鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

33 / 35
一身上の都合により、今週で終われませんでした…。来週最終回です。


“ May 26, 331 “


04 女たちの戦い

 エドモントンの夏は、午後十時近くまでほんのりと明るい。

 廊下の窓を横目に見れば、蒔苗記念講堂前に設置された献花台には白菊や百合だけではない、多種多様な花束が夕陽に淡く照らされていた。

 五年前の国境紛争で家族や友人、恋人を失った人々がアーブラウ全土から訪れているらしい。夕刻になれば花が夜露に濡れないよう担当者が奥の会議室まで運び込むのだが、毎日二部屋が満杯になるほどだ。

 アーブラウ防衛軍、SAU軍、そして鉄華団。ラスタル・エリオンによる軍備拡張抑止を目的とした白色テロがどれほど大きな爪痕を残していたのかが、可視化されているようだった。

 養父の罪を正視するのが忍びなくて、ジュリエッタは目を伏せる。

 先日までここは、ヒューマンデブリ廃止条約が締結された地だった。ギャラルホルン代表ラスタル・エリオン、火星連合議長クーデリア・藍那・バーンスタインが手を取り合ったとき、地球経済圏は平和の訪れを歓迎する動きであったはずだ。

 あれから半年も経過していないというのに、民衆はギャラルホルンへの恨みつらみを発散させはじめ、献花台にすがって泣き崩れる姿はあとをたたない。片足のない元兵士や、腕を吊っている元政府関係者の姿も中にはあった。ガンダムバエルの再起動を懸念してインプラントへの差別感情を植え付けたがために義肢の恩恵にあずかれなかったのだろう。再生治療は欠損部を接ぐことはできても、新しく生やすことはできない。

 献花台はバルフォー平原にまで増設され、菊、白百合、赤い薔薇、カーネーションにネリネ、シクラメンの鉢植え、果ては盆栽の松や梅まで寄せられている。

 ガンダムエリゴルのパイロット、ライド・マッスが描いた希望の華の絵が、現実のものとなっていく。

 ジュリエッタの手に残ったのは見せかけの勝利だけだ。

 不甲斐ない足音をやわらかな絨毯に吸い取られながら、蒔苗記念講堂の廊下を進む。所定の会議室をノックすると、招き入れるようにドアが開いた。

 うながされるまま入室すれば、真正面からジュリエッタを見据えたのは昨日火星から到着したばかりだというクーデリア・藍那・バーンスタインだ。肩越しにドアが閉じる音を聞いて、知らず浅くなる呼吸を嚥下する。

 開口一番、クーデリアが押さえつけた声音で宣言した。

 

「ジュリエッタ・エリオン・ジュリス。――地球経済圏は、あなたには罪を問わないことを決定しました」

 

 厳かに告げられた判決に、ジュリエッタは述べる異論を持たない。

 

「よかったね、お嬢ちゃん」

 

「っ……あなたは……!」

 

 とんと背中を叩かれて肩がはねあがり、とっさに振り向けば銀髪の女がひらりと手を振る。ドアを開けて閉めたのはこの手だと言わんばかりに、非武装の両手を開いてみせた。

 カフスボタンに彫り込まれた『T』の紋章が、いぶし銀にしてはやわらかく、上品なスーツを飾っている。

 

頭領(ボス)は歳星を動くわけにいかないからね。あたしが名代ってわけさ」

 

 木星圏の支配者マクマード・バリストンは、歳星の治安を維持する抑止力でもある。『圏外圏で最もおそろしい男』という通り名とともに存在し続けることが彼の仕事だ。

 マフィアのような実体を持つ巨大コングロマリット、テイワズ。それが木星圏が編み出した社会秩序のかたちだった。

 だからナンバーツーであるアジー・グルミンがこの場を任された。クーデリアを地球へ連れてきたのも強襲装甲艦【スティングレー】だ。

 

「本来なら、こういったことはわたしたち三人だけで……しかも密室で話すべきことではありません」

 

「けど、現行法じゃセブンスターズの縁者はセブンスターズにしか裁けないからね。道理で、マクギリス・ファリドを現場で殺害したわけだよ」

 

 逮捕でも拘束でもなく『戦死』を報じたのは、マクギリスがギャラルホルン最高機関の一家門、ファリド家の名を持っていたせいだろう。拾い子であると公表され、ファリドの血統ではないことが判明しても『養子』の縁までは切られなかった。

 世襲制であれば、いつかは庶子や養子を迎えることで家を守る必要も出てくる。マクギリスの部下をどこまで『セブンスターズの縁者』ととらえるかも議論せねばならない。今後ともギャラルホルンの歴史が続くことを鑑みれば、血統主義にこだわりすぎて破滅を呼びこむ未来は各家とも避けたいのが本音だ。

 革命の折りに中立を保ったバクラザン、ファルク両家の意向次第では、エリオン家が席次を落とす可能性も出てくる。

 面倒ごとを回避するため、逆賊たちに戦場で全滅してもらう必要があったというわけだ。

 思考停止のまま、イシュー家、ファリド家、クジャン家を失ったセブンスターズは合議制を廃止とし、ギャラルホルンの代表を経済圏の推薦によって選ぶという民主制がとられたが、それがラスタル・エリオン一強の政治体制を招くことは自明だった。

 たとえネモ・バクラザン、エレク・ファルクが新代表と就任したとて、ラスタル・エリオンはギャラルホルン最強最大の艦隊アリアンロッドの総司令であり続ける。地球経済圏はラスタルを担ぐことで服従の意を示し、白色テロから無辜の民を庇護しなければならなかった。

 ギャラルホルンの法と秩序に、いかに自浄作用がないかが知れる。

 ライドの蜂起がなければ、すべては勝者が綴る歴史の闇に葬られたままだっただろう。教え子として目をかけてきた弟分を思い起こして、アジーはため息をひとつ落とした。

 だがギャラルホルンに育てられた子猫は、親を庇おうと牙を剥く。

 

「ラスタル様の罪は、わたしの罪でもあるはずです。鉄華団の誘導とはいえ、ダインスレイヴの発射を命じたのは、このわたしです! なのにどうして、わたしは罪に問われないのですか……っ」

 

「あんたはギャラルホルンの血統書を否定するために指揮官やってたんだろう? だからだよ」

 

「しかし! わたしには、ラスタル様に拾われた恩義があります。ともに償う権利が認められるべきです!」

 

 語気を強めたジュリエッタに、アジーは今度こそ呆れをこめて嘆息した。

 

「あんたの養父は、手前の娘にまで罪をおっかぶせるような男なのかい?」

 

 鋭く息を呑んだジュリエッタは、返す言葉を失って、反駁したいくちびるをさまよわせる。

 同じ罪を背負いたいのはジュリエッタ個人のエゴでしかない。恩人のもとを離れるのが怖いだけで、敬愛するラスタルは清濁併せ吞む賢君だ。断じて、ジュリエッタに罪をなすり付けるような器の小さな男ではない。

 

「一緒に償いたいという思いは、わたしたちにも覚えがあります。しかし、エリオン公はまだ生きている……。いつかまた会えるのですよ」

 

「 知ったふうな口をきかないでください、クーデリア・藍那・バーンスタイン……っ」

 

 細い肩がわなわなとふるえ、両腕で自身をかき抱くように、ジュリエッタは愛すべきアリアンロッドの軍服を握りしめた。

 恩人は、身寄りのないジュリエッタを正式な娘にと望んでくれた。 MS(モビルスーツ)で戦う腕一本で成り上がったジュリエッタは後継者として頼りないから、クーデリアは生かしたまま、鉄華団残党も見逃してやる必要があった。

 火星独立という目標をアリアンロッドの力で叶えてもらっていながら、政敵をすべて排除できたら用済みとばかりに失脚させるだなんて。卑怯だ。許せない。

 ジュリエッタの糾弾を甘んじて受けるクーデリアも、口をつぐむほかない。

 無政府状態に陥った故郷を助けてほしいとテイワズにかけあい、アリアンロッドの武力を借りたのはクーデリア自身だ。おびただしい犠牲に心が耐えられなくて、もう誰にも苦しんでほしくなかったから『最短』を選んだ。そのしっぺ返しが、クーデリアを火星連合議長として祭りあげた軍事独裁政治だ。

 治安維持の名目で築かれた管理社会はディストピアそのもので、鉄華団の生き残りにも、孤児院の子供たちにも抑圧を強いた。最短を選べばどうなるか、蒔苗氏から諌言を受けていたのに。狼狽しきったクーデリアは教えを生かすことができなかった。

 アジーだけが冷淡に、白いスーツの肩をすくめる。

 

「……まったく、尻の青い娘たちだね」

 

 四大経済圏はおそらく、ジュリエッタを次期代表として擁立するつもりだ。ラスタル・エリオンを単独で隔離するにはまず一人娘であるジュリエッタを引き離さなければならないし、ヴィーンゴールヴ沈没により家族や友人、恋人を失った兵士たちの矛先は、きっとジュリエッタにも向けられるだろう。上の命令に従っただけの末端が罰を受けるなら、ダインスレイヴ隊のパイロットにまで類が及びかねない。上官のせいで現場の兵士が処罰されるようなことはないと知らしめるプロパガンダとして、表舞台に残ってもらう必要がある。

 復讐の連鎖を断ち切るには、ギャラルホルン代表という鳥籠に囲い込んでしまうのが最も合理的である――という、思惑あっての無罪放免だ。

【マクギリス・ファリド事件】後、ギャラルホルンは軍閥として地球経済圏に並び立ったが、アリアンロッドの軍事力は発言権にも大きく影響する。実質上の恐怖政治にくわえて、火星はラスタル・エリオンとマクマード・バリストン、ノブリス・ゴルドンの三名が思惑を渦巻かせる傀儡政権だった。

 平穏を装った管理社会に風穴を開けるには、経済圏やテイワズは守るべきものが多すぎた。

 だが武器商人ノブリスが暗殺され、ギャラルホルンの腐敗が暴かれラスタルが失脚したことで、クーデリアは晴れて磔台を降りる。革命の乙女の解放とともに、言論の自由が世界にもたらされた。

 死者を悼み、犠牲を語り継ぐ『権利』は勝ち取られた。今後は地球経済圏のスタンスも変わってくるだろう。テイワズはアジー・グルミンへの世代交代とともに、正式に政治経済に首を突っ込む決定を下した。

 これからは、七つの勢力が対等な立場で手を取り合う時代だ。

 悔し涙を噛みしめるジュリエッタに発破をかけるように、アジーは口角をシニカルにつりあげた。

 

「……『イオク・クジャン』」

 

 ハッと顔をあげたジュリエッタに、アジーは「覚えがあるようすだね」と口許だけで薄く笑んだ。

 

「あたしの家族を殺した仇だよ。――どうせ『タービンズ』の名だって、あんたらはもう覚えちゃいないんだろうけどね」

 

 カフスに刻まれた紋章をこれ見よがしに眺めてみせる。メンズ仕立てのパンツスーツを着る理由は、テイワズの第二位である以上に、アジー・グルミンはタービンズの残党であるという意思表示だ。

 タービンズ壊滅の日を、アジーはまだ夢に見る。住み慣れたハンマーヘッドを降りる日がくるなんて、考えもしなかったころだ。名瀬に拾われる前はどこにいたって同じだと思っていたのに、家族と暮らした船を乗り捨てるという決断は身を引き裂かれるようにつらかった。

 非武装のランチで近くのコロニーにまでたどり着くことだって現実的ではなかった。強襲装甲艦ならまだしも、脆弱なランチでは暗礁を抜けられない。下手に救難信号を出せば海賊の餌食になり、数の暴力になすすべもなくやられてしまう。

 それでもアジーらMS乗りの直援があれば大丈夫だと、みんなを守ってやってくれと、名瀬・タービンは妻たちを送り出した。

 家族の崩壊を、アジーはただ見ているだけしかできなかった。

 

「忘れてなどいません。あの薄紅の百練……今も確かに記憶しています」

 

 テイワズフレームの量産機、パイロットの名はアミダ・アルカ。ジュリエッタにとって永遠に越えられない壁だ。

 シングルナンバーの百練といえば量産型の中でもより強固なつくりだというが、レギンレイズの高機動発展型であるレギンレイズ・ジュリアの敵ではなかった。そのはずだ。機体性能の差は圧倒的だった。

 なのに女傭兵はジュリエッタを逆に圧倒してみせた。切り結んだ剣戟を、ジュリエッタは生涯、忘れることはないだろう。

 強かった。……怖かった。弾丸がコックピットブロックを的確に打ち据え、先を読まれて回避行動が間に合わない緊張感。恐怖。焦燥に支配され、かなわないと認めたくない一心で振り翳した剣を「単調だね」と笑ってみせた女傭兵を、力不足を思い知るたびに想起する。

 アジーにとってのアミダは、姉であり、母であり、師であり、同じ男を愛した同志だ。妻や子供たちを逃がし、お前らだけでも達者で暮らせとみずからハンマーヘッドで囮になった名瀬・タービンが、ひとりだけ死出の旅路へ同伴した、特別な女だった。

 強く、しなやかな、彼女は太陽だった。

 

「あたしの、家族だったんだ」

 

 家族と呼べることが誇らしく思えるほどのうつくしい女性だった。

 なのに彼女は、凶弾に倒れた。名瀬の台頭をよく思わないジャスレイ・ドノミコルス、鉄華団を逆恨みしたイオク・クジャンの共謀によって、ハンマーヘッド――ダインスレイヴ運用の証拠――とともに回収された遺体は戻らなかった。

 アリアンロッド第二艦隊、イオク・クジャン公の命令がダインスレイヴを撃たせ、アジーの家族を虐殺した。非武装のランチを的にして、妊婦も、乳飲み子も、無差別に殺した。名瀬が築いてくれた安息の地をずたずたにした。

 鉄華団の増援がなければ、あのまま全滅していたっておかしくなかった。

 

「そのイオク様は、鉄華団に殺されました」

 

 ジュリエッタの糾弾に、クーデリアが痛ましげに視線を落とす。

 その被害者ぶったしぐさがひどく癇に触って、ジュリエッタはさらに言い募った。

 

「あなたがただってっ……鉄華団は、わたしの大切な人たちを殺しました。わたしは恩人も戦友も、鉄華団に奪われたのですよ!!」

 

 ラスタル・エリオンは失脚させられ、ガエリオ・ボードウィンは海に沈み、イオク・クジャンは鉄のハサミの餌食になった。

 ガンダムエリゴルとの決闘を境に、ジュリエッタの帰る場所はなくなってしまった。

 

「あのバルフォー平原は、わたしを拾い、育ててくださったおじさまが亡くなった最期の地でっ……強くてやさしいおじさまを、鉄華団は鉄の鋏で……っ」

 

 ふと、アジーが片眉をつり上げる。

 

「……ガラン・モッサ?」

 

「っ、どうして……!」

 

「あそこでグシオンが潰したってんなら、ゲイレールのパイロットだろう? タカキたちから聞いたよ。『あの人についていけば勝てる』、地球支部のメンバーはみんなそう思っていたってね」

 

 鉄華団地球支部が引き上げるとき、生き残った団員たちから事情は伝え聞いている。監査役としてテイワズから派遣されていたラディーチェ・リロトは『裏切り者』として、処分は鉄華団に一任されたから、アジーとラフタが状況を報告する役目を仰せつかったのだ。

 聞き取りを行うほど『ガラン隊長』という呼称がどれほど馴染んでいたかが知れた。戦術に長けた男の駆るゲイレールは、旧型とはいえ重力環境下での運用も想定された機体だ。マン・ロディに脚を生やしただけの鈍重なランドマン・ロディとは機体性能があまりにも違う。

 前線で指揮をとるリーダーはオルガ・イツカを彷彿とさせる。鉄華団は命令の忠実な遂行を得意とする部隊でもあり、隊長の夢を叶える最短ルートを導き出す判断力も備わっている。

 家族の居場所があればいいという、オルガの夢を原動力に走りだした少年たちだ。皮肉だが、実に使い勝手のいい手足だったろう。指揮官代行をつとめていたタカキ・ウノの心を折るには充分すぎる条件が揃っている。

 人心掌握術にも長けた戦術家にそそのかされるまま、地球支部は壊滅的なダメージを受けた。

 信じてしまったのだろう。力強く趨勢を告げ、お前らはよくやっていると士気を高めてくれる『頼りになる大人』の鼓舞を。

 追いつめられた少年たちは信じてしまった。

 

「あたしらにとっては憎い仇でも、あんたにとっては恩人ってわけだ」

 

「そうです! ひげのおじさまに拾っていただけたから今のわたしがあるのです。なのに鉄華団はおじさまを……そしてイオク様を手にかけた。ヴィーンゴールヴを沈没させ、罪もない命を奪って――ラスタル様をも貶めた!! すべて鉄華団の罪科です! なのにっ残党がのうのうと生きているなんて……ッ」

 

 揺らぐ声が途切れ途切れに裏返る。ジュリエッタは嗚咽をどうにか嚥下し、絞り出すようにアジーを糾弾した。

 

「真に家族を思うのなら、あなたたちは武器など持つべきではなかった……!!」

 

 ついにジュリエッタの白い頬を、ひとすじの涙が伝い落ちた。透明な涙がはらはら落ちて、ブーツのつま先を洗う。

 独立運動などなければ、部下は死なずに済んだとガエリオ・ボードウィンは嘆いた。恩人のために戦った、彼の誇り高き『グレー』の従者もまた、鉄華団によって奪われたのだ。エドモントン市街で暴走したグレイズ・アインによる大規模停電はギャラルホルンの忌むべき恥部として喧伝され、ガンダムバルバトスは罪を問われなかった。そのことを、ガエリオはひどく気に病んでいた。

 ギャラルホルンの法と秩序は、確かに間違っていたかもしれない。だけど。

 いたずらに力を振り翳したって何も解決できない。ギャラルホルンの軍事力は、民間企業ごときが対抗できる規模ではないのだ。敵味方に犠牲を強いるやり方では、暴力の連鎖が続くだけだ。

 

「そーゆうお行儀のいい子は、もう全員殺されたんだけどね……。宇宙には海賊はいるわギャラルホルンはいるわで、生き残ったのはうちらだけだよ。お互い様じゃないか」

 

「あなたにはっ……秩序を重んじる心というものがないのですかっ!」

 

「ないね」

 

 アジーはさっくりと切り捨ててて、薄いくちびるに冷ややかな笑みを引いた。

 

 

「あたしはヤクザの女だよ」

 

 

 抜き身の白刃のような眼光に、ジュリエッタは思わず生唾を飲みこんだ。ぞっとするほど冷たく睨みをきかせて、アジーは剣呑に嘲笑する。

 秩序なんてそんなもの、ギャラルホルンが勝手に作って上から強要してくるだけの支配者のルールだ。圏外圏出身者を()()と思わず、害虫を駆除するよりもよほど容易に殺戮できるようになっている。だからこそテイワズはギャラルホルンとは異なる社会制度を作りあげ、マフィアのかたちになったのだ。

 そのテイワズでさえ、女子供を保護するようにはできていない。殺されたって嬲られたって「男の所有物にならなかったせいだろう」「自業自得だ」と嘲笑される。そんな男尊女卑を『秩序』と呼ぶ理不尽の中に、アジーは生まれ育った。

 あたしらを助けちゃくれないルールに、あたしらが従ってやる義理なんざない。結論は、その一言に尽きた。だって、いちいち遵守していたら殺されるルールのせいで、すべてを失ってきたのだ。

 そんなだから圏外圏の治安は悪化するのだと言葉を重ねようとしたジュリエッタを、アジーは片手で押しとどめた。

 

「一時休戦さ。秩序はうちらで新しく作っていく。そうだろう?」

 

「……はい。わたしたち三人がともに手を取り合って、不平等のない社会を整備していく必要があります」

 

 弱者が虐げられない世界を。子供たちが戦う必要のない、女たちが搾取されない法と秩序を新たに構築しなければならない。

 

「協力してくださいますね? ジュリエッタ・エリオン・ジュリス」

 

 有無を封じた殺し文句は、まるで心臓を貫くかのように突き刺さった。【革命の乙女】と呼ばれたカリスマは健在だったのだろう。

 彼女のような旗頭にはなれないジュリエッタは、それでも精一杯「当然です」と強がってみせる。虚勢を張る。かりそめでも【革命の女騎士】として担がれた矜持のために。とまらない嗚咽を食い殺す。

 

「 ラスタル様の名誉をっ、わたしが回復させてみせます!! ラスタル様が作ってくださった平和は、このわたしがっ絶対に、絶対に守り抜きます……っ! 百年でも、二百年でも……!!」

 

 強くありたいブルーグレーからあつい涙がこぼれて落ちて、絨毯に染みをつくる。ふるえるくちびるに塩味が伝う。しゃくりあげながらも無様に泣き崩れてしまわないように、拳をきつく握りしめる。

 この世界は平和ではなかったかもしれない。これからの歴史には、ラスタル・エリオンは極悪人のように綴られるのかもしれない。平和の礎となったイオク・クジャンも、 MA(モビルアーマー)を覚醒させ、禁止兵器を運用したことしか書き残されないかもしれない。ガエリオ・ボードウィンは腐敗の貴公子と語り継がれてしまうかもしれない。

 現に、父のように慕った傭兵はガラン・モッサという偽名で紛争を幇助した戦犯として、アジーに記憶されていた。

 それだけじゃないと叫べるのは、ジュリエッタだけだ。

 だから折れない。恩人たちに恥じないように強く、やさしく、エリオン家の一人娘として誇り高く生きてみせる。

 幼子のように泣きじゃくるジュリエッタを見かねたのか、クーデリアは静かに席を立つと、ジュリエッタの手をそっととりあげた。あたたかな手のひら、繊細な指先が、ジュリエッタの手を包みこむ。

 ぐしゃぐしゃに泣きはらす頬には、清潔なハンカチをあてる。

 

「わたしたちで守り、育てていくのです。地球、木星、火星が手を取り合って、愛する家族が生きる未来を築く――それが託された役目なのですから」

 

 そうでしょう? などとのたまう魔女が憎らしくてしょうがなかったけれど、ジュリエッタの声は泣き叫びたい心に呑まれてしまって、何も言い返せそうにない。

 アジーの手が背中を叩く。そのまま、広げられた両腕がクーデリアごと抱きしめた。泣き顔を隠すように強く強く、抱きしめる。

 

「地獄の連鎖は、ここで終わるんだ」

 

 まるで己に言い聞かせるような調子だった。

 家族のために復讐心に蓋して笑って生きろだなんて、口で言うのは簡単だ。死者のためにも前を向いて生きろと励ますのはあまりにも容易だ。だがどうして、もう語らない彼らの代弁者をよそおい、悲しむ権利を奪えるだろう。

 鉄華団の残党たちを前にして、クーデリアはとても言えなかった。アジーにだって言えなかった。

 仇討ちだなんて馬鹿なことはやめろと諌めたところで、救われるのは自分自身の心だけだ。みずからは安心を買い、相手には忍耐を強いる。一方的な暴力と同じだ。自己満足のために、お前は生きて苦しめと地獄に蹴り落とすような真似はできなかった。

 それでも、復讐の連鎖を断ち切るためには、焼けた鉄のような憎悪を()()が飲み干し、喉を焼く痛みに耐えなければならない。

 だから女たちは誓いを立てる。家族の未来のため、戦い続けることがつとめだ。

 

 今この鼎を、この世の最後の地獄にする。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。