鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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地球に亡命した鉄華団のこと。重苦しい話ですのでご注意ください。


CASE-03 違う世界の青

 後ろ髪を引かれる心地でトンネルを駆ける。基地を爆破して、地球に亡命し、IDを書き換えればみんな助かるのだという。この地下通路を抜ければクリュセだ、ライドたちが待ってる。アジーさんたちが地球まで運んでくれる。だから今は振り向かずに走れと急かされて、エンビは重たい足取りを急かした。

 発電施設に到着しても再会を喜ぶ時間はなく、テイワズが支援してくれるというコンテナへ。息を殺したまま走り続けた。

 旧タービンズの面々が手配して、輸送船の積み荷に混ぜて地球へ届けてくれるという。といってもテイワズの輸送船団だ。いくつもの船が連なって、護衛を雇って、荷物を地球まで運ぶ。クルーは女ばかりじゃない。ハンマーヘッドのように単独で動ける船でもない。

 団員数が半減していたとしても全員一緒にというわけにはいかず、いくつかの船に分かれた。艦内のメディカルナノマシンをはんぶん使わせてくれるというアジー・グルミンの配慮で、鉄華団は一度ばらばらになった。

 地球までの道のりは、一月半ほどかかった。テイワズの頭領が内諾しているとはいえ、タービンズは内部抗争の結果潰えたのだから、みんな大人しくしていた。

 そしてアーブラウに到着したのは、クーデリアとアトラを乗せた客船で最後だった。

 IDを書き換える手続きが終わるまではエドモントン郊外にある古いモーテルを三棟、自由に使っていいとのことだった――が、電力供給はなく、水道も止まって久しい。ほとんど廃屋だ。あてがわれた三つの建物にもそれなりの距離があった。大きさもそれぞれ違う。

 隠れ家にはちょうどいいが、女性陣や怪我人を収容するには向かない。

 中央の棟、一番きれいな部屋を修復してアトラとメリビットにあてがうことが決定された。無傷の団員は東側、軽傷の団員は南側の二棟にそれぞれ分かれた。無傷のエンビは東、仕事をする側の棟だ。

 朝は水汲み。昼間は掃除。中央棟を優先に、じゅうたんの隙間から生えてくる雑草を抜いたり、剥げ落ちた壁のかけらを拾い集めたり、水回りの黴や苔を取ったり。夜になれば交代で哨戒。悩んだり悲しんだりしている暇はない。

 元地球支部の面々が中心になって、エドモントンでの生活を指南してくれる。ゴミのまとめ方、車の停め方、目立たないためにはどうすればいいのか。借宿にはタカキもちょくちょく顔を出した。

 アーブラウ防衛軍の軍事顧問時代に給養員として雇われていた地元の人々も、こっそりとやってきては炊き出しを手伝ってくれた。地球支部で食堂を世話していたおかみさんと再会して、涙を流す姿もあった。鉄華団地球支部は、ずいぶん愛されていたらしい。ちょっとだけど足しにしておくれ――と、毛布と古着の差し入れも集まった。

 鉄華団の初仕事、蒔苗氏を議事堂に送り届ける任務のときはアンカレッジで人数ぶんの防寒具が買いそろえられたが、今はそれもないのだ。団員はただでさえ慣れない気候や食事に体調を崩し、地球カゼも蔓延している。

 兄貴分が倒れたり、年少のチビたちがギャラルホルンの追撃に怯えたりする中で、エンビは自分自身が案外頑丈にできていることをぼんやり自覚した。

 無感動に見下ろす手のひらは冷水に晒されて赤くなっているが、爪が割れたくらいでどうということはない。あかぎれた指先を握りこんで、また働く。

 おれは怪我してないから大丈夫。腕は二本ともあるし、両足は動く。ひとりで立てるし、走れる。目も見える。飯だってちゃんと食える。吐いたりしない。だからまだ大丈夫だ。大丈夫だ。大丈夫だ。そう自分自身に言い聞かせながら、途切れそうな呼吸を続けていく。

 浅い傷だからお前は大丈夫だなと、ユージンが安堵する声は疲れている。

 弱音を吐けるうちはまだ大丈夫だと、チャドがほっと息を吐く。

 泣けるやつらは大丈夫だろうと、ダンテが目を伏せる。

 生き残りを先導する幹部たちが下す『大丈夫』のハードルは日に日に下がっていき、余裕のなさがこれでもかと伝わってくる。団長を亡くし、帰る場所を失い、慣れない地球で数十人規模の家族の面倒を見ているのだ。おれたちも負担にならないように頑張らなければと、エンビたちも奥歯を食いしばって厳しい冬に耐えていた。

 

 そうやって生活していたら、ある朝、ひとりめの死者が出た。

 

 南棟からだった。昨夜、おれはもう大丈夫だから他の連中を診てやってくれと強がってみせた兄貴分だ。朝には寝床で冷たくなっていたという彼は、驚くほど満足そうな顔をしていた。仲間を生かして、最期の最後まで生きたから、これで胸を張って団長たちに会いに行けると言わんばかりの。

 副団長が抱き起こして、床に敷いた死体袋に横たえると静かにファスナーを閉じた。

 それから数日のあいだ、エンビの記憶は曖昧だ。せっかくIDを書き換えて生き延びられるというタイミングだというのに、まるで可能性が手のひらからこぼれていくようだった。不安は伝播して、何人か狂った。

 なんでも買い出しのため市場へ出向いた元地球支部の連中が、街中で何かおそろしいものを目にしたらしい。いくつもの戦場を駆けてきた鉄華団の一員だろうに、伝令もできないほどの取り乱し具合だった。

 何を見たのかは定かではない。みんな「ニュースで」とか、「首が」とか、意味のわからない言葉を断片的にぽろぽろこぼすだけで会話にならなかったのだ。『何か』を見ておかしくなってしまった連中は、日に日に目の下のクマを黒く濃くしていき、生気を失って、頭を喉を胸を掻きむしって、そのまま死んだ。

 冬の寒さは厳しく、また何人か死んだ。

 さいわいエドモントン市街でホテル住まいをしていたクーデリアは、アドモス商会からの連絡を受けて一足はやく火星に帰っている。ここで死人が出たことは彼女には内密にするよう、箝口令が敷かれた。

 遺体の埋葬を手配してくれた蒔苗先生は、この件はワシが墓の下まで持っていく――と、しわがれた声を悲しげにふるわせて、約束してくれた。ここで死んだ連中は、アーブラウ防衛軍の共同墓地で、地球支部の連中たちと一緒に眠りにつけるのだと。

 エンビたち生き残りは、いつまでも地球にいるわけにはいかないし、遅かれ早かれ火星に帰ることになるのだろう。桜農園や孤児院のようすも気になる。先に戻ったクーデリアは、今ごろどうしているのだろうか。

 見上げても火星は見えないが、ふと空をあおげば青空には白い月がぼんやりと浮かんでいた。

 

 ……みかづきさん。

 

 声に出して呼ぶことはできなかった。もう会えない。鉄華団はもうない。

 ギャラルホルンはもう追撃してこないと副団長から聞かされた。IDを書き換えたから指名手配もされていない。鉄華団は『事実上』全滅し、全員の死亡届が正式に受理されたから、もう大丈夫だと。

 

(大丈夫ってなんだろう)

 

 何が大丈夫なんだろう。兄貴分を犠牲にして生き残って、それで、どうなるというのだろう。仲間の屍の上で、どうやって生きていけばいい? 三棟に分かれて生活する団員たちは、みんな疲れた顔をしている。表情を変えるような余裕もない。見渡したって貼付けたような無表情ばかりだ。――あるいは、満足そうな兄貴分の死に顔。正気を失った元地球支部メンバーの悲鳴と慟哭。

 エンビはニット帽をつかんで、ぐいと額に引き下ろした。冬の風に晒され続けた目元がつんとしみる。

 

(……ひとりじゃないって、こんなにしんどいことだっけ)

 

 家族がいることで強くなれた日々を失って、何週間が経過したのか、もうわからない。


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