鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-09 ディストピアの家畜

 間に合ってよかった、というのがウタの率直な所感だった。

 今朝の HR(ホームルーム)でアルバイトの全面禁止が言い渡されたのだ。なんでも、就学期間中の労働についての解釈が全面的に見直され、学外ボランティア活動を認めない方針になったらしい。有償・無償は不問、ただし私立校なら制限はなし。公立校の児童・生徒は学費どころか衣食住まで連合が税金で賄ってやっているのだから、学業に専念しろというのだろう。

 おかげで、家庭教師の真似事めいたボランティアで謝礼を稼いでいたウタは昼休み早々、事実上の解雇通告メールを見ることになってしまった。

 燃料補給スタンドで働いていたイーサンに届いたメッセージには「たまに手伝いにこいよ」と誘い文句が添えられていたので、厳しい罰則があるわけではないのだろう。鉄華団でも会計系の事務を主にこなしていたイーサンは愛想こそよくないが伝票の計算をやらせたら気持ち悪いくらい正確だし、顔がいいから接客業でも重宝される。

 バイト禁止令が出る前に各種運転免許の取得が果たせたのはさいわいだったが、高校を卒業するまで新しい収入源を見つけるのは難しいだろう。貯金はまだ余裕があるし、前々から狙っていた資格取得や私物購入は粗方済んだにしても、今後は節約していかなければならない。

 放課後、これからどうするかな。――ウタはため息をつくと、手のひらサイズのタブレットをクレイドルに乗せた。こういうちょっとした私物を買うには、自分で働くしかないのに。

 逃亡先の地球でIDを書き換えて火星に帰ってきたウタたちは、ほどなく中学校を斡旋された。地上戦時の所属を基準に割り振られたらしく、戦闘部隊や兵站業務に従事していたエンビたちは小学校のほうに配属されていたと後で知った。戦闘職組は文字が読めない連中が多かったせいだろう。

 宇宙ではイサリビのブリッジに、地上では事務室にいたウタやイーサンは年齢相応の学校に通い、留年することもなく高校に進学。成績優秀者は学外ボランティア活動の許可が出るので、中学時代からずっと学業とアルバイトの両立を続けてきたのだ。おかげで鉄華団時代から欲しかった運転免許も取得できた。

 不本意なお断りメールからニュース番組に画面を切り替えて、給食のミルクにストローを突き刺す。

 先にピタパンの封を切っていたイーサンが、画面に流れるテロップを見て嫌気がさしたようにアイスブルーの双眸を眇めた。ずいぶん低くなった声は、遅蒔きな変声期のせいでひどく掠れている。

 

「教育改革して、『やりたいことやれ』っつったと思ったら今度は『学生は働くな』……、ブレブレだよな最近」

 

 心底失望したようなため息をひとつ、大口を開けると拳大のピタパンにかぶりつく。神経質そうな指先でぐいぐい口内に押し込んで咀嚼する。

 

「やめなよ、イーサン」

 

 たしなめると、根が律儀なイーサンはきちんと噛んで飲み込んでから「知るか」と毒づいた。それだけで喉をおさえて小さく咳き込み、飲み物をたぐり寄せる。骨格の変化が顕著なだけに、喉や膝の痛みがひどいらしい。

 ウタは身長も斬新的に伸び、声もいつの間にか落ち着いてきたので、成長期も変声期も体感していない。大変そうだなと同情的に見守るばかりだ。

 イサリビ時代から隣で過ごしてきた金髪の相棒は、高校に入ってからは行儀の悪いしぐさがことさら目立つようになった。脚を組むようになり、頬杖をつくようになり、愛想も悪くなった。

 昔はそんなことなかったのにな、と、懐かしさと痛ましさからウタは眉尻を下げる。クラスでちょっとした嫌がらせを受けている反動なので、イーサンの素行を強く咎めることができない。

 骨格の成長にともなって輪郭のラインが鋭くなり、野暮ったかった奥二重まぶたが切れ長になって、ブロンドの相棒はいっそう垢抜けた。身もふたもないが、とにかく『顔がいい』のだ。おかげで女子は何かにつけてイーサンを優遇するし、それが気に入らない男子からはやっかみを買う。

 さっきも給食を少なく配られ、女子から譲ってもらうという一幕があったばかりだ。

 学校給食はいつもサンドイッチやトルティーヤなどで、残飯が出ないように小さな容器に分けられている。栄養を鑑みてノルマはひとり三つ。五つまでもらっていいことになっているのだが、小さく作られているため、十五歳の男子高校生には五つでも夜まで持たないくらいだ。

 というのに、今日の当番がイーサンには三つきりしか渡さなかった。

 ……結果的には、女子がカンパしてくれたので七つも手に入ってしまったのだが、それが余計に風当たりを強くして、こうしてイラついているという顛末だ。

 

「機嫌直せって。悪いよりはいいほうがいいだろ?」

 

 頭も、顔も、何にせよ。

 

「善し悪しだろ」

 

 イーサンはすげなく突っぱねると、不機嫌そうに独り言ちた。

 

「……おれがとったわけじゃないのに」

 

 吐き捨てるような嘆息は、八つ当たりの矛先を探してそのまま時間に押し流される。

 そうだね、とウタは曖昧に同意を述べた。イーサンが欲しがったわけじゃない。だけどイーサンに奪われたと感じているクラスメートは存外多い。人気も、注目も、関心も、給食も。

 色素の薄い金髪は生来のもので、虹彩のアイスブルーも生まれつきだ。成長期を迎えてほうぼうから「顔がいい」と言及されるようになっても、当人は「喉が痛い」「膝が痛い」程度の変化しか体感していないのである。

 子供のころは別段愛くるしい顔立ちでもなかったし、奥二重まぶたが野暮ったい、何だか眠たそうな顔をした普通のクソガキのひとりだった。唐突に容姿を褒めちぎられるようになったって適応しきれない。学校では異性に構われ、同性に嫌われ、バイト先では客寄せの看板に使われて、イーサン自身が誰よりも環境の変化に置いてけぼりを食らっている。

 顔のいい知り合いに相談してみようかと考えたウタだったが、鉄華団における『顔がいい男』の代表格だったろう金髪碧眼の副団長、ユージン・セブンスタークは、そのように扱われていた記憶がさっぱり思い当たらない。同じイサリビに長く乗っていたせいなのか、印象に残っているのはヘタレだの、童貞だのとイジられている姿ばかりだ。

 年齢が近いところではタカキ・ウノが美少年らしく整った顔立ちをしていたが、当人に自覚がなかった。それからヤマギ・ギルマトン……彼も頼りにならない。容姿の芳しさに自覚があったら、あんなふうにブロンドをオールバックに束ねてピンクのつなぎなど着たりしない。

 そもそも、鉄華団は男所帯だった。年齢も多様だったし、男女混合・同世代のみの教室内での振る舞いについてまともな助言をくれそうな知人はいない。

 ウタはさっくりと諦めると、昼食に向き直った。ピタパンをかじる。はみ出してきた葉もの野菜を追いかけ、黒いスラックスに落ちた粉は片手で払い落とした。

 相棒の顔がよくて困っているんだけど……などと打ち明けたって、どうせ取り合ってもらえない。冗談か、それとも嫌味かと皮肉られるだけだろう。

 それに、問題があるのはイーサンだけではないのだ。

 給食を分けてくれたクラスの女子は、何らかの好意を持って近づいてきている。それらは『下心』と呼んで然るべき情動で、イーサンの――というよりは『顔がいい男』の――気を引きたいからあれもこれもと便宜を図ってくれる。

 そうやってイーサンばかりが女子の関心をさらっていく現状を腹に据えかねたのか、ついに同級生のひとりから暴言が出た。

 

 ――こんな女みてーな(ツラ)のどこがいいんだよ!

 

 気の長くないイーサンはすぐさま反駁しようとしたのだが、今は声変わりの真っ最中で、大きな声がまともに出ない。中学時代の終わりごろにやっと変声期を迎え、喉のままならなさに終始無言でイライラするさまは、ウタもすっかり見慣れるほどだ。

 最近になってだいぶ落ち着いたとはいえ、会話しているだけでも時折咳き込むほどには苦しんでいる。

 そんな姿を気遣って女子グループが一斉にイーサンをかばいだすものだから、ループが延々と続くのだ。反動でイーサンのしぐさも日に日に雑になっていく……が、顔がいい上に脚も長いので、火に油を注ぐほど見栄えがする。まったくもって終わりが見えない。

 

(……にしても、ずいぶん危ない橋を渡るなぁ)

 

 女のよう、という暴言について、ウタの所感はその一言に尽きた。

 気に入らないクラスメートを罵倒したいだけだろうに、言葉選びがあまりに危険だ。今の火星は女性のほうが立場が強い。教師も校医もみんな女で、外出先でも不自然なほどの女性優遇が目に入ってくる。だからこその反発だというのもわからなくはないが、おそらく裏にはテイワズなり、ギャラルホルンなりの思惑があるはずだ。あのクーデリアにしては不平等に過ぎる『男女平等』は、木星圏からの高学歴移民が増えたからというだけの理由では説明がつかない。

 娼館に入れる年齢制限も十八歳にまで引き上げられ、値段も釣り上がったという。スラムのほうまで足を伸ばせば昔みたいに十六から入れる店も残っているのだろうが、学生寮と貧民街は遠く、公共の交通手段ではつながっていない。治安の悪い場所になんて行ったことのなさそうな同級生たちなんか、バスを降りて一マイルも歩かないうちに身ぐるみ剥がれて、底冷えのする夜にふるえるハメになるだろう。『そういうこと』に興味が出てくる同級生たちも、やすやす女を買えない環境になった。

 バーンスタイン火星連合議長の方針で学校教育の改革がすすむほど、そうした『遊び』への制限はますます厳しくなっていくに違いない。

 学生の本分は学業である、という発想はウタにもよくわかる。公立校の学費は税金でまかなわれているし、制服は支給、給食も配給、学生寮という寝床兼風呂も提供される。衣食住に困ることはない。生活の不自由は何もない。

 だからそれ以外のことはするなと切り捨てるのはいかがなものだろう?

 母親に仕送りがしたい、育った孤児院に寄付をしたい――という孝行な学生だって中にはいるのだ。確かにそういうのは『学生の仕事ではない』のかもしれない。親の自立支援を子供が背負う必要はない、社会が解決すべきだというクーデリアの演説も理解できる。

 だがアルバイトは成績優秀者だけの特権だった。それを奪って、学業へのモチベーション低下は懸念しないのか。自由な買い物ができなくなればネクタイやらベルトやらで制服をアレンジする学生も減り、教室はより平均的になるだろう。放課後の買い食いもできなくなる。育ち盛りの高校生は、朝昼夕の配給だけでは体が持たないのに。宿舎の味気ない二段ベッドも、真冬ともなればブランケットを買い足さないとさすがにきつい。

 学外ボランティア活動が禁止されれば、本当に何もできなくなってしまう。

 朝昼晩とも給食を食べて、午前と午後の授業を受けて、宿舎で風呂に入って眠る――たったそれだけの生活を送れというのか。統制に嫌気がさして学校を出ていく生徒もいるだろう。

 他に衣食住のアテがない学生は、学校に留まるほかないけれど。

 

(……なんだか、家畜みたいだな)

 

 飼いならされた犬のよう、いや、まるで豚だ。牙を持たず、与えられた餌だけ食べて、流動食のような平和を大人しく享受するだけの。もとより成績という競争を這い上がれない弱者は、お膳立てされた制服と給食と蛸部屋の寝床で清貧に生きていくしかないのだから。

 クリュセでは頭脳労働の需要が高く、高校中退程度では雇い手もそうそういない。学生のアルバイトだって、公立校に在学中であるという証明があり、成績優秀者だというお墨付きがあり、弟分に読み書きを教えていた経験があるとか、伝票計算がいやに正確だとか、顔がいいとか――、そういった『信頼』+『技能』+『付加価値』があってやっと雇ってもらえるのだ。警察にあたる組織がないクリュセでは鉄華団残党でクーデリアの私兵団が結成されつつあるが、あれも元鉄華団という信頼と技能が必須条件だ。就職組が優先で、学校組はなかなかシフトに加えてもらえない。

 思案に沈むウタを気遣ってか、タブレットを伏せたイーサンが胡乱げな目を向けるので、何でもないと首を振った。

 実に見目良く育った相棒は、そこに生きているだけで人々から何かを奪い続けるのだろう。目とか、心とか、機会とか、きっといろんなものを。

 そのように考えて、別にお前がとってるわけじゃないのにな――と内心でフォローを入れた。

 奪う側にも奪われる側にもならないウタのほうが、よほど安逸と享受している。移ろう社会の『特権』は、果たして誰のために作られて、誰のために維持されて、誰のために変化を遂げていくのだろう。




(とある金髪の美男子と友人Aの空虚な学校生活)


思考実験: マクギリス・ファリドはいかに仮面をかぶり、友人に囲まれた学生時代を過ごしたのか。
※鉄血世界の金髪はだいたい美人なので、当設定ではイーサンもカルタ隊右から2番目みたいな感じの金髪美形に育っています。

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