麻雀描写、こんなのでもいいでしょうか?
ラストサイコロの結果は……圧倒的でした。
第十七話 理屈じゃない
始まりは、恋だった。そして、それは次第に愛とすら交わった。
彼女は彼を、運命の相手、だと思う。それは、どんな出会い方、想いを最初に抱いたとしても、結局彼を好ましく思うのは間違いないという事実から、そう考えたのだった。
この道を進むことに間違いなく、だから迷いはない。そもそも恋は一本道。迷うことなんて、あり得なかった。
様々な種類の注目の中、卓を囲んで、四人。油断ならない打ち手ばかりが揃っている。その中でも殊更二人は、彼女の恋敵とすらなり得る資質を持っていた。
判る。狂おしいまでの恋と、潜めてなお燃え上がる恋が、そこにあることを。意識すれば邪魔になりかねないそれを、けれども余計な情報とは処理することなく、彼女はただ受け容れた。
むしろ、原村和は自分の恋する人が、これだけ愛されていることを、誇らしくすら、思う。
「リーチ」
和は誰より真っ直ぐ進んで、そうして誰よりも速く、牌を曲げた。
「はぁ……」
原村恵は、原村和の父である。親であるからには、最も近くて誰より彼女のことを理解ってやれているもの、と彼は考えていた。
しかし、そんな認識は少しずつ変わって、どうにも分からない今となっている。それは、娘和が東京の病院にて麻雀を覚えてからのことだったかと、恵は考える。
「なるほど、それは私が間違っていたからだったのか」
恵は、画面越しから娘の熱中を見つめ、そう零した。彼女はどこかぽうとした表情をしてもいるが、そこに籠もった真剣さは、極めつけのものだと親として感じ取れた。
「麻雀、か。つまらないものだったと、思い込んでいたが……」
麻雀とは、運で決まる、不毛なゲーム。それは、学生の頃にはまり込んで遊び、幾ら頑張ったところで負けて勝ってそれを繰り返すばかりだった経験からそう結論出していた。
そう。決めつけてしまっていたからには、考えることもなかったのだ。自分が置き忘れていた、確かにそれで楽しんでいたという過去の思い出すらも。
しかし、休暇をとってまで娘の応援に足を運んだ会場のどこもかしこも熱を持ち、誰も彼もが悲喜こもごも、思いの丈を顕にしている。それには、熱心にサーフィンに興じていた頃の自分を思い起こさせ、胸にくるものを感じざるを得なかった。
「全く。人事尽くして天命を待つ。そんなもの、どんな競技であろうが一緒だっていうのにな……」
勝ち筋を常に用意できないゲームに捻くれて、確率に身を委ねるに至るまでに切磋琢磨して得た彼彼女らの確かな努力を忘れる。
だがこの場の誰も彼もが懸命で、想いを持っていた。それを、下らないとまで恵は思わない。むしろ、蒙を啓かれたように、思い知っていた。
「……和が東京の進学校を頑なに断ってでも、続けた遊戯だ。そこに、何もないと考えていた俺が、浅はかだったのだろうな」
未だ若いと思い込もうとしていたが、それでも自分はもう四十四歳。自覚していなかったが、老いて頑なになってしまっていた部分もあったのだろうと、恵は考える。
愚かしいまでに、必死になること。その価値を忘れてしまっては、流石に老人だ。恵は頭を振って、反省を覚えた。
「ん……」
その時、視界の端で、恋人つなぎをしながら闘牌が映るスクリーンを見つめている男女を恵は見つける。何となく、微笑ましく思って然るべきそれが、彼には気になった。
「そういえば、嘉帆は、どうにも妙なことを口にしていたな……」
恵は妻嘉帆に、どうにも娘が東京行きに頷かなくて困っている、という旨の言葉を伝えた時。その際に、確かに彼女は言っていた。
あの子も、恋をしたのね、と。
まさかそんな筈は、と一蹴したその戯言。しかし、確かにこうして画面越しで見てみれば、顔を紅くしながら麻雀と親しんでいる和はどうにも面映いくらいに恋する乙女に見えなくもない。
けれども、その場で和と対しているものは、同性と物言わぬ牌ばかり。まさか愛娘が真剣になりながらも心に恋する相手を想い描いているとは考えずに、恵は妙な雰囲気を醸し出す彼女を心配にすら思った。
どこかのセカイの可能性を受信したのか、もしや同性のことが、とまで恵は思考を惑わせたが、そこで再び頭を振って、考え直す。
そうして、今度は娘に負けず、真っ直ぐに前を向くのだった。
「……まあいい。頑張れよ、和」
親は子の応援をする。それこそ幸せな当たり前なのだと、思い直して。
娘に彼氏が出来て、そんな方針を直ぐ様に撤回してしまうまで、後少し。
速く、それだけでなく、迷いない。そして、今やその最速に凄まじい意志の強さから来る強運というレールが加わっていた。
清澄高校の、副将。インターミドル覇者である、原村和。誰もが、この選手が台風の目となると予想した。しかし、実際はどうにもこうにもそれ以上。
数多交じる優れた矛の中で、それら全てを弾いてしまう程の強烈な風を孕んだ、どうしようもないものになるとは、誰も想像しなかった。
「――三本場」
起家の親をドラ絡みの二翻で流して、それからずっと、場の流れは和のもの。
「くっ」
自動的にせり上がってくる牌を見つめながら、龍門渕透華は、奥歯を強く噛み締めた。
このままでは目立つ目立たない、どころではない。血に潜むものから、流れを解すことの出来る透華は、あんまりなまでの持っていかれ振りから、パーフェクトゲームすら予想出来てしまう。
辺りの全ては、無機質な和の場。ネットの中の最強と謳われた『のどっち』。しかし、現に顕れてみれば、それはそんな程度では済まないレベルの怪物だった。
「……これからっす」
しかし、そんな透華の慄きから反するかのように、他の二人、深堀純代に東横桃子はまだ事態を楽観している。特に桃子の消え入るような小さな呟きは、信じる希望を感じさせた。
実のところ、これまでの和の打点はそう高いものではない。未だ満貫以上を和了ることもなく、全ては配牌からの望ましき最短を駆けるばかり。
先鋒にてトップを走ったが、次鋒で大崩れして、中堅にて持ち直し、そうして殆ど平たい場にて多少浮かび上がったというところが、現在の清澄高校の実際。
確かに、これまでは持っていかれている。しかし、いくら優れていてもそれがずっと続くものではない。普通ならば、弛んで失速するもの。
むしろそんな隙を狙い撃つのが得手である桃子は、気配を隠して雌伏の時を続けていた。
「ロン。三色同順、タンヤオ、ドラドラの三本場。一万二千九百です」
「はい……っす」
しかし、そんな楽観も、次の点棒のやり取りにて終わる。打牌を四回も許されることなく、一万二千以上の点数を奪われた、その手傷の痛みによって。
閑散とした和の場の四索を見てまあ大丈夫だろうと捨てた七索は、彼女の嵌張待ちにすっぽりと入った。
それがまた、おかしいのだ。そろそろ、自分は能力によって相手に見えなくなり始めている筈であるのに。ぼうと力なく見つめていたところに、和に真っ直ぐに見つめ返されて、桃子はどきりとする。
「どうか、しましたか?」
「なんでも、ないっす……」
そこでようやく桃子は気づく。自分の得意の隠形が和には、これっぽっちも通じていないことに。
デジタルにも綺麗に輝く少女の前で、桃子の闇は通用しない。だから、武器を失ったままに普通に打って、自分はこのバケモノと対さなければいけないのだと、彼女はようやく理解する。
「マジっすか……」
それは、絶望的な戦いの始まりだった。
「四本場」
「ふぅ……」
深堀純代は、自分が吐き出した息に、驚きを覚える。それほどまでに、場は静寂に包まれていた。
純代はこれまで和了り続けている和を強い、と思う。ただ、それが手の届かない程度のものだとは考えなかった。
幸い配牌は、悪くない。配牌二向聴ともあれば、もう方針は決まっている。それに、諦めることなんて、教わった試しもない。純代がやってやる、と思うのは当然だった。
「ポン」
だから、どうしても切らざるを得なかった東を親に喰われた後、次に一筒を出した、その行動に悔いはない。
「ロン。一気通貫、ダブ東、ドラ一の四本場。一万二千八百です」
「……はい」
だがしかし、果たして純代のそんな意気すら呑まれてしまう。間違ってはいない。その筈であるのに、相手に点が積まれていく。
それでも、点数がある限り、続けなければいけない。そのことに、純代は決して悲観しなかった。
純代は強豪風越女子高校のレギュラーメンバー。池田華菜や福路美穂子、そして久保貴子以外にもOG等部活で強者と矛を交えた記憶は多々ある。男子では、須賀京太郎との対局が記憶に新しい。
そんな中で、どうあがいても勝てないことは、多々あった。そんな中で、純代が理解したこと。それは、諦めないことだった。
「……うん」
たとえ焼き鳥になったとしても、それでもチームのために、流す血は少なく。そうするためにも、絶えず目を光らせて当たる。周囲を注視し、何だろうと変化を見逃さないように。
そう、だから異能に馴染みのない彼女でも、気づけたのだろう。
「――――これ以上は、やらせませんわ」
龍門渕透華から発される、寒々しい空気に。
龍門渕透華は『治水』という能力を持っている。冷たい透華、とも呼ばれる龍門渕の血に拠って強敵が現れた際に起きてくる、酷く冷静な彼女の人格が保有する、それ。
冷たい透華が持つ治水とは、河を静かにして鳴くことをさせない、それをまず基本とする。
そして、更に進んだ治水の真骨頂は他家に当たり牌を行かせなくし、更に危険牌の察知を可能とするもの。
引けない、出てこないとあれば、どうやっても透華から和了るということは不可能。他家同士で潰し合うのが、精々のこと。
これを発動した透華は正しく。
「――ツモ」
無敵だった。
早々に和の親を流して、また今度は透華の連荘。
和へと向かっていた流れは完全に停止して、そうして揺り返しの如くに、透華の手牌を良くする。
もとより、透華は和に準ずるデジタルの打ち手。そして、冷静沈着になってしまった彼女に、油断も何もない。
何の起伏もなく、ただ効率的に能力に従って打つ。それだけで透華は堅城鉄壁な、どうしようもない存在となる。故に、次第に彼女の場に点棒が積み上がっていくのは、当然のことだった。
「――五本場」
本数は意図返しのように、先の和と同じ。しかし、流れだけでなく、能力という強固かつ唯人ではどうしようもないものによって極められた透華の方が、より有利に場を進めていた。
和からも直撃を奪って、そうして順位は逆転。一位を奪取した透華は、それでも喜色を表すことはない。ただ淡々と、打牌する。
「リーチ」
そんな中で、テンパイ宣言の声が響いた。まだ五巡目。実に速い仕上がりである。それでも肝心要の当たり牌が彼女のところに行かなければ、どうしようもないだろう。
和は、今回和了ることは出来ない。そんな事実を冷静に、透華は見つめる。
故に、安心して和の河に一枚ある客風牌を捨てようとした、その時。
「っ!」
全身にその行動を止めるための、怖気が走った。透華が出したのは、北。自分には確かに、要らない牌だ。だが、これを欲している可能性のある存在を、自分は果たして忘れてはいなかったか。
そして、気づけば置いてあった、この千点棒は、誰のものか。
「――ロン。ふぅ。やっと来たっすか……」
しかし、気づいたところで時に既に遅し。ゆっくりと、透華はそっちを向く。驚きに、自分がすっかり熱されてしまったことに気づきながら。
「貴女……」
「リーチ、一発、チートイツ、ドラドラ。五本場で一万三千五百点っすね!」
そう、それは隠形をし、潜め続けていた桃子による和了り。自分の武器がもう一人のバケモノには通じたということに、彼女は笑みを見せる。
絶望的な戦いを続け窮鼠は、無敵に孔を開けた。そして、それは冷たくなった場に熱を持たせることに繋がる。
「ロン」
「ツモ、ですわ!」
「焼き鳥にならなくて、良かった……ツモ」
「ロン、っす」
やがて皆の意気で撹拌した流れは平等に機会を与え、それを逃すほど全員は鈍くはない。
滞った前半荘は嘘のように副将戦の終わりは早々と訪れ、そうして最後に和了ったのは、やはり誰よりも真っ直ぐな彼女だった。
「ロン。ホンイツ、白、西。八千点です。ふぅ……」
吐息はどうにも艶めかしく、和の胸の中でぬいぐるみが歪む。勝ち抜いた。そう、彼女は順当に一位で、大将の咲にタスキを繋げたのだ。
しかし、麻雀が終わり、次に思うのは不純にも、いや純粋にも彼のこと。その場の皆が気を取り戻して、挨拶を交わすまでの僅かな時間、その間隙にも真っ直ぐに想い、和は呟いた。
「見てくれていましたか? 京太郎君」
この時、Weekly麻雀TODAYの山口大介が激写したその瞬間の和の写真は、後々まで高く評価されることとなる。男女問わずに、彼女に見惚れるのが当たり前。そう、それほどに、美しい。
愛らしく、緩んだ笑顔。その時の和は正に、恋する少女だった。
「俺は……いや、俺も和のことが好きだ」
「京太郎、君」
だからその日、和の恋が報われたのは、きっと望ましいことだったのだろう。
勝利に沸く中、麻雀部の皆に遠慮してもらって作った二人きりの帰り道。その意味を察し涙を零す少女を見なかったことにした、その罪悪感入り混じった複雑な心情の中で、それでも京太郎は応えた。
歯を食いしばって勇気を出した男の子の告白に、和はぽうっと、麻雀の時よりもよほど紅くなった頬を自覚する。
直ぐにはい、と言いたくなる口元。しかし、それを優しく曲げて、和は笑顔でこう返した。
「それはひょっとして……私が、貴女の好むような身体をしているから、ですか?」
「いや、まあ。そういうのは……ない、とは言えないのか、俺の場合……でも、それだけで好きになったんじゃないぞ?」
「ふふ。冗談です」
胸元を強調する、という以前からは考えられない行動を取った和に、しかし京太郎は目をさまよわせてから、確りと彼女の瞳に目を合わす。
京太郎の茶色い目に見惚れて、そして彼の言葉に心底安心してから、和は片目を瞑って茶目っ気を出しながら、微笑って返した。
「和って、意外と意地悪なところがあるな……」
「それはもう、大分待たされたものですから、意地悪にもなりますよ」
「……悪かった。でも、その御蔭でやっと分かったんだ」
「何が……ですか?」
長身の彼を見上げて、彼女は首を傾げる。そんな仕草も一体全てが愛おしくて、京太郎は和の微笑みに一歩近寄った。
「好きって、理屈じゃない。タイプだとか、そんなことよりもずっと、俺は和の笑顔が忘れられなかった」
あの日と同じ、黄昏の下。しかし、二人を阻む、関係の鎖は、もうない。ならばと、一歩互いに縮めれば、それは触れ合えるくらいの距離となった。
「和」
「京太郎君……」
和と京太郎は手を伸ばし、お互いを抱きしめる。そうして、二人は真っ直ぐな、一つの影法師になった。
夏迫る清く澄み渡った空の下、ただ一本に繋がった紅い糸。
それが末永く、途切れることがありませんように。
ダイスの結果……原村和 88
何だかんだ、和さんの独走でした。
後は、皆様が気になるでしょう部分を補足して完結。そうしてから、個別ルートでしょうか。
大変ですが、頑張りますね!