ソードアート・オンライン ~時を越えた青薔薇の剣士~   作:クロス・アラベル

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お待たせ致しました(クソデカボイス)
もうあと少しで年が明けようとしている中、ギリギリで書き終えた話を投稿します、クロス・アラベルです。
めちゃくちゃ時間がかかってしまったのは、純粋にスランプに陥ったのと、文字数が多くなってしまったが故です()
では、アインクラッド編最終回を、どうぞ〜


世界の終焉

 

 

 

眩しい光に視界が白く焼けたが、光は少しずつ色合いを変えている。

数秒後に、俺は恐る恐る目を開く。

 

まだその光は俺の目を閉ざそうとするには十分だった。しかし、先程と違って、何か暖かいものを感じる。

なんというか、これはただの光ではなく_____

 

「_____こ、ここは…」

 

夕陽のような暖かいものだった。

 

目を開けると、そこは大空の上。

 

「うおっ!?」

「ひゃっ!」

どれだけ地上での戦い慣れても、ここまで高いところは初めてだったから、思わず悲鳴をあげてしまう。

すると、隣から聞きなれた彼女の声がする。

 

「……ロニエ!」

「あ…先輩…!」

 

横を見れば、ロニエがそこにいる。

すぐに手を掴んで、名を呼ぶ。

 

SAOでは落下ダメージが普通に発生する。しかし、よく見ればここは大空の上。下を見ても、地上は見えそうにない。このまま落下する____そう考えて、気がついた。

俺たちは確かに、なにかの上に立っている。

見えないが、透明な床がある。

 

落ちる心配は、無さそうだ。

 

「先輩、これって…」

「…大丈夫、多分落ちないよ。確かに俺たちは落ちることなくここに立ってる。安心してもいいと思う」

俺のその言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろすロニエ。

しかし_____

 

「______何処だ、ここ」

疑問はそれに尽きる。

強制ログアウトを開始する、とアナウンスで流れていた為、あのままログアウトとかと思っていたのだが、そうでも無いらしい。

周りを見渡しても俺とロニエ以外誰もいない。

 

心地よく吹く風の中、夕陽の照らす、大空の上。

そこに俺達は立っていた。

 

 

「____ぁ」

するとロニエが俺の後ろの何かを見て、驚きの声を上げる。

 

「…どうした?ロニエ」

「先輩、あれって____」

ロニエが俺の後ろを指さす。

太陽らしきものが沈もうとする方角だった。

恐る恐る振り返る。

するとそこには___

 

浮遊城《アインクラッド》の姿があった。

太陽を隠すようにそびえている。

 

「____アインクラッド」

「アイン……じゃあ、あれが…!?」

「ああ、俺達が居たところだ。この1年半、全体像はほとんど見てなかったからな。懐かしい…」

鋼鉄の浮遊城。何度観ても威圧感がある。

アインクラッドは全部で100層、多分、1番上にある城がラストボスであるヒースクリフが待つ筈だった《紅玉宮》だろう。

本来なら残り25層全てを攻略し、あの城に挑んでいたのだろう____あと、どれくらいの時間をかけてか、は分からないが。

 

「…でも、それじゃあ何故…私達はそのアインクラッドを空の上から見ているんですか…?」

「いや、俺も聞きたい」

 

ロニエの疑問は最もだ。

何せ、俺達は先程まであそこに居たはずだ。この大空の空間の意味がよく分からない。

試しに、右手を下に振り下ろし、メインメニューを出してみる。

アインクラッドの外にいるが、ここは仮想世界の中である事は明白だ。なら、メインメニューだって、出るはず。

 

りりん、と涼しげな鈴の音と共にそれは現れた。

しかし、そこに書いていたのは

【最終フェイズ実行 45%】

という簡素な文章だけだった。

最終フェイズ、というのはもしかすると____

 

「先輩、あれ___!」

「どうした、ロニエ?何が……あ」

ロニエがもう一度指さした方向、アインクラッドを見ると、

 

アインクラッドが下の層から、少しずつ崩壊している。

第1層より下____例の隠しダンジョンがあった所から崩れ落ち、雲の下へと消えていく。

よく見れば、家や草木などがアインクラッドの外壁と共に落ちていくではないか。

 

「____全て、終わるんだな」

「全部、消えちゃうんですね」

「ああ。多分、茅場晶彦はアインクラッドを残すつもりは無かった…のかもしれないな」

これはただの勘だ。

彼にとって、アインクラッドがどんな存在だったかは分からない。けど、少なくとも約1万人にとっての地獄だった監獄を、世に出すのは良くないと考えたのかもしれない。

本人がいない今、真相は闇の中だが。

 

ふと横目にメニューを見ると、【最終フェイズ実行中 48%】と表示が変わった。

恐らく、最終フェイズというのは、アインクラッド___ソードアート・オンラインそのもののデータ消去を意味しているのだろう。

 

 

「なんというか、不謹慎だとは分かってるんだけどさ。凄く_____」

「___美しいですね」

 

ロニエも同じことを感じていたらしい。

夕陽が紅く照らす大空、雲の上。

そこで、1年半の役目を終えて消えていくその城は___美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『______中々に、絶景だな』

 

その時だった。聞きなれない声を聞いた。

いや、それは間違いか。

俺たちプレイヤーにとって忘れられないこの声。

1年半前、SAOのチュートリアルとして顔の見えないフードを被り現れた、全ての元凶。

このアインクラッドを、《ソードアート・オンライン》というゲームを作り出した張本人である___

 

『こうなるようにプログラムしたのは私なのだが……美しい。最初にして最後の光景だ。これが見られたのは、私と君たちだけだろう』

 

茅場晶彦だった。

先程までの紅い鎧姿(ヒースクリフとして)ではなく、製作者(茅場晶彦として)の白いシャツと白衣を羽織っている。

先程までにみせていた猛々しさはとうに消え、静かにアインクラッドの崩壊する様子を眺めている。

 

先の戦いで心にあったはずの感情は消えて、俺の心は不思議と落ち着いている。

茅場からの敵意は感じられない。

俺も敵意は湧いてこない。

 

「____ここは、どうなるんだ?」

分かりきった質問。

答えなど、俺も分かっている。しかし、聞かざるを得なかった。

 

「___現在、アーガス本社地下5階に設置されたSAOメインフレームの全記憶装置データの完全消去作業を行っている。 後10分ほどでこの世界の何もかもが消滅する」

やはり、そういうことだったらしい。このメニューのパーセントテージは消去のカウントダウンなわけだ。

100%になれば、この世界は完全に消去される。

 

「あの、ヒースクリフ…さん…?」

「茅場でいいよ、ロニエ君。既に(ヒースクリフ)は敗北し、魔王の座を降りたのだから」

「…カヤバ、さん。アインクラッドにいた人たちは、無事にログアウト出来たのでしょうか?現実世界に帰ることが、出来たのでしょうか…?」

「心配には及ばない。現在、7897人のログアウトを確認した」

「…そう、ですか」

約8000人が生きて現実世界に帰ることが出来たらしい。

……しかし、その逆、2000人以上のプレイヤー達が死んだことを意味する。

 

「……死んだ2000人はどうなるんだ?蘇生アイテムがあっただろう。アレが存在するんだから___」

「___自分でも理解しているだろう?あの蘇生アイテムの仕組みを。アレはゲーム内での死亡直後であり、現実世界でナーヴギアが高出力マイクロウェーブを使うまで……その刹那しか使えない」

「………じゃあ、本当に」

「あまり、命を軽く見ない方がいい。大量殺人者(わたし)が言えたことではないがね。死者は蘇ることは無い…これは現実世界と同じ。彼らの意識が帰ってくることは無いよ」

「…そうか」

不思議と、腹は立たなかった。彼は、約2000人もの人達を殺してきた殺人鬼であるが、理性があり、常識がある。それならば、普通こんなことはしない筈だが………

 

「_____どうして、このような事を…?」

ロニエが全プレイヤーが持っていたであろう疑問をぶつけた。

彼は1年半前_____始まりの街にて、こう言った。

 

この世界を作り、このデスゲームを実現する。それこそがSAOの真の目的であり、既にその目標は達成せしめられた_____と。

 

しかし、この言葉には言葉足らずというか、決定的な動機がない。感情的な理由が無い。

人間誰しも全ての行動、言動の根本に《感情的な動機》を持つ。

それが例え、現代の大量殺人者であったとしても例外じゃない、筈だ。

 

「どうして、か」

ロニエの疑問に茅場は数瞬悩んだが、すぐに答えた。

「_____長い間、私も忘れていたよ。どうして、何故…か。はっきり言って、私にも分からなくなる時がある」

 

「フルダイブ環境システムの開発を知った時_____いや、違うか。その遥か以前から、私はあの城を……現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界を創り出すことだけ欲して生きてきた」

茅場は、崩壊するアインクラッドを見つめたまま言葉を続ける。

 

「___そして、私は私が創り出した世界、その法則を超える者を今日見た」

「法則を超えるって……ロニエの事か?」

「その通り、そして、君だよ。キリト君」

「…ロニエは確かに奇跡を起こしたよ。俺は別にそんな大層なことしてない」

「いや、君は奇跡を起こして見せたとも。君はあの戦いの最中、レベルが上がった訳でもないのに今まで越えられなかった私の護りを突破し、私に勝利したのだから」

ヒースクリフは視線を俺たちに移し、その静謐な瞳で見てくる。

 

「アレは……ユージオのおかげだ、俺の力じゃない。俺だけじゃ、あのまま負けてた。それでも勝てたのは、俺の背中を押(応援)してくれていた皆がいたからだ。これが自分の起こした物だなんて、そんなおこがましいこと…言えないよ」

事実、俺はユージオの助けがなければ負けていた。

俺が起こした奇跡なんかじゃない。

 

「ふむ、ではそういうことにしておこう。私にとっては等しく《奇跡》なんだがね」

茅場はフっ、と笑って視線をアインクラッドに戻した。

 

「____君達は、子供の頃に見た夢を覚えているか?」

ふと、そんなことを聞かれた。

 

「子供の頃に見た、夢?」

「ああ、何でもいい。ゾンビに襲われる夢でも、空を飛ぶ夢でもなんだっていい。君の記憶に強く焼き付けられた、強い夢だ」

「…覚えてない、な」

「私も、そうですね。幼い頃の夢は覚えていないです」

「_____そうか」

俺達の返答に少し残念そうに、そしてほんのちょっぴり自慢げに彼は答えた。

 

「私はあるよ。何歳の頃だったか…見てしまったんだよ、このアインクラッドという、鋼鉄の浮遊城を」

 

「_____」

「それに浮かぶ、鉄の城。子供にとって、色彩に欠ける灰色の鉄の城が____私にとっての全てとなってしまった」

 

「子供が様々なものを夢想するように現れたそれを空想した時から____私は取りつかれてしまったとも取れるほど、夢中になった。今でもはっきりと覚えているよ______あの夢の事を」

「子供の頃の、夢___」

 

「ああ。その情景だけは、私の記憶から消えることは無かった。逆だ、歳を経る事に、それはより鮮明に、リアルに____大きく広がっていく」

ヒースクリフはその夢を思い出すようにアインクラッドを眺める。

まるでその夢に輝きに、目を細めるように。

 

「この現実(ちじょう)を飛び立って、あの城へと行きたい____長い、長い間、私が望み続けた事だ」

何も知らない人間なら彼を《異常者》と呼ぶだろう。けれど、俺の目には茅場の姿が______夢を追い続ける、幼い少年のように見えた気がした。

 

「私はね、まだ信じているのだよ_______何処か別の世界には、本当にあの城が存在するのだ、と」

「…そう、なんですね」

「___済まないね、変な話を聞かせてしまった。ただ、君達だけは話をしておきたくてね」

「_____本当に、アインクラッドがあるといいな」

「…ああ」

俺は茅場の言葉にそう答えた。

そして、1つ、疑問がふと頭の中に浮かび上がってきた。

 

「___そういえば、なんで俺達だけなんだ?」

「___というと?」

「いや、純粋にさ。俺が呼ばれるんだったら、ユージオだって呼ばれていいはずだろう?」

ユージオだって呼ばれていい筈だ。ユージオがいなければ俺は死んでいたし、充分呼んでもいい気がするのだが…

 

「ああ、その事か。済まないね、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。システムのエラーか、彼とティーゼ君を呼ぶことが出来なかったから、君達だけでも、と思ってね」

「呼べなかった?」

「そうだ。エラー、ではなく人為的なものである気がしたのだが___」

「…?」

「___いや、こちらの話だ。まぁ、あの二人をどうこうしようという目的では無いだろうから、放っておくことにしたよ。最後にあの二人に話を聞けなかったのは残念だがね」

出来なかった?システムのエラー?

あの茅場が出来なかった、と手出しするのをやめるとは余っ程のことなのかもしれない。

人為的とは、一体_____

 

「____そして、私から君達に頼みたいことがある」

「頼みたい、事?」

「ああ。ユイについてだ」

「…ユイがどうした?」

「私が自分勝手なもくてきのために作り出した子だ。生みの親としての責任を果たすのが人というものだろう」

「親、か」

なんとも意外な話がとび出てきた。

この男から「親としての責任」なんていう言葉が出てくるとは思いもしなかった。

 

「…彼女をよろしく頼むよ。約1年半、彼女には重すぎる苦行を背負わせてしまったかもしれない。見た所、ユイは私の制御を離れ、人間的な人格を擬似的に得ることが出来たらしい。あの光景を見ていたからこそ、彼女は過去の自分(MHCPとしての記憶)を切り離し、君達の元へと向かっていたのかもしれないな」

彼なりにユイの負担を理解していたようだった。止めることはなかっただろうが、その苦しみがあったことを認めている。

 

「彼女は、このアインクラッドでのMHCPの第二号なんだ。つまり」

「____第三号が存在する、と」

「ああ。ユイは試験機(テストタイプ)試作機(プロトタイプ)がシャーロットでね。そして、実用型として開発していたAIが、まだ八人いる」

確かに、例えAIだとしてもアインクラッド全プレイヤーの精神状態を安定させるにはかなりの人数が必要だ____実際はプレイヤーの接することすらなかった訳だが_____その為、8人いるというのは納得できるし、それでも足りないくらいではないだろうか。

 

「そして……その中で、唯一ユイやシャーロットと同じように脱出を試みた子が一人居た。ユイ同様の経緯でエラーを蓄積して記憶を欠損、SAO事件発生当日にログインしていなかった未使用のアカウントに自身を上書きして、脱出を試みた。

今回はギリギリのところで防いだが、私が放っておけば彼女もまた、君達の元へ辿り着いていた可能性がある」

「…全員で10人のカウンセリングAIがいるのか。なら___」

「しかし、残念ながら最後に脱出を試みたAI以外は完全に記憶を欠損し、崩壊してしまった。修復不可能だ」

「な_____」

「そんな…!!」

絶句せざるを得ない。では、残っているカウンセリングのAI…ユイとシャロの仲間は、3人目を覗いて全員自壊してしまったというのか。

 

「私としても防ぎたかったのだが、出来なかったよ。現在残っているのは、君達のユイ、ユージオ君達のシャーロット、そして_____3人目に脱出を図った《ストレア》だけだ」

「…アンタ、その最後の子をどうするんだ?」

「では本題に入ろう。君達に、この子を任せたい。もう私はそんな事をする余裕はなくなるだろうからね」

茅場の頼み。

それは、その最後の3人目を俺たちに任せたいということらしい。

 

「どうして……ですか?」

「___ユイを拒絶せず家族として受け入れ、最後の時まで寄り添ってくれた君達だからこそ、頼みたい。君達ならあの子を守ってくれるだろうという、希望的観測だよ」

「……」

茅場の目は嘘をついているようには見えなかった。

この男は本気で____俺とロニエにその子を任せようとしている。

 

「私、は…」

「_____分かった、俺達が面倒を見るよ。と言っても、どうやって現実世界で面倒を見るか、全然思いつかないけど………多分また、俺は仮想世界に行くと思うんだ。ロニエは、どうだ…?」

戸惑うロニエに、俺から答えた。俺としては受けてもいいと思っている。元よりユイがいるんだ。向こうに帰ってどうなるかは分からないが、俺とロニエならやっていけると思う。

 

「…先輩」

「ロニエが良ければ受けよう、俺一人じゃ無理だからな」

ロニエの了承もなければ受けることは出来ない、2人の問題だから。

ロニエは一瞬俺の目を見て、俯いて切り出した。

 

「______無責任に、はいとは言えません。でも、私だって…その子を見捨てたくはない」

「ああ」

ロニエの想いは同じだった。

 

「たとえその子が人の手で造られた存在だとしても…人間でなくとも」

ロニエは、自分の胸に左手を当てて俺の右手を優しく触れて言葉を零す。

 

「キリト先輩が出来ないなら私が、私ができないなら先輩が。これからどうなろうとも、ユイとその子を見守れますか?」

「当たり前だ。ロニエも……守ってくれるか?」

「______勿論」

ロニエは俺の右手を両手で包み込む。花の咲くような笑顔で俺の言葉に答えてくれた。

 

「了承と、とっていいのかな?」

「ああ、それでいい」

「そうか、ありがとう…私からも感謝を。ではあの子は君たちに任せよう。あの子_____名前を《ストレア》というのだが、彼女をひとまずキリト君のナーヴギアのデータに保存をしておく。

現実世界に帰って、もう一度ナーヴギアを起動すれば2人を起動出来るように設定しておくから、安心してほしい」

茅場はそういってメニューに指を走らせ、そう言った。

 

「これで、私も君達と別れを告げられる。私はここで失礼するよ。後少し、こちら側でやることがあってね」

茅場がそういって踵を返す。

やはり、あの男なりにユイや最後のAIである____名前は確か、《ストレア》と言ったか。その2人を案じていたのかもしれない。天才プログラマーである彼は、こういう事には少し不器用だったようだ。ある意味、人間的なところを見られてなんだかほっとする。

 

「____ゲームクリア、おめでとう。キリト君、ロニエ君」

茅場は最後に振り返り、穏やかな表情でそういった。

風が吹く。思わず目を細めた。

直後、彼の姿は霧のように掻き消えた。

まるで、元からいなかったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここにいられる時間はもう残り少ない。メニューをもう一度開くと、すでにパーセンテージば90%に達しようとしている。

 

俺とロニエは透明な床に座り込み、アインクラッドの崩れ行く様を眺めていた。

 

「_____そろそろ、だな」

ものの1分程度で、この最終フェイズも終わる。そうすれば、このアインクラッドは跡形もなく消え、俺達は現実世界に帰る。

1年半もの間、戦い続けてきたこの仮想世界。確かに、HPがゼロになったら現実世界でも死んでしまうのデスゲームだった訳だが____俺にとってこの世界との別れは、少し寂しいものだった。

しかし、現実世界に帰ることの喜びはそれを超えるほどある。何せ、この一年半ずっと心配をかけていたであろう母さんや直葉に会えるんだ。帰ったら、平謝りだな。

 

「____さて、じゃあ、改めて自己紹介だ」

「え?」

俺がそう切り出すと、ロニエは呆けた声で反応した。

 

「えっ、てなんだよ。俺はロニエの本名聞けてないぜ。それに、こんなとこに2人きりになったんだ。改めて自己紹介しておかないとな」

「___確かに、言えていなかったですね」

ロニエは俺の目を見てから視線をアインクラッドへ移し、何かを惜しむように目を閉じた。

数瞬の沈黙。

 

 

「私の名前は《ロニエ・アラベル》と言います。私も、ユージオ先輩達と同じようにプレイヤーネームが本名なんです」

 

 

ロニエは俺の目を真っ直ぐと見つめて答えた。

 

「___ロニエもそうだったのか」

「はい、咄嗟にいい名前が思い浮かばなくって」

「本当に、ゲーム初めてだったんだな」

「はい」

「なんというか、初めてがソードアート・オンライン(ここ)って、冗談きついな」

「そう、ですね。1年半もかかっちゃいましたけど…」

災難な話だ。

初めてのVRゲームが現実世界に戻れないデスゲームとは、最低に運が悪い。

______まぁ、そのおかげで俺は彼女に出会うことが出来たのだが。

 

俺にとって、感謝すべきは…この世界で信じ合える仲間を______友達を作り、恋人が出来たことか。

ロニエと出会えたなら、この世界に来た甲斐があった。

ふと、想像する。

俺がもし、SAOに来ることなく現実世界にいたままだったら。

多分俺はこんなにも変わることは出来なかった。誰かと繋がろうとしなかっただろう。

他人との距離感を忘れ、人の存在に____自分という存在の不確かさに不安を感じていたに違いない。母さんや直葉ともギクシャクしたままなのかもしれない。

けど、今なら_____変われると思うんだ。

 

そして、何よりもユージオやロニエ達に出会っていなかったら、俺は変われなかった。

ユージオがいつも隣で一緒に戦ってきてくれたから、俺は不安を感じず、あいつに背中を預けられた。ロニエに隣で支えてもらっていたからこそ、ここまで走ってこれた。

______皆がいたから、俺はここにいるんだと思う。

 

 

「___ロニエ……アラベル」

何度も、声に出して彼女の名前を呟く。

_______これが、彼女の本当の名前。

俺が……俺達が、守れた人だ。

そして、世界一愛した人だと、そう思える。

 

「ロニエ、俺……この一年半、幸せだったよ。多分、君がいてくれなきゃ、ここまで来れなかった。どこかで野垂れ死んでいたと思う。ずっと……第一層からずっと一緒に来てくれてありがとう」

俺の本音を吐露する。

彼女への感謝の念。この一年半、俺が戦い続けてこれたのは、ユージオ達が…仲間がいてくれたから。そして、ロニエがそばで支えてくれていたからだ。

彼女無しに、俺はここにいない。俺は、弱いから。

 

世界が、光に包まれていく。

アインクラッドは遂に頂上たる紅玉宮が崩壊し、その全てが空の下へと落ちていっている。

 

「______何、言ってるんですか。私だって…凄く幸せでした。故郷の思い出を塗りつぶしちゃうくらいには、幸せだったんですよ?」

「なら、良かった」

彼女は、笑顔でそう答えてくれた。

でもなんだか、心から嬉しくて滲み出た笑顔ではない気がして。

 

「先輩」

その表情が、まるで。

 

「私は、ずっと好きでした。あなたと出会ったその時から、この一年半____いえ、ずっと前から」

世界が真っ白に染っていく。

 

「今も、これからも大好きです」

「____ああ、俺もだ」

「_____私は、あなたの事を愛しています。これだけは忘れないで」

止めてくれ。

なんでそんな言い方するんだよ。

それじゃまるで_____今生の別れみたいじゃないか。

 

「_____私は、ずっと…」

視界が、白く焼ける。

世界が終わる。

 

全てが消えるその直前。

ロニエは俺に優しくキスをして、抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 

私は、あなたを_____ずっと愛しています。

 

 

 

 

 

 

 

最後までそう言った彼女は、涙を流し、笑顔で俺を______

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ白だった視界はいつの間にか真っ黒になる。

仮想世界から抜け出た瞬間だった。

茅場の言葉が本当なら、俺は現実世界に帰ってきたことになる。

 

ようやく、帰ってこれたのか。

 

そんな事をぼんやり考えながら、ほんの少し瞼を開けて目の奥に入り込んでくるような強い光に思わず目を閉じた。

 

匂いがする。

 

SAOで感じる匂いとは全く違う、リアルと遜色ない______いや、リアルなそれ。

消毒液などの薬品類の荒涼感のある匂いや果物のような甘い匂い、暖かな陽向の香り。そして何より、1年半ぶりに嗅いだ、自分の体臭。

 

ゆっくりともう一度、瞼をあげる。

 

少しだけ目が光になれたせいか、先程よりも優しくなった。うっすらと見えるのは、白く輝く棒状の何か______蛍光灯か。という事は、あれは天井らしい。

少しずつ意識と身体中の感覚が蘇る。半袖の簡素な白い服、その袖のない腕に触れている柔らかい布。

頭は動かさずに瞳だけを動かして周りを見渡す。

右側には開け放たれた窓。その窓から入ってくる少し湿気を含む風は俺の頬を撫でて通り過ぎていく。

6月の半ば、梅雨に入っているから風が湿っぽいのかもしれない。

 

左には、銀色の点滴スタンド。そして、医療用ナースカートには、いくつかの果物が置いてある。先程の甘い匂いはこれか。

点滴スタンド、その上にかかっている透明な水が入ったパック。その底から伸びるチューブは、俺の左腕に繋がっている。

 

ここは多分病院の病室で、そして俺はここで1年半眠っていたのだ。

 

身体を起こそうも全身に力をいれようとして、全く思うように力が入らなくて驚いた。

1年半も体をピクリとも動かしていないんだ、当たり前か。

辛うじて動いたのは、右腕だけ。

ゆっくりと目の前へ右腕を持ってきて、絶句する。

 

なんて、細い腕。肉という肉は1年半という月日で削ぎ落ち、骨ばった病的に細い腕は少し動かすだけで限界を迎えていた。

変わり果てた自分の腕を凝視する。こんな腕では剣など振るえまい。それどころか、ペンすら持てないだろう。

 

____帰ってきた、現実世界に。

 

改めて感じた。

久しい自分の重い身体にアインクラッドでは感じなかった気だるさを覚える。

少しずつ、聴覚が戻ってくる。静かだった世界はバタバタと何やら慌ただしい。

そうか、俺以外のプレイヤーが一斉に覚醒したのだ。慌てるのも仕方がないか。

 

その瞬間、記憶が溢れ出した。

 

 

『これだけは忘れないで_____私は、ずっと…』

 

『私は、あなたを_____ずっと愛しています』

 

そんな彼女の言葉と、野ばらに咲く小さな花のような笑顔、最後の涙。

 

「_________ぁ」

俺の口から零れた声は、小さく掠れていて、左側の廊下の喧騒で____それどころか、風の音で消えてしまいそうだった。

 

みんなも帰ってきたんだ。

なら、ロニエも。

帰ってきているはずだ。

そうだろう?

 

「____ぃ、ぇ」

 

ロニエ、と彼女の名前を呟いた筈が、ほとんど発声出来なかった。

 

早く。

早く、ロニエに会いたい。

彼女の焦げ茶色の髪に触れたい。

柔らかいその肌に触れて、手を繋ぎたい。

その優しい声で______俺の名前を呼んで欲しい。

 

狂おしい程のこの愛を、君に伝えたい。

 

身体を起こそうと、全身に力を入れる。1年半も眠っていた身体は、軋みをあげ、俺の言う通りには動いてくれない。けれど、それでも俺は行かなければ。

既に限界を迎えているやせ細った身体にムチを入れ、頭をあげようとして、何かに頭を引っ張られてベッドに落ちた。

 

「_______?」

 

頭を覆うように俺を縛り付けているそれ。

右手でそれに触れる。硬質感のあるヘルメットのような、何か。

 

ああ、これは___ナーヴギアか。

 

俺を仮想世界に縛り付けていたそれは、今も変わらずがっしりとした重みで俺の頭を包み込んでいた。

ナーヴギアのロゴがついているであろう場所に触れる。

若干、擦り切れているように感じるそれは、未だに健在であった。

 

もう一度上半身だけ起こし、ナーヴギアの顎に装着しているベルトのバックルを何度か失敗しつつ外し、膝の上に乗せる。

 

_____1年半お疲れ様。もうお前を使う日が来ないといいんだけど。

 

声には出さず、そう告げる。

これを使う日は多分来ない。ことが終われば、ナーヴギアは全てアーガスか政府によって回収されるだろう。

 

ナーヴギアをベッドの上に置いたまま、ベッドから這い出た。その時、胸に着いていた心電図の電極が剥がれ、心拍数を示すモニターから警告音のようなものが鳴ったが、それは無視した。今は一刻も早く彼女の元へ行きたい。

俺はベッドから点滴スタンドを掴み、それを支柱にして立ち上がる。

 

「______ロ、二え」

 

彼女の名を呼ぶ。

よたよたと、まるで産まれたての子鹿のような足取り。

病室の扉に手をかける。

 

 

全ては_____この世で一番愛した、彼女の元へと辿り着くために。

 

俺は、一歩を踏み出した。

 

 

 


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