鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-10 地獄の果てまで

 学校はやめた。孤独に耐えかねたエンビがトロウとともに箱庭から逃げ出したのは、学生の学外活動禁止令が引き金だった。

 もちろんそれ以前から不満は募っていたし、自主退学の理由は他にもたくさんある。だが、バイトだからと放課後の学校を抜け出せなくなったことは、エンビにとって耐え難いストレスだった。宿舎を抜け出す口実として所属していたクーデリアの私兵団も、クリュセ市街が平和すぎて待機以外の仕事がない。

 誰にも相談せずに中学卒業まではどうにか耐えて、高校には行かずにスラムで仕事を探した。今はトロウとふたり、路地裏に隠れるようにして生活している。ギャラルホルン火星支部が撤退してからクリュセには警察がいないから、貧民街に紛れ込めば逃げ場はいくらでもあった。

 その日暮らしも、思うほど悪くはない。浮浪者も多く治安は確かによくない土地柄ではあるが、仕事もあるし、やるべきことも見つけられる。教室と宿舎を往復するだけの監獄じみた生活よりはずっとマシだ。

 学校ではトロウやヒルメとの関係も『幼馴染み』と偽り続けなければならないし、血がつながっていない『兄弟』のことを『家族』と呼べば「男同士で気持ち悪い」と悪意のない嘲笑を浴びるハメになる。配信されるニュースを鵜呑みにして、学校から与えられるものを享受しておきながら授業を退屈がるような、そんなクラスメートと四六時中一緒では頭がおかしくなってしまう。

 エルガーにならって快活に振る舞うことには慣れても、信じていたものを壊され、笑われ、踏みつけられても『友達』のふりをしていられるほどエンビは大人ではない。寛容にもなれない。

 少し離れただけでも、気持ちはいくぶん穏やかになった。 MW(モビルワーカー)の免許を持っていて仕事もいくらかこなせるし、エンビもトロウもずいぶん背が伸びたから、スラムで暮らしていても寝床を襲撃されるようなこともなく済んでいる。(鏡を見てもエルガーを見つけられなくなるほど成長したのだ、それくらいの恩恵がなければ割に合わない)

 死体にとりすがって泣いている痩せた子供をつかまえては孤児院の裏口まで捨てにいったり、耳障りのいい儲け話を持ちかけてくるペテン師をかわしたりしているうちに、貧民街特有のストリートコミュニティにも受け入れられていた。

 MWで荷運びをしている最中、不意に大きく手を振りながら駆け寄ってくる少年の姿をみとめて、エンビは開け放したままの上部ハッチから顔をだした。

 

「危ねぇから、あまり近寄るなよー!」

 

「昼メシだってさー! トゲのにぃちゃんたちもはやく来いよなー!」

 

「わかった、すぐに行く!」

 

 通信回線がないから、こうやって小さな伝令が呼びにくるのだ。ここでは生身の声しかないから、張り上げた声を遮らないよう作業もハッチを閉じずに行う。

「遅れんなよー!」と元気よく駆け戻っていく少年は、七歳くらいだろうか。服はぼろぼろで、いとけない頬はこけている。棒のような手足で走り回る彼には、生まれたばかりの妹がいるらしい。宇宙ネズミという言葉に触れることなく育ってきた彼らにとって、背中の端子は()()ではなく()()に見えるらしい。

 適当な路地に隠れるように停めると盗難に遭わないようロックをかけ、エンビは旧式――阿頼耶識コクピット搭載型――のMWから飛び降りた。

 人が住まなくなった廃屋に、はぐれ者たちが小さなコミュニティを形成しているのだ。余所者を許さない排他的な村もあれば、余所者は食らいつくそうとする利己的な村もあった。治安が治安だけに、物騒なコミュニティのほうが多い。

 だが長年続けてきた仕事を人件費削減を理由に失って、昔ながらのやり方でやり直したいという労働者は存外いるらしい。働きたいやつらなら誰でも歓迎するという村に運よくたどり着くことができ、今は束の間の安寧だ。学校にいるよりよほどストレスフリーな生活を送っている。

 陽の当たらない路地をくぐれば、小さな広場に出る。炊き出しの手伝いをしていたらしいトロウがすぐに気付いて、ずいとスープを差し出した。

 

「お疲れ。あとこれな、茹でただけだけど」

 

「へえ、とうもろこしなんか手に入ったんだな」

 

「出所は聞くなよ」

 

「わかってるってば」

 

 不格好で市場に出せないとうもろこしを、どうにかして手に入れてきたのだろう。()()()()()()。盗んだかもしれないし、奪ったかもしれない。人を傷つけたかもしれないし、殺したかもしれない。ここはそういうところだと割り切って、トロウが半分に折ってくれた片方を受け取った。かじりつくと、夜露を集めた真水で茹でただけでも甘く感じる。

 埃っぽいスープも、砂混じりの飲料水も、箱庭で与えられる給食よりはいくぶんましだ。

 MWを動かせると申し出れば、ここではとても喜ばれた。投棄されていた旧式の阿頼耶識搭載型でもエンビたちなら動かせる。背中のヒゲを見た大人たちが目をみはって、「お前さんらも苦労してきたんだな」「よく頑張ったな」と涙ぐむ姿には、目頭があつくなった。エンビはどうやら、ひとのあたたかさに恵まれる運があるらしい。

 それに、学校について改めて考える機会にもなった。我が子を拐かされたと泣いている母親の姿を、驚くほど頻繁に見かけるのだ。

 あるとき、大きな人員輸送車がやってきて未成年者をみんなさらっていったという。学校に入れられたという子供たちの行方はわからない。

 この子だけは守りたいと幼子を抱きしめる母親。兄や姉が帰ってこなくなったと、涙を浮かべてエンビの袖をつかんだ子供たち。デルマたちから伝え聞いた『ヒューマンデブリ』の過去が脳裏によみがえって、胸が詰まった。

 どうにかしてコンタクトできないかと連絡手段を探したものの、地中に埋まっているだろう通信回線の所在は知れず、タブレットも遺失物か盗品だ。QCCSなんて存在を知られてもいない。どこかにLCSのドローンの残骸でも落ちていないかと探したが、それもなかった。

 学校や孤児院のある文教地区は治安への配慮が行き届いており、スラム側は急勾配の岩場になっている。体格がよくて腕力もあれば崖登りの要領で越えられるにしろ、何の訓練も受けていない素人の身体能力では相当きついだろう。件の人員輸送車がいかつい転輪で駆動するのなら、生身での追跡はあまりに無謀だ。引き潰されてミンチになるのがおちだろう。

 治安の悪いスラムに学生が迷い込まないようにとの安全対策のせいで、意図せず作られてしまった離別と犠牲、高い高い壁がある。

 商業の発展とともに、人々はクリュセの中心街へと移住していく。あっちには『行き場のない子供たち』を庇護するためのシェルターが潤沢にあるから、蛸部屋で構わなければ住む場所はいくらでも斡旋してもらえるのだ。

 打ち捨てられた廃屋は、こうやって行き場のないはぐれ者たちのねぐらになり、治安が悪いからと特殊部隊がやってきては()()。作業員の安全を確保してから監視カメラを取り付け、治安のいい街に作り替えて去っていく。

 貧しさを殺して、豊かさで侵蝕して、火星経済はどんどん栄えていく。スラムを掃討しようと、どれほどの犠牲がともなおうとニュースに乗ることはない。

 辺境との断絶に、あのクーデリアが気付かないわけがないだろうに。

 ……教育改革が先決だということだろうか。それとも、彼女のバックについているキナ臭い思惑がそうさせているのか。軍事独裁政権とはいえトップに立つのはかつて『革命の乙女』と呼ばれたあのクーデリア・藍那・バーンスタインだ。あれは本当に、本物のクーデリアなのか?

 スラムに残った幼子たちに読み書きを教えたり、MWで荷物を運搬したり、それなりに平穏な日々を送れているのに、疑念はふくらんでいくばかりだ。

 

「手、止まってるぞ」とトロウに指摘されて、ああとため息をつく。

 

 考えれば考えるほど、すべてが偽物めいて見えてくる。エンビが過ごしていた学校という名の箱庭だって、まるで家畜の檻じゃないか。

 とうもろこしをかじると、さっきはおいしいと感じたのにもう味がわからない。考え事をはじめるとすぐこうだ。

 うつろな咀嚼を続けながら、広場の中心で湯気をくゆらせる鍋を見遣る。とうもろこしの葉や茎は、加工されて日用品になるのだろう。ここは機械化・自動化にともなって職を失ったという村人たちが中心になって作ったコミュニティだ。

 そういえば、三日月やアトラがつけていたブレスレットも、とうもろこしの枝葉からできているのだとアトラから聞いたことがあった。

 赤や青に着色するより、白く染め抜くのが一番難しいのだとか。

 

(赤、青……?)

 

 ふと白い湯気の向こう側に、見知った色彩を見つけてエンビはスープを取り落としそうになった。慌てて持ち直すと、湯気の向こう側で絵筆を持ったオレンジ色が笑う。古くなったペンキをふたたび溶いて、壁に絵を書いている。

 目が合った。

 

「ライド……っ?」

 

 視線がかちあったことに気付いたのだろう。くちびるが「あ」「と」「で」「な」と伝えるように動いた。

 雷電号を基地に投棄した、鉄華団最後の日がよみがえって、ひゅっと鋭く呼吸を呑み込む。

 本部基地を爆破するまでの時間稼ぎとしてアリアンロッドと戦ったとき、ライドはクリュセ市街に行っていて不在で、雷電号はエンビが預かったのだ。

 愛機の最後を、せめて活躍で飾ってライドに報いたかった。なのにエンビは片割れを見捨てて逃げ、乗り捨てたまま爆破させてしまったのだ。鉄華団の終焉を演出するため、すべてのコクピットが跡形もなくなるくらい、地下通路も塞ぎきるほどの大規模な爆弾を仕掛けたという。『全滅』したと見せかけるために、ライドがペイントを施した雷電号も、きっと――。

 

「……当分はここで仕事するって言ってた」

 

「ライドが?」

 

「ああ。出稼ぎに行ってたコロニーから、最近帰ってきたらしい」

 

「コロニーから、火星に……」

 

「近いうちにゆっくり話そうって」

 

「……トロウに?」

 

「おれたちふたりに」

 

「今さら、何を話せばいいんだろうな」

 

 遠い目をして、見つめる壁画は子供を抱いた女の姿だった。画風が変わったわけではなく、絵柄のレパートリーが増えたのだろう。絵筆を捨てずいたのだ。ライドはライドなりに、前に進んでいるのだとわかった。

 ライドの絵を見れば鉄華団の思い出がよみがえる。

 家族がいて、仕事をして、兄弟たちと笑いあったやさしい記憶だ。訓練だって勉強だって、あのころは楽しかった。悲しいこともたくさんあったけれど、それだけではない日々だった。

 どうして、こんなふうになってしまったのだろう。

 

 

 

 

 ようやくライドと話ができたのは、一ヶ月近くも経過してからのことだった。

 ライドは既に別の仕事を依頼されており、一度ここを離れるという。クーデリアからの斡旋は受けずにフリーランスで短期の仕事を点々としているから、クリュセに戻ってきても長く過ごすことは少なかったようだ。

 自分自身で求人を探し、雇い主にコンタクトして依頼をもらうスタイルは、まめで社交的なライドだからできることだろう。

 エンビは慎重な性格が災いして、あまりぐいぐいいけない。社交的だったエルガーを真似てみても、ユージンやシノを模倣してみても、人の良さが祟るのかなめられやすいのか、トロウがいなければ報酬をもらい損ねることもあったくらいだ。

 スラムで絵を描く日々は『人探し』みたいなものだったという。

 

「ここを離れる前に、お前らには伝えておこうと思う」

 

 ライドは鋭い眼光を伏せて、おそらくエンビたちを射抜いてしまわないよう配慮した。

 特徴的な赤毛も、エメラルドグリーンの双眸も、面影そのまま成長しているのに別人のような落ち着きぶりだった。

 低くなった声が、喉の奥から絞り出される。

 

「団長を撃ったやつがわかるかもしれない」

 

 がん、とまるで鈍器で殴りつけられたかのような衝撃だった。

 告げられた真相にエンビが双眸を見開く。体温の上昇、ふつふつと煮える憎悪が全身をめぐる。片時も忘れたことのなかった家族の、その仇の正体がわかるかもしれないのだ。そいつが団長を殺した。おれたちから生きる場所も死に場所も全部ぜんぶ奪っていった。

 そいつは誰で、まだ生きているのか? 生きているなら、――!

 

「……なんて顔してんだ、エンビ」

 

 トロウに肩をつかまれて初めて、自身がひどく激昂していたことに気付いた。首を振る。両手で顔を覆って、ゆっくりと息を吐いても、まだ鼓動がどくどくと強く鳴っているのがわかる。今の自分自身が一体どんな顔をしているのかもわからない。

 

「悪い……、団長命令だから、おれたちは生きなきゃいけない、そうだよな……」

 

「どうだかな。団長の遺言を伝えたのはこのおれだぜ?」

 

 吐き捨てるようにライドが口角をつりあげた。皮肉っぽい笑みに、かつての快闊な面影はない。

 事実、オルガ・イツカの最後の言葉を聞き届けた団員はライド・マッスとチャド・チャダーンのふたりだけだ。それをアドモス商会から鉄華団本部基地まで届けたのはライドだった。

 嗚咽混じりの伝令が、どれほど正確であったのかは、記録を抹消された今となっては誰にもわからないことだ。もう四年も昔なのだ、記憶だって褪せている。

 伝言はライドによってユージンへ、そして各団員たちへと伝えられた。みんな動転していた。焦りや悲しみ、憎しみ、怒り――多くの情動が、口づての言葉から正確性を奪っていたかもしれない。

 エンビがはじめに聞いたのは、息せき切って駆け込んできたエルガーの伝令だ。それから、三日月・オーガスによって再翻訳された団長の『最期の命令』。

 

 

「団長の言葉そのものじゃねぇだろ」――とライドは言う。

 

 

 それは啓示だった。長らく囚われていた言葉の正体を知って、鼓動が息を吹き返すようだった。

 

 ――オルガの命令の邪魔をするやつは、どこの誰でも全力で潰す。どこの、誰でもだ。

 

 ――死ぬまで生きて、命令を果たせ。

 

 あれは悲しみのふちで三日月が遺してくれた三日月・オーガス自身の言葉だ。死ぬな、生きろと突き放して、二度と帰ってこなかったガンダムバルバトスのパイロットが遺した言葉だ。

 

「オルガ団長の、言葉じゃない…………」

 

 ああとライドが首肯する。エンビとトロウを見守るようにそれぞれ見つめて、低く宣言した。

 

「おれは、三日月さんに潰されてもいいと思ってる。――MSと船が、手に入るかもしれないんだ。そうしたら、おれは行こうと思う」

 

 一緒に行くかと問うように、静かに差し出された手はエンビにとって救いそのものだった。

 手を取る。握る。連れて行ってくれと願うように強く。そこにあるのは、あたたかい手のひら、煮えたぎるような感情と、復讐によって前に進みたいという希望だ。止まりたくないという願いとともに握りしめる。三人ぶんの手のひらの熱は、同じ強さで拍動している。

 鉄と血で結んだ家族の絆から、形は変わってしまったかもしれない。

 だけどその手こそが、ずっと求めていた光だった。


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