鉄血のオルフェンズ 雷光《完結》   作:suz.

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果たされた約束と、それにともなう多大な犠牲。すべてが両天秤にかけられるときが来る。


#61 最後の兵隊

「なんで黙ってた!! おれだけッ……のけものだったのかよ……!!」

 

 ひび割れた慟哭が格納庫にびぃんと響く。落ち着かない呼吸を肩でなだめようとするエンビは、今まさにイーサンを殴り飛ばした拳をほどくことができない。

 眼窩からなだれる涙がおとがいを伝い落ちて、コンクリートに染みを作った。

 五年前の戦いでアーブラウ防衛軍が使っていたのだという古い後衛基地である。砂埃をかぶった白線、ガラスが除かれた窓。外壁に絡む蔦がざわりと揺れて、静寂を取り戻す。

 かつてはフレック・グレイズが並んでいたのだろう整備スペースに投げ出されたイーサンは、ざらりと砂をつかみながら身を起こすと、口もとににじんだ血を雑なしぐさでぬぐった。

 同じくコンクリートフロアに放り出されたタブレットの画面では、アーブラウのニュース番組がギャラルホルン本部の沈没を繰り返し報じている。有識者だという白髪混じりの男が現れ、何ものかによる運動エネルギー爆撃だと解説をはじめた。

 謎に包まれた人工島、ヴィーンゴールヴ。三百年という時間を経ても劣化しなかった地盤がいともたやすく砕かれ、そして沈没した流れ。全長約十五〜二十メートル、直径約〇・五〜一メートル、円柱状の()()が凄まじいスピードで落ちてきたこと。

「隕石でしょうか?」と身を乗り出すニュースキャスターの問いが実に白々しい。

 退役し故郷アーブラウに戻ってきたという老兵は、厄祭戦後に条約で使用・保有を制限された特殊弾頭〈ダインスレイヴ〉ではないかと考えられる、特徴が非常に似ている――と曖昧に濁して正解を告げた。

 イーサンは皮肉めいて口角をつりあげ、鉄錆の味を甘受する。タブレットを拾うこともできず、茫然と声をふるわせるエンビの姿が、いっそ滑稽にすら思えた。

 

「そうだよ、お前とデルマ以外はみんな知ってたんだ」

 

 だから何だと睨み返す。快闊なエンビが激昂するほどの事態も、はじめから知っていたのだから今さら感慨も何もない。タブレットを投げ捨てた手で胸ぐらをつかみあげられ、口が祟って殴られたってイーサンは冷静でしかいられない。

 

「座標を教えてやるからどうにかしてダインスレイヴを撃たせろってオーダーだったんだよ」

 

「 そ れじゃあッ……最初からトロウを死なせるつもりだったのか……!?」

 

「誰が死ぬことになっても仕事だって割り切ってた」

 

 エンビが鋭く息を呑む。今さら聞かされた事実に記憶のパズルがはまったのだろう。

 陰鬱に眉根を寄せたイーサンは、自傷のように表情をゆがませる。

 ガンダムフレーム・エリゴルを提供されたのも、小型船シラヌイに過剰な火器が搭載されていたのも、これを使ってダインスレイヴをヴィーンゴールヴに撃ち込ませるようにとモンターク夫人がライドに依頼し、契約が成立したからだ。

 その上でライドは火星連合側から押しとどめられないように、団長の敵討ちが遂げられるように計画を練った。

 ヒューマンデブリ解放という第一の目的を設定し、すべて言いなりにはならないという意思のもとに提供資金の上限を定め、宇宙掃除からはじめると決めた。

 利害関係がはっきりしていればこそ、仕事だと割り切ることも、仕事だからしっかりやれと文句をつけることもできる。通す筋がはっきりしているぶん判断を迷わず済む。――すべて仲間の命と引き換えになった事態を想定して決めたことだ。

 

「なら、あの座標も……」

 

 被弾し、このままでは大気圏を突破できる限界強度を保てなくなると判断したウタが再計算したあの座標。空中分解を懸念し、先に帰投していたエンビがQCCSで MS(モビルスーツ)隊に戻ってこいと呼びかけた。

 バンクーバーへ向けて降下していたシラヌイは、そのポイントを通過しなかった。

 

 ――そうだ、おれを撃て……アリアンロッド――!!

 

 トロウの最期を思い出してエンビの喉が引き絞られる。もしかして。足元が揺らぐ感覚に一歩後ずさる。じゃり、とブーツの靴底が鳴る。

 あれは、宇宙からヴィーンゴールヴを狙うための座標だったのか。だからトロウは何も知らないデルマにライドを回収するように言って、ポイントに向けて加速した。

 ダインスレイヴを撃たせる()になるために、死に場所へ向けて。

 

「 おまえ……わかってやったのか!? そのつもりで計算したのかよ、なあ、ウタ!」

 

「……ライドかトロウが誘導する手筈だった。MS隊(ふたりとも)が失敗したらシラヌイ(おれたち)が囮になるって、決めてたよ」

 

 アリアンロッドは禁止兵器運用の証人を生きては帰さない。最終手段は船そのものを的に使い、ギャラルホルン本部もろとも全滅してやるつもりでいた。

 道中でデルマとエヴァンが加わるというイレギュラーはあったものの、計画は最初から何ひとつぶれていない。

 ガンダムフレームを全機ヴィーンゴールヴごと沈め、夫・マクギリスを殺した()()に報復がしたいのだとクライアントは依頼してきた。

 犠牲が他人事である限りギャラルホルンが治安維持目的の虐殺行為を続けることは明白で、ならば対岸の火事では済まされない絶対安全圏にダインスレイヴを撃たせてしまえば――というのがアルミリア・ファリドの思惑だった。

 条約で禁じられているはずの兵器が平然と運用される異常を明らかにし、その残虐性を知らしめるために、セブンスターズの一家門であるボードウィン家の姫君みずから虐殺の弓の犠牲になるというのだ。

 ギャラルホルン本部のある巨大人工島は各経済圏から離れた遠洋に浮かんでおり、付近に島はない。エイハブ・ウェーブの干渉で計器類が狂うため、民間の船舶はまず近づけない海域である。だからこそダインスレイヴの着弾による二次災害を懸念する必要はない。

 となればヴィーンゴールヴの沈没に真っ先に気付くのは帰還するはずだった船舶か、あるいはグラズヘイム。衛星軌道上に複数ある宇宙ステーションのいずれかが事態を把握すれば、悲劇はアリアンロッド艦隊の箝口令が間に合わないほどのスピードでギャラルホルン兵士たちの心をかき乱すだろう。

 家族、友人、恋人――帰る家を失った軍人たちは、禁止兵器を作戦に使用し、誤射に至ったアリアンロッドを問うはずだ。

 ダインスレイヴは厄祭戦終結後、有人機に向けて放つべき兵装ではないとして封印されていたはずではなかったのかと。

 海面にダインスレイヴが着弾すれば波は荒れ、船舶での脱出は不可能に等しい。それはヴィーンゴールヴに居を構える人々にも、ガンダムフレームを奪還したい鉄華団残党側にも同じ条件だ。

 もとより地球圏外からのアクセスが断絶され、内側から手引きされない限り地球のどのあたりに浮いているのかも判然としない島である。たとえガンダムフレームに乗り込み上空に逃れることができたとしても、レーダーのたぐいは一切使えない。視認できない陸を目指してあてもなくさまよううちに、スラスターのガスが尽きて海に沈むのが落ちだろう。

 ツインリアクターの出力で多少の滞空ができるくらいで、バルバトスもグシオンもフラウロスも飛行に適した機体ではないのだ。翼型の特殊スラスターを持つバエルならば可能かもしれないが、MSである限り推進剤がなければ進み続けることはできない。

 仮にモンターク商会にシャトルの手配を頼めたとしてもヴィーンゴールヴは敵の本丸。アルミリア・ファリドはギャラルホルンにとって『英雄の妹』であると同時に『逆賊の妻』でもある。そんな難しい立場の彼女がテロリスト同伴で帰省などまず無理だろう。

 突入できたところで無事に格納庫までたどり着ける保証も、機体を持ち出せる確証もない。

 おれたちの力じゃガンダムフレーム奪還は不可能だと理論上の決着をつけ、落としどころを見つけて、このバルフォー平原を最後の戦場に選んだ。

 

「なんで……なんで、おれには教えてくれなかったんだよ…………」

 

 ざらざらとかすれた声が悲痛に揺らぐ。ガンダムフレーム奪還を口にするたび、ライドもトロウも乗ってこなかった理由が、今になってエンビを切り刻む。

 ……だからデルマだけがグシオン奪還に前向きだったわけだ。計画の中心人物であり、ライドに最も近しいエンビが言うならガンダムフレームの奪還が〈雷電隊〉の目的なのだと解釈したに違いない。

 デルマに計画の詳細を話す機会がなかったことはエンビにもわかる。幼いエヴァンの前で話すことでもない。理解はできる。だけど。

 くちびるを噛みしめて、握りしめた拳では悔しさを潰しきれない。納得できない。

 水面下で動いていたころからライドのそばにいたのに、どうして話してくれなかった。

 肩をふるわせるエンビを突き放すように、イーサンが吐き捨てた。

 

「お前に話してどうなったんだ」

 

「それはっ――」

 

「言ってみろよ。お前に何ができた?」

 

 ぎりりと砂をつかんで、立ち上がったイーサンはずかずかとエンビに詰め寄ると、力任せに胸ぐらをつかんだ。怒りと悲しみに煮えるアイスブルーのひとみが、真正面からエンビを睨み据える。慟哭がほとばしる。

 

「お前にも伝えてたら、トロウは死なずに済んだってのか!?」

 

 トロウは戦死し、ライドは両目をもっていかれ――ブリッジクルーは囮になることもできなかった。MSに乗って戦えるエンビに、この無力がわかるのか。ライドを最前線に送り出し、トロウを人柱にして、帰る場所を守り抜くだけで精一杯だった非戦闘員の悔しさがわかるのか。

 ついに眼窩からなだれた涙が言外にエンビを責める。

 望めば戦えるエンビは、おれならトロウの代わりに人柱になれたはずだと、無責任なことだって言えるだろう。

 

「最初ッから全部承知でここまで来た、おれたちの気持ちがッ……お前にわかってたまるかよ!!」

 

 喉を引き裂くような叫喚が、苛烈な嘆きが格納庫を引き裂いた。力任せに突き放されたエンビの体躯は、それでも数歩たたらを踏んだだけで押し留まる。

 イーサンは激情を御すことも忘れてエンビに殴りかかった。

 同じイサリビのブリッジクルーとして、互いが戦友であるという意識を強く持っていた。なのに最後の地上戦では、イーサンは、ウタは、トンネルをくぐって脱出しろと指示された。エンビたち四人はMSでの後方支援にと副団長から直々に招集がかかったのに。お前らは事務方を補助して、年少のチビたちを先導して逃げろと命令が下ったのだ。

 裏切られた心地だった。

 体が小さく腕力で劣る年少組はトンネルを掘り進める作業にも加われない。子供だから、非戦闘員だからと真っ先に戦場から遠ざけられてしまう。

 宇宙戦ではいつも前線にいたつもりだったのに。最前線を駆けるバルバトスを送り出し、三日月・オーガスの勇姿を間近で見てきた。フラウロスのロストを真っ先に知った。ノルバ・シノを回収に行かせろと叫んだ団長の動揺も、犠牲を無駄にするなと恫喝してみせた副団長の葛藤も、肌で感じて知っている。

 アーブラウの蒔苗に亡命の手引きを依頼するためにクリュセへ向かったオルガ・イツカの訃報を聞かされ、団長の弔い合戦だと復讐心をたぎらせていた矢先に、与えられた仕事は事務作業と逃走だった。

 確かに戦艦の操艦手と砲撃手では地上戦じゃ役に立たない。

 なのにエンビ、エルガー、ヒルメ、トロウはMS戦の訓練を受けているから最後の戦場に必要だというのだ。

 悔しさの棘は五年間ずっと心に刺さり続け、傷は膿む。今度こそ最後まで戦いたかった。鉄華団の忘却に歯止めをかけることが目的であり、全員の生存は必須条件ではないと、ブリッジクルーだって非戦闘員なりに腹をくくっていた。

 ライドの誘導でダインスレイヴを撃たせ、全員がシラヌイに帰投してやってやったと笑い合えたなら、もちろんそれが最善だった。だが最悪のケースとして全滅も覚悟していた。

 なのにトロウはシラヌイを先回りして死に場所に飛び込むことで、自分ひとりを犠牲に仲間を全員生かしてみせた。

 生きてたどり着けと言い残し、鉄の華を抱いた機体とともに散った。

 戦友の死が無念でならない一方で、鉄華団のために命を燃やし尽くせてうらやましいと思ってしまう。最期の最後まで死ぬな生きろと呼びかけ続けることができたエンビに、この苦しみはわからないだろう。

 今日まで立っていた足場の正体を知らされた絶望が、エンビにしかわからないように。

 

 

 

 

 

 

 初夏の風はさわやかに、新緑の蔦を撫でる。さすがエドモントン郊外だけあって自然豊かだ。窓の向こう側には見たこともない黄色い野花が咲いている。

 格納庫から草木が見えるだなんて地球はすごいな、とデルマは双眸を細めた。アーブラウ防衛軍が五年前に使っていたということは、アストンもここを訪れたのだろうかと追想する。

 鉄華団が地球支部をたたむきっかけになった国境紛争で使用され、そして使われなくなった後衛基地に、おととい引き上げてきた。

 ガルム・ロディはバンクーバーで手放したから、MSはまたエリゴルだけになった。義手を使って器用に装甲をよじ上ると、開けっ放しのコクピットハッチをのぞき込む。

 何やらタブレットを操作するパイロットに向けてボトルを放り投げれば、ライドは顔をあげもせず片手でキャッチした。

 ラベルを見て不満げにくちびるを尖らせる。

 

「なんだ、ただの水じゃん」

 

「昼飯時にって、タカキの妹がわざわざ持ってきてくれたんだよ」

 

 かわいらしく包まれたランチボックスをデルマが掲げてみせると、ライドは「フウカちゃんか」と独り言ちた。

 

「タカキのやつ、本当に大丈夫なのかよ……」

 

 まったく、兄妹揃って世話焼きにもほどがある。

 隠れ家を見逃しただけでも立場が危うくなるかもしれないというのに、長期休暇で帰省中の妹が弁当を作って差入れにくるなんて。そんなことで本当に政治家としてやっていけるのか。

 ギャラルホルン本部壊滅に際して議会が臨時招集され、今ごろは忙しくしているのだろう。

 国家元首の第一秘書という立場では休みもろくにとれないに違いない。せっかくの兄妹水入らずの時間を邪魔してしまったことは、今さらだとわかりつつライドも申し訳なく思う。

 デルマから受け取った包みをほどけば、彩り鮮やかな弁当は実に手が混んでいる。ささやかに添えられたメッセージプレートの模様はネリネか。鉄華団の紋章をデザインするとき調べた図鑑の中に見た覚えがあった。

 さすがに火星の路地裏にあるような花屋に並ぶことはなかったから、画像データでしか見たことはないが。

 足がつきにくいようにと使い捨てられる容器を使うくらいには気が回るのに、わざわざ手書きでメッセージを添えてしまう脇の甘さが、兄に似ている。

 懐かしさに目を細めて、ライドは中身はシチューだと書き添えられた蓋を開けるとスプーンをとった。

 ふと目線を上向ければデルマもエリゴルの装甲の上で弁当を開きはじめるので、ついでに「なあ」と呼びかける。デルマが視線だけでライドを振り向く。

 

「エンビは?」

 

 今朝まではエンビがドリンクとレーションを運んできてくれていたのだ。

 

「……ボイラー室にいるよ」

 

「筋トレか」

 

「無心になりたいんだろ。さっきなんかイーサンとひでぇ喧嘩してたし……煽り食ってウタも相当落ち込んでるし」

 

 ずっと一緒だったトロウがああなって、ライドはこの通りだし、とは言えず、デルマはパンにかじりついた。

 エヴァンが血相を変えてデルマを探しにきたのは、フウカを送り出してすぐのことだ。転がるように駆けてくるとデルマに飛びついて、ふたりが殴り合ってる、どうしようと涙目で訴えてきた。

 エンビはともかくイーサンは外様の子供に友好的ではなかったし、ウタが割って入らないならデルマにすがるしかないとすっ飛んできたのだろう。

 駆けつけてみればエンビは別人のように激昂しているし、イーサンはほぼ自滅で生傷だらけだし、ウタは頭を抱えてうずくまっているし、――デルマにできることは形ばかりの仲裁と、目に見える怪我に応急処置を施して弁当を配るくらいだった。

 どうにか舌鋒を収めさせてもエンビにはもうムードメーカーを買って出られるような余裕はなく、ひとりになりたいと吐き捨ててボイラー室に消えた。

 元が正規軍のキャンプだけあってここにはトレーニングルームが存在するし、エリゴルを発電機にしたから施設はほとんど生きている。掃除さえすれば使えるだろうに、シラヌイでトロウと通い詰めていたボイラー室を選んでしまう背中が何とも痛ましかった。

 十六歳になっても幼い子供のような嘆き方しかできないのは、これまでの泣くに泣けない日々のせいだろう。明るく活発なエンビしか知らないエヴァンは、その変貌ぶりに困惑しきりだった。

 いや、デルマだってエンビにあんな荒っぽい一面があるとは想像もしなかった。

 

「なあ、なんで黙ってたんだよ?」

 

 責める口調でデルマがライドに向き直る。

 

「……言えるわけないだろ」

 

「ガンダムフレーム奪還しようって言ってたからか? だったらなおさら言ってやれよ。トロウは知ってたんだろ?」

 

 エンビとトロウはあの中でも特に親しかったとデルマは記憶している。鉄華団の前身であったCGSからの付き合いだとも、鉄華団壊滅後は同じ学校に通っていたとも聞いた。

 何より、雷電隊が蜂起するとき中心にいたのはライドとエンビだろうに。相棒のような存在かと思ったらエンビは何も知らなかっただなんて、さすがに予想外だった。

 返答に窮するわけでもなく、ライドはスプーンをもてあそぶ。コツンとスープカップのふちを叩いて、表情を無にしたまま嘆息した。

 

「覚悟する時間を作ってやらなかったのは悪いと思ってるよ」

 

「いや、そういうんじゃなくてさ……」

 

「夢を見させてほしかったんだ」

 

 独白だった。ライドはどこか遠くを見るように、エメラルドグリーンの双眸を眇める。

 

「だって言ったら、おれが虚勢を張れなくなっちまう」

 

 吐き捨てるように自嘲の笑みをこぼして、シチューをすくう。

 現実がどんなに苦かろうが、おいしいものを食べたら舌はおいしいと認識する。こういうときまずいものだったらいくらか救われたかもしれないのに、フウカの料理はあたたかく、文句のつけどころがないくらいうまい。

 

 ――ヒューマンデブリを解放して、仲間を増やしていってさ。おれたちでバルバトスとグシオンを取り戻そうぜ!

 

 ――そんでフラウロス、いや流星号はおれにくれよなっ

 

 エンビが過去と未来の橋を渡す夢を語り続けてくれなければ、こんなふうに吞気に昼食をとっていられたかもわからない。

 もしもガンダムフレームをすべて海に沈めると伝えてしまっていたら、聞き分けのいいエンビは二度と奪還の夢を語ってはくれなかっただろう。あのころの鉄華団を取り戻したいという気持ちに折り合いをつけて、きっと口を閉ざしてしまった。

 

「おれだって最初から勝算があったワケじゃない。途中でもう無理かもしれない、駄目かもしれないって、思ったこともあった。……あのときからずっと、おれに団長の復讐が遂げられるのかって考えない日はなかった」

 

 オルガを目の前で失った夕闇を、ライドは今でも夢に見る。抱きしめられた腕の中で感じた着弾の衝撃と、苦痛を噛み殺す息遣いが離れない。倒れたオルガが差し示すひとすじの赤い絵の具をなぞるように、うずくまって泣いているのは十四歳のライド自身だ。

 弱い心は記憶の中に置き去りにして、ライドは前に進むと決めた。

 ギャラルホルンの治世では、鉄華団の存在を残す絵を描く権利すらまともにないのだ。

 ところが鉄華団を忘れていく世界に抗うという決意に反して、記憶は時間とともに薄れていく。曖昧になっていく。オルガ・イツカを忘れたくないと思うほど、胸のうちに残された鮮明な記憶は本当に()()なのかと自分自身を疑ってしまう。都合良く塗り替えているのではないかと、考えてしまうたびライドは呼吸を見失った。

 おれたちはただ鉄華団再興を口実に暴れたいだけで、団長の名前をいいように使っているのではないか。あの人が復讐を望まないことなんてわかりきってるのに。

 

 ――鉄華団を忘れるなんて、おれたちが許さない。

 

 同志だけを集めて都合よく情報を歪め、鉄華団のイメージを塗り替えようとしているのではないかと、猜疑心の縄に何度も足をとられ、首を閉められた。一度すべて忘れられてしまえば、新たな印象を植え付けるのは実に容易だ。

 ライドはただ、団長がいて三日月がいて、バルバトスがあった、あのころに帰りたいだけだ。でも帰れない。鉄華団はもうどこにもない。今のライドにやるべきことは復讐なんかじゃないはずだと、頭の隅から理性が反発する。強権に叛旗を翻したってどうせ無駄だと自制心が無謀を嗤う。

 鉄華団が忘れられていく世界に抗う決意が揺らぎそうになるとき、ガンダムフレーム奪還という荒唐無稽な夢がライドを奮い立たせた。

 周到に計画を進めてきたとはいえ、実力がともなうかは怪しいところだったし、現にデルマが加わっていてくれなければ厳しかった局面がいくつも思い出せる。

 それでも全滅を回避し最後の戦場までたどり着くことができたのは、シノを模倣し、ユージンを模倣し、夢を語ることを諦めなかったエンビがいたからだ。

 

「だから、おれ、今ちょっとほっとしてるんだよな。三日月さんだって右目は見えにくいけどバルバトスにつないだら見えるって言ってたからさ」

 

「マジでやめろって……エンビがぶっ壊れたらお前のせいだぞ」

 

 思わず語気を強めて、デルマはこれ見よがしにため息をついてみせた。

 ライドたちが蜂起する前にどんな会議があったか知らないので、ガンダムフレームを奪還する計画を立てているものとばかり思っていた。

 それが、実はエンビの夢物語で、ライドのモチベーション維持のために語らせ続けていただけでした、なんて救いのない結末が待っているだなんて、思うものか。

 バルバトスの過負荷を受けて右手、右目、ついには両脚の機能を奪われた鉄華団の偉大なエースの言葉を、阿頼耶識でつないでいれば大丈夫だから安心しろだなんて曲解して使うのは冒涜も同然だ。罰当たりが過ぎる。わかってやっているのだからなおさら悪い。

 

「なあデルマ、迷惑ついでにもうひとつ頼んでいいか?」

 

「は? なんだよ」

 

「ひと風呂浴びてーんだけど」

 

 他意のない頼み事に、デルマは露骨に嫌な顔した。もちろんエリゴルとの接続がないと目が見えないから基地内の施設がわからない、案内してくれという意味しかない。

 これはエンビには頼めないだろうなとデルマは思わず額をおさえた。手のひらでにじみそうになる視界を覆う。

 クライアントであり共犯者であったアルミリア・ファリドとの約束は果たした。ダインスレイヴの雨はヴィーンゴールヴ付近に降り注ぎ、ギャラルホルン本部はガンダムフレームごと海底に沈んだ。ギャラルホルンが禁止とした兵器を運用していたアリアンロッド艦隊は、各経済圏からダブルスタンダードを糾弾されるだろう。

 身内を殺された傷に塩を塗りこむような、何ともえげつないやり方だ。

 

「……しょうがねえな」

 

 できる限りの平静をよそおって、デルマは塩味しか感じられないシチューをかきこむ。

 タカキは副団長たちにも連絡を入れたと言っていたが、火星から地球までは旧タービンズの近道を使っても約三週間。正規ルートなら安全面を考慮するせいでもっとかかる。今さら追いかけては来られないし、ライドを止める術はもうない。

 ランチボックスをたたんで、デルマは肩装甲の上に立ちあがった。

 青いナノラミネート塗料の上に鉄華団の紋章が白く染め抜かれており、もしかしたらこの()()()がエリゴルの右腕をダインスレイヴから守ったのかもしれない。

 ……いや、左肩のレールガンは狙われるはずと見越したライドが敢えて紋章を逆サイドへ逃がしたのだろう。

 失われた左腕には、欠損部を隠すように赤いマントが取り付けられている。

 

 

 

 

 

 

 強い風に翻る、一陣の赤。

 バルフォー平原のはずれに隻腕のガンダムが現れたという一報には、ギャラルホルンの軍事介入に否定的なアーブラウ、SAU両陣営が敏感に反応した。

 国境地帯を引き裂くように、ハウリングが甲高く駆け抜ける。

 

『おれは鉄華団実働二番隊副隊長、ライド・マッスだ。ギャラルホルンの代表一名との、一対一の決闘を望む!』

 

 スピーカーの不協和音を突き抜けて、宣戦布告は高らかに鳴り渡った。

 真っ先にギャラルホルンを呼びつけたのは、アーブラウともSAUとも事を構えるつもりはないという意思表示だ。

 鉄華団の名は歴史から風化させられつつあるが、このバルフォー平原で実戦経験のないアーブラウ防衛軍を補助し奮闘した少年兵たちの名は地元住民の記憶の中からも消え去ったわけではない。記録になくとも記憶には残り、それも呼ぶ権利がないからいずれ思い出せなくなっていく。

 漸進的な忘却に歯止めをかけるという目的に、これほど都合のいい古戦場は他にないだろう。

 テロリストが〈鉄華団〉を名乗り、狙いはあくまでもギャラルホルンであると叫ぶなら、経済圏は自前の軍事力で排除してやる義理はない。

 ことアンチ・ギャラルホルン感情の高い国境地帯であればこそ、駆け引きは有効に機能する。

 

『こうやって決着をつけるのがギャラルホルンの「作法」ってやつなんだろ?』

 

 挑戦を突きつけるライドに、経済圏の要請を受けて出動してきたギャラルホルン地上部隊がざわつきはじめた。

 厄祭戦以前から続く伝統として地球圏には『決闘』という文化がある。形骸化しているとはいえ真っ向から否定するのは都合が悪い。

 しかし、一対一の決闘を否定し、大勢でかかればギャラルホルンは民衆の目に卑怯者としてうつるだろう。

 かといって一対一の決闘を肯定し代表を出すならギャラルホルンはテロリストの要求を呑んだと見なされ、経済圏からの誹りを受ける。

 どちらに転んでも信用失墜は免れない。

 

 さあ、どう出る?

 

 エリゴルのコクピットでライドは好戦的にくちびるを舐める。

 左腕のないMSでこちらは単騎。武装はスピアもレールガンも背部にマウントし、すぐに攻撃に出られる態勢ではない。

 アーブラウからもSAUからも捕捉されている状況で物量にものを言わせてすりつぶすのはさすがにイメージが悪いはずだ。人間の心理は弱いほうに肩入れする。ここで鉄華団を排除できても、得るもののない勝利だろう。

 SAU国境付近に駐屯するギャラルホルン地上部隊は、しかし戦いを選択したらしい。

 エイハブ・ウェーブの反応が増大、アラートが甲高く鳴きはじめる。数は四。シルエットから照合される機体はとうに見飽きたグレイズだ。

 地上部隊の出撃を確認してライドは、は、と吐き捨てるように笑った。

 決闘など旧時代のやり方だと、本音を晒すか。

 

『無作法なのはそっちのほうかよ!』

 

『テロリストの要求など呑む必要はない!』

 

『そりゃそうだな!』

 

 重力環境下の運用を想定したグレイズシルトが土煙を吹き上げながら突進する。

 地上戦使用にカスタマイズされたグレイズの発展機は、ファンネルビットの射程を見越して距離をとったまま散開し、エリゴルを四方から包囲した。

 大型ハルバードをふりかぶり、エリゴルを打ち据えようと加速したのは、――七時の方角。なるほど左腕のないエリゴルにとっての死角から狙ってくるかと、ライドは肩越しのグレイズシルトをみとめて嘆息した。

 エリゴルの装備は宇宙戦に特化しており、スピアはいまだ右肩にマウントされたままだ。左肩のレールガンも背部に格納され、発射態勢にはない。……さすがにフラウロスほどの威力はなくとも下手に撃てば経済圏から多大な犠牲を出しかねない兵器だ、重量を鑑みて残弾はすべて抜いてきた。

 二基のファンネルビットが各一回きりしか使えないことを、ギャラルホルンはつかんでいるのか、いないのか。

 スラスターの推力で飛翔する稲妻は、重力に引きずられて宇宙ほど自由自在には飛べない。MSが空を飛べないように、エリゴルのファンネルビットもまた飛距離に制限がある。

 いざというときの切り札を、まだ使うわけにはいかない。

 左肩ごしに迫るグレイズシルトに気付かないふりをして引きつけ、ハルバードが振り上げられたその瞬間、膝を縮めた。

 ふっと重心を低くして、脚部スラスターの急噴射によって振り返る。手早くコンソールを叩いて左側をロックし重心を固定。体勢を低くしたまま遠心力で一気に飛び込む。ハルバードの攻撃は斬撃か刺突かの二択だ。長い柄を振りかぶる腕の動きで次の攻撃は予測でき、刺突・斬撃・打撃を臨機応変に繰り出すSTH-20RC 青冥と戦ったライドにとっては警戒するほどの脅威ではない。

 大型シールドをかいくぐるように懐へ飛び込み、あわや正面衝突かとパイロットが怯んだ一瞬を、ライドは見逃さない。

 ハルバードを打ち下すはずだった右腕を、ナックルガードで殴りつけた。

 衝撃によろめいたグレイズシルトは、しかしシールドをもがかせてエリゴルを押し返し、かろうじて転倒を防ぐ。だが遅い。弾き飛ばされた右腕は小枝のように投げ出され、ハルバードはグリップに握りしめられたまま放物線を描く。重力に呼ばれるまま土煙を吹き上げるはずのそれを、開かれた拳が受け止めた。赤い外套が翻る。

 ライドはコクピットで薄く笑みを引き、振り返りもせずキャッチしたハルバードを振りかぶった。

 グレイズシルトのパイロットが恐れおののき息を呑むさまがスピーカーをびりびりと割る。構わず薙ぎ払って、切れ味のいいブレードで頭部を一息に切り伏せた。

 モノアイが上下に二分されて火花を散らす。メインカメラを失い尻餅をつく僚機のカバーに、両脇から二機が加速した。

 ……四時の方角、十時の方角。ちらりとモニタを見遣ったライドは滑るように加速をかけると、コンマ数秒でハルバードの有効射程に迫るグレイズシルトに背を向けた。一機を正面にとらえ、もう一機を背後にとらせる格好だ。

 あからさまな蛮勇にパイロットは静かに激昂する。なめるなとばかりに大振りになるハルバードは、巨大なだけあって空気抵抗がある。

 挙動は刺突。――背後から強烈な突きを繰り出したグレイズシルトの一撃を重心移動と加速でかわす。右腕の武器を突き出した直後、グレイズシルトは機体の重量バランスをとるためシールドがあさっての方向を向く。欠点を見越してくるりとハルバードを一八〇度反転させると、ブレードのない石突で腹を突いた。

 わき腹に一撃を食らってバランスを崩し、地上戦用に搭載された腰部ブースターが悲鳴をあげる。思わず吹っ飛びいびつに尻餅をついたグレイズシルトの右腕が自重に潰されて火花を散らす。漏れだすオイルが緑豊かな大地に染み込む。

 さらに正面から迫り来る三機目のグレイズシルトを、小脇に抱えたままのハルバードで迎え撃つ。こいつの挙動は斬撃かと読んで身を低くし、ペダルをランダムに踏み込んで振り下ろすタイミングをつかませない。

 阿頼耶識特有の生身のような加減速に焦れ、グレイズシルトの動きは単調になっていく。笑うようにハルバードを、くるりと取り回してみせると、ライドは背後を強襲しようと迫っていた四機目のメインカメラをひと突きにした。

 えぐるように穂先を跳ね上げ弧を描いたハルバードのブレードは、真正面でまだ強襲のタイミングを見計らっていた三機目の右肩を容赦なく打ち据えた。滑車の勢いを利用して大地を蹴り、ひらり舞い上がれば、標的を見失ったグレイズシルトに秒単位の隙が生まれる。コンマ数秒、着地もせずにフルスイングで吹っ飛ばす。残存二機のグレイズシルトは抱き合うようにもんどりうって数十メートルの距離を後ずさった。

 四機をいともたやすく沈黙させると、エリゴルは大地に旗を立てるようにハルバードを突き立てた。足元ではモノアイをぐしゃりと潰されたグレイズシルトが左腕をばたつかせる。

 ところが武装を強制解除された地上戦部隊四機はもはやなすすべもなく、四方を砂嵐に囲まれたコクピットの中でガンダムパイロットの糾弾にふるえるばかりだ。

 

『これがギャラルホルンのやり方か!』

 

 

 

 

 #061 最後の兵隊

 

 

 

 

『これがギャラルホルンのやり方か!』

 

 街頭のテレビから響いた若い男の声に、道行く人々が振り返る。

 足を止めて電気屋をのぞき込む制服姿の少年少女が、見たこともないMSだと顔を見合わせた。スクリーンには見向きもせずに先を急ぐ若者。あるいは老婆が物騒だと眉をひそめる。オーロラビジョンの中の白い機体に興味を示した幼子の手を、母親がつかんで強く引いた。

 バルフォー平原のはずれに〈鉄華団〉を名乗るテロリストが現れ、ギャラルホルンに決闘を挑んだというニュースは、瞬く間に全世界を駆け巡った。

 

『アーブラウ・SAU両経済圏への攻撃の意思はないもようです。しかし、五年前の悲劇からいまだ武力に不寛容な国境地帯は、依然として緊張に包まれています』

 

 画面外のスタッフから速報の原稿をたぐりよせたアナウンサーが表情を険しくする。

 

『――新しい情報が入ってきました。ギャラルホルン代表、ラスタル・エリオン総帥は早急に精鋭部隊を向かわせると発表。アリアンロッド艦隊司令官ジュリエッタ・エリオン・ジュリス一佐が現場へ急行するとのことです』

 

 カメラはそこで一度、沈黙した戦場を映し出した。

 やっと画面の外に解放されたアナウンサーがほうと安堵の息を吐く。アーブラウ防衛軍が警護をかためているとはいえ、いつ戦闘になるか何とも言えない状況だ。ガンダムフレーム・エリゴルという白いMSの向こう側には、SAU軍のジルダがずらり、大型シールドで防壁を作っているのが見える。

「お疲れさまです」と水のボトルを差し出したのはタカキだった。

 年若いアナウンサーは、アーブラウ代表秘書の肩書きを持つ好青年に穏やかな笑みを向けられて恐縮する。

 カメラが向けられることのない裏側では、報道の腕章をつけたスタッフたちが予備電源の準備に奔走し、LCSのドローンを飛ばしている。動きやすい衣服の上に防弾ジャケットを着た報道陣の中に、スーツ姿のタカキは馴染まない。かつてはドローンの巻きを引くのはタカキら年少組の役目だったというのに、今は作業に加わる権利すら持っていない。

 記憶に重ねるように、タカキはそっと目を細めた。

 ライドたちがこのバルフォー平原を最終決戦の場として選んだことには、筆舌尽くしがたい思いがあった。

 エイハブ・ウェーブの干渉により電子機器一切が動作不良を起こすため、これまでMSの戦場にカメラは入れなかった。エイハブ・リアクターを発電所として使用しているコロニーに比べると、地球はそうした対策において大きく遅れをとっている。

 おかげでギャラルホルンによる情報統制が容易になり、各経済圏は火星やコロニーの現状も悲鳴も知ることなく利潤を吸い上げ続けたのだ。

 しかし、蒔苗東護ノ介氏のアーブラウ代表使命選挙当選、革命の乙女クーデリア・藍那・バーンスタインの演説によって、圏外圏の情勢が地球圏にも広く知られることとなった。

 のちに鉄華団地球支部が開設され、少年たちの快闊な人となりはエドモントンの市井の人々にも歓迎された。

 火星のイメージは大きく上向き、差別意識の緩和は火星ハーフメタルの普及に大きく貢献した。

 鉄華団がアドモス商会との業務提携をあらかじめ打ち切っていたことで、アドモス商会とテイワズが提携して行なっていた加工・輸送業務は革命の煽りを受けずに済み、またグレイズアインの暴走以来エイハブ・ウェーブ対策は急務とされていた。アーブラウでは病院などの医療機関を中心に、器材をエイハブ・ウェーブから保護する火星ハーフメタル加工品の普及が急ピッチで進められた。

 威力偵察のためMSの戦場に近づいてしまった戦闘機が墜落する不幸な事故は、もう二度と繰り返されないだろう。

 正規軍の庇護のもと報道陣が戦場に踏み込めるようにもなった。

 アーブラウとSAUの国境地帯にはアンチ・ギャラルホルン感情が高く、紛争への関心も高い。

 だからこそ、誰にも邪魔されない報道が可能になる。

 ギャラルホルンへの対抗手段として武力を選んでしまったライドは、テロリストとして非難を浴びるだろう。だが従来のようにギャラルホルンだけが正当化され、一方的に糾弾されることはもうない。

 双方に目的があり、武力で衝突するに至った経緯がある。決して肯定されるべきではない蛮行だと誹るなら、白色テロを繰り返してきたギャラルホルンも同じ条件であるはずだ。

 戦わなくても飢えることも凍えることもない世界なら鉄華団は生まれなかった。幼い子供が働かなくともシェルターを得られるようにインフラを整備するのが大人の役目だ。保護者に捨てられ、あるいは売られ、誘拐されて人身売買のルートに乗せられたヒューマンデブリたちだって、何も戦いたくて戦っていたわけじゃない。

 過酷な環境を生き残った少年兵たちに、お前には戦う力がある、何もできないわけじゃないだろう――と幼い人生を肯定してみせたオルガ・イツカの言葉が『正しかった』とは言えない。

 だが十九歳という若さで世を去った彼がどれほどの命を、心を、魂を救いあげてきたか、かえりみる価値があるはずだ。

 だからこそ鉄華団が失われていく世界に抗いたいという願いが、こうも鮮烈に残されたのだと。

 テロリストに身を落とした盟友の名を、タカキはもう、呼ぶことができないけれど。

 

(お前を『悪魔』だなんて呼ばせたりしない。それだけは、おれが絶対に許さない)

 

 長らく目隠しをされていた民衆は、真実を目にする権利を得た。ノブリス・ゴルドンが手足のようにコントロールしていたマスコミも、今は権力や利権に左右されない自由な報道ができる。各社がそれぞれの正義感を持って番組を制作している。ジャーナリズムは息を吹き返した。

 地球でも火星でも、配信された情報の真偽を読み解けるよう各教育機関が議論を交わしている。ギャラルホルンの血統主義が根強く出自にこだわっては平民あがりの出世を妨げてきたが、学習意欲を奪ってきた悪習は潰え、水底に沈んだ。これからは生まれや身分よりも学びが力になっていく。

 知る権利がある。目を逸らす権利もある。すべて自分の意思で決めることだ。生き方を他人に決められ押し付けられて、考えることを諦める時代は終わった。

 いつかはタカキ自身も裁きを受けるだろう。鉄華団に所属していたままのIDで生きるタカキは、退団前には内部粛正にかかわり、今はテロリストの潜伏を見逃した。最愛の妹を抱きしめることもできない汚れた手を、断罪されるときがくる。

 審判の日まで、タカキ・ウノは世界中の子供たちのために生きていく。

 もう誰も無駄に死なせたりしない――そうだろ、アストン。ラックス。トリィ。……みんな。タカキは鉄華団地球支部の一人ひとりを思い返し、盟友ひとりが立つ戦場を見据える。

 あの無音の戦争を二度と繰り返させないために何ができるのか、タカキはずっと模索し続けてきた。

 今日、この日が答えだ。

 

「おれたちの手で目隠しを解くときがきたんだ……!」

 

 情報統制は許さない。――さあ、その目に『現実』を焼き付けろ。

 

 

 

 

 

 

 グラズヘイムは騒然としていた。

 本部沈没の報せを受け、ヴィーンゴールヴに残してきた妻子の名を呼び泣き崩れる姿が散見される。病院には老いた母がいたんだと立ち尽くす兵士もいる。弟は生まれつき足が不自由で、車いすでは逃げられなかったに違いないと嘆く兵士もいる。

 婚約者が待っていたのに、ヒューマンデブリ掃討作戦を完遂して帰還したら結婚すると約束したのに――と、泣き叫ぶ若者の涙が痛ましい。

 みな人の子、人の親であったのだなと実感させられるが、ジュリエッタは今ひとつ彼らに同情しかねていた。

 アリアンロッド艦隊のダインスレイヴ隊にどんな境遇のパイロットが乗っているかも知らないくせに、よくも自分の家族の不幸ばかりを嘆けるものだ。

 幾千幾万のヒューマンデブリを銃殺し、海賊船と見ればダインスレイヴの一斉掃射でずたずたにしたのは誰だ? 民間の船舶に目撃されれば何の罪もない女子供も容赦なく口封じのために虐殺してきたではないか。

 

(何を、今さら……!)

 

 くちびるを噛むジュリエッタは、悲嘆に暮れるグラズヘイムに馴染めない。

 アリアンロッドの旗艦であるスキップジャック級戦艦へと足を向け、用意されたシャトルを目指す。少数精鋭のメカニックとともに小型艇で地球へ降下し、鉄華団との一騎打ちに臨むのだ。

 パイロットスーツは高潔な軍服よりもよほどすんなりと肌に馴染み、ジュリエッタの歩みを軽くする。

 MSデッキのキャットウォークへ、追いすがるように駆けてきたのはヒレルだった。

 

「お待ちください、ジュリエッタ!」

 

 振り向けば、わざわざパイロットスーツに着替えてやってきたようだった。……地球への同行は予定されていないはずだが。

 

「どうして……どうして弁解をされないのですっ! そもそもの元凶は、あの鉄華団とかいう海賊ではありませんか。掃討作戦におけるダインスレイヴの運用がアリアンロッドの通常業務の範囲内なのだとしたら、あなたを咎める権利など、このギャラルホルンの誰にもない……っ!」

 

 泣きはらしたオリーブグリーンのひとみは濁ることなく、その純真さがジュリエッタに突き刺さる。

 ヒレルだって家族を失ったばかりだ。両親も、伯父も、使用人たちもすべてヴィーンゴールヴとともに海に呑まれた。実家への愛着だって、残してきた愛用品だってあったろうに。

 それでもヒレルは法と秩序を守るのが軍人としての務めだと、哀切に掠れる声でもってジュリエッタを肯定してみせる。

 ダインスレイヴによって戦艦二隻と部下の過半数を奪われ、一度は膝を折ったヒレルは、軍人としての教育を受けている。

 指揮系統を振り返り、命令を噛み砕いて、考えたのだろう。ラスタル・エリオン総帥の命令に従い、現場指揮官は最善を尽くしたと。家族も故郷も奪われ、お飾りの閑職につけられ出世の道を断たれてもなお、ギャラルホルンの正義を信じようともがいている。

 真実を見つめているのか、現実から目を逸らしているのか、自分自身でももはやわかっていないのだろう。

 同情を禁じえず、ジュリエッタは仮面をかぶるようにヒレルに背を向けた。

 

「我がアリアンロッド艦隊のヒューマンデブリ掃討作戦はまだ終わっていません」

 

 見据えるのは女騎士の乗騎EB-08JJR レギンレイズ・ジュリエッタだ。みずからと同じ名を持つMSに搭乗し、自己を消し去ろうとしたヴィダール――いや、ガエリオ・ボードウィンの気持ちが、今ならわかるだろうかと、長い睫毛の剣先が惑う。

 養父ラスタルはグラズヘイムに到着してはじめてヴィーンゴールヴ沈没を知ったという。彼に妻子はなかったが、それでも家族はいただろう。使用人も、もしかしたら大切な人も。

 ところが、故郷を壊してしまったジュリエッタにラスタルがかけた言葉はいたわりだった。

「お前が無事で良かった」と皺の刻まれた眦を悲しく下げたのだ。

 鉄華団と交戦し、たったあれだけの戦力にダインスレイヴを暴発させられ、アリアンロッド・グウィディオン両艦隊から甚大な被害を出したというのに。

 ハーフビーク級戦艦を四隻もだめにした。掃討作戦のため新規にロールアウトしたレギンレイズも、士気の高いパイロットごと失った。ダインスレイヴも回収しきれず、射出専用グレイズだって何機もやられた。

 そこまでの失態を冒してなお、なぐさめられてしまうことは思いのほか鋭く胸をえぐった。

 責められたほうがマシだった。死んでも止めるべきだったのに何をやっているのだと冷たく見放してくれたら、こんな痛みはなかっただろう。

 やさしさが痛かった。あまりにも。この程度の矮小な犠牲とヤマジンが切って捨てたときよりも心が追いつかなくて苦しかった。

 ジュリエッタはだから、養父の気遣いを受け止めるためにも雪辱を果たさなければならないのだ。

 

「彼らは……鉄華団は我々に、正々堂々戦えと言っているのです」

 

「危険ですっ……! あなたの身に何かあったら、」

 

「心配なら結構」

 

 すげなく突っぱねて、ジュリエッタはキャットウォークから愛機へ飛び移る。重力の有無を気にせず跳ね回る身軽を『猿』と嗤った昔のギャラルホルンがいっそ懐かしい。

 ジュリエッタ(小さなジュリア)はテロで死に、戦場で生まれた。数々の戦場を渡り歩いた名もない傭兵の腕の中がジュリエッタ・ジュリスの故郷だ。

 ナイフを使った曲芸が得意で、傭兵たちの手拍子でくるくると踊ったキャンプ。ランプの灯りに照らされる野営地のテントと、甘いホットチョコレート。アルコールは分けてもらえなかったから、大人の男たちに負けまいとかじりついた肉の塊が、とてもおいしかった。

 もちろんガエリオに奢られた高級なステーキが口に合わなかったわけではないけれど。

 ……でも。凛々しき女騎士と持ち上げられるよりも、自由に戦えたあのころのほうがジュリエッタの性に合っている。

 けれど恩人が()になるよう望むなら、エリオン家の名に恥じないように振る舞うだけの覚悟も決めた。

 

「わたしがふたたび彼奴(きゃつ)の首を取ってまいります」

 

 なおも呼び止めようとするヒレルの声など聞こえないふりをして、コクピットに逃げ込むとハッチを閉ざし、コンソールパネルに触れた。

 ジュリエッタが『女騎士』の称号で呼ばれるようになった経緯をヒレルが知ることはないだろう。ギャラルホルンの騎士を目指し、ギャラルホルンの歴史を知ろうと学んだところで、そこに『過去』は書かれていない。

 あるのは情報統制によって都合良く歪められたハリボテの『真実』だ。

 火星の民間警備会社〈鉄華団〉の名前は消され、 MA(モビルアーマー)・ハシュマルを討ち取ったのはガンダムバルバトスだということになっている。MSなら必ずいるはずのパイロットの存在は、いつかガンダムが『脳』という臓器を持った生体兵器として目覚めるための布石として意図的に削除されている。

 いつか人間の脳と同じシステムを持つ無人機として、MA同様駆除対象になるのだろう。

 初代セブンスターズが倒したというMAだって、今となっては本当に無人機ばかりだったのかも疑わしい。有人機が混じっていたことをもみ消すくらい、勝者として戦後の歴史を綴ってきたギャラルホルンならたやすいだろう。

 もはや厄災と化した悪魔(バルバトス)と死闘を繰り広げた末、レギンレイズ・ジュリアは華麗なる勝利をおさめた……なんて、偽りの記録をたったの五年間で『歴史的事実』にしてしまったのがギャラルホルンだ。

 月外縁軌道統合艦隊〈アリアンロッド〉というギャラルホルン最大最強の軍事力を指揮し、マスコミを下がらせ、ダインスレイヴ隊の一斉射撃を命じた権力あってこそ悪魔の首級をあげることができたのに、そのことを闇に葬ってしまった。

〈マクギリス・ファリド事件〉を鎮圧し、歴史の節目に現れるガンダムを討ち取り、――そしてMAをも圧倒した悪魔バルバトスをも凌駕する力を、ギャラルホルンは保有している。

 そのように全宇宙に知らしめるためのプロパガンダとして。

 叶うのならば悪魔討伐は当時アリアンロッド艦隊第二司令官であったイオク・クジャン公によって成し遂げられ、いまだ頼りないクジャン家の若様の成長潭として語り継がれるのが理想だったに違いない。

 純真すぎたクジャン公の力不足と、そしてマクギリス・ファリドの革命思想に見出された一縷の正当性によって、ジュリエッタが悪魔の首を預かっただけだ。

 それでも。

 

(ラスタル様のために……!)

 

 誓う。雪辱を。鉄華団が指定してきたポイントは、ジュリエッタが慕った傭兵の死地だ。自爆だったという彼の最期を悲しむことすら許されなかった悔しさも、ここで晴らしてみせる。

 彼の手が暗い地下倉庫から救いあげてくれなければ、あのまま死んでいた命だった。盟友ラスタル・エリオンのために潔く散っていった彼のように、剣となり盾となって戦うことがジュリエッタの報いる()()だ。

 恩人ラスタルが、傭兵として生きて生きて死んだ彼の生涯ただひとりの親友なのだというなら。大義などどうだっていい。意味などなくていい。ジュリエッタには鉄華団の目的などわからない。

 

「レギンレイズ、ジュリエッタ。――ラスタル様の命により、地球へ降下します」

 

 弔い合戦だというならそれでもいい。

 戦えるなら別に、なんだって。




【次回予告】

 おれたちの居場所を守るために戦う。目的は最初からぶれてない。危ない仕事なんかしなくても食っていけて、みんなで馬鹿やって、笑ってられて。でも鉄華団が忘れられていく世界じゃ意味がないんだ。

 次回、機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ 雷光。最終話『徒花』。

 ――見ててください、団長。

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