鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-12 光の子

 今になって思えば、母親は娼婦だったのだろう。生まれた場所は娼館だった。

 部屋じゅうの壁と言う壁が黒く塗られ、窓はなく、ほうぼうから垂れ下がる間仕切りのカーテンがきらびやかな場所だった。小洒落たランプだとか、フェイクの毛皮であるとか、高価そうな調度品はどれも毒々しく染め替えられていたが、もともと施されていたのだろう繊細な模様の数々はライドの幼い目を惹き付けてやまなかった。

 館で生まれた赤ん坊はみな父親の腕に抱かれて去っていったが、ライドにはいつまでたっても迎えがこなかった。幼いころは体が弱く、熱を出しては寝込んだ。そのたび、赤毛の兄ちゃんなんぞいたかねえ……と首を傾げていた女たちの顔は、もやがかっていて思い出せない。母親は金髪だったし、ストロベリーブロンドの持ち主には誰も覚えがなかったらしい。

 引き取りにくる父親もなく、放り出すには虚弱すぎて、ライドは娼館で下働きをして育った。持ち前の明るさで客にも存外可愛がられ、小遣いももらっていた――が、あれは体よく部屋を追い出すための口実だったのだろう。高級娼婦を買いにくるような裕福な男たちだ、みんな金より時間のほうが惜しい。

 ライドがそれなりに育ったある日のことだった。

 

 ――あんたもずいぶん大きくなったから、出稼ぎにいっておいで。

 

 館の女主人がそう言った。出稼ぎとは何かを問えば「仕事をするんだ」とこたえる。「働いて、母ちゃんを助けるんだよ」と言うから、素直だったあの日のライドは疑うことなく、窓のない部屋から出ることを決めた。

 買い出しにいくという車の後部座席に積まれて坂を下り、下って、はじめて外から仰ぎ見た建物には窓がないので、母親たちによる見送りはない。

 そのまま、スラムのはずれに置き去りにされた。

 仕事をさせるつもりが本当にあったのか、今となってはわからない。それが母親の意思だったのか、女主人の独断だったのかも。ただ、高級娼婦を囲った館である以上、齢二桁になる男のガキを置いたままにするわけにはいかなかったのだろう。用心棒にするには小さすぎるし、どんなに見た目がいとけなくとも男は男だ。

 スラムには落ち窪んだ目の浮浪者や、痩せぎすの子供たちが隠れるように暮らしていた。喉が渇いたと水たまりをすするさまを見て愕然とした。寒さに耐えるために他者から衣服を剥ぎ取ろうとするさまは、ただおそろしかった。

 食べ物を探して、寝床を探して、それでも仕事を探さなければとストリートをさまよう日々がどれほど続いたのか、一年だったのか、一ヶ月だったのか、たったの一週間だったのかはわからない。

 

「仕事をしたいやつはいないか!」

 

 野太い声が響き渡った。路地裏からそろりとうかがえば、恰幅のいい大人たちが声を張っている。かっちりとしたジャケットを着て、いかにも健康そうな大人だ。かたわらには大きな鉄の乗り物がある。

 

「働きたいガキは雇ってやるから、ついてこい!」

 

 あとになって思い返せばいけ好かない一軍の連中だが、痩せぎすの子供たちにとって、体格のいい大人は希望にも等しかった。スラムで見かける大人といえば小汚い浮浪者ばっかりで、みんなよれよれの襤褸を着ている。空腹を紛らわすための古い煙草で焼けきった喉はがらがらだ。

 無力に打ちひしがれる子供たちは『仕事』という響きに群がり、ライドもまたハーメルンの笛に導かれるようにCGSと背中に書かれたジャケットを、空腹と寝不足がからみつく両脚で必死に追いかけた。

 

 ライド・マッス、年は十一。

 

 就職にあたってIDを洗われ、初めて自分自身のフルネームと、母親のファミリーネームで出生を届け出されていた事実を知った。

 阿頼耶識の適合手術はひどいものだったが、喉元すぎれば何とやらだ。痛みが引けばどうってことはない。世話焼きのタカキがすぐに話しかけてきて、基地内にはどこになにがあって、どこがどのブロックで――と懇切丁寧に説明してくれたので、道に迷う機会すらなかった。入っていい部屋という部屋の扉を開けては「こいつ、新入りです! ライドっていいます!」とか「ライドっていうんだって! みんな仲良くしろよなー!」とか声を張り上げてまわられたので、まともに自己紹介をしたのはオルガ隊長の前くらいだった。

 CGS参番組で過ごしたのは、訓練と称して地雷を設置したり撤去したり、ドローンを飛ばしたり拾ったり、あとは体力作りの筋トレと持久走、それから整列して殴られたりするだけの日々だ。夜警の当番が回ってくることはついぞなかった。

 入隊から二ヶ月もしないうちに、CGSが潰れたからだ。

 名前しか知らない『ギャラルホルン』とかいう資金の有り余った連中が攻めてきて、参番組隊長のオルガ・イツカ、参謀のビスケット・グリフォンが共謀して抵抗したが、ガンダムバルバトスの健闘もむなしく参番組からは四十二人、一軍からも六十八人の死者が出た。

 そのころのライドはまだ、短い手足をめいっぱい伸ばしてもMWの操縦桿とペダルに届かない、戦力外の新入りだった。

 そんな新参者になぜ、ロゴマークの考案という大役が回ってきたのか、ライド自身にも正直わからない。

 夜露の浮いた窓に指先で落書きをしていたことはあったが、ライドが育った場所は窓がなくて、サッシにはめこまれたガラスというものが珍しかった。室内は黒く、調度品は下品なくらいに染め替えられていて、派手な色彩の下にはセンスのいい模様がある。ペイント弾の鮮やかなインクをぶちまけたのも、ブーツの底でぐりぐり地面に絵を描いたのも、無意識ながらにライドが母親の記憶を追いかけていたせいだ。

 

 ――お前、字が読めるんだろ?  端末(コイツ)使っていいからよ、格好いいの描いてくれねえか。

 

 ただ、依頼されたときの誇らしさだけは、くすぐったく、あたたかく、筆舌尽くしがたい情動がわき起こったことを鮮明に記憶している。

 CGSのロゴを白く塗りつぶして、鉄の華に挿げ替えたときも。

 

 ――これを、おれらで守ってくんだ。

 

 あの日、鉄華団が発足して、……いろいろあった。本当に、いろいろなことがあった。

「××の兄ちゃん」というのは『いいとこのおねーちゃん』が客を呼ぶとき使う言葉だと、シノに指摘されて知ったりだとか。振り込まれた給料の一部を母親の名義に仕送りしたら、出稼ぎなんてでまかせで、捨てられただけだと気付いたりだとか。

 お嬢様を地球まで送り届けるという任務にはどきどきしたし、危険も多くともなった。死にかけたタカキが復活したのも、奇跡みたいなものだろう。

「楽しかった」と言うにはあまりに残酷な日々だ。

 かたわらにはいつも、家族の生と死があった。

 

 

 

 

 そしてすべてが失われてから、ライドはコロニーへ飛んだ。

 出稼ぎのためだ。はじめはクーデリアの斡旋を受けていた仕事も、依頼という形態に変えてもらった。彼女の近くにいるとテイワズやギャラルホルンの思惑が直に感じられてしまって、精神衛生上よくない。旧タービンズの世話になるのもためらわれて、なるたけテイワズの手が及んでいない場所を探して辺境のコロニーをさまよった。

 オルガ・イツカの死は、ライドの胸に赤く黒く、陰を落とし続けていた。戦いを望んでくれなかった団長は、進み続けろと言い残した。彼がいなければ鉄華団などないのに、それでも決して止まるなと。

 家族に生きろと願いを託して、たったひとりで死んでいった。

 弔うこともできないままタービンズの船へと逃げ延びて、地球へと運ばれる道中でも命を落とした家族がいた。地球での逃亡生活で、火星での新しい生活で、遺された家族はどんどん減っていった。

 あわせて何人失われたのかもわからない中、増えたのはたったひとりだ。

 アトラが無事に元気な男の子を出産したと聞いて、ライドが想起したのは『引き取りにはこない父親』の姿だった。

 三日月・オーガスの忘れ形見。その髪色を直視することが無性におそろしくて、ライドはアトラとその赤ん坊を避け続けた。

 逃げるように出稼ぎに出て、MSの運用資格を手に入れた。

 それでどうなるわけでもないのにと自嘲していたころ、トド・ミルコネンと再会した。コロニーの外装を修理する仕事に就いていたころだ。MSの整備ドックに、小綺麗なスリーピースのスーツ姿は浮いている。

 ライドは機械オイルで汚れた顔を拭うと、「あんたか」と毒をこめて嘆息した。

 

「おれ様よ。なんだ、腐っちまってんのかと思ったぜ」

 

 ちょび髭の男は、気障ったらしい服が思いのほかよく似合う。小悪党野郎の頭が記憶よりもずいぶん低いところにあって、ライドは今さらながらに自身の成長を感じとった。もう四年近くも、あてもなくさまよっていたのだ。

 

「MSとクルーザー。あったらおめぇ、どうするよ?」

 

「は? どうもしねぇーよ」

 

「おいおい、そんなこと言うなって。せっかく人がクライアント紹介してやろうってんだ」

 

 火星で採掘されたガンダムフレームと、ファリド家所有のクルーザー。

 ()()()が、条件によってはライド・マッスに託したいという。商談のために火星へ連れてくるというのが、今回のトドの仕事らしい。

 

「おめぇが断るつってもなあ? おれぁもう火星行きのチケットふたりぶん持たされてんだよ」

 

「商談くらい別にいいけど。今さらあんたがおれを騙しても得るものはねぇだろうし」

 

「っかー! すっかり生意気になりやがってよお」

 

「で、どこへ行けばいいんだよ」

 

 すっかり冷めきってしまった目を向ければ、トドはみずからの顎を撫でて意味有りげに笑んだ。

 

「モンタークの奥方様が、お前らのスポンサーに名乗り出てくだすってんだよ」

 

 トドの目にうつったライド自身が、ひどく狼狽していたのを覚えている。

 

 

 

 

 そのときはまだ、具体的な計画はなかった。

 弔い合戦がしたくとも、ライドひとりで武器をとったところで自殺と同じだ。仇討ちを望むにしても現実的な構想など思いつかない。マクギリス・ファリド事件と名付けられた革命失敗の顛末について、どのような報道がなされているのかはライドも知っていたし、無人機扱いのうえに晒し首にされたガンダムバルバトスの末路なんて、まったくひどいものだった。

 面会の前に協力者を確保しておきたいとことわって、ライドは落ち着いて考えようとスラムに紛れた。絵でも描けば頭もいくぶんすっきりしそうな気がしたのだ。

 運よく、凝固しきったペンキを持て余している集落に出会った。そこで運よくトロウと再会した。本当に偶然だった。

 もしかしたら復讐に踏み出せるのではないか。そんな希望が胸に湧くのを感じた。

 決め手になったのは、エンビとの再会だった。一瞬、そこにいるのがエンビだとわからないくらいに、その面影はエルガーをなぞっていた。

 そして双眸が、沸騰するように色を変えた。

 

 ――団長を撃ったやつがわかるかもしれない。

 

 告げたその瞬間だった。ブルーグレイの虹彩が、目に見えて温度を上げた。表情を置き去りにするように凍り付かせたまつげの奥、まるで発光するかのような変化があったのだ。

 復讐鬼の顔をしていた。古戦場で失った片割れを忘れていない、手負いの獣の目だった。

 鉄華団の記憶とともに眠るエルガーの面影を色濃くうつすエンビだからこそ、その双眸に見出される賊心はなまなましく、戦場の記憶を蘇らせたのだ。

 たとえ復讐の旅路だろうと光を目指して進むことができるのだと、可能性が示されたことでライドは動き出した。

 火星に留学中であるという未亡人レディ・モンタークと改めて接触し、ガンダムフレームを鉄華団残党に託したいという彼女との商談は呆気ないほどすんなりまとまった。マクギリス・ファリドはずいぶん、鉄華団を買ってくれていたらしい。奥方は少女の面差しと大人びた物腰がアンバランスなお姫様だったが、いとけないくちびるで願ったのは『世界』への報復だ。

 彼女もまた立場のせいで動けないまま、復讐心を抱えて苦しんでいた。

 

 

 今度こそ具体的な計画を練り、蜂起する。イサリビ時代のブリッジクルーをふたり引き抜き、ギャラルホルンを出し抜いてやる心算だ。

 光に向かって歩いていく。

 復讐という、強く暗い、遺された唯一の光に向かって。

 今の火星では多くの人々が『現在』を生き抜くために苦しんでいるのだ。平和の裏側には数えきれない犠牲がある。だから未来を見据えて旅立つことでしか、希望が得られないことだってある。

 

 

 そして、いくばくかの準備期間を経て、ライドは真っ赤な花束とともに慰霊碑をたずねた。

 舞い上がる風に、はらり、赤い花びらがさらわれる。夕闇に消えていく風をただ見送る。暮れなずむ空に消えていく薔薇のかけらは、どこかへたどり着けるだろうか。

 ライドは墓標に手向けた花束に視線を落とすと、不器用な文字で彫られた家族の名前を撫でて、そっと苦笑した。

 

(……団長の仇は、おれたちでとる)




過去編もこれにて終幕です。お付き合いありがとうございました。
5年の月日を踏まえて、もう一度1話から読み返してみていただければと思います。

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