鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-08 天国にはいけない

「ユージン、ちょっといいか」

 

 コン、と開きっぱなしのドアをノックして、チャドはあたりを気にしながら呼びかけた。何事かと顔をあげれば、静かについてきてくれ、と身振り手振りで伝える。

 ここでは言いづらい話なのかと察し、ユージンは仕事中だったタブレットにロックをかけると腰を上げた。

 オフィスビル内は静かながらささやかに音楽が流れており、話し声がノイズにならないよう配慮されている。……と思っていたが、こうしたBGMには内緒話をかき消す意図もあるのかもしれない。ある程度のボリュームがないと聞こえない。

 ふたりして廊下に出ると、男子トイレに場所を移した。ユージンとチャドにとって、ここで聞かれたくない相手といえば雇い主たるクーデリア・藍那・バーンスタイン連合議長様ただひとりだ。

 それでもあたりを警戒した上で、チャドがスーツの内ポケットから取り出したのは小さな白い袋だった。よく見ればパッケージ自体は透明で、中に白い粉末が入っているらしい。

 受け取って開封しようとしたユージンを、チャドが慌てて止めた。

 

「ヤバい薬だ。間違っても嗅ぐなよ」

 

 取り上げてから、呆れ半分、びっくり顔のままため息をつく。対象的に、ユージンは胡乱げな顔になった。

 

「クスリ……? なんだってそんなもん」

 

「それはおれにもわからねぇ。なんでも『天国にいける』っつって出回ってるらしい」

 

「天国だぁ?」

 

「死んだ奴が行く場所……って信じられてたところだな。浄土とか、ヴァルハラとか……地獄とか、まぁ、バリエーションはあるけど」

 

 厄祭戦以前に存在した『宗教』なるものは、もはや出がらししか残っていない。ユージンにはまったく馴染みのない観念だろう。

 チャドはヒューマンデブリとして売られるときに阿頼耶識のピアスとともに『知識』を補助するチップを植え付けられたからデータとしては知っているが、精神性まで理解しているわけではない。

 頭蓋に埋め込まれたマイクロチップに記録されている厄祭戦当時のデータの中には、生前に何らかの行動を起こせば『死後』もっといい場所へ行ける――という信仰がある。

 天国というのはそのひとつだと、チャドは手短かに解説した。

 

「火薬でラリってるやつとか、ユージンも見たことあるだろ」

 

 鉄華団にはさすがにいなかったが、CGS時代はさほど珍しい光景ではなかった。一軍の大人たちにとっては安く手に入る鎮痛剤、参番組の子供たちにとっては戦場の恐怖を紛らわす興奮剤だ。一時的なトリップはなけなしの救いになる。オルガがやってきて、薬をキメてふらつく大人を反面教師にしはじめたせいか、参番組ではいつの間にか見なくなっていた。

 とはいえユージンもチャドも、オルガより古株だ。CGS時代がそれなりに長いせいで、ちょっと記憶をたどるだけでも苦々しいほど覚えがある。

 どうやって生きればいいかわからない連中が使うものだったのだろうな――と、仕事で危険がともなわない今になってユージンは他人事のように嘆息した。

 

「……ラリったら、天国にいけるってのかよ」

 

「いや。天国ってのは、死んだやつがいくところだ」

 

 目を伏せたチャドは一旦言葉を切って、

 

 

「あいつらに会える場所じゃない」

 

 

 ――としめくくった。

 死んだやつらには死んだらまた会えると、かつてオルガ・イツカは言っていた。だから急いで会いに行かなくていい、といったニュアンスだったのだろう。生きろと命じたい言葉のバリエーションをオルガはいくつか持っていたから、きっとそのひとつだ。葬式をすれば『苦痛を忘れ、生まれ変われる』という観念がメリビット・ステープルトンによって持ち込まれ、いつの間にか取って変わられていた。

 それが、このごろ復活したようなのだ。『死ねば死んでいったやつらに会える』というニュアンスに変質した上で。

 天国にいきたい連中の中で、オルガの『言葉』はオルガの『遺志』とは別の方向にねじ曲がってしまっている。オリジナルが死んでしまっているから、もはや修正もきかない。

 

「……そりゃあ、やべえな」

 

 何がどうしてそうなったのか、察しがつくだけにどうしようもない。ユージンはブロンドに手を突っ込むようにして顔を覆った。議長に恥をかかせないようきちんとセットしているので、苛立ちまぎれに引っ掻き回すわけにもいかない。

 そもそもオルガ・イツカとメリビット・ステープルトンは思想の面から真っ向対立することが多かった。オルガの通したい『筋』とメリビットが説く『正論』はいつだって噛み合うことなく、今になって思えばオルガはひどくストレスを溜めていたに違いない。後生大事に抱きしめていた鉄華団という家族を、ぽっと出の女に引っ掻き回されるのだ。テイワズからお目付役として派遣されてきた彼女は才色兼備で手厳しく、団長のメンツを守ってくれるような『やさしい女』ではなかった。

 メリビットと同様のスペックを持つ才媛たちが教師や医師、管理職といった待遇で大量に移民してきて以来、火星では年配の男性を中心に自殺者が増加している。労働環境改善という名目で会社を乗っ取られた心労、人員削減による失職などが主だった背景にある。

 そこへ漬け込む格好で、ドラッグのご登場だ。

 依存性があり、摂取量によっては中毒症状を起こして死に到る。火星ハーフメタルの採掘場など肉体労働の現場を中心に出回っており、転落による死傷者まで出はじめているという。

 それが事故だったのか自殺だったのかは、わかっていない。

 

「死んだ連中に会いたいっつーより、生き続けんのに疲れたのかもしれねぇな」

 

「否定できないな……。死ぬような危険な仕事はなくなったってのに、皮肉なもんだぜ」

 

「働いても働いても金がねぇってのもキツいだろ。頭のひとつもおかしくなっちまう」

 

 自嘲めいて肩をすくめたユージンにも、理解できる気持ちだった。

 同姓同名の別人として無事火星に帰ってきたユージンたちだが、アーブラウでIDを書き換えてもらう間にも仲間を次々失った。怪我が祟ったり、冷たい冬に晒されたり、バルバトスが討伐されたという報道を聞いて気が狂ったり。さまざまな理由で命を落とし、故郷に帰ってこられなかった連中も多い。

 いざ帰ってきても、クーデリア・藍那・バーンスタイン連合議長様が斡旋してくれる仕事には『戦闘以外』という条件がつく。

 十六歳未満の子供は一律学校へ、それ以上の年齢なら就学か就職どちらか自分で選ぶように――という方針により、年少組のチビどもはまとめて学校に入れたが、選ばなければならなかった年長者の心労は身に余る。

 生き伸びるためにと必死に耐え忍び、やっと故郷に帰ってこられたと一息つく間もなく仕事を「選べ」「考えろ」「学べ」と追い立てられるのだ。全力疾走の延長、延長、また延長。休む暇も与えられず繰り返させられたら、さすがに精神的にくる。

 傭兵としてしか生きてこなかったから他に何ができるかなんて知らないし、わからない。今から文字を勉強して、使い物になるまで何年かかるか……なんて考えるのも億劫だ。だから阿頼耶識システムがあったのだろう。読み書きも計算も何もできない子供でも、背中のヒゲさえあればMWやMSを動かせる。戦うことで鉄華団に貢献し、戦って生き残れば、つきまとう無力感から解放された心地になれた。

 それが今では、新しい仕事に適合するために頑張って「学ぶべきだ」。

 木星圏から大卒者が大挙し、求められるスキルレベルが大幅に釣り上がった現状でそれなのだ。相対的に無知無学な地元出身者は肩身が狭い。

 仕事で疲れきった精神に、天国へいけるという誘惑。頑張って稼いだ金をはたいてでも楽になりたい気持ちは、理解――できてはいけないとわかりつつも――できてしまう。

 ユージンだって、鉄華団副団長という立場があったからこうして連合議長SPという仕事を得られただけだ。

 同僚のチャドのように秘書を兼ねられるほど博学ではない。ヒューマンデブリ時代に埋め込まれたマイクロチップによるものとはいえ、チャドには知識があるのだ。四大経済圏の言語がすべてわかるので通訳にもなる。今さら劣等感も何もないが、ユージンの中の疲れた部分は天国への逃避行とやらに言い知れぬ魅力を感じてしまう。

 

「……この件、お嬢には?」

 

「まだ何も。報告すべきか迷ったから相談にきた」

 

 天国にはいけない粉を、チャドはユージンから隠すようにスーツの裡ポケットにしまいこんだ。宇宙で、地球で、火星で、生き残りの数は日に日に減っていく。戦死でもなく病死でもなくドラッグ中毒で死んだだなんて、クーデリアに報告するのは気が引けた。

 

「なら対策が先だな。お嬢に伝えんのはそれからでいいだろ」

 

「わかった。ひとまず、学校組のバイト禁止から手を打っていく」

 

「頼んだ。頼りにしてるぜ、チャド」

 

「ああ。それじゃ、おれも仕事に戻る」

 

 うなずきあって、時間差で廊下へ出る。頭脳労働のできるチャドは、ユージンと仕事内容が異なるのだ。調子に乗ったウィングチップのつま先を見下ろして、ああと肺腑の底からため息をつく。ダークスーツが映えるだの、ネクタイが洒落ているだのと見栄えを褒められるのはユージンなのに、重要な仕事を任されるのはいつもチャドだ。

 

(……能力がねえっつーのは、キツいわな)

 

 劣等感以上に、生きられる場所の少なさに愕然とさせられる。インテリ女史の大量参入の煽りを食って、肉体労働はますます価値を落としてしまった。大なり小なり頭脳労働ができないと稼ぐに稼げない。戦いのなくなった新しい火星社会は、ダンテのようなハッキング技能、ヤマギのような整備スキルがある連中にばかりやさしい。

 今のところ、一番うまく馴染んでいるのは学校に通う年少組だろう。読み書きも計算もできるし、体力もある。小学校のほうからはトロウの怪我を心配だとヒルメが何度か直訴に来たが、どうせ成長痛だ。夜になると膝が痛みだすらしい、手のひらがぼろぼろになるほど握りしめている――というヒルメの話は、ユージンにも覚えがあった。昼休みに覗きにいけば当のトロウはけろっとして、三人で元気そうに談笑していたので、学校でもうまくやっているのだろう。出来のいい子供たちは手がかからなくて助かる。

 成績のいいやつに限りアルバイトの許可を出していたが、今後はそれもできなくなる。

 ふと腕時計を見やれば、仕事のあとに少し時間がつくれそうだ。ユージンはタブレットを開くと、今夜にでも少し話がしたいとメールを作成した。送信ボタンを押し、虚ろなため息をついて、仕事に戻る。

 

 

 午後八時半、外で適当な夕食を済ませたユージンが訪ねたのはカッサパファクトリーの隣、カッサパ宅だった。

 客間にて、客人用のティーカップを出されて頭を下げる。白く細く、芳醇な香りを乗せた湯気を吸い込んでからメリビット・ステープルトン・カッサパに向き直った。

 

「あんたなら、鉄華団の内情も知ってるからと思ったんだが――」

 

 切り出したはいいが、続く言葉を見失って言いよどむ。木星圏から移民してきたという女たちは、鉄華団のお目付役としてテイワズから出向してきたあんたの後輩にあたるのだろう? ――と、本人に言っていいのか悩んだのだ。

 メリビットは高学歴で、キャリアもある。男尊女卑社会ではキャリアを伸ばせなかった木星移民たちよりよほど高位の存在なのかもしれない。

 

「いいのよ、ユージンさん。本題をどうぞ」

 

「……悪ぃ」

 

 カッサパファクトリーは営業時間を過ぎているし、長居するわけにもいかない。

 

「就職組のやつらがクスリやってることが判明しました。主にハーフメタル採掘現場のほうで」

 

「ドラッグ……!?」

 

「ああいや、ここを疑ってるわけじゃなくて。どうすればいいのかと」

 

 社員での流通を疑っているわけではない。怪訝そうなメリビットには言い訳じみて聞こえたかもしれないが、ここはヤマギやザックも務めている工場だ。工学系の専門職は、現状の火星でも『稼げる』部類の職業である。細かい作業も多い仕事だけに、ドラッグの使用は百害あって一利なしだ。

 肉体労働か単純作業しかできない連中の間で『天国にいける薬』は広がっている。どこにも居場所のなかった孤児たちにも食事と寝床を与えたいと願ったオルガ・イツカはいなくなり、できる仕事をできる限りで頑張っただけでは生活していけなくなった。

 その手に技術を宿してきた専門職、身一つで戦ってきた戦闘職の間には、今や大きすぎる溝がある。

 就職組は二分化され、学のない元戦闘職が居場所を失って苦しんでいる。

 

「あんたを見込んで、教えてほしい。『人並みのしあわせ』っつーのになるには、おれたちはどうなればいいんだ?」

 

 どんな顔をすればいい。どんな生活をすればいい? どんなふうに生きれば、人並みのしあわせを手に入れたことになるのか。鉄華団でそれなりに恵まれた青春を過ごしてきたから、クーデリアの言う『火星の人々をしあわせにしたい』という願いがわからなくなってきているのだ。

 ああ、だからお嬢には相談しづらいと思ったのか――と、ユージンは後馳せながら自覚した。

 オルガの言う『家族』のかたちに反発したのはメリビットだけだった。家族とはこういうものだ、幸福とはこういうものだとオルガを導こうとした彼女だから、ユージンは教えを乞おうと思ったのだ。

 

「人並みのしあわせになるには……。そうね、とても難しい問題よね」

 

 メリビットはしかし、かつてのように正論を展開することもなく繊細な指先でティーカップを包んだ。

 言葉を探して、いくばくかの沈黙が降りる。まだ青かった当時のメリビットなら、人並みのしあわせとはこういうもので、あなたたちもこうなりなさいと諭せただろう。そうすれば年少の子供たちが「はーい!」と元気よく返事をして、オルガが面白くない顔をする。メリビットは勝ち誇ったそぶりも見せず、余裕ぶって微笑するのだ。「団長さんもどうですか」とでも。

 弱冠十七歳のリーダーに嫌味を言うなんて、なんて大人げなかったのだろう。嫌な女だ。薄化粧のくちびるが、自嘲気味にほどける。

 あのころのメリビットは、少しだけイライラしていた。女だからというだけの理由で出世レースへの参加権を奪われ、邁進したかったキャリア街道を進めなくなってしまったことに。テイワズの銀行部門にいたのに、ある日突然出向を命じられて、それがタービンズよりさらに下の新参者だなんて――と。

 自身の半分の年齢で子供たちを率いていたオルガに嫉妬する気持ちもあったかもしれない。

 何より、オルガ・イツカを誤解していた。彼を宗教的煽動者だと思っていたのだ。

 

 ――ふざけないで! 囮になる? 命を賭ける? この子たちを死なせたいの!?

 

 ――こんなの間違ってる!! ビスケットくんだってフミタンさんだってこんなの望んでない、絶対に間違ってる……!

 

 命をチップにするだなんておかしい。こんなに素直で働き者で、真面目な子供たちなのに。このままではオルガに煽動されて悪魔の生贄にされてしまう。当時は本気でそう危惧した。

 でも違ったのだ。

 

「あたたかい家族がいて、守りたい人たちがいて……、人として当たり前のしあわせを、あなたたちは持っていたもの」

 

 確かに『人並み』とは形の違うしあわせだったかもしれない。『家族』と呼ぶには異様に見えた。

 だが明日をも知れぬ幼い命が肩を寄せ合い、惰性ではなくひたむきに、今日を生き残ろうと明日を目指していた。誰も騙されてなんていなかった。煽動されてもなかった。

 ただ、夜が明ければ朝を迎える生活しか知らなかったメリビットには想像もできなかった、鉄と血でできた『絆』のかたちだった。

 本当の家族とは何なのかをメリビットが説いたところで、絵本の読み聞かせ程度の距離感でしかとらえてはもらえなかったに違いない。新しいことを知りたいという学習意欲から話を聞きたがるだけなのだ。物語の続きをねだるきらきらとしたまなざしを賛同と勘違いしたのはメリビットの未熟さであり、承認欲求だった。

 安心したかったのだろう。不安だった。先行きも何もかも不安でしょうがなかったから、オルガのやり方は『間違っている』と切り捨てた。『正しい』幸福の定義を子供たちに教えてあげて、やさしさで溶かして、メリビットの知っている金型に流し込んでしまおうとした。わからないものはおそろしいから、わかるものに作り替えてしまえばいいのだと、無意識のうちに。

 理解者の顔をして、全否定していた。

 

「しあわせの形って、人の数だけあるものよ。心のままに生きるのが『しあわせ』なんじゃないかしら」

 

「それで『人並みのしあわせ』ってやつになれるのか?」

 

「人並みでなくてもいいの。しあわせかどうかは、自分自身の心が決めることよ」

 

「……それじゃあ、おれらは一体どうなればいいんだ?」

 

 掘りの深い顔立ちに、にわかに陰が落ちた。ユージンは今、迷いの中にいるのだろう。何か助言をすれば、彼はメリビットの言葉に真摯に耳を傾ける。

 

(団長さんなら、なんて声をかけるのかしら)と考えて、メリビットはくちびるを鎖した。

 

 オルガなら、きっとメリビットのお説教など聞こうともしない。彼は正論がときに人を傷つけることを知っていたし、だからこそ効率化や合理性によって居場所を追われた孤児たちのシェルターであり続けた。

 戦闘職の下っ端ばかり増やして、一体どういうつもりなのかと詰め寄っても、オルガは行き場のない連中は全員迎え入れると言って聞かなかった。後方支援とは兵站業務ばかりではない、医者を優先的に雇うべきだ、看護師も事務方も圧倒的に足りていない――どれだけ叫んでも、事務方をスカウトしに出向くこともない。どうしても必要なのだから優遇すべきだとメリビットが説いても、オルガは頑として、大人だろうが子供だろうが、大卒だろうが独学だろうが同じ仕事をする以上は給与形態も同じでなければ『筋』が通らねぇと譲らない。

 来るものは拒まず、去るものは追わず、来たくないなら来なくていい。そればかりか『報酬は仕事内容で決める』『全員一律正規雇用』という方針をオルガが覆さないせいで、年長者ほど苦い顔で背を向けてしまっていた。

 火星では格段に払いのいい職場だとしても、大人には大人のプライドというものがある。子供たちと同じ給与形態では失礼にあたると説得しても、こうだ。

 

 ――ガキと同じ手取りじゃやってられねーなんてヤツは鉄華団にはいらねえ。

 

 就学経験や免許にはちゃんと資格給をつけているのだから、年齢による便宜を図ることは絶対にしない。オルガ・イツカの語る『筋』は、青臭くて、潔くて、平等で、だからこそ子供たちから憧憬と信頼を集めたのだろう。

 渡世の足枷でしかない思想を頑なに手放さなかった団長とは対象的に、元副団長ユージン・セブンスタークは、みずからの哲学を持たない。そんなものを持っていたら、刻一刻と変化する現状に適応しきれないからだ。そうした性質がユージンをイサリビの艦長たらしめていた。

 

「誰かの作ったレールの上を進まなくてもいいの。自分の生き方も、自分のしあわせも、自分自身で選べばいいのよ」

 

 それができる時代になった。そうでしょう? メリビットの言わんとするところを理解して、ユージンは「ええ」と低く相槌をうった。

 

(だから、おれはそのレールについて聞きたいっつってんだけどな)

 

 選ぶこと、考えること、学ぶことに疲れた連中に示せる(レール)さえわかれば、ドラッグを使って天国に逃げなくたって済むだろうと思ったのに。戦闘職に戻る道を選びたい連中は、鉄華団の残党だというだけで二度と傭兵にはなれないのだ。『戦わなくてもいい世界』なんて言えば聞こえはいいが、戦うという選択肢は選ばせてもらえない。ここは『戦いたくても戦えない世界』だ。

 だがメリビットの言葉はいつも正論で、ユージンでは太刀打ちできない。

「ありがとうございました」と礼を述べて、カッサパファクトリーを辞した。

 

 

 吹きすさぶ夜風に逆らいながら、ユージンが歩くのは帰路というレールだ。今のユージンには家がある。だから帰れる。もしも帰る場所がなければ、夜通しさまようハメになるのだろう。帰りたい場所は自分自身で決めていいと助言を受けたって、たどり着いたその先から歓迎されるとは限らない。実在するかもわからないゴールまであてどもなく走り続けるのは困難だ。

 だからせめて、この道を進めば生活に困ることはないのだというレールが一本あればと考えた。

 そうすればきっと、金の使い道だって間違えない。天国にはいけない薬に蝕まれることも、採掘現場で足を滑らせて転落死することもないはずだ。

 もう誰も死なせないための道筋をメリビットに問いたかった。戦い以外にどんな未来があるのか、標を示してほしかった。

 戦場でなくとも命はもろくて、ちょっとした傷が化膿して、いとも簡単に死んでしまうから。

 

「お嬢に何て言やいいんだよ……」

 

 頭を抱える。金髪をかき乱す。向かい風に打ち据えられても、ユージンは革靴の傷みを悟られる明日を危惧してしゃがみこむことができない。ああ。

 ふたたび死人が出れば、今度こそクーデリアに伏せておくことはできないだろう。

 

 なあ、オルガ。

 教えてくれ、オルガ・イツカ。お前は一体どうやって、『ここじゃないどこか』へ続く道を目指し続けていたんだ。

 その道は、どこへ続いてるはずだったんだ。


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