鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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時代に流されるまま忘れ去られていく鉄華団のため、元年少組が蜂起する。



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第一部: 電戟のライド
#51 未来図


 舞い上がる風に、はらり、赤い花びらがさらわれる。夕闇に消えていく風をただ見送る。暮れなずむ空に消えていく薔薇のかけらは、どこかへたどり着けるだろうか。

 ライドは墓標に手向けた花束に視線を落とすと、不器用な文字で彫られた家族の名前を撫でて、そっと苦笑した。

 

「団長に叱られちまうかな」

 

「ライドは叱られたいのか?」

 

 すっかり背が伸びたエンビが緩慢な足取りで追いついて、墓標にひざまずくライドを見下ろした。

 

「……生意気な口利くようになりやがって」

 

「おれだって、もう子供じゃない」

 

「そうだな」

 

 成長とともにライドの身長を追い越し、声変わりもした。十六歳になったエンビの体躯はおよそ大人の男のそれだ。

 鉄華団という名の居場所を守りたくて戦い続けた果てにアリアンロッドの総攻撃を食らって――早いもので五年が経つ。

 地球へ亡命し、同姓同名の別人となって火星に帰ってきて、みんなそれぞれの生活を立て直している。新たな人生を送れるようになった。

 いつかは真っ当な仕事だけでやっていくというオルガ・イツカの理想にかなうやり方で、だ。

 

 進み続けろと言い残した団長の言葉をライドはまだ、昨日のことのように思い出せる。なのに世間は鉄華団を忘れようとしている。

 本当にそれでいいのだろうか。

 丘の上から見渡す限り広がる桜農園は、地球に逃れていた間もきちんと切り盛りされていた。さすがビスケットの祖母だと思う。クッキーとクラッカも手伝いを頑張ったのだろう。久しぶりに火星に戻ってきたときも畑が荒れているだなんてことはなかった。

 それは鉄華団なんかいてもいなくても同じだった……ということでは、ないだろうか。

 爆破された基地は跡形もなく更地になって、赤い荒野ばかりが広がっていた。古戦場にはバルバトスもグシオンも残ってはいなかった。

 

 まるで鉄華団どころかCGSすら、最初から何もなかったみたいに。

 

 思い出すたび胸が締め付けられるように痛んで、ライドはぎゅっと赤いストールをつかむ。団長の遺品を身につける資格があるのかと長らく葛藤したが、鉄華団を先導するのはいつだってオルガと三日月だ。

 オルガ・イツカが残したシュマグと、三日月・オーガスの銃。CGSからの独立にも地球支部のケジメにも立ち会ったという因縁の拳銃は、鉄華団を構成する重要なピースのひとつであるはずだ。

 

「団長。おれは、前に進みます」

 

 報告して、立ち上がる。夕闇がおりてくる。風が吹き抜けて、眼下に広がるとうもろこし畑がざああと波を作った。

 地平線の果てまで続く農場はひっそりとして、昼間は元気に走り回っていた子供たちの影も見られない。

 この広大な農園は、孤児院の子供たちが手伝いをして成り立っているという。保護した孤児に農業を教えて、労働力として使っている。屋根のある寝床、あったかい食事、仕事を任せてもらえるというやり甲斐――かつての鉄華団を思い出す。

 幼い子供に労働をさせることは()()とも呼ぶことを、今のライドは知っている。

 ふうと嘆息して、静かに墓標に背を向けた。エンビも続くように、農園を臨む小高い丘を後にする。潮騒に似たざわめきがふたりを送り出す。

 傾ききった夕陽は落ちて、今に夜が訪れるのだろう。

 団長。――ライドは目を閉じて呼びかける。

 

(おれは進み続けます。団長がそうしたみたいに、おれは絵を描く。家族の未来を描いてみせる)

 

 

 

 ▼

 

 

 

 かつて〈革命の乙女〉が掲げた火星の経済的独立は、ギャラルホルン火星支部縮小に乗じるようにして達成された。

 ギャラルホルンに統治を任せていた各経済圏が、火星という植民地を放棄したためだ。地球圏との取り引きが断たれた結果、工業地帯は沈黙。流通の断絶によって商業施設や居住エリアからも人影は消えた。

 各都市の治安は壊滅的なまでに悪化したが、それも備蓄されていた食糧が尽きるとともに、やがて終息した。

 

 生き残ったのは邸宅というシェルターがあった富裕層、そして農業用プラントでとうもろこしを食べて飢えを凌げた労働者たちだけだ。

 人口は激減し、火星は荒涼の廃墟となった。

 

 そんな終末の惑星を救ったのが、クーデリア・藍那・バーンスタインの帰還だった。

 地球から戻ってきたクーデリアは、独立運動の活気どころか、かつての面影までも消えてしまった母星の現状に深く心を痛め、かねてより取り組んでいた社会福祉にいっそう力を注いだ。

 

 とはいえ、それも〈テイワズ〉という後ろ盾を得て食糧と就労の援助を行なったまでである。

 人道的支援の背景に、巨大複合企業(コングロマリット)テイワズの思惑があり、その次期後継者と目されているアジー・グルミンら親火星派の後押しがあっただろうことは、鉄華団関係者ならば察せることだ。

 木星圏の支配者マクマード・バリストンは火星に恩を売ることで、一度は揺らぎかけた地位を確固たるものにした。

 

 木星圏にテイワズ、マクマード・バリストン。

 地球圏にギャラルホルン、ラスタル・エリオン。

 

 そして火星連合初代議長としてクーデリア・藍那・バーンスタインが就任した。

 

 火星連合発足の背後にはテイワズだけでなく、ギャラルホルンの意向があったことは言うまでもない。

 クーデリアは火星各都市に代表を置いて地方行政を整備したが、うちひとつは実質上テイワズの植民地だ。採掘された火星ハーフメタルは、ギャラルホルンを介して武器の製造開発ルートへと流れていく。

 先日には火星連合・ギャラルホルン双方の合意によって〈ヒューマンデブリ廃止条約〉が締結されたが、――それが新たな火種を生むことまで、ラスタル・エリオンの手のひらの上だったのかもしれない。

 

 クーデリアは蒔苗前アーブラウ代表の遺志を継ぎ、子供たちが不当に搾取されることのない世界を目指そうとしている。

 しかしヒューマンデブリの廃止にともなってギャラルホルンは地球外縁軌道および月外縁軌道に兵力を増強。軍備拡大路線に舵を切る。圏外圏に乗り出しての取り締まり強化は、法と秩序の番人としては妥当な判断だろう。もとよりエリオン陣営は武器商人とも縁が深い。

 一方、火星連合は今後とも変わらぬ人道支援を政策に掲げ、セーフティネットの整備に尽力する。

 これまで社会福祉事業につとめてきたクーデリアの人脈は確かに生きているが、側近や秘書の大半が鉄華団の残党で占められているバーンスタイン陣営の経済基盤は遅かれ早かれ、漸進的に傾いていく。

 

 ギャラルホルンのクーデターに加担した鉄華団。

 地球に亡命し、IDを不正に改竄して戻ってきた残党たち。

 今は亡き蒔苗・東護ノ介氏を通じたアーブラウ行政との私的癒着。

 そのほか数々の黒い所業が公になれば、クーデリアは民衆によって地位を追われ、火星はふたたび混沌に落ちるだろう。

 後釜となりうる人材のあてもなく、暁が後継者に育つには時間がかかりすぎる。〈革命の乙女〉と名高い彼女が三日月・オーガスの忘れ形見を政治家に育てるならば、子供を洗脳し、利用しているとの誹りは免れない。

 どんな後任を選んだとて、経済的苦境に立たされれば自己保身に走るのが人間というもので……そうなれば、孤児たちは無責任に放り出されてしまう。

 クーデリアはそんな危うい基盤の上にいる。

 

 ラスタル・エリオンはだから、火星連合がギャラルホルンの腐敗を暴くカードを切れないと確信しているのだろう。

 違法組織タービンズ、犯罪集団鉄華団――報道によってそういうことになっている以上、違法兵器〈ダインスレイヴ〉の使用を咎める手は自らの首を絞めるからだ。

 公に鉄華団を肯定すれば、政敵の多かった旧蒔苗派の地盤を引き継ぐラスカー・アレジ現アーブラウ代表は失脚に追い込まれる。彼の後継者と噂される第一秘書も、蒔苗氏に里子として引き取られる前は鉄華団の少年兵だった。

 

 鉄華団。

 その名は今や、現在のクーデリアの足場をいつ揺るがすとも限らない爆弾だ。

 

 思惑のまま、鉄華団という名は、忘れられていく。一度は英雄と称えられ、一度は犯罪者と罵られ、戦いしか知らぬ子供たちとして世界は彼らを風化させようとしている。

 一度すべて忘れられてしまえば、新たな印象を植え付けるのは実に容易だ。

 

 ――そうなる前に。ふたたびギャラルホルンに一発ぶちかましてやらなければならないと()()が考えるのは、自然な流れであったはずだ。

 

 

 

 

 路地裏では猫が泣く。壊れた雨樋がいつかの雨をこぼし続ける、細く薄汚い路地の奥。さびれきった花屋の勝手口は立て付けが悪く、開けるだけでもぎいぎい大きな音がする。

 あくびをしていた黒猫がひゅっと逃げ出したと思うと、軋むドアの奥からちぐはぐに歪んだ石畳へ、オレンジ頭の青年が静かに降り立った。

 

「ジャック!」と女が呼ぶ。足音を殺して立ち去ろうとする青年の背中を、女の細い腕が呼び止めた。

 

 よろめいた彼女はとっさに抱きとめられた青年の腕の中、そばかすだらけの顔をあげると、ふたたび「ジャック」と微笑した。手には一輪の赤い花がある。

 

「これを、あなたに」

 

 差し出されたのは真っ赤な薔薇の花だった。花屋を営む女の手は水仕事でぼろぼろに傷ついているが、手渡される茎から棘はきれいに取り除かれている。

 一輪の意味は『あなたしかいない』。

 背伸びをして顔を寄せる女に、無表情のまま口付ける。触れるだけのキスには感傷も情緒もない。一方通行の思慕は受け取ることなく青年は、野良猫のように路地をくぐって姿を消した。

 たまにふらりと現れては花束を買っていくオレンジの髪の青年――ライド。どこか重々しい足取りに、どこからともなく現れた少年が軽快な足取りで追いついた。

 

「ジャック、愛してるわぁ〜! あなたしかいないの〜!」

 

 おどけた調子で声を裏返らせたのはエンビだった。

 快活そうなひとみがきゅっと細くなる。対するライドはエメラルドグリーンの双眸を胡乱げに眇めた。

 

「副団長のモノマネかよ」

 

「だって、金で買えない愛だろ?」

 

 墓前には生花を供えるという風習を地球で知って、火星に戻ってきても金はなかった。それに迂闊に花など手向ければ、残党に花を売った花屋ともども危険に晒されるかもしれない。

 世界が鉄華団を忘れ去るまで身を潜めて、正体を隠して真っ当な仕事をして、大人しくしていること。それが生き残った仲間を守る唯一の手段なのだ——呆然と花屋の店先で打ちのめされていたライドに、お代はいらないから一夜を過ごしてくれないかと持ちかけてきたのが彼女だった。

 何も聞かず、いつも彼女自身が好きに選んだ花をライドに握らせる。

 今日は、一輪の赤いバラだった。

 

「男なら嬉しいもんなんじゃねえの? 男冥利につきるって」

 

「また出たよ、シノさんの受け売り」

 

「おれも店のおねーちゃんたちには『エルガー』って呼んでもらうけどなぁ」

 

「一緒にすんなってーの」

 

 そういう店に通ってみては双子の兄弟の名前で愛されたいエンビの気が知れない。

 素性を明かせないから好きに呼べと言ったら、彼女が勝手に「ジャック」と呼びはじめただけだ。あとから代金を払おうとしても彼女は頑なにライドから金銭を受け取ろうとはせず、ただ一緒に過ごしてくれればいいと言う。何度かそうして夜をともにした。帰らないでと乞われたことも一度や二度ではない。向けられている恋慕に気付かないほどライドは鈍くないが、そうやって得た花しか墓前に手向けられないことが心をずうんと重くする。

 花束を買いに、もっと治安のいい街のほうへ行けばいいのだろう。わかっている。だが警備の厳重さで治安を守っているエリアには多数の監視カメラが存在する。映り込まないように避けていれば、こういった路地裏ばかり選んで歩くことになってしまう。

 

「それも今日で終わりだ」

 

 一輪の赤い花に顔を寄せ、しかしライドはそのまま手放すように、路肩に花を捨ててしまう。

 闊達に育ったエンビと昏い目をしたライドはどこかちぐはぐで、なのに相棒のようにも見えるのだった。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 忙しいのにごめんな。人手が足りないのはわかってる。全部押し付けてごめん。

 

「ごめん、ダンテ」

 

 穏やかに独白して、デルマは慣れ親しんだエプロンをとる。孤児院での日々はとても平和で、気の置けないダンテとの掛け合いも、農園の手伝いも気に入っていた。

 大部屋の床にブランケットをぶちまけて子供たちと雑魚寝をする夜も、手放しがたい。

 

 夜九時半。眠るにはいくぶん早い時間だが、昼間は農園を手伝っていたから子供たちも疲れきっているのだろう。ど真ん中で大の字になっていびきをかくダンテは、まるで絵本の中の『父親』のようだ。

 その周りに群がるように、子供たちが思い思いの姿勢で眠っている。丸くなって眠る子もいれば、ダンテのように大の字になって眠る子もいる。

 ここで日々を過ごすうちに、みんな、人間らしくなったと思う。

 鉄華団が教えてくれた『家族』の形を伝えていく、残していくという大役を預かっている。そういう実感がデルマにはあった。

 常に人手が足りず、多忙な日々が続くことも、煩わしいと思ったことはない。

 世論がヒューマンデブリ廃止の風向きになってからは人買い業者に流れる前の子供を保護して孤児院に送っているから、施設と職員のキャパシティを越えて、孤児たちが流れ着いてくる。そのことを喜ばしいと思う。

 クソみたいな値段で売り飛ばされて殴られ蹴られ虐げられて死んでいく運命だった子供たちが、緑豊かな庭を走り回って遊んでいる姿を見ると、胸の奥があつくなる。うれしい。そう思う。

 それでも、この楽園からデルマは出て行く。

 静かに部屋を出ようとすると、ひとりの幼子がデルマの袖を引っ張った。

 

「デルマせんせい、トイレ?」

 

「……うん。ちょっと行ってくる」

 

 頭を撫でてやると、すやすやと眠りに戻っていく。体温が高くてあたたかい。子供特有の細い髪、あどけない寝顔をかわいいと思う。

 おれが守ってやらなきゃ。

 デルマの決意は、ここに留まって子供たちと生きるという選択を、優先順位の二番目に置く。

 

(ちょっと行ってくるよ、ダンテ)

 

 最後に一度だけ、ダンテのいびきと子供たちの寝息で満ちたあたたかい部屋を見渡す。

 この孤児院は確かにデルマのいとおしい居場所のひとつだった。

 

 

 足音を殺して夜の孤児院を脱出する。外に出ると、壁の絵が目に入った。いつかのライドを真似て子供たちが落描きしたものだから、手が届く範囲にしか絵はなく、上のほうは真っ白のままだ。

 目を細めて、デルマは星のない夜を見上げる。

 鉄華団の最後の戦いは、はるか上空からダインスレイヴを撃ち込まれて三日月も昭弘もやられてしまったと伝えられた。ハッシュやエルガーも地下通路を越えて追いついてはこなかった。

 生きて生きて団長命令を果たして死んだ彼らの遺体は拾えなかった。

 

 悔しさを飲み込んで、デルマは夜に紛れるようにグローブをはめ、左腕の義手を覆った。

 これから赴く場所までは安全な道のりかどうかわからない。それでなくともカッサパファクトリー製の義手をつけていることは隠しておきたかった。

 おやっさんとメリビットさんにはふたり目の子供が生まれて、しあわせになってくれている。何より彼らの整備工場は、火星経済で最も重要な火星ハーフメタルの採掘と輸出入に直接かかわっている。

 火星の工業地帯に欠かせない事業に、黒い噂はたてたくない。

 足がつかないよう適当なところで義手そのものを外してしまうべきだろうが、さすがに両腕がないとろくな戦力にならないことはデルマとて承知だ。

 あの日、最後の戦場で、片腕一本で肉盾になろうとしたデルマを、昭弘は止めた。

 

 

 ――おれたちはもうどこで終わっても構わねえデブリじゃねぇんだ。お前の仕事はこの先にある。

 

 

 お互い団長命令を果たそうぜ、と昭弘はどこかすっきりした顔で告げた。広い背中を戦場へ送り出してデルマは生き残った。

 命を投げ出すつもりは毛頭ない。生きて生きて生き抜いてやるつもりだとデルマは拳を握り、そして夜に紛れるように走り出す。

 どこへ行くかは決まっていた。多分、ひとりではない。デルマの予想が外れていても、そのときはここに帰ってくればいいのだ。夜中にどこをほっつき歩いていやがったんだとダンテがむちゃくちゃ怒るのだろうけど。

 想像すると笑えてきて、未来という心強さ、家族の手のぬくもりに背中を押される。

 居場所をもらえたことで得た安心感は何ものにも変え難い。感謝を形にしたいと思う。

 

 だからあいつらも行くんだろう。

 そして、いずれバルバトスやグシオン、フラウロスの奪還がかなったなら、そのときは。

 

「……グシオンにはおれが乗る」

 

 

 

 ▼

 

 

 

 火星を訪れていたノブリス・ゴルドンの殺害はまだ、ニュースには乗っていないらしい。

 

 廃ビルの屋上、クリュセの摩天楼に身を隠すライドはやりきれない気持ちでタブレットを見つめる。

 歓楽街のネオンが反射して見づらいが、ニュース番組はいつも通りに吞気な天気予報だ。雨なんて降らせなきゃ降らない。火星は二年かけてやっと四季がめぐる寒冷地だ、気温だって代わり映えしない。

 あまりにも平時と変わらないニュースの内容に、もしかしたらクーデリアたちの圧力がかかったのか……と、疑うことに慣れたライドは勘ぐってしまう。

 

「心配しすぎだって。監視カメラ全部ブッ壊したから足取りはつかめてないはずだろ? あのオッサンも一応は偉い人だったらしいし、コーケイシャ問題とかもあってすぐには発表できないんじゃないか」

 

 エンビの言う通り、追跡を避けるための手は尽くした。見つからないに越したことはない。

 ただ、オルガ・イツカの復讐を遂げても口の端にものぼらないというのは、それはそれで内臓に手を突っ込まれたみたいに苦しかった。

 けばけばしいネオンの中に電子時計を見つけて、明滅する秒針を見つめる。作戦決行まであと五分あまり。今ここで見つかって連れ戻されることは避けたい。

 

 そのときだった。

 カン、カン――と階段を上ってくる音がする。ハッと身構えると、そして屋上に続くドアが開く音が、ぎいい、と不穏に鳴った。ライドたちがいる場所はドアからはちょうど死角だ。呼吸を殺して侵入者の動向をはかる。

 

 足音の数、1。

 屋上に出てくると一度足を止め、きょろきょろとあたりを見回しているらしい。

 相手がひとりならばとエンビはジャケットに隠していたハンドガンを抜いた。狙う。引き金に指先をかける。

 

「待て、撃つなエンビッ」

 

 低く押し殺した声でライドが止めるが、エンビは正確に狙いをつけて一発目を放つ。マズルフラッシュが頬を照らす。サイレンサーに殺された銃声が響き、刹那、コンクリートをえぐった。ところが俊敏な人影には命中しない。

 

「くそっこの動き……!」

 

 手練だ、と舌打ちをしてさらに一発、もう一発。そのすべてが回避されてしまう。

 だがエンビの射撃は確実に退路をふさいでいた。半ば自棄になりながら撃った六発目の弾丸が、三角巾で吊られた男の左腕に弾かれてこぼれる。

 

「……体なまってんだから、やめろよ」

 

 ネオンの色が変わり、おもむろに、人影の全貌があらわになる。見覚えのある麦わら色の髪。

 

「デルマ……?」

 

「ここだと思った。クリュセ近辺で隠れて上にいけるのなんてここくらいだろ」

 

「お前そのこと、」

 

「誰にも言ってないよ。おれ以外に気付いたやつがいるかどうかは知らないけど」

 

 多分ダンテは無理だろうな、とデルマは肩をすくめた。よしんば気付いていてもダンテは子供たちを放り出してまでデルマを追いかけたりしない。件のスーパーハッカー様のおかげで発信器の類いは察知できるようになったし、義手に搭載された各センサーも孤児院を出てすぐに解除した。

 おかげで腕は重いし、反応もにぶいが、ダンテ様々である。

 

「ごめん、おれ……」

 

 勢い余って発砲してしまったエンビはばつ悪そうに顔を曇らせる。大事な義手を盾にさせてしまった罪悪感でいっぱいだった。それに、さっきの発砲音を聞きつけて誰かが駆けつけるかもしれない。それが敵とも味方とも限らない。作戦開始も早めたほうがいいだろう。

 いきなり予定を狂わせてしまったと消沈するエンビの肩を軽くたたいてなぐさめ、デルマは口角を釣り上げた。

 

「おれも連れてけよ、雷電隊」

 

 突き出されたデルマの拳を見て、ライドは仕方ないなと眉尻を下げた。自身の拳をぶつける。戸惑っていたエンビも続いた。

 三人であわせた拳に、ライドが厳かに宣言する。

 

「行くぞ、鉄華団実働参番隊――いや、雷電隊……!」

 

 頷き合う三人の耳に、ふたたび金属を打ち付ける音が響いた。カンカンカンと忙しなく、誰かが階段を上がってくる。

 味方か、敵か。アイコンタクトが静かに飛び交い、三者三様に身構える。

 その足元を、懐中電灯の光がまるく切り取った。そのまま視野をふさぐように上昇する。強い光を浴びせかけられ真っ白になる視界にとらえたのは、金髪。

 

「見つけたぜライド!」

 

「ユージン!?」

 

「てめえ、自分が何やってるかわかってんのかッ!」

 

「副団長こそ、鉄華団なんかなかったみたいな顔しやがって!!」

 

 三日月の銃を引き抜き、ユージンに向ける。後ろ手に合図を送るとエンビが鋭くうなずいた。

 

「こっちだ、デルマ!」と小声でうながし、柵を乗り越え隣のビルへと飛び移る。

 

 そちら側に気を取られそうなユージンは、それでもライドを見据えながらインカムに「ライドが見つかった! デルマ、エンビが一緒だ」と報告を叩きつけた。

 インカムの向こうからはチャドの『ダンテのやつ何やってんだよぉ』という情けない声が、ライドの耳にも届いた。

 

「……なあ、ライド。お前、ホントに何するつもりだ……?」

 

「今のあんたに話すようなことじゃねえよ」

 

「ノブリスをやったのはお前なのか」

 

 ユージンの緑色のひとみが眇められる。どうか否定してくれと顔に書いてあるようで、ライドはあくまで無表情のまま、くちびるを笑みのかたちに歪めた。

 

「そうだ、と言ったら?」

 

 明らかに傷ついた顔をする鉄華団の副団長は、あのころと何も変わっていないとライドは思う。立場が彼を動けなくしてしまっただけだと頭ではわかっている。社会福祉に尽力し、すべての子供たちがあたたかい家で安全に、健やかに育てる世界を目指している、バーンスタイン連合議長様の側近なのだ。今のユージンにできることはクーデリアの護衛であり、彼女が築く世界を守ることだろう。

 それでも。

 その世界に鉄華団の存在がないなら――それがオルガ・イツカを忘れ去っていく世界なら。

 ライドは全力で抗う。

 

「戻ってこい、ライド。今ならまだ引き返せる」

 

「引き返すってどこに!」

 

 すげなく突っぱねるライドに、ユージンはぐっと言葉に詰まった。

 

「復讐なんかオルガは望んでねえ。お前も知ってるだろ! 仇を討ったって、何にも……っ」

 

 苦しそうに吐き出すユージンの言いたいことはライドにもよくわかる。ビスケットの弔い合戦も、ラフタの弔い合戦だって経験しているのだ。オルガが報復を望まないこともわかる。きっと叱られる。だけど何やってんだとオルガの声で叱ってくれるなら本望だ。

 ユージンに変わらず銃口を向けながら、ライドはユージンではなく、その向こうのデジタル時計を見ている。カウントダウンをじっと見つめる。

 秒針の点滅、5、4、3――。

 

 時間通りだ。

 

 さっとライドは身を翻し、錆び付いたフェンスを乗り越えた。飛び降りる。とっさに追いかけたユージンが柵から身を乗り出せば、ネオンの輝きがライドの全身を照らした。

 手早く脱いだ上着をパラシュートにして落下するライドはユージンに向かって、怒鳴りつけるように笑った。

 

 

「鉄華団の未来をおれが見せてやる!!」

 

 

 歯を見せて野蛮に笑ってみせたライドの面影がオルガに重なって、ユージンはおおきく目を見張った。

「ライド」と呼ぶ。それは嘆きの声だった。「オルガ……」と頭を抱えて屋上へたりこんだ。インカムの向こうでおろおろと惑うチャドに、伝える言葉すら見失う。

 

「……何をどうやって止めろってんだよ……」

 

 

 

 

 屋上からダイブしたライドが着地したのは、ビルの間を割るようにして現れた青い装甲だった。

 トリコロールカラーの塗装が施されたMS(モビルスーツ)のコクピットにすべりこむ。シャツも手早く脱ぎ去れば、乱れたオレンジ頭のうなじの下には、既に阿頼耶識のアダプタがついている。

 背中をぶつけるように阿頼耶識に接続すると、コンソールに触れた。

 ASW-G-15 GUNDAM ELIGOR――パネルに現れたのはバルバトスのそれに似た起動画面だ。型式番号と丸い紋章。

 その文字の読みを、意味を、ライドは頭でも体でも理解できる。

 

「ガンダムエリゴル――起動」

 

 緑色の双眸がぎらり、挑戦的に輝く。網膜を読み込むと投影がはじまった。同時にクリュセの夜景が、波が引くようにブツンブツンと掻き消えていく。

 エイハブ・ウェーブの干渉によって停電し、遠ざかる灯り。

 そして街には本物の夜が降りる。

 

「スラスター全開!」

 

 ぐっと膝を縮めて、ライドは黒々と高い空へと飛び上がった。

 このMS――ガンダムフレーム・エリゴル――は火星で採掘され()()()から託された、新しい力だ。

 吹き荒れた暴風に足を踏ん張るユージンを一瞥して、ライドは風のように舞い上がる。

 

 

 時を同じくして、エンビたちが走った方角から小型シャトルが打ち上がっていた。

 宇宙に向けて飛び立つ小型船の名は〈シラヌイ〉。狭いブリッジでは操艦席にウタ、火器管制席にイーサンがイサリビ同様の配置についている。

 

「上昇率よし。補助翼格納。第二加速に入ります」

 

「リアクター出力、艦内制御、オールクリア」

 

 追いつくように駆け込むエンビとデルマが、メインモニタごしに新しい機体をみとめる。それぞれの胸に感慨が押し寄せる。

 にやっと笑ったエンビはすぐさま、通信席用のヘッドセットを取った。

 阿頼耶識がなくてもイサリビ乗艦時の経験則がある。シャトルと並走するように飛ぶライドとの位置関係を正確に察知して、インカムに向かって声を張る。

 

「エリゴルを回収する!」

 

「了解!」と操舵を担当するウタが鋭く返答し、イーサンがハッチを開く。

 

「総員、対ショック姿勢!」

 

 ぱかりと開かれたエアロックに、狙い澄ましたようにエリゴルが飛び込んでくる。着地の衝撃に火花が散り、ブリッジは大きく揺れたが、クルーは全員いくつもの戦場をくぐってきた鉄華団の年少組だ。しっかりと床に足をつけ、適切なポールやシートにつかまって振動を乗り切るなどわけない。

 

『いいタイミングだぜエンビ!』

 

「サブアーム接続完了。エアロック、正常に閉じます」

 

「管制制御いっぱい! このまま宇宙に出る!!」

 

『オーライ!』

 

 宇宙へと舞い上がるシラヌイのブリッジで一仕事終えたウタとイーサンは、顔を見合わせると拳と拳をぶつけてぱっと笑った。かつてオルガと三日月がやっていたのを真似しようとするとシートが離れすぎていてわずかに届かないので、拳同士をあわせるやり方になるのだ。

 

「おかえりライド!」

 

「ほんとにガンダムフレームかよ!」

 

 ライドとの合流に歓声が湧くブリッジで、デルマが「元気だなあ」と肩をすくめる。孤児院にいたころとまるで変わりない子供のさわがしさには不思議と郷愁を覚えてしまう。

 そんな中でトロウだけが険しい表情のままぎり、と奥歯を噛みしめる。

 

「鉄華団を忘れるなんて、おれたちが許さない」

 

 他に行くところなんてなかったトロウの居場所は鉄華団だけだった。帽子を前後逆にかぶってシュマグをつけていた、あのころよりもずっと精悍な顔立ちになったトロウは今や鉄華団年少組の最長身に成長したが、その心は古戦場に置き去りのまま、成長を止めている。

 

 

 

 そんな彼らの行く末を、豪奢なバルコニーからふりあおぐ。仮面の少女は静かに祈る。

 

「マクギリス・ファリドの悲願は、報道によってねじ曲げられてしまいました。だからどうかご武運を――鉄華団。決して身を結ぶことのない、それでも決して散ることのない、希望の華」

 

 繊細なレースに彩られたナイトドレスの白い裾が、花のように風に揺れた。

 

 

 

 

 #051 未来図

 

 

 

 

 春休みは実家に戻って、家族と過ごす。

 クリュセの寄宿学校は長期休暇を前にして、宿題のことなど忘れてしまいそうに浮き足立っている。初等部から高等部まで変わらない賑々しさだ。

 学校のある地域は特に厳重に監視カメラが張り巡らされ、警備員の巡回、地域住民との密接な関係づくりによって二重三重に治安が守られている。

 それは火星連合議長クーデリア・藍那・バーンスタインの意向でもあった。

 

 未来を担う子供たちには安全を。彼らを危険から守るのが、わたしたち大人の仕事です。――そんな彼女がアーブラウの議事堂、改め〈蒔苗記念講堂〉にてラスタル・エリオン代表と握手を交わす映像は、ニュース番組でも繰り返し報道された。

 

〈ヒューマンデブリ廃止条約〉の調印式を終えて火星に凱旋したというニュースの中でも、華やかなブロンドをきらめかせ、穏やかに手を振っている。

 

「そろそろ家にも帰ってくるんじゃないかな」と、アトラは軽やかに笑った。

 

 クッキーとクラッカを後部座席に乗せてバンは走り出す。シートベルトをしめると、双子の姉妹は「やったあ」と思い思いの歓声をあげた。

 ふたりの真ん中では暁がチャイルドシートに縛り付けられて窮屈そうに足をぷらぷらさせている。

 

 十六歳になったクッキーとクラッカは、もう次兄・ビスケットと同じ年だ。

 大好きな兄が死んだ年齢になって、思うところもあるのだろう。長兄・サヴァランは十六歳のころには立派に働いていたといい、ふたりが仕事がしたいと申し出る機会はたびたびあった。その都度クーデリアはふたりを押しとどめ、抱きしめて、大学卒業まではわたしが面倒を見ますからと言いきるのだった。

 アトラもずいぶん成長したが、双子の成長は目覚ましく、身長も伸び、そっくりだった体型にも少しずつ個人差が現れてきた。

 顔はやはり瓜二つだがクッキーは胸囲がふくよかに育ち、クラッカはおてんばゆえか足回りが筋肉質だ。

 

「学校はどう?」

 

 いつも同じこと聞いてるかな、とアトラは苦笑する。

 するとクラッカが「ううん!」とすぐに首を振った。

 

「いつも通り楽しいけど、新しいこともあったんだ!」

 

「そう! この前ね、転校生がきたの」

 

「へぇ〜その転校生は、どんな子なの?」

 

「とってもキレイだけど、お勉強以外は全然ダメな子!」

 

「そうなの、出会ったころのクーデリアみたい!」

 

「でも、ミリィは昨日のうちにおうちに帰っちゃったんだぁ」

 

「ミリィにもアトラ、会わせてあげたかったなぁ」

 

「ねー!」と仲良く笑いあうグリフォン姉妹の学友の名はミリィ・()()()()()

 素性を隠してクリュセの寄宿学校に通うかたわら、仮面をかぶってライドたちに武器・弾薬を提供した、アルミリア・ファリドである。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 地球、遠洋に浮かぶギャラルホルン本部〈ヴィーンゴールヴ〉。

 セブンスターズの合議制は廃止された今も、この巨大人工島(メガ・フロート)は実に豊かであった。

 

 各経済圏が保有する自衛的軍事力はいずれもお飾りにすぎない。ギャラルホルンという強大な戦力がある限り、地球上での戦争など起こせるはずもないからだ。

 このほど地球と火星の間で締結された〈ヒューマンデブリ廃止条約〉を受けてギャラルホルンは軍備を増強。今後は圏外圏まで手を広げて、人身売買の取り締まりを強化する方針を示している。

 月外縁軌道統合艦隊、地球外縁軌道統合艦隊が再編成され、近日中にも取り締まり部隊が動き出す。

 新生アリアンロッドの旗頭となる女騎士ジュリエッタ・エリオン・ジュリス一佐も、明日にはこのヴィーンゴールヴを出立して宇宙へとあがる手筈だ。

 

 休暇の最終日、ジュリエッタはひとり読書をしていた。

 ひとときの安寧である。緑豊かな温室は透明な丸いドームに守られて、遠洋のただ中だというのに波の揺れも感じられず、地下宮殿に十機のガンダムフレームが格納されているなど信じられないほどに平穏だ。

 長く伸びたジュリエッタの金髪が、木漏れ日を浴びてきらきらと陽光を散らす。色鮮やかな蝶が髪飾りのように羽を休めて、そして花を求めてひらひら飛び立った。

 遠い小鳥のさえずりを聞きながら紙の本を読むなど、かつてのジュリエッタには考えられないことだった。

 

「こんなところにおいででしたか!」

 

 不意に、かつりとブーツの底が鳴る。

 ジュリエッタが目線を上向ければ、声をかけてきたのは年若い将校だった。

 茶色い髪にオリーブグリーンのひとみ。伯父には似ずすらりとした長身にギャラルホルンの軍服をまとっている。指揮官にのみ許されたロングコート、階級は三佐。

 

「ヒレル様……」

 

 ふりあおげば、人の良さそうな顔でにっこりと笑う。ヒレル・ファルク。ファルク家の御曹司である。

 セブンスターズの一家門たるファルク家の嫡男エルネスト・ファルクはアリアンロッド艦隊に所属し、確かドルトコロニー群の反乱を主導し損なって以降は、アフリカンユニオン管轄下のコロニーを統括する地味な管理職に追いやられていたはず。

 ジュリエッタの記憶に間違いがなければ、ヒレルは彼の従弟(いとこ)で、現当主エレク・ファルク公の甥――妹の長男にあたる。

 

「エリオン公より地球外縁軌道統合艦隊〈グウィディオン〉の新司令官の任を頂戴しました。我らが騎士、麗しのジュリエッタには是非ご挨拶をと!」

 

 誇らしげに敬礼するファルク三佐はどうやら、自分がお飾りの閑職に追いやられたことには気付いていないらしい。

 七星貴族の御曹司たちは、蝶よ花よと育てられたせいなのかどこか抜けているところがある。五年前の戦いで無謀にもガンダムフレームの前に飛び出し、事故のように落命したクジャン家の若当主を思い起こして、ジュリエッタはああとため息をつく。

 純朴さとは愚鈍さと同義であったのかと、呆れるばかりだ。

 

「……シミュレーションの誘いでしたら他の者に」

 

「今日は別件です。あなたが、あの産業廃棄物と噂になっているようですから」

 

「またそんな言葉を……」

 

 ジュリエッタが柳眉を歪めると、ヒレルはむきになって言い募った。

 

「どうしてあの男をかばうのです? 禁忌に手を染めるなど、卑怯者のやること! 法と秩序の番人たるギャラルホルンにあってはならない蛮行です。そうでしょう、騎士ジュリエッタ・エリオン・ジュリス!」

 

 ヒレルが()()()()()呼ばわりしたのは、同じく七星貴族であるボードウィン家の嫡男ガエリオ・ボードウィンである。

〈マクギリス・ファリド事件〉ではクーデター鎮圧のために阿頼耶識システムを用いてガンダム・バエルと真っ向から対峙してみせた。

 禁断の力を使ってでも、この手で友を止めてやりたいのだ――! そんな彼の真摯な願いは美化され、今や美談となっている。

 毒をもって毒を制した、と言えば、あながち間違ってもいない。

 終戦ののちに埋め込んでいた端子を切除し、下半身が不自由になったことも、ガエリオに同情が集まった理由のひとつだろう。

 それに彼は人当たりがよく、こと女性には分け隔てなく微笑む。秀麗な顔に傷痕が残ろうとも彼のうつくしさは損なわれず、紳士的な態度を際立たせてしまうのだから、御曹司とはつくづく得をする生き物だ。

 愛嬌のある笑顔は病院内でも評判で、一生無償でボードウィン公のお世話をしたいと夢見る女性も続出しているという。

 

 しかしヒレルだってなかなか悪くない好青年である。さすがに嫡男のガエリオには家柄も何もかも及ばないものの、セブンスターズの貴公子らしく顔立ちも整っている。まだ十六歳とはいえ、今は亡きイオク・クジャン公に比べれば思慮深く、分家筋であるためか貴族貴族した空気も控えめで、体つきは軍人らしい。

 かつての地球外縁軌道統制統合艦隊から継承したピーコックブルーがよく映える。

 

「わたしはあなたの強さに憧れています。いつも実直で、潔癖で……だからこそうつくしい」

 

 正義感の強いヒレルはてらいなくジュリエッタを見つめるが、阿頼耶識ばかりかダインスレイヴの使用にも立ち会ったジュリエッタは、何も言えずに目を伏せた。

 

「この休暇が終わればわたしも当分は宇宙です。今くらい、羽を伸ばさせてください」

 

 そうする間にもギャラルホルンは軍備増強を押し進めていくのだ。

 

「……残党狩りなんて、地味な仕事です」

 

 嫌な仕事だとは言わずにジュリエッタは晴天を見上げる。横顔を見つめていたヒレルも続くように顔をあげた。

 地球外縁軌道統合艦隊、新たに『グウィディオン艦隊』と名付けられた組織はカルタ・イシュー、マクギリス・ファリドといった腐敗の象徴が受け継いできた地球外縁軌道統制統合艦隊を前身に持つ、忌まわしき部隊であるとヒレルは聞かされている。

 汚染したならば原因を除き、因縁を断ち切るのが己の職務であると決意を胸に、弱冠十六歳の若き指揮官は戦場へと向かう。

 

 ジュリエッタは教養を得た今になって、正式にエリオン家の養女になった今になって、敬愛するラスタル・エリオンのすべてを肯定できなくなりつつある。

 悪魔を討ち取った功績を認められて出世したけれど、ガンダム・バルバトスを倒したのはジュリエッタではない。

 アリアンロッドという巨大艦隊を動かし、マスコミを下がらせ、包囲殲滅戦ののちにダインスレイヴ隊の一斉射撃を命じた()()あってこそ、ジュリエッタは鉄華団の悪魔を殺しきることができた。

 単騎ではバルバトスどころか、アミダ・アルカという女傭兵の駆る量産機にすらかなわなかった。

 そのことを誰にも打ち明けられない苦しみに、息が詰まる。

 

 

 彼らが見つめる空の上、彼らの目には見えない遠く遠い火星の空では、少年兵が蜂起する。

 

 

 ギャラルホルン火星基地〈アーレス〉からMSの発進を確認し、小型船〈シラヌイ〉のブリッジでウタが声を張り上げた。

 鳴り渡るアラートに負けないようにマイクに向かって強く呼ぶ。

 

『ライド、スクランブルだ!』

 

『ギャラルホルン所属のグレイズ、エイハブ・ウェーブの反応は四!』

 

 イーサンの報告を背中に受けながらパイロットスーツに着替えたライドが格納庫へと走る。エアロックを抜けると、手近な壁を蹴った。

 無重力になったコンテナの中に横たわるMS――ガンダム・エリゴル。

 仰向けに寝かされたトリコロールカラーの機体は、シラヌイの上部コンテナに格納されている。

 そのさまはまるで、はじめて宇宙に出たシャトルの中でイサリビの迎えを待っていたあの日のようだった。

 あのときはオルクス商会の裏切りで、ギャラルホルンの追撃を受けて三日月のバルバトスが迎え撃ったのだ。鹵獲したグレイズで昭弘も援護に出た。

 しかし今はライドがガンダムフレームに乗っている。

 援護してくれる昭弘はいないし、エリゴルのほかに味方MSもない。迎えに来てくれるイサリビだっていない。

 

 それでも戦う。

 

 ライドはコクピットに勢いよく身を投げると、阿頼耶識を接続した。

 起動させるとぶうんとリアクターが機械に血を通わせる音がする。不思議な光が網膜を読み込む。投影がスタートし、緑色の目が強く鋭く、光をまとった。

 

「オーライ!」

 

『ハッチオープン!』

 

『コントロール、そっちに移します!』

 

 目の前で両開きの扉が、ゆるやかに視界を開いていく。緊張。高揚。花が開くとき、つぼみはこんな気持ちなのだろうか。

 このイメージで何枚か絵が描けそうだと舌舐めずりをしてから、ライドはゆるく口角をつりあげた。

 絵より先に、目の前の敵だ。操縦桿を握りしめ、上体を起こす。

 機体がまるで自分自身にまとった上着のようで、さすが最新の装甲だけあって雷電号より軽く感じる。いや、それはガンダムフレームだからなのか。

 背中がじんと熱く、戦いを求めるエリゴルが心を躍らせているのが伝わってくるようだ。

 錯覚のような気がするのに、脳裏には三日月の声が蘇る。

 

 

 ――行くぞ、バルバトス。

 

 

 懐かしい声が、隣で戦っているかのように鮮明に、ライドの脳裏に蘇る。

 鉄華団のエースパイロット、三日月・オーガス。〈鉄華団の悪魔〉と呼ばれたMS、ガンダム・バルバトスルプスレクス。

 オルガの命令に反しているから潰すとメイスを振り上げられるだろうか。

 それとも光に向かう道はひとつじゃないでしょ、と送り出してくれるだろうか。

 

 わからないけれど、いつか追いついたときには馬鹿だなと笑って、無茶しやがってと叱ってほしい。

 

 頼れる兄貴分たちとともに戦ってきたこのライド・マッスが、彼らに続く活躍を見せてやるから。

 

「行くぞ、鉄華団実働参番隊、いや雷電隊!」

 

 静かな呼吸を吐き出せば、高揚がごく自然に口角を笑みにする。緑色の双眸が獰猛にきらめく。

 ライドは駆け出すように漆黒の空へと飛び立った。

 

 

「それとガンダムエリゴルの、初陣だ!」




【次回予告】

 ライドのシュマグ、団長の真似っこなんだぜ。銃は三日月さんのでさ。だったらおれはユージンさんとシノの兄ちゃんみたいになるよ。そんでいつかガンダムフレームを取り戻したら、おれがフラウロスに乗ってやる! 

 次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光、第二話『ドラグーン』!



【挿絵表示】

■ガンダムエリゴル
 パイロット: ライド・マッス
 使用フレーム: ガンダムフレーム
 動力源: エイハブ・リアクター×2
 武装:
  エリゴルスピア
  ガントレットシールド×2
  A−V.ファンネルビット×2
  ショートバレルレールガン
 詳細: 火星で採掘されたガンダムフレーム。モンターク夫人の思惑によって秘密裏に改修され、阿頼耶識を搭載している。

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