人になったエンビたちは火星に帰れることになった。アドモス商会が生き残った家族のために宿舎を用意してくれたのだという。

 また一月あまりかけて、今度は旅行者の顔をして母星に戻れば、ひどいありさまだった。

 街には活気がないどころか、火星でいちばんの都会だったクリュセ自治区がスラムみたいになっていたのだ。

 きれいに舗装されていた道はぼろぼろで、大通りを見渡しても割れていないガラス窓を見つけるほうが難しい。閉まらなくなった商店のドアがあえぐように軋んで、破壊されたシャッターには弾痕、血痕まで残されている。

 略奪があったことは明らかだった。

 一体何があったんだ、と、みんなの心を代表するようにユージンが問えば、ギャラルホルン火星支部が縮小され、四大経済圏が火星から手を引いたのだと、痛ましげにククビータがこたえた。

 

 鉄華団が傭兵として参加した軍事クーデター〈マクギリス・ファリド事件〉を受けてギャラルホルンは七星貴族(セブンスターズ)による合議制を廃止し、独立自治組織になった。

 これまでギャラルホルンは治安維持組織であったから政治には口を出せなかったのだが、それこそがアーブラウへの内政干渉や、アーブラウとSAUへの紛争幇助の原因だったのだという。

 たしかに貧民街では、お金がないから盗むとか、寝床を持っているやつ同士を喧嘩させてかっさらうとか――そういった卑怯な手は誰だって使う。正規ルートで手に入れる権利が自分にないなら、仲間と結託して裏から手を回す。

 ギャラルホルンも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな理屈がまかり通ってギャラルホルンは正式に、第五の勢力として成り上がった。

 各経済圏の代表四名に()()()()()初代総帥となったラスタル・エリオン公は、クーデター首謀者に手を貸し世を乱した罪をあがなうために火星支部の規模を大幅に縮小。ギャラルホルンに管理・統治を任せて火星市民を労働力に使っていた四大経済圏は手が回らなくなり、次々に火星から撤退していった。

 クリュセ独立自治区は、アーブラウの植民地だ。鉄華団がクーデリアを地球に送り届け、蒔苗氏をアーブラウ代表指名選挙当選に導いたことで火星ハーフメタルの流通規制を緩和し、利権の一部を手に入れたはずだったが、地球圏との流通ルートそのものが断絶されたら意味がない。

 ただでさえ不安定だった火星の治安は転がり落ちるように悪化。各自治区の政府はギャラルホルンがいなければ何もできないと証明されてしまい、市民は政府を見捨て、自らの力で今日の食べ物を奪い合ったのだという。

 

 ……鉄華団がいればすぐに鎮圧できただろうに、とは、誰も言わなかった。

 実質的な無政府状態から立ち直るために、クーデリアはふたたびノブリスに頭を下げたらしい。火星の人々をしあわせにするために。テイワズにも交渉を持ちかけ、テイワズとギャラルホルンが裏から手を回して、経済的にも倫理的にも破綻した火星を救った。

 クーデリアを火星連合初代議長として、ただ見捨てられただけの故郷は()()()()()された。

〈革命の乙女〉が願った通りに火星は独立した。

 戦う以外のスキルがまだない鉄華団の残党たちは学校に通いながらクーデリアの私兵となって、警護や警備、運転手といった仕事を斡旋してもらう。

 家族は虐殺され、故郷は人質にされ、巨大な権力によって享受させられるだけの希望。かりそめの平穏。何もかも諦めてしまえば楽になれる――そんな欺瞞に満ちた日々に、馴染むことはできなかった。

 だって。犠牲を踏みつけ、踏みにじるような世界でエンビたちは一体どうやって、しあわせに暮らせばよかった?

 

「……おれは、間違ってるのかな」

 

 膝を抱える。幾度となく繰り返した自問だった。五年も考え続けているのに答えはいまだ見つからなくて、割り当てられた私室に引きこもって、エンビはベッドに倒れ込んだ。

 そのまま、胎児のように丸くなる。

 大部屋で育ったから個室はどうにも落ち着かなかった。ベッドもひとりぶんには広すぎる。ハンモックタイプの簡易ベッドで充分なのに、貴族のクルーザーを改修した船だからなのか成長したエンビの体格ですら持て余してしまう。

 副団長に追いつくくらい、背が伸びたのに。ブリッジの長椅子のほうが馴染みのある寝心地だった。

 広さを感じてしまうのが嫌で灯りもつけないまま、ぼんやりと暗がりを見つめる。火星の夜は暗かったから闇は平気だ。

 目を閉じる。脳裏に蘇るのは小さな復讐者の慟哭だった。

 

 

 ――おまえが殺したんだッ! 兄ちゃんの仇を討つ!!

 

 

 エヴァンというらしい元ヒューマンデブリの少年兵は、およそエンビたちがイサリビではじめて宇宙に出たくらいの年ごろだ。子供特有の大きな目いっぱいに涙を溜めて、果敢にもデルマにつかみかかった。

 ギリアムという双子の兄がいて、弟だけが生き延びたらしい。

 双子の弟を亡くしたエンビとは逆だなと自嘲する。隠れるように膝を抱えて小さくなって、死という離別に奪われてしまった兄弟を思う。

 

 海賊船にいた子供たちは、解放をあまり喜ばなかった。状況が飲み込めないのかみんな一様にキョトンとして、これから何をどうされても平気だとでも言うような、諦めきった目をしていた。

 コンテナの見張りを担当していると、年長者らしき名前を呼ぶ子供もいた。誰かを探しているようだった。追想してみれば、……もしかしたら鉄華団やタービンズのような()()だったのかもしれないという、最悪の可能性がよぎった。

 喉が引き絞られる錯覚があった。そうだ、海賊だからといってヒューマンデブリを虐待していたとは限らない。ブリッジを狙って潰すとか、爆弾を巻き付けて自爆させられるとか、言い出したのはデルマだ。彼が見てきた海賊がそうあったというだけで、必ずしもそうではなかったのだとしたら? 世の中はよくなっていて、鉄華団みたいに無学な孤児でも食事と寝床を与えてくれる組織が圏外圏にも増えていたって不思議はない。

 もしそうなら、海賊たちを十把一絡げに()()としてギャラルホルンに突き出すだなんて、やってはいけないことだった。

 

(おれ、間違えたのかな……?)

 

 ふたたび、みたび自問する。自答できない。もしも間違っていたならと思うと、呼吸の仕方もわからなくなる。ひとりで考えていてもこたえなど出ないと知っているのに子供たちに直接たずねる勇気はない。

 失意の底で膝を抱えるエンビのつま先に、不意に、光が届いた。まぶしさに目を細める。

 身を起こせば、フロアを長方形に切り取る光と人影。シルエットたどって顔をあげ、ドアに盟友の姿をみとめた。

 逆光に翳っていても見慣れた姿だ。

 

「エンビ」と呼ばれて、苦笑する。

 

「……デルマか」とパスコードの入手先を暗に皮肉ると、トロウがこれ見よがしにため息を吐いて呆れた。

 

「あのな……お前の考えてることくらいわかるっつうの」

 

 トロウは後ろ手にドアを閉じると、部屋の明かりをつけた。一瞬の暗闇を経て照明がぱっと灯る。何年一緒にいると思ってんだ、と独り言めいてくちびるを歪めるさまがエンビにも見えた。

 きっとデルマなら部屋のパスコードを解析するくらい朝飯前なのだろうが、仲間の部屋を無断でこじ開けるようなやつじゃない。ライドだってそんなことを頼んだりしないだろう。

 どこか悔しげにとがった眦が、エンビを睨む。

 

「3796 ̄8」

 

 エンビの部屋のパスコード。その通りだ。

 

「……裏返しの『ELGAR(エルガー)』だろ」

 

「ばれたか」とこぼれる失笑は苦い。

 

 エンビとエルガー、トロウ、ヒルメはCGSに入ったときからの付き合いである。さかのぼれば、もう九年くらいになるのだろうか。人生の半分以上も一緒にいるのだから、見通されていてもしょうがないのかもしれない。

 地球へ向かうイサリビの中で四人、はじめてクーデリアに読み書きを教わった。依頼主を無事に送り届けて火星に帰る間に宿題をこなして、メリビットから管制も学んだ。

 あのころからエンビとエルガーは覚えがよく、粗暴なトロウは文字をきれいに書けなくて、考えすぎてしまうヒルメは文章を読むのが苦手だった。

 そんな中、四人で考えた暗号やアナグラム、フォネティックコード。

 パスコードの意味がないとトロウは吐き捨てて、手近なデスクの高さを確かめる。一歩下がって床に手をつくと逆立ちをしてから机に脚を乗せた。腹筋をするらしい。

 

「――たしかに、デルマはすげえ、よな。はじめて見る、MSも乗りこなすし、ダンテさんから、電脳戦まで、教わってきてて、さ。怪我の応急手当、とかも、できる、らしいし」

 

 海賊船を攻略できたのはデルマがいたからだった。もといたメンバーだけでは船内の見取り図など到底手に入れられなかったし、突入して撃ち合いになってもエンビとトロウふたりきりでは多勢に無勢だ。

 わずかな手勢で行動を起こすにも素地が違うのだと思い知らされたようだった。

 

「ブルワーズの、船から、あいつらがきたときも、さ。団長は、『お前らの弟分だから、しっかり面倒みてやれよ』って、言ったけど。整備も、補給も、教えることとか、もうなかったし。下手したら、シノさんより、強いんじゃ、ないかって、くらいで、……」

 

 おれ、あいつらのことちょっとだけ苦手だったんだよな。――独り言。

 言葉を途切れさせたトロウは腹筋を中断すると、ずるりと上体を預けたフロアに後頭部をぶつける。逆さまの視界でエンビの目を見て、なにかを警戒するみたいに声を低くした。

 

「エンビ、あいつらと模擬戦あたったことあったっけか」

 

「あいつらって?」

 

「デルマとアストン」

 

「……ない……と思う」

 

「あぁー……」

 

 一拍。不自然な間があいた。

 

「あれはあたらねーほうがいいよ。――ラフタさん、とかだと、『ボコられる』って、感じだったけど、マジで『殺される』って、思うから」

 

 腹筋を再開してごまかしたが、トロウの声はふるえていた。

 道中で保護したブルワーズの元ヒューマンデブリたちは、新入りとして年少組と同じように扱われた。一緒に訓練を受けることも多かったし、仲間でいたつもりだ。

 ただ、気構えの違いは感じていた。

 ガリガリに痩せているくせに根性があって、どれだけ走らされても音をあげない。放っておいたら水も飲まずに筋トレを続けるくせに、汗を舐めたりして細々と体調管理をする。

 異様に高いサバイバルスキルに加えて、模擬戦は特に凄まじかった。

 それこそデルマが「おれが何年海賊やってたと思ってんだよ」と毒づいたように、MSでの実戦経験という一点においては鉄華団をはるかに上回る傭兵だ。

 ラフタやアジーの手ほどきとは違って、一撃一撃に死神に足を掬われるかのような恐怖があった。模擬戦だとわかっているのに、外部スピーカーごしに「スマン踏み込みすぎた!」「悪い、大丈夫か」と届く通信からは殺意がないことが明確に伝わるのに、コクピットで死を覚悟させられる。

 前衛のデルマ・後衛のアストンの連携がトラウマになってパイロット候補を外れる団員も出て、それでアストンが地球行きになったのだという噂も当時まことしやかに囁かれていた。

 彼らが力を示したおかげでエンビたちも戦力として起用してもらえるようになったんじゃないかと笑い合ったが、あながち間違ってもいなかったのかもしれない。

 

「おれ、ヒューマンデブリがうらやましいって思っちまった……」

 

 懺悔だった。トロウは両腕を投げ出して、肺腑の奥から今まで誰にも言えなかったよどみを吐き出す。

 

「昭弘さんもすっげー強かったろ? おれもヒューマンデブリだったら強くなれてたのかなって……最低なこと考えたんだ」

 

「おれだって全然ダメだ。ライドに頼ってばっかりで、デルマにはかなわない」

 

 頼りになる兄貴分に守られてばかりいた。生きるために強くなり、強くあることで生きてきた背中に庇護され、導かれてきたから、仇をとりたい気持ちばかり先走ってしまう。

 エンビがたびたび口にする『ガンダムフレーム奪還』にしてもそうだ。計画があるわけじゃない。そこにあるのは願望であり、実現ではなかった。だからライドもトロウも乗ってこない。夢を語るのは自由だとばかりに肯定も否定もしないだけで。

 イーサンとウタに至ってはいつもの軽口だと思っているのだろう。本当にガンダムを取り返せるだなんて誰も思っていない。

 ガンダムフレームを奪還する夢を見るのは、エンビの描く鉄華団が()()だからだ。エンビの貧困な想像力で思い描けるのは未来ではなく過去で、ただ団長がいて三日月がいて、バルバトスがあった、あのころに帰りたい。そこにはもちろんライドもタカキもいて、トロウもヒルメも一緒なのだ。隣にはエルガーがいる。みんな笑っている。

 そんな空虚な夢物語を、デルマだけが否定しない。むしろグシオン奪還に前向きな姿勢さえ見せる。

 ひとかけらの具体性もない()を肯定されるたび、エンビには語るだけで精一杯のわがままが、デルマには実現できるのだという自信を感じて、ひとりで落ち込んだ。

 

「ライドさ、おれの前じゃ全然笑わないんだ」

 

 心細さが声を揺らがせる。鉄華団が壊滅して、生き残った団員たちが活気を取り戻していく流れに逆らうように、ライドは次第に表情を失っていった。

 明るく快闊な少年だったライドの笑顔はいくらでも思い出せるのに、青年に成長したライドの笑った顔は想像もつかない。

 

「……笑ってりゃいいってもんじゃねぇだろ」とトロウが嘆息するが、エンビはゆるく首を振った。

 

「でも、いつもつらそうだ。誰よりも団長の仇を取りたいはずなのにライドばっかり我慢してる」

 

「そうだけど……そうじゃねえだろ……」

 

 ふさわしい言葉を探して、正答が見つからずにトロウは不器用に目を伏せる。

 水面下で動いていたころはライドとエンビくらいしかコンタクトを取っていなかったから、この五年間のライドが人前でどのように振る舞ってきたのかトロウは知らない。ただ、小型船〈シラヌイ〉で火星を出立してから彼は、ときおり口角を釣り上げるような笑い方をするようになった。

 皮肉っぽく、何ともライドらしくない笑みは、きっとリーダーらしく振る舞おうとしているせいだろう。無理をしている部分もあるはずだ。特にパイロットとしては同等かそれ以上の技量を持つデルマの前ではなおさら。

 だけど、エンビの前でならうまく笑えない自分自身のままいられるのだろう? ――と、正しく伝えるには何をどう言えばいいのか、トロウにはわからない。

 当人に自覚がなくとも〈雷電隊〉が動き出したきっかけはエンビにあった。ノブリスが火星に来るという報せを耳にした瞬間、真っ先に目の色を変えたのがエンビだったのだ。

 古戦場に置き去りのエルガーを今も忘れていない、手負いの獣の目。

 幼い復讐鬼の横顔は、あのとき確かにライドの心を救いあげた。クーデリアのもとで護衛の仕事をこなしながら、仇討ちのために動き出せない自身を責めて続けていたライドが見た光明であったに違いない。

 トロウだってそうだ。学校には馴染めず、ヒルメが知識と教養を身につけ成長していくさまを横目に見ながら、鉄華団など忘れたかのように振る舞う戦友たちとの温度差に、どうしていいかわからなかった。

 そんなトロウに一緒に行こうと手を差し伸べて、連れ出してくれたのはエンビだった。

 たとえ復讐の旅路だろうと光を目指して進むことができるのだと、可能性が示されたことでライドは動き出し、具体的な計画のもとにエンビやトロウを率いて蜂起した。

 立場のせいで動けないまま復讐心を抱えて苦しんでいた、呪縛からの解放だった。

 鉄華団とともに失われたエルガーの面影を色濃くうつすエンビだからこそ、その横顔に見出される賊心は生々しく、戦場の記憶を蘇らせたのだ。

 トロウが言葉をさまよわせ、それでも何かを伝えようとした、そのときだった。

 各部屋のデスクに埋め込まれたモニタをぐるりと囲むグリーンの光が、赤く塗り替わる。警告の色だ。スピーカーの雑音が鼓膜を突き刺したかと思うと、けたたましくアラートが鳴りはじめた。

 途端に室内を緊迫した空気が流れる。

 ハッと顔を見合わせたエンビとトロウは、起き上がって次なる挙動に備える。

 イーサンの声が艦内スピーカーを突き抜けた。

 

 

『艦隊規模のエイハブ・ウェーブを捕捉! 総員、ノーマルスーツ着用急げッ!』

 

 

 キィンと鼓膜を引き裂くような残響が、切迫感を物語る。

 

『今ライドが出撃準備に入ってる! トロウはコンテナへ、ウタは交代して大至急ブリッジに戻ってこい! 不安要素どもは大人しく待機だ!』

 

 叩き付けるようなアナウンスを聞き終えるなりトロウは身を翻す。とっさに追いかけようとして、エンビはしかし、足を止めて俯いた。

 

 不安要素。――事実上の戦力外通告だ。

 

 ブリッジからの艦内連絡だって本来はエンビの仕事である。今はイーサンが代行している。トロウの靴音が開きっぱなしのドアの向こうへと遠ざかっていく。それも角を曲がって消えてしまった。艦内重力がオフになったせいだ。

 足場が不安定になり、動き出したい思いごと宙に浮いてしまう。

 部屋と廊下の各スピーカーががなりたてるアラートの二重奏を遮断するように扉を閉ざすと、エンビは悔しさに握った拳を叩き付けてくずおれた。

 

 

『ギャラルホルンのハーフビーク級が三隻、艦隊コードは【Gwydion】。距離およそ一五〇〇〇――』

 

 

 ブリッジに、廊下に、格納庫に、艦内アナウンスがこだまする。

 MSデッキにたどりついたライドは、ふと耳慣れないフレーズを拾い上げた。

 

「グウィディオン……?」

 

 聞いたことねえな、と独り言ちる。

 ライドとてギャラルホルンの部隊に詳しいわけではないが、艦隊に個別の名称が与えられているということはアリアンロッドと同様に独立して動く権限を持つ組織だろう。知名度があっても何ら不思議ではない。

 イーサンの読み上げを整理しながらエリゴルのコクピットに座すと、コンソールを操作して敵艦隊との距離を計算する。

 ハーフビーク級戦艦三隻に加えて、どうやらあちらもMS隊が発進するところらしい。

 

 

 

『我ら、地球外縁軌道統合艦隊!』

 

 発進するレギンレイズリッターのコクピットで、ヒレル・ファルク三佐が宣言する。

 所属不明の小型船を発見し、船体と規模から積載MSを五機と算出。倍の戦力にあたる十機のグレイズを従え、自らも前線に立つと決めたのだ。

 前回のような暴虐は、このわたしが許さない。――決意のまなざしが、不自然に武装したクルーザーを睨み据えた。

 

『ここは我らの宇宙(そら)である!』

 

 

 

 

 #055 力を持つ者

 

 

 

 

『ガンダム・エリゴル出撃する!』

 

 エアロックから飛び立つライドを見送り、コンソールを弾けばグレイズ十機とレギンレイズが一機、陣形を作って接近している。

 まずいな、とイーサンは苛立つ指先でパネルを叩いた。

 索敵システムが自動的に照合したデータを表示させるが、各機体の所属とコードに興味はない。

 グレイズはともかく、レギンレイズは機動性に優れた機体だ。五年前のロールアウト以来ギャラルホルンの主力機を担っているだけあって、攻防ともに欠点なく組み上げられた汎用機特有の強みが遺憾なく発揮されている。

 陣形からして隊長機。となれば、それなりのパイロットが乗っていると考えるのが妥当だろう。

 厄祭戦当時のアーカイブスからエリゴルのデータを洗われたら、情報の少なさも武器にはならない。ギャラルホルンはガンダムフレームの情報を最も潤沢に持っている組織でもある。

 射程まで、あといくばく。

 

「――遅くなった!」

 

 ブリッジの扉が開き、閉じようとする扉を蹴って操艦手が飛び込んでくる。

 

「ウタ!」

 

「このまま加速して、デブリ帯に逃げ込む!」

 

 操舵席に乗りあげながらウタは壁際のレバーに手を伸ばすと、力をこめて引き下げた。

 ガコンと音を立ててシートが倒れる。膝でさらに平らに均して、壁の中に格納されていたアダプタをむしり取った。

 引き延ばしたコードごとイーサンに投げ寄越すと、ノーマルスーツの背中を向けた。

 小型船〈シラヌイ〉のブリッジには阿頼耶識システムが配されている。

 肩越しに振り返ったウタの意図を汲んで、背中にアダプタをはめこんだ。

 阿頼耶識でつながればオリーブグリーンのひとみの奥で瞳孔が収縮、拡大してメインカメラと同調する。……オートフォーカス、動作良好。

 光学カメラできょろりと一瞥しただけで、操艦手は最短距離を探し出した。

 

「……四時の方角。あの岩場ならハーフビーク級は踏み込めない」

 

「了解」とイーサンが短く応じる。

 

 エリゴルもシラヌイから離れることで戦闘開始を引っ張っているようだが、今にカウントダウンに入る。一刻も早く戦闘宙域を離脱し、安全な場所に隠れなければならない。

 相手は戦艦、こちらはクルーザーだ。

 火器は搭載されているし、バランスを崩すことを承知でやれば援護射撃くらいは可能だとしても、威力があまりにも頼りない。ナノラミネートアーマーがあるとはいえハーフビーク級の砲撃をまともに食らえば木っ端微塵だろう。

 数々の戦場を駆けてきた勘があれば避けきれる――と言いたいところだが、今は保護した子供たちを腕いっぱいに抱えている。カーゴブロックは機体後部に位置しており、船内でもことさら揺れるはずだ。

 コンテナで見張りについているトロウがヘルメットを配付しているし、元ヒューマンデブリたちも衝撃には慣れているだろうが、居住ブロックやブリッジに比べれば安全性の低い場所にいる。

 今は()()()を守るための戦いだ。海賊船から保護してきた元ヒューマンデブリたちを、こんなところで危険に晒すわけにはいかない。

 メインモニタを必要としなくなったウタが火器管制席に向き直って、拳を突き出した。

 

「砲撃は頼むよ」

 

 宣誓の言葉だ。黒目がちの双眸にメインカメラの向こう側をうつしながら、行く先の障害物はお前が砕けと、あくまでも静かに相棒をけしかける。

 ノーマルスーツをまとう余裕のなかったイーサンはわずかに目を見張ったが、差し伸べられた拳をなぐりつけた。

 

「……任せとけ!」

 

 こちらはクルーザー、相手は戦艦なのだ。

 敢えて細道に紛れ込み、小回りを利かせて振り切ってしまえばいい。

 デブリが不自然に集っている宙域には必ずエイハブ・リアクターがある。厄祭戦後も回収されることのなかった廃棄物も宇宙ネズミには絶好の隠れ家だ。

 世間知らずなお姫様が搭載してくれた〈光学迷彩〉とやらも、はじめて役に立つかもしれない。

 

「スロットル全開、リアクター出力最大! 加速します!」

 

 ウタが声を張ると、シラヌイのスラスターがこたえるように推力を噴き上げた。

 エイハブ・リアクターが発生させる重力がすべて推進にまわされる。前進の反動を受けながら、見据えるのは同じ()だ。

 ウタは操縦桿を握り、イーサンの手はトリガーにかかる。

 メインモニタを避けるように流れる礫の雨の向こう側に、巨大な岩を見つけて引き金にかかる指が動いた。艦首からミサイルが迸る。砕かれた岩から押し寄せる濁流を縫う。

 不意にアラートが後頭部で鳴り響いてイーサンが肩を跳ねさせたが、とっさにトリガーから手を離したので誤射はない。

 半身に振り返れば通信・索敵管制のパネルの隅にデルマの部屋番号が点灯している。

 ガキどもの見張りがひとりで足りればトロウに通信・索敵管制代理を任せられたのにと舌打ちをひとつ、通信席のヘッドセットをひっつかんだ。

 

「今忙しい! 悪いけど後に――」

 

『誰か見張り変わってくれ! ガルム・ロディで出る!』

 

「はあ!? 誰かって誰だよ、エンビのようす見ただろ!!」

 

 鋭くはねつけるとそのまま、イーサンは通信をぶつりと切った。前方のデブリをミサイルで砕くのも忘れない。火器を操作する指先に苛立ちが乗ったのは不可抗力である。

 デルマはなおもマイクに向かって呼びかけたが、ブリッジは頑として応答しない。

 くそ、と薄暗い私室で奥歯を噛むデルマは、中枢にある居住ブロックに置き去りだ。

 かたわらには不安そうに見上げてくる緑色のひとみがある。ヒューマンデブリの仕着せのままいる子供にヘルメットを投げ寄越せば、両手で受け止めた。

 所在なげに沈黙するエヴァンは、正直言って邪魔だ。しかし個室は外側からのロックがかけられないし、鍵開けを応用して閉じ込めてしまえるほどデルマは電子スキルに熟達していない。ひとりで置いていけば何をするかわからない以上、誰かが見張っている必要がある。

 戦力であるはずのデルマが今ここを動けない。

 奇しくもその筋書きは、デルマ自身が作ってしまった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 会敵とともに火花が散る。突き立てられた槍、スパークの奥からパイロットの断末魔が響く。

 構わず装甲の隙間にスピアの穂先をねじ込み、持ち上げるとライドはまだ生きている中身ごとグレイズをふりかぶった。

 歯抜けになった隊列が乱れるが、飛び込んでくる機体を避ける余裕はあるらしかった。

 いや、さすがに十一機もいれば当然か。

 制御を失って吹っ飛んで行くその手を追いかけるようにしてつかんだのは、――レギンレイズ。

 なるほど隊長機は部下のフォロー役かと、ライドは細く息を吐いた。

 グレイズ十機の連隊とは所属が違うか、追加で出てきたかだろう。陣形を見れば一機だけ明らかに浮いている。

 あいつを落とせばいいのかと左肩のレールガンを引き下ろすが、グレイズ部隊はすぐさま奇数の陣形を繰り出した。背部ブースターユニットの加速で一気に迫ってくる。……囲まれるのはまずい。

 サブモニタに表示される接敵までのカウントダウンを一瞥し、ライドは集中力をかき集めるように操縦桿を握りしめた。

 網膜に投影されたイメージから、穴を探す。瞳孔が鋭く引き絞られる。

 

(――そこか!)

 

 十機構成であった名残のわずかなスペース。さっきとは陣形を変えているようだが、左から二番目が欠けたことが見て取れる。

 かわいたくちびるを舐め、槍を構えなおすと正面切って切り込んだ。

 ふっと鋭く息を吐き出し、殴りつけるようにして突き出した切っ先がコクピットを直撃した。確かな手応えがスピアからフレームを伝ってライドの腕まで伝播する。

 操縦桿を強く引き、ペダルを踏み込む足でグレイズを突き放す。

 ふわり、すれ違いざま両脇二機に叩き込んだファンネルビットがエリゴルのそばに帰還する。狙ったはずの機体を追えば、コクピットをえぐるつもりが、肩装甲を傷つけただけに終わっていた。

 舌打ちがコクピットの静寂を鞭打つ。物量による力押しを狙うならばこそグレイズは真正面を向くはずだろうに、臆病風を吹かせて機体を反らせたやつが生き残るのが世の不条理を物語っているようで胸糞悪い。

 分断させたグレイズ隊のサブマシンガンが両サイドから火を噴き、身を反らしてかわす。背中から無重力に飛び込みくるりと泳いで、バーニアを力強くふかした。

 加速する勢いのままスピアをぶん投げる。投擲、すぐさま追いついて回収すると、まだモノアイを明滅させる頭部を蹴り飛ばした。慣性のまま飛んで行く三機目の機体を、今度は追わないようだ。

 

 左肩のレールガンで追撃、牽制する。しかし肩をやられて孤立していたグレイズが、エリゴルの背中を狙うようにバトルブレードを振り上げた。

 数が多いほうに気を取られ、接近を許してしまった。振り下ろされる斬撃を、スピアの柄で受け止める。ぎりぎりと競り合うが、スラスターの出力は追加ブースターを装備しているグレイズが上だ。

 圧されているのをいいことに背中側からも強襲が迫ってくる。身動きのとれないライドは凶暴に舌打ちした。

 エリゴルの主な装備は槍と電磁投射砲、近〜中距離を得意とする。レールガンはその特性上、連射ができない。また出力がエイハブ・リアクターに依存しているため、射撃のひと呼吸前には機動力がわずかに削がれる。

 ブースターつきとは相性がよくない。グレイズの脚部、背部、すべてのスラスターがガスを吹き上げ、エリゴルを縫い止める。鍔迫り合いを制するのはグレイズかと思われた、そのときだ。

 エメラルドグリーンの双眸が不穏な輝きを放ち、迫りくるブレードをファンネルビットが弾き返す。さらに追撃、前と後ろから突き立てられた稲妻がコクピットを挟撃した。

 腹を潰されたグレイズは鮮血じみた機械オイルを撒き散らし、バトルブレードを手放して漂流する。――これで四機。

 

「あと七機っ……ぅぐッ!」

 

 突如襲った衝撃に、とっさに奥歯を食い締める。胸郭の中で呼吸が砕ける。アンカーが衝突したと察した瞬間にはエリゴルの四肢をからめ捕るようにワイヤーが巻き付きはじめていた。

 逃れねばと槍を振り回すが蜘蛛の糸のようにからまるばかりだ。貼り付かれたアンカーをセンサーで追うも、……スラスターに近すぎる。ファンネルビットで破壊すれば自身がダメージを受けてしまう。

 推力で上回られている以上、スラスターの破損は致命傷を呼ぶ。残存戦力は七機だ。

 母艦(シラヌイ)は無事に戦闘宙域を離脱したようだが、ライドがここで倒されればデブリの岩場を吹き飛ばしてでもギャラルホルンは仲間たちを追うのだろう。

 ワイヤーを操る二機が飛び退り、張り詰める縄に身動きが奪われる。ぎりぎりと両腕を引っ張られ、フレームが軋む。装甲を剥がされそうな圧迫感に、サブモニタの警告が赤く染まる。

 磔のエリゴルに急速接近してくるグレイズが振り上げるのは、より破壊力の高い斧だ。

 バトルアックスがふりかぶられる。食らえば命はない。

 

(まだだ……!)

 

 警告で赤く染まるコクピットで浅い呼吸を飲み下す。背中を冷たい汗が伝う。細い呼吸の奥底で、ライドの理性は待っている。

 まだだ、もっと、引きつけろ。グレイズの腕がエリゴルに向かって振り下ろされる、一瞬。

 稲妻が閃いた。

 ファンネルビットがワイヤーを切り裂き、エリゴルを捕らえていた二機がバランスを崩す。囚われていた間に温存していたぶんの威力を乗せて、レールガンが迸った。

 至近距離から高出力の電磁投射砲をまともに食らって、消し炭の装甲ごと横転する。飛翔したファンネルビットはワイヤーをさかのぼるように加速し、勢いのままグレイズを強襲する。

 機体の姿勢維持のため脚部スラスターに出力を集中していた二機は回避も間に合わず、落雷を受けて沈黙した。

 これで七機――! 残りはレギンレイズを含めて四機だ。隊長機と思しきMSを睨み据えて、エメラルドグリーンの双眸が凶暴にきらめいた。

 

 

 レギンレイズのコクピットでくちびるを噛むのは、ヒレル・ファルクである。

 

『くそ、ガンダムめ……!』

 

 美術品を実戦に使用するという罪深さを目の当たりして、改めて憤りが押し寄せる。

 ガンダムはギャラルホルンの象徴であり恒久平和への誓いであるはず。うつくしく飾られているべきアンティークに実用性を証明することは、美意識の否定だ。

 

 そして戦争の肯定ではないか。

 

 ガンダムフレーム・エリゴル――暴力装置として戦闘宙域を舞う機体を直視せざるをえない現実に、ヒレルは操縦桿をつかむ手のひらを開いて、拳に握る。

 叩き付けるように撤退信号を打ち上げた。

 

『ヒレル様!? なぜです、このままでは――』

 

『部隊の過半数が損耗しているんだぞ! ここは一度撤退して立て直す!』

 

『ですがヒレル様!』

 

『わたしの地位よりお前たちの命だ! 名誉は回復できるが、失われた命は戻らないッ!』

 

 副官はなおも言い募ろうとしたがヒレルが『撤退だ』と念を押せば、静かに了承の意を述べた。

 ひとたび打ち上げてしまった信号はなかったことにはならない。命令に従い、ハーフビーク級戦艦へと踵を返す。

 宙域に残して行く部下たちの残骸を一度だけ振り返って、ヒレルもまた旗艦へと急いだ。

 

 まだ火花をまとうグレイズ隊の波間で、ライドはその背を見送る。

 ファンネルビットがふわりとエリゴルに帰還し、リアスカートを飾った。本体から推進剤を吸い上げ、スラスターのガスを補充しはじめる。やつらも戦力を補うまで追撃はないということだろうか。

 

「やけにあっさり退却していったな……?」

 

『でも助かったよ。増援を呼ばれたらエリゴル一機じゃ厳しかった』

 

 ライドのつぶやきに、シラヌイのブリッジからウタがこたえた。

 LCS通信はざらざらと劣化しているが、お互いに位置を捕捉して接近しているので言葉として聞き取れるくらいの精度は保たれている。

 デブリ帯に潜む母船の無事を黙視して、ライドはああと嘆息した。

 戦場にライド、ブリッジにイーサンとウタ。戦えるメンバーはそれきりだ。強襲装甲艦のような吶喊攻撃はできず、逃げ回るにしても直援機が必要になる。

 せっかくガルム・ロディを鹵獲したのにデルマが出られないのは痛手だった。

 ブランクがあってもデルマはMSでの戦闘経験が最も長い。勘を取り戻せばエリゴルに並ぶ戦力になるだろうに。

 貴重な戦力を見張りに割かなければならないのは不徳の致すところだ。元ヒューマンデブリたちのコンテナをモンターク商会の輸送船に引き渡すまではエンビも隔離しておきたい。

 ただでさえクルーの少ない母船に戻りながら、何のために団長の弔い合戦だと声高に叫びだしそうなチビどもを火星に置いてきたのかと、重々しいため息を吐き出した。

 こんなことなら元年少組全員まとめて連れてきたほうがいくぶんましだったかもしれない。目が届かなくなることを懸念し、情報漏洩の可能性を断てるだけ断って蜂起したのは、仲間内の不和を持ち込まないためだったはずなのに。

 

 ようやく帰投すると、ハッチが両腕を広げてエリゴルを迎え入れる。仰向けに横たわればエアロックが閉じていき、ライドも疲れてかわいた緑色の双眸を閉ざした。

 コクピットハッチを開き、上昇させる。ヘルメットをとると格納庫の空気がひんやりと頬を冷やした。赤毛が束になってぱさりと落ち、伝い落ちた汗が一滴、額から頬へと流れる。

 十一機の連隊をひとりで相手にしたのだから、相応に緊張していたらしい。くちびるまで流れてきた汗を舐めとる。熱のこもった呼気を改めて吐き出すと、後頭部をシートにぶつけた。

 今さらのような動悸に、肩で息をする。薄目にふりあおいだ金属質の天井がエリゴルの姿と、パイロットの存在をぼんやりうつしだしている。

 しかし休む時間は与えられない。

 見上げた視界が真っ赤に染まり、はじかれたように両の目を見開いた。コクピットのモニタが発光しているのだと気付き、ライドは手早くハッチを閉ざす。静謐を切り裂くアラートの渦。エリゴルのコクピット内は警鐘で満たされ、同じ警報がシラヌイにも鳴り渡っているのがわかる。

 新たなエイハブ・ウェーブの反応が検知されたらしい。

 コンソールを操作すればサブモニタには強襲装甲艦が接近しているとある。

 

「ブリッジ!」

 

『待って、モンタークさんの輸送船とのコンタクト時間がもうすぐで、』

 

『じゃあなんでMSが出てくるんだよ!!』

 

 ウタが何やらパネルを操作しているのが空気で伝わるが、要領をえない。

 苛立つイーサンがモニタを乗っ取るように索敵システムに切り替えたらしく、艦内アナウンスよりも強い語気が『所属不明の強襲装甲艦が一隻、』と読み上げる。

 

『所属不明MSが一機、機体コード〈青冥〉……? 見たことない型式番号だな』

 

『けどこれ、どう見ても……っ』

 

 メインカメラの光学ズームが機体を捕捉し、阿頼耶識でつながったままのウタが声をうわずらせた。

 一拍遅れてイーサンも息を呑む。

 

『こいつは……!』

 

 

 辟邪だ。――モニタを正視したクルーの声が、ひとりの喉もふるわせることなく重なる。

 

 

『ライド頼む!』

 

 急かすイーサンに反論しようとして、ライドはぐっと奥歯を噛みしめた。

 戦闘から戻ったばかりで疲れているし、スラスターのガスだって辟邪を相手にするには到底足りない。途中でガス欠になるより先に補給を――と言いかけて、エンビが準備してくれているはずだと期待していた自分に気付いた。

 もしもエンビが勝手に行動を起こしていたら咎めるべき立場で、何を考えているんだと握った拳のやり場もない。

 三日月さんはこんな戦いを文句一つ言わずにこなしてたんだ……! 言い聞かせて、すべて飲み込む。

 ライドの返事を待たずエアロックは開花をうながすように開きはじめていて、さあ戦えと戦場へ送り出す。

 

「オーライ、」

 

 なけなしの空元気を振り絞って、声を張り上げた。

 

「ガンダムエリゴル、迎撃する――!」

 

 黒い宙空へ飛び立てば、所属不明MSが迷いのない軌道でデブリ帯に向かってくる。

 見れば見るほど辟邪と同型同色だ。なのにモニタが示すデータの上では〈青冥〉とかいうテイワズフレームの新型だという。

 ふざけている。あれはタービンズの形見分けで鉄華団に移譲された機体と同じだろうに。

 辟邪は阿頼耶識こそついていないものの、オールラウンドで戦える性能を有していたMSだ。CGSは阿頼耶識の適合手術成功が就労条件であったが、だからこそ鉄華団は――オルガ・イツカは、そんな博打のような手術を受けなくとも生きていけるのだという証明がしたかったのだろう。

 適合手術に失敗し、抵抗もかなわないまま死んでいった連中のためにも。ガンダム・バルバトスに身体機能を奪われていくエースパイロット、三日月・オーガスのためにも。

 

 阿頼耶識のない機体が積極的に配備され、ライドも訓練を受けた。イオフレーム・獅電がそれだ。鉄華団の積極的な運用によって蓄積された獅電の戦闘データの恩恵のもと開発されたのがテイワズフレーム・辟邪である。

 ガンダム・エリゴルの演算システムをフル活用して検分しても、やはり記憶の中の辟邪に重なる。それ以外の機体には見えない。

 戦闘開始までのカウントダウンに、無意識のうちに操縦桿を握る指先に力がこもる。辟邪は汎用性・機動力ともにグレイズ以上だ。宇宙での仕事に使われることが多かったぶんだけライドの記憶というデバイスに保存されたデータが役に立つはずだが、辟邪は特性らしい特性がないのが特徴で、パイロットの技量よりもセッティングが物を言うところがある。

 ……頭の切れるメカニックさえいれば無限に強化できる機体と言える。

 

 警戒のためスピアを握りしめた瞬間、青冥の姿が掻き消えるような錯覚があった。

 急加速に目を見開く。飛翔していた速度から逆算していたせいで出力を見誤った。脚部スラスターを飛行に使用し、ショルダーアーマーに内臓されていたブースターを一気にふかして舞い上がる。

 ハッと見上げれば突進してくる機体がひらり、リアアーマーに懸架されていたパルチザンを抜き放った。

 わずかに一挙動。見るも鮮やかな抜刀だ。

 くそ、と吐き捨て受け止める。衝撃、のしかかる重みに脚部スラスターが嫌な音をたてて軋んだ。だが押し負ければこのまま吹っ飛ばされ、追いつかれてやられるだろう。サブモニタの悲鳴を聞かないように奥歯を噛んで踏ん張る。

 どうすればいい――短い爪がグローブの中でぎりりと食い込む。このまま力比べになればスラスターのガスが尽きてしまう。

 鍔迫り合いには一寸の隙も見当たらず、重心をわずかにずらして試しても、バランスを崩させる方法がわからない。火花の向こう側には余裕すら感じられる。

 ガンダム・エリゴルの槍は取り回しに特化しており、あくまでも刺突武器だ。フレーム素材と同じ高硬度レアアロイ製であるため滅多なことでは折れないにしろ、盾にすれば無防備になる。相手の武器が威力を追求したハンマーやアックスならまだしも、取り回しの利くパルチザンを目にも留まらぬスピードで構えてみせたパイロットを相手にするには決め手が足りない。

 一か八か、狙いの定まりきらないままのファンネルビットがエリゴルのリアスカートで光を帯びる。

 刹那、競り合っていたパルチザンがふっと軽くなった。好機を見出し狙いをつけた次の瞬間、しかし稲妻は虚空を切った。

 隙を見せたのはお前のほうだと言わんばかりに青冥の足が閃く。受け身を取る一瞬さえ与えず、エリゴルを蹴り飛ばした。

 ブースターから吹き上げたガスの勢いを打撃に乗せて、機体の持つ性能差以上のパワーでもって突き放す。

 

「ぐ……っ」

 

 膝がヒットした勢いに、なす術もなく流される。ガツンと全身を打ち付けるような重圧に、操縦桿を手放さなかったのが奇跡だった。

 あくまでも加速に適した態勢で射程まで接近し、相手が武器を繰り出そうとする一瞬を狙って方向転換、飛行のスピードを利用して急加速。旋回してパルチザンを抜刀する――あのパフォーマンスはハッタリではない。

 牽制になるほどの戦闘練度を、挙動すべてで物語っている。

 機動力はエリゴルが上回っているはずだ。ツインリアクターに加え、阿頼耶識の制御は反応速度を劇的に向上させる。しかしスラスターの出力、ライドの疲労を度外視してもパイロットの力量差は明らかだった。

 強い。

 それ以外に言葉がない。無意識の外側で指先がふるえる。汗が冷えていく。だが鉄華団をこのまま終わらせるわけにはいかない以上、ライドは戦う。

 呼吸を止めて一度吐き出し、目を閉じる。そして態勢を立て直したエメラルドグリーンが開眼の光を解き放った。

 戦わなければ。戦えなければおれは前に進めない。そうだろう、お前も。

 

「行くぞ、エリゴル――!」

 

 呼応するように雷光がきらめく。




【次回予告】

 鹵獲したガルム・ロディは使えない。戦えるMSはエリゴルだけ。ライドひとりに背負わせて、おれは……っあ゙ー、おれらだって戦いたいよ! イサリビみたいに前線に出ていける船じゃないのは、わかってるけど……!!

 次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光。第六話『戦友』!

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