東方桃玉魔 〜ピンクの悪魔が跳ねる時、幻想郷は恐怖に慄く〜 作:糖分99%
お留守番と桃色玉
『夢』
①睡眠中に持つ幻覚。
②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。
③空想的な願望。心のまよい。迷夢。
④将来実現したい願い。理想。
〜広辞苑・第六版より〜
●○●○●
すでに春の陽気は北へ流れ、代わりにじっとりとした湿り気が空を満たすようになった頃。
瘴気と妖気と魔気が入り乱れ、人の近づくことはない魔法の森には、信じがたいことに家が建っている。
妖怪のものではない。人間のものである。
洋風な外観に、天辺にはなんと望遠鏡まで備えられている。
その隣には寄り添うように大木が屹立し、ファンタジックな雰囲気を醸し出している。
こんな幻想的な家に住む者の姿を想像するとしたら、皆思い浮かべるのは魔女だろう。
そしてそれは、当たらずとも遠からず。
その家の主は、人間の魔法使い。
その家の主が、玄関扉を開け放ち現れる。
そう、霧雨魔理沙である。
彼女は、心なしか慌てているように見えた。
「カービィ! どこ行ったー!」
そう叫ぶ彼女の右手には、メザシと卵焼きが乗ったままのフライパンが握られている。
どうやら朝食を作っている最中だったようだ。そしてその途中でカービィを探しているということか。
霊夢と合わせ少々せっかちなところのある魔理沙らしいといえばらしい。
いやしかし、今回は魔理沙がせっかちなだけではないといえる。
何せ、探しているものはカービィなのだ。
しばらく共に暮らしているうちに、魔理沙もカービィのことがなんとなくわかって来た。
その最たるものが……
「ぽよ!」
「あっ、カービィまた木の上で寝ていたな!」
元気な返事が聞こえて、その方を見てみれば、家の横の木に戯れで作ったハンモックから身を乗り出すカービィがいるではないか。
こういうことはしょっちゅうある。
一緒に暮らすことになって、カービィの大きさに見合ったベッドも用意したのだが、よほどお気に入りなのか三日に一度はいつの間にかこのハンモックで寝ているのだ。
そう、カービィは自由で少しばかり気ままなところがあるのだ。目を離せばいつの間にかどこかへ行っていたりと、行動が予測できない。
保護者的立ち位置にいる魔理沙としては、毎日がハラハラの連続である。
しかも体質は子供なためか、一度寝るとビクともしない。呼びかけても起きない。結果放置するしかなかった。
とすると、なぜさっきの呼びかけに、寝ているカービィは答えることができたのだろう?
答えは単純であり、それこそ魔理沙が暮らして来てわかったカービィの最たる特徴、そして魔理沙がフライパンを持ってカービィを探す理由である。
魔理沙の持つフライパンから立ち込める、香ばしい匂い。それにつられて起きたのだ。
そう、カービィは食べ物への執着が尋常ではないのだ。
カービィが魔理沙の家に来た初日から驚かされた。
なんと夕食を一口で食べてしまったのだ。
最初こそ面白がって、家にある備蓄の食料で料理を作っては投げ、作っては投げ、カービィがそれら全てを吸い込むという行動を繰り返していたが、成人男性五人前を作ったあたりで、未だなんら苦もなく食べる様子を見ているうち、底の知れなさに恐れをなした。
今のところ、最高記録は初日の成人男性五人前。
ただしそれが限界だとは思えない。
寧ろ、まだこれからという気すらする。
当然、以後の魔理沙のエンゲル係数はだだ上がりである。
別にカービィは一日に人一人分食べられるのならば生活に支障はないらしい。
しかしカービィがねだるので、結局魔理沙の分に加え、大人二人分の食料が毎日魔理沙の家から消えてゆくのだ。
一体カービィを宴会に連れて行ったらどうなるのか。
食べ物が瞬く間に全てなくなりそうだ。
しかし過食とちょっとばかり自由なところを除けば、非常に良い子である。
部屋も綺麗にしてくれるし、そのほか手伝いもしてくれる。
時折ドジも踏むが、ご愛嬌だ。
閑話休題。
魔理沙に呼ばれたカービィはぷくっと体を膨らませ、まるで風船のようにゆっくりと地上へ降りてくる。
こんな方法で空を飛べるのだから、本当に不思議なやつだ。
そんなことを思いながらも、魔理沙とカービィは家の中へと戻る。
「カービィ、あまり外で寝るんじゃないぞ?」
「ぽょ?」
「夜の屋外には怖い妖怪達がうろついているからな。いくらカービィでも寝込みを襲われたらたまらんだろう?」
「ぽよ……」
自分を叱っているのだと察したからだろうか。俯きがちになり、しゅんとするカービィ。
その様子にちょっとばかり気の毒になった魔理沙は、語気を緩める。
「ま、正面から戦えれば大丈夫だとは思うがな。でもあまり私に心配かけないでくれよ?」
「うぃ!」
「さ、できたぞ!」
コトン、と食台の上に朝食が並べられる。
その内容は炊きたてのご飯、メザシ、卵焼き、お味噌汁。ごくごく一般的なものである。
しかし、その量は到底小さなカービィと魔理沙の食べる量には見えない。
というより、カービィの分が異常に多い。
ご飯はこんもりと漫画のように盛られ、メザシは魔理沙が一尾のところ、三尾。卵焼きはほぼ一巻き分。味噌汁も丼に入っている。
信じられないが、これがカービィが来てからの霧雨魔法店の食卓である。
すでに魔理沙は慣れてしまっている。
「いただきます。」
「いたぁきあす!」
手を合わせて食事を始める。
魔理沙はいつものように箸を使う。
カービィはといえば、その突起のような小さな手でどういうわけか器用に箸を使って朝食をとっている。
魔理沙が一から教えたのだ。
カービィは子供の柔らかい頭をしているためか、飲み込みが早く、ひと月もしないうちに大人と変わらないくらい巧みに箸を使えるようになっていた。
そしてその箸の技術で、どんどん食卓に並んだ料理が消えてゆく。
行先はカービィの小さな体にある、底知れない胃袋。
魔理沙よりはるかに多い量を魔理沙よりも圧倒的に早く食べ終えてしまう。
「ごちそーあま!」
「むぐ、カービィちゃんと噛んで食べているのか? ……あ、そういえば歯はなかったな。」
「うぃ!」
そして食べ終わった後に残る食器を片付け、洗ってゆくカービィ。その手つきも慣れてきつつある。
ちなみに当然ながら食べ残しはない。メザシの骨すらもない。全ては胃の腑に収まっている。子供の好き嫌いが激しくなる昨今、子供達はカービィを見習ってほしいものだ。
……いや流石に骨まで食えとは言わないが。
すっかり魔理沙の家の暮らしに馴染んできたカービィ。
そんなカービィも、まだやっていないことがあった。
それは『お留守番』。
魔理沙が里へ買い出しに行く時も、カービィを帽子や手拭いの中に隠して連れてきていたのだ。
もちろん、見た目がどう見ても人外なカービィは、人の目に触れれば大騒ぎになるだろう。
しかし、家に残すのはなんとなく気が引けていたのだ。
図太い魔理沙といえども、心配はする。
さらにカービィの自由な気質を顧みればなおさらだ。
そんなわけで魔理沙はカービィを一人にしたことはなかった。
だが、この暮らしに慣れてきた今、『お留守番』をさせるいい機会ではないか。
そう考えに考え、魔理沙は切り出した。
「カービィ。お留守番ってわかるか? 私が外にいる間、家で待っていることだ。」
「ぽよ? おるすー?」
「これから里へ買い物に行ってくる。その間、家で待ってられるか?」
「ぽよ!」
まかせて!
そう言わんばかりにその場で跳ねるカービィ。
どうやら魔理沙が思った以上に、カービィはしっかりしているようだ。
本人が了承するのならば、きっと大丈夫だ。
守矢の神二柱を破ったのだ。万が一襲われても返り討ちにできるだろう。
とすると、お留守番に気がかりなことは、勝手に外に出てしまうことだが……言いつけは守る子なので、きっと大丈夫だろう。
むしろ頼りになるお留守番ではないか。
「そうか。なら行ってくるぜ。」
「うぃ!」
魔理沙は朝食を取り終えると、軽く準備をして箒にまたがり、空へと駆け出した。
そしてそれを手を振って見送るカービィ。
これにて、カービィの初めてのお留守番が始まったのだ。
●○●○●
人里が見えてきた。
魔理沙はゆっくりと下降する。
「さて……何買おうかな。あまり重いものは買いたくないんだが、すぐ底をついちまうしなぁ。」
魔理沙は頭の中で買うものを列挙してゆく。
まめな人は予めメモに書いたりするものだが、魔理沙は残念ながらそういうタイプではない。
だが、ただの買い物である。メモ一つで何か事態が変わることなぞありえない。
しかし忘れることなかれ。
ここは幻想郷。
魑魅魍魎の住まう地なり。
メモ云々はともかく、いつ、どこで、何が起きるのか、誰も予想し得ない。
魔理沙はあたりが急に暗くなってゆくをの感じた。
最初は日に雲がかかったかと思ったのだ。
だがその割には、紅い。
はっとして上を見る。
するとそこには、かつて解決したはずの異変を、そのまま再現したかのような現象が、幻想郷の空に起きていた。
幻想郷の空を覆うもの。それは紅い霧だった。