パイロットスーツのまま歩く
ずいぶんと陰気な基地だと、ジュリエッタは息苦しくなってうつむいた。遅れそうになった歩を早める。アリアンロッド艦隊のパイロットたちが硬質な靴音を響かせる一団の先頭にいるだけに、立ち止まるわけにはいかなかった。
過激武装集団【鉄華団】の掃討作戦は、予期された通りにアリアンロッドの勝利で締めくくられた。
その過程で一体何機ものグレイズシルトが悪魔の餌食にされたのか、小隊長にすぎないジュリエッタにはわからない。静止軌道上から降り注いだダインスレイヴの雨が二機のガンダムを貫いていなければ、被害はもっと大きくなっていただろう。
味方に甚大な犠牲を出しながらも悪魔たちは討ち取られ、マクギリス・ファリドの反乱も一段落ついた。
逆賊に味方したガンダムバルバトスの首は晒され、ガンダムグシオンは回収され、どちらも火星によみがえった
鉄華団という名が歴史から消え去れば、残党や関係者が責めを負うこともないだろう。取り引きのあった企業が巻き込まれる心配もない。ラスタル・エリオンの慈悲は、火星経済に与えるダメージを最小限に抑えるはずだ。どこかへ落ち延びた残党がいたとしても、今後はギャラルホルンに逆らおうなどとおろかなことは考えず、大人しくするに違いない。
これから
廊下をいくらか歩けば、火星支部長だという赤い軍服の男が出迎えた。
火星支部には赤と灰色、二色の軍服が混在する。
「幹部候補以上は赤、それ以外がグレーだ。セブンスターズに縁のない将兵はグレーを着用する」と、先頭に立つガエリオが小声で補足した。
ギャラルホルンの通常軍服は『ブルー』だ。セブンスターズが主導し、特別な任務に就く場合は月外縁軌道統合艦隊のようなエンペラーグリーン、地球外縁軌道統制統合艦隊のようなピーコックブルー、インクブルーなどの特殊色が用いられる。火星の『レッド』は、なるほどセブンスターズとの縁故か。
「……よくご存じですね」
「昔、グレーを着ていた部下がいたからな」
ジュリエッタを見下ろすことなく、ガエリオは独り言めいて笑んだ。
件の『グレー』が一体どういう経緯でセブンスターズの嫡男ガエリオ・ボードウィン卿に仕えることになったのかと、ジュリエッタは問わない。灰色だった彼がのちに赤を着たのか、着なかったのかも。
自身もまたアリアンロッドに所属し、階級こそないものの『エンペラーグリーン』の軍服を与えられた身だ。エリオン家当主ラスタル・エリオン公の私兵としてレギンレイズ高機動発展型のテストパイロットとなり、今は小隊長程度の指揮権を持たされている。一尉相当の待遇だろう。
一兵卒から幹部にいたるまで同色の軍服を着用するアリアンロッド艦隊は、統制局にも監査局にも属さない特殊な部隊だから、ジュリエッタやガエリオのようなイレギュラーも平等に戦力となる機会を得られる。
ガエリオが進み出て、相対した赤い軍服の男は腰を折るようにして深々と頭を下げた。セブンスターズ――マクギリス・ファリド――に縁があり、火星支部長の椅子に座った幹部。
逆賊に味方し、いらぬ犠牲を生んだ彼は、これから職を失うらしい。
「顔をあげてくれ、新江・プロト本部長」
「……いえ」
「そのようすだと、マクギリスに便宜を図ったというのは本当らしいな」
ため息をふうとひとつ落として、ガエリオは悲しげに眉根を寄せた。
「腐敗は、正したつもりでいたのだが――」
尖らない声が揺れる。どこか遠くを見上げるような、いくばくかの空白を経て、ガエリオは新江に向き直った。
「エリオン公の沙汰を待て。ギャラルホルンの膿を出し、正しい秩序を取り戻さなければならない」
「……ご立派になられました。ボードウィン卿」
「世辞はいい。監査局時代とは違うのだ、貴様がマクギリスに与したのならおれが都合をつけてやることはできん」
「むろん、承知の上です」
そうか、――とガエリオは嘆息して、踵を返した。背後に控えていた兵士たちが道を開ける。割られた人垣、その中央を堂々と進む後ろ姿は、まるで凱旋する英雄のようだった。
磁石が仕込まれた硬質なヒールがフロアを打つ。角を曲がった大きな背中が寂しく見えて、ジュリエッタは小走りに追いつくとガエリオの手をつかんだ。
「ガエリオ!」
立ち止まらせれば、双眸のアクアマリンがまたたく。図鑑で見せてもらった宝石のような色彩だ。一等うつくしい石はサンタマリアと呼ぶらしい。イオク・クジャン、マクギリス・ファリド――セブンスターズの面々はみな、丹念に磨きあげられた輝石のような姿をしている。
雲の上の公卿を呼び捨てる非礼を承知で、ジュリエッタは長身をあおいだ。くちびるを引き結ぶ。言葉をかけるのは苦手だからと言葉探しを諦めて、猫のようにするりと片腕の中にすべりこんだ。
肩を貸す格好だ。
「……脚が、ふるえていました」
小声で事後報告して歩き出せば、ガエリオは「ああ」と無感動にこたえる。
「きみは、案外力が強いのだな」と、ガエリオは涙声で微笑んだ。
「ラスタル様のため、日々鍛錬を積んでいますから。なんならおんぶしてあげても構いませんよ」
突っぱねれば、かたわらで吐息がさざめいた。かわいげのないジュリエッタにできることは、子鹿のように覚束ない足元を支えてやるくらいだ。
「きみはいずれ、ラスタルも背負うつもりか?」
「当然です。ラスタル様はわたしの恩人、必要とあらば手となり足となりましょう」
「それが、君の強さか……」
ガエリオは黙して、――どうやら歩くことに専念しはじめたらしい。肩にかかる重みを支えながら、ジュリエッタはアリアンロッドの旗艦、エリオン家のスキップジャック級戦艦【フリズスキャルヴ】を目指す。
セブンスターズに縁があれば、火星という僻地に赴任しても『レッド』を着られるという。幹部候補待遇、あるいは幹部となれる。そうでない者はみな『グレー』を着用させられる。地元採用者、コロニー出身者、火星人とのハーフ、あるいは落ちこぼれ――地球の地を踏ませられない者はみんな、軍服も未来もみんな灰色だ。
そうした出自や身分で制服を分ける悪習を、断つ決定をラスタルは下した。火星用の軍服は廃止、今後はすべて『ブルー』の標準服で統一される。火星支部そのものの規模を縮小し、地上基地は放棄して、各植民地の間接統治も行なわない方針だ。制服のカラーによる視覚的区別がなくなれば、火星支部もいずれはアリアンロッドのように平等になるのだろう。
ガエリオが懐かしそうに追想する部下とやらが着用していた、灰色の軍服を絶やして。
「あなたも少しくらい泣けばいいのです。仮面をかぶる必要はもうないのだから」
感傷などないかのように振る舞うのがセブンスターズの大義だとしても、思い入れのある色彩が絶えてしまうなら憂うくらいは許されるべきだ。かつての友を手にかけ、復讐を遂げた男が何を感じているのか、ジュリエッタにはわからないけれど。
変革のときは静かに忍び寄っていて、業腹だが、マクギリスの革命は実を結ぶのだろう。
ジュリエッタが悪魔の首を取ったことで、ギャラルホルンの血統主義は傷つけられた。みずからが
ラスタル・エリオンの私兵として、ギャラルホルンの軍人にふさわしい知識を持てるよう努力してきた。ジュリエッタはだから、歴代セブンスターズの顔ぶれを知っている。
貴族然と柔和で、気品に満ちて、健やかな人々だ。みな清廉な目をしている。その中でただひとり、ファリド家当主となったマクギリス・ファリドだけが、底知れぬ何かを宿した、澄みきっているのに底の見えない、深く深い水面のような目をしていた。
怪物のような、緑色。
どこか魔性めいた美貌は、思えばイオクやガエリオの持つ無垢でまっすぐなうつくしさとは別種のものだった。
マクギリスが死んだと知らされて、改めて背筋凍る思いだ。あの空恐ろしいほど整った顔をした男は、セブンスターズの血縁などではなく火星の生まれであったという。あんな貴族的な美貌が、あの貧困と荒涼の中から生まれ出でたことには恐怖すら覚える。不条理そのものだ。うつくしさを買われ、人身売買業者モンターク商会からイズナリオ・ファリドの稚児として地球に降り、ヴィーンゴールヴの地を踏んだという。
イズナリオ・ファリド公が金髪の美少年たちを囲っていたことは公然の秘密だったが、マクギリスは後継者に据えられるほどの寵愛を得ていた。
そしてファリド家当主となり、ギャラルホルンの変革を成そうとした。
みずからに阿頼耶識システムを搭載した野心、執念。傾城の美男子。――ジュリエッタのかたわらで足元を狂わせる男に、まだあの魔物が取り憑いているのではないかとおそろしくなる。先日ファリド家のハーフビーク級戦艦【ヴァナルガンド】で吶喊をこころみて、ガンダムバエルとともに散ったはずなのに。
脂汗を浮かべるガエリオを引きずるようにジュリエッタは帰路を急ぐ。重力の枷をふりきって、はやく、はやく戻らなければならない。アリアンロッドの旗艦へ、ジュリエッタの恩人が帰りを待っていてくれる場所へ。
でなければ鉄の仮面をとった男は涙の渦に呑み込まれ、今にも溺れてしまいそうだ。
Knavery's plain face is never seen tin used. -- オセロ 2.1.