鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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CASE-04 磔刑の魔女

 民間宇宙港【方舟】に降り立ったクーデリアを待っていたのは地獄だった。

 アドモス商会から火急の連絡が届き、急ぎ帰還したのだ。出産を間近に控えたアトラをエドモントン郊外に残し、後ろ髪を引かれる思いで火星へと戻ったクーデリアを待っていたのは、目を覆いたくなる惨状だった。

 咽喉がひきつる。どうしてこんなことに――と、色をなくしたくちびるがわななく。市街地を見晴らす大きな窓にすがるようにして、ずるずるとくずおれた。

 方舟には客船や輸送船も発着するため、展望台から臨むパノラマは火星の中でも特に大きく華やかな市街地になるようにと配慮してあった。眼下に広がる光景は、言わば火星の『顔』なのだ。宇宙港の窓側にあたるエリアは風致地区として、建設物の高さであるとか、営業できる業種職種にも制限が設けられていた。

 だから、ガラス窓の向こうに広がっている、あの廃墟がクリュセだなんて信じられない。いや、こんな空の上からでは見えるものなど限られている。クーデリアの理性が必死に希望を持とうとするのに、一縷の望みを砕くかのように爆煙が上がった。こんな距離からでもわかるほどの爆発なら、一体どれだけの市民が犠牲になったのだろう。ククビータたち社員はシェルターにいるから大丈夫だと通信では伝えられたものの、そこもきっと、安全からは遠い。

 ギャラルホルン火星支部縮小から、まだ三月と経っていないはずだ。……きっと、アリアンロッドによる鉄華団への総攻撃が始まる前から火星支部の撤退は決まっていたのだろう。各経済圏が脱植民地化に合意したという報道も、あまりにも早かった。おそらくノブリス・ゴルドンとつながって情報を操作しているのだろう。

 火星には既に独自に治安を維持できる組織が存在し、以前より独立を望んでいた――というラスタル・エリオンの痛烈な皮肉を思い返して、クーデリアは冷たいガラスに叩き付けることもできない拳を握る。

 

(こんなことが……わたしが望んだ『独立』は……っ)

 

 確かにクリュセは経済的独立を望んでいた。独立の機運は火星全土に広がっていた。開拓時代に結ばれた地球圏との協定を改め、何もかも経済圏に吸い上げられていくシステムを変えるために、アーブラウへと降り立ったのだ。鉄華団の奮闘により、蒔苗代表への直訴は叶った。フェアトレードは実現された。

 植民地の経済発展が認められていなかったわけではない。

 貧困に喘ぐ火星の現状が、地球に届いていなかっただけだった。火星と地球は遠すぎただけだ。

 アーブラウ代表と革命の乙女の会談は、地球と火星、経済圏と植民地の対話を実現させた。火星にQCCSが配備されたのだ。アリアドネのコクーンから、この方舟を経由してケーブルがはるか地上まで根を下ろしている。

 これまで圏外圏には配備されてこなかった 量子暗号通信システム(Quantum Cryptography Communication System)の使用権は、クーデリアが火星に持ち帰ったオリーブの種だったはずなのに。

 なのに、地球との取り引きは断絶されてしまった。

 ギャラルホルン火星支部は『逆賊マクギリス・ファリドに与し、クーデターの規模をいたずらに拡大させた罪をあがなうため』に、宇宙基地アーレスまで撤退するという。

 そんな馬鹿な話があるだろうか。

 圏外圏の宇宙航路には海賊が跋扈しており、軍事力を持てない地球経済圏は各植民地域を訪問するだけでもギャラルホルンの護衛を必要とする。火星やコロニーを正規航路で行き来する定期輸送船でさえ、PMCや傭兵を雇う。世間知らずだったクーデリアでさえ地球への旅路に護衛が不可欠であることを知っていた。だからCGSを訪ねたのだ。

 そしてCGSはギャラルホルンの襲撃を受けた。発足した鉄華団は、幾度となくギャラルホルンの追撃を受けた。アーブラウは独自に自衛的戦力を保有することを決定し、正規軍を発足させたが、宇宙での演習は行なえない。SAUともども国境紛争で多くの軍備を失い、経済的にも大きなダメージを受けた。

 他の経済圏も同じだ。ギャラルホルンの力を借りなければ、植民地を視察することもかなわない。

 だから間接統治を任せていたのだ。そのギャラルホルンが事実上の撤退を決定したとしても代わりの自治組織を新造のは容易ではない。時間、予算――経済的ダメージは計り知れない。多少の痛手があったとて、植民地そのものを放棄する以外にないのだ。

 そうすれば、アーブラウ領クリュセ自治区郊外を穿った無数の禁止兵器の爪痕も、経済圏の人々には何も知らせないまますべてを終結させられる。

 

 目隠しをしたトカゲの尻尾を切るように、故郷は見捨てられた。

 

 無政府状態に陥った火星で、今はどれだけの人々が無事でいてくれるのだろう。クーデリアは祈るように、冷たくなる両手を握りしめる。色褪せた指先を握り込む。

 この状況ではバーンスタイン邸も、両親の安否さえも不明だ。孤児院は、学校は。桜農園はどうなっているのだろう。寄宿学校に通うクッキーとクラッカは? 無事でいてくれるだろうか。みんなシェルターにいるから大丈夫だとクーデリアを励ましてくれたアドモス商会の社員たちだって、QCCSで話をしたのはもうひと月も前のことだ。

 絶望のふちで、クーデリアはしかし、希望を捨てない。

 方舟で通信施設を借りると、連絡をとったのはノブリス・ゴルドンだった。

 

 ――歳星に向かう、手配をしてほしい。

 

 革命の乙女の決断を、ノブリスは面白いものを眺めるようにして承諾した。

 そして半月あまりの道のりの末、クーデリアは対話の体裁を整えるとマクマード・バリストンの前に立った。

 ソファを勧められ、向かい合うなり頭を下げた。

 

「どうか、わたしの故郷を助けてください」

 

 深々と(こうべ)をたれ、火星の現状を訴えればマクマードは「ふむ」とみずからのあご髭を撫でた。

 テイワズは木星圏をおさめる大企業であり、アドモス商会は火星圏に数ある零細企業のひとつだ。テイワズ直参組織であったタービンズと鉄華団が兄弟分でなければ、面会すらかなわない相手だった。『革命の乙女』だなんて知名度も、もはや何の意味もない。

 マクマードが話を聞いてくれるのは、彼の厚意によるものだ。

 

「うちも後継者のことで頭を悩ませていたところだ」

 

 名瀬・タービンとジャスレイ・ドノミコルスの不在を突きつけられて、クーデリアは顔を伏せたまま細い肩をふるわせた。テイワズの後継者問題を生んだ原因の一端は鉄華団にある。直参企業同士がいがみあって、親であるテイワズを苦しめたのだ。

 

「後釜には『ある女』を据えようと思ってるんだが、今のままじゃあうまくいかねえ。利口なお嬢さんなら、言いたいことはわかるだろう」

 

「……わたしがロールモデルになれ――と?」

 

「なに、過不足なくやってくれりゃいい」

 

 あんたもよく知ってる女だ。――と、マクマードは背を向けた。

 アジー・グルミンの怜悧な相貌がよぎる。くちびるをひきつらせたクーデリアに、正解を告げるようにマクマードは上から笑う。ぞっと肌が粟立った。

 

「狼の群れを飼いならすには、まずは頭に轡をはめなきゃならねえからな」

 

 この男は、復讐の連鎖を封じるためにアジーを後継者にしようとしているのだ。

 テイワズはギャラルホルンとも取り引きがあり、事を構えたくはない。マクマードはだから、アジーに『テイワズの後継者』という肩書きを与えることによって、タービンズ残党を束縛しようとしている。鉄華団の密航を許可したのも、彼女らから仇討ちという選択肢を奪う目的があったのだろう。弟分の生き残りを腕いっぱいに抱え、絆という鎖につながれた雌犬たちは自由に動くことができなくなる。

 木星圏を牛耳るテイワズは国家ほどの規模を有する巨大なマフィアだが、あくまでもコングロマリッド、多様な企業の集合体だ。もしもギャラルホルンがテイワズを壊滅させる作戦に出たなら、テイワズは傭兵という傭兵を動員して我が身を守らなければならない。軍隊まがいの組織も営業しているとはいえ、仕事だからこそ強権には降服が賢明と判断するだろう。

 ギャラルホルン相手の戦争にだって雇われてくれるような鉄砲玉どもは、近ごろギャラルホルンに滅ぼされてしまったばかりである。残りの連中はみな、どんなに金を積まれたって命は惜しいと裸足で逃げ出す。

 

「……おれも、もう永くはねえ」

 

 この先、テイワズが存続するためには。いつかギャラルホルンに叛逆を企てるかもしれないアジー・グルミンという女狼に手枷足枷をはめ、復讐の牙をおさめさせる必要がある。彼女を飼いならすための『轡』として、マクマード・バリストンは『テイワズの後釜』という役目を選んだ。

 しかし、木星圏には男性主体の社会構造として成長してきた歴史がある。テイワズがこれほどの財を築き、国家と遜色ない自治を行き届かせているのも、その社会制度に由来している。

 企業のトップには父権的リーダーが立ち、弟子を養育し、女子供を囲って、テイワズは栄えてきた。生産、加工、流通、――いずれにしてもそうだ。リスクの高い仕事はすべて、男に隷属したがらない女が追いやられるようにして担っている。

 そんな男尊女卑社会において、女性クルーと旅をともにし、対等な婚姻関係のもとハーレムを形成した男がひとりだけいる。

 名瀬・タービンだ。

 ギャラルホルンの強制査察によってタービンズは失われたが、落ち延びた彼の妻子はみな教育を受けており、器量がよく聡明で、仕事もよくできる。

 だが安全を得るため情婦になるか、危険な仕事に従事して死ぬか――そんな二者択一こそが正しい女の人生である木星社会において、仕事のできる雌犬は都合が悪い。女である、イコール男よりも劣っている、という『常識』が深く根を張っているのだ。彼女らに実在されては、価値観が根底から揺らいでしまう。プライドを傷つけられた男たちの矛先はアジー・グルミンに向けられ、遅かれ早かれ、テイワズを内部抗争によって瓦解させる。

 もしもクーデリア・藍那・バーンスタインが女頭領の有能さを全宇宙に示してくれれば、いずれ木星世論も女性の人権を認める方向へと傾かせられるかもしれない。テイワズが泰然と存続するための地盤作りに、クーデリアは『使える駒』だ。

 そのためならテイワズは、火星に投資してやってもいい。

 

 ……利害は一致している。

 

 クーデリアは、故郷を救いたい。火星の人々をしあわせにしたい。貧困を是正し、孤児院を建て学校を運営して、教育を行き渡らせたい。そのためには教師や保育士、医師、看護師、事務職員など教養ある人員を『どこか』から招く必要がある。

 マクマードの申し出を呑まない理由はなかった。

 

「わかりました。その仕事を是非、わたしに任せてください」

 

 

 話がまとまれば、すぐだった。あとはこちらで都合をつけるとマクマードはことわって、クーデリアに退室をすすめた。

 丁寧に頭を下げて応接室を辞す細い背中にぶつかった男の声は、まるで呪いだった。

 

「あんたが火星に戻るまでにはケリがつくだろうよ」

 

 マクマードが何を『手配』するのかは理解できた。だが、察しがついたところで今のクーデリアには何もできない。儀礼的な会釈をひとつ、圏外圏で最もおそろしいと謳われた男の部屋を出る。

 足に合わないローヒールがふらつかないよう、必死にカーペットを踏みしめた。

 

 

 そして歳星を発ったクーデリアが、ふたたび方舟に降り立つまで半月あまり。

 見渡すまでもなく、すべては終わっていた。

 民間宇宙港【方舟】の展望窓から望見する景観に爆発はない。……人影もない。クリュセの町並みに残されていたのは弾痕や血痕だけだった。火星において水資源は貴重であるから、洗い流されないまま残ったのだろう。

 地上へ降り、マクマードの息のかかった護送車で廃墟を走り抜ければ、暴動が鎮圧された経緯が手に取るようにわかった。

 

「ああ、社長! よくぞご無事で……!」

 

「あなたたちも。無事でいてくれてありがとう」

 

 アドモス商会が所有する地下シェルターを訪れ、ククビータのハグを受けながら、クーデリアは社員たちとの再会を喜ぶ。束の間の安寧を抱きしめて、ククビータの肩口に頬を埋める。

 

 意を決して、「子供たちは」と問うた。

 

 長く長いシェルター生活で豊満な両腕をやつれさせたククビータが、言葉を選ぶための沈黙。迷いと恐れが、時間をじりじりと食いつぶしていく。

 

「……生き残ったのは、八割ほどです」

 

 アドモス商会が運営する孤児院および小学校の児童たちは、地下シェルターに退避させていた。地球経済圏との流通が断たれ、食糧の新規供給はなくなったが、さいわい桜農園がすぐそばにある。工場がストップし、大量のとうもろこしを備蓄することになったために飢えることはなかった。季節的にも寒さはない。

 しかし桜農園のとうもろこしはバイオエタノールの原料用だ。収穫したてを大鍋で煮て食べることはこれまでもあったが、食糧として保管するための備蓄庫が、桜農園にはなかった。通気性、気温、どういった条件が重なったのかも定かではない。毒性の高いカビの発生に気付くことができず、アフラトキシンによる急性中毒で――。

 

「手は、尽くしたんですが……」

 

「ありがとう、ククビータさん。今は助かった子供たちと、これからのことを考えましょう」

 

 大きな犠牲を目の当たりにして、指先がこわばる。血の気が失せて、白く褪せていく。だが死者が二割で済んだのは、不幸中のさいわいだ。もっと多くが犠牲になる前に対処できた。……そう思わなければと、ふるえるくちびるを噛みしめる。

 孤児院や小学校の地下シェルターで息を潜めているしかできず、生き残った子供たちも強いストレスに晒され続けており、みな健康体とは言えない。

 けれどまだ命がある。どうにかして救わなければ。彼らを救えるのはクーデリアしかいないのだ。

 

「テイワズにかけあって、支援の約束をとりつけました。わたしと同じ船で食糧と遺体袋が届いています」

 

「社長……?」

 

「先日、大きな武力介入があったと思います」

 

「ええ、ありました……けど、まさか」

 

 ククビータが大きく目をみはる。

「そんな……」ととりこぼしたくちびるは、信じられないと血色をなくす。

 有能な秘書の狼狽にも、今のクーデリアに返せる言葉はなにもない。

 マクマードの手配で動いたのはアリアンロッドだろう。この火星で鎮圧作戦を行ない、何の報道もないのだからラスタル・エリオンとノブリス・ゴルドンが動いたことは明白だ。火星基地に残っていた残弾を処分するかのように、在庫をすべて吐き出していったに違いない。

 ああ、さすがテイワズは大企業だけあって、決断から実行までのタイムラグがとても少ない。

 遠い目をして市街地を思い返し、焼き払われた人々を思う。クーデリアが歩いた道にはどうしてか、いつも愛した人々の亡骸が転がっている。みずからの感情が死んでいく音を聞くようだった。

 シェルターを持たない人々は、食糧の備蓄がない人々は、みずからの手で奪い合うという選択肢しか与えられなかった。クリュセ市街では略奪が常態化していたのだろう。ギャラルホルンと衝突したのだろう武器の残骸も転がっていた。怪我を負っても傷を洗う水はなく、学のない労働者たちには適切な処置も学んではいない。治安、衛生環境ともに最悪だった。

 命を失った人体は、体内細菌によって蝕まれ、腐敗がはじまる。バクテリアが繁殖すれば遅かれ早かれ感染症を蔓延させる原因となる。公衆衛生対策がまず必要だ。遺体を片付け、汚染された食糧を廃棄してから配給の体制をととのえなければならない。それが終わったらインフラの整備だ。地球に逃れている鉄華団の生き残りたちが故郷に帰ってこられるように、宿舎も手配しなければならない。やることはいくらでもある。

 ククビータさん。――つとめて明るく呼びかければ、秘書は怯えたようにびくりと肩を跳ねさせた。青ざめた褐色肌には鳥肌が浮かんで、本能的にクーデリアを拒否していることが伝わる。

 いくらかやつれたクーデリアは、それでもなお華やかに、微笑んで。

 

 

「わたしの願いだった火星の経済的独立が、やっと実現しそうなの!」

 

 

 作り物の笑顔からはらりとひとすじ、涙が落ちた。大粒の涙がいくつも伝い、こぼれては晴れやかに取り繕いたい仮面を悲しみで汚していく。

 クーデリアは、子供たちが不当に搾取されない世界を実現したい。力なき子供たちが笑って生きていける社会を作りたい。ずっと、ずっと願ってきたことだ。革命の乙女として掲げてきた火星の『独立』も叶う。学校を建てる資金も約束された。教師や医師を雇う目処も立った。

 そうやって目標を実現していくクーデリア・藍那・バーンスタインは、女性指導者の有用性を体現するだろう。

 たとえテイワズがアジー・グルミンを後継者に据えるための布石だろうが、ギャラルホルンがジュリエッタ・ジュリスに跡目を託すための前座だろうが、火星の人々をしあわせにしたいと願う力を手に入れた。

 男尊女卑が根付く木星圏において、女性の雇用機会均等は難しい。名瀬・タービンが疎まれたのも、彼が『男より低い存在であるべき雌犬』たちに等しく教育と仕事を与え、情婦でも低賃金労働者でもなくビジネスパートナーとして起用していたせいだ。

 社会のシステムによって組み敷かれてきた女性たちは、思慕や愛情だけではないさまざまな感情で、それぞれに名瀬・タービンを慕った。名瀬は、健やかに育つという立派な仕事をこなす赤ん坊たち、女の連れ子も、彼女らの母親まで残らずメンバーとして数え、タービンズは構成員五万人という巨大な組織になった。

 教養のある女、学歴のある女、仕事のできる女――彼女たちは、木星圏をああも発展させたテイワズの価値観に背く『異端者』だ。まとめてどこぞに移民させたいという思惑がテイワズには以前からくすぶっていた。

 タービンズの残党たちを安全に働かせてやれる環境として、火星に白羽の矢が立った。火星支部を撤退させてなお火星を傀儡政権とできるならギャラルホルンにも不利益はない。

 残酷にも利害は噛み合い、悪化しきっていた火星の治安をアリアンロッドが『一掃』。

 人口を大幅に減らして、安寧はもたらされた。

 

 

 

 ほどなくして火星に暫定政府が発足した。行政の長は四人とも無事だったのだ。みなシェルターに逃れていたらしい。富裕層は安全な場所で息を潜めて、解放のときを待っていた。バーンスタイン邸にも頑丈なシェルターと食糧の備蓄があったらしく、復帰した政府関係者の中にはアーブラウ領クリュセ自治区を治めていたノーマン・バーンスタイン元首相の姿もあった。

 クーデリアを初代議長にまつりあげて『火星連合』は独立を宣言した。

 表向きこそ民主制ながら、その実体はテイワズの資本とギャラルホルンの軍事力を背景に持つ軍事独裁だ。『革命の乙女』の知名度を利用して矢面に立たせただけの傀儡政権でもある。

 むろん、議会においてはクーデリアのやり方に異を唱える議員もいた。疑問を投げかける議員もいた。そして無惨な姿になって発見された。テイワズから派遣されていた『人材』の仕業だろう。

 女性指導者のロールモデルたるクーデリア・藍那・バーンスタイン連合議長のイメージを損なう者は銃弾によって排除されるという、見せしめだった。

 

 クーデリアは魔女だ! ――誰かが叫んだ。そして遺体で発見された。

 

 死神だ。悪魔が憑いている。さまざまな悪評がクーデリアにつきまとったが、テイワズからはヒットマンが派遣されている。バックには報道を意のままに操るノブリス・ゴルドンがついている以上、どのような黒い所業も善良な市民に知られることはありえない。都合の悪いことは誰の目にも触れないよう、誰の耳にも入らないよう、歴史の闇に葬られていく。

 いつかクーデリア自身が邪魔になれば、同じように消されるのだろう。テイワズに、あるいはギャラルホルンに。マクマード・バリストンに、あるいはラスタル・エリオンに。

 そうなる前に、セーフティネットの整備を終わらせてしまわねばならない。

 どんなに汚れた資金であろうと構わず、クーデリアは孤児院を建てた。学校増やし、病院を改築させた。木星から移民してきた女保育士、女教師、女医たちを雇い、火星の総人口の三割近くは木星出身の女性に取って代わられた。火星に生まれ育った無教養な女性たちが場末の娼館に追いやられてしまっても、クーデリアは歩みを止めるわけにはいかない。

 マクマードの支援、ラスタルの権力、ノブリスの情報統制のおかげで学校の建設・運営は軌道に乗っている。アドモス商会が行なってきた社会福祉事業は実を結んでいく。鉄華団の子供たちみんなを学校に通わせたいという夢が、このほど叶ったばかりなのだ。働きたいという団員には仕事を斡旋できた。火星は経済圏の支配から独立した。少年兵が戦う必要もなくなる。力なき子供たちが搾取されることはもうないだろう。どんなに禍々しいかたちであれ、クーデリアの願いは着実に叶っていく。

 独裁の乙女は、清廉な仮面をつけて微笑する。

 屍を積みあげて築かれた、イエスマンだけの足場の上で。

 どれほどの血にまみれ、どれほどの死を踏みにじってでも、わたしが火星の人々をしあわせにしてみせる――と。


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