鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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孤児たちは、彼らの居場所のために戦うことを決意した。


#62 徒花 /完

 陽光が翳る。逆光によって黒く塗りつぶされた蝶がシャトルから飛び降りるさまをみとめて、ライドはくちびるに薄い笑みを乗せた。

 

 ――来たか。

 

 エメラルドグリーンの双眸を剣呑に眇める。天空からはアリアンロッドカラーの新型が、シールドユニットを足場にはらり、ひらりと舞い落ちてくる。

 女騎士の乗騎は適当な高度で飛行用のユニットを蹴るとブースターをふかして浮き上がり、土煙を巻き上げながら緩慢に着地した。クロー状の足裏がスラスターの噴射をやめ、地面をつかむ。

 足場にしていたシールドがいくらか離れた場所に墜落し、轟音を響かせた。

 

『レギンレイズ、ジュリエッタ。――ラスタル様のため、ギャラルホルン代表として参上しました』

 

 静まろうとする土煙の中からレギンレイズのモノアイがぎらりとライドをとらえる。

 そして抜き放つのは悪魔を討った革命の剣だ。死闘の末にガンダム・バルバトスルプスレクスの首級をあげたレギンレイズ・ジュリアの大剣。忌まわしい剣が陽光を受けてきらめくさまに、ライドの眼光もまた暗く鋭く研ぎすまされる。

 不自然なまでにぼろぼろになったバルバトスの首を切って晒した胸糞悪いワンシーンはギャラルホルンの権威を象徴するプロパガンダとして全宇宙に喧伝されたから、嫌でも記憶に焼き付いている。

 

『ガンダム・エリゴル。ライド・マッスだ』

 

 短く応じて、ハルバードを肩にかつぐ。

 うつくしく磨き上げられたレギンレイズ・ジュリエッタと対峙すれば、悪魔の名を冠するガンダム・エリゴルの姿はいかにも粗暴で野生的である。トリコロールカラーの装甲は傷だらけで、左腕の欠損を覆う赤い外套が戦場を吹き抜ける風にはためく。

 決闘のシンボルをたなびかせ、エメラルドグリーンが凶暴な光を帯びた。

 

『あんたが出てくると思ってたぜ、革命の女騎士』

 

 痛烈な皮肉にジュリエッタは思わず柳眉をゆがめたが、わかりやすい挑発に乗るほど短絡的ではない。

 鉄華団残党ならばバルバトスを倒したのがジュリエッタではないことくらい察しているだろう。基地殲滅作戦にダインスレイヴが使用されたことも。

 凛々しき女騎士と持ち上げられようとジュリエッタは、単騎でバルバトスを討ち取るどころか、アミダ・アルカという女傭兵の駆る量産機にすら遠く及ばなかった。そのことを誰にも打ち明けられず、今日までずっと抱えてきた。

 わたしがこの手で終わらせてみせる。

 養父ラスタルの温情を受け入れるため、雪辱を晴らすためだけではない大きな意味がこの決戦にはある。

 

『――いざ、参ります!』

 

 高らかな宣言とともに、加速をかけたのは両機同時だった。

 スラスターが仄青く発光し、大気を引き裂く衝撃波を千切れ飛ぶ草葉が可視化する。暴発する風の唸りをかき消さんばかりに、かまいたちが高く咆哮する。

 レギンレイズの最新型発展機〈レギンレイズ・ジュリエッタ〉は、六年前にロールアウトしたレギンレイズフレームにエイハブ・リアクターを追加搭載して実現された厄祭戦後初のツインリアクター機だ。超高機動型設計を誇示するかのように双肩、腰部、脚部両脇を覆うサイドスカート状シールドの内部にまで大型のブースターを備え、ギャラルホルン随一の機動性は伊達ではない。

 リアクター出力はほぼ互角。総合的に見れば三百年前の骨董品を改修したガンダム・エリゴルより、最新鋭の技術を結集したレギンレイズ・ジュリエッタが当然上だ。

 疾風の速さで振り上げられた切っ先は高硬度レアアロイ製、フレームをも貫く強度を誇る。

 燦然ときらめいた刹那、振り下ろされた白刃がハルバードにはねのけられて豪快に火花を散らす。剣戟、返す刀でさらに一撃。打ち合いになれば不利かに思われた隻腕のアンティークは、阿頼耶識システム搭載機の柔軟性を見せつけるかのように大型ハルバードをいともたやすく取り回してみせる。不自由さなど感じさせない挙動で強烈な蹴りが閃く。

 ホバーユニットの急噴射で逃れるも、一瞬の差で逃げ後れた左腕のシールドが蹴り飛ばされてしまったらしい。視界の隅で、撥ね飛んだシールドがどうと倒れる。

 獣めいた駆動を五年ごしに目の当たりにして、ジュリエッタは我知らず奥歯を噛みしめた。

 やはり阿頼耶識の動きは特殊だ。

 武器とは主に()()()()()動作を想定するものだろう。斬撃にせよ打撃にせよ、重力下では質量が慣性に従う落下という現象が威力を増幅させるため、上から下への動きが最も強い打撃攻撃となる。

 というのに無作法者は、切り上げるように下から下から狙ってくる。重量物を上へと跳ね上げる動作は関節への負荷が多く、大型のハルバードには適さない挙動であるはず。

 だが上から下へと打ち下ろせば、片腕のないエリゴルは遠心力に振り回されて重心を見失う。前傾に倒れるよりも、背後へたたらを踏む格好にすれば脚部スラスターのホバーによって踏みとどまることが可能だ。無防備に背中を晒すこともない。

 フレームへの負担を顧みない動きは一見無謀にうつるが、その実、計算高く状況を見据えている。

 腰を落とすことで重心の安定をはかり、同時にジュリエッタの視線を下に集めているのも。おそらくモノアイの死角に潜り込むことで隙を生み出す作略だろう。

 ジュリエッタの大剣は刺突および斬撃に適したつくりだ。有効射程を鑑みれば相性が悪い。

 

(それでも……!)

 

 革命の剣を強く振り抜く。双肩、背部のブースターをふかして地を蹴ればバーニアがいっそう激しく火を噴いた。

 圧倒的推力による強襲を、エリゴルは間一髪で空振りさせるとハルバードを腕、肩、首へくるりくぐらせて蛇のように剣戟を受け止める。

 金属質の悲鳴をあげて、特大の火花が炸裂する。鍔迫り合いに追いつき損ねた大気が毛を逆立てるように、ふくれあがった風が四散する。

 一瞬の膠着を薙ぎ払うようにジュリエッタはその剣でもってハルバードの柄を遡った。

 得物の柄をレールにしてスパークをまとわせながら白刃は肉薄する。眼前に迫る大剣にライドは鋭く息を飲み込む。白兵の間合いから飛び込まれては後方への離脱では間に合わない。脚部スラスターが悲鳴をあげるが、管制制御を重力が上回り、ついにエリゴルの膝が崩れた。

 上体は後方へ、ぐらりと傾ぐ。刃は迫る。

 

『もらった――!』

 

 特殊金属の切っ先がコクピットを直接狙う。逃げ場はない。管制制御とスラスターではどうあがいても倒れかける機体を立て直せず、ライドは苛烈に舌打ちすると操縦桿を手放しコンソールを弾いた。

 倒れる寸前、傾く体重を利用して左肩のレールガンを引きずり下ろす。

 わずかに一挙動。銃口はジュリエッタを真正面にとらえた。

 

(……――!!)

 

 ひゅっと鋭く息を呑んだジュリエッタが危機を察して飛び退る。バーニアの煽りを食らって倒れたライドはしたたかに背中を打ち付け、肺に残った呼吸をがはりと砕けさせた。まぶたの裏に火花が散る。

 口内に鉄錆を感じながら、跳ね上がる呼吸を静かに噛み殺すと、ゆらり、エリゴルが身を起こす。レールガンを発射態勢に据えたままハルバードを構えなおした。

 吹き出す汗が背中を伝う。運良くハッタリが通用したからいいものの、ジュリエッタがとっさに離脱しなければやられていただろう。

 大口径の電磁投射砲はガンダム・フラウロスが装備していたショートバレルキャノン同様、ダインスレイヴの下位互換にあたる兵装だ。破壊力を鑑み、経済圏から被害を出すわけにはいかないと残弾はすべて抜いてきた。

 衆人環視のもとでは到底撃てるはずのない兵器でも、あくまでもテロリストと見なされるライドには、ここでレールガン(こいつ)をブッ放してやるという脅しが使えたらしい。

 ……いいのだか、悪いのだか。内心で独り言ちて、迷うなと自身を叱咤する。

 じりじりと間合いをはかるジュリエッタ機はスピードとパワーこそ凄まじいが、動きはいたって直線的だ。ブースターによって実現された機動性は脅威だとしても、反応速度はあくまで常人のもの。単純な速さだけで阿頼耶識使いには追いつけない。

 来ないならこちらから仕掛けるまでだ。ハルバードの強襲が風を切り裂く。跳ね飛ぶ小石がぱらぱらと装甲の上で躍り、疑似の雨を兵器の刃が吹き飛ばす。エリゴルが繰り出す一撃を、今度はくぐらずジュリエッタはなめらかに旋回すると左後方に距離をとった。

 案の定、エリゴルの左側を避けて向かってくるようだ。レールガンを警戒しているのか右腕側に落ちてくる剣をブレードで弾き返すが、まともに受ければまた圧倒される。同じ轍は踏まない。

 ざくりとブレードを地面に突き立て、柄でジュリエッタの斬撃を受け止める。いっそう凄絶な火花が散って、鍔迫り合いを核に爆ぜた突風がぶつかりあって上空へと駆け抜ける。

 二度も同じ手を食らわないのはジュリエッタとて同じだ。左腕の大型シールドをざくりと大地に突き立てて手放すと、両腕で剣を支えて脚部のブースターに出力を集中させる。

 青い炎が大地を灼く。浮き上がらんばかりの推力に圧倒され、ハルバードの柄にピシリと亀裂が走った。軋みをあげて稲妻のように駆け抜け、パキパキパキパキと息を呑む間もなく柄は半ばで分断される。

 とっさに手を離して離脱する、紙一重の離脱が叶ったライドだったが、嫌な予感にハッと背後を振りあおいだ。

 頭半分を地に残して折れたハルバードの、柄が。跳ね飛びくるくると放物線を描いてアーブラウ側に向かっていくさまが目に入る。

 

『しまった――!』

 

 アーブラウ防衛軍のフレック・グレイズが身構え、踏み出すが、風に煽られた小枝のように弧を描く巨大質量の落下位置はMS(モビルスーツ)隊よりいくらか手前だ。

 あれだけの質量があれば、着地の爆風は生身の人間を殺傷しうる。

 回収――無理だ。破壊、危険すぎる。ファンネルビットで狙おうにもここは宇宙ではない。阿頼耶識システムによるビット兵器の制御は地球の重力にはかなわない。

 次の瞬間、凄まじい勢いで落下した金属棒が着弾の衝撃に爆ぜた。

 ああ。衝撃波が広がり、ライドの背中をぞっと悪寒が這い上がったが、次第に晴れていく土煙の中からあらわれたのは血と泥にまみれて倒れ臥す無惨な人々の姿ではなかった。

 ヘルメットと防弾ジャケットを着用し、適切にうずくまる報道陣と、その中にひとりだけ、まっすぐに立ち続けるダークスーツ姿の若い男。記憶よりも短くなった金髪が揺れる。

 居並ぶカメラの中、決して逸らされることのない双眸が強く鋭く、ライドを見つめていた。

 その左頬に一筋の赤が流れ、つうと細く伝い落ちて上等そうなスーツの襟を鮮血に汚す。

 両脚で大地を踏みしめて直立を保つ盟友の眼光に背中を押されるように、ライドはスピアを抜いた。

 胸郭の中を入れ替えるようにゆっくりと、肺腑の奥から息を吐きだす。

 エリゴルは宇宙でダインスレイヴを受けて左腕を失ったばかりか、パイロットの生身の腕にもダメージを引きずっている。運良く完全に折れてはなかったようだが、デルマによれば軽度の骨折状態にあり、ヒビが入って脆くなっているらしい。今はテーピングによる固定と痛み止めのおかげで何とか動けているだけだ。酷使すればいずれ砕ける。

 鎮痛剤の持続時間はおよそ五〜六時間。昼過ぎに痛み止めを打ってから既に四時間以上が経過している。戦闘が長引くほどに痛覚が正常な判断力を奪うだろう。

 ライドは視線のマシンガンでコンソールをひと撫ですると、視界の外でパネルを操作し――、やることはひとつだ。

 

『管制制御システム、スラスター、全開――!』

 

 

 リミッター、完全解放。

 

 

 刹那、ぎらりと強く光をまとうエメラルドグリーンを燃料に、ツインアイは赤々と燃えあがった。

 背中が燃えるように熱い。ライドの中の悪魔が戦えと教唆する。不穏な光芒とともに両目の視野は裂けるように広がり、リミッター解除にともなって感覚機能は研ぎすまされ、極度の興奮状態にあれば痛みを思い出すこともない。

 スピアを水平に振りかぶり、体勢を低くして踏み込み、切り込む。ペダルを一息に踏みつけると阿頼耶識使い特有の柔軟な駆動で地を蹴った。

 一閃、電戟の一手を革命の剣が受け止める。刃が毀れ、火花が散る。平原を吹きすさぶ風が獰猛に爆ぜる。相反して軽やかに取り回されたエリゴルのスピアがひゅんと大気を切り裂き、不意の加速がうなりをまとった。

 エリゴルの槍はあくまでも刺突武器だが、迎え撃つジュリエッタのシールドを硬度で上回る。当たりどころによっては革命の剣さえ折ってしまえるシロモノだ。ジュリエッタの剣の先端部分にも使われているこの特殊金属は、決して折れることがないという。

 厄祭戦当時のロスト・テクノロジーと、再現されたハイ・テクノロジーが激突する。

 一撃離脱、ジュリエッタはブースターによる加速でエリゴルの背後へ回り込むと、第二のシールドを突き出した。

 ただでさえ手負いのMSに、武装はスピア一本だなんて無謀にもほどがある。右腕を覆う手甲状のガントレットシールドは小型の楯としても打撃武器としても使えるものらしいが、槍と楯が利き腕一本に集中している以上、攻撃を受け止めれば無防備になる。

 突き出された剣を、しかしエリゴルはシールドの陰に隠れるように機体をスライドさせて逃れると、足癖悪く足もとを蹴り飛ばした。

 ばっと爆ぜる土煙に視界が遮られ、不意に陽光が翳る。常に体勢が低くしていたエリゴルが跳躍した瞬間をジュリエッタは見逃さなかった。

 すぐさまメインカメラで追いかけ、初めてアイレベル以上に捕捉した白い背中に頭部バルカンのトリガーを引き絞る。

 着地するライドの正面はSAU軍だ。思わぬ攻撃にぎょっとするがしょうがない。

 

(ちっ……まァそうなるよな、皆殺し(アリアンロッド)の女騎士じゃあ――!)

 

 この距離では銃撃が正規軍に降り掛かってしまう。舌打ちしてスピアを地面に突き立てると、ライドは左腕の赤をむしり取った。

『なに!?』 叩きつけられた外套に頭部をカメラアイごと塞がれ、ジュリエッタが両腕をばたつかせる。ぶつかるように飛び込んできたエリゴルのタックルを食らって流され、強烈な蹴りを腹に食らう。

 

『ぐう……っ』

 

 これ以上の追撃は食らうものかと、ジュリエッタはありったけのスロットルを全開にしてバーニアをふかし、力ずくで踏みとどまってみせた。エリゴルを押し戻す。スラスターの性能差に奥歯を噛んだライドは、苛立ちに任せてジュリエッタを蹴り飛ばすと急速旋回、突き立てたスピアを拾って、遠心力を使ってぎゅんと加速する。

 繰り出されるスピアの穂先がふたたびジュリエッタの頭部を狙う。かろうじて逃れる。だが浅い。左肩の装甲が砕け、フレームにピシリと走った亀裂が手からシールドを取り落とさせた。残った右腕を薙ぎ払ったジュリエッタのマニピュレーターがエリゴルの頭部を破れかぶれに殴りつける。

 ぐしゃりと潰れた林檎のように内部機構が露出する。エリゴルは頭部の大半を持っていかれ、反射的な離脱も足元が覚束ない。

 砂嵐に囲まれたコクピットの中に、ライドの舌打ちが鞭打つように鋭く響いた。

 ……メインカメラをやられた。

 左目を薄く開けた程度の曖昧な視野では戦闘の継続は難しいだろう。宇宙戦を想定して訓練されている女騎士は部外者を巻き込むリスクに無頓着で、アーブラウ防衛軍とSAU軍を実質上の人質にされているのがテロリスト側だなんておかしな状況で戦うはめになってしまった。

 仕方なくコンソールを叩き、胸部の装甲をパージする。あの馬鹿、と戦友の暴言が聞こえてくるようだが構わず胴部前面を一掃すると、コクピットハッチを手ずからむしりとった。

 投げ捨てる。機体のカメラが使えないなら自分自身の目で見ればいいだけのことだ。

 パージされた装甲とコクピットハッチが落下し、どうと土煙を吹き上げる。エメラルドグリーンの双眸が現実を見据え、晒された少年めいた風貌に、戦場を取り巻く環境は騒然となった。

 

『ばかなっ……――!!』

 

 MSを前に生身を晒すなど。正気の沙汰ではない……! 動かない左腕をぶら下げたジュリエッタが声をうわずらせる。

 そのまなうらに蘇るのは、あの日のガンダム・バルバトスだ。

 癖の強い赤毛と共通点など見当たらないのに、記憶の辻褄はライド・マッスと名乗ったテロリストに三日月・オーガスを重ねてしまう。

 ガンダムフレームの演算システムと飽くなき闘志によって突き動かされ、呼吸が絶え、心臓が止まるまで仲間のためにあがき続けたパイロット。彼は機械の補助で惰性の稼働を続けた臓器がすべて停止するまで、抗うことをやめなかった。

 鉄華団の悪魔と誹られ、 MA(モビルアーマー)を単騎で倒した獣としてダインスレイヴで屠られた、あの少年はいまだ戦場に生きていたのかと錯覚する。

 

『なぜっ……なぜまだ抗う! ラスタル様が導く世界に、生きる権利を与えてもらっていながら……!』

 

『おれの家族を無惨に殺して、おれの故郷を見捨てた外道の目が光ってる世界がなんだって!?』

 

 世界の前に姿をさらしてライドが吠える。スピーカーと二重に若い男の声が響く。ペダルを踏み込み前傾に、操縦桿を引き抜きそうに加速をかけるとスピアが風を巻き込んでうなった。

 片手とは思えない力強さで振り抜かれた電戟を、革命の剣が受け止める。

 

『違法組織の殲滅はギャラルホルンの職務! 法と秩序の番人である我らが成すべき「大義」です!』

 

 叛逆のスピアが閃く。

 

『へえ、親のいねえガキは生まれの不幸を呪って無抵抗で死ねって!?』

 

 女騎士の剣はあがく。

 

『ラスタル様の威光のもと、平和は実現されたはず!』

 

『ああそうだ、ギャラルホルンの「大義」とやらは、そうやっておれたちから全部ぜんぶ奪っていった!』

 

 ジュリエッタの叫びをはねつけて、あの日の少年が咆哮する。

 先に手を出してきたのはギャラルホルンのほうだろう。ジュリエッタには無関係かもしれないが、それなら外野であるジュリエッタにライドを止める理由だってないはずだ。

 火星支部長コーラル・コンラッドが、武器商人のちらつかせる金を目当てにクリュセ首相ノーマン・バーンスタインと政治的に癒着し、危険分子クーデリア・藍那・バーンスタインを暗殺しようとCGSを襲撃したのがすべてのはじまりだった。

 このまま犬死など御免だと、全滅しないために鉄華団は会社を乗っ取って発足した。生きていくためにクーデリア・藍那・バーンスタインの依頼を初仕事として、降り掛かる火の粉を払いながら前に進んだ。

 ギャラルホルンが行く手を阻むから戦った。鉄華団が望んだ敵対ではなかった。

 殺されないために抗っただけだ。

 金を稼ぐ手段が他にあるなら傭兵だなんて危険な仕事は選ばなかった。阿頼耶識の適合手術だって、みんな仕事か死かを天秤にかけて臨む。ヒューマンデブリには拒否する権利だってない。一寸先の未来はいつだって生か死の二択だ。

 だからオルガ・イツカはそんな博打じみた手術を全否定し、読み書きや操縦を学ぶ方向性に切り替えた。

 農場の手伝いだけでやっていけるなら最初からそうしていただろう。一面のとうもろこし畑がバイオ燃料として二束三文で買い叩かれていた当時の火星に、そんな選択肢が存在しなかっただけで。

 火星にもっと孤児院があればよかったのかもしれない。だけど運営資金が降って湧いたりはしないし、読み書きもできない子供が子供を作って、親子もろとも貧困に喘いで死んでいく。あるいは自分が食いつなぐために子供を捨てる。売り払う。出稼ぎに手放す。女が生まれたら娼館へ、男が生まれたら戦場へ。

 一握りの金持ちしか学校に通うことのできない、就学経験のある大人のほうが少数派であるプロレタリアの惑星にライドたちは生まれた。多くの仲間を失いながら日銭を稼ぎ、鉄華団は進み続けた。

 戦場を出ても暮らしていけるだけの資金と信用を手に入れ、真っ当な仕事だけで食っていくために、だ。

 なのに、その願いは叶わなかった。

 

『鉄華団を犯罪組織に仕立てあげてダインスレイヴでずたずたにして、三日月さんをやれもしなかったあんたが女騎士なんて持ち上げられてッ周りも見ないで引き金を引いてる――こんな世界の一体どこが平和なんだ!!』

 

 慟哭がスピーカーからほとばしる。金属質の叫喚が砕け散る。ハウリングの不協和音を引き裂くように、雷光が一閃する。

 ファンネルビットの飛来にジュリエッタは呼吸を忘れた。

 襲いくる一基目の稲妻を回避し、狙い澄ましたように追いついてくる二基目をどうにか弾き返す。阿頼耶識の制御でくんと弧を描いた一基目が、スラスターの急噴射によりジュリエッタの左腕を襲う。

 スピアの攻撃を受けて肩から動かなくなった腕は無防備に振り回され、遠心力が足場を不安定にする。重力の足枷につんのめる。ハッと気付けば回避したはずのファンネルビットがつま先をえぐり、脚部スラスターが破損している。

 とっさにバーニアをふかすが右脚の排熱がうまくいかない。……だが、これで終わりではない。ジュリエッタは双肩のスラスターに出力を集中させると、革命の剣を胸に構えた。

 動かない左腕をパージすることもできず、右脚のスラスターは破損。シールドもすべて失った。左右のサイドスカートは剥がれ落ち、高潔なアリアンロッドカラーは砂煙に汚れている。

 だが満身創痍はエリゴルも変わらない。欠損した左腕を覆っていた赤い外套はどこかへ吹き飛び、胴部の装甲は取り払われてパイロットの生身を晒している。

 コクピットでエメラルドグリーンが獰猛に撓う。双眸を染めるように赤い液体がとろりと溶け落ち、少年は人ならざる気配すらまとって、不敵に口角をつりあげた。

 重ならないはずの三日月・オーガスの亡霊を見出して、ジュリエッタは短く悲鳴を呑みこんだ。

 赤くかすむライドの視界は、しかし驚くほどクリアだった。高機動型を相手にしたせいでスラスターのガスは限界に達し、痛み止めはとうに効果を失っている。肩で呼吸をたぐりよせながら、操縦桿を手繰る拳は闘志を握りしめてはなさない。

 あの日の鉄華団が持っていた大義に、あのときは誰ひとりとして気付かなかった。

 オルガが戦いに意味を見出さなかったからだ。家族の命を損ないながら得た金銭と地位を、彼は決して美談にしなかった。革命の乙女と手を組んで孤児院を建てても、立派な理想はないと言う。行き場のない連中をみんな受け入れておいて、志などないと言う。あれほどの命を、心を、魂を救って慈しんだくせに。

 オルガ・イツカが弱者救済を謳うことはなかった。

 大きな背中に、あたたかい両腕に守られた少年の双眸から、あつい涙がなだれ落ちる。

 

『団長は、戦わなきゃ今日の飯だってねえ、学もねえ、親もいねえガキどもを雇って、屋根のある場所で眠らせて……あったかい飯を食わせて……おれたちみんな「家族」だって言ったッ』

 

 恩人だ。それ以外に彼をどう呼べばいい? かすれる喉をふるわせて、失った痛みを力に変えて振り回す。風が泣き叫ぶ。

 覚えていてくれ。どうか忘れることもないくらいに、思い出す必要もないくらいに覚えていてくれと、復讐心よりも、喪失の悲しみに突き動かされるスピアが風を切り裂いた。

 

『だから、おれも手段は選ばねえ! 覚えて……っ覚えていてくれ! 鉄華団をッ、団長のことを!!』

 

 一方的な電戟がジュリエッタの頭部を吹っ飛ばし、モノアイが砕かれたと気付くのに、ジュリエッタはコンマ数秒の時間を必要とした。

「…………!!」 雨が降ったと錯覚させた一瞬は、砂嵐がコクピットを襲ったせいだ。

 視野を失ったと気付き、ジュリエッタは咽喉を引き絞られるような恐怖を味わった。ガンダムパイロットのようにコクピットを晒せばと考えて、くちびるを噛む。

 ……いや、カメラアイがなくとも右腕は動く。スラスターのガスもまだ持つ。革命の剣はいまだジュリエッタの力として胸にある。

 声を頼りにエリゴルのスピーカーを追いかける。突き出す剣が何度空振りに風を切っても、敵パイロットが何事か叫び続ける限り攻撃の手段は残されている。

 目隠しをされた戦場で、不自由な脚を引きずって獲物を追う。その姿がどれほど滑稽だろうが構わなかった。

 戦場にしか居場所がないのはジュリエッタのほうだ。養父が成した改革が、ラスタル・エリオンの威光が作った今の世界が必ずしも賛美されるべき平和ではないことを、今のジュリエッタは理解している。後継者になるための学びの中で、否が応でも気付いてしまった。

 しかしエリオン家という後ろ盾を失ってしまったら、ジュリエッタはひとりぼっちになってしまう。

 帰る家を失い、ギャラルホルンの兵士でいられるかすらわからない。見てみぬ振りをする以外に、ジュリエッタに何ができる? ギャラルホルンの大義のために戦うと、恩義のために戦い続けると、意味もなく声を張りあげる以外に、何ができる!

 鉄華団が疎ましいのは、壊滅したって玉砕したって孤独ではないからだ。ジュリエッタを拾い育てた傭兵を手にかけて、のうのうと生きて、残党はまた少数精鋭の群れを形成してジュリエッタの前に立ちふさがる。

 かりそめの女騎士はぼろぼろになりながらも、手の中に残された革命の剣を取り落とさない。ガンダムパイロットの声が近い。

 今度こそ討ち取ってみせると、渾身の一撃を繰り出した。

 

『  おれなんかの頭を撫でてっ……おれなんかかばって死んじまった! オルガ・イツカを!』

 

 確かな手応えがあった。

 

『 覚え…… て、い て――――』

 

 そして突き抜けたブレードがガンダム・エリゴルの喉笛を貫くさまを、世界は目の当たりにした。

 白い機体はぐらりと傾いで、力なく倒れこむ。レギンレイズ・ジュリエッタの両腕に受け止められるそのさまは、まるで。

 

「……え……?」

 

 ジュリエッタに与えられたのは、強烈な違和感だった。今、わざと突き刺さるように、こちらに落ちてこなかったか。

 ひゅっと喉が鳴る。呼吸が止まる。フラッシュバックがジュリエッタを襲った。

 MAを単騎で圧倒したガンダム・バルバトス。動きが単調だと笑った赤い量産機の女傭兵。ジュリエッタの目の前で彼女の百練を貫いたダインスレイヴ。イオク・クジャンによる報復行為で、木星圏の民間輸送会社がひとつ潰えた。

 その禁断の兵器を常用していた養父、ラスタル・エリオン。彼が戦場を欲すれば、テロ行為によって混乱に陥れ、武器の需要を作り出してきた傭兵。そんな男の腕の中でジュリエッタは生まれた。

 致命傷に奪われそうな部下を機械仕掛けの化け物にし、産業廃棄物と誹られたガエリオ・ボードウィン。火星人との混血児(ハーフ)でありながらヴィーンゴールヴに葬られたアイン・ダルトン。誇り高きボードウィン家の従者として没した彼の脳を摘出し、AIとして兵器利用したヤマジン・トーカ。

 イズナリオ・ファリドが暴露したマクギリス・ファリドの穢れた過去。

 ヒューマンデブリを虐殺した艦隊、グウィディオンを指揮するヒレル・ファルクの正義。

 轟沈したヴィーンゴールヴ。悲嘆に暮れるグラズヘイムと、ダインスレイヴ隊のパイロットたちの境遇。

 

 ――あんたは生きて帰ってきた。相手はそうじゃなかった。……それって充分『強い』ってことじゃないの?

 

 ヤマジン・トーカの言葉が蘇り、ジュリエッタは生かされたのだと現実が圧倒的質量をもって襲いかかる。

 ……違う。違う。

 細い喉を引き裂くように悲鳴がほとばしった。

 

「そん なっ……わ たしは、あああっあああぁあああああ――――!!」

 

 悲痛な声は誰にも届かない。エリゴルの一撃で外部スピーカーをやられ、ジュリエッタはコクピットの中で孤独に打ち拉がれるばかりだ。

 違う、ちがうと繰り返す。涙があふれて止まらなかった。

 勝鬨をあげるギャラルホルン地上部隊はまるで異世界のように遠く、悪意の膜で隔てたようにジュリエッタの声だけが届かない。

 彼らはまた、ジュリエッタがもたらした結果だけを持ち上げるのだろうか。祈りすがるような目でジュリエッタを見送った世間知らずの御曹司は、心底より憧れたという女騎士のまぼろしに何を見るのか。

 茫然と双眸を見開くジュリエッタの白い頬に、幾すじもの涙が伝った。細い肩が嗚咽にふるえる。ブルーグレイのひとみは濁ることもできず、ただただ涙を落とすことしかできない。

 ジュリエッタはまたガンダムを討てなかった。

 死に場所を求めたテロリストに目の前で死なれただけだ。

 救いのない結末に置き去りにされ、取り残されたコクピットで何もできずに放心している。

 すべては平和のためだと、ギャラルホルンの大義のためだと信じていた。いや、違う。すべてはラスタル・エリオンが目指す世界のためなのだと、信じる仮面をかぶり続けた。

 だって、アリアンロッドが積み上げた屍の上に成り立つ世界に生きる人々を直視してしまったとき、正気でいられる自信がなかった。

 肉親を殺した傭兵に拾われ、育てられて小さなジュリアは戦士になった。MSの操縦技術を評価され、ギャラルホルンで教育を受けてパイロットとなり、ラスタル・エリオンの正式な養子として迎えられた。

 恩人たちがどんな非道な手段をとっていても、それを見咎めればジュリエッタは捨てられてしまうかもしれない。どれだけ多くの命が白色テロによって失われても、すべて見て見ぬ振りをした。ギャラルホルンの情報統制によって搾取され、理不尽な待遇に声をあげれば虐殺され、犠牲になってきた人々は『運が悪かった』と同情してみせた。

 わたしは運が良かったのだと言い聞かせた。

 ならば、これは代償だろうか。不満を圧殺することで円満な日々を生きてきた報いとして、鉄華団の目的のためにジュリエッタは生かされ、もはや死ぬことすら許されない。

 ガンダムフレームを討ち取った〈革命の女騎士〉は、すべての罪とともに新時代を背負う。

 ああ。同じ孤児でありながら抗うことをやめ、長いものに巻かれて安逸と生きようとする裏切り者を、エメラルドグリーンが嗤っている。

 鉄華団。――貧困から吸い上げた利潤によって生きる構造的な加害者たちへ罪の意識をもたらした、赤く赤い鉄の華。

 

 

 

 

 #062 徒花

 

 

 

 

 ラナンキュラスの花が散る。バターカップとも呼ばれる、初夏に咲く黄色い花だ。五枚の花弁がちぎれて、土煙混じりの風に乗る。

 画面という画面に花が咲く。ガンダムパイロットが後世に残したかった『絵』だというキャプションに、道ゆく人々もスクリーンの前で足を止めた。

 少年少女が何の花だろうと顔を見合わせる。先を急いでいた若者が、横断歩道からオーロラビジョンをふりあおぐ。老婆は懐かしいものを眺めるように目を細める。

 

「これは……」

 

 アナウンサーが取りこぼした不意の疑問に、タカキはそっと目を伏せた。

 手元のタブレットを撫でる。これは、光を失ってなお最後まで絵筆を捨てなかった、ライド・マッスの最後の絵だ。

 アーブラウ防衛軍の古い後衛基地に潜伏している間、コクピットで描き溜めていたのだという。残された絵はエンビからデルマへ、LCSでタカキへ、QCCSでカッサパファクトリーのヤマギへとバトンをつなぎ、ダンテのハッキングによって全宇宙へ拡散された。エーコを介して木星にもきっと届いているだろう。

 タカキはすべてを見守り、見届ける。頰をひとすじ伝った透明な涙が、今しがた出血の止まった傷を洗う。

 できることなら今すぐにでも駆け寄って盟友を抱きしめてやりたかった。息があるうちに阿頼耶識の接続を切って、殴ってでも医療ポッドにかつぎこんでやりたい。

 だが今のタカキはアーブラウの治安維持のため、世界中の子供たちの力になるために、テロリストに手を差し伸べることはできない。ただ、ライドがタブレットの中に描き溜めていたというグラフィティを火星に送り、ハッカーによって拡散される現状を黙って見過ごすばかりだ。

 絵は、文字が読めない子供の心にも直接届くメッセージだ。まだ数多くの孤児が残されている地球に、いまだ識字率の高くない火星に、女子供の就学に否定的だった木星にまで、ライドの描いた希望の華は届けられる。

 しかし無情にもエメラルドグリーンのひとみから光は消え、エリゴルの演算システムが停止する。ガンダムフレームが寄越すフィードバックに視神経をやられたライドの脳は、もう視覚情報を処理できないだろう。街頭スクリーンに咲いた花を見て、子供たちがきれいだと笑う光景がもう見えない。

 ライドはただ、暗く落ちていく意識の深淵で、見えないものを見通していた。

 鉄華団があったころの記憶だ。オルガ・イツカがいて、三日月・オーガスがいて、ガンダム・バルバトスがあったあのころの鉄華団の夢を、いまだ幼いあの日のライドが見ている。

 赤い荒野を MW(モビルワーカー)が駆け、ペイント弾がほとばしる模擬戦。退屈な地雷設置訓練。黴臭いCGSのロゴを塗りつぶし、鉄の花で上書きした日のこと。絵という未来図を描ける力をオルガが褒めてくれたから、ライドは最期まで絵筆を捨てなかった。

 死んだ仲間には死んだら会えるというなら、オルガにもまた会えるだろうか。

 三日月に会ったら、命令に反しているから潰すとメイスを振り上げられるだろうか。それとも光に向かう道はひとつじゃないでしょ、と迎えてくれるだろうか。

 赤く濡れたまつげが降りる。戦場の風を浴びて汚れた赤毛が、初夏の風にやわらかく揺れる。両手は重力に呼ばれるまま操縦桿を離れ、コンソールパネルに横たわった。

 

「馬鹿なおれを、叱ってください……団長」

 

 おれは、おれにできること全部やりました。全力で前に進みました。だからもう、そっちに行っていいですか。

 世界に確かな爪痕を遺せたのなら、この戦いは無意味じゃなかった。

 

 そう信じさせてください、団長――オルガ・イツカ。

 

 戦いの幕は静かに降り、傾く夕陽が古戦場を赤く染める。グレイズシルトの残骸四機、レギンレイズ・ジュリエッタとガンダム・エリゴルが相打ちのていで横たわる黄昏の戦場に、戦死者はテロリストただ一名のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鉄華団の残した爪痕から、世界は少しずつ、息を吹き返しはじめている。

 ギャラルホルンの軍事力を恐れて萎縮していた人々が、ずっと抱えてきた悲しみを肯定されたことは大きな一歩であったと、おれは思う。

 ラスタル・エリオンは民衆の糾弾によって総帥の座を追われた。

 タカキが全世界に向けてあの決闘を中継させたおかげで、四大経済圏の反発がまともに機能したらしい。ジャーナリズムが人々の心を動かし、ギャラルホルンの人事に物言うところまで民衆の力は強くなった。

 今は後継者になるべく育てられていたジュリエッタ・エリオン・ジュリスが過去の汚職や暴虐について対応を進めているところだ。アリアンロッド・グウィディオン両艦隊からは内部告発者が続出していて、そのとりまとめ役として奔走しているらしい。

 彼女が次期総帥になるのかは、まだわからない。近年のギャラルホルンが()()()()()()()()()をプロパガンダとして掲げてきた手前、養父の罪を背負わせるかどうかの解釈が割れているからだ。極端な世襲制にも禁止兵器の運用にも意見する権限を持っていなかった以上、現場の兵隊にまで責任を問うのはさすがに理不尽だろう。

 ガンダムエリゴルはコクピットブロックを除き、エイハブ・リアクターをスリープ状態にした上で、バルフォー平原のモニュメントになるらしい。

 七十二柱のガンダムフレームはバエルを含めて十機が海底に沈んだけど、この世界のどこかで他のガンダムが稼働している可能性がある。歴史や情報がゆがめられないためにも民衆の目が届く場所に残しておくべきだと、アーブラウ・SAU両経済圏が決めたのだそうだ。

 ギャラルホルンによって都合良く歪められた偽りの『真実』ではなく、混じりけのない『過去』が歴史的事実として綴られ、語られる時代が訪れる。

 大切な人を殺されても泣くに泣けない世界はもうない。

 アーブラウで行なわれた合同葬儀には多くの人が弔問に訪れ、この五年間の犠牲を悼んだ。アーブラウ防衛軍、SAU正規軍、鉄華団、そして革命軍。アルミリア・ファリドが私財をなげうって集めた革命軍の犠牲者リストが公開され、〈マクギリス・ファリド事件〉の戦犯と誹られた青年将校たちはようやく、ラスタル・エリオンに上書きされたかりそめの革命を暴くことができた。

 献花台には白い花に紛れてたくさんの赤い花が手向けられ、勇敢な戦士たちを見送った。

 ライドはきっと団長をこうやって送ってほしかったんだろうなと思ったら、なんかもう、涙が止まらなかった。

 それから、また一ヶ月あまりかけておれたちは火星に帰ってきた。

 テロリストの汚名をライドがひとりでかぶってしまって、地球にいてもやることがなかったせいだ。

 まず副団長にめちゃくちゃ怒られた。ヒルメには殴られた。何で泣きながら怒ってるのかと思ったら、おれが生きて帰ってきて嬉しかったらしい。これはエルガーのぶんだって言って、もう一発殴られた。意味がわからない。

 イーサンは輸送関係の仕事について、ウタは学校に戻るそうだ。デルマは孤児院に戻っていった。ダンテさんはあの通り大雑把な人だから、鷹揚に受け入れていた。

 ライドが最後の戦いの直前までコクピットで描き続けていた絵の数々は競売にかけられ、利益の全額が人道的支援に使われるらしい。

 おれは、これから何をするか、まだ決めていない。

 

「――団長。三日月さん。……みんな。鉄華団の居場所、ちゃんと作れました。ライドが、残してくれた」

 

 慰霊碑の前にひざまずき、エンビは赤い花束を捧げる。裏路地にたたずむ小さな花屋で買ったものだ。相変わらず女店主がひとりで切り盛りしていたが、かつてのような寂れはなく、花の種類も増えていて、看板猫が吞気にあくびをしていた。スラムにも監視カメラが行き届いたおかげか、一年も離れていない間に火星の治安は見違えるほどよくなっていた。

 その陰にライド・マッスの武力蜂起があり、モンターク商会による多額の寄付があったこともまた歴史の一ページの中にそっと寄り添うことになるのだろう。

 慰霊碑に新しく刻んだふたりの名前をなぞって、エンビは最後までともに戦わせてはくれなかった戦友を思う。

 ひとつはエルガーのそばに、もうひとつは団長と三日月のそばにエンビが手ずから刻み入れた。

 ぼろぼろに傷つけられたシクラメンのシンボルに指先で触れ、目を細めれば、元気に農場を手伝う子供たちの姿が見通せる。ダンテとデルマが引率している中にはエヴァンの姿もあるようだった。

 孤児院で保護された子供たちは仲間と一緒に読み書きを学び、農業を教わって、大人たち兄貴分たちに仕事ぶりを褒めてもらいながら健やかに成長していくのだろう。彼らが戦いに身を投じる必要がないようにクーデリアは力を尽くすという。

 春休みが明けたせいかクッキーとクラッカの姿は見えず、エンビは少しだけ安堵する。

 ふとした瞬間に、双子で生きているふたりがうらやましいと思ってしまうからだ。エンビの半身はもういないが、だからこそ双子がふたりのまま生きている奇跡に感謝したいと、そう思う。

 ライドの奮闘は鉄華団を語り継ぐ権利を勝ち取り、ガンダム・バルバトスが悪魔ではなかったことを世界に証明してみせた。鉄華団という民間警備会社が、発足してから玉砕するまでの二年半っぽっちでどれほど多くのストリートチルドレンやヒューマンデブリを救いあげてきたのか、注目されるようにもなった。

 火星における鉄華団の名は『英雄』に返り咲いた。地球圏や木星圏からも犯罪組織のレッテルは剥がされた。

 もたらされたものは犠牲ばかりであったかもしれない。しかし旧体制を切り裂き腐敗を暴いた諸刃の剣は、その傷痕から多くの希望を芽吹かせた。

 戦いは無駄ではなかった。世界を包んだ悲しみは記憶に残り、もう二度と無駄にはならない。

 

「ほんとうは、みんな生きててほしかったけど……ッ」

 

 ぽたり、一滴のしずくが大地に染み込んで、ぱたぱたと後を追ってまるい染みをいくつも作った。

 あふれる涙を拭うことも隠すこともしないでエンビは上を向く。火星の空は今日も皮肉なほど青く晴れ渡って、雨の気配はない。新しい風が吹き抜ける。

 生きていてほしかった。

 願うためにエンビは生きていく。墓前に添える赤い花が、いつまでも絶えることのないように。

 

 進み続ける。

 

 

 

【鉄血のオルフェンズ 雷光 - 完】




ありがとうございました。


エリゴルは"召喚者の前に、槍を携え、旗を掲げ、蛇または杖を持った端整な騎士の姿で現れる。未来を予見する力を持ち、隠された物事や戦争について語るとされている。また、王や偉大な人物の寵愛をもたらすとも言われる"悪魔だそうです。(by Wiki)

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