この小説を書くにあたっての悩み。
・ ホロウ・フラグメントでのキリトの行動を、ただオリ主がやるだけの二番煎じものにしないように書かなければならない事。
「…どーいうつもりなの」
「お前の言う『効率』とやらを重視した結果だろ。誰も死んでねぇんだからうだうだ言ってんなよ」
「だからって…っ!」
対峙しているのは二人。
彼らの事をよく知るメンバーはその光景を眺めるばかり。
攻略が再開してから初めてのフィールドボスの討伐。対象は、蜘蛛のようなモンスター < The Crimson Spinner> 。その巨大な体と等しく大きい8本の足で、周りのタンクを薙ぎ払い、遠くの者は糸で捉えるといった厄介なボスだった。クォーターポイントを乗り越え、モンスターの強さは通常のものに戻ったが、モンスターのアルゴリズムは変化してきている。攻略組の面々は、注意深く対応していた。
しかし、ボスのHPバーが赤に染まる頃、当然だがボスの動きが変わる。
突進を繰り返し、壁役を吹き飛ばす動きが多くなってきた。その新しい動きに、何人かのプレイヤーは、どうすればいいのかと混乱した。
が、とある少年の介入により、ボスはあっという間に倒されてしまった。その少年は言うまでもなく、先日攻略組にケンカを売った黒服のプレイヤー、アキトだ。
だが、彼のその行動は、アスナの指示、作戦を無視した動きが目立ちすぎる。ヘイトを自身が全て請け負うといった危険な行為に加え、ボスを一人で相手にするような戦い方。
その後、他のプレイヤーはその戦闘に介入出来なかった。まるで、邪魔するな、と言われているようで。
実際、アキトのプレイヤーとしての実力は、お世辞抜きでハイレベルのものではあった。彼のお陰で、ボスを倒せたという事実も確かなものだ。だが、事前に伝えておいた作戦を無視し、他のプレイヤーを混乱させたのも事実だった。
アスナは、作戦の立案者として、この攻略組の実質なリーダーとして、アキトの行動を見過ごせなかった。
「大体、ゲージが赤になった時、モンスターの動きが変わるかもしれないってのはこの世界の常識だろーが。変わった動きをされて瞬間に慌てるような壁役は邪魔だ。モンスターの動きが変化してきているってんなら尚更だろ」
『 っ… 』
図星を突かれたプレイヤーの何人かは、悔しそうに唇を噛み締める。
前回のフロアボス戦で、14人もの犠牲を出してしまった事により、攻略パーティも新生なものに変わっていた。
血盟騎士団も、新しいメンバーを投入したのだろうが、それにしてもお粗末過ぎる。
アスナは怒りを鎮めつつ、冷静にと心を構え、アキトに向き直る。
「…貴方が一人でヘイトを受け持つ必要は全くありませんでした」
「壁役が機能してなかったんだから誰かがやるしかねぇだろ。今回はたまたま俺だったってだけだ。…もういいだろ、俺は今日はもう帰る…後はアンタらに任せるわ」
アキトはそういうと、攻略組のメンバーを一通り見た後、嘲笑にも似た笑みを浮かべ、彼らに背を向ける。
「っ…ま、待ちなさい…っ!」
「転移 < アークソフィア> 」
アスナの静止も聞かず、アキトは転移結晶で街に帰っていった。
残されたのは、アスナ率いる攻略組のメンバーだけだった。
「チッ…んだよアイツ…新顔の癖に偉そうに…」
「ホントホント…人不足だからってあんな奴がいてもなぁ」
「あの黒ずくめの格好なんて…どうせ黒の剣士の真似事だろ?すぐにボロが出るって」
「……」
アスナは、何も言わず、ただただ拳を握り締める。アキトが消えたその場所を、静かに見つめていた。
アスナにとって、今のアキトの印象はあまり良いものではない。最初こそその容姿に驚いたものの、今では嫌悪感しか生まれない。
そのキリトに似せた格好も、態度も、雰囲気も。同じ宿にいる事すら、嫌悪の理由に入る程だ。
何より、今回の戦い方も気に入らない。ヘイトを全て請け負う度胸。口では悪口を言いながらも、さり気なくタンクをカバーする動き。
そして、ボスを一人で圧倒する強さ。
その何もかもが、キリトを連想させてしまう。アキトにキリトを重ねてしまう。それがたまらなく嫌だった。彼はキリトではないキリトの代わりではないんだ。
キリト君に、代わりなんていない。
「っ…」
アスナは、唇を噛んだ。
●〇●〇
「…? えらく早いじゃねぇか。フィールドボスはどうした?」
「もう倒したよ。余裕だった」
エギルの店に戻ったアキトは、カウンターに腰掛ける。エギルに飲み物を注文し、頬杖をついて耽っていた。
「…そーいや、あの野武士面は? 攻略で見てねぇんだけど」
「…ああ、クラインか。アイツは今、シリカ達と買い物だ。ユイちゃんも連れてな。…はいよ、コーヒー」
「なるほどね…いただくわ」
クライン不在の理由を聞いて納得しつつ、エギルから貰ったコーヒーを啜る。
すると、隣りからアキトを呼ぶ声が。
「あっ、アキトくん。丁度良かった!聞きたい事があったの」
「リーファ…に、シノンか…何か用か」
アキトが振り向いてみれば、そこに座っていたのは先日知り合ったリーファとシノンだった。
「ちょっと聞きたい事があって…」
「言いたくないことだったらそれで構わないんだけど…貴方に聞いて見ようかと思って」
「…何が知りたいんだ」
あまり乗り気ではなかったが、アキトは聞く事にした。リーファもシノンも、ここに来てから日が浅い。答えられる限りの事は答えたい。
アキトの質問に、リーファは口を開いた。
「あたし達って、アインクラッドに来たの、最近でしょ?だから、血……盟騎士団…だっけ?それと、ヒースクリフについて教えて欲しいの」
「それは俺の答えるべき質問じゃないな。それこそアスナに聞けよ。アイツその騎士団の現団長だぞ」
「アスナさん…なんかちょっと怖くて…」
リーファは、少し困ったような顔をする。
確かに、今のアスナは近寄り難いイメージがある。シノンは溜め息を吐いた後、アキトに向かって冷たい視線を放った。
「アンタ、攻略組なんでしょ?」
「ああ、まあ、今日からな」
「……」
「…はぁ、分かったよ」
シノンの視線に耐え切れなかったアキトは、溜め息を吐いた。リーファは少し嬉しそうで、小さくシノンにお礼を言っていた。
アキトは、コーヒーを飲んだ後、口を開く。
「 血盟騎士団…英語で <Knight of the Blood> 、通称 < kob >と呼ばれるプレイヤーギルドだ。白と紅の騎士服がそいつらのユニフォーム。まぁ…見りゃあ分かる。メンバーの数で言えば中規模だけど、プレイヤーの実力はハイレベルだと思う」
「へぇ…意外だな。お前さんも褒めたりすんのか」
話を聞いていたエギルが、アキトをニヤけた顔で見ていた。アキトはエギルを睨みつける。
「うっせぇな…まあ、《Kob》っつったら、誰もが認めるトップギルドだからな」
「ふーん…アスナさんって凄いんだ……」
アスナの立ち位置を理解して、その凄さにリーファは感嘆の声を洩らす。そのリーファの隣りで、今度はシノンから質問が来る。
「それで、ヒースクリフは?」
「その血盟騎士団の元団長で、このゲームの創設者。茅場晶彦だよ」
「ニュースで何回も聞いたよ、その名前……」
「その人、今は……?」
リーファが顔を顰める。確かに、こんな大事件なら、今の今までニュースで話される事はあるだろう。シノンの質問も最もだった。
しかし、アキトはヒースクリフの所在を知らない。詳しい事は殆ど知らないのだ。
なぜならあの場に、自分はいなかった。
自分の知らないところで、キリトは死んだ──
「……」
「…アキト?」
アキトの表情が暗くなったのに気付いたシノン。思わず、その手がアキトに伸びる──
「たっだいまー!」
店の入口からそんな大声が響き、シノンは思わず手を引っ込める。
アキトが視線を向けると、そこには仁王立ちのリズベットと、シリカ、クライン、ユイが店に入ってきた。
「ただいまです…」
「ほら、エギルー、買ってきたわよ」
「半分以上は頼まれた買い物とは関係ない店だったけどな」
「ちょっと寄り道するぐらいいいじゃない。いやあ疲れた疲れた」
「ちょっと、頑張りすぎちゃいましたね…」
クラインとリズ、シリカは、会話しながらこちらに近づいてくる。しかし、リズはアキト達の雰囲気が気になったようで、こちらに視線を向けてきた。
「…あれ?ちょっと雰囲気が重いような…なんか真面目な話でもしてた?」
「アキト君に、ヒースクリフの事を聞いてたんです」
「ヒースクリフ…なるほどね」
「まぁ、俺はもう語るべき事なんてないんだけどな。エギルとそこの野武士面の方が知ってんだろ。リーファ、シノン、聞かせてもらえ」
リーファの言葉に、リズは納得したように頷く。
アキトは、リズに言葉を返し、エギルとクラインを見る。リズの後ろから、シリカも混ざり、そんな彼女は切なく笑った。
「あの…あたしも聞いてていいですか…?…75層で起きた事…あんまり詳しく知らなくて…知りたいんです」
「シリカ……クライン、エギル、一緒に聞かせて。あたしもシリカも断片的に聞いただけで、よくは知らないから」
シリカの思っている事を理解したリズも、ここからの話を真剣に聞くようだ。その眼差しも、真剣そのもの。
アキトは、そんな彼女らを、ただ見るだけだった。
クラインは、エギルと顔を見合わせ、少し黙っていたが、やがて空いてる席に座り、口を開いた。
「…おしっ、分かった。多大な犠牲を払いつつ、オレ達は75層のボスを倒す事に成功したわけだ。その後、ある一人のプレイヤーがヒースクリフの正体を看破したんだ。奴は 【immortal object】……不死存在だった。…最強の味方がの一人が、実は最悪の敵ってシナリオだったわけさ」
「……」
アキトは、クラインの話を聞いて、その時の出来事の想像をしていた。クォーターポイントのボスは、他のフロアボスよりも強力なモンスターだ。何人もの犠牲が出ただろう。14人は死んだと聞いている。ヒースクリフの正体を暴いたのは…きっと、恐らくキリトだろう。
アキトは、無意識にその拳を強く握り締めていた。
「その目論見を暴かれた奴は、そのプレイヤーにこう言ったんだ。『一対一で戦って勝ったら75層でゲームを終わりにしてやる』と。…………」
「…クライン、さん…?」
そこから口を閉じ、顔を俯かせるクライン。その様子に、シリカは気付いた。リズも、ここから先、どうなるのか分かっていたから、クラインに何も言えなかった。
ユイも黙ったまま、何も言わない。エギルも、クラインを心配そうに見る。
リーファとシノンだけが、この状況を分からずにいた。
「……オレァあの時……もっとちゃんとよ、アイツを止めてりゃよかったって、今もスゲェ後悔してる」
「クライン……」
クラインは、組んでいた手の力を強める。その腕は、僅かに震えていた。
リズも、そんなクラインを見るが、言葉が出なかった。
「何が、あったんですか……?」
リーファは、ただならぬ雰囲気を感じ取っていたが、恐る恐る口にした。
クラインは、震える声で話し出した。
「ヒースクリフの正体を見破ったソイツは、ヒースクリフの決闘を受けた。勝って、この世界を終わらせる為に……オレ達の為に戦ってくれたんだ」
「……今もこのゲームが続いてるって事は……その人は……」
「いや……結果は相打ちだった。アイツは最後まで諦めねぇで、オレ達の為にヒースクリフを打ち破ってくれたんだ。けどこのゲームは終わらなかった。キリトが、命をかけてくれたってのに……」
クラインのその表情は、悲しみに暮れていた。
リーファもシノンも察しただろう。そのプレイヤーは、ヒースクリフと共に死んでしまったのだと。
そこまで話すと、クラインは再び口を閉ざした。これで話は終わりだと、そう言っているようにも見えた。
そして、長いようで短い、沈黙が続いた。
「……やっぱり、キリトさんは凄いです。最後のボスを倒したんですから」
その沈黙の中、シリカは悲しげに笑う。
彼らはそんなシリカを見て、微笑を浮かべた。
「…ええ、そうね」
リズは、シリカの肩に手を乗せる。シリカは、リズを見て力なく笑った。
クラインも、エギルも、そんな二人を見て口元が緩んだ。
「…そのキリトって人が、ヒースクリフを倒したプレイヤー?」
「ああ、アイツは間違いなく、この世界の最強プレイヤーだったぜ」
シノンの質問で、クラインは自身を鼓舞するかのようにテンションを上げて答える。
「…そうです…」
「っ…!? …ユイっ…ちゃん…」
突如、幼い声がその中に響く。
その場にいる誰もが声のする方を見た。
そこにはユイが、それまで一言も言葉を発しなかったユイが、小さな声でそう呟いていたのだ。
「パパは、とっても強いんです…向かうところ敵なしだったんですから…ママと二人…最強夫婦だったんですから…っ!」
「……」
「パパは…これからも…ママとっ…一緒にっ…て……!」
「ユイちゃん…」
「三人…一緒で…っ!…うぇっ……ぐすっ…!」
「っ…」
リズは思わず、涙するユイを抱きしめる。
その細い体は震えていて。やはり我慢していて。けど、この悲しみを消す方法を、自分達は知らなくて。
シリカは、ユイのその涙を見て、自分も泣きそうになるのを抑える。ユイまでもが泣くのを我慢していた事実に、堪えきれないものがあったのかもしれない。
クラインはユイのその泣き顔を見て、苦しい思いに襲われた。初めて会った時、ユイがキリトとアスナの娘だと聞かされても、何故か納得したのを覚えてる。たとえその関係は違うものでも、ユイの流すその涙は間違いなく本物で。
クラインは、拳を握り締めた。
彼らは、泣き続けるユイを、ただ見つめる事しか出来ない。
それがもどかしくて、たまらなく切なかった。
アキトは、ユイから目を逸らせなかった。ユイの泣き顔を見て、瞳が、心が揺れた。
あんな子までもが、キリトの死にあれほど嘆き、苦しんでいる。ユイがキリトとどんな関係なのかは、具体的な事は何も分からない。けれどアキトには、ユイのその涙でキリトとの繋がりを理解した気がした。
●〇●〇
「…あっ、リズさん…ユイちゃんは…」
「泣き疲れて…寝ちゃったわ。今は部屋よ」
リーファの問いに、階段を降りてきたリズはそう答える。今はきっと、出来る事は少なくて。これくらいしか出来ない。
「…あの子も、ずっと我慢してたんでしょうね…」
「そりゃそうよ…自分の父親を失くしたんだもの…」
シノンとリズは、ユイが眠る部屋の続く階段を眺める。
あんなに小さい女の子も、泣いてばかりではいられない事を分かっていて、ずっと泣くまいと堪えていたに違いなかった。キリトの存在が、どれほど心の中で大きくなっていたか、改めて実感する。
すると、リーファは気になる事があるのか、恐る恐ると口を開いた。
「あの…ユイちゃんのママって…もしかして…」
「……アスナよ」
「……って事は、キリトって人とアスナさんは恋人だったんですか?」
「恋人どころか、結婚してたわよ」
「ええーーー!? き、キリトさん…結婚してたんですか…!?」
リズの結婚の一言で、シリカは驚愕の声を上げる。
リーファもシノンも、少なからず驚いたようだ。リズはそんな反応をするシリカを見てクスクス笑い、やがてどこか遠くを見るような目で、口を開いた。
「アスナ…今は少し張り詰めてる感じだけど…ホントはもっと、優しい娘なのよ?強くて、カッコよくて…笑った顔がホントに美人で…キリトといる時なんて…すっごく幸せそうで…」
「……」
リズのそんな悲しげな声音は、アキトの耳にすんなりと入り込む。
アキトは、ずっと黙ったまま、彼らの話を聞いていた。
リーファもシノンも、なんならシリカも、今のアスナしか見た事がない。けどそんなに優しい人だったのなら、変わってしまった理由も明白だった。
それはきっと、キリトの死。
「けど…今のアスナは凄く不安で…心配で…どうにかしてあげたいけど…どうしたらいいか分かんなくて…。もしかしたら、アスナはゲームクリアまでずっとこのまま、前のように笑ったり怒ったりしなくなるんじゃないかって…今も怖いの」
「リズさん…」
誰も、リズに言葉を返せない。彼ら自身、どうしたらいいのか分からないから。この世界に来たばかりのリーファとシノンなとっては尚更だった。
「キリト…さんって、どんな人だったんですか?」
リーファとシノンは、キリトの事も、アスナの事もよく知らない。だからこそ、話を聞きたいと思った。彼らの悩みを、一緒に共有したい。
出会ったばかりだけど、彼女達は、リズの事を仲間だと思っていたし、力になりたいと思っているからだ。
不意にリーファに質問を受けて、リズは少し驚いたようだったが、すぐに小さな笑みを浮かべた。
「そうね…凄く…強かったわ。レベルとかだけじゃなくて、心、みたいなところも」
「それに、すっごく優しい人でした」
リズに続いて、シリカも笑ってそう答える。クラインもエギルも、そんな二人の言葉に頷いた。
「そうだなっ、キリトの野郎はスゲェ奴だった。一人でボスを倒すくらい強かったしな」
「だな。74層攻略の記事を見た時は笑ったもんだ」
クラインとエギルも、そう言って笑う。
二刀流の五十連撃、なんて話に尾ヒレのついた記事を思い出しながら。
「それに、色々メチャクチャだったわね〜…壁とか走るし」
「そ、それは凄いわね…」
その常人ではありえないような行動を聞いて、シノンは若干引いていた。
「あっ、それにこの前もアイツが…」
そうやって会話が続く彼らを、アキトは何も言わず、眺めていた。
いつの間にか、彼らの中には暖かな空気が生まれていた。みんな、キリトとの出会い、そこから紡がれた思い出を、楽しそうに語る。
キリトを知らないリーファやシノンも、その話を聞いて、笑みを浮かべている。そんな彼らを見て、アキトはなんとも言えない感情を抱いていた。
キリトは死んでもなお、彼らの心に寄り添っているような…そんな気がして。
ふと、彼らの姿が、かつての仲間と重なった。
(俺も…ずっと前に、キリトとみんなと…)
リズはそんなアキトに気付いたのか、少しニヤけた顔でアキトを指さした。
「そうね…外見は全身真っ黒でね〜…丁度そこで黄昏てる奴そっくりだったわ」
そう言うと、シリカも、リーファも、シノンも、クラインも、エギルもアキトに視線を動かした。
皆、アキトを見ていた。
── こんな景色を、俺は見た事がある。
アキトはその時、一種の幻を見た気がした。
彼らがかつての光景に重なり、過去に戻ったかのような幻覚に襲われた。
── いやー!今日の狩りも順調だったなー!──
── キリトとアキトは、やっぱり戦い方が上手いなー…──
── 二人が居れば最強だな!──
── ちょ、やめてよ…キリトはともかく俺はそんな…──
── おい、俺はともかくってなんだよ…──
── ふ…フフッ…──
── さ、サチ…笑うなって…───
…これは、かつての俺が願ったもの。
俺が望み、掴み、そして手放してしまったもの。
アキトは、我に返った。目の前を見ると、そこは先程の光景が広がる。リーファやクラインが、アキトに向かって口を開いた。
「へぇー…そのキリトさんって人も、アキトさんみたいに真っ黒だったんですね」
「そうそう!奴は<黒の剣士>って二つ名が付くくらい、装備は黒かったんだぜ」
話が弾んでいる中、アキトは不意に立ち上がった。みんな、いきなりの事で、目を見開いていたが、気にする余裕もつもりもない。
「……一緒にするな」
アキトは、彼らの話を早く終わらせたかった。かつての光景と重なる彼らを、これ以上見たくなかった。
「…俺は…あんな奴とは違う…」
『っ…!』
「あんな奴だとぉ……!」
その言葉に、クラインが立ち上がる。
リズ達も、少なからず怒りの感情があったかもしれない。しかし、アキトはそんな事に気が付かない。早く、この場を離れたい一心だった。
「俺とキリトは全然違う…あんな奴と一緒にされたら迷惑だ」
「っ…テメェ…」
クラインがアキトの胸ぐらを掴む。
怒りの感情を少なからず持っていたリズ達でさえ、そのクラインの行動に驚いた。アキトは、そんなクラインの瞳を真っ直ぐ見つめる。
そうだ。自分とキリトはあまりにも違う。自分はキリトのように、アイツのように強くない。キリトの為に怒ってくれるような仲間も。死んでもなお大切に思ってくれる仲間も。
自分にはいない。
エギルは、クラインのアキトを掴む腕を掴んだ。
「クラインっ…やめろ」
「っ…だってよぉ…!」
「店で騒ぎを起こすな…みんな見てる」
「っ……チィッ…!」
エギルに制されて、クラインはアキトを掴む手を離した。
アキトは、乱れた服を整えることもなく、自室に続く階段に向かって歩を進める。
リズは、階段を登るアキトの背を見ながら、口を開く。
「…キリトは『あんな奴』なんて言われるような奴じゃない。アンタなんかと違って、強くて、優しくて、人の事を思える奴だった」
── そんな事…誰よりも俺が分かってる。
「キリトの事何も知らないのに…偉そうな事言ってんじゃないわよ」
── 知ってるよ…ずっと前からな。
アキトは、そう思いながらも、彼らに反論はしなかった。何も言わず、その階段を上り続けた。
「…はあ…」
アキトがいなくなった事を感じたリズは、力を抜くかのように溜め息を吐く。
そして、力なく笑う。
── …こんなキャラだったかな、あたし。
溜め息を吐くリズを、一同は見つめていた。
リズはその事に気付いてか、口を開いた。
「……あたしもさ、なんだかんだ言って、キリトの事、よくは知らないのよね」
むしろ、これから知っていきたいと思っていた。願っていた。
こんなにすぐに会えなくなるなんて、思ってもみなかった。
「…っ………あれ……」
「っ…。リズ…貴女…」
リズから伝う涙に、シノンは驚いた。シノンだけじゃない、誰もがリズの涙する姿を想像していなかった。
「……あ、あれ…なんでだろ…ははっ…みんな、ゴメンちょっと…全然、止まんなくて…」
「リズ、さん…」
「…リズさん…」
シリカとリーファは、涙するリズに寄り添った。
リズは、そんな二人を見て、色々限界だった。
「…っ、二人とも…ゴメンっ…」
シリカめリーファもリズのその言葉に、切なく笑うだけだった。
二人も、シノンも。クラインもエギルも。こんな時にかける言葉など、知るわけもなかった。
大切な人を失う事が、こんなに辛い事だなんて、想像出来ただろうか。
大切な人を失った時のことを、深く考えた事があるだろうか。
「…くそぅ!!」
クラインは、壁を勢いよく殴りつけた。破壊不能の警告が表示されるが、そんな事はどうでもよかった。
その顔は、怒りのような、悔しさのような、そんな感情が入り混じっていた。
エギルはそんなクラインに文句を言うわけでもなく、ただ拳を握り締めた。
ただただ、泣いているリズを悲しげに見つめていた。
彼らは、失う辛さを、知らなさ過ぎた。
「……」
ふと、シノンは階段の先を見上げた。
そこは、先程アキトが上った階段だった。
シノンの足は、自然に動いた。
「……」
「?…っ、シノンさん…?」
階段を上るシノンに気付いたリーファは、シノンに声をかける。
そんなリーファに反応し、他のメンバーもシノンを見た。
しかし、シノンはリーファの呼びかけにも反応せず、階段を上る。
その時の行動原理がなんだったのか。
この時、シノン本人にも分からなかった。
●〇●〇
階段を上り切ったアキトは、重い足取りで自室に向かった。
しかし、中々自分の部屋に着かない。
アキトは、今にも倒れそうだった。
右手で頭を抑える。頭痛がするようだった。
何度振り払っても、先程の事を思い出す。そのせいで、色々な事も連鎖的に思い出してしまう。
「…キリト…」
ふと、その名を呼ぶ。かつての、英雄の名を。
その名を口にするだけで…怒りのような、悲しみのような、どこにぶつけていいか分からない苛立ちのような感情が募る。
「っ…」
キリトはソロプレイヤーだった。
けど、それは孤独という意味では決してなかった。
あんなに、キリトを思う仲間がいた。
彼は、一人ではなかったのだ。
「独りなのは…俺か…」
自室の扉の前まで来た。けど、その部屋には入らない。
アキトは、その扉の横の壁にもたれかかった。
独りは…とても寂しかった。
けれど、この世界に来て、寂しくはなくなった。
それは、過去の出来事。
俺にも仲間がいた時の事。
けど、気が付けば、俺はまた独りで。
失ってしまうのは、ほんの一瞬で。
失いたくないと、感じる事すら許されなかった。
それでも、また欲しくて手を伸ばした。
なのに、またその手は届かない。
俺に無いものを、キリトは持っていた。
俺が欲しかったものを、キリトは手に入れた。
それが羨ましくて、妬ましくて。
キリトは俺の憧れで。憎しみの対象で。
ヒーローみたいなキリトにイラついて、それでも、決して嫌いにはなれなくて。
気が付けば、アキトの頬には水が伝っていた。
その瞳は、髪に隠れて見えなくなった。
アキトは拭う事もせず、ただ壁にもたれ続けるだけだった。
「……」
その涙は止まらない。
だが、その瞳には、忘れられない過去の光景が映し出されていた。
── …なぁ、アキト。…えと、…あの、さ…──
── …歯切れ悪いなぁキリト…どうしたの?──
── …ゲームクリアになってもさ…俺達、現実でも友達になれたらいいな──
── ……うん。そうだね ──
「……バカヤロー……」