鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-06 誰かの居場所

 ゆったりとした白いシャツ、暗いベージュのズボン。この先ずっと着ることになるだろうからと、制服のサイズは大きめだ。シャツの袖は勉強の邪魔にならないようにまくって、机の下ではズボンの裾がだぶついている。ぶかぶかのユニフォームをベルトで締めて着るのは、子供のころから変わらない。

 なのになぜだか、違和感ばかりだ。

 ふと、教室の窓にうつった自分自身と目があってしまって、エンビは逃げるように目を伏せた。

 いくらか成長したエルガーが不安そうな目をして見つめていたように思えたせいだ。そこにあるのはエンビの鏡像だが、生きていれば今ごろそっくり同じ姿に成長しているだろう。

 いつも鏡のようにそばにいたから、エンビがニット帽をとっただけで双子がふたりのまま生きているような錯覚が得られる。

 

(一緒に学校、通えるはずだったのかな)

 

 孤独を持て余し、エンビは本でも読もうと手元のタッチパネルに触れた。勉強机に埋め込まれているだけで、操作はタブレットと同じだ。盗難・紛失を防止するために、持ち出せない形状にしたのだろう。テキスト以外にも図鑑や絵本などのデータが入っているので暇つぶしにはちょうどいい。

 新しい生活がはじまって、一ヶ月あまり。エンビが通うのは、アドモス商会が孤児院とともに運営していた小学校だ。クーデリアが議長に就任してから公立・無償化されて生徒が増えたらしく、教室はなんとも狭苦しい。授業中はまだいいものの、休憩を言い渡されると思い思いに席を立つからなおさらだ。

 幅広い年齢のクラスメートが親しげに笑い合っているさまから目を背ける。正直あまり交流を持ちたくなかった。

 クーデリアの斡旋で学校に通うようになったエンビたちは、今は一日のほとんどを校内で過ごしているし、宿舎も大部屋だ。定刻になったら登校して朝食の配給を受け、それから授業を受けて、昼には給食が配付され、昼休憩が終わったら午後の授業を受けて、夕食の配給を受けて、宿舎に戻って湯浴みをして眠る繰り返し。

 鉄華団が存在ごとなくなってしまったとはいえ、IDの意図的な改竄はアーブラウの法を犯しているし、重罪人には違いない。ボロを出さないよう気を張り続ける生活は、これからも続くのだろう。……さすがに疲れる。できれば、ひとりで過ごしていたい。

 学校生活には慣れたし、持ち前の要領の良さで勉強もうまくやっている。目立たず騒がず、地道に勉強していれば、いつかまた仕事ができるようになるだろう。

 圏外圏のいたるところから生徒が集まっているらしく、学校の数も増えたからかつての仲間ともそうそう出くわさない。

 クラスの中に鉄華団の残党は、エンビひとりだ。生徒の年齢もまちまちで、下は八〜九歳くらい・上は十五〜六歳ほどまで見かける。教室ひとつにつき三十人程度というクラス分けもあって、廊下に出なければ顔見知りに出くわすこともない。

 そんなときだった。ふと、廊下側から響いてきた声に覚えがあって、エンビは本を開きかけた手を止めた。何事か叫び合っていて、――喧嘩だろうか。

 

「もう一回言ってみろ……!!」

 

 やはり、聞き覚えのある声だ。

 揉め事にかかわるのはよそうと、本に向き直ったときだった。

 

「だから、『テッカダン』なんて聞いたことないって言ったんだよッ」

 

 鉄華団。――という響きに、思わず呼吸が止まった。振り向く。廊下のドアががたんと大げさに揺れて、そこにはエンビの同級生と、その胸ぐらをつかんで拳を振り上げようとしている『幼馴染み』の姿。

 座っていた椅子が倒れるのも構わずエンビは駆け出していた。

 

「トロウ、やめろ!」

 

 肩をつかんで押しとどめ、今にも殴りつけそうだった手をつかむ。

 

「トロウ、よせよ、お前腕力あるんだから――」

 

「エルガー……?」

 

 ところがトロウは目をまたたかせて、驚いたような、懐かしいものを見るような、あるいは鉄華団に帰る道を見つけて、その道が封鎖されている看板を見てしまったような、――何とも言えない顔をした。

 力の抜けた腕の先で、拳がほどける。そのさまは迷子の子供ようで、突き刺さるように胸が痛んだ。

「トロウ」と、絞り出すようにもう一度呼べば、やっと呼吸を取り戻したように息を吐いた。

 

「……エンビ、」

 

「いいんだ。聞いたことなくて」

 

 そうだろ。――と、念を押して、その場を離れようとつかんだままの手を引いた。ここで衆目を集めれば面倒なことになる。

 同級生の多くは、まともな孤児院だとか、貧しい家庭で育ってきている。だから価値観の違いはどうしようもない。それにエンビやトロウのほうが力が強い。腕力に差がある以上、どんな事情があったって『弱いものいじめ』になってしまうのだ。つかみあいの喧嘩になったら、力の弱いほうばかりが怪我をしてしまう。

 鉄華団では一部の事務職を除いてみんな逃げ足強化の持久走をやるし、戦闘職の日常といえば筋トレだった。いっぱい動いたあとはアトラのごはんで育った。鉄華団があったおかげでエンビたちは発育がよく健康だ。

 だけどこの世界に、鉄華団はない。

 だから『人殺しの金で学校に通う犯罪者』だと指をさされず済んでいる。

 

 

 

 

 

「勉強頑張ったら何にでもなれるんだってさ。おれ、卒業したら大学に行くよ」

 

 切り出したのはヒルメだった。珍しいほどのどかな昼下がり、昼休みである。エルガーの戦死からなんとなく疎遠になっていた四人だったが、いつの間にかまたつるむようになったのだ。

 教室で配られた給食を持ち寄り、食堂のテラス席に集まるとめいめいに封を切る。ミルクはひとりひとつずつ、トルティーヤはひとり二つ以上五つ以下と決まっており、余ったぶんは貧民街の配給になるという。残飯が出ないように小分けされ、トレーは回収だ。勝手に持って帰ったり破損させると叱られる。

 

「大学って……。ここって何年で卒業できるんだっけ?」

 

「年度末のテストが良かったら中学校に行けるらしいんだ。頑張れば今年で卒業できるかもしれないだろ?」

 

 CGSで数の数えかたを学び、鉄華団では文字の読み書きも学んだ。阿頼耶識のない戦艦やMS(モビルスーツ)に搭乗するにあたって勉強したし、本も読んだから、学校の授業はおさらいのようなものだ。科目によっては目新しいが、今はまだ慣れ親しんだ知識のほうが多い。

 だからヒルメはもっと上に行きたいという。

 

「医者になるんだ」――と嘆いたひとみは穏やかで、きっと彼なりの諦めなのだろう。

 

 将来について語るとき、こんな昏い目はしない。これまでならそうだった。ヒルメが見ているのは未来ではなく過去だろう。振り返ったら視界いっぱいに負傷者がいたあのころに戻ろうとしているように、エンビにはうつった。

 ここはもう戦場ではないけれど、ちょっとした喧嘩でだって怪我人は出る。そしてここには、養護教諭も校医の先生も常駐している。保健室にはメディカルナノマシンもある。

 傷ついた仲間を助けられる力は、学びによって勝ち取れるという。医者になるための道を知って、ヒルメはたどりつきたい場所を自分自身で決めた。

 

「お前らが怪我したって、おれが絶対なおしてやるからな」

 

 白い歯を見せて笑うヒルメは晴れやかで、それがどうにも予行練習みたいに見えて昼食が喉に閊えた。学校にはユージンやチャドがときどき視察に来るから、そういうときボロを出さないための自己暗示だろう。

 応援してる、――と本心を伝えることはできたものの、幼馴染みの背中を押すふうに取り繕うのは、まだ難しそうだ。

 味のしないミルクで昼食をどうにか流し込み、午後の授業がはじまる鐘を待つ。

 

 

 誰が決めたわけでもないのに、四人でつるむときはエンビが窓際の席に座ると決まっていた。そして、窓に背を向けない。エンビが鏡像に背を向けたら、エルガーが話に入ってこられないからだ。三人しかいない四人組は、まだエルガーの死とまっすぐ向き合えない。

 CGSのころだって仲間は何人も死んでいった。適合手術に失敗したり、術後の経過が悪かったり、作戦中でなくても死人は出た。鉄華団だってPMCだ、危険と隣り合わせの仕事で、多くの団員が命を落とした。地球に亡命していたときにも仲間は減り続けた。冬の寒さに凍えたり、地球カゼをこじらせたり。『無人機』ガンダムバルバトスの首が晒され、世を乱した悪魔は討ち取られたというニュースを見て、正気を失ってしまったり。

 戦場でもそうでなくても、負傷しなくたって人は死ぬのだと否が応でも理解した。

 どこも傷ついていないように見えるから、傷ついている部分がわからないから、どうして死ななければならなかったのかと諦めがつかない気持ちもよくわかった。

 だから、コクピットを串刺しにされて鉄華団のために戦死できたエルガーは、片割れの死を目でも肌でも感じられたエンビは、しあわせだったのかもしれなかった。

 エンビもヒルメもトロウも、もう家族と一緒には眠れないのだろう。鉄華団はなくなって、なくなったことで残党たちは守られている。ギャラルホルンが喧伝した『犯罪者』のイメージごと風化していなければ、学校生活なんて送れなかった。

 忘れてしまえばいいと語りかけてくるような日常にも、エンビが生きる限りエルガーの面影はついてまわる。

 思い出のトリガーだ。エンビも、それからクッキーやクラッカも。

 面影が生きているから、死者の記憶は失われない。鉄華団からビスケット・グリフォンの存在が消えなかったのは、写真が残されていたせいだろう。今は亡き彼の写真には『家族』という名の守り手たちがいる。

 写真などなくてもエンビとエルガーは生き写しだし、顔かたちはコピーしたように同じだ。仕草も似ている。だからエンビが生きる限り、エルガーの死は曖昧なままだ。生き続けていればこうなっているだろう姿で、エンビが生きている。

 だがまったく同じ顔をした双子でも、性格まで同一ではない。

 エルガーはいつも明るかった。社交的で、働き者で、何かあったら「おれが報せてくる!」と駆け出すのだ。そうした行動の早さは、兄にはない弟だけの特徴だった。タカキやライドに続く年少組のまとめ役としての自覚を持ちはじめていたエンビは慎重で、エルガーはだから、伝令の必要性を判断したとき真っ先に走っていったのだろう。

 でも戦闘になると一瞬、ちょっとだけ怯えた目をする。MW(モビルワーカー)に乗り込むときや、バルバトスが最前線に突っ込んでいくときに、ほんの少しだけ。

 戦闘訓練に意欲的だったのはエンビのほうだ。家族を守れるのなら阿頼耶識をもう一本増やしてもいいかもしれないと思ったのもエンビだけだった。エルガーは怖がりだから、あんな痛い手術も、MSでの戦闘も、きっとしたくなかった。獅電での訓練成績は悪いほうではなかったけど、それでも。

 得意不得意と向き不向きは、必ずしも同じではない。エンビもエルガーも要領よくやれてしまうたちだったから『苦手』が表に出てこなかっただけで。

 適合手術もうまくいった。読み書きもすぐ上達した。イサリビで就いていた通信索敵管制は、ビスケットやフミタン、メリビットといった頭脳労働者たちが主に担っていた役目だ。その椅子に抜擢され、過不足なくやれていたのだから快挙だろう。

 きっと学校でもうまくやれる。はじめて直面した『苦手』な友達付き合いも、闊達で行動的だったエルガーみたいに振る舞えば、きっとエンビにだって。

 ――そうやって、自分自身に言い聞かせるように明るく、要領よく過ごして数ヶ月。いつしか教室で孤立することができなくなった。

 エンビの周りにはいつも『友達』があふれていて、休み時間のたび誰かが話しかけてくる。

 

「なぁエンビ、お前まだあいつと仲良くしてんの?」

 

 午前の授業が早めに終わり、給食の配給まであといくばくかという頃合いだった。ひとつ前の席につくクラスメートが振り返って、エンビの机に肘を乗せた。

 昼休みになるとエンビはヒルメとトロウと一緒に昼食をとるため、教室を出て食堂のテラス席へ行くからだ。

 また行くのかと見咎めるように、怪訝なまなざしがぞろぞろエンビを取り囲む。

 

「あのテッカダンとかいう痛い妄想してるやつだろ」

 

「つかエンビ、なんであんなのと仲いいの?」

 

 全然接点なさそうなのに、と隣の席からも身を乗り出されて、エンビは友達付き合いを取り繕って苦笑した。

 ヒルメが医者になるという決意を告げたあたりから、トロウはますます孤立を深めている。鉄華団残党だと隠そうとせず、先生にまで問題児として扱われているくらいだ。ユージンやチャドが視察にくるときはたいてい昼休みだから『問題行動』の現場は見られていないにしても、そのうち見つかって叱られるかもしれない。

 

「一応、幼馴染みだからさ。ほっとけなくて」

 

「ほっとけないなら何か言ってやれよ。頭おかしいだろ、テッカダンテッカダンって」

 

「僕も聞いたことないな。何かのお話?」

 

「でも、どっかで聞いたことあるような気もするんだよな……何年か前に、」

 

 ひとりがううんと首をひねって、お前も頭がいかれてしまったのかと笑いさざめく声が広がる。

 エンビは話題を打ち切るように、がたんと席を立った。座っていた椅子が倒れないように気をつけるのも忘れない。

 

「ごめん、おれ、先生に質問があるんだった」

 

 へらりと笑って、エンビは机上パネルを黒くしてから背を向けた。

 トロウのことを悪く言われると必ず姿を消すせいでクラスメートから不信感を抱かれていることも、知っている。

 

「いくら幼馴染みだからってそこまでするかなあ……」

 

「エンビは成績いいんだから、あんなの庇うことないのにね」

 

「真面目だよなあ」

 

 クラスメートの偽善的な暴言を、エンビは聞こえないふりで教室を出た。

 ……楽しそうでなによりだ。出身施設についての話をエンビは一切できないし、ここで『家族』といえば血縁者をさすのだ。血のつながっていないヒルメとトロウは鉄華団の『兄弟』だったが、ここでは違う。

 ここにおれたちの居場所はない。

  鉄華団(かぞく)がいなくなった世界を体感するたび、何度でも孤独を思い知らされる。忘却が守る平和を享受している自覚があるから、何も言えない。


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