鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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三日月解釈の『オルガの命令』を果たす元幹部、ライド解釈の『オルガの遺志』を継ぐ元年少組。そして第三勢力、元HD組。
お嬢様はトリックスターになりうるか。


#64 鉄と血の轍

「おれたちがお嬢様の護衛?」

 

 CGSの食堂で、胡乱げに声をあげたのはユージンだった。

 アーブラウ領クリュセ独立自治区首相ノーマン・バーンスタインの娘、クーデリア・藍那・バーンスタインとかいう令嬢が、何だかよくわからないが地球へ行きたいらしい。その道中の護衛を参番組に任せる旨、マルバ・アーケイ社長は隊長のオルガと参謀のビスケットに伝えたというのだ。

 要人警護といえば、いつもなら一軍の連中がへこへこ偉いさんに媚びへつらうさまを横目に見ながら肉の壁として最前線に並べられるのが常だった。

 というのに、お嬢様のエスコートを参番組に一任するとは。

 薬臭いポレンタをかきこんでいたシノが、好色よろしく「お嬢様って、いー匂いするんだろうなぁー!」と夢見心地でうそぶいてみせる。

「なあ!」と同意を求められた三日月は、いつも通りつれない。

「女に飢えてない三日月さんに、ンなこと聞いても無駄っすよ」とダンジが横から代わりに突っぱねた。

 雑貨屋のアトラに思いを寄せられ、本人はビスケットの祖母を『桜ちゃん』と呼んで友人のように慕っているし、三日月ならいっそ女も男もみんな同じ人間なんだし大差ないとか言い出しかねない。他人に興味がないんだろう。それでいて給仕をやらされているタカキの絆創膏に気付いてやれるあたり、女だけでなく弟分にも慕われる性質らしい。

 女顔だからという何とも勝手な理由で給仕役を押し付けられているタカキは、働き者だからか、骨格が華奢なままだからなのか、背が伸びたらお役御免になったユージンと違って給仕の任を解かれる気配はないようだった。

 しかし先月入ってきたばかりのライドに並ぶと不自然なくらいに伸びやかな長身を見ると、一気に食欲が失せた。

 

「でもあれだな。社長もよォ、口だけの社員様より、結局はおれらの力を認めてるってことなんじゃねえの? で、これをきっかけによ……社員のやつら出し抜いて、おれらが一軍になって――!」

 

「いくらマルバの親父が耄碌したって、使い捨ての駒ぐれえにしか思ってねえおれらを認めるワケねーだろう」

 

 オルガはあっさりとユージンの野心を打ち砕いて、スプーンをもてあそぶ。コツンとボウルのふちを叩くと、無感動に嘆息した。

 

「おい……おれら参番組隊長のお前がそんなだから、いつまで経ってもこんな扱いなんじゃねえのか!」

 

 突っかかると、ビスケットが「やめなよ」と血の気の多いユージンをたしなめる。栄養剤が大量に混ぜ込まれたコーンミールのおかげで縦に縦に伸びていく参番組で、ひとりだけ横にふっくらしてしまったのが彼だった。

 

「うっせぇビスケット、てめえは黙ってろ! だいたいてめぇ――っ」

 

「喧嘩か? ユージン」

 

 そんな中、縦にも横にも伸びないままの狂犬がユージンの耳たぶを容赦なくつかんだ。こいつは、馬鹿みたいに力が強いのだ。もぎ取らんばかりに引っ張っていた手をオルガのフォローですんなりと離す、――三日月・オーガス。

 鉄華団団長オルガ・イツカの語る夢の果てまで最前線を駆け続けた、ガンダムバルバトスのパイロットだ。

 懐かしい記憶である。何気ない思い出の一ページを、不思議と昨日のことのように思い出せる。

 あの日のユージンは外の世界を知らなかった。

 ユージン・セブンスターク、十七歳。職業は傭兵。非正規雇用。阿頼耶識のヒゲは一本。運よく生き残って生き延びているだけの、どこにでもいる宇宙ネズミのひとりだった。

 当時の参番組で火星の独立運動についてまともな知識を有していたのはビスケット・グリフォンくらいだろう。

 市街地ならまだしも郊外にまで独立を叫ぶ声は響いてこないし、エイハブ・リアクターで自家発電しているCGS基地に電波は一切入らない。社長室のモニタでもなければテレビの類いは映らないのだ。手に入る情報には限りがあった。

 そういうわけで、当時のクリュセに独立の気運が高まっていたとユージンが知ったのは、ずいぶんと遅馳せだがクーデリアを地球に送り届け、火星に凱旋したあとのことだ。

 革命の乙女は火星に経済的独立の種を持ち帰り、護衛役を見事つとめあげた鉄華団は一躍英雄となった。そのときはじめて自分たちが成し遂げたことの重大さを知った。

 道中で得たテイワズという後ろ盾、ギャラルホルンに一泡吹かせたというネームバリューもあいまって、鉄華団はCGSの比ではない急成長企業として大きく花開いていく。

 団長、副団長、戦闘部隊、整備部隊、補給部隊――など指揮系統を築く過程では、日夜オルガとメリビットが言い争う声が耐えなかった。

 医者を優先的に雇うべきだ、看護師も事務方も圧倒的に足りていないとテイワズから派遣されてきた才媛メリビット・ステープルトンは主張した。まったくもって正論である。スラムの孤児たちがわんさと集まってくるのだから読み書きを教える教師も雇うようにと提言する彼女はたびたび、後方支援とは兵站業務ばかりではないのだと、戦闘職の下っ端をこれ以上増やすなと釘を刺した。

 そのたびオルガは行き場のない連中は全員迎え入れると言って聞かないものだから、毎度ひどく揉めるのだ。

 医師、事務員、教師や弁護士の募集は当然かけていたし、給料だって相場以上に設定していた。

 火星ではかなり払いのいい部類だろうに『報酬は仕事内容で決める』『全員一律正規雇用』という方針をオルガが覆さないせいで、年長者ほど苦い顔で背を向けてしまう。

 どうしても必要なのだから優遇すべきだとメリビットが説いてもオルガは頑として、大人だろうが子供だろうが、大卒だろうが独学だろうが同じ仕事をする以上は給与形態も同じでなければ『筋』が通らねぇと譲らない。

 ただでさえ子供は手足が短く体重が軽く、職業選択の余地がないのだ。やっと得られた仕事でさえ年齢で区別されるのではCGSと変わらない。就学経験や免許にはちゃんと資格給をつけているのだ、それ以上の便宜を図るのは公平を欠く。

 

「ガキと同じ手取りじゃやってられねーなんてヤツは鉄華団にはいらねえ」とまでのたまった。

 

 呆れ返った医者に去られ、事務員には背を向けられ――、苦笑するデクスターに恐縮しきって頭を下げつつも、オルガがあまりにも真摯に思い詰めるものだから、メリビットもいつしか諦めていた。

 長いものに巻かれることをよしとせず、懐に入れた相手にはとことん甘い。リスクを回避するためには大人よりも低い扱いに甘んじなければならないこともあるだなんて、苦い現実を受け入れさせることができかねたのだろう。

 生真面目で不器用だった鉄華団団長を思い返して、ユージンは何度でも後悔を数えた。

 常にリーダー然と粋がっていたオルガが日に日に追いつめられていっても、ユージンは見ていただけだったのだ。『悩む』という仕事を選んだのはオルガ自身なのだから、悩ませておけばいいとシノが言うから……という都合のいい言い訳に飛びついてばかり、ユージンは発破をかけるくらいしかしなかった。

 頭を抱えて縮こまっているオルガを正視することが、ことのほか堪えたせいだった。

 だってそうだろう、絶対に見返してやると息巻いていた相手が情けなく弱っている姿など見たくない。力強く響くはずの声が迷いぶれるたび、自分勝手を承知で愕然とした。

 だがビスケットのように支えてやろうにもユージンは先を見通す力に欠ける。頭脳労働も得意ではない。

 シノも、チャドも、指揮官を経験した仲間たちがリーダーなど向いていないと前線に走り出ていく中でひとり、艦長席に踏ん張り続けるだけで精一杯だった。

 そして鉄華団は、革命の煽りを食らって呆気なく潰えた。

 ギャラルホルン最大最強の艦隊アリアンロッドが相手ではしょうがない。圧倒的軍事力の勝利だった。

 本部基地を爆破して地球へと逃れ、亡命先のアーブラウで同姓同名の別人になった。クーデリア・藍那・バーンスタイン連合議長様の護衛の任に就いて、――今に至る。

 黒いセダンの運転席、ステアリングを強く握ってアクセルを踏む。ダークスモークの貼られた窓の向こうに流れていく市街を横目に、ユージンは今になって戻らない過去のことなど追想している。

 追いかけているのが十七歳になったエンビだというのだから、まったく何の因果だろう。

 

 ――仕事を果たせ、副団長。

 

 三日月の静かな恫喝が、今も耳に残っている。リフレインする。いつの間にかエンビに受け継がれていた狂犬の銃口を突きつけるように、何度も何度でも。

 ユージン・セブンスタークの価値基準は()()()()()()()()()()だったのだと、今さら自覚した。

 誰かの指示を待ってばかりいた。誰と戦うのかも。どんな戦いをするのかも。CGS時代からずっと。自分自身の頭でゴールを思い描いたことなど何もなかった。

 社長に認められることこそ地位の向上だと、一軍に取って代わることこそ居場所の確保だろうと、無意識のうちに誰かの下で生きる道を選んでしまっていた。オルガが大人しくしているから隊長のくせにと八つ当たりじみた反抗心を剥き出せたが、社長や正社員の前ではそんなこと、口が裂けても言えなかった。

 新たな居場所を勝ち取るよりも、現状を維持しようとしてしまう。生活を守るために長いものに巻かれる、そういう器用な立ち振る舞いを無意識が勝手になぞりだす。

 三日月はだから、ユージンを逃がしたのだ。

 残された仲間を生かせという最後の命令を押し付けるのに、こうも都合のいい()()()()()の後任は他にいない。

 

(そういうことかよ、三日月の野郎……ッ!)

 

 みんなで馬鹿笑いがしたいとオルガが言うから、だから長いものに巻かれてでも()()()を生かせるお前が生きて、オルガの望みをおれの代わりに叶えろと。()()()()()のは十八番だろうと。

 あいつらのそういうところが嫌いだった。ずっと気に食わなかった。生真面目で不器用で、まっすぐで、変に潔くて曲がらないところがまぶしかった。

 鋭く舌打ちを鳴らしても、ユージンの足はあくまでも冷静にアクセルペダルを踏んでいる。無茶ができない性分なのだ。

 昨日までの雨に濡れた路面が、ふたたび泥に汚れるセダンを見送る。

 

 

 

 

 

 

 交通量の少ない道を見繕って、大型二輪が加速する。

 ヘルメットのバイザーを開けると、エンビは強風にかき消されないように声を張り上げた。

 

「……イーサンは、どうしてここに……!!」

 

 半ば叫ぶように問いかけると、耳元に内臓されていたらしいスピーカーがザザザと鼓膜を引っ掻いた。突き抜けてきた雑音に思わず顔をしかめる。

 擦れるようなノイズが晴れた聴覚に戦友の声がクリアに届いた。バイザーを閉じれば風の妨害も落ち着く。

 

『ちょうど近くまで来てたんだよ。エーコさんの護衛で』

 

『それって買い物の荷物持ち……』

 

『……お前、誰の足で逃げてるかわかってんのか?』

 

 不意の減速で威圧してみせればエンビは素直に押し黙る。

 どうせ免許持ってるならバイクにしようよ、と言い出したのは当のエーコである。土地勘のある操縦士が裏道から回ったほうが手っ取り早いのは宇宙でも地上でも変わらない。ここ数年でクリュセの交通量が増えたから、二輪でショートカットを使おうという心算だろう。荷物持ちというよりは、虫除けを兼ねた地元運転手だ。

 

『大型二輪の免許なんていつの間にとってたんだよ……』

 

『解禁されてすぐ』

 

 解禁。……と言うと多少の格好はつくが、要はペダルに足が届くようになったとき、という意味なので、エンビは何とも言えない顔になった。

 火星における車両免許の年齢制限はあってないようなものだったが、操縦技能以前に両手足の長さはあまりにもシビアだった。基準の年齢を満たしていたって身長が足りないと弾かれてしまうし、 MW(モビルワーカー)だって単独でハッチを持ち上げる腕力がないうちは年長者の監督が必須とされる。

 取れる資格は取れるときに取れるだけ全部という信条のもと、成長期が待ち遠しくてたまらなかった子供時代。

 亡命先のアーブラウでIDを改竄して火星に帰ってきたエンビたちは次々『解禁』を迎えたが、足が届くようになったら欲しいと思っていた免許を取得するモチベーションが続いたかというとそうではなかった。

 言葉を継げないエンビには見えないところで、イーサンは口角を釣り上げる。

 

『シラヌイは誰が動かしてたか忘れたのか? 常駐クルーが無免じゃ格好つかねーだろ』

 

 そもそも【雷電隊】が輸送船の救助や海賊船の摘発を視野に入れられたのは、違法な手段を使っていなかったからだ。ガンダムフレーム・エリゴルを駆ったライドはもちろん、小型船シラヌイのブリッジクルーだって無資格ではない。

 MS(モビルスーツ)に乗って戦う力はなくても足にはなれる。強襲装甲艦だろうがクルーザーだろうが大小を問わず、おれがいる、おれを使えと言えるだけの力を持っておきたくて、宇宙・地上の交通手段は二種までありったけ取得していた。

 

「資格とるの趣味なの?」「……って言われそうだね」と同じ中学校に通うウタが苦笑したのは、まだ声変わりもしていないころだ。

 

 そんなおれたちだからライドは声をかけてくれたんだろ――とイーサンは内心で過去の相棒に応じる。

 クーデリアの私兵団には属さずフリーランスで短期の仕事を点々としていたライドから直々に打診があったときは、ただ誇らしかった。オルガ・イツカの復讐に、鉄華団の再興にふさわしいメンバーとして選ばれたも同然だからだ。

 

『バイクも取るって言い出したのはウタだけどな。あいつ、MSに乗れなかったのが相当悔しかったらしくて』

 

 それはお前もだろう、とエンビは言わなかったが、地球ではそのことでひどい喧嘩をした間柄である。イーサンは図らずも重くなってしまった空気を吹き飛ばすように、軽口めかして笑った。

 

『次はウタの後ろ乗っけてもらえよ。あいつ大人しそうな顔してブッ飛ばしやがるから、スカッとするんじゃねえの』

 

 大人しそうな顔も何も、ウタは穏やかな性格だが。かつてイサリビの操艦手を任せられていただけあって彼の操縦のテクニックが優れていることはエンビもよく知っている。シラヌイだってウタの手腕があったからダインスレイヴの雨の中から生きて逃れることができたのだろう。

 常に仲間たちの命を預かってきた操舵クルーたちだから、操艦手たちは柔和で思慮深く、砲撃手たちは血の気が多く苛烈に育つのかもしれない。

 卵が先だか鶏が先だか、戦闘職と兵站部隊とを行き来していたエンビにはわからないけれど。

 

『今は、なんで火星に?』

 

『言ってなかったっけ。おれ、スティングレーに乗ることになったんだよ』

 

『スティングレー? って、アジーさんの船だろ? タービンズ……じゃなくてテイワズの、女ばっかりの』

 

『陸に降りるなら男手も必要になるからな』

 

 コロニーと違って、と短く付け加えられた言葉にエンビは目をまたたかせた。木星に行くのかと察する。

 広い世界を見に行くのだ。

 

『……こんなこと、してていいのか?』

 

『よくはないけど……あとでエーコさんに怒られるだろうけど』

 

 気まずそうにあさっての方向を見たのだろう。エンビもつられて目を配れば、路地への侵入を防ぐ規制線が張られはじめている。

 クーデリアの私兵団だろう。セダンとSUVが混在する二台編成×3。助手席の窓からランプを乗せたパトロール隊は実によく統率がとれており、鉄華団が現役だったころの指揮系統が生きていることを物語る。

 警察組織を編成できるだけの教育機関が整備されていないクリュセにおいて、鉄華団の元団員たちは都合のいい手駒だ。戦闘力が自慢だった少年兵たちは戦いを特技ととらえているし、無用な犠牲を生まないために命令違反を必要以上に懸念・忌避する傾向にある。鉄華団という居場所、家族の名前に傷をつけたくない一心で集う、従順で無欲な兵隊たち。

 だから実質的な治安維持部隊が務まる。

 バックミラーを一瞥すれば、追尾組らしきセダン。その背後では、SUVの天井窓から身を乗り出す姿が確認できた。ごついフォルムからして小回りは利かないだろうが馬力があり、昨日までの雨で濡れた路面では二輪が不利だ。

 三脚に設置されたライフルからしてノンリーサルのゴム弾なり催涙弾なり撃ってくるつもりだろう。

 こちら側の武装はエンビの拳銃のみ。交通規制がかかり、人の気配は消えているとはいえ街中で実弾など発砲できない。

 ふと、お誂え向きに塞がれていない路地を視界にとらえるが、……いずれも行き止まりだ。土地勘がなければ危うく誘い込まれてしまうところだった。

 まずは大通りから大通りを渡るように迂回して、交通規制が及んでいない裏路地に逃げ込んで逃走が安牌か。

 監視カメラで追跡されてても、機動力で振り切れば四輪では追いついては来られない。

 

『飛ばすぞ!』

 

 

 

 

 #064 鉄と血の轍

 

 

 

 

 マグカップを並べて、ざらりと顆粒を注ぎ入れる。一旦スプーンを置くとやかんをとって、熱湯が跳ねないように慎重に傾けた。

 コーヒーの芳香がふわり、地下サーバールームに香ばしく漂う。三つのカップをトレーに乗せると、デルマは両手で慎重に持ち上げた。コーヒーの木は赤道付近の山岳で育つ植物なので、地球圏北部に位置するアーブラウや土壌の貧しい火星では栽培が難しい。インスタントといえど、それなりに贅沢な嗜好品だ。

 

「どうぞ」と客人たちに差し出す。

 

 短く礼を述べたチャドはトレーごと受け取って、お前もそこへ座れと言外に示した。ソファの隣をすすめる。慣れた手つきでローテーブルにマグカップを移すと、テーブル裏にトレーをしまった。デルマがもの言いたげにくちびるを引き結ぶ。

 怪我人はじっとしていろと言いたいのだろう。そっくり同じ言葉を飲み込んで、クーデリアは「ありがとうございます」とふたりともに微笑した。

 働いているほうが落ち着くのだろうと察したからだ。かすめた程度の銃槍はどちらも浅く、さいわい筋や骨に異常はないようだった。動けるから動きたいというなら尊重したい。

 掃除のためにとオフィスを開け、今は桜農園の敷地内にある孤児院の地下に匿われている。

 アドモス商会と鉄華団が協力しあって建設した孤児院のひとつだ。その地下倉庫を改装したサーバールームが、今はクリュセの防犯システムを一手に担っている。

 奥まった場所でモニタに向き合いながら、ダンテがおーい、と手をあげた。

 

「デルマー、おれにもコーヒーくれー!」

 

「機械のそばに水モノはだめなんじゃなかったのかー?」

 

「今は手が離せねえんだよぉ!」

 

 ぎゃんと吠えたサーバールームの番人は、弱りきって眉尻を落とす。

 

「つうか、エンビってこんな手がかかるやつだったか?」

 

 惰性で撫でつけた赤毛をかいて、エプロン姿のままコンソールを弾くダンテは納得のいかない顔で首を傾げた。

 古い記憶だが、エンビは年少組の中でも大人しくて聞き分けのいいイメージがあった。

 負けん気の強いトロウに比べれば物わかりがよく利発で、慎重なヒルメに比べれば要領がよく快活な子供だった。

 双子に兄だの弟だのという意識があるのかどうかは当事者のみぞ知るところだとしても、おそらく器用で立ち回りのうまいエンビが兄貴で、やんちゃで社交的なエルガーが弟だったのだろう。

 

「確かに……」とデルマが同意する。

 

 デルマが振り返るエンビはシラヌイのムードメーカーだ。陽気で人懐っこく、軽口を叩いて場を和ませてくれる。オペレーターとしてブリッジに詰めながらもシフトの空き時間を使って補給、積み荷の管理、筋トレをするなど、何かとよく動くやつだった。コミュニケーションの円滑化もエンビが一手に担っていたし、一言で表すなら『働き者』がしっくりくる。

 それが妙にひっかかる。

 

「エンビは……誰かのために生きてるようなとこがあった気がする」

 

 その()()とは、デルマの勘に間違いがなければエルガーだ。あるいは、鉄華団。過去に置き去りにしてきた仲間のために、生き伸びなければと必死に前を向いている。そんなふうに見えた。

 器用なのは間違いないのだろうが、常に誰かの真似をするせいで『エンビ』とはどういう少年だったのかがまるで印象に残っていない。エルガーという鏡を失って迷走し、兄貴分を指標にアイデンティティを再構築している最中だったにしても、小型船の狭いブリッジで寝起きしていた数ヶ月間絶えず演技していたのかと思うとぞっとしない。

 一度ひどく激昂してイーサンと殴り合っていた、あれはエンビの()だったのだろうかと考えてデルマは首を振った。それならなおさらチャドを撃つのはおかしい。

 激しい一面を剥き出しにしても自分から仲間を傷つけることはなかったエンビだ。MS乗りとして砲撃手として、計画を知らされずいたエンビと伝えられなかったイーサンが衝突するのはあくまで対等な揉め事だった。

 連中はみんな仲間思いで義に厚い。年長者であるチャドを一方的に責めるような銃撃なんて、チャドが負傷している姿を見てもまだ信じられない。

 ただ――と、デルマは独り言めいてこぼす。

 

「おれたちにとって()()は変えようがないものだけど、あいつらにとってはそうじゃなかった」

 

「デブリ根性が抜けてないってか?」

 

 カップを受け取ったダンテがからからと笑う。茶化すわけでもなく鷹揚に受け流してしまうあたりがダンテの強みだ。

 チャドはやっと、ふうと懐かしく嘆息した。

 

「オルガもそうだったよな。居場所がないなら作っちまえってさ」

 

 久しぶりに呼吸をしたような心地で、チャドはコーヒーのまるい水面を見つめる。

 生きる世界がここにはない、だったら探せばいい。それでだめならおれたちで作ってしまえばいい。ここで仲間を無駄に死なせるくらいなら、あがいてやろうじゃねえか――そんな途方もない夢を語ったオルガの声は、天啓のように人を惹きつけた。子供たちは夢物語の続きをねだるように、彼の背中を追いかけた。

 オルガには、誰にも見えていない()()を見通し、共有させる力があった。

 おれたちにも『居場所』が存在していいのだと、おれたちは『家族』なのだと夢を見せてくれた。

 ああとダンテが首肯する。チャドが目を細める。鉄華団の春を懐かしむ家族の感傷は、どうしてかひどく無感動だ。クーデリアはいくばくかの距離を感じて、目を伏せた。アメジストが憂いに翳る。

 同じ鉄華団の仲間でも、年齢や立場が価値観の違いを形成していたのだろう。幹部と年少の子供たちでは生きた環境が大きく異なる。

 オルガを亡くし、三日月を失って、時間の経過とともに『元』あった姿に逆行しているのかもしれないと、クーデリアは乾いた血液で染まった袖口を握りしめた。

 

「そういえば昔、タカキもそんなことを言っていました」

 

 ――おれたちがまだCGSの参番組だったころ……三日月さんが一軍のやつらを銃で撃ったあの日から、

 

 

 ――おれたちのすべては変わった。

 

 

 鉄華団地球支部が引きずられるように参加した、アーブラウ・SAU間での国境紛争。その終結ののちに裏切り者を粛清したタカキは、変化を強く願ったのだろう。

 テイワズから派遣され、ガラン・モッサなる傭兵に鉄華団を売り渡したラディーチェ・リロト。地球支部の一員の話によれば、タカキはラディーチェもまた家族の一員なのだと、団員たちに繰り返し諭していたのだそうだ。

 何も変えられなかったことへの戸惑いに、あの日の彼は打ちひしがれていたけれど。

 

「その手に世界を変える力があることを、彼らは知っていたんですね」

 

「まさか。そんな大それた力、おれたちには……」

 

 チャド、と穏やかに呼びかけることで制してクーデリアは身を乗り出す。白い指先をそっと、チャドの大きな手に重ねた。

 

「大それた力なんかじゃないわ。明日を変えることは、誰にだってできるの。世界も、仕事も、役割も、誰かから与えられるものではないのよ」

 

 誰かの手で並べられた選択肢の中から選ぶばかりが人生ではない。環境を変えることは大それた革命などではない。

 より良い未来を望み、希望を持つこと。みずから行動を起こすこと。小さな選択の積み重ねが、いつか世界を変えるのだ。

 

「……言葉って難しいな」

 

 不可解な諫言にチャドは眉根を寄せ、肩をすくめた。

 温和で人当たりがよく、地球に関する知識を有していたこともあって地球支部のリーダーを任されていたチャドだが、その実、生きるための手段や場所を欲しがることすら知らないままだ。

 マイクロチップによって膨大な知識を有するチャドやダンテは、未知に触れる機会が圧倒的に少ない。植え付けられたチップが破損しない限り、忘れることもなく、思い出す必要もないせいだ。

 身の丈に合わないほどの知識量、そしてヒューマンデブリという境遇が、彼らから『思考』を奪ってしまったのだろう。

 外科手術によって記憶は急激な成長をうながされ、心身とは乖離して大人になった。その反動は漸進的に彼らの人格形成にひずみを生じさせていた。ダンテが目の前のものを額面通りに受け止めてしまったり、チャドが他者の機微に疎かったり――、気付く機会はいくらでもあったのにと、クーデリアは忸怩たる思いで長いまつげを伏せた。

 元ヒューマンデブリという共通点を持っていても、それぞれ異なるバックボーンを持っている。

 

「こんなこと、おれが言うのも変かもしれないけど……」

 

 デルマが端切れ悪く独り言ち、口をつぐんだ。

 

「なんだ」とダンテが背中を叩く。

 

 恨みがましい目をダンテに向けつつも、デルマはチャドに向き直った。

 チャドの言い分はよくわかる、デルマにはより馴染み深い感覚だ。だがシラヌイに乗艦し、ライドたちに同行したデルマにとってはエンビの憤りも他人事ではない。

 

「そうまでして生き抜かなくてもよかったって言われたから、エンビは怒ったんだと思う」

 

 鉄華団が過去にされていく世界に彼らの居場所はどこにもなくて、呼吸を取り戻したくてもがいていた日々を『危険な真似』で済まされたらエンビが激昂するのも無理はない。

 彼らなりに前を向き、建設的に計画を練った上での、復讐のためだけではない旅だった。ライドは見事本懐を遂げ、テロリストとしての罪をひとりで背負って持っていった。その死をもって、生き残った家族を無事故郷に送り返してみせたのだ。

 鉄華団を語り継ぎ、鉄華団の一員として生きていく未来を勝ち取るために戦った。

 確かに《光》を目指して進んでいたのに、たどり着いて火星に帰ってきたら「そっちは『前』じゃなかった」「これからは本当の『前』を向いて生きていけ」と言わんばかりの歓迎を受けたのであれば、……さすがにエンビが哀れだろう。

 長いものに巻かれる生き方を決して許さなかった、オルガ・イツカの子供たちだ。

 あの日の少年たちは、鉄華団という家族に育まれ、オルガや三日月、ユージン、シノたちを指標に大きくなった。

 

「そうね。勝ち取りたい未来と失いたくない過去のために力を尽くす……それは、とても素晴らしいことだわ」

 

 肯定を述べるクーデリアのひとみは、しかし物憂げに曇る。

 

「でも、……あなたたちがそんなことをする必要はないと、思ってしまうの」

 

 そしてきっと伝えてしまう。もしかしたらチャドではなくクーデリアが彼らの戦いを『そんなこと』と呼ばわって、エンビを傷つけてしまっていたかもしれない。

 傲慢だなんて百も承知で、それでも彼らが戦わなくていい世界であってほしいと願ってきた。

 クーデリアの立場から発される言葉は、これまでの火星情勢を振り返ればただの綺麗事でしかない。帰る場所を持つ者が何を言ったところで言葉は無為に上滑りしてしまう。

 たとえ傭兵の真似事をしたって娼婦の真似事をしたって、生きるために体を張っている当事者たちへの侮辱にあたる。

 

「わたしはアーブラウ領クリュセ独立自治区首相ノーマン・バーンスタインの娘として生まれた……、そこには家人だけでは食べきれないくらいのパンがあったの。たくさんあるのに誰にも分けようとしないのは、とても無責任なことよ」

 

 たとえ話だ。パンでも水でも、ベッドでもいい。貧困の中で保護者を失い、大人の庇護下にいられない幼子たちが命を落としていく火星にあって、クーデリアは資産階級に生まれた。

 立場だって資産だってクーデリア自身が望んで得たものではないけれど、望む望まぬに関係なく、そこにはパンが――人々を死から救えるだけの()があるのだ。

 

「わずかしかないパンを分け合おうとする姿を黙って見過ごすことも、同じくらい無責任だってわたしは思うの」

 

 だからクーデリアは立ち上がった。そのはずだった。食べ物や寝る場所を無償で分け与えることも、有償化して経済に寄与することもできる立場だ。市民を生かすことも殺すこともできる。なのに地球と縁深いバーンスタイン家は、クリュセの行政を預かっていながら子供たちを見殺しにしてきた。

 果たされなかった責任に報いるために発ちあげたのがアドモス商会だ。

 

 アーブラウが植民地の暫定自治権を認めたのが、PD二〇五年。その当時からバーンスタイン家がクリュセ独立自治区を治めてきた。

 首相の娘であるクーデリアは、首相官邸という豪邸の中で生まれ育った。

 幼いころ、屋敷の外の世界について教えてほしいとクーデリアがいくらせがんでも、家人はみな曖昧に笑って口を閉ざした。

 クーデリアはだから、両親や家庭教師たちが濁し、逃げ、答えようとしない質問にも丁寧に応じてくれるフミタンに全幅の信頼を寄せた。

 いつか〈革命の乙女〉として祭り上げ、紛争の火種として武器の需要を産み出すためにノブリス・ゴルドンが差し向けた間者だとも知らずに。

 正義感の強いクーデリアは好奇心旺盛で、さまざまな問題に興味を持った。

 知りたい、知ればもっと理解したいという向学心は、やがて思想家アリウム・ギョウジャン氏によって利用され、〈ノアキスの七月会議〉に登壇し、独立運動の旗頭となった。

 

 そうすることで不当に搾取されている火星の民を救えると、おろかにも信じていた。

 

 火星の経済的独立を目指し、開拓時代に結ばれた不利な協定によって貧困に喘ぐ火星の現状を蒔苗・東護ノ介代表に直訴するため、地球へ向かったはずだった。

 ところが、知らないうちにCGS社長マルバ・アーケイに売り払われ、武器商人ノブリス・ゴルドンの賄賂に目がくらんだギャラルホルン火星支部長コーラル・コンラッドに命を狙われ、火種として利用され続けた。

 ドルトコロニーでの惨劇を、思い返せば今も指先が冷たくなる。

 働くためだけに生かされている植民地の民は、まともな教育を受けていない。より良い未来を勝ち得るために何をすればいいのかも知らないのだ。

 しあわせになる方法すらわからない無辜の民に、ノブリス・ゴルドンは〈革命の乙女〉による援助と偽って武器を卸した。武装蜂起をうながした。

 これが自由を手に入れる力なのだと労働者たちは奮起し、希望を求めて行動を起こした。

 

 虐殺の砲火が、そして彼らを焼き払った。

 

 一連の事件でクーデリアは姉のように慕っていたフミタンを失い、みずからの一挙手一投足が殺戮の口実を呼び寄せることを自覚せざるをえなくなった。

 亡命中の蒔苗東護ノ介氏を護衛・移送し、ギャラルホルンに一泡ふかせた鉄華団が『少年兵集団』と報道されたために全宇宙のPMCが子供を採用しはじめ、ヒューマンデブリは増加。クーデリアの行動は、フェアトレードを実現し火星経済に寄与すると同時に、力なき子供たちを拐かして売買する略奪者までも勢い付かせてしまった。

 物事には、表と裏がある。何をすべきか、何をなすべきなのか、クーデリアは立ち止まって考えることを余儀なくされた。

 次は誰に命を狙われ、いつ暗殺されるかもわからない。――それなら。

 インフラの整備が最優先だと、結論を出すまでにそう時間はかからなかった。

 思想は捨てた。言葉で革命を訴えるよりもやるべきことがあると決意したクーデリアには、これまで抱いてきた理想が机上の空論にうつった。

 孤児をこれ以上増やさないためのセーフティネットを整備する必要がある。長期戦になるが、孤児院を建て、学校を作り教師を雇って、幼い子供たちが危険な仕事に就かずとも生きられる基盤を作らなければ、現状を打開することはできない。

 地球経済圏の労働力としてしか生きてこなかった火星市民の多くは就学経験がなく、その多くが社会保障もなしにハイリスクな低賃金労働に従事する。工場労働者は過労により、傭兵は肉の壁として、娼婦は望まない妊娠出産に耐えられず、我が子を置いて世を去っていく。

 そんな社会を作ったのは地球圏との不利な取り引きだったかもしれない。治安維持組織であるギャラルホルンの職務怠慢だったかもしれない。

 

 しかし、一二〇年にもわたってクリュセ独立自治区を収めてきたのはバーンスタイン首相一家だ。

 

 食べ物も眠る場所もろくに得られない貧困のただ中で、小さなパンくずを共有しあって強くたくましく生きる少年兵たちの姿は、資産階級が富を分配し、統治者としてのつとめを果たしていれば存在しなかったはず。

 彼らは『子供たちが不当に搾取されない世界』には決して芽吹くはずのない花だった。

 世界のひずみの中で三日月は育ち、鉄華団という家族はギャラルホルンの腐敗、経済圏による搾取、そして独立自治政府の無能が作り出した澱の中で産声をあげた。

 戦わなければ日々の糧すら手に入らない少年兵たち。

 彼らが生まれてこない世界を作るためにクーデリアは戦う。死の商人の汚れた金であろうと、借金を重ねてでも、一二〇年重ね続けた負債を清算するために。

 

 掲げた目標は、しかしクーデリアの恋心とは共存できない。

 鉄華団という家族を育んだシステムを見直し、愛した男が生まれてこない世界を実現しようとしているのだ。

 それは三日月を蔑ろにすることではないだろうか。彼らの生き方に失礼のない敬意を、わたしは払えているだろうか。

 あなたを愛しているなんて、そんな資格は――。

 自責に沈むたび、ただクーデリアに寄り添おうとするアトラは、自身の無知を承知で、それでも一生懸命クーデリアを肯定した。頑張ることは無駄ではないのだと。ひとを愛する心はどんなものであれ尊いはずなのだと。

 暁の存在は救済だった。戦いのない世界に育つ苗を育てる『約束』を、三日月はクーデリアに残してくれた。

 家族が命を散らしていく一方でクーデリアの静かな戦いは着々と実を結び、鉄華団壊滅後の火星で残党たちに仕事を斡旋できた。学校教育を受けさせる準備を整えることもできた。

 いつか大人になる彼らの未来に希望を。子供たちが文字を学び、世界を知って、みずからの選択で生きていける社会を。クーデリアが掲げた目標は、実現されつつある。

 オルガ・イツカが語り、三日月・オーガスが叶えようとした『居場所』を作るためにライド・マッスが戦った。

 保護ではなく掃討という手段で『不当に搾取される子供たちのいない世界』を実現しようとしたラスタル・エリオン公は失脚。火星連合議長に在任するクーデリアは、ギャラルホルンの軍事力を恐れることなく、火星の平和と安寧を願えるようになった。長期戦なら覚悟の上だ。

 命のバトンをつないでいく。

 そのために、クーデリア・藍那・バーンスタインは理知的な双眸に光を宿す。

 

「わたしは彼らの力になりたい……。三日月との約束を、果たしてみせます」

 

 実業家として政治家として、あのときは、間に合わなかったから。




【次回予告】

 ……オルガ。お前が残した最後の命令、おれたちはみんなちょっとずつ、勘違いしてたみたいなんだ。でも、ようやくわかったよ。

 次回、鉄血のオルフェンズ遠郷、後編『彼らの故郷』。

 たどり着きたかった場所は、ここにあったんだな。

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