走る、走る、走る。
廊下は走らないようにしましょうと言っていた小学校の先生の言葉は忠助の頭の中からは消え去っていた。
走って、走って、誰もいない静かな廊下に大きな足音が響き渡る。そこまで全力で走ってやっと目的地の扉が見えてくる。
待ち焦がれたゴールだ。忠助は走った勢いも殺さぬままに引き戸に手をかけて力いっぱい扉を開いた。
「ギリギリ、セーフだぜ!」
叫びながら飛び込んできた忠助を見て、「あ!」と同時に声を上げたのは数人。
言わずもがな緑谷出久。
出久が入試の時に救けていた女子、麗日お茶子
同じく入試の際に少しだけ話をしていた飯田天哉
だがいちばん目を見開いているのはその誰でもなかった、お世辞にも良いとは言えない態度で机に足を乗せるように座っていた、目つきの悪い少年、爆豪勝己だった。
だが、当然息を切らしている忠助にそんなことを気にしている様子はない。
ただ間に合った事実を噛みしめるように、肩で息をしながら時計を見上げる。
「間に合ったぜ!」
「間に合ってないぞ」
一斉に自分に集まる視線、それは教壇に立つ男のものも含まれていた。
一歩及ばなかったらしい。忠助は一か八か時計を指さしながら担任であろう男――相澤消太――に直訴する。
「先生!時計見てほしいっす、まだ十二秒ありますよ!」
「時間ぎりぎりでしか行動できないということを入学初日から周りに晒すのは、合理的でもなければ先見性もない行いだな。制服の件は聞いてる、さっさと席につけ東方、あと廊下で走るんじゃない」
「は、は~い……」
鋭い視線と共に、あっけなく言い負かされた忠助は肩を落として自分の席を探した。
そんな忠助の背後から、浅いため息と共に教室に入ってくる人影がある。
「だから言ったでしょう、走っても間に合わないって」
「し、汐華……」
「先生すみません、道に迷ってしまい遅刻しました」
「はい、以後気をつけてね。早く座って」
その淡々とした態度に、自分も素直に謝っておくべきだったかなと反省しながら、忠助は自分の席に向かった。
二十二人と言う実に中途半端な数のせいで、二列目と四列目だけ一席多いといういびつな席順になっていた。
忠助の席は、ちょうど緑谷出久の前だった。自分を見て嬉しそうに小さく手をふる出久に手を振り返し、忠助は自身の席に着いた。
そして、自分の前の座る人物の後頭部に酷く見覚えがあることに今更ながら気づいた。
「勝己?おめー勝己じゃねえか!」
「……黙ってろ、ぶち殺されてえのかチュースケ」
「じょうすけだっつってんだろ、いい加減に素直に俺の名前呼べよ――なっ!!」
旧友との再会を喜ぶ忠助のこめかみに、高速で飛来したチョークが直撃する。
痛みに顔をしかめる忠助は、相澤が氷のように冷たい目で自分を見ていることに気づくと、額から汗を垂らした。
「遅刻の上に私語とはいい度胸だ東方、帰りたいなら今すぐ帰っていいんだぞ?」
「す、すみませんっス!もう二度としないんで、勘弁してほしーっすよ……」
見た目の厳つさの割にその表情は犬のようで愛嬌があった。そのどこか第一印象とはちぐはぐな仕草に、教室のいたるところからくぐもった笑いが湧きおこる。
相澤は一つ溜息をつくと、忠助に向かって、手で座るように示した。
「うるさいののせいで時間を随分無駄にしたな、それじゃあお前ら早速だが、全員体操着に着替えて外に出ろ」
「え!?入学式とかないんすか!」
「東方、これ以上時間を無駄にさせるんじゃない、さっさと着換えろ」
「は、はいっす!!」
素早い動きでカバンの中から体操着を取り出す忠助に、相澤は再び大きなため息をついた。
※ ※ ※ ※
同じころ、人気のない資料室で、教員名簿をめくっている男が一人。
マッチ棒のように細い手足と、落ちくぼんだ目、この姿を見てまさか彼がナンバーワンヒーローだと気づく者もそうはいないだろう。
「相澤君かぁ……」
額に手を当ててそう呻くオールマイトの視線の先にあるのは、一人の男のページ。言わずもがな彼の個性の継承先と相成った少年の担任教師のページだった。
黒髪長髪の、どこか生気の欠けた瞳をした男を見ながら、オールマイトはさらにぼやく。
「これは、最初っから難易度が高いぞ少年……」
「なにを一人でぶつぶつ言ってるんだい」
「おおっとぉ!?」
突然背後から聞こえた声に、オールマイトの心臓が跳ねる。何を隠そうこの姿は一部の人間以外には決してばれてはいけない姿なのだ。
慌てて振り返った彼の前にいたのは、杖を片手に持った二頭身程しか無い老人の姿。
「リカバリーガール!どうしたんですかこんな所で」
「それはこっちのセリフだよ。というかそんなに焦ることになるなら気なんて抜くんじゃないよ」
「も、申し開きもできませんが……それより、なんのご用で?」
「ああ、たいした用じゃないんだが、ちょっとばかし確認をね、ちょうど良かった今年の生徒名簿を取っておくれ」
「え、ええ」
オールマイトが棚から取り出した生徒名簿を机の上に広げ、リカバリガールはぺらぺらとページをめくる。
淀みなく動かしていたその手があるページで止まった。ひと眼見れば忘れられないほど特徴的な髪形をした。男子生徒のページで――。
「……そうだったそうだった、東方と、汐華だったね、どうも歳をとると物忘れがひどくなっていけない」
「東方少年と汐華くんですか。入学前から随分と目をかけておられましたね」
「ああ、この子にはいろいろ働いてもらう予定だからねぇ。ヒーロー科A組、担任は確か――」
「相澤君です」
「相澤か……まぁ多分大丈夫だね。それにしても、随分迷いなく答えたね」
「……彼は、東方少年は緑谷少年の幼馴染らしく」
その一言だけで、言いたいことは全て分かったとばかりにリカバリーガールは小刻みに頷いた。
「その話の流れから行くと、あんたの後継者も?」
「はい、Aクラスです」
「……心配そうだねぇ」
「そ、そんな!私は彼を信頼していますから、心配などと――」
「心配と信頼は関係ないよ。ちょうど今A組がグラウンドを使うっていってたし、見に行ってみようか」
「……はい」
※ ※ ※ ※
「個性把握テスト、ねぇ」
軽く屈伸運動なんかをしながら、忠助はグラウンドを見渡した。
広いグラウンドにいるのは、クラスメートである二十一人と、担任である相澤だけだ。その上相澤の話が嘘でないならば、もうすぐここにいる人間は一人減ることになる。
(入学一日目から、除籍云々って話になるとはな……なんつうか、マジにへヴィだぜ)
最初は個性使用可の体力テストだと安心していたクラスメートも、皆一様に緊張の面持ちを浮かべている。
そして中でも一際酷い顔をしているのは、夢の雄英に入学して一番喜んでいたはずの幼馴染だ。
忠助はこっそりと出久に近づくと相澤にばれないようにその背中をポンと叩いた。
「おいイズク、おめー何真っ青になってんだよ。心配いらねえって、入試の時のパワー使えば楽勝だろうが」
「う、うん。そう、なんだけどね……」
「それともあれか、使ったら怪我するの気にしてんのか?」
「え!?」
「ば、バカっ!大声出すなって――」
とっさに大声を出してしまったイズクの方へ、相澤の鋭い視線が飛んでくる。
揃って首を短くする忠助たちに、相澤はもはや諦めたように視線を逸らした。
「……な、なんで知ってるのさ」
「あのな~、あんな傷口に塩塗られたみたいな顔してりゃあ誰にだって分かるっつーんだよ。事情は知らねえがあのパワー使ったあとだいぶ酷い怪我してたじゃねーか」
「――じょ、忠助、その、あの、僕の個性のことなんだけど」
「わぁってるって、秘密なんだろ?」
「え?」
「隠しごとの苦手なお前が、俺に言おうとしねぇもんな~?言い辛いことなんだろ?だったら言わなくていいぜ」
そう言ってニっと力強い笑みを浮かべる忠助に、出久の顔が歪む。
それは信頼してくれている友人に真実を告げられない罪悪感か、それともただ単に喜びからくる感動か。
知ってか知らずか、忠助は「だからよ」と言葉を続ける。
「お前は怪我なんて気にする必要ねぇから好きにやってみろって」
「っ!……あ、ありがとう」
口では礼を言いながらも、何所か暗い表情に出久に忠助は首を傾げる、感じた違和感を言葉にしようとしたした忠助は、名前を呼ばれて我に返った。
どうやら自分の順番がきたらしい。
「俺の番みて―だな。それじゃ、行ってくるぜ~」
「じょ、忠助!」
その場を去ろうとした忠助を、出久が呼びとめる。
振り返った忠助の目に飛び込んできたのは、まっすぐに自分を見据える出久の瞳だった。
力強い輝きをそこに灯したまま、出久ははっきりと忠助に告げた。
「僕、やって見せるから」
何を、とは聞かない。
言われなくとも分かるという意味ではない、ただ、この瞳をしている緑谷出久はいつだって自分の想像を超えた何かを見せてくれる。
東方忠助はそれを知っている。
故に言葉はいらなかった。忠助は出久に笑みでこたえると、手をひらひらと振りながら五十メートル走のスタートラインに立つ。
「君!呼ばれたらすぐに来ないか!先生に対して失礼ではないか!」
「悪い悪い、もうしねーって」
「まったく!あの爆豪君と言い君と言い、今年の入学者は自身が栄えある雄英の生徒という自覚が足りないんじゃないのか」
一緒に走るのは入試でも顔を見た眼鏡の少年、確か飯田とか名乗っていた少年だ。その風貌は、足についているエンジンのような器官が目立っていることを除けば、いかにも優等生と言ったところか。
(こいつ、どう見たって速く走れるタイプの個性って感じだよな~)
忠助はにやりと小悪党のような笑みを浮かべると、急に申し訳なさそうな顔をして飯田に深々と頭を下げた。
「わ、悪かったよ、確かに考えが足りてなかったよな~。謝るよ」
「む、反省しているならば何も言うことはないな。こちらこそうるさく言い過ぎてしまった、謝罪する」
律義にこちらに頭を下げる飯田、忠助はその一瞬の隙を見逃さなかった。
忠助の腕から伸びた、クレイジー・ダイヤモンドの腕が飯田の体操着の袖をほんの少し破る。
忠助はそれを気付かれないように握り込むと、そばに立っている相澤に声をかけた。
「そんじゃ、はじめましょうよ。時間無駄にするのも良くねーっスから」
「……はぁ、まあいい」
相澤は忠助に呆れた目を向けて軽くため息をつくと、空砲を上に構えて、すぐに撃った。
「悪いが置いていかせてもらうぞ!東方君!」
直後、飯田の姿が一気にはるか遠くに消える。見立て通り速度を上昇させるタイプの個性だったようだ。完全に予想通りな展開に忠助は笑みを隠せない。
「わりーが、便乗させてもらうぜ~~飯田ぁ!クレイジー・ダイヤモンド!」
忠助の背後から、筋骨隆々の人型が現れる。クラスメートの半数程度が驚きを顔に浮かべる中、クレイジーダイヤモンドの拳が、忠助の掌の上にある布切れをとらえた。
淡く輝く布切れを、忠助が再び強く握る。すると――。
「お、おいあいつ飛んでるぞ!」
「嘘だろおい!?スタンド型の個性って能力が特殊だって聞いてたけどあんなこともできんのかよ!」
見ていたクラスメートの言葉通り、忠助は前方を爆走する飯田に向かって高速で飛行して迫っていく。
その差は徐々に狭まっていき、そして――。
――ほぼ同時に、ゴールラインを越えた。
走り終えた飯田は、ぐるん!と効果音がしそうなほど力強く振り返ると忠助のもとへズンズン歩み寄ってきた。
すわ自分の行いがばれたかと、苦笑いを浮かべて迎える忠助だったが、目の前に立った飯田は突然響き渡るような拍手を始めると声高々に叫んだ。
「すごい!凄い個性だな!まさか飛行までできるとは!」
「あ?あ、ああ、だろ?」
「俺も速さには自信があったのだが、最高速ではないと言えまさかここまで肉薄されるとは思ってもみなかったぞ!」
「お、おう、そうかよ」
興奮する飯田を両手で宥めながら、そのあまりの実直さに忠助の心に小さなとげが刺さったような痛みが走っていた。
(くっそ~~、何も悪いことはしてねーはずなのになんだこの罪悪感はよ~、天然ってやつか?苦手だぜ~~)
飯田からの手放しの賞賛を受けながら、忠助はひたすらに苦笑いを浮かべて受け流すことしかできなかった。
なんかいろんなキャラクターに喋らせるのって難しいですね。ほかの生徒たちも徐々に出番増やしたいところ。