鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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鉄華団、そして海賊。戦いにともなう数々の禍根に、少年兵たちはいかに向き合うべきなのだろう。

(※暴力表現注意)


#54 奴隷たちの鎖

「いってきます。フウカ――アストン、」

 

 写真立てに呼びかけることにも慣れた。三人で撮った写真にそっと指先で触れてから自宅を出るのが、五年前から変わらないタカキ・ウノの朝だ。

 スーツに袖を通すことにも慣れ、今では鏡を見なくてもネクタイがきちんと結べるようになった。

 いとおしい家の扉に鍵をかけ、階段を下り、路地を曲がれば石畳の通りに出る。定刻きっかり停車している黒いセダンの後部座席に「よろしくお願いします」と乗り込んだ。

 運転手がかるく会釈をして、公用車は丁寧な運転で滑り出す。

 携帯端末でスケジュールをさらってから、タカキはスモークの貼られた車窓から空を見上げた。

 

 雲ひとつない快晴だ。

 昨日まで降り続いた雨はやみ、すっきりと晴れ渡っていることが鈍いグレーごしにもわかる。

 エドモントンの短い夏の訪れも間もなくだろうか。来月にはフウカも帰省してくるから、ひとりでは飲まない紅茶も買い足しておこうと休日の予定に思いを馳せる。

 引っ越しをしないままのアパートに、今はタカキひとりで暮らしている。

 蒔苗・東護ノ介前代表の政敵を鑑みれば警備の厳重な建物へ居を移すべきだと再三の忠告を経て、それでも懐かしい家を手放しがたくて、落としどころがフウカを寄宿制の女学校に入れることだったのだ。

 四大経済圏の中でもアーブラウは特に治安が安定しているが、SAUともども、ギャラルホルンの軍事行動を全面的に肯定しているわけではない。アフリカンユニオンが親ギャラルホルン寄り、アーブラウは反ギャラルホルン寄りと経済圏のスタンスはそれぞれ異なる。

 内政干渉、国家元首暗殺未遂、国境紛争の幇助――数々の遺恨が残されたアーブラウには、戦災遺族を中心に反ギャラルホルン感情が楔のように残されている。

 

 そうした戦禍の当事者であるタカキは、ギャラルホルンへの恨みつらみを発散させたい民衆にとって絶好の旗頭だろう。アレジ現代表の支持層には、いずれタカキが後継者となり、ギャラルホルンの支配からの脱却を叫ぶことを期待している市民も多い。

 民衆の復讐心を追い風に、これからタカキは成り上がっていく。

 世界じゅうの子供たちの力になりたいという目的のために、傷ついた人々の心を利用して。

 汚い打算もすべて承知の上でタカキは政治家としての道を歩むと決めた。ギャラルホルンや他の三経済圏とは、いつ対立の引き金になるとも知れない立場である。その背中を狙う銃口の数は、ひとつやふたつではないだろう。

 思い出深い家から離れることはフウカも本意ではなかったはずだ。それでも愛妹だけは絶対に危険な目に遭わせたくないと考えあぐねて、警備体制のしっかりした学院に逃がしてしまう方法をとった。

 

 たったふたりの家族で生きていくという選択を疑うことは今もある。

 聞き分けがよすぎるフウカは、大人に甘えることだって知らないのだ。兄妹ふたりで生きていけるようにと気を張るタカキと同じくらい、気を遣ってくれている。

 振り返ればタカキがCGSに就職したころからずっとそうだった。阿頼耶識の適合手術の痛みにいっぱいいっぱいで、朦朧とする意識は施設に置いてきた幼い妹のことなんか思い出しもしなかったというのに、あのころからフウカはいつも離れて働いている兄を案じていた。

 どこか裕福な――父親と母親がいて家には庭があるような――家庭へ養女に出したほうがしあわせになれるのではないか。器量のいい彼女ならやっていけるのではないか。こんな不甲斐ない兄とふたりでいるより、送り出してやるのがフウカの未来のためじゃないか……と、折りに触れては考えてしまう。

 思案に沈むタカキを乗せて二時間ばかり走ったセダンがおもむろに停車し、運転手が先んじて車を降りる。

 後部座席のタカキも顔をあげて「ありがとうございました」と礼を述べ、自分自身の手でドアを開けた。

 

 さらりとした風、緑の香りが頬を撫でる。

 都心を離れた郊外は自然豊かだ。

 エドモントンの穏やかな気候と肥沃な土壌があれば草木は自生するそうで、荒涼の火星では考えられないような豊穣の中に孤児院は建っている。

 社会福祉施設への積極的な支援を行うこともまた政治活動なのだと蒔苗氏からの教示があって、タカキはアーブラウに点在する孤児院を私営・公営を問わず訪ね歩くようになった。

 日ごろの動向は政治家としての関心を示す材料になる。思惑は行動で示さねばならない。世界じゅうの子供たちが平和に暮らせる一助になりたいと願うタカキは、今後はアーブラウの外にも目を向け、可能な限り多くの孤児院をまわるつもりだ。

 ありがたいことに、どこの孤児院もタカキの訪問をおよそ好意的に迎えてくれる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と公表しているから、同情もあるのかもしれない。

 

「本日はよろしくお願いします」

 

「いえいえ、先生も、お忙しいところをはるばる、どうもありがとうございます」

 

 出迎えた責任者に深々と禿げあがった頭をさげられ、タカキは「とんでもない」と苦く微笑した。

 しきりにハンカチで汗を拭う施設長に案内されながら通されたのは応接室で、やはりかと内心でため息をつく。

 

「先に子供たちに会わせてくれませんか」

 

 孤児院への視察は子供たちの顔を見て、直接ふれあうことが目的だ。

 

「資金援助のお話はそのあとで」と付け加えれば、ハンカチを握る手が忙しなくなる。

 

 子供たちを育てていくには莫大な経費が必要であることはタカキだって理解しているつもりだ。予算が足りなければ食事が切り詰められてしまったり、人員が足りなければ職員による虐待が隠蔽されたり、そうした諸問題を看過しないために、こうやって自分自身の足で現地に出向いている。

 流れの不透明な金は出せない。

 のちの失脚にもつながるからだ。志半ばで追い落とされる憂き目は見たくない。

 不利なカードを持たないための慎重さには露骨に嫌な顔をされてしまったが、施設長は年長の女性職員を呼びつけて、なにやら耳打ちした。案内しろということなのだろう。

 

「どうぞ」と人の良さそうな笑顔を浮かべる初老の女性に続くと、施設長の眼光が忌々しげにタカキの背中を見つめているのが感じられた。

 

(……ここまで歓迎されないのははじめてだなあ)

 

 この孤児院を訪ねるのは二度目だが、前回はもっと好意的だったはずだ。

 ……いや、ただ金を無心されただけだったか。

 自分自身の生活を豊かにするために人は働いている。職場のことに無関心でも、あくまで仕事と割り切っているならしょうがない。鉄華団だって仕事相手に入れ込んだことはなかったし、きっと同じことなのだろう。

 孤児たちに()()()()()ことと()()()()()()()ことは似ているようでいて違う。

 

 まずは年少の子供たちの部屋を見せてもらい、膝を折って挨拶をする。まだつかまり立ちをするくらいの幼い子たちだ。来訪者が珍しいのか、好奇心旺盛な視線がすぐにタカキにあつまった。

 ほうぼうで乳児をあやす女性職員に会釈をして、幼子たち一人ひとりに向けて「また来るからね」と微笑する。

 続いて案内された年長組の部屋も同じ広さだった。人数は同じく十五人ほど。年齢層は五〜八歳くらいだろうか。

 鉄華団が発足して給料がはねあがり、フウカをまともな孤児院にいれてやれたころを思い出す。

 親と死別したり、捨てられたり、経済的な事情で育てられなくなったり――かつて治安の悪かった火星のスラムでは日常茶飯事だったが、治安のいいエドモントン近郊でさえ人手が足りなくなるくらいの孤児がいる。

 アーブラウ防衛軍が発足するとともに開戦し、経験の浅い兵士たちが前線に送られた影響で子供を育てて行けなくなった家庭が爆発的に増えたのだ。

 五年前。あの戦争で親を失った子もいれば、戦争で四肢を失って我が子を手放さざるをえなかった親もいる。

 インプラントへの悪印象はガンダム・バエルの再起動を忌避したギャラルホルンによる創作であったと知れ渡ったおかげで義手・義足への差別感情は薄まり、戦争で手足を欠損した人々も、未来を見ることができる社会にはなった。

 だが傷痍軍人への手当であるとか戦後PTSDへの対処は、どれほど手厚い対策がなされていても()()には遠く及ばない。

 

 体に異物を埋め込むことに長らく抵抗感を持っていたせいでテクノロジーは大きく遅れをとっている。アーブラウ製の義手の安全性では、赤ん坊を抱けないのだ。

 子供に触れても大丈夫だとお墨付きを与えられるだけの技術が地球圏にはない。うかつに運用して弱いものを傷つけてしまえば、義肢への差別は息を吹き返してしまう。

 火星から輸出できないかとヤマギにはたびたび相談を持ちかけているのだが、運送やメンテナンスにかかる費用問題も山積みで、道のりは長い。

 エドモントンのような安全な街にも影は確かに存在していて、苦しめられるのはいつも、力を持たない子供たちだ。

 どの孤児院にも活発に走り回るような子供はなく、ここでもみんな、大人しく手遊びをして過ごしている。タングラムパズルやオーボールを手に、ずいぶんと物静かな印象だった。

 

 ぐるり見渡せば、ふと、部屋のすみで膝を抱える少年の姿が目にとまる。頬の絆創膏が気になって歩み寄ると、そっと膝をついた。「こんにちは」と話しかける。

 

「今の時間じゃおはようかな」と苦笑すると、伏せられていたひとみがタカキをとらえた。

 

 鮮やかな緑色の虹彩。どこかアストンを思わせる風貌に、まだ戦友の面影を追いかけているのかと自嘲する。

 

「パズルには興味がない?」

 

 手近なピースを拾い上げて手のひらに乗せると、いとけない視線はじいっとタカキの手元を見つめた。

 アルファベットが乗せられている六面体は、どこかから寄付された中古品なのだろうか、乱雑な落書きに覆われている。

 差し出そうと伸ばした手を、グリーンのひとみがつぶさに追う。――そして。

 

「ひ……っ」

 

 鋭く息を呑み込んで、両手で耳を塞いですくみあがった幼子に、タカキの手は置き去りにされてしまった。

 

「……え……?」

 

 目に見えて怯えるしぐさを前にしても、タカキの中で前後関係が噛み合わない。

 ただ、パズルピースをひとつ、差し出そうとしただけだ。

 目の前で隔壁を封鎖されたような心地になって、しどろもどろに「ごめん」と詫びる。びっくりさせてしまったことへの実のない謝罪だ。背中に冷たい汗がふきだす。

 動揺が手放させた遊具がそっけなくフロアを転がって、無力な両手は何をしていいかもわからない。

 

「その子は暴力を振るわれていて……」と施設の職員から気まずそうに耳打ちされて、ああ、そうなんですか、と中身のない相槌をこぼしてしまった。

 心音が今さら騒ぎだす。

 

 

(なにやってるんだおれは……っ!!)

 

 

 殴られて育った子供は大人を怖がるようになるものなのだと、学んだはずだったのに。

 ここにいるのは戦災遺児ばかりではない。養育を放棄された子供たちだっている。別の施設で職員の虐待を受けて移送されてきた孤児だっているのだ。

 頭ではわかっていてもタカキは少年兵育ちで、資料で読み込んだ()()()()()()とはどういうことなのかを体感していないから知らない。

 殴られる前に()()という挙動も、はじめて見た。

 大人たちが振り上げた拳が頬を打つまで気丈に、両脚を地につけて見上げる背中しかタカキは知らなかった。鉄華団が指標とした兄貴分たちは、どんな理不尽が襲おうと下を向いたりしなかった。憧れの三日月も、別の場所で育ったアストンたちもそうだったから、それが普通だと思っていた。

 ……アーブラウ防衛軍との合同演習のたび、ガキのくせにかわいげがないと不気味がられた記憶と理由が今さらのようにカチリとはまって、そういうことだったのかと納得する。

 

 就労条件として阿頼耶識の適合手術成功をあげていたCGSに雇われていたのは幼くとも負けん気の強い少年ばかりであったし、スラムで野垂れ死ぬよりずっとずっとマシだからと傭兵になった仲間たちだ。

 過酷な現実を生き抜くたくましさがあったから無麻酔の手術から生還できた。

 阿頼耶識があったから戦場を生き延びた。 

 殴られ蹴られ虐げられて地に伏しても、大丈夫かと仲間同士で声をかけあった。怪我をすれば手癖の悪いやつが医務室から絆創膏をくすねてきてくれた。

 参番組の待遇が()()()()()であると反発したのはオルガやビスケットで、彼らほど勇敢でも聡明でもなかったタカキは、現状への不満というものを、あまり感じてこなかった。

 成功率五〇%を下回る危険な手術も、すずめの涙のような給金も、そういうものだと思っていた。何がおかしいのかわからなかった。

 

 だってそれしか知らなかったから。

 

 現実を疑問視できるほどの知識と教養がなかったせいだと、理解できたつもりでいた。

 ああ。現然と横たわる溝を前に、言葉が出てこない。

 だって。タカキの記憶の中で、差し伸べられた手といえば三日月や昭弘のものだったのだ。身長がすくすく伸びたからライドほど頭を撫でられる機会がなくなって、寂しいと感じる反面で、仕事をたくさん覚えて兄貴分に頼られることが誇らしくもあった。

 タカキがそうされてうれしかったから、アストンの短髪をくしゃくしゃかき回したこともあった。

 何もかも、タカキが世界の冷たさを何もわかっていなかったからできたことだ。

 頭を撫でて褒めてもらったやさしい思い出がタカキにはある。肩を組んで笑い合った思い出も。追想する手のひらはどれもあたたかい。大人たちに殴られたって平気だった。仲間がいてくれたからこわくなかった。

 

 家族に恵まれていたタカキは、孤独の苦しみを知らない。

 

 シャツの胸元を握りしめて「ほんとうに、ごめん」と言葉ばかりの謝罪だけを積み重ねて、声もなくしゃくりあげる孤児のそばから遠ざかる。

 くちびるを噛む。

 暴力をおそれる子供たちの心情も、平和の中に生まれ育つとはどういうことなのかも、誰かが書いた資料を読んで知ったつもりになっていた。

 今の立場だからこそできる仕事があると、みんなの役に立てるんだと、そう思えることは希望だったはずだ。――なのに。

 おれは何をしにここへ来たんだろう。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 鹵獲したガルム・ロディで帰投し、コクピットから降りたつデルマを迎えたのはエンビだった。

 パイロットスーツ姿のまま、補給物資を抱えて大きく手を振る。

 バックパックにつり提げていたかばんをごそごそ漁ると、ドリンクをひきずりだして「お疲れ」とデルマに投げ放った。

 無重力をくるくる飛来したボトルをキャッチして短く礼を述べる。

 エンビの腰もとでオレンジ色の両袖が縦結びになっているのが気になったが、直してやるのも何だか違う気がして目を逸らした。

 

 まだ新しいキャットウォークは、床にしては磨かれすぎて、鏡にしては不鮮明に光をにぶく反射させている。まぶしさに目を閉じる。

 ……とにかく疲れた。

 作戦のコンセプトがヒューマンデブリの保護・解放であった以上、ライドが不殺を貫いたことに否やを唱えるつもりはない。おかげで輸送船団に信用してもらえたし、拿捕した海賊をギャラルホルン火星支部に突き出す役目まで申し出てくれた。

 危ないところを救ってくれた()()の援護と勇気に感謝する、とのことだ。エリゴルの活躍あっての対応だろう。

 にしても、パイロットが乗ったままの機体をそこらじゅうに放置してくれたものだから、全員かき集めるのは骨が折れた。

 輸送船の警護に雇われていたパイロットたちには海賊とヒューマンデブリの見分けなどつかないから手を借りるわけにもいかず、阿頼耶識使いはスラスターをやられても慣性制御だけでひょいひょい避けるのだ。

 寝返り程度の動きしかできなくても、捕まえるのは容易ではない。さすがにマン・ロディほどの重量はないとはいえ装甲は重く硬く、ただでさえ燃費の悪いMS(モビルスーツ)だ。ころころと逃げまわる機体を追いかけて、推進部を潰された重たいばかりの金属塊を牽引して宙域とシラヌイを往復するには膨大な時間、労力、推進剤が必要だった。

 エンビの解放宣言を聞いていた元デブリたちに戦意はもうなかったものの、LCSの通信は生きていて、生き延びて火星に移って孤児院に引き渡すことを説明しながら飛ばなくてはならない。

 それもライドのガンダム・エリゴルとデルマのガルム・ロディ、たったの二機で。

 機体内部の酸素が尽きる前に、という時間制限付きで。配備されていたMSがもし全部マン・ロディだったら何割のデブリが窒息していたか……。こんな無茶は金輪際やめてもらいたい。

 生身の右手指を開いて閉じて、ふうと一息つく。

 甘いドリンクがしみわたる。

 

「やっと全部だ。ほかのやつらは?」

 

「イーサンがブリッジ、ウタは仮眠中。トロウはボイラー室行くって」

 

 手振りで懸垂の真似をしてみせ、この(シラヌイ)にはトレーニングルームがないのだとエンビは肩をすくめてみせた。

 

「そんでライドはガキどもの見張り。シフト表作ったから、あとで見といてよ」

 

 デルマは仮眠が先だから急ぎじゃないけど、と軽い調子で添えて、鹵獲されたMSを見上げる。

 ガルム・ロディをそばで見るのははじめてだ。

 ロディフレーム本来の汎用性を残し、宇宙でも地上でも運用可能な機体。獅電とランドマン・ロディの間を取ったような性能を持つ。

 海賊と混同されてしまわないか不安はあるものの、今後の動向を考えればちょうどいいだろう。

 小型船〈シラヌイ〉には右舷左舷に各一基のMSハンガーが存在し、それぞれ二機ずつ積載できるつくりになっている。

 機体上部格納庫のガンダム・エリゴルを含めて五基あるデッキがこれで埋まった。

 エンビに続いて視線を上向けたデルマはしかし、困ったように垂れた眦をさらに落としてため息をつく。

 

「こんだけ集めて使える機体はガルム・ロディ(こいつ)一機か……」

 

「海賊船から持ってきたのがあと三機あるだろ? ざっとチェックしたけど結構キレイだったぜ」

 

「いや、システム周りがおかしくて、それで出撃してなかったっぽいんだよ。貨物用コンテナに空きがないから一応このまま置いておくけど」

 

 ハンガーに残っていた時点でおかしいと思うべきだった。ふたたびデルマは重々しくため息を落とす。

 デルマが電子技能を覚えたのは孤児院の地下にあるサーバールーム管理者を補助するためで、MSのシステムまではわからない。クリュセに張り巡らされた云百基というカメラを取り扱うのに、番人がひとりきりでは万一のとき対応しきれない、防犯の担い手がダンテだけじゃ頼りないから――と、雑な悪態をつきつつ学びはじめた。

 応用できるほど細かいところまで理解できているわけではない。

 戦場に出てきた機体はガルム・ロディもユーゴーもすべてライドが豪快に大破させてしまったし、まだ戦える機体はデルマが乗っ取った一機のみ。

 今後はガンダム・エリゴルにライド、ガルム・ロディにデルマが乗って戦っていくことになるだろう。

 エンビ、トロウにもMSがあればと思ってわざわざ輸送船団側に了解までとって海賊船の格納庫から運び出してきたのに、三機が三機ともポンコツだった落胆には、さすがのデルマも頭を抱えた。

 

「ま、そーゆうこともあるだろ」

 

「積み荷の重みのぶんだけシラヌイが推進剤食うんだぞ……」

 

「MSの予備パーツが足りないよりいいって」

 

「あのなあ、」

 

 子供たちを保護したことで目的は果たしたんだからとエンビは眉尻を下げて、それでもからりと笑ってみせる。

 その快闊さがノルバ・シノの模倣とわかってしまう元流星隊員は、つられて笑おうとする口元を曖昧に引きつらせた。

 そこへ、かつんと足音が鳴る。

 聞き覚えのない響きだ。軽さからして仮眠をとっていたウタかと疲れきった思考が惑うが、軽すぎる。いくらウタがクルーの中では小柄の部類だとしても、背丈も体格もヤマギくらいには育っている。

 六人しかいないクルーの靴音を聞き違えることはありえない。

 

「誰かいるのか?」

 

 詰問の鋭さでデルマが投げかける。ガルム・ロディの影で、ふたたびかつんと音がする。

 不穏な気配は観念してか、その正体を現した。

 おもむろに駆け出し助走をつけると、手近な装甲を蹴って無重力を弾丸のように突進する。白いノーマルスーツ、ぶかぶかの裾を縛る赤いライン。

 ヒューマンデブリの少年兵は、宇宙育ち特有の敏捷さでデルマにとびかかった。

 

「にいちゃんの仇――!!」

 

 

 

 

 #054 奴隷たちの鎖

 

 

 

 

「おまえがギリアムを殺したんだ!」

 

 ふりかぶった拳がデルマの義手にはじかれてキンと甲高く鳴る。

 何か硬いものを握り込んでいるのかと即座に看破したデルマはエンビから距離をとって、小さな復讐鬼をひねり上げた。

 長い宇宙生活のせいで痩せているから力も大して強くない。子供の扱いに慣れている今のデルマの手にはすんなりと確保できた。

 拳に指を突っ込んで開かせると赤い小石がころりと逃げ出す。

 

「兄ちゃんのかたきはおれがとるっ……!!」

 

 唯一の武器を奪われてなお奥歯をぎりぎり食い締め、脚をばたつかせて一矢報いてやろうとあがく。

 喉を嗄らして吠え猛るのは、デルマが乗っ取ったガルム・ロディのパイロットだ。やはりヒューマンデブリとはこういう生き物なのだと、懐かしさが縄のようにデルマの首を締めあげる。

 回収してきたデブリたちは全員モンターク商会の輸送船づてに火星へ送る人員輸送用コンテナに集めたはずで、――エンビによれば見張りのシフトはライド。

 

(敢えて見逃したってのかよ……)

 

 舌打ちをする。こっそりとコンテナを出てきたならライドだってさすがに気付いただろう。今回の戦闘で戦死者を出したのはデルマだけで、あくまでも不殺を貫いたライドの意図からは大きくはずれるやり方をした。

 意趣返しをやるなら動機は揃っている。

 

 海賊の旗艦にとりつき、ハンマーアックスを振り下ろしたのはデルマなりのケジメだった。

 かつてヒューマンデブリとしてデルマは輸送船のブリッジを襲ってはハンマーチョッパーを叩き込んできた。至近距離からマシンガンを掃射したこともある。

 命令されるまま殺して殺して、海賊たちの殺戮と略奪に加担してきた。

 

 デルマが海賊のやり口を熟知していたからこそエンビたちは無事に艦橋までたどり着くことができた。しかしブリッジに到達した瞬間から銃撃戦がはじまるだろうことは火を見るよりも明らかで、ヒューマンデブリはいわば()()()()()()()()()である。彼らと撃ち合えばエンビとトロウだって無傷では済まなかったはずだ。

 仲間に怪我をさせるわけにはいかなかった。シラヌイのクルーはたったの六人で、船医はいない。惑星間航行にはクルーが足りないことも承知で、危険を冒してでもヒューマンデブリを救い出そうと動き出してくれたのが〈雷電隊〉なのだ。

 だったらなおさら、助けにきたはずの家族が全滅するまでマシンガンを撃ち続けなければならないような、そんな経験はさせたくなかった。

 阿頼耶識でシートに縛り付けられているヒューマンデブリたちはどうせ脱出できないし、ブリッジクルーはおそらく奥歯に致死毒を仕込まれている。制圧に成功した瞬間に集団自決しただろう。

 艦橋ごと吹っ飛ばしてやる以外に解放してやる手段は考えつかなかった。

 だから殺した。

 率先して、一撃で。

 

「ギリアムを殺した、おまえが、おまえが……!!」

 

「ああ、そうだな。おれが殺した」

 

 味方を生かすために殺した。

 それが正しかったのかどうか、苦い感傷を抱くばかりのデルマにはわからない。少なくともライドとは対立するやり方だ。味方の犠牲を最小限に抑えた、という結果論においてのみ肯定されうる非道な方法をとった。

 そのせいでこうやって黒い復讐心と、味方への疑念を生んでいる。

 

「おまえがギリアムを……!!」

 

「エヴァンだったっけか。おまえ、兄貴がいたんだな」

 

「そうだよ! おれたちは双子でっ、捕まっても、売られても、ずっとずっと一緒で……なのにっ!」

 

 緑色の大きな目からこぼれた涙が無重力にきらきらと散る。そのさまが、鏡面のようなフロアごしにデルマにも見て取れた。

 しゃくりあげる肩がふるえて、往生際悪く暴れていた両脚が投げ出された。

 にぃちゃん、と弱々しくこぼれた声に続いて、カン、と乾いた靴音が鳴った。デルマの双眸がハッと見開かれる。

 しまった、と息を詰めてももう遅い。

 

「エンビ、――っ!」

 

 顔をあげれば、そこには常の快活さが鳴りをひそめた、子供がいた。

 表情を凍らせて、何も言えないくちびるをひきつらせる。けれど声は出てこない。茫然と焦点のあわない目に涙はなかった。

 泣けなくなった双眸で、エンビは双子の弟との離別を見つめている。

 

(エルガー)

 

 ひとりだけ生き残った命を無駄にはできなくて、だからエンビは生きてきた。五年前の戦いで半身を失ってからずっと、残されてしまった半分の生き方を探している。

 鏡うつしのように似ていたエルガーがいなくなり、自分の姿が見えなくなった。

 はじめは記憶の中のエルガーを真似ていられたけれど、エンビの肉体はエルガーを置いてぐんぐん成長してしまう。髪が伸び、背が伸び、骨格も子供ではなくなっていく。記憶の中のエルガーは変わらないのに、鏡の中のエンビは日に日に大人の姿に変わっていく。

 思い出せなくなることがこわくなった。

 ニット帽は捨てた。鏡にうつる自分自身にエルガーを見出した。どういうふうに成長すればいいのかわからなかったから、そういうときは兄貴分たちの姿を追想した。

 娼館に通ってみては「エルガー」と名乗って、目の前の赤いくちびるが双子の兄弟に愛をささやくことに安心した。やわらかい女の手は惜しみなくエルガーを愛してくれた。金で買わなければ手に入らない愛には複雑な思いがあったけれど、仕方がなかった。

 だって、エルガーの話をするとみんな痛ましげに目を伏せて、口をつぐんでしまうから。

 エルガー。エルガー。お前はちゃんとここに生きてる――そうやって暗示をかけて、エンビは今日まで片割れの見えなくなった世界を生きてきた。

 

 だけど古戦場に取り残されたままのエルガーは、鉄華団がなくなったら生きる場所を失ってしまう。

 エンビがいる限りエルガーの面影は失われないけれど、エルガーが生きて生きて死んだ場所は過去にしかないのだ。

 オルガ・イツカのいない、三日月・オーガスもいない鉄華団なんてハリボテだと、いつまでも子供ではいられないエンビの理性はきちんと理解している。それでも鉄華団を名乗ることで抗いたかった。ガンダムフレームを奪還したいと叫び続けていれば、家族が戻ってくる未来を夢見ることができた。

 鉄華団が事実上なくなってしまったことは受け入れているつもりだ。

 ただ、最初からなかったことにされてしまうのは耐えられない。そこはエンビが育った場所だ。エルガーが眠る場所なのだ。世界じゅうの人々が鉄華団を忘れ去って、名前も、記録さえもなくなってしまいそうな現実に立ち向かうことだけが、命ごと置き去りにされてしまったエンビたちの未来だった。

 雷電隊はそのために蜂起した。

 それがどうだ? ヒューマンデブリを保護しようとしてやってきて、双子の兄弟をばらばらにしてしまった。

 親に捨てられても一緒で、CGSに入るときも阿頼耶識の適合手術をふたり一緒に生き残ったのに。エドモントンの攻防戦ではふたりとも MW(モビルワーカー)に乗って、ふたりとも生きて帰ってきたのに。夜明けの地平線団との戦いでは同じ補給部隊について、イサリビのオペレーターを任されて、ずっと、ずっと一緒だったのに。

 最後の戦いでエンビは雷電号に乗った。エルガーは獅電に乗った。あれが最後だった。

 出撃のとき交わした気安い挨拶のあと、エルガーは――。

 

 記憶が焼き切れそうになる。毎晩のようにうなされた悪夢が蘇る。めまいがした。

 

「エンビ!」とデルマが強く呼びかける声も右から左へ抜けてしまう。

 

 五年の歳月が流れたって片割れの死を受け入れるには時間が足りない。時間があったから癒える傷でもない。

 

(エルガー、)

 

 自分をはんぶん亡くしてしまった世界なんて。

 

 力なく笑って、エンビは両手で顔を覆った。手放された物資のコンテナが無重力に取り残されてただよう。

 迷う指先は片割れの面影を探して、頬を、目元を、額を前髪をたどるのに、そこには五年の歳月を隔ててしまったエンビしかいない。

 髪の色は同じなのに。目の色だって同じなのに。手のひらの大きさがもう、エルガーとは違う。せりあがるように肩がふるえる。

 それでも、嗚咽に涙はともなわない。

 靴裏の磁石だけがエンビを現実につなぎとめていた。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 ハーフビーク級戦艦の艦長席ではピーコックブルーの軍服が誇らしげに胸を張っている。艦隊司令にのみ許されたロングコートの裾がゆらめく。

 十六歳の若き司令官、ヒレル・ファルク三佐率いる地球外縁軌道統合艦隊〈グウィディオン〉の初陣はつつがなく進行していた。

 与えられた初任務は海賊船の討伐だ。壮年のオペレーターが演習通りに報告する。

 

「突入部隊より入電、海賊船の制圧を完了しました」

 

「よし。武装解除を確認の上、人質をコンテナに移動させろ!」

 

「はっ」

 

 予定された通りの流れに、ヒレルは小鼻をうごめかす。

 航路を特定されていた海賊を発見し、教練通りに相手の倍を目安としたグレイズ隊を発進。効率的かつ合理的に海賊艦隊を沈黙させた。

 教官や家庭教師が「学んだ通りにやればいい」「訓練だと思って自分の力を出せばいい」と口々に励ましてくれたように、これまでやってきたことを無駄にしなければいいだけのこと。

 姉艦隊にあたる〈アリアンロッド〉は月外縁から圏外圏まで足を伸ばすことになるが、新設された弟艦隊〈グウィディオン〉は地球軌道上から遠く離れることはない。

 若輩の身ゆえ重大な任務には赴かせてもらえないことはヒレルとて承知である。

 しかし実戦経験を積んでいけば、いずれはジュリエッタのような巨大艦隊を任され、長旅に出ることもあるだろう。

 今は作戦をひとつでも多く成功させ、戦果を示していくのみ。

 

(そしてエリオン公に認めていただくのだ!)

 

 胸を張って前を向く。アリアンロッドの旗頭ジュリエッタ・エリオン・ジュリス一佐は、いずれラスタル・エリオン総帥の後継者としてギャラルホルンの次世代を担うだろう。

 そうすればジュリエッタは戦線を退き、政治家として動くことになる。

 一介の兵士から艦隊の指揮官へ、そして世界の秩序たるギャラルホルンの王の椅子へ。彼女の時代が訪れれば、今後ますますセブンスターズの家が持っていた既得権も弱まっていき、経験値と撃墜数がものを言う完全なる実力主義が完成する。

 そのとき、このヒレル・ファルクが女騎士の右腕――いや、女王の騎士となって、この世界の安寧を守っていく。

 そうできる戦士の器に一日も早く成長したいと、幼少のころより願っていた。

 

 たった数ヶ月早く生まれただけのアルミリア・ボードウィンとの扱いの差に長らく不条理を感じてきたのだ。同世代だろうに彼女が早々に婚約を済ませ、政治的な立場を手に入れようとしていた、あのころから。

 ただ悔しかった。九歳のアルミリアにできて、なぜ同じ九歳のヒレルにはできないのかとごねて使用人たちを困らせたことも一度や二度ではなかった。

〈マクギリス・ファリド事件〉勃発当時、ヒレルは十一歳だった。

 そのときはじめて、革命の何たるかもわからない自分自身に愕然とした。

 会見の中心にいる青年将校の言葉が、聞こえているのにわからない。蔓延した腐敗とは何のことだ? ギャラルホルンは平和と秩序の番人であるはず。欺瞞に満ちた世界とはどういうことだ? 特権? セブンスターズはギャラルホルンの均衡を、ひいては世界平和を保つための最高機関ではないのか。傭兵? 紛争幇助? 強制査察? 違法兵器による非戦闘員の虐殺? 政治抗争? ――それは、なんだ。

 ぎゃくぞく、という言葉の意味こそわからなかったが、マクギリス・ファリドという男は悪人であるとすぐさま反論されていることは理解できた。

 

 ところが今度は記憶との辻褄があわない。

 セブンスターズ総出席の中で行なわれたファリド家とボードウィン家の結婚式にはヒレルも参列していた。同じ年ごろの子供だというのにウエディングドレスをまとい、永遠の誓いを交わしていたアルミリア・ファリドは、しあわせな花嫁に見えた。

 確かにボードウィン家は長女アルミリアをファリド家に嫁がせてしまったことで正式な跡取りを失った。それがボードウィン家の権力を我がものにしたいマクギリスの罠であったなら、どうしてふたりともあんなにいとおしそうに頬を寄せて、でもどこか申し訳なさそうに笑っていたのだろう。

 何より、戦死したと思われていた嫡男ガエリオが生きていたならボードウィン家は息を吹き返す。問題はすべて解決されるではないか。

 どうして誰も彼の生存を喜ばない? 執事にたずねても、家庭教師を問いつめても、誰も教えてくれなかった。

 

 変革とは何をどうすることなのか。――好奇心では済まされない悩みに首をひねっていたヒレルに正解を見せてくれたのは、報道の中のラスタル・エリオン公であった。

 クーデターを鎮圧し、迅速に終息していく戦いの名残には政治とはこういうものかとわくわくした。

 七十二柱のガンダムフレームはギャラルホルンの()()。厄祭戦を終わらせ人類を絶滅の危機から救った英雄たちの魂が宿る、恒久平和のシンボルなのだ。

 創設者アグニカ・カイエルの遺志を継ぎ、未来永劫この世界を守護していくという決意の表れでもある。

 

 というのにマクギリス・ファリドはガンダム・バエルを戦場に引きずり出してしまった。鉄華団とかいう民兵の組織もまた、ガンダム・バルバトスを兵器として使用した。美術品たる刀剣を振り回して人を殺めるなど、何と罪深いことをするのだと憤りが芽生えた。

 マクギリスは己が理想に燃えるばかりで、戦後のことなど何も考えていなかったのだ。

 それに比べてエリオン公は、今後ますます自由平等な世界となれるよう、政敵たるマクギリスの遺志を汲んで未来のために尽力なさっている!

 なんと素晴らしいお考えだと胸を打たれ、ヒレル・ファルクは是非ギャラルホルンのために粉骨砕身したいと願ったのだ。

 

 一連の軍事クーデター事件を受けて解体された地球外縁軌道()()統合艦隊は、統制局を離れて地球外縁軌道統合艦隊として生まれ変わった。

 新時代を作るエリオン公と女騎士ジュリエッタを支えていくことこそ、ギャラルホルンの未来を担う若者のつとめと信じている。

 そのためには地球の外の世界を己の目で見て、もっともっと学ばなければ。

 ギャラルホルンの目が届かない圏外圏では法がまるで機能しておらず、人身売買が平然とまかり通っているという。ところが平穏に生きるヒレルたちは、地球の外では命に値段をつけるような非人道的な商人が闊歩しているだなんて、想像だにしなかった。

 年端もゆかぬ子供を誘拐し、非合法に手術を受けさせ 人間の屑(ヒューマンデブリ)などと名付けて奴隷とすることが違法ではなかったのだ。

 エリオン公の発言力があって廃止条約締結にまでこぎつけたが、それまでは無関心ゆえに対策ひとつ打ち出されてはこなかった。

 人身売買だなんて同義に悖る行い、一体誰が行なうのかと一笑に付してきたせいだ。取り締まる法律が作られることもなく、そのせいでグレーゾーンが生まれ、子供たちは尊い命を散らしていた。

 残酷な現実を知ることもなくぬくぬくと生きてきたヒレルは、何も知らなかった自身を恥じた。

 アーブラウの蒔苗氏とやらが心を痛めていたのも、地球圏にとってどうでもいい政策だと、支持者たちがそっぽを向いたせいだろう。

 ヒューマンデブリを廃止したところで地球の人々の生活は豊かにはならない。不幸な境遇の子らを見捨てたいわけではないが、顔も知らない圏外圏の他人なんかより、市民のことを第一に考えるべきだと人々は主張する。民主主義であれば当然、より民衆の声におもねった政治家が指導者となる。

 誰も彼も自分のことばかり考えて、対岸の火事を消し止めようとしなかった。

 ならばギャラルホルンが武力をもって断罪する。哀れな孤児たちを理不尽な虐待から救い出す!

 そのためのギャラルホルン、そのためのグウィディオンだ。

 

「ヒレル様。ヒューマンデブリ掃討第一波、完了とのことです」

 

 オペレーターの報告がブリッジにほっと安心の空気をもたらした。

 ところがヒレルだけは、不穏な響きに眉根を寄せる。

 

()()だと?」

 

「はい。コンテナに移動ののち全員銃殺――」

 

「銃殺!? 一体どういうことだ!」

 

 がん、と艦長席を降りたブーツがブリッジの硬質なフロアを殴りつける。

 定石通りにグレイズ隊を出撃させ、海賊のMSを倍の戦力でもって叩いた。突入部隊もまた海賊船の制圧を行なったはず。武装解除させ安全を確保した上で、囚われていたヒューマンデブリたちはコンテナに移動させ、捕虜として丁重に保護すべきではないのか。

 声を荒らげたヒレルに、オペレーターたちはおろおろと視線をさまよわせる。

 誰もこたえようとはしないようすが返答を濁す使用人たちの姿に重なり、ひとりを名指しで呼びつけた。

 びしりと人差し指を突きつける。

 

「わたしの質問に答えろ! 掃討とはなんだ!」

 

 ぎょっと目を見開いた士官が起立した。

 

「ひ、〈ヒューマンデブリ廃止条約〉施行にともない、宇宙ネズミは根絶やしにせよと、エリオン公のご命令であります!」

 

「なんだと? 我々は、罪もない子供たちを不当に搾取する悪しき海賊の討伐隊だぞ……!!」

 

 がなり立てるヒレルにますますブリッジは困惑の色を深め、これでは話にならないとヒレルは鋭く舌打ちした。

 踵を返し、うるさく呼び止める声にぴしゃりと叩き付ける。

 

「わたしみずからコンテナへ出向く!」

 

「それは危険です!」

 

「お待ちくださいヒレル様!」

 

「ヒレル様!!」

 

 背中にぶつかる叫びを無視してブリッジを飛び出し、ハーフビーク級戦艦の長い長い廊下を走る。

 教本によれば人質とは人道的手段をとって保護すべきものであったはず。エリオン公より賜った作戦は、ヒューマンデブリを解放するための海賊討伐であったはず。

 広い廊下に出て標識を確認し、コンテナが移動してくるだろう格納庫に目星をつけて、足を駆り立てる。学校のかけっこではいつも一番だったヒレルだ、窮屈な軍服であっても構わず走った。

 

 格納庫に駆け込み、そして駆けつけたコンテナの中で目にしたのは、後ろ頭に手を組んで整列する子供たちの背中だった。

 三十人あまりだろうか。壁際に追いやられたヒューマンデブリたちはみな一様にサイズの合っていない白いノーマルスーツを着て、壁を見つめている。

 海賊に囚われていた、恵まれない子供たちだ。

 しかし、彼らが大人しく列をなす壁に向かって、ギャラルホルン突入部隊の制服が整列している。手にはサブマシンガン。腰だめに構えた銃身。トリガーに指先がかかっている。

 現場指揮官が命じる。

 

「撃て」と強く響く。

 

 ぞっと悪寒が背筋をはいあがった。

 

 

「待てっ、やめろぉおおおおぉおおおおおおおお!!!」

 

 

 一斉射撃の弾幕に、コンテナの壁が真っ赤に染まる。

 爆ぜる、爆ぜる、まだ生きている小さな体。無抵抗で蜂の巣になり、着弾の衝撃で壁にぶつかり、もんどりうって倒れ込む。鮮血がびしゃびしゃ跳ね飛ぶ。子供たちは大量の肉塊へと姿を変え、――伸ばしかけたヒレルの手は届かない。

 掃射がやんだコンテナには総勢三十体あまりいたとは思えない血だまりだけが残されて、饐えた死のにおいが充満する。

 天井にまで散った赤い雨がぽたり、ぽたりと垂れ落ちては同じ色の水面をたたく。波紋に混ざる肉のかけら。

 いとけない手がだらりと投げ出されて、まだ弱々しく痙攣している。

 倒れ臥したノーマルスーツは穴だらけで、白い部分はもう見当たらない。

 

「そんな、どうして……どうして、」

 

 世界の秩序を守るため、子供たちを救うためにきたはずだ。そのための任務だった。そうだろう? そうだろう。ああ。ふらつくブーツの足もとに、黒ずんでいく鮮血の海がおよぶ。

 ヒレルを追いかけてきた副官が「汚れます」と手を引いて、走って乱れた呼吸を整えるようにため息をついた。「ヒレル様……」と聞き分けのない子供をなだめるように肩をつかむ。

 

「やつらは()()()、海賊の構成員です。数々の船団を襲い、無実な人々を手にかけてきた、犯罪者なのですよ」

 

「違う……こんな、こんなことは……っ」

 

「海賊の討伐が我々グウィディオン艦隊の任務。そうでしょう?」

 

 おろかな子供のわがままを諌め、ヒレルを死で満ちたコンテナから遠ざけようと腕を引く。作戦通りだと言い含める。初陣を見事に完遂し、成功させたヒレル・ファルク三佐はよくやったのだと言い聞かせる。ラスタル・エリオン総帥も喜ばれるはずだと。

 違う。違う。何がどう違うのかも言葉にできず、どうにかもがいて補佐官たちの腕をふりきっても足元がおぼつかない。

 ヒレルは宇宙の見える廊下の壁によりかかると、ずるずるとくずおれた。

 

 視界が揺れる。嘔吐感がせりあがってくる。吐くまいと奥歯を食いしばるのに、まぶたの裏には子供たちの無惨な最期が焼き付いて離れない。

 内臓が裏返る圧迫感に耐えかねて、胃の内容物をすべて吐き出した。

 えづいて、えづいて、胃液が喉をひりひりと焼く。生理的な涙が浮かび、伝い落ちた水滴が吐瀉物の中にぽたりと混ざる。

 

 

 ――残党狩りなんて、地味な仕事です。

 

 

 作戦前にジュリエッタは、そう独り言ちて空を見上げた。あの悲しい横顔は、こうなることを知っていたのだろうか。

 世界をよりよくするための作戦だと信じていた。

 不当に搾取される子供たちのいない自由平等な世界を目指して、エリオン公はヒューマンデブリ廃止条約を締結されたのだと。

 地球圏の情勢に直接かかわりのない圏外圏で生きる子供たちにまで手を差し伸べるだなんて、他の誰にもできないと思った。素晴らしいと絶賛した。

 朦朧とする意識の中で折り合いをつけようとするのに、ヒレルの頭は理想と現実のギャップに困惑するばかりだ。

 海賊討伐をしているつもりだった。悪い大人に拐かされ、囚われ、騙されて戦わされていた子供たちを助け出せると思っていた。

 なのに、ヒューマンデブリは少年兵で、全滅させるべき悪人なのだと副官は言う。

 部下たちは何の躊躇もなく、無抵抗の子供たちを皆殺しにしてしまった。

 本当にこれでいいのか? これが平和と秩序を守ることなのか? 恵まれない孤児たちを、理不尽な暴力から救うために宇宙(そら)へとあがったはずだったのに。

 これでは――これでは。

 

「虐殺じゃないか……っ!」

 

 慟哭するヒレルに注がれる視線は憐れみを帯びて、ひたすらに冷たい。




【次回予告】

 ときどき不安になるんだ。注意深く周りを見てるつもりでも、おれには何も見えてないんじゃないかって……って、弱音なんて吐いていたらだめだよな。お前が守ってくれた命なんだ。必ずおれはやりとげてみせる。そうだろ、アストン。

 次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光、第五話『力を持つ者』。

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