遅くなりました。
自室で仰向けになりながら、アスナは記憶を辿る。
突如目の前に現れた、一人の少年の事を。
その少年は、何の前触れも無く現れて、自分を睨み付けていた。
初めて会った時、驚愕で動けなかった。
とても綺麗な顔で、誰もが見惚れるものだったけど、決してそんな理由ではなくて。
とても、似ていたから。自分の想い人に。
愛する人のいなくなった世界で、生きている意味なんてないと思ってた。実際、色々な事が見えていなかった。
親友の顔も、キリトを心配して追いかけてきてくれたビーストテイマーの少女も、新しくこの世界に来た二人にも。
自身の娘にだって、酷い態度を取っていたかもしれない。
なのに。
どうして、あの少年だけに対して、ここまで意識して、ここまで食ってかかっていたのだろう。
意味の無い世界で、どうしてあんなにも、彼を意識していたのだろう。
『…ならお前に、俺の気持ちは分かるのか』
「……」
自分は彼の言う通り、自分の事しか考えていなかった。
あの時の表情、苦しげで、哀しみを帯びた、儚げな顔。触れれば壊れてしまうような、脆いものに感じた。
「…分からない…私は…貴方じゃないもの…」
だけど、彼らに私の気持ちが分かる筈が無いとは、思えなかった。
アキトの言う通り、この世界で大切な誰かを失った人は多いのだから。
だからこそ、きっとアスナがしていた事は、間違いなのだと分かる。
皆の命を背負う事も無く先導して、命の危機に晒して。
もしかしたら、アキトも自分と同じ、誰か大切な人を失ったのかもしれないのに────
「…パパ……ママ……」
「っ…」
突如隣りでそんな声が聞こえる。細く、震えるような声。
視線を動かしてみれば、そこに眠るのは自身の娘。コチラの服をキュッと掴み眠っている。
「…ユイちゃん」
アスナはポツリとそう呟くと、彼女の髪を梳く。頭を撫でる。
ユイにも、寂しい思いをさせていただろう事は分かっていた。だけど、自分は彼女に何もしなかった。
それはきっと、死ぬ事を前提に攻略してきたから。
ユイを独りにさせることを、理解した上での行動だったから。
なんて、身勝手な母親だろう。まだ、自分の母親の方が娘の事を思っていた。
だけど、どうする事も出来なくて。
ただ、キリトに会いたくて。
「キリト君…」
私は、どうしたら────
その部屋では、剣を研ぐ音だけが響く。鉱石を叩く音だけが聞こえる。
その音が響く場所は工房、76層<アークソフィア>に建てられた、リズベットの新しい武具店だった。
彼女はこの層に来る前、スキルがバグで消失するまでは、女性のマスタースミスとして、下の層で有名なプレイヤーだった。
今彼女は何を考えながら、その鉱石を打っているのだろうか。
「っ…、あ……」
手元が狂ったのか、剣の形になっていた鉱石が、一瞬で破壊され、その剣はポリゴンとなって散っていった。
「あー…またやっちゃった…」
リズベットは頭を抱える。だけど、こう何度も失敗すると、流石にそれも慣れてくる。
最近、この手の失敗が多い。他人の武器のメンテナンスでこそ失敗しないから良いものの、こうも一人でスキル上げに勤しんでいると、こういったミスが目立つようになっていた。
理由など、考えるまでもなく分かっている。
「……はぁ」
あれから、アキトは店に来ない。
それどころか、エギルの店でも会う事は叶わなかった。
エギルだけじゃなく、シリカもリーファもシノンもクラインも、ユイも、最近顔を合わせていないという。
いや、フレンド登録している訳だから、位置情報は分かるし、生きている事は確認出来る。
会うのを躊躇っているのは自分の方だった。
メッセージを送る勇気も無い。ただ一言、謝りたかった。
─── 叩いてゴメン、と。
今度は、知っていくつもりだったのに。何か、理由があったかもしれないのに。
守ってくれと、そう頼んだのは自分だったのに。
結局自分がした事は、アキトの言葉に反応して平手打ちを食らわせただけ。
情けなくて笑えてくる。
リズベットは、消えかかっている空気中のポリゴン片を眺めて、思いを馳せる。
アキトを見ていると、どうしてもキリトの事も思い出してしまう。
初めて、キリトに出会った時の事。自分が丹精込めて鍛えた業物を、一瞬で粉砕されるという衝撃の出会い。
あの時は、キリトの事を好きになるなんて、とても思わなかった。なんて失礼な奴、そんな風に思っていて。
一緒にボスを倒しに赴き、一緒にボスの巣穴に落ちて、一緒に夜を過ごして。
あの時に感じた手の温もりは、確かに本物で。
好きになった気持ちに、嘘偽りは無くて。
アスナにアキトが放っていた言葉の一つ一つを、リズベットは覚えていた。
感情表現が過剰に演出されるこのSAOで、自身の感情を隠す事は難しい。
あの場でアキトの顔を真っ直ぐに見つめていたリズベットだから分かる。アキトのあの言葉が、本心では無かったであろう事は。
アキトも、この世界の温もりを知っているであろう事は。
あれはきっと、アスナを庇った行為だった。
なのに────
「…ホンット…馬鹿なんだから…」
リズベットは自嘲気味に笑い、その場にしゃがみ込んだ。
その言葉は、或いは自分に対して。
こうもあっさりと、自分で立てた目標を破ってしまうのだ、アキトの事に文句など言えたものじゃない。
あの時、苦しげに見えたアキトの表情が、頭から離れなかった。
「こんにちわー、リズさんいますかー?」
「っ…」
店の方から声が聞こえる。知っている声。
ビーストテイマーのシリカのものだった。
リズベットは慌てて立ち上がり、工房を後にする。
店の方の扉を開くと、声の主の他にもう一人いるのが見えた。
「いらっしゃい、シリカ…あれ、シノンも?どうしたの?武器のメンテって訳じゃないわよね」
「街をブラブラしてたら、そこでシリカに会ってね。これからリズの店に行くから一緒にどうかって誘われたのよ」
「ちょっと遊びに来たというか…」
シリカと共にこの店に足を踏み入れたのはシノン。
来るのは初めてなだけあって、物珍しいのか、辺りを見回していた。
そんな二人を見て、リズベットは思わず笑ってしまう。
シリカは出会って間もないが、よく周りを見てくれていると思う。気遣いが出来て、今もこうして自分の様子を見に来てくれて。
シノンも偶然風を装っているが、もしかしたら思う事があったのかもしれない。
そう思うと、感謝の気持ちで一杯だった。
「へぇ〜…なら手伝って貰おうかしら」
「あっ、武器の鍛錬ですか?…そういえば、武器が出来る所って見た事ありませんでした」
「…そういえば、スキルが幾つか消えたって聞いたけど…」
「そうなのよー、鍛冶スキルをねー…元のクオリティに戻すのにまだまだ時間掛かりそう…」
たはは…と笑うリズベットの表情は、少し固い。
この層に来た瞬間に、バグで鍛冶に必要なスキルが幾つかロストしていた事は、今でもショックだ。
また鍛えれば良いと思っていても、やはり何処か悲しくて。
「…何をすればいいの?」
「シノン…?」
シノンはそんなリズベットを見て何を思ったのか、真っ直ぐに見つめてそう言ってきた。
けどその表情は穏やかで、とても温かい。
心配してくれているのが伝わった。
「あ…あたしも手伝います!」
「きゅるぅ!」
シリカも笑顔でリズベットに視線を向けた。頭に乗っているピナも、そんなシリカの意気込みが伝わったのか、呼応するように嘶いた。
「シリカ…ありがとね。じゃあまずこの武器を質が良いのと悪いので分けてくれる?」
「っ…分かりました!」
「凄い量ね…」
リズベットが出した武器は山のように重なり、シリカもシノンも驚いた。
だがすぐに武器を手に取ってステータスを確認していく。
リズベットはそれを横目で確認しながら、躊躇いがちに口を開いた。
「あの、さ…二人とも…。最近、アキトに会った?」
「アキトさん…ですか?いえ…」
「……」
その質問に、シリカは首を傾げつつ応える。シノンは何か心当たりがあるのか、剣を持ちながら固まっていた。
「…シノン?」
「っ…あ、ええと…ごめんなさい…私も見てないわ」
「…そっか」
「…何かあったんですか?」
リズベットのその反応を不思議に思ったのか、シリカはリズベットにそう問いかけた。
シノンもリズベットを横目に、武器のステータスを確認していた。
リズベットは苦笑いしながら、持っている武器の鑑定を続ける。
「…ちょっと…この前のボス戦でね」
「…そういえば街中でいろんなプレイヤーの方が話をしているのを聞きました」
「…『黒の剣士』がどうとかってヤツよね」
シノンのその言葉で、リズベットはこの前のボス戦を思い出す。
キリトのような強さを見せたあの少年を。
あの時の雰囲気、戦う姿、声。いろんなものが、想い人に重なって。
きっと、そう思ったのは自分だけじゃなくて。
キリトを見た事がない、中層から来たプレイヤーも、黒づくめの剣士が攻略組にいるのを見て、アキトが黒の剣士と思うのも無理は無かった。
下層に下りられない今、キリトの死という情報はあまり出回っていないからだ。
「アイツ…凄く強かったのよ…ホントに、キリト…みたいで…」
だけど、あの時見た表情は、そんな事を感じさせなくて。
とても辛そうで、痛々しくて。
「ちょっとね…色々あって…あたしが我慢出来なくてひっぱたいちゃったんだけどさ…」
今にしてみれば、あんな状態のアスナへのヘイトを自身に向ける為のものだと何故分からなかったのだろうと思う。
エギルはあの様子を見ても何も言わなかった。クラインも、そんなアキトを見つめていただけ。
自分は、アキトの事を、何か一つでも分かってあげられていただろうか。
「ううん…違う…アキトはきっと、叩かせてくれたんだ」
儚げに俯くその視線に映るのは、自身の作った武器。その刀身から、あの時の光景が映し出されるように感じた。
アキトはあの時、寂しそうに笑った。誰よりもここに居る皆の事を守ろうとしてくれたその少年は、誰よりも強くて、誰よりも脆く見えた。
誰もが皆、大切な人の死を感じて。それを我慢して。
きっとアキトも、その一人だというのに。
彼は、アスナとはまるで正反対。彼はきっと、乗り越えた人間なんだ。
そう思うと、とても悔しく感じて。
「…どうして…こんな世界があるのかな…」
「…え?」
「ここに来なければ、私達は出会わなかったかもしれない。…だけど、この世界に来なければ、失わなかった命だって沢山…」
「リズさん…」
その問いはきっと、この世界で誰もが無意識に感じるものだろう。あったかもしれない未来。死ななかったかもしれない命。だけど、手に入らなかったであろうもの。出会わなかったであろう大切な人達。
タラレバを言い出せばキリがない。
この世界の存在する意味。
この世界に、その問いの解を出せる者がいるだろうか?
自分達がどんなに考えても、それは正解ではないかもしれない。とても崇高な願いの元に創られたのかもしれない。もしかしたら、大した理由など無かったのかもしれない。
きっとそれは、この世界の創造主でなければ分からない。
「…みんなその答えを、探しているのかもね…」
「…そうかな…うん、そうかも」
シノンのポツリと呟くその言葉を聞き、リズベットは小さく笑う。
誰もがこの世界に抗い、戦い、生きる理由がある。求めた願いがある。手に入れたい未来がある。
きっと、誰もがこの世界で生きる意味を探している。
「ゴメンね、しんみりさせちゃって」
「…いえ。…あの、リズさん。何か困った事があったら、いつでも呼んでくださいっ、あたし、手伝います」
「…ありがと、シリカ」
捲し立てるように言葉を発し、自身を慰めてくれているであろうシリカに、リズベットは情けなさを感じた。
自分より年下の子相手に励まされるなんて。
そんな事を考えていると、シリカの後ろからシノンの視線を感じた。シノンはコチラを見ると、すぐに口を開く。
「…それで?アキトとはどうするの?」
「へ…?」
「こういう事って、長引けば長引く程謝りにくくなりますよ!」
「え…えと、その…別にケンカって訳じゃ…」
「アイツ、凄く頑固そうだもの」
「ですよね…あ、この前も私のバイト先で…というか、クエストなんですけど、その時に…」
シノンとシリカがアキトの会話を続けるのを見て、リズベットは堪らず目を逸らす。
だが、確かにアキトに謝りたい気持ちもある。アキトがこの店に顔を出さないのは、アキトも自分と顔を合わせづらいと思っているからかもしれない。
もしかしたら、武器の耐久値も危ないかもしれない。だとしたら、アキトの為にも、仲直りしなければならない。
「…うん…そうね。早く、仲直りしないとね…」
その一言に、シリカとシノンは互いに顔を見合わせて微笑む。自分達の知り合いが気不味い雰囲気なのは、コチラとしてもどうにかしてあげたくなってしまう。
リズベットが拒むならそれまでだったが、リズベットは優しい女の子なのは、出会って間もない二人でも理解出来ていた。
「じゃあ、早速アキトさんを呼びましょう!えっと…アキトさんは…」
シリカはフレンド登録されているアキトの位置情報を確認すべく、ウィンドウを開く。
シノンはその動作を見て、リズベットとシリカを交互に見た。
「…他のプレイヤーの居場所が分かるの?」
「あ…うん。フレンドなら一応…」
「…って、事は、二人はアキトとフレンドなのね」
「はい、初めて会った時に…」
「…そう。そうなのね…」
シノンはそういうと、二人から視線を外し、武器が積まれた山から武器を掴み、鑑定していく。
その表情は、いつもと変わらないように見えるが、なんとなく不機嫌にも見える。
(…私が申請した時は拒否した癖に…)
シノンは以前、戦闘訓練の為の連絡手段として、アキトにフレンドの申請を出したことがあった。
だがアキトは目の前に出されたフレンド申請のウィンドウのNOボタンを躊躇いなく押したのだ。
街にいるなら登録する必要なんてないと言われ、そのまま帰られてしまったのは記憶に新しい。
その時の表情が寂しげだったのも覚えている。
だけど、なんとなく気に入らなかった。
「っ…!? え……!?」
シノンがそんな事を考えていると、隣りからシリカの声が。見れば、その瞳は震え、ウィンドウから目を逸らさない。
リズベットもシノンも不思議に思い、シリカの近くに寄る。
「シリカ?どうしたのよ?」
「何かあったの?」
「こ…これ…」
シリカがウィンドウを可視化させ、二人に見せる。
そのウィンドウを覗き込んだリズベットとシノンは、互いに瞳を大きく見開いた。
アキトの位置情報が、ロストしていた。
●○●○
その黒い少年は、いきなりこの場所に現れた。
転移のエフェクトを体に纏って。
その場所はやや暗い空気に包まれ、木々が並ぶ森のようだった。
一層ずつ登って来たアキトに、このフィールドの記憶は無かった。
「…何処だここ」
78層の迷宮区前でモンスターを討伐していた筈のアキトは、見た事も無い場所に転送され、辺りをキョロキョロと見渡していた。
そもそもここが78層なのかどうかも怪しい。アキトは辺りの雰囲気と、78層の雰囲気を重ね合わせて、そんな事を考えていた。
アキト自身、見た事のないフィールド。つまり、未知の場所。
このデスゲームにおいて、未知のフィールド程怖いものは無い。
どんな恐怖が待ち受けていて、どんなタイプのモンスターがいるのか。
誰も踏み入れた事の無い場所なんて。開拓されてない土地なんて。
「…キリトなら、喜びそうだけどな…」
あのゲームオタクなら、きっとこの場所に進んで足を運ぶだろう。レアな装備やスキルがあるかもしれない、そう言って。
かつての仲間、光景を脳裏に映し、懐かしむように笑う。やはり、どこか寂しそうに。
だが次の瞬間、その表情は固まり、俯いていたその顔をパッと上げる。
「…何か…聞こえる…?」
アキトは辺りを再び見回し、その音を聞く。
確かに聞こえる。何かの金属音、モンスターの雄叫び。声量からするに、大型のモンスター。金属音は、恐らく武器。
つまり、プレイヤーが大型モンスターと抗戦中の可能性が出てきた。
金属音の間隔から考えるに、プレイヤーは恐らく一人。
「っ…マズイ…!」
アキトは急いで音のする方へと駆け出す。
あらゆるスキルを駆使し、木々を避け、スピードを緩めずに突っ走る。
木と木の間から光が差し込むのを確認し、アキトは一気に森を抜けた。
するとそこには、HPがイエローの状態で膝をつくオレンジカーソルの少女と。
巨大な鎌を持った、骸の百足のような大型モンスターがいた。
アキトは思わず目を見開いた。骸型のモンスターのHPバーは4本。つまり、ボスモンスター。
そんなモンスターと、彼女は一人で対峙している。
だが、アキトはそれ以上の驚きを感じていた。
何故か、既視感を感じた。
目はそのボスから逸らせない。体は震えて動けない。体の全細胞が、目の前の敵は危険だと発している。
頭の中を、何かが駆け巡る。プレイヤーが次々と死んでいく様子が。それも一撃で。
全て、目の前のモンスターによって。
BOSS : 《 Hollow Reaper 》
初めて見るモンスター、名前も知らない筈なのに。
だけど、何故か知っている。
この、目の前のモンスターを。骸の真名を。
「『…スカル…リーパー… 』」
アキトがそう呟くと、その言葉に呼応するように、ホロウリーパーは咆哮した。
そろそろフィリアが登場ですね。
誤字は修正機能の方からお願いします。
何かありましたら、感想欄にお願いします。修正します。
そうでなくても、感想を貰えるだけで嬉しいですけどね。