鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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02 聖女は灰へ

 シルバーグレーの軍服に抱かれ、華奢なヒールで回廊を行く。背骨のようにひとつ編まれたブロンドが歩みを進めるたびたおやかに揺れる。ギャラルホルンの統率者がまとう重厚な正装、その襟元を飾るヨルムンガンド・レッドのスカーフを、首輪だと笑う者はもういない。

 ジュリエッタがまとうのは【マクギリス・ファリド事件】を受けてギャラルホルンが軍閥として生まれ変わり、四大経済圏と肩を並べた式典の場でラスタル・エリオンが着用した正装だ。上品な『グレー』に袖を通したとき、ジュリエッタは改めて、旧来のギャラルホルンがなくなったことを実感した。

 ジュリエッタ・エリオン・ジュリスは、 血統主義(セブンスターズ)の滅びを象徴する存在として、今日の復興式典を迎えるのだと。

 中庭をひらひらと舞う色鮮やかな蝶をみとめて、ジュリエッタはふと緩慢な歩みを止めた。かつりと、ヒールが鳴る。

 朝の光に誘われるように踏み出せば、人口庭園では四季咲きの薔薇がミルクティー色の花をつけている。こぼれた花びらは人口の小川をゆらゆら優雅に流れされていく。整然と並んだ尖塔アーチに囲まれ、清廉にきらめくビオトープガーデンは、今日この日のために手入れされてきたのだろう。四方八方どこから見ても一切の隙なく作り上げられたうつくしさだ。

 絵画をもとに復元されたという、この【ルーアン大聖堂】は荘厳に、ただ見守るかのように来訪者たちを包み込んでいる。

 水面をきらきらと舞い散るまぶしさに、ジュリエッタは思わず目を細める。眇める。長いまつげの剣先を伏せたのは、白い光の向こう側に一際華やかなブロンドを見つけたせいだ。対岸の彼女もまたジュリエッタに気付いて、アメジストの双眸をやわらかく笑ませた。

 かたわらのヒレルが丁寧な会釈を返す。ギャラルホルン・ブルーの軍服をまとったヒレルは、代表の副官としてふさわしい態度でジュリエッタの対面を保ってくれる。クーデリアに付き従うSPもまた、碧眼を伏せて目礼した。

 ひとりだけ迷子のようにくちびるを噛んでしまうジュリエッタに歩み寄るのは、かつて【革命の乙女】と呼ばれた魔女だ。アップスタイルの金髪、落ち着いたワインレッドのロングドレス。高いヒールをものともしない確かな足取り。晴れの日にふさわしい装いが彼女の抜群のプロポーションとひきたてあって、いっそう優麗だ。

 パンツスーツを必要としなくなったクーデリア・藍那・バーンスタインは、会話には一歩遠いところで歩みを止めると、庭園を愛でるように微笑した。

 

「ついにこの日が訪れましたね。エリオン公」

 

「……ええ」

 

 本日午後、ギャラルホルンは再興のときを迎える。式典の中で正式に、ジュリエッタ・エリオン・ジュリスは新代表に就任する予定だ。

 そして、いつだったかマクギリス・ファリドが目指したという『生まれも出自も関係なく、誰もが等しく競い合う世界』の訪れを告げるのだろう。

 時代という巨大な渦に飲まれていく感覚は、予想以上に重い。ヴィーンゴールヴを沈没させた罪を問われることもなく生き延びて、再起するギャラルホルンの旗となるのだ。芸術品そのものだろう建造物の中を歩いているだけでも、まるで巨大な怪物の腹の中にいるようで落ち着かない。

 

「今日まで、本当にいろいろなことがありました」

 

 クーデリアが苦みを含ませて微笑する。晴れやかで物悲しい、矛盾をはらんだ笑みだった。

 対象的に一文字に結んだくちびるで、ジュリエッタは「ええ」と嘆息してこたえる。相変わらず無愛想なくちびるに、今は淡い薔薇色のルージュが乗っている。その『いただきものの口紅』のおかげで、ジュリエッタの仏頂面は人前に立つに足る華やかさになった。

 誰かに贈り物をするのは実ははじめてなのだとはにかんだ男は、大海原のどこかに沈んでしまったけれど。

 

「ギャラルホルンが新しい風を必要とする未来を見越して、あなたは養育されていたのかもしれませんね」

 

「……そうであれば、いいのですが」

 

 ジュリエッタは庭園を眺める双眸をわずかに眇めて、自傷のように微笑んだ。口角を釣り上げただけの不恰好な笑みだ。仮面をかぶることには慣れたけれど、まだクーデリアのようにはいかない。

 この箱庭に咲き誇る薔薇の名は『ジュリア』というらしい。花言葉は【努力の人】。そのようにあれと呪いをかけるように、ほろりとこぼれる。

 もうずっと会っていない養父は、ジュリエッタがギャラルホルンの新代表となることを望んでいてくれるだろうかと、考えない日はない。

 養父ラスタル・エリオンは、憎しみの連鎖を断ち切るためにと所在は誰にも知らされず、静かに隠居生活を送っているのだという。地球経済圏によって隔離された世界の片隅で余生を送るラスタルに再び会えるのは、いつかジュリエッタがギャラルホルン代表の座を降りる日だ。そのときが訪れたらジュリエッタは晴れてエリオン家の『娘』となって彼のもとへと帰される。

 

(……わたしはまだ、あなたの娘になれますか)

 

 帰る場所はあるだろうか。もう一度、ジュリエッタに居場所を与えてくれるだろうか。不安を抱きながらも、いつかふたたび父とまみえる日まで務めを果たす。それが託された務めだ。

 革命は多くの爪痕を残し、手を取り合った三人の女たちは三人ともが互いの仇だというのだから、世界とは何とままならないものだろう。

 だが、この世界のありようにもいくぶん慣れた。

 

「わたしはあなたが嫌いです。クーデリア・藍那・バーンスタイン」

 

 精一杯の悪態は、慈愛に満ちた双眸に「ええ」とすんなり受け止められてしまう。

 

「わたしも、あなたがとても憎いです。ジュリエッタ・エリオン・ジュリス」

 

 それでも。火星連合は、ギャラルホルンと手を取り合うことを決めた。喪失の悲しみを『言葉』にする権利が勝ち取られ、だからこそ『暴力』による報復を否定できる。これからは復讐の連鎖を呼ぶことのないよう、社会そのものあり方を変えていく。

 そういうシステムを作っていく。

 

「わたしたちの仕事は、これからですよ」

 

 エリオン公。――穏やかに、皮肉ではなくビジネスライクに、クーデリアは呼びかける。

 

「承知の上です」

 

 前に進むために、ジュリエッタは凛としたたかに顔をあげる。

 愛する人を奪われ、居場所を壊され、夜ごと悪夢にうなされながら、世界のために生きていく。

 

 あなたも、わたしも。


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