荀シン(何故か変換できない)が恋姫的世界で奮闘するようです 作:なんやかんや
「あのぼんくらはどこだっ!」
沮鵠は怒りの声を上げる。
白髪を短く切りそろえた小柄な少女の叫びは部屋一面に響き渡る。
だが、周囲でそろばんをひたすら弾いている文官たちはその様子に何の反応も示さなかった。
顔すら向けない。
当初は周囲を脅かせていた沮鵠の怒声も毎日繰り返されればただの日常になる。
友若が何かと理由をつけて公務……友若の提案により始まった銀行の会計処理をサボるのはもはや毎日のことになっていた。
最初は職員全員が一丸となって怒ったものである。
だが、友若の業務能力は平均程度のそれしかなく、職員全体としてそろばんに慣れてきたため一人抜けたくらいでは業務に支障が出なくなったことも相まって、今では友若のサボりぐせに怒りを示すのは沮鵠位なものであった。
問題が発生した際には友若の発想力が役に立つことは確かだが、ルーチンワークと化した日々の業務では友若の能力などワンオブゼムでしかないのだ。
「相変わらずですね。友若はまたサボりですか」
地団駄を踏んで憤りを顕にする沮鵠の下へ許攸は近づきながらそう言った。
「き、きたーっ!」
「子遠さんきた!」
「これで勝つる!」
「今日も早く上がれる!」
「夕餉はどこで食べるー?」
「倒食亭に行こうぜ! あそこが新メニューを始めたって話だ」
「ああ、あの荀大老師が何やら色々やってたって話だ」
「それはいい! あの人仕事はしないけど発想は天才的だからな」
「発想だけは凄いよな」
「むしろ発想しかないよな」
「おいこら、お前ら! そんなことよりも子遠さんに感謝しないと」
「子遠さん毎日ありがとうございます!!」
「子遠さんも業務が終わったら一緒に倒食亭に行きませんか。俺奢りますよ」
「あ、ずるいぞてめえ。子遠さん、こんなギャンブルに金をつぎ込んで今月もカツカツの男なんかに近寄っちゃあいけませんぜ。ここは俺と一緒に」
「てめえ、こら! ふざけんな!」
許攸の姿に職員たちは一斉に騒ぎ出した。
そのあんまりな発言に荀彧の代わりに彼らの取りまとめをしている沮鵠は顔を真赤にした。
「お、お前ら! 子遠さんを当てにするのもいいかげんにしろ! それと、子遠さんはお前らみたいな連中とは吊り合わない! 子遠さんにはもっとふさわしい人じゃなきゃ駄目だ」
「うるせーよちっぱい」
「なに子遠さんの夫ぶってんだ、男女」
「この若白髪」
一部の職員が勢いのままにやじを飛ばした。
沮鵠は業務机を持ち上げる。
「貴様ら表に出ろ!」
どちらかと言うと圧倒的武官と言える沮鵠の筋力は優に成人男性を凌駕する。
職員たちは慌てて沮鵠を宥めにかかった。
「い、いやだなー。軽い冗談ですよ、冗談」
「そ、そうですよ。いやー、文武両道に通じているなんて凄いですねー」
「か、かっこいいなー」
「あこがれちゃうなー」
「よし、それが貴様らの最後の言葉でいいんだな」
沮鵠は据わった顔で机を振りかぶった。
「そのくらいにしておきなさい、白凰。貴方の怒りはもっともですが、むやみに武を振り回すのは感心できません」
「あ、ありがとうございまず!」
「子遠さんマジ天使」
「子遠さん、結婚してくれ―!」
許攸の言葉に職員が歓声の声を上げる。
「し、しかし、子遠様! この連中は子遠様にも無礼な物言いを。と言うか現在進行形でとんでもないことを言っています。見せしめに一人や二人――」
「問題ないですよ、白凰。私は気にしていません。それと私のことは黄蘭と読んでくださいと言ったはずですよ、白凰。それとも私と真名で呼び合うというのが嫌なのですか? それは悲しいです」
「そそそっ、そんなことはありません、子遠さっ、お、黄蘭様! ただ、私なんかがお、黄蘭様と呼ぶなんて恐れ多いとっ――!」
「そんなに緊張しないでください。貴方の方こそ母の代から麗羽様に仕えているのです。『様』なんて付ける必要もありません。むしろ、私こそ白凰の名を呼ぶのは恐れ多いくらいです」
許攸はそう言うとニッコリと微笑んで軽く首を傾げてみせた。
ゆったりとしたウェーブがかかりフワフワした長い金髪がその動作に合わせて広がる。
ふわー、とかそんな感嘆の声が上がった。
ちなみに声の主は男だ。
低めの地声のため、気持ち悪いことこの上なかった。
「キマシタワー」
「それ最近言ってるけど、どういう意味だ」
「うむ、荀大老師に依れば女性同士の親密な関係を称える言葉だそうだ。親愛関係から性的な関係まで幅広く使えるそうだ」
「せっ、せいてっ!!!???」
沮鵠は顔を真赤にした。彼女はそうした話が苦手であった。
尊敬する許攸を巻き込んでとんでもないことを言った男たちを沮鵠は睨む。
周囲の職員たちは面白いものを見るような表情で沮鵠を見ていた。
「そんな言葉、聞いたことないな。と言うか儒教的に拙いだろうそれは。それに、ほら、嬢ちゃんがまた怒ってるぞ」
「だがこれは荀大老師の言葉だ。あの人は田豊殿と共に袁本初様の指導役の立場にある。つまり、この冀州でもっとも偉い人間の師である荀大老師が言ったのだから、ただの木っ端役人たる俺達はそれに従うしかない、という訳だな」
「……それはそうだな。俺達はそもそも荀大老師の推薦があったからこそこうして袁本初様の下で働いているわけだし」
「きっ、きっ、貴様らはっー!」
明らかに沮鵠の様子に気が付いた上でからかうような物言いをする職員に彼女は腰に手をやった。
「あ、あれ? っ! そうだ、今は持っていないんだった」
袁紹の治める冀州が今のように訳の分からない状況になる前、沮鵠が武官を目指してひたすらに修練に励んでいた頃、常に腰に下げていた剣は帳簿管理に役立たないため、だいぶ前から自室に置きっぱなしになっている。
自分が長いこと剣を握ってもいないことに気が付いた沮鵠は少し寂しさを感じた。
「あ、あれ、嬢ちゃんどうしたんですか」
「ちょ、ちょっとからかい過ぎちゃいましたかね」
「……っ!? い、今、からかってるって言ったな! やっぱい私のことを馬鹿にしているんじゃないか! 誰がそろばんを使えるようにしたのかもう忘れたのか!? 私は決して馬鹿なんかじゃない」
「あ、大丈夫そうですねっって、い、痛いですってば! 叩かないで下さい」
「そうですよ、俺達は決して嬢ちゃんを馬鹿になんかしていません。からかっているだけですってば」
「ふ、ふざけるなあ! っていうか、俺達ってどういうことよ!? もしかして貴様ら全員――」
「怒るのは分かりますが、取り敢えずそのくらいにしておきなさい、白凰。追求は後で、です。取り敢えず、今日の分の帳簿付けを終わらせておきましょう」
「え、あ、はい、黄蘭様! ……貴様らは後で覚えておけよ」
「様は要らないですよ。それでは終わっていない分を幾つか私に回して下さい」
「あ、はい! 何時もありがとうございます、子遠様!」
職員たちは御礼の言葉とともに幾つかの帳簿書類を許攸に渡していった。
それを受け取った許攸はそろばんを手元に引き寄せると凄まじい速度で珠を弾いていく。
荀シンが持ち込んだそろばんを冀州においてもっとも上手く使いこなすのがこの許攸という女性であった。
瞬く間に未処理の帳簿は消えていき、半刻もするとその日の業務は全て無くなっていた。
筆記具などを沮鵠が片付けていると、許攸が近くにやってきた。
「白凰、これから一緒に食事でもいかがですか」
「え? あ、はい! はい! 行きます! ご一緒させて頂きます!」
他の職員たちが、『俺の子遠ちゃんが~』とか、『ちゃん付けしてんじゃねえ! さんを付けろ!』とか、『むしろ嬢ちゃんと子遠ちゃんの絡みこそ至高』とかふざけた物言いをしている。
これがあの歴史ある袁家の家臣かと思うと沮鵠は涙が流れるのを禁じ得ない。
人員が足りないため友若の提案によって商人や傭兵、はたまた奴隷など生まれの卑しい者どもが職員として袁紹の配下となった。
彼らの存在は袁紹に長年仕えてきたこころある譜代にしてみれば噴飯物だ。
連中ときたら品性のない下劣な会話に乗じ、適当な忠誠心しか示さないのである。
――あの荀シンとかいうぼんくらが本初様に妙なことを吹き込んでから全てがおかしくなった
沮鵠はそう思う。
なまじ友若の提案が大きな成果を上げてしまったがために表立って文句をいうものはいない。
それどころか、袁紹の重鎮たる田豊や沮鵠の母である沮授などは荀シンを積極的に押している。
長年袁紹に仕えてきた人間達にしてみれば面白くない。
沮鵠もその一人だ。
もっとも、沮鵠は新参者が気に入らないというわけではないのだが。
――田豊も母上もあんなぼんくらではなく、能力も人格ももっと素敵な黄蘭様みたいな人を推薦するべきじゃあないのか。
沮鵠にしてみれば、能力が優秀で、品性の美しい許攸の様な人間が袁紹に取り立てられるというのならば文句はなかった。
沮鵠は心から尊敬していた。
友若とか言うぼんくらなんかではなく許攸こそが袁紹に認められるにふさわしいと思っていたのだ。
だが、冀州の官吏においてサボり四天王の一人に数えられる友若なんかが許攸よりも認められている現状というのは沮鵠にとって我慢のならないものだった。
「随分と思い悩んでいるみたいですね、白凰」
他の職員たちの同行の誘いをやんわりと断った許攸に連れられて沮鵠はこじんまりとした料亭で座席に座っていた。
「もし相談に乗れることがあれば話してみてくれませんか」
「え!? い、いや、何も……」
「そうですか、私に相談できないというのなら仕方ありません。しかし、私でなくても誰か他の人に悩みを話したほうがいいと思いますよ。抱え込んでいるだけでは解決しないこともあるのです。母君の沮授殿も心配されていましたよ」
「え? 母上が……大丈夫です。私には悩みなんて――」
「こらっ」
悩みなんてない、と言おうとした沮鵠の鼻の頭を許攸が指で軽くつついた。
困ったような微笑みを許攸は浮かべていた。
「貴方も含めて誰も信じられないような言い訳をするものではありません」
「それは……」
「……」
沮鵠は言い淀んだ。
何に悩んでいるのかは沮鵠自身よく分かっている。
だが、それを言葉にすることは沮鵠としては避けたい事だった。
自分が惨めに感じてしまうからである。
しかし、それでも沮鵠は決心して許攸に話しだした。
「私は……私には才能がありません。あのサボってばかりのぼんくら、荀シンに日々文句を言っていますが、麗羽様の役に立っているのはあっちの方です。悔しいですけど、あのぼんくらの発想力には私はとても敵いません。だから、私はせめて教務で麗羽様の役に立とうと思っているのですが、その処理能力も私の下にいる他の職員たちと大差ないです。わ、私は許攸さんみたいに何でも完璧にこなせる様な人間になりたいのですが……才能のない私はどうしたら良いのでしょうか」
「……」
許攸は沮鵠は話を終えると考えこむように目を閉じ、しばらくしてゆっくりと話し始めた。
「白凰、貴方は十分やっています。そろばんの使い方を調べてまとめたのは間違いなく貴方の功績です。大変、沮授殿も喜んでおられました。私が今日のようにそろばんを使えるのも貴方がいなければできなかったことです。もっと自信を持って良いと思いますよ」
「でも、それは……私じゃなくてもできた仕事です。多分、誰でもできたことです。算木の使い方はだれでも知っているのですから」
沮鵠は許攸の言葉に反駁した。
許攸は静かに微笑んだ。
「それを言ったら、私の仕事も他の方が行うことができるものばかりです。他の人ができるから自分の仕事は意味が無いなんて、そんなに心配してばかりでは疲れてしまいますよ。そして、貴方のしたことは誰もが認めるだけの価値が有るのです」
許攸の言葉に沮鵠は唇を噛んだ。
そろばんを使えるようにしたという功績は本当は許攸が得るべきものだと沮鵠は思っていたからである。
そんな様子の沮鵠に許攸は微笑んだ。
若いな、と許攸は思う。
天才を前にした時に感じる無力感を沮鵠は味わっているのだろうと許攸は感じた。
それはかつて許攸もまた感じたことのあるものである。
理不尽なまでの天才というものがこの世界には存在する。
それを前にした時、凡人はそれをただ認めることしかできない。
沮鵠が思い悩んでいることを知っていた許攸としては彼女が折れてしまわないかが心配だった。
真面目な者は天才を受け入れられずに大きな挫折を味わうことが多い。彼らは天才という不条理に耐えられないのだ。
だが、沮鵠は不条理を感じながらも、友若のことを認めていた。
愚直で、不器用で、どうしようもない位正直な沮鵠の様子に、余計な心配だったかしら、等と許攸は考えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
株式制度が一定の成果を見せ更にその拡大が予想された頃、友若は袁紹と田豊に対して新たな草案を提出した。
この時、友若は袁紹のご意見番と教師と軍師を兼務した大老師とか言う訳の分からない役職に付いている。
株式制度の成功を見た田豊の計らいであった。
新参者であり侮られ易かった友若に箔をつけようと言う狙いである。後、友若をキープしておくためでもある。
袁紹のもとで戦乱の世を迎えるつもりはない友若は必死にこの大任を固辞しようとした。
曰く、私にはそれほどの能力はない、大任にすぎる、もっとふさわしい人物がいる、等と友若は主張した。
だが、田豊に押し切られた。
大老師就任が決まってしまった時、友若は虚ろな目で『まだセーフ、ギリギリセーフ……ギリギリギリギリ』等と呟いていた。
結果として、友若は地位に固執しない無欲な人間であるなどと言った事実とは異なる評価を受けることになった。
この時点で大量の人材を抱え込み、莫大な資産を有し、名門袁家の事実上の当主である袁紹の権勢は漢帝国のトップクラスである。
清流と濁流の地を交えた対立により漢帝国と皇帝の権威が揺らいでいる事を考慮すれば、袁家はある意味皇帝以上の力を持っているとも言える。
党錮の禁により廃された清流達を大量に抱えながらも皇帝が手を出せないのもそのためである。
正直な所、先が暗い皇帝の下に付くよりも、政情不安定な洛陽で清流として官吏になることよりも、袁紹の下に付くという事の方が人気がある程である。
その袁紹のご意見番ともなれば絶大な権力を振るうことも不可能ではないのである。
友若はその誰もが垂涎するであろう地位を田豊に押し切られるまで固辞したのである。
その袁紹がいずれ滅ぶと友若が思っている等とは考えもつかない他の人間にしてみれば、荀シンという人間が清廉な人物であると誤解してしまうのも無理はなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なるほど、謙虚な姿勢を見せるとは麗羽の好みをよく分かっているわね。……荀友若、桂花、貴方の兄なのよね?」
「はっ、はい、華琳様! しかし、私の愚兄は決してその様な優秀さは欠片も持っていません!」
「あら、そういう決め付けは良くないわ、桂花。思い込みは考えを硬直化させてしまう。最初、貴方が私の時に来た時の失敗も、ふふふ、それが原因だったじゃない」
「ふぁ、ふぁい」
「ふふふ、可愛い子ね……」
――それにしても荀友若……株式制度、あれはとても興味深かったけど、あれだけではいずれ行き詰まる。次の一手が楽しみだわ。
ちなみに、袁紹の事をよく知っている曹さん家の孟徳さんと2コマ即落ちシリーズ並みの速度で華琳ちゃん大好きっ子になったどこかの妹はそんな事を言っていたらしい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「銀行……友若さん、これはなんですの?」
袁紹は友若によって提案された銀行制度の説明を求めた。
一応教育係も兼任している友若に対して袁紹は躊躇せずに質問をするようになっていた。
「はい、この制度は資金を持っている豪族達から金を集めることを目的にしています。本初様も知っての通り、株式制度で袁家が大きな利益を上げたことで、豪族達から自分達も株式制度に参加させて貰えないか、と要請が来ています。現在、株式の取引はこの地で行われていますが、豪族たちの多くは普段、自らの地元にいます。彼らの持つ貨幣もまた彼らの本拠地にあるため、彼らが株式制度に参加しようとすると、大量の貨幣をこの地まで運び、株式の配当をこの地で受け取って自らの領土へと運んでいく必要が出てしまいます。また、株式会社は株を売ってその金を元に商売を始めますが、この地から離れた場所で商売を行おうと思うとここで大量の貨幣を受け取って商売をする場所まで運ばなければなりません。しかしながら、町から町へ移動する際の道というのは安全とはいえず、多くの貨幣を運ぶともなれば、欲に目が眩んだ盗賊たちに襲われる可能性も高くなります。そこで、豪族たちなど、株式をしたいと言う者達から資金を予め集めておいて、帳簿上で株の売買を行うのです。これにより――」
友若は訥々と語った。
何にもやましいことはないですよ、袁紹様の役に立ちますよ、と友若はアピールしているつもりである。
もちろん、友若が銀行制度を提案した最大の理由は自分のためである。
と言うか、ただでさえ株式制度の創案者として注目を集めている状況で、いずれ離れるつもりの袁紹のために全力を尽くすつもりは友若にはなかった。
この時、友若は株式で稼いだ金の置き場に困っていた。
節約のために友若は長屋に住んでいたが、株式で稼いだ金をそこに保管しておくことは精神衛生上よろしくない。
まともな戸締りができないため、人目を気にしなければ誰でも入れるのである。
友若は床下に貨幣を隠していたが、考えられるだけの頭の持ち主ならば容易に見つけられてしまうだろう。
さらに、貨幣は嵩張る。
友若の部屋の床下は既に空き場所がなくなりかけていた。
そういう場合、普通の人間ならもっと良い家を購入し、奴隷や召使に管理させるのだが、友若はその金をケチっていた。
袁紹の下で根を張るつもりのない友若はこの地で固定資産を購入したがらなかったのである。
だが、貨幣の保管場所を確保することは急務であった。
悩んだ末に友若の出した結論が袁紹に貨幣の保管をやってもらおうというものだった。
そこに友若は前世の銀行に関する知識を組み合わせたのである。
思い立ったら吉日とばかりに、友若は株式制度によって生じた問題解決のために奔走している同僚を横目に銀行制度の草案を作り上げた。
株式制度の運用で散々苦労した友若は結果としてそこそこの業務能力は身についていた。
「――以上により、この銀行制度は袁紹様にとっても豪族たちにとっても良い結果をもたらすものと確信しております」
「な、なるほど、分かりましたわ! よろしいですわ、友若さん。この銀行制度とやらを華麗に実行しなさい!」
これはろくに分かっていないな、と思いながら友若は袁紹に頭を下げた。
田豊は友若の説明から銀行制度に大きな利点があると感じたので何も言わずに袁紹に同意した。
もちろん、新たな試み故に無数の問題は生まれるだろうが、なんとかなるだろうと田豊は楽観視していた。
株式制度の導入で生じた問題を友若が騙し騙しでも表面上は何とかしてきたことと、袁紹のサイコロによって莫大な利益が出たことで、田豊は友若の才能を相当に評価していた。
かくして、冀州に銀行が誕生する。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
銀行制度は株式制度の成功もあって、当初からそこそこの注目を集めていた。
田豊の提案によって株式制度へ参加するためには事実上銀行口座の開設が必要だったからである。
しかし、その初期において豪族たちは中々銀行を利用しようとはしなかった。
一つには、未知の制度である銀行とやらに自分の資産を預けることには不安があった。
加えて、銀行を運営するのが袁紹であるため彼女に逆らえなくなるのではないかという危機感があったのである。
実際、田豊は地元勢力である豪族たちを袁紹の傘下に置こうと画策していた。
友若は自分の資金を預金出来ればよかったため、銀行口座を作るための保証金は比較的高額となっていた。
庶民にも利用できるようにしてしまうと、仕事が増えて面倒だと友若は思っていたのである。
かくして、株式制度への参加を熱望する豪族は多かったものの、銀行口座開設のハードルが高かったため、銀行制度はゆっくりと普及していくことになった。
「めんどくせー」
友若は書類を見ながら呟いた。
自分で提案した制度であるが、日々生じる問題対処に追われるというのは果たして割に合っているのか、等と友若は思った。
「何サボっているんだ、このぼんくらが!」
「いやだって、まだ連絡の早馬が全部来ていないし、することがないからしょうがないじゃないか。全部揃わないと仕事にならないんだから」
友若の提案した銀行制度は本店と支店によって構成される。
前世での銀行のように、友若の提案では支店で預けた資金は本店や他の支店で引き出すことが出来る様になっている。
送金や口座上での取引も可能となっている。
友若にしてみれば、銀行という名前を冠する制度である以上当然の事だった。
だが、当然ながらそこで様々な問題が生じた。
もっとも重大なものは支店で貨幣を預けた場合、その情報をどうやって本店や他の支店と共有するかという問題である。
これが上手くいかないと、他の店舗で預けたはずの貨幣が引き落とせなくなる。
銀行に口座を開設する際に発行する通帳の内容は信用出来ない。
番号が振られた冊子状の通帳は特殊な紋様と塗料を採用することでそれそのものの偽造を困難にしていたが、書き込み自体は難しくないからである。そのため、通帳を信じると貨幣を他の店舗で預けたと記載して詐欺を行うことが可能となってしまう。
友若は銀行間で情報共有を行うために、銀行の取引時間を午前のみとして午後いっぱいを会計処理に当てるようにした。
自分自身が利用する目的で銀行制度を提案した友若に他の人間にとっての便利を求めるようなサービス精神は皆無である。
そして、各支店でまとめた会計処理の結果を翌日の午後に本店へと早馬で情報を送る。
本店では各講座の会計処理をして、整合性を確かめた上で翌日の午後に各支店へとその情報を送るのである。
また、会計情報を元に数日に一回の割合で護衛を付けた上で貨幣の運搬を行う。
これにより、本店または任意の支店で貨幣を預けてから3日後には他の場所で金銭を引き落とすことが可能になる、と友若は目論んでいた。
当初は、それで問題はなかった。
銀行制度を利用するものは少なく、結果として会計処理自体は割とすぐに終わったのである。
それに、まともに動いている支店が存在していなかった。
豪族にしてみれば銀行の支店という存在が近くに来るというのは袁紹の手先が喉元に居ることに等しい。
支店を作ろうとすると関係する豪族たちが、利権を寄越せ、賄賂を寄越せ、業務に関わらせろ、むしろ金だけだして俺達に全部やらせろ、等と主張した。
対して、友若はじゃあ支店作らねえよと対応した。
支店の存在は友若にしてみればあくまで袁紹を説得するためのものであって、友若自身が行くつもりのない場所へ苦労してまで支店を作るつもりはなかった。
支店が少ないほうが業務が楽だった訳であるし。
しかし、豪族たちとしても大きな利益の見込める株式制度への参加をしないわけには行かなかった。
不承不承であるが、豪族たちは友若の言い分通りに支店を作ることを最終的には認めた。
それは冀州において袁紹の統治機構の下に豪族たちが組み込まれることを意味していたのである。
まあ、その後も、色々と問題はあったのだが。
例えば、河の氾濫で道が通行不可能になり早馬が飛ばせず業務が止まったり、豪族が式典のために道を占拠していた結果早馬を飛ばせずに損失が発生したり、支店の職員が豪族と結託して不正に支店の金を使い込んだり、ストライキが起きたり、貨幣運搬の際に護衛がいるにもかかわらず何故か盗賊が襲ってきたり、その際、たまたま護衛が貨幣運搬を行なっている職員の側を離れていたりといったものである。
その度に、友若達は道路の舗装を行ったり、迂回路を整備したり、職員の首を物理的に飛ばしたり、酒屋で知り合った豪族とは繋がりの無さそうな人間を雇ったり、賊の討伐をしたり、賊と裏で結託していた豪族を断絶したりした。
結果として袁紹の支配力を強めることになったため、田豊達にしてみれば万々歳であった。
友若にしてみれば散々苦労した挙句、冀州の方方の豪族から睨まれる結果というのは罰ゲームとしか思えなかった。
ともかく、そんな感じで友若にとては残念なことに銀行の支店は増えていき、利用者も増大した。
それにともなって急速に銀行の業務は急増した。
友若は職員の臨時募集を度々行い、増やしていたが、どうしても仕事量の増大速度が速すぎた。
脳筋系に属する少女である沮鵠や新参の職員などの能力が友若と比べて低かったことも大きな問題だった。
優秀な許攸などに友若は泣きついて、何とかその日その日をやり過ごしていたが、友若はその破綻が近いことを感じていた。
そこで、友若は職員の能力向上を目指すことになる。
具体的には経理能力の向上を目標にした。
この時代の計算は算木と呼ばれる計算補助具を使用している。
この時代、10進法の概念を利用した計算術が既に完成しており、和算、減算、乗算、除算程度なら十分に可能である。平方根の数値解計算すら出来るのだ。
ただし、この計算方法は棒を並べる事により行うため、時間がかかった。
ここに、友若はかつて荀彧からダメ出しを受けたそろばんを持ち込んだ。
残念なことに、そろばんをまともに使ったことなどない友若に分かるのは和山と減算のみであった。
とは言え、算木とそろばんは似ているため、少しやれば乗算と除算方法についても問題なく求められるだろう、と友若は考え、めんどくさかったので沮鵠に丸投げした。
友若殿、友若殿、等と友若を尊敬している様子の沮鵠であれば、多分上手くいくだろうなどと考えて。
「という訳で、優秀な沮鵠にはこのそろばん、算木よりも計算を高速且つ正確に行うための道具の使い方についてまとめて欲しい」
最低限の数の数え方だけを説明した友若は沮鵠にそろばんの使い方をまとめて他の職員に教えるように命じた。
当初、沮鵠は、どうして自分が、とか、私には難しすぎます、等とバイタリティの欠如した受け答えをした。
「君なら出来るよ……いや、君しかできないんだ」
友若は適当に沮鵠を誤魔化すと、袁紹の元へと去っていった。
袁紹が出すサイコロの目の情報は万金の価値が有るのである。
他の職員たちは酒屋へ行った。
一人残された沮鵠は必死にそろばんの使い方を調べた。
この時点では、沮鵠は母親や田豊から一目も二目も置かれる友若のことを尊敬していた。
幸いにして、そろばんと算木は同じ計算方法が利用できるため、頭脳明晰とは言い難い沮鵠であってもそろばんを使って一通りの計算はできるようになった。
最初は慣れていなかったためひどく時間はかかったが。
ともかく、沮鵠は連日半ば徹夜してそろばんの研究を行った。
そして、そろばんの使用方法をまとめた資料を作成して友若に差し出したのである。
「ん? なにこれ?」
「そろばんの使い方をまとめたものです」
「……あっ!? あれか……あれかあ……」
「頑張りました。ところでそれは何ですか」
沮鵠は友若が紙に書いているラクガキのようなものを指さして訪ねた。
鉛筆と友若が命名したそれを使って書かれた模様は沮鵠の知っている文字ではなかったが、一定の規則性があるように見受けられた。
「……これは筆算と言って素早く計算を行う事が出来る方法さ。どうだ、凄いだろう」
どや顔で自慢してくる友若に対して沮鵠は全力のグーパンを叩き込んだ。
きりもみ状態で漫画のように吹き飛んでいく友若。
そんな感じの出来事が繰り返され、沮鵠の友若に対する尊敬の念は急落していった。
同時に、何でこんな奴がこんな凄いことを思いつくんだ、等と沮鵠は思い悩むことになる。