稲妻のような鮮やかさだった。
アーレスから発進したグレイズは四機、
電光石火、そして一撃。右手に構えた槍の穂先がグレイズのコクピットを貫いた。
火花が散り、グレイズのモノアイがぶうんと明滅、やがて沈黙する。まるで槍そのものが電気を帯びて飛来したかのような、まさに電撃の一手だった。
メインモニタのはるか遠くで光がまたたく。スパークの音など聞こえないのに、エンビの胸郭は暴発でも起こったみたいな衝撃で満ちていた。
ぞくりと肌が粟立つ。体じゅうの血液が凍りつくような、同時に沸騰するような、不可思議な高揚の名前はわからない。
だがシラヌイのブリッジにいる誰もが同じ光景を――ガンダム・バルバトスの勇姿を――思い出していただろう。
記憶が息を吹き返す。エリゴルの背中が、さあ思い出せと脳髄を殴りつけてくる。
忘れてなどいなかったはずなのに、知らず知らずのうちに色褪せていた過去が爆ぜるようにクリアになった。セピアは精彩へ、モノクロは鮮明に、強烈な色彩が記憶の底から襲ってくる。
頭の中に手を突っ込まれて、接触不良のコードを無理やりつなぎなおされたみたいだ。
暴力的に呼び起こされた鼓動と記憶、追体験する古傷の痛みを、戦う背中が呼び覚ます。肉眼では確認できない戦場を光学カメラで見通して、ああ、と嘆息がこぼれおちた。
たった一瞬の電戟を見逃さずいられたことが奇跡だった。
だって、エリゴルを送り出して、六〇秒にも満たない間の出来事なのである。
上部ハッチから起き上がったガンダム・エリゴルはふわりとシラヌイを離れ、そして一息にバーニアをふかした。疾風のように加速し――まさに雷を落とす速さで一機目のグレイズを撃破した。
僚機をやられたグレイズ隊がマシンガンを乱射しても、エリゴルは槍に突き刺したままのグレイズを盾にすんなり退けてしまう。獲物ごとふりかぶれば、
覚悟を決めたのか、うち一方がリアスカートにマウントしていた斧を引き抜いた。
取り回しが巧みであるから、おそらくは隊長機。残された四機目のグレイズがショートライフルに精密射撃用の銃身を装着する。戦闘宙域から離脱するつもりなのだろう。隊長によって離脱を命じられたのか、脚部のスラスターで踏ん張りながら踵を返すタイミングをはかっている。
速射砲の援護射撃を受けて突進する隊長機が背部スラスターのガスを吹き上げる。
急加速と同時に、バトルアックスをふりあげた。
焦りで大振りになる斧など阿頼耶識使いには隣町の火事も同じだ。一瞥でさらりと軌道を逸れると、エリゴルの足がぎゅんとひらめき、グレイズの横っ腹を蹴り飛ばした。哀れにも部下の撃ったライフルバレットが装甲の上でぱらぱら踊る。
やられまいとする気概は皮肉にも味方の一二〇ミリ弾に撃ち落とされて、ついでに部下も困惑してしまって狙いが定まらないらしい。
ひたすら弾を無駄にするグレイズをちらりと見遣ればあからさまな動揺が見て取れる。モノアイをおろおろさせるさまは同情を誘わなくもないが、戦場にあっては滑稽なばかりだ。エリゴルの槍が一閃し、苦しみもがく間もなく沈黙した。三機目。
戦闘練度の低い火星の部隊、配備されているグレイズも所詮は旧型のMSだ。
せめて一矢報いようとする最後の一機を、コクピットのライドはどこか冷めたひとみで睥睨する。
ふ、とエメラルドグリーンの双眸を閉ざせば、エリゴルのリアアーマーにマウントされていたブレードがキィンと獰猛な輝きをまとった。
次の瞬間には、稲妻模様じみたブレードは姿を消している。
掻き消えた刃は、刹那、グレイズのコクピットを貫いた。
よろめく機体、モノアイからはブツンと光が失われる。宇宙空間に機械オイルの粒を散らして、無理やり生やした両翼を引っこ抜くように
ふわり、無重力を飛翔する二基のブレード――
ガンダム・エリゴルのリアスカートに一対のみ搭載された刃は、ガンダム・バルバトスルプスレクスのテイルブレードと同様の兵装だ。無線化されたブーメランは阿頼耶識システムの空間認識能力に応じて自由自在に宙空を舞う。
見えない鎖にたぐり寄せられるように帰還すると、ふたたびエリゴルのリアアーマーを飾った。
さすがにガンダムフレームだけあってエリゴルの機動力は凄まじい。パワー、スピードも段違いだ。だがグレイズ四機を撃破するとは、こうもたやすいものだったろうか。ギャラルホルン火星支部は規模の縮小にともなって練度も下がったのだろうから、こんなものか。
ライドは戦闘の熱に浅くなっていた呼気を、深呼吸でもってあらためる。
肺腑の奥まで吸い込んだコクピットの空気は、いかにも新しそうな機械油のにおいがした。
▼
「本当にいいんですかぃ、奥方」
ちょび髭の男は実にしぶとく生き残り、ひとつランクを落とした煙草をふかした。
くゆる紫煙が夜風に乗る。うら若い夫人のいるバルコニーでは投げ捨てることもできず、携帯灰皿に押し付けた。
見上げたところで宇宙など見通せやしないのに、仮面の少女は名残惜しそうにトドを振り返った。火星特有の乾風にさらわれそうな薄すみれ色の髪を、白魚の手がそっとおさえる。
十六歳の寡婦はそれでも気丈に微笑んで。
「どうして、そんなことを聞くの?」
「あんなガキにガンダムフレームなんて高価なモンやっちまって……何するかわかったもんじゃねえでしょう」
「子供だから、だめなの?」
「ガキはガキでも連中は傭兵で……学もねえ、人喰いネズミなんですよ。ナントカにハサミは持たせるなっつう、アレでね?」
ははは、と、ごまかし笑いが空々しく響く。
ムッと拗ねたくちびるがいかにも子供らしくて、これだからガキのお守りは面倒なのだとトドは内心でため息を吐いた。
〈マクギリス・ファリド事件〉という壮大なる内輪揉めに足をとられることなく、モンターク商会は何事もなく存続していた。
創業二百年という営業記録からして、何ともしぶとい性質の企業らしい。
上得意先であった鉄華団が壊滅してもなお取引先はいくつか残っており、そういうわけで、いやどういうわけか、トド・ミルコネンは働いた。
流通というのは買いたい人間と売りたい人間の渡りをつける商売だ。人脈と信用は大事にしておかないと次がない。何もしないのも落ち着かないから金儲けをするのも悪くはないと思うのだが、ときどき自分が何をしているのかわからなくなった。
みずから
どこか晴れ晴れとした顔で死地に赴いたブロンドの美男子は、世界に不満があったらしい。
あれほど見目麗しければもっと楽に世の中渡っていけたろうに。金髪碧眼の貴公子様の考えることはトドにはまったくもって理解不能であった。
それは旦那の幼妻にしても同じことだ。
弱冠十六歳、もうすぐ十七歳になる若き身空にして未亡人。
アルミリア・ファリドという、ギャラルホルンの上澄みたるセブンスターズの一家門ボードウィン家に生まれ育った正真正銘のお姫様だ。いつか火星代表であったバーンスタイン家のお嬢様とは格が違う。
というのに地球貴族の姫君は、亡き夫の足跡をたどって火星くんだりまでやってきた。
頼れるもののないアルミリアはモンターク商会の本体となって、また右腕に仕事をまかせるという。他者を疑うことも知らない純粋培養かと思えば、人を裏切らせないオーラを備えていてたじろいだのが、トドと
今は火星に残されていたモンターク邸を拠点としているが、ここは生前のマクギリスを偲ぶどころか、トドが売り払うようなものすらないがらんどうのオフィスだ。
さすがに大金持ちだけあって建築はうつくしいのに、ビジネスホテルのような無機質さで放置された私室は、ただマクギリス・ファリドが無欲な男だったことだけ如実に物語ってくれる。
デスクとベッドサイドの引き出しには紙の本が残されており、その〈伝説〉たった一冊が、幼妻の細腕に抱きしめられた彼の遺骸だった。
そんな哀れな奥方は、火星ハーフメタル採掘現場で発見されたガンダムフレームを売りには出さないと言い出した。
夫の愛機となり、やがて棺桶と相成ったガンダム・バエルに重ねたのかと思っていたが、彼女はそのガンダムフレームを私財を投じて改修させると、あろうことか鉄華団の残党なんぞに託してしまった。
忘れ形見のつもりではなかったのか。直接そう問うてしまうほど、トドは口下手ではない。
「傭兵にゃMSの違いなんぞわからんでしょうよ」
「夫は鉄華団を高く買っていたのでしょう?」
ああまったく温室育ちの姫君は、処世がお上手でないらしい。
「全滅させられてしまったと聞いていたから。顔見知りのあなたがいてくれて、よかったわ」
「いやあ、取引先の顔と名前くらいはホラ、覚えておかんとね? ええ、へへへ……」
「ありがとう。これでひとつ、近づけたような気がするの。人が人らしく生きられる世界を、誰に反対されることもなく愛するひとを愛せる世界を……わたしは願い続けたいの」
アグニカ・カイエルの思想に救われたと彼は語った。アルミリアも伝説を読んだ。
革命に触れて、そして気付いた。
マクギリスの思想は必ずしもアグニカのそれとは一致しない。
闘争によって自由を勝ち取ることをアグニカは肯定したけれど、戦いに勝利することと、その功績を他者から認められることは、別の問題だ。
生まれも身分も関係なく、誰もが等しく競い合い、純粋な実力を評価する高潔な精神。……そこまでたどりついて、思い当たったのはアルミリアも姉のように慕っていた、マクギリスとも親しくしていたひとりの女性だった。
カルタお姉さま。
ドレスを汚してしまったときには一緒に謝ってくれた。ぎゅっと強く手を握って。退屈なパーティからは連れ出してくれた。鬼ごっこにも誘ってくれた。かくれんぼでは一番に見つけてくれた。
転んでしまったとき、真っ先に駆けつけてくれたのも彼女だった。
「お立ちなさい!」と厳しく叱咤するものだから、仁王立ちするカルタがこわくてこわくて、わあわあ泣きながら立ち上がったアルミリアを、頑張ったわね、とあたたかく抱きしめてくれた。
そんなカルタが、アルミリアは大好きだった。
何をしてるの、はやく来なさい――よちよち歩きのアルミリアを、彼女が親しい友人のように呼んでくれたから、大好きな兄とも、憧れのマクギリスとも一緒に遊べた。
まだ赤ん坊だとアルミリアを笑う者がいれば、あなたはわたしの友人なんだから胸を張ってなさいと励ましてくれた。
憐憫でも同情でもなく、幼いアルミリアを友として扱ってくれたのだ。
誇り高い彼女はやがて軍人になり、遠くへ行ってしまった。
その後の彼女をアルミリアは知らない。だけど、だからカルタ・イシュー一佐が戦死したと知らされたときは胸が張り裂けそうだった。
マクギリスもそれは悲しんで、救えなかったと目を伏せた。あのひとみが噓だったとは思えない。
遠く遠い地球での日々を胸に抱きしめて、アルミリアはふたたび、火星の夜空を見上げる。星は見えない。月もない。
寂しい夜の、黒い空。
「生まれに関係なく声をあげて戦うのなら
出自を問わず、という枕詞がついたとき、アルミリアは何もできない。
恵まれた環境に生まれ、身の回りのことは全部メイド任せで、何不自由なく育てられてきたのだ。貧困も飢餓も、本で読むまで知らなかった。その本だってマクギリスが遺してくれなければ与えてはもらえなかった。
出自に関係なく立ち上がりましょう! なんて言葉、上から言ったところで響かない。
虐げられる子供たちに対し、現状に抗うことは罪ではないと声を張った夫の遺志を、アルミリアでは遂げられない。マクギリス・ファリドが伝えたかったメッセージの発信のためには、いまだ解消されない火星の貧困を生きる子供たちを代表して蜂起してくれる
ヒューマンデブリ廃止を受けてギャラルホルンは人身売買の流通ルートに干渉するつもりだ。名目上は取り締まりだとしても、行なわれるのは総攻撃でしかない。その戦線に出てくるのは、条約によって救われるはずだったヒューマンデブリたちだろう。
教育もなしにMSを駆る力を得る〈阿頼耶識システム〉が所持者ごと撲滅・排除されれば、第二第三の鉄華団は生まれなくなり、ギャラルホルンの威信と繁栄は永劫のものとなる。
今まさに搾取されている子供たちの手足を縛って目隠しをして、立ち上がってしまう前に滅ぼそうとしているのだ。
そんな世界に最後まで抗おうとしたマクギリス・ファリドの悲願はどうなる? かりそめの民主化なんて願っていない。自由平等の中にだって虐げられる子供たちはいる。彼らを鼓舞することこそが、マクギリスの真のねらいであったのに……。
悲嘆に暮れるアルミリアのもとに舞い込んだ、鉄華団の残党が報復を望んでいる――という情報は、願ってもない僥倖だった。
彼らの背中には阿頼耶識の
モンターク商会は古くは人身売買によって栄え、マクギリスもまた、この屋敷からイズナリオ・ファリド公に身請けされた過去を持つ。商会がマクギリスによって乗っ取られて以降は主に武器・弾薬の流通に携わり、火星ハーフメタル関連の各企業とも縁が深い。
死の商人ノブリス・ゴルドンが消えれば、貿易利益を独占されることもなくなる。既得権の破壊はマクギリスも望むところであったはずだ。
そのノブリスの警護者が鉄華団団長オルガ・イツカを殺害したという証拠もつかんでいる。
赤毛の青年との利害は完全に一致していた。何より、生前の夫が期待を寄せていた少年兵集団〈鉄華団〉の生き残りなのだ。ガンダムを託すなら他にないだろう。
理由を並べればいくらでも合理的な判断であったと言い訳することはできる。けれど。アルミリアはわかっている。
そんなものは、欺瞞だ。
(そうよ、誰でも、よかったの)
火星で新たに出土したガンダムフレームを駆って、彼が願ったように抗ってくれるなら。
もはや誰が犠牲になろうと構わなかった。
▼
運転席から手を伸ばして、カーオーディオをオフにする。エンジンを切る。社用車のキーにはいびつなマスコットがぶらさがっており、ヤマギは淡く苦笑すると、おそらくはハロを象って編んだのだろうキーホルダーを潰さないよう指先にからめて引き抜いた。
昼食にはまだ少し早い。少し歩いてから適当なランチでも食べようと、ヤマギはショッピングセンターに車を止めたのだった。
平屋の店がいくつか並ぶだけのモールは駐車場のほうが広いくらいで、日曜日のファーマーズ・マーケットでもないと人気もまばらだ。
昼休憩の時間になれば作業着姿の労働者たちでにぎわうのだが、それまで一時間くらいの余裕がある。
ちゃり、とキーをまわして、ポケットに落とし込む。丸いフォルムの編みぐるみが引っかかって、壊してしまわないよう丁寧に後を追わせた。
このハロもどきが〈カッサパファクトリー〉のCEO、メリビット・ステープルトン・カッサパが作ったものだと誰が信じるだろう。
手先の器用なアトラが子供用のぬいぐるみなどを自作していて、メリビットさんもやりましょう! と強引に押し切らなければ、あの万能な才女が実は不器用だったなんて誰も想像もしなかったに違いない。
彼女にとっては失敗作でも社長にはかわいい宝物であるらしく、こうしてメリビットの乗らない社用車のキーにぶらさがることで守られている。
駐車場をぐるり見渡し、見上げれば監視カメラと目が合った。
まだ灯らない街灯に仕込まれた小型カメラのひとみがキュルキュルと前後してヤマギの姿を捕捉する。……オートフォーカス、動作良好。
問題なしと判断して、エンジニアブーツの踵を返した。
ギャラルホルン火星支部の実質的撤退によって、今のクリュセには自治組織が存在しない。
そこでクーデリアが取ったのは大量の監視カメラを導入し、人海戦術で治安を守るという政策だった。
多少の窮屈さはあれど、ギャラルホルン兵士に嫌疑をかけられたらおしまいだった過去に比べれば段違いに公平、平等である。カメラは学校や病院のあるエリアから順に配備され、スラムにしわ寄せが行くというデメリットこそあるものの、警察組織がない中で打ち出した治安維持手段としては上等だろう。
人員を配備しようにも、火星は長らく教育に対して無関心だった土地だ。
地球経済圏の植民地であったのだからしょうがないが、労働力としか考えられていなかった火星市民に就学経験者は稀少。文字の読み書きという技能を持っていないのは、何も子供ばかりではない。
となれば民度もたかが知れている。
うかつに力を与えれば、威張り散らしたり、利権を守ろうと保身に走ったり、弱者を虐げる方向に動いてしまうことは想像に難くない。
よって当面の間、火星の治安は監視カメラと、そしてクーデリアの私兵――鉄華団残党――によって守られる格好に落ち着いた。
今後は学校教育などの充実によって相互扶助の精神を根付かせ、ゆくゆくは治安維持組織も編成されていくだろう。それまではヤマギらメカニックが監視カメラを作り、ダンテをはじめとするハッカーが映像データを管理することで火星の平和を守っていく。
経済的にはいまだ盤石に遠くとも、火星ハーフメタルを採掘し尽くすには今後数百年かかると見込まれている。
それだけの時間があれば、このプロレタリアの街にも生産という観念が根付くだろう。
発想によって何かを産み出すという力。それに対価を払うこと。そういう社会。決してかなわない夢ではないはずだ。農業用プラントではとうもろこし以外の野菜も育つことが発見され、流通ルートにも乗るようになったという。
工業地帯もやがて追いついていくだろう。
(今のおれにできるのは、ちょっとでも経済まわすことくらい、かな)
ヤマギは監視カメラを点検しながらてくてく歩いて、ふとモールのそばの小さなカフェに目を止めた。新しくオープンしていたらしい。
のぞき込めば、カウンターと、テーブル席がいくつか。合計十五席にも満たないこぢんまりとした店だ。
応援の意味をこめて入店すると、ウエイトレスが「いらっしゃいませ」と顔をあげた。そわそわと来店者をうかがっており、席に案内したりはしないらしい。
ならばと遠慮なく踏み込んで、きょろきょろと店内を見渡す。
天井はコンクリートがむきだし、内装も出窓に一輪挿しのひなげしが咲いているだけで、何とも言えず素っ気ない。
他に誰もいないのだろうかと首を傾げたところで、奥の席から見覚えのある少年が顔をあげた。
褐色の肌、短く刈られた黒髪。まだ幼さの残る大きなひとみ。懐かしい面影を見つけたと、ぱあっと顔を輝かせる。
「ヤマギさん!」
「ヒルメ! ここでお昼?」
年少組の少年だ。
クーデリアを地球に送り届ける仕事でイサリビに乗艦し、そこで文字を覚え、みなとともに戦った。エドモントンの攻防戦を生き残ったのちに実働二番隊のもとで
最後の戦いでは、ユージンの指揮下について獅電に乗っていたのだったか。
そんなヒルメが柔和にはにかむ。
「はい。おかみさんが、ここで勉強しててもいいよって言ってくれて」
「なるほどね」とヤマギは応じて、ヒルメの向かいの椅子を引いた。
店内には静かな音楽が流れており、昼食後にコーヒーでも飲みながら読書でもできたら実に贅沢だ。
ザックあたりが住み着きそうだな……と自社の営業マンを思い起こして笑いそうになるのを、こほんと咳払いでごまかした。
水を運んできたさっきのウェイトレスに野菜のサンドイッチをたのむと「わかりました!」と元気な返事をして裏の厨房に走っていく。
「おかみさぁーん!」と大きな声でオーダーを通す姿が何とも無作法で、初々しくて、懐かしい。
昔はアトラもこんなふうだったっけと、胸の奥がにわかにうずいた。
飾り気のないグラスを持ち上げて、からり、氷を揺らしてみる。透明だ。最近では当たり前になったが、鉄華団の基地では食堂が外に面していたから、水といえば砂嵐の名残が沈殿しているのが常であったというのに。
郷愁に浸っている暇もなく、サイドメニューの豆のスープと小さなサラダが先に運ばれてきた。どちらも量が少ないから小食のヤマギにはちょうどいい塩梅だ。
先にサラダを平らげていたヒルメが「ドレッシングがおいしいんです」と微笑する。
フォークをくぐらせ、ぱくりとひとくち。なるほど悪くない。偏食のヤマギが言うのだから間違いない。
「おいしい」と素直に評価すれば、ちょうどサンドイッチをはこんできたウエイトレスが「そうでしょう!」と目を輝かせた。
「おかみさんの手作りなんですよ」と胸を張る。
とうもろこしのパンも自家製で、それで……と長々語り出しそうになる少女を、厨房から顔を出した壮年の女性がたしなめる。
「すみませんね、騒がしくして」
「どうぞお気遣いなく。おいしいです、とても」
苦笑すると、きれいに切り分けられたサンドイッチをつまむ。男所帯では口にすることのない三角形は目新しい。味もすっきりとしていて食べやすい。
また来ようとヤマギはそっと心に決めて、昼食を楽しんだ。
食後にとうもろこしのお茶が運ばれてくると、ほう、と息が漏れる。火星ヤシのジャムでほんのりと甘味がつけられていて、それが何とも心安らぐ味わいだ。
ヒルメも同じ心地のようで、両手でカップを包んで一息ついている。
「学校はどう? 今は春休みだっけ」
「はい、おれのいる学校は先週から。勉強はやっぱり難しいし、宿題もいっぱいあって大変だけど……おれみたいなのも学校に入れてくれて、クーデリア先生にはすごく感謝してます」
小脇に添えたかばんを見やったのは、タブレットの中の宿題だろう。読み書きを教わりはじめた時点で八〜九歳だったヒルメには、ヤマギにはわからない気苦労があったに違いない。
それでも強く前を向いている。
「おれ、医者になりたいんです。本当はメリビットさんくらい何でもこなせるようになれたらいいけど、おれはそこまで器用じゃないから」
振り返ったら視界いっぱいに負傷者がいた世界を、ヒルメは憂いているのだろう。
戦場に生きることをやめても、戦わなくていい世界にだって怪我人は出る。メディカルナノマシンは有限で、応急処置が生死を分ける。
傷ついた仲間を助けられるのは、鉄華団ではメリビット・ステープルトンだけだったのだ。アトラやクーデリアがどんなに手伝っても、医学的知識の有無は大きすぎる壁だった。
医療ポッドの配備台数が生存者の数を決めるだなんて、そんなのは悲しすぎる。
だから医者になって、怪我をした家族が死ななくていいように、少しでも貢献できたら。
「そっか。立派になったもんだなぁ」
「いつまでも子供のままじゃいられないから」
「時間が経つのは早いしね」
眦を下げるヒルメに、深い感慨を覚えてヤマギも両手のひらでティーカップを抱きしめる。
泣いても笑っても時間は止まらずに流れ、記憶は過去になっていく。幼子は少年になり、少年が青年に育つだけの時間が経過したのだ。
「エンビやトロウは? 同じ学校だろ」
「そうだったんですけど……ふたりとも勉強より仕事がしたいって退学しちゃったみたいで」
顔を曇らせたヒルメに「ふたりとも?」とヤマギが眉根を寄せる。
もうずいぶん会っていないことをヒルメはためらいがちに告白した。
「トロウは鉄華団のこと忘れちゃだめだって、学校でもずっと言ってて。周りから浮いても、いろいろ言われたりしても、おれは鉄華団の一員なんだからって……ユージンさんに叱られてもやめようとしなくて。エンビは、何も言わなかったけど」
――鉄華団を忘れるなんて許さないからな!
――おれたちは他に行く場所なんてねーんだ!
鮮明に蘇るトロウの言葉は、何度でもナイフのように鋭くヒルメの胸をえぐった。
今どうしているのかと心配になると同時に、平穏な日々に慣れてしまう怠惰を責められてしまいそうでおそろしい。
懺悔を聞き終えたヤマギは「大丈夫だよ」と実のない慰めを投げかけてしまい、その自己嫌悪も冷めたお茶で飲み干した。
「変なこと聞いてごめん。春休みの宿題、わかんないとこあったらおれたちも力になるからさ。工場のほうにも遊びにきなよ」
下手くそなフォローにもヒルメは健気に微笑して、ありがとうございますと丁寧に礼を述べた。
聞き分けのいい弟分のぶんまで支払いを済ませるとヤマギはカフェを後にする。モールは昼休憩の労働者たちでにぎわいはじめているが、カフェのメニューで彼らの腹を満たすのは到底無理だろう。
ヒルメが心穏やかに勉強できる空間を守るためにもしばらく昼はあの店に通おうと決意して、ヤマギは社用車に乗り込むとエンジンをかけた。
不格好なハロが揺れる。
鉄華団は事実上
どんな未来へ向かおうと、咎める権利は誰にもないはずだ。
(……ライド……)
それでも、心配だ。憂えてならない。彼らが――健やかに育ってほしかった子供たちが、復讐へと飛び立ってしまった世界が。
#052 ドラグーン
ヤマギが監視カメラの点検を終えて事務所に戻ると、「おあっ」と声をあげたのはザックだった。
営業から戻ってきたところなのだろう、ビジネススーツ姿のザックの頭は、まだよそ行き仕様のままだ。
つなぎ姿のデインが「おかえりなさい」とのっそり現れ、ヤマギも「うん、ただいま」と返す。
「ヤマギさん、コレ見ました?」
駆け寄ってきたザックが傾けるタブレットをのぞき込むと、そこにはクリュセ市内のホテル〈トワイライト〉にてノブリス・ゴルドン氏の死体が見つかったというニュースが流れていた。
「ああ、うん。さっきラジオで」
「やっばいっすよね……後釜問題とか大丈夫なんかな」
ノブリスが火星を訪れたという情報が入ったと同時にライドたちと連絡が取れなくなった――と、ユージンから聞いている。カッサパファクトリーで匿わないようにとクギを差したつもりだったのだろう。
その後ほどなく、ノブリスを殺害したのはライドらしいと、チャドからの続報も入った。
仇討ちに走ったのはライドのほかにエンビ、デルマが既に確認されている。
……きっとトロウも一緒だろう。てっきり一緒に行ったものだと思っていたヒルメとの遭遇はヤマギも内心驚いたし、それとなく探ってみたら本当に何も知らないようすで、ポーカーフェイスの裏側では相当動揺していた。
ヒルメのほうも、ずっと一緒だったエンビとトロウと、これからも仲良く学校に通えるものと思っていたのだろう。平和には馴染みきれず、戦場にも戻れず、盟友たちとの温度差に戸惑っているようだった。
同時刻に発進したというシャトルの規模から操舵クルーを逆算するに、疑わしいのはエンビとともにイサリビの艦橋に詰めていたウタ、イーサンあたりか。
〈ヒューマンデブリ廃止条約〉への批准、ギャラルホルンの軍備増強、――嫌な予感はしていたし、こんなこともあろうかとデルマの義手に発信器を仕込んでおいたというのに、サーバールームの番人が知恵を授けてしまった弊害で、孤児院を出たあとの足取りはつかめない。
人買い業者が取り締まられる作戦の中で死ぬのも殺されるのもヒューマンデブリのほうなのだ。同胞を救うためにデルマは行くんだろうと予測していた。
ライドの目的も、行き先もおよそ察せる。
クーデリアが社長業をしていたころはノブリス・ゴルドン氏の融資なしに孤児院の運営はかなわなかったが、火星連合政府が社会福祉に税金を投じるようになった今、武器商人の汚れた支援はもはや不要だ。
ギャラルホルンによって新規製造された武器を独占的に輸入し売りさばいていた死の商人がいなくなれば、やがて流通関係の企業に利益が分配されるだろう。
「既得権益がなくなるのはまァいいにしても、運送関係がワリ食いそうでヤなんすよねえ……」
「そこはザックの営業努力でなんとかなるでしょ」
「無茶ぶりっすよ! 弊社営業そこまで万能じゃありません!」
てゆうか、とザックは愚痴る。
「ギャラルホルンにしてもテイワズにしても、後継者がまともに育ってないからトップが降りるに降りれないワケじゃないっすか。テイワズのほうはアジーさんが引き継ぐ? っぽい? って話だけど、
「認めてなくはないと思うけど。まあ、そうだね」
一夫多妻制が適用されていることからもうかがえるように、木星は男性主体の社会構造だ。
男は支配するもの、女子供は従属するもの――といった価値観が根強いせいで、女性や子供は安物の労働力として買い叩かれる。
仕事をしようとすれば危険な輸送船に追いやられ、安全を得ようとすれば情婦になるしかない。そんな二者択一が平然とまかり通っている木星社会では女児への教育が重要視されず、学を得られなかった女たちはハーレムにとらわれることで屋根のある寝室と、あたたかい食事を買うわけだ。
そのループが女性の人権を地に落としていく。
そんな木星圏において、女性クルーと旅をともにし、正式な婚姻関係のもとハーレムを形成した名瀬・タービンの度量はマクマード・バリストンも高く買っていた。木星圏では警戒されがちな男所帯である鉄華団を弟分としてかわいがっていたことも、懐の広さ、愛の深さ、人としての覚悟を物語る。
ところが後釜候補にあがっていた名瀬、ジャスレイ、そのどちらもが夭逝。テイワズの次世代を担えそうな人材がアジー・グルミンを置いて残っていない。
世代交代とともに彼女を囲って実権を握ろうとする男がわんさと現れるだろうことは火を見るより明らかであった。
旧タービンズではエースパイロットであったアジーも、MSを降りれば所詮は女だ。戦闘訓練を受けていても同様の手練が相手では純粋なパワーで競り負ける。
女である、イコール男よりも劣っている、という安直な男尊女卑が根強く残っているだけに、腕利きのヒットマンを雇って脚を撃たせ、動きを封じて拉致するような下衆野郎がいないとも限らない。
巨大複合企業〈テイワズ〉は、輸送網、軍事工場、私兵団までも傘下におさめる巨大なマフィアという裏の顔を持っている。パワーバランスの崩壊は、どのような火種を呼ぶかもわからない。
火星連合初代議長の座にまで祭り上げたクーデリア・藍那・バーンスタインが女頭領の有用性を全宇宙に示してくれなければ、木星圏はマクマードが倒れると同時に後継者の奪い合いという混沌の沼底だ。
金髪銀髪の美女たちが各自治を担う光景を前に、まとめて掌中に収めてやろうともくろむ野心家が続出する未来がやすやす描けてしまうのが、嘆かわしくも現実である。
結局は能力であって性別など関係ないわけだが、固着の価値観ばかりは今日明日どうこうできる問題ではない。
「あーやだやだ! 出世とか改革とかほんとめんどくせー!」
真っ当な仕事が一番! 仕事しよ仕事、と振り払うように声をはりあげ、ザックはタブレットをうちわにしてデスクに戻っていく。
各取引先に振り回されつつもザックがうまく立ち回ってくれているから、カッサパファクトリーの経営、ひいては火星工業地帯の経済は安定している。
弊社の次期CEOにはザック・ロウが選ばれるだろう。
ヤマギは縛り付けていた髪をほどいて、ブロンドをざっくりとかきあげた。チーフメカニックの肩書きにおさまっているヤマギはあくまでも整備士で、事業だとか運営だとかは詳しくない。営業ともなるとまったくの門外漢だ。
ふと、ライドは鉄華団の
▼
銀のナイフをそっと当てれば、ほどけるようにさくりと内側の赤味を晒す。肉汁がしたたる。つやつやの肉はいかにも高級そうで、口内にじゅわりと唾液があふれる。
飾られたローズマリーを避けることもせず、ジュリエッタはぱくりとフォークにかみついた。
瞬間、双眸がぱっと輝く。
オーラが華やぐ、と表現すれば女騎士然とうつくしいのだが、しぐさはまったくもって、極上肉に目をきらきらさせる子供だ。前菜、サラダ、スープまでは常のふてぶてしさで平らげていたというのに、メインディッシュの肉を口にした途端これである。
ガエリオはああと嘆息して、相変わらず食い気ばかりの少女をたしなめる。
ジュリエッタ。呼びかけたって彼女は分厚いステーキに夢中だ。
「せっかくドレスコードのある店に誘ったというのに、きみときたら……」
「軍服は正装では?」
軍人であるジュリエッタにとってはアリアンロッドが誇るこのエンペラーグリーンの軍服こそが正装である。
むしろ、きちんとフォーマルな軍服を着てきてやっただけありがたいと思え、というのがジュリエッタの言い分だ。
きちんとドレスアップしてきた。
……それがガエリオの望むイブニングドレスの類いでなかっただけで。
「色気がない」
「わたしに期待するものではないかと」
「まあ、それもそうか」
諦めて、ガエリオは魚料理を口に運んだ。
ジュリエッタの見事な食べっぷりとは対極に、教本のように上品な手元である。ワインをひとくち含んで、もぐもぐと肉を咀嚼する実にかわいげのない同伴者を観賞する。
二十四時間以内に作戦開始となるジュリエッタはアルコールを口にしない。うつくしいサンセットを背景に推進式典を済ませた月外縁軌道統合艦隊〈アリアンロッド〉、地球外縁軌道統合艦隊〈グウィディオン〉両艦隊は今夜出立だ。
「宇宙か」
「ええ、しばらくは」
「出世したものだな。あれほど血筋にこだわっていたセブンスターズの権力がきみの存在によって揺らぐのはなかなか小気味がいい」
「まさか。既得権を揺るがすおつもりならラスタル様はわたしを養女になどなさいません」
ボードウィン家も、ファルク家も、バクラザン家も、お変わりないではありませんか。――言葉数よりも目の前の肉を選んで、切り分けた赤味に舌鼓をうつ。
こんな高級レストランに顔が利き、予約もなしにすんなり招き入れてもらえるのだ。
開店前だろうに到着と同時にソムリエが車椅子を押しにいそいそ出てきて、「彼女は肉を所望だそうだ」の一言でコース料理のオーダーが通ってしまった。さっきはオーナーがワインの栓を開けにやってきた。ガエリオは当たり前のような顔をして歓待を受けていたが、このVIP待遇がボードウィン家の既得権益でなくて何だというのだろう。
孤児であったジュリエッタの栄達は血統主義こそ覆すかもしれないが、エリオン家という強大な後ろ盾を得た以上
わたしは拾われただけの身。運が良かっただけだと刀身のようなまつげをゆるやかに伏せ、ジュリエッタ・エリオン・ジュリスは生まれながらの貴族たちとの違いを噛みしめる。
「ラスタル様はどこの馬の骨ともわからない戦闘用の獣を拾って、もの好きにも首輪のプレートに『エリオン』を刻んで飼っている」「戦いしか知らん小娘に世界警察たるギャラルホルンを背負わせるなど」「どうせプロパガンダか何かだろう」「本気で後を継がせる気などないに決まってる」——ジュリエッタの昇進を快く思わない兵士たちの声はギャラルホルンどころかアリアンロッドの中にさえくすぶっている。ファリド家の拾い子であったマクギリスと重ねて下世話に笑う者もあるくらいだ。
合議制が廃止された今なおセブンスターズに媚びへつらおうとする腐りきったぬるま湯に、成り上がりの女騎士がいかに歓迎されていないかが知れる。
主君たるラスタル・エリオンへの恩義と忠誠のため戦うジュリエッタには知ったことではないけれど。ただ、味方に背中を撃たれるのは不本意だ。
「わたしは強い人がすきです」
「きみは強いよ、ジュリエッタ」
「……どうも」
デザートのソルベは、ジュリエッタの好みではなかった。
食事を終えてガエリオと別れ、リムジンでの送迎を断って港までの道のりを歩く。遊歩道の左右には目を楽しませるための草木が植えられ、淡い街灯の光とともに夜に沈んでいる。
ひんやりとした夜風、揺れる木々が潮騒のようにざわめく。
厄祭戦によって欠けた衛星は月齢によってさらに欠け、釣り針のように細く、星のない空にひっかかっている。
「わたしは弱い、人間です」
軍服のロングコートは重々しくはためく。
【次回予告】
やっぱりガンダムフレームはすごいなあ! 三日月さんが帰ってきてくれたのかと思って、おれ……っ。団長たち、きっと見ててくださいね。鉄華団の居場所のためにおれたち頑張りますから……!
えっ? おれですか? ウタです! ずっとイサリビのブリッジにいたんですよっ?
次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光、第三話『解放』!