鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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圏外圏の警備を強化する方針を固めるGH。抗うために蜂起する鉄華団元年少組。彼らの目的とは。


#53 解放

 わたしが生まれたのはアフリカンユニオン北部、旧ヨーロッパ共同体〈REU〉の東のはずれでした。

 

 田園風景と工業地帯が隣り合わせで、垢抜けた市街地からは遠く離れ、血なまぐさいテロリズムと共生する土地であったそうです。

 隣国とは厄祭戦の勃発以前より不仲だったと聞いていますが、わたしは子供だったのでよくわかりません。

 ただ両親は長時間働き詰めで暗く落ち窪んだ目をしていて、ふたりの兄はそれぞれゲリラ組織に属して爆弾を作っていました。

 家族の食卓はいつも夜遅く、別々の思想を持つ双子の兄たちがそっくり同じ顔を突き合わせて、歴史がどうだ伝統がどうだと醜く言い争っていたことだけ、ぼんやりと覚えています。

 家族にいい思い出はありません。

 爆破テロに巻き込まれて、みんな死にました。

 

 ジュリア、ジュリア、あなただけでもお逃げなさい。――それが母の最期の言葉です。

 幼い娘を地下室に押し込めながら叫ぶことでしょうか?

 外から鍵のかけられた倉庫から出られなくなってしまったわたしは、どこへ逃れることもできず、遅かれ早かれ死ぬ運命でした。

 

 

「……おじさま、」

 

 

 ――ふと、目を覚ます。無機質な天井。簡素なベッドの下から感じる揺動から、今は海の上だと思い出した。

 ジュリエッタ・エリオン・ジュリス一佐は任務のため宇宙港へと向かう船舶の中だ。そこでシャトルに乗り換え、マスドライバーで静止軌道基地〈グラズヘイム3〉へと上がる。

 月外縁軌道統合艦隊〈アリアンロッド〉による海賊討伐開始まで、二十時間あまり。

 

 だから夢など見てしまったのだろうか。

 

 長く伸びた金髪が肩をすべる。壁に吊り下がるエンペラーグリーンの軍服を見つめて、しばたたかせたひとみを閉じる。

 死にゆく母親の手で暗い地下倉庫へと突き落とされ、寒さと飢えに膝を抱えていたジュリエッタを救い上げてくれたのは、ひとりの傭兵だった。

 地上へつながる扉が開き、逆光の向こう側から大きな手が伸びてきて。分厚い革に覆われた手はしばらくすると引っ込められて、グローブをとってふたたびジュリエッタの眼前まで降りてきた。

 骨張って太い指をつかむと、軽々ジュリエッタを抱き上げ、あご髭をたくわえた男は「よく生きてたなあ」と白い歯を見せて笑った。

 長い長い孤独に衰弱しきっていたジュリエッタを野営地に連れ帰り、ホットチョコレートを振る舞ってくれた。

 

 当時ブレア・ジュリスと名乗っていた彼の本当の名前は知らないままだ。

 出自も経歴も、IDも捨てて紛争を渡り歩いていた傭兵は、ジュリエッタが知っているだけでもいくつもの名で呼ばれていた。

 そのすべてが噓であったことだけ知っている。教えてほしいと乞うても彼は取り合わなかった。

 

「嬢ちゃんの好きに呼びな」と男は必ずはぐらかした。

 

「ひげのおじさま」とジュリエッタは呼び慕った。

 

 置いていかれるのが嫌で銃を扱えるようになろうとして、誤って発砲してしまったときはひどく叱られた。勝手に触るなと怒鳴る大男は心底おそろしかったけれど、ジュリエッタは彼と離れたくない一心で、わたしも戦いますと泣き叫んだのだった。

 それから男はジュリエッタに戦い方を教えた。銃の使い方を。ナイフの扱い方を、爆弾の作り方を。戦車や戦闘機の操縦を覚えさせて優秀な兵隊に育てあげた。

 身軽なジュリエッタはサバイバルナイフの取り回しが実に巧みで、曲芸を編み出してみては「おじさま、」「おじさま?」「おじさま!」と後をついてまわった。

 野営地のテントでランプの灯りに照らされて、傭兵たちの手拍子でくるくると踊った。

 

 たくましい腕を椅子にして、ジュリエッタは数々の戦場を渡り歩いた。

 人相のよくない男も、小さなジュリエッタをともなっていれば飲食店でも宿屋でも優遇された。子供連れだと油断させたおかげで成功した作戦だっていくつもあった。小柄な体躯を生かしてダクトにもぐりこむことも、迷子を装ってターゲットに接近し暗殺することも、ジュリエッタならば容易だった。

 ガキじゃねえかと見くびる者があっても、ジュリエッタはだから、いつも気丈に言い募った。

 

 ――失礼な! わたしはおじさまの女です!

 

 きんと甲高い声を張りあげれば、ジュリエッタを抱いていた男くさい胸板がけらけら揺れて、傭兵は鷹揚に破顔したものだ。

 

 ――はっはっは、そうかそうか。そうだな、お前はおれの女だ。

 

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくれた大きな手。思えば、あれがジュリエッタの初恋であったのかもしれない。思慕の正体は憧憬、あるいは父性であったのかもしれないが、なにぶん子供であったから判然としない。

 身寄りのないジュリエッタを拾ってくれた傭兵とは、生涯ただひとりの友人なのだというラスタル・エリオンに託されて、それきりだ。

 無作法なジュリエッタを見守り、ギャラルホルン所属のパイロットとして取り立ててくれたラスタルへの恩は一生をかけて返していくつもりでいる。

 

 傭兵は、五年前に死んだ。

 ……いや、死んだという言葉はふさわしくない。存在すら捨てていた男が戦死しようと、まぼろしが無に還っただけだ。亡霊は死なない。存在がないのだから消えることもない。そこに悲しみは発生しえない。

 恩返しも許してくれなかった男を偲び、ジュリエッタはふと考える。孤独の底から連れ出してくれた手が()のものではなかったなら。

 

 わたしは今ごろ何をしていただろう。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 シラヌイの内装はどこもかしこも白い。衛生的なのはいいが、無機質なのはいただけない。

 火器管制席でレーションをかじっていたイーサンが「ライド、なにか描いてくれよ」と後方を振り返った。

 淡いブロンドに涼やかな顔立ちをして、しぐさが何とも鉄華団然と雑な少年だ。かねてより詰めていたイサリビはライドが手がけた数々のグラフィティに彩られていたから、ここは寂しすぎると文句を言う。

 

 前方に二つ並ぶ座席はどちらもグレーで、イサリビの闊達なイエローを思い返せば何とも言えず地味である。

 左舷の壁で明滅する索敵モニタくらいしか彩りと呼べそうな色彩もなく、それだって何事もなければ緑色のグリッドが波紋を浮かべるばかりの黒だ。

 

「賛成! MW(モビルワーカー)のコンテナにあったペイント弾、こっそり開けちゃおうぜ」と通信・策敵管制を担当するエンビが陽気に声をはずませる。

 

 艦内放送を想定したものであった名残で、オペレーター用のシートは折り畳める補助席である。壁にひっかかっていたヘッドセットがまきつく首もとからアリアドネの暗号通信を傍受しながらも、エンビはこうやって器用に会話に入ってくる。

 もともとがクルーザーであるので艦長席は存在せず、左右の壁に沿うように仮眠用ベンチが横たわる。

 砲撃手イーサン、通信士エンビが背中合わせになって昼食をとるそばではトロウが難しい顔で仮眠をとっており、鉄華団年少組の中では最もたくましく育った体躯をおざなりに休めている。

 向かいあわせたベンチからライドが「これ借り物の船だろ」と、イーサンの要求を突っぱねた。

 

「で、これからどうするんだ?」

 

 デルマが問う。クルーはこれで全員だ。ライドを中心にウタ、イーサン、エンビにトロウで一周してデルマに戻ってくる。

 決して広くはないブリッジに全員集合してしまえるほどのわずかな手勢で、これから何をするのか。

 

 操艦に関してはライドを除き、デルマを加えた五人でシフトを組んであるが、どうせブリッジのベンチで仮眠するのであまり交代の意味はない。シングルベッドの半分くらいしかない長椅子では片足を折り畳み、もう一方の足を投げ出す格好になるというのに、目下のところ割り当てられた私室で休むのはデルマくらいだ。(居室はすべて一人部屋で大部屋も相部屋も存在せず、ひとりだと心細くなって結局ブリッジに戻ってきてしまう)

 ノブリス・ゴルドン暗殺を画策した五人組は鉄華団発足以前から一緒らしく、デルマだけが中途参入の外様である。

 今さら疎外感もなにもないが、目的と行き先をデルマだけがまだ知らない。

 パイロットスーツのままのライドは向かい側で眠るトロウを起こさないように低く、それでも挑戦的に口角をつりあげてみせた。

 

「ギャラルホルンを出し抜いてやるんだよ」

 

 第一の目的は、ヒューマンデブリ廃止条約締結を受けて掃討作戦に乗り出してくるギャラルホルンに先回りして、ヒューマンデブリたちを解放することだ。

 ターゲットは海賊や人買いの船。制圧後は、戦いたい連中を仲間にしていけば戦力増強をはかることもできるだろう。シラヌイにはあと四機のMS(モビルスーツ)と、二十余名のクルーが収容可能だ。

 戦いを望まないなら火星に送りつけてしまえばいい。他力本願だがユージンなりチャドなりが必ず何とかしてくれる。

 

「補給ラインは? あてはあるのか」

 

「十日周期でモンターク商会の輸送船とコンタクトすることになってる。火星と地球を往復してる定期便に積み荷を預けて、補給用の物資と等価交換」

 

「なるほど、だからグレイズのパーツ回収してたのか」

 

「そーゆーこと。てめえの活動資金ぶんくらいてめえで稼げってな」

 

 そのほうがいいけど、とライドは苦々しげに肩をすくめた。

 利害関係がはっきりしていればこそ、仕事だと割り切ることも、仕事だからしっかりやれと文句をつけることもできる。通す筋がはっきりしているぶん判断を迷わず済むというものだ。

 撃破したギャラルホルンのグレイズはコクピットブロックを除いて武器もすべて拾い集め、指定規格のコンテナに積み込んだ。七日後にはモンターク商会の息のかかった輸送船に引き渡す。そのとき水と食糧、推進剤、弾薬などの物資と交換する算段だ。

 適当な海賊船に遭遇できなければデブリ帯に放置されたエイハブ・リアクターなどを回収し、モンターク商会が望む数だけのコンテナを埋めればいい。

 

 人道支援を装って人員を輸送する段取りもつけてある。移送したヒューマンデブリづてに居所が割れても、社会福祉と相互扶助を美徳として重んじる今のバーンスタイン政権では義賊的行動として支持されるはずだ。

 現状の火星連合はギャラルホルンとテイワズの思惑によって成り立つ傀儡政権で、クーデリアは強権による圧力と民衆の支持に上下から板挟みにされた立場にある。鉄華団実働参番隊が蜂起するにあたって、火星市民の賛同を集められる方向性を目指すのは既定路線だった。

 民意を味方につければクーデリアの私兵は動かせない。ユージンたちだって安易に止めには入れなくなる。

 

「……思ってたより地味だな」

 

「そんなもんだって」

 

 復讐のためだけのギラギラした旅だと思っていたなら拍子抜けかもしれない。宇宙掃除からはじめると説明したとき、トロウなんて仇討ちが最優先だ、ラスタル・エリオンって野郎を殺しにいくんだろ――と激昂したのだ。

 さすがにデルマは推定最年長だけあって落ち着いたようすで、エンビもほっとした顔になる。

 

「ヒューマンデブリを解放して、仲間を増やしていってさ。おれたちでバルバトスとグシオンを取り戻そうぜ! そんでフラウロス、いや〈流星号〉はおれにくれよなっ」

 

「エンビ、またシノさんの真似するの?」

 

「似てないと思うけどなぁ」

 

「うるさいな、かっこいいだろ流星号ッ!」

 

 ぎゃんと吠えると、ブリッジクルーふたりが顔を見合わせて肩を揺らす。デルマもつられて緊張をほどいた。

 不意に、イーサンがレーションをかじる手を止める。

 

「ん、」右手側のウタに目配せをして、食べかけのバーを口に押し込んだ。包みを握りつぶす。

 

 手早くパネルを叩いたウタが手元のモニタに聡い視線を走らせる。

 

「八時の方角、デブリ帯の向こうに何かいるみたいだ……距離およそ三〇〇〇」

 

「何かって?」

 

「メインモニタに出します」

 

 宣言と同時にモニタの上で二倍、三倍と拡大されて視界が共有された。仮眠していたトロウがさっと身を起こす。

 大小さまざまなスペースデブリが浮遊するせいで虫食いのようになるモニタの中に、何やらひしめく機影がある。

 

「輸送船団か?」

 

「それにしては船体同士が近すぎるよ」

 

「まともな船団ならこんな裏道通るわけない。エンビ、敵影は?」

 

「待って」と応じたエンビがパネルをあれこれタップしてみるが……「だめだ」とくちびるを噛む。

 

 浮遊するデブリ群に遮られて 可視光(レーザー)による索敵システムが役に立たず、カメラの視野で捉えられる以上のことはわからない。傍受している暗号通信の中にも不審なものはなさそうだ。

 シラヌイの現在位置は資源衛星の影。発見した()()は、輸送船が定期航路からふらりと裏道に迷い込んだような座標にいる。

 ウタが指摘した通り、船体同士の距離が航行を阻害するほど接近している。

 イーサンの言う通り、予定航路をなぞるはずの輸送船がこんな裏道にいるのは不自然だ。

 それならなぜ? ……風で流されたのだろうか。このあたりは投棄されたエイハブ・リアクターに引っぱられて大小さまざまな岩石群が不安定に動いているから、疑似重力が大量の小石を呼べば砂嵐のような現象が起こることもままある。

 そうした()()に巻き込まれたのであれば、複数の船が身を寄せあう格好になっているのも説明がつく。

 だがエイハブ・リアクターが天候を発生させるような宙域は、輸送船団ならば到着を遅らせてでも避けて通るはずだ。迂回していないことがそもそも不自然だろう。回避能力に乏しく、堅牢な装甲もない船で近づくのは自殺行為でしかない。

 

 この小型船〈シラヌイ〉だって、悪天候のあおりを食って無駄に推進剤を消費したくないからこれだけの距離をとっている。

 クルーザーだけあって小回りが利くので一気に走り抜けることも、不可能とは言わないが、イサリビのような強襲装甲艦と違って船体そのものが脆弱なのだ。いくらナノラミネートアーマーがあるとはいっても大型のデブリと衝突すれば船員や積み荷のほうがただではすまない。

 だからリアクターの干渉を受けないところまで離れて、休息をとっていた。

 

 この距離で得られる情報では不明瞭すぎて何とも言えない。だが接近して調べるのは危険すぎる。うかつに動けばアリアドネの監視網にひっかかってしまうだろう。

 阿頼耶識をつなげば……とエンビがアダプタに手を伸ばしかけたそのとき、通信席からアラートが弾けた。

 

 

「救難信号を確認!!」

 

 

 赤く点滅する警鐘、ブリッジに緊張が走る。

 視認できないデブリ帯の向こう側ではたしかに何かが起こっている。――それは何か。エンビがイーサンを振り返り、ウタにアイコンタクトで解析が割り振られる。

 三名がそれぞれのパネルを叩いた。

 手の早いウタがはっと黒目がちな双眸を見開く。

 

「海賊に襲われてる……?」

 

「なんだって?」

 

「発信元は定期輸送船、所属はオセアニア連邦公営コロニー。予定では二日後にも火星へ到着」

 

 SOSを読み取るに、海賊船の襲撃があったという。

 

「砲撃してるMSは四機……いずれも所属不明」

 

「MS? マン・ロディか」

 

「いや、シルエットから照合される機体はガルム・ロディみたいだ」

 

「本隊は?」

 

「大型の強襲装甲艦、輸送船が各1!!」

 

 どうする、とイーサンが鋭くライドを振り返った。

 敵と思しき艦隊の規模はそう大きくない。出撃しているMSも、だいぶ昔に戦った宇宙海賊〈夜明けの地平線団〉が配備していたあれかと思い当たるものだ。

 目新しい戦力はまだないにしても、輸送船団の規模からして、護衛を雇っていても不思議はない。船体同士が邪魔になってカタパルトが使えないだけで、MSの用意はあるだろう。

 となれば襲撃側もガルム・ロディたったの四機とは思えない。今後どれほどの戦力が出てくるのかも未知数だ。もしかしたら武闘派宇宙海賊〈ブルワーズ〉のように強力なMSを秘蔵していることも考えられる。

 ライド。急かすようなアイコンタクトが苛烈に飛び交う。指示をくれライド。おれたちはどうすればいい?

 

 輸送船を助けに行くのか。

 それなら救難信号に応答し、正式な手順を踏んで援護する。だがそれでは、シラヌイの居所が火星連合側に割れてしまう。ここはまだ火星から三日程度の距離で、足の速い船を差し向けられたら連れ戻される範囲内だ。何も成せていない今はまだ、ユージンたちに動向を知られるのは避けたい。

 海賊船を叩きに行くのか。

 もともとそういうつもりの船出だったが、救難信号に応えないなら海賊の仲間と勘違いされて輸送船団から迎撃される可能性もある。

 逡巡する。おれたちの目的はヒューマンデブリの解放だ。そのために最も合理的な方法は何かと思考する。

 そのときだった。

 

「海賊はまずブリッジを狙う! 旗艦を落としたら、爆弾抱えた突撃部隊が各ブロックに飛び込んで自爆だ。早く止めないとデブリだけでも三十人は死ぬぞ!」

 

 ライドに集まっていた視線が、はじかれたようにデルマに集まった。

 五対のひとみにタイミングを同じくして見つめられ、デルマは「あのな」とふてくされてみせる。

 

「……おれが何年海賊やってたと思ってんだよ」

 

 鉄華団に拾われるより以前、デルマがいたのは宇宙海賊ブルワーズだ。

 海賊同士の小競り合いに勝利してきたからこそ武闘派で知られていたために、海賊船の手口はどことも同じであることも知っている。

 手ごろな輸送船や商船を見つけたら、まずMS隊に出撃命令が下る。鈍重なマン・ロディの最高速度で追いつき、対空砲火をかいくぐって、旗艦の艦橋をつぶすことで船団そのものの足を止める。

 次に強襲装甲艦が吶喊し、突撃部隊が乗り込みをかける。ノーマルスーツに爆弾を巻き付けたデブリが小柄な体躯を生かして走り込むのだ。艦内の隔壁が封鎖される前に各エリアに浸入してシャッターを降ろさせないようにする。その任務から生きて帰ってきたやつはいない。

 続いて船内へ突入する白兵戦部隊もまた、乗組員たちの抵抗にあって銃撃戦の中で死んでいき、半数以下しか帰ってこない。

 ――それが、海賊船に積載されて便利に使われるヒューマンデブリたちの仕事だ。そういう環境でデルマは育った。

 

 しんと静かになったブリッジの静寂の中、口火を切ったのはライドだった。「そうだな」と肯定のための嘆息が穏やかに落とされる。

 

「海賊なんぞに危険な仕事をさせられてる家族を助け出したい。お前の力を貸してくれ」

 

「おれだってそのために来た」

 

 改めて手を差し出す。デルマは即座にその手を握り返した。

 力強く握手を交わし、誰からともなくうなずきあう。

 クルー全員をざっと見渡して、ライドはかたわらに置きっぱなしのヘルメットをひっつかんだ。

 

「おれはエリゴルで輸送船の直援につく! 海賊(そっち)は任せた!」

 

 了解! ――と跳ね返る声がライドの背中を見送った。

 

 

 

 

 俊足が廊下を蹴って格納庫にたどり着くと、壁を踏み台にして無重力を一気に突っ切る。

 コクピットに飛び込むと、阿頼耶識の接続を喜ぶようにエリゴルの双眸が輝いた。

 

『ライド、いける!?』

 

 モニタにウタの顔が現れ、ブリッジのほうもそれぞれ配置についたことが知れる。

 

「腕試しにはちょうどいいぜ!」

 

『気をつけてよ』

 

「心配すんなって」

 

 ハンドサインを気安く返せば、発進をうながすようにエアロックが開いていく。視界が開ける。戦いのときを待っていた悪魔はそして、悠然と身を起こした。

 阿頼耶識の端子を通じて機体そのものの高揚が伝播し、ライドの口元にシニカルな笑みをかたちづくる。

 

 こんなに早く海賊にお目にかかれるとは、ついている。

 グレイズを撃破してからは残骸のサルベージに終始していたんじゃガンダムフレームの持ち腐れだろう。海賊船制圧までの時間稼ぎといえばそれまでだが、名乗りもあげずに輸送船の護衛だなんて、いかにも義賊っぽくて格好いいではないか。

 

「ガンダムエリゴル、出るぞ!」

 

 舌舐めずりをひとつ、トリコロールカラーの機体が突き上げるように上昇する。

 スペースデブリの雲の合間へ舞い上がるエリゴルに続かんと、トロウとエンビ、デルマもまたパイロットスーツに着替えて集った。

 

『おれたちも行くぞ』

 

 こっちは海賊攻略だ。MSはないが、宇宙ネズミにやってやれないことなどない。

 

 

 

 

 #053 解放

 

 

 

 

 対空砲火をかいくぐり、唐突に出現したMSは戦場を大いに混乱させた。

 

 電戟が閃き、ガルム・ロディの頭部を串刺しにする。視野を奪われてなお一矢報いてやらねばともがく腕を柄で弾き返すと、背部スラスターを蹴りとばした。

 接近してきた友軍にぶつけるつもりだったが、さすが阿頼耶識使いだけあって、吹っ飛んできた仲間を間一髪でかわしてエリゴルを強襲する。

 振り上げられるブーストハンマー、しかしガルム・ロディは鈍重な鎧だ。ヒューマンデブリたちが乗ることで機動力は劇的に向上するが、パイロットが同じ阿頼耶識使いならば機体そのものの性能差が如実に現れる。

 身軽なエリゴルの槍が翻り、ハンマーを振りかぶった肘を貫いた。

 装甲の狭間からフレームに食い込む切っ先が、向こう側へ。貫通する。ありえない方向へ歪められた関節は不穏にひび割れ、武器を持ったままの腕が弾け飛んだ。

 散った火花を跳び越えれば、すぐさまサブマシンガンの弾幕がライドを襲う。

 後衛たちの援護射撃を受けて切り込んでくる新たなガルム・ロディが加速のままギロチン状のブーストハンマーを突き出すのを、ライドは真正面から迎え撃つとばかりに両腕のナックルガードで受け止めた。

 ぎりぎりとせめぎ合う。背中側で火を噴いた二挺のマシンガンは、しかし次の瞬間には稲妻に切り裂かれて暴発している。

 ファンネルビットがぎらりきらめき、ロディ二機のモノアイを同時に潰して、笑うように光を散らした。

 

 鍔迫り合いの向こう側で、パイロットがひゅっと息を詰める気配がある。珍しい兵装に驚いたのだろう。仲間を一気に二機も戦闘不能にしたビット兵器は、エリゴルの固有装備だ。

 やはり動揺をまとった殺気が背後に迫るのを感じて、ライドはふっとわずかに重心を逸らした。作り出した隙はコンマ数秒、それを利用して離脱する。

 挟撃をねらって勢い余ったガルム・ロディ同士が、敵を見失って前のめりになる。小回りがきかないのは重武装の弱点だ。正面衝突を避けようととっさに武器を手放した二機のロディが頭をぶつけて昏倒する。

 ライドはバーニアをふかして離れると、左肩のレールガンを降ろし、一息に両機の頭部を吹っ飛ばした。

 出力を絞ってあるのでパイロットの致命傷にはいたらないはずだ。レールガンをさらに一発、別働隊を牽制しつつ飛翔する。

 火を噴き続ける対空砲をひらり避けると、危なげのない足取りで輸送船の背に着地した。

 

『援護する!』

 

 ブリッジに呼びかければ、名乗りもしないMSの登場への戸惑いがざわざわ聞こえてくるだけで、返答はない。

 マイクに一番近いらしいクルーがおろおろと指示を仰ぐ叫喚、当惑に声をなくしている艦長の反応も当然だ。

 所属不明の機体に遭遇すれば誰だって初見じゃ敵だと思いこむ。カタパルトをふさぐように船団を圧縮されてはせっかく雇った護衛も出られないだろうし、それでなくともスペースデブリが密集する岩場である。

 そんな状況で船体に着地されれば狼狽するのも仕方ない。

 

 それでいい。

 エリゴルのコクピットの中でライドは我知らずくちびるを舐める。今は海賊を輸送船団に取り付かせないことが最優先であり、そのためにできることをやるだけだ。

 飛び立つ。次から次へと現れる援軍の中には、エリゴルに気を取られている隙に輸送船の対空砲を食らってひっくり返る鈍臭いやつも混じっている。

 しかしマシンガンで援護し、退路をふさいで近接戦闘に持ち込む――MS戦の定石はきっちり体得しているらしい。

 

 ギャラルホルン火星支部のグレイズ隊なんかより、よほど骨のある連中だ。オルガ・イツカに『宇宙で生まれて、宇宙で散ることを恐れない、誇り高い選ばれたやつら』と言わしめただけはある。

 携えた槍をぐるりと回すと、接近してくるロディを柄で殴りつけて遠ざける。

 すかさず背部スラスターを薙ぎはらえば、制御を失って慣性に流される機体の腕を、友軍がひっつかんだ。

 

 助け合って生きていく、そのさま。――鉄華団に通じる戦い方を目の当たりにすれば、去来する郷愁が胸の奥をじんとあつくする。

 だからライドは、今はもう一握りしか残っていない仲間たちと〈鉄華団〉の居場所を守るため戦うことを決めたのだ。

 そろそろエンビたちが海賊船に侵入をはじめる頃合いだろう。

 あとひと仕事。カメラとスラスターを破壊して、腕を落として強制的に武装を解除し、身動きを取れなくして放り出す。小石の雨降るデブリ帯をガルム・ロディの残骸が埋め尽くしはじめたところへ、ユーゴーの発進が確認された。

 さあ、援軍のお出ましだ。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 はるか上空を見上げて、エンビはほうとため息をついた。

 暗雲じみてひしめく岩石の隙間を縦横無尽に躍動するエリゴルの軌道は、まるで地球で見たカミナリのようだ。ユーゴーの追撃も難なくかわし、槍を叩き込む。

 ロディフレームに比べて身軽なヘキサフレームは抜群の機動性を誇るはずだが、そのぶんの脆弱さは否めない。コクピットブロックを避けた切っ先に心臓部を貫かれて派手なスパークを撒き散らし、リアクターが呼ぶデブリの雨に打たれて痙攣する。

 

『さすがガンダムフレーム……三日月さんもすごかったけど、ライドもあんなに強かったんだな』

 

 ヘルメットの中で独り言ちるエンビの足元は、ちゃっかり海賊船の裏側だ。MWで発進し、デブリ帯に入ったところで乗り捨てて、岩場づたいに突っ切った。

 バックパックの推進力ではいささか心もとなかったが、そこは宇宙ネズミである。火星育ちのエンビとトロウには砂嵐など見慣れたもので、数々のゲリラ戦を駆け抜けた鉄華団にとって悪天候は武器であり、心強い味方でもあった。

 輸送船団に吶喊するつもりなのだろう海賊船の動向をデルマが読み切っていたおかげで呆気ないほどスムーズにたどりつくことができた。

 

 ……いや、何事もないのはありがたい。仕事はここからなのだ。

 あたりを警戒しながらエンビはデルマの手元をのぞき込む。タブレットに表示されている膨大な文字列の意味はわからないが、船内のデータに干渉していることは何となく察せた。

 メインフレームへのハッキングだろう。

 わざわざ船から持ち出してきた延長コードはこのためだったのか。

 

『いつの間にそんなテク覚えたんだ?』

 

 こぼせば、デルマは画面を追う目線を逸らすことなく『サーバールームの番人様直伝』と真顔のままVサインを突きつける。

 何とも雑な対応だが、すぐに口元がほっとしたようにゆるんだ。

 

『――よし、見取り図が出た』

 

『さっすがダンテさん!』

 

『いや、おれに感謝しろよ……』

 

 肩を落としてため息をつき、まあいいかと切り替えも早くデルマは頭を振った。

 図面が表示されるタブレットをトロウに手渡すと、いいか、と声のトーンを低くする。

 

『おれはダンテじゃないから船内のマップ抜くので精一杯だ。できる限りダクトとか使って、遠回りしてでも遭遇は避けろよ。ガス使ってくるかもしれねえからバイザーは開けないこと。それから――』

 

 言いながら、ふと違和感を覚えてデルマは思わず額をおさえた。手のひらでバイザーを覆う。

 これじゃ農園の手伝いに行く子供たちに言い聞かせるのと同じ調子ではないか。今は海賊船に乗り込みをかけるところで、孤児院の引率ではないのに……。

 どうかしたのかとうかがってくる年少者ふたりを何でもないと手振りで制して距離をとりながらも、子守りが板についてしまったことを改めて自覚し、自分自身に呆れてしまって言葉も出ない。

 いや、図体ばっかり大人の男に成長しておいて挙動は逐一 子供(ガキ )っぽい、仲間たちが悪いのだ。

 

『とりあえず、制圧が済むまでは遭遇しないことを最優先で行けよ。ヒューマンデブリは普通に撃ってくるから』

 

『わかった。カメラの死角なら任せろよ!』

 

『クリュセの防犯がやばかったからな、裏道は慣れてる』

 

『ならいい。おれは外から援護するから、その、気をつけろよな』

 

 ばつ悪そうにデルマはむっつりとくちびるを引き結んで、若者たちに背を向けた。

 延長コードを引き抜く。

 

『外から?』と首をかしげるエンビの声はさっくりとスルーして、バックパックのハーネスにコードをくくりつけると、固定を確認してリールにつないだ。

 

『そのコード……何に使うんだ?』

 

『まあ見てなって』

 

 肩越しににやりと笑んで、デルマは拳大のアンカーを右手のひらに乗せた。

 アンカーからつながるコード、逆の端は上体にまきつくハーネスを通じてバックパックにつながっている。

 片目を閉じて狙いをつけると、金属の指ではじきとばした。

 デコピンの要領で離昇するアンカーに引きずられ、とぐろを巻いていたコードの束がひゅるひゅると少なくなる。

 かるく助走をつけると『それじゃ』と一言、デルマはロープをひっつかんで甲板を強く蹴った。

 

『え、おいデルマ!?』

 

 あのスピードで滑空するつもりか。しかもここは悪天候が荒れ狂うスペースデブリの暗礁だ。エイハブ・リアクターの疑似重力に捕まって引っ張られれば四肢五体が砕ける可能性だってある。

 体がミンチになってもおかしくない――ぞっと背筋を凍らせるエンビを、マシンガンを抱えなおしたトロウが『おれたちはこっちだ』と急かした。

 デルマが手に入れてくれた見取り図を頼りにブリッジを目指す。タブレットの中で赤く点滅するポイントと、そこへ導く侵入経路。

 海賊の頭を止めなければ輸送船団は守れない。戦闘が長引くほどにヒューマンデブリたちの犠牲は増えるだろう。

 

『しゃーねえなあッ』

 

 振り切るように駆け出す。マシンガンを小脇に携え、デルマがこじあけて行ったエアロックに飛び込んだ。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 横殴りの雨、向かい風に乗る霰。

 金属の左腕でバイザーをかばいながらデブリ帯を滑空する。

 

 およそ狙った通りの岩場に着地し、デルマはアンカーを引き抜いた。

 くるくると手のひらでもてあそんで、次なる狙いは岩場に隠れてハンマーを構えるガルム・ロディだ。息をひそめているおかげで背中がガラ空きである。

 アンカーを投げ放つ。狙い定めた通り肩にぶつかり、腕に巻き付く。パイロットは何らかの衝撃に気付いていても小石につまずいたくらいの警戒心で、意識はガンダムエリゴルに注がれているようだった。

 集中力は買いだ、悪くない。

 おかげで気配を殺して接近するのは困難ではなかった。リアクターの重力を活用してよじ上ると、メインカメラの死角をくぐってコクピットハッチにとりつく。

 

 左腕を一瞥するとデルマは、いけるか、と、半身に語りかけた。

 こんなことに使うための義手でないのは重々承知だ。

 

(フルパワーでやれば、)

 

 ぎり、と金属製の三本指が装甲の隙間に食い込む。生身の肩が外れそうな負荷に奥歯を食いしばる。ぎりぎり、ぎりぎり、と相手か自分かわからない機械の悲鳴に続いてついに、コクピットの蓋が開いた。

 ブーツのつま先をねじこみ、踏みたおして浸入する。

 

『え……えっ、なんだよ、おまえっ……どこから、』

 

 すると、ぎょっとして裏返る子供の声が闖入者を迎えた。

 ぶかぶかの白いノーマルスーツ、赤いラインは懐かしくも忌々しいヒューマンデブリの仕着せである。あのころから圏外圏の情勢は何も変わっていないらしい。

 コクピット内部をぐるりとあらためても目新しいものは何もなく、デルマが昔乗っていたマン・ロディと同じだ。裏ルートで出回っている阿頼耶識システム対応型といえばこれ一択なのだろう。

 パイロットが血の気の多い少年兵で、手負いの獣のように体を縮めて牙を剥きだすのも想定内だ。

 

『なんなんだよ、おまえッ』と吠えかかってくる。

 

 ヘルメットのおかげで実際に噛み付かれたりはしないが、もしもこの子供がバイザーを開けていたら、窒息死したデブリをコクピットから蹴り出す格好になったのかもしれないと思うと、ヘルメットの存在に感謝する。

 後ろ手にコクピットハッチを閉じる。

 戦々恐々とする子供にぬっと手を伸ばせば、すぐに泣きが入った。

 

『くんな……くんなよぉおっ』

 

 警戒心より恐怖が勝ったのか、子供特有の大きな双眸に涙の膜がふくれあがる。鮮烈なエメラルドグリーンが溶け出す。

 アストンを想起させる色彩だが、そういえば勇壮な仲間が泣いた顔を、デルマは見たことがなかった。

 逆光に翳る人影はたしかにおそろしいだろうし、今のデルマの体躯では、子供の目に()()としてうつるはずだ。戦闘に出るはずが見ず知らずの大人にコクピットをこじあけられ、侵入までされた密室では仕方のない反応だろう。

 わかっていても、怯えてもがく子供を見下ろすのはやはり気分のいいものではない。

 手早く済ませようと裏返る悲鳴を無視し、よいしょ、と両手首をひとまとめにひねりあげた。

 

『やだ、さわんなっ! いやだ、はなせっ』

 

『この機体に自爆機能はついてない。クソみたいな値段で仕入れてきたデブリに、一体云百万ギャラーとするMSをダメにされちゃたまんねえからな』

 

『はなせ、ちくしょう……っ』

 

『コクピットに武器はない、麻酔的なクスリも多分ない……いや火薬は隠し持っててもおかしくないか』

 

 確認のためシート付近をごそごそ漁ると痩せた両脚がばたばた暴れる。

 

『持ってない!!』と涙声になって白状するので、そうかと勘弁してやった。

 

 そういえば銃弾を分解してラリっていたのは突入部隊の連中だったか。

 死亡率の高い作戦で、生きて帰ってくる一握りもまた四肢のどれかを失っていて、そのまま失血死するか、使えねえなと宇宙に投げ捨てられるのだ。そんな自爆用のヒューマンデブリたちが正気を保っていられるわけがない。

 デルマがいたのはMS隊であったから、武器の類いは一切持たせてもらえなかった。銃だけではなくナイフもだ。ブリッジクルーたちのように奥歯に致死毒を仕込まれるようなこともない。

 戦って戦って何かの役に立った上で死ぬのが仕事だった。

 

『……ヒューマンデブリは撃墜されない限り死ねない』

 

 自決は許されない。最期の最後まで獣のように戦って死ねと命じられる。

 

『そうだよな?』

 

 おまえも。――憐憫をこめて、デルマはゆるやかに双眸を眇めた。

 見下ろすバイザーの中には涙の粒がいくつも散っていて、心底怯えきった子供の声がああ、ああと断続的に震えている。しゃくりあげるさまは哀れだ。パニックに陥って暴れる少年を抑えこんでコンソールに触れる。

 阿頼耶識の接続を切ると、気絶させるまでもなく糸が切れたようにかくりと意識を手放した。

 

 倒れ込む白いノーマルスーツを受け止める。発育の悪さを差し引いても八〜九歳といったところだろう。デルマが鉄華団に拾われた年齢よりもいくらか幼い。孤児院ならば比較的年長にあたる年ごろだが、あそこにはこんなふうにギャンギャン泣きわめく子供はいなかったから新鮮だ。

 ヘルメットを右手でポンポンあやして、抱きかかえると、デルマはコクピットに座した。

 持ってきたロープを抱っこ紐の要領でくくりつけ、落とさないようハーネスにしっかりと固定する。

 後ろ手に縛らせてもらったのは、捕虜なので我慢してもらうほかない。戦闘中に目覚めて暴れられでもしたら困る。

 

『……経験って無駄にならないもんだな』

 

 独り言ち、阿頼耶識を接続すると、操縦桿をかるく握った。

 網膜投影がはじまる。ブルワーズのマン・ロディよりずいぶん親切なセッティングが組まれており、推進剤も弾薬もフルに装填されている。関節ギミックの可動域が広くとられて、これなら格闘戦もできるだろう。重装甲ゆえに燃費こそ悪くとも、機体そのものが鈍器であるから近接戦闘には強い。

 MSに乗るのは久しぶりだが問題なく動けそうだ。

 うん、いける。頷いて、バイザーに覆われた三角のモノアイできょろきょろと戦況を見渡す。

 そこへ、追いすがるような通信が飛び込んできた。

 

『エヴァン、援護たのむ!』

 

『気をつけろよ、あの白いMSなんか変だ!』

 

 友軍機からだ。メインカメラで追いかければ、三機のガルム・ロディがLCSの通じる距離まで退却してきていたらしい。

 デルマがこいつを乗っ取っている間に岩陰から戦線に出ていたのだろう。ガンダム・エリゴルと戦って、勝てないと悟って撤退してきた。

 

 あっちの隊も全滅だ、おれたちだけでも立て直して仇をとるぞ――と通信機の向こうで騒ぐつたない連携に、古い記憶がふるえた。

 

 ああ、バルバトスと遭遇したとき、こんな会話をしたのだったか。

 三日月・オーガスが乗っていたと知って、恐怖はのちに尊敬に変わったが、何も知らず会敵したときは心底こわかった。

 デブリ帯を突き抜ける並外れた機動力、神業のような判断力。目が回りそうだった。

 ペドロが一撃にしてやられ、激昂したビトーの慟哭が耳の奥に蘇る。力の差を見抜いたアストンが撤退を叫び、沈黙したペドロ機を牽引して船に戻っていなければ、あのまま全滅してしまっていたかもしれない――当時の緊張感を忘れられないままの右手が、操縦桿を握りしめてわななく。

 

 この宙域で戦うガルム・ロディのパイロットは、あの日のデルマたちと同じだ。

 

 生まれてはじめて見るガンダムフレームが、ただ禍々しいまでの強さを誇っていることしかわからず、命令のまま剣となり盾となって玉砕するしかできなかった、あの。

 ふうと重たく息を吐く。肺腑の底まで深呼吸する。

 デルマは、同胞を救いにきた。――ガルム・ロディのモノアイが凶暴に笑う。リアアーマーに懸架されていたブーストハンマーを抜き取ると足場を蹴った。

 ペダルを踏み込み脚部スラスターを全開に、操縦桿を力強く前へ。

 バイザーの奥で双眸を眇める。

 

『おい、エヴァン! お前どうし、うわっ、あ あああああ!』

 

『――ギリアム? おいっギリアムがやられた……!』

 

『何やってんだ、こっちは味方――がはっ』

 

『ハル!? ハル……!! ちくしょう、なんなんだよ、なんなんだよぉお!』

 

 二機撃破まで、わずかに数秒。コクピットを叩き潰されたふたりは即死だろう。へしゃげた胴部に散るオイルが鮮血のようで、生き残りの悲鳴が痛ましい。

 一撃でとどめを刺してやるのも慈悲だ。味方の裏切りはトラウマになってのちの戦線を引っ掻き回す。再会してももう仲間には戻れない。武装解除して放置すれば孤独の中で恨みつらみを募らせ、棺桶の中で生かされたまま復讐心に喉を掻きむしるだろう。

 苦しみもがいた果てに死なせるよりは、一息に命ごと奪ってやりたかった。

 沈痛に目を伏せたデルマはひらりと身を翻し、本隊指揮官がいるだろう強襲装甲艦へと急ぐ。とっととブリッジを潰さなければ、この無為な戦闘は終わらない。輸送船団を征服し、蹂躙し、略奪の限りを尽くすまでヒューマンデブリを繰り出してくるのが海賊だ。艦内に侵入したエンビたちは隠密行動慣れしているだけあってうまくやっているようだが、ブリッジの制圧まではもう少しかかるだろう。

 ユーゴーが二機出撃してライドと交戦しているようすを見るに、戦局を変えるには――。

 

『エヴァン! おいエヴァン返事しろよ!』

 

 思考を遮るようにLCS通信が割り込む。するわけないだろ、と考えたデルマの内心を感じ取ってか、舌打ちが鋭利に鳴った。

 マシンガンを連射しながら接近してくるガルム・ロディは、デルマの膝で気絶しているこいつ——エヴァンという名前らしい少年兵——の仲間のひとりなのだろう。

 ブルワーズのMS隊は三人編成×二の六人連隊を標準構成としていたが、どうやらこの海賊は二人編成×二の四人連隊が中心らしい。

 生き残ったパイロットは連帯責任で八つ当たりを食らう。……内輪でケジメをつけようというなら付き合ってやる。

 

『くそっ……てめえ、前から気に食わねーと思ってたんだッ!』

 

 マシンガンを放り捨て、その手でハンマーに持ち替える。ほとばしる気合いとともにふりかぶるとデルマの乗るガルム・ロディに肉薄した。

 ブレードで受ける。そしてデルマはふっと鋭く息を吐いた。

 背部スラスター出力全開、浮き上がって態勢を入れ替える。鍔迫り合いの火花を踏みつぶすように、コクピットに右脚を叩き込んだ。

 ごぶり、と、ヘルメットの内蔵スピーカーに聞きたくもない最期が届く。

 肋骨が圧迫されて内臓が潰れ、逆流した血液があふれたのだろう。ガルム・ロディの重みで圧迫されたコクピットの中、コンソールとシートに挟まれたパイロットの四肢五体が無事であるはずがないことくらい聞かなくたってわかる。

 なのに耳を覆う形状でスピーカーを固定したヘルメットは、耳を塞ぐ権利を許さない。

 

 三機の戦友たちを残してデルマは今度こそ飛び上がった。

 ふりあおげばライドと交戦していたガルム・ロディ隊はみな、カメラを潰され、手足をもがれて漂流している。あくまで不殺を貫くつもりかと自傷のような一笑を投げ捨てて、燃費の悪い巨躯を駆り立て疾駆する。コンソールパネルを叩く。

 エンビたちのブリッジ到達まで、あといくばく。今にカウントダウンに突入する。

 

 推進力をフルに使ってたどり着いた海賊船のブリッジを前にして、デルマは乱れる呼吸を嚥下した。

 膝にかかえている少年を片腕で抱きしめる。耳を塞いでやれるわけではないので気休めだ。目を覚ましていないのがさいわいだった。

 操縦桿を強く握って、ふうと大きく、息を吐く。逃げ惑うクルーの悲鳴は聞こえなかったふりをして。

 力任せにブーストハンマーを振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

『船が……!!』

 

 ユーゴーのパイロットが悲鳴をあげた。連携するふたりの片割れはどうやら女らしい。

 片腕を失った女戦士はハスキーな喉をうならせて『くそが』と口汚く悪態をつくと、腰から下を失ったパートナー機に向かってアンカークローを放った。

 ロディフレームであればコクピットを潰されて絶命していただろう箇所を貫かれたユーゴーは、背部スラスターの機能までも失っている。推進力を得られない以上、別のMSによって牽引されなければ戦闘宙域を離脱することもできはしない。

 リールが巻き取られる、その勢いを殺すように稲妻が一閃し、ワイヤーが断ち切られた。

 

『なに!?』と驚く男女の声が重なる。

 

 ファンネルビットがエリゴルに従属すると、ライドが『まだ母艦に戻られたら困るんでね』と不敵に笑んだ。

 とどろく雷鳴を目の当たりにしたかの衝撃に息を呑む女パイロットの乗るユーゴーは、既に右腕がない。左足首から下もレールガンに焼かれたまま、消し炭をぶらさげている格好だ。

 これではユーゴーご自慢の脚部クローで相方をつかんで連れ帰ることもできないだろう。スラスターの出力が安定せず、偃月刀を取り回すこともできない。

 マシンガンで牽制しながら距離をとり、逃げることだけ考えるユーゴーを胡乱な目で睨め据えながら、ライドは思案する。

 

(……こいつらもヒューマンデブリなのか? それとも海賊か)

 

 ヒューマンデブリの解放・保護をうたってやってきたのだからと、パイロットの命までは奪わないよう配慮してきた。いつかのラフタの言葉ではないが()()()()()()()()()()()()()()()()()ある。無血制圧だなんて戯れ言を掲げるつもりはないにしても、ダブルスタンダードを避けようと思えば手当たり次第殺すわけにもいかない。

 四肢をもがれ、メインカメラを破壊されたガルム・ロディの残骸がいくつも打ち上げられた宙域を見渡す。

 

 次の瞬間だった。

 

 黒々とした波間に細く伸びた白い茎、そして花開く信号弾。続いてすべてのMSに甲高く鳴り渡ったのはエンビの声だった。

 

『この海賊船はおれたちがジャックした! 乗組員は鉄華団が預かる!』

 

 ああ、とライドは感慨深く、いつの間にか鋭く尖っていたエメラルドグリーンの双眸を細めた。

 

 

 

 

 ダクト伝いにブリッジの扉の前までたどり着いたエンビとトロウを待っていたのは、宇宙空間と地続きの残骸だった。

 扉を開くなり吸い出されそうになるエンビの手をトロウがつかみ、パイロットスーツの靴裏でどうにかフロアを捕まえる。

 デルマがブーストハンマーで殴って潰した艦橋に人影はなく、強化ガラスは砕け散って真っ暗だ。空気は流出しきって、血飛沫を浴びせられた床だけが人間がいた名残を物語っている。

 それでもエンビは果敢にコンソールにかけよると、信号弾を放った。

 停戦信号を打ち上げると、かろうじて生きていたインカムをひっつかんで制圧完了を宣言する。

 

『おれたち鉄華団は、ヒューマンデブリなんて呼ばれて海賊に使われて、ギャラルホルンにまで狙われちまってる家族を助けにきた! これから全員まとめて火星に送る手筈になってる。クーデリア先生――いや、バーンスタイン議長は、おれたちみたいなガキが食うもの寝るとこに困らないように手を尽くしてくれる』

 

 ひと呼吸ぶん、そこでエンビは時間を必要とした。

 戦いたいやつは残ってもいい、おれたちと一緒に来い。そう言うつもりでいた。けど。――ダクトの小さな窓から見てきたのは、いとけない手には大きすぎるマシンガンを小脇に携え右往左往する子供たちの姿だった。

 戦場に残ってほしいと思う気持ちは、もうない。

 さいわいにして出番がなかったマシンガンに視線を落とす。掃射の反動にも耐えきれるようになったのはエンビが成長し、背が伸びて骨も強くなったからだ。鉄華団では年長の団員が白兵戦を行ない、重たい銃を取り回せないエンビたち年少組が生身のまま前線に出されることもなかった。

 疼痛を覚えながらもエンビはスペースデブリまみれの黒い宇宙に向けて顔を上げる。

 晴れ晴れと、胸を張って。

 

『ガキどもはみんな学校に行って、読み書きを教わって真っ当な仕事覚えて、安全なとこで生きていくんだ!』

 

 いつかクーデリアが教えてくれたように、オルガ・イツカが最期まで願い続けたように、どうか平和に。

 解放宣言は海賊船内に響き渡り、LCSを通じてガルム・ロディたちにも、輸送船団にも伝わっただろう。まだ息のあるコンソールがじりじりと明滅している。そっとスイッチを切ってやると、役目を終えた戦艦がやっと静かな眠りについた。

 強襲装甲艦のブリッジは懐かしく、見る影もなく朽ち果てたオペレーター席に立つことには複雑な思いが渦巻く。

 

『――火星はいいとこだぜ。飯はあったかいし、スープもつけてくれる。身寄りがあるならダンテ・モグロって名前のスーパーハッカー様を頼ればいい』

 

 ノイズを経てデルマが通信に割り込み、すいとガルム・ロディが横切った。

 誇らしく拳を突き出すエンビに、マシンガンを腰だめに構えたままのトロウもまた、ああと晴れ渡った空をあおいだ。

 この放送がしたくてシラヌイは飛び立ったのだと、今さらながらに仲間たちの思惑が腹落ちして、ため息で全部はきだす。

 

 ヘルメットごしに傍受する通信では輸送船団のクルーが〈鉄華団〉という響きにざわついている。

 彼らの記憶の中に、赤い華が呼び起こされたのかどうかはわからない。

 

 鉄華団が発足し、そして失われてから五年もの歳月が流れた。

 はじめは誰も知らない少年兵の寄せ集めで、宇宙ネズミの家族は〈革命の乙女〉とともに火星にハーフメタル利権をもたらし、一度は故郷が誇る英雄となった。

 あれから七年。

 ギャラルホルンの内部分裂に駆り出されて逆賊の汚名を着せられ、犯罪者集団として全宇宙に報道された。

 あれから五年。

〈マクギリス・ファリド事件〉の影に隠され、鉄華団という名前すらも忘れ去られようとしていた。

 

 人々は覚えているだろうか。戦場に咲いていた赤く赤い鉄の華を。

 

 ガンダム・エリゴルのコクピットでライドはどこでもない天をあおぐ。

 真空の宇宙に天気はないが、スラスターが吐き出す推力で砂嵐を追い払った宙域はたしかに快晴と呼べる。

 

 停戦信号がまたたいた黒のカンバスに氷の花は必要ない。




【次回予告】

 ヒューマンデブリだったころのことって、本当はよく思い出せないんだ。ただ、体が覚えてただけで。
 なあ、アストン。昌弘。ビトー。……ごめん、他のやつらは忘れちまった。生まれ変わってまた会えたらそのとき、もっかい名前を教えてくれよ。

 次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光。第四話『奴隷たちの鎖』。

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