紅糸清澄   作:茶蕎麦

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第十四話 負かします

 

 

 結局のところ、場所も弁えず勝手に自分の思いばかりを告げようとした須賀京太郎は誤っていた。場は兎も角として、柔い心に強く想いをぶつけたらどうなるか。そんなこと、彼も冷静であったのならば判っただろうに。

 結果、少女は傷つき涙を零し、彼女を大切に思うものが集まるその場からも出入り禁止となって。京太郎は、大好きな麻雀の最初の大事を失った。

 だから、後日謝罪した京太郎に少女、染谷まこ個人が表ばかりの許しを出して、結果彼が平常通りを装うことになってもどこか上の空。闘牌にも陰りが見えて、笑顔も漫ろ。

 専心という、京太郎の魅力の一部は失われた。真剣に卓に向う彼の姿はとても眩くて、笑い顔は煌めかしいものですらあったのに。

 大切、だから取り戻さないと――情報を集め、仔細を知った原村和はそう考えた。

 

 

「のどちゃんは、ずるいじぇ」

 

 淡く、柔らか。何もなければ無機質なばかりである部屋は、メルヘンチックな内装によってふかふかした綿のような優しい印象を受けるまでに変化していた。

 硬い趣だった人家の一角を自分の好みを集めることによって取り替えた少女、和は自分の部屋にて寛いでいた。好きに囲まれて安心できない者などそうはなく。

 ましてや隣に親友まで置いているのであれば、心が尖りようもない。お気に入りのペンギンのぬいぐるみ――エトペンという――に、顔を沈めながら和は椅子に乗っかったお尻を左右に揺らした。

 しかし、その親しき友、優希はどうにもおかんむりの様子で口を曲げて文句を言っているようだ。優希がそっぽを向いたことによって小さなサイドテールが揺れる様を観察してから、和はどこか余裕を持って口を開いた。

 

「ゆーき、本当にずるいのはどっちですか……自分の胸に手を当てて考えてみて下さい」

「うう、分かってるじょ。抜け駆けしたのは確かに……って、何だか話がずれてきてないかー?」

 

 和は優希の罪悪感を撫でて、弄ぶ。

 優希は僅か落ち込んでから後、困惑の表情を見せた。和と結んだ、京太郎を好きにならないという、事前の約束を破ったことを、この活発な少女は随分と気にしていたのだ。

 しかし、約束といえどもそれは所詮、恋敵が増えないように半ば一方的に伝えた牽制のようなもの。あの日真剣に謝る優希のつむじを眺めながら、和はやはりこうなったのかと諦観を覚えただけ。

 だから、当てこすりのように和が優希をおちょくるのに、深い怒りなどない。ただ、軽い憤りがあるばかり。何せ、彼女の最近の京太郎に対する猪突猛進振りには随分と迷惑をさせられているのだから。

 和がいたずらっぽく作った微笑みを、混乱した優希は気づかなかった。

 

「そうですね、少しずらしました。……それで、明日のこと、京太郎君の家にお呼ばれしたこと、それについては本当に、私の作為は入っていませんよ」

「それじゃ、どうしてのどちゃんだけ、呼ばれたんだじぇ?」

「どうも、京太郎君のお知り合いに、私と雌雄を決したいという方がいらっしゃるみたいなので、どうしても、と……」

「ああ、のどちゃんって有名だからなー。うう、私もお呼ばれされたかったじょ」

 

 インターミドルが東風戦だけだったのなら私も有名になれたのに、と口走る優希はしかし、最近その力の増し様著しく。何だか風を感じるじぇ、と勢い良く和了るその速度に連荘を重ねる姿は、何処かのチャンピオンを彷彿とさせるもので。

 今のところ実力が伸びた実感に乏しい和に、それは眩いものですらあった。優希が羨ましいと、彼女も思わなくもない。普段の京太郎に対する気安さに対する苛立ちに加え、我慢せずに嫉妬まで混ぜ込んでしまっては友愛に揺らぎが起こることだろう。

 しかし、存外強い精神力を持っている和は、そんな懊悩なんて欠片も表出すことなどなく。微笑み絶やさぬまま、優希に向かって優しく言い聞かす。

 

「ゆーき。このことは貴女が京太郎君に告白する前、彼がああなってしまう、もっと前から決まっていたことですから」

「……そっか、分かったじょ。それにしても京太郎、どうしてあんなに腑抜けてしまったんだじぇ……のどちゃんは理由を知ってるのかー?」

「ええ、大体は」

「むぅ。誰に聞いても口が固くて分からなかったのに。どう調べたんだじぇ?」

 

 お値段高めのデスクチェアーをそれと知らずに寄りかかってクルクルと周りながら、優希は疑問に思った。もちもちのクッションを手の中で歪めて、首を捻りながら彼女は悩む。

 そんな稚気溢れる姿をひと目見ながら、一度俯いてその瞳を影に隠し。そうして再び笑顔を持ち上げた和は一言だけ紡ぐ。

 

「秘密です」

 

 親友の一瞬のためらいを判らず、ただ暢気にも優希はえー、と返した。

 

 

 

 

 京太郎にとって、原村和は豊満に包容力に溢れた正しく好みのタイプそのままの存在である。故に、本来だったら二人きりというシチュエーションに、彼が鼻を伸ばしていても不思議でも何でもなかった。

 しかし、和と隣り合っていて尚、京太郎は心ここにあらずといった様子。彼女が体の前で組んだ手を動かし、間近で大きな胸を歪めてみたところで、彼は見向きもしなかった。

 擦り寄る近くのゴワゴワを撫でながらも、耐えきれなくなった和は、京太郎に声をかける。

 

「京太郎君」

「ん、何だ?」

「ほら、私に寄りかかったカピーちゃんが寂しがっていますよ?」

「ああ、すまない。どうしたカピー?」

 

 呼び声に応じたのか、トテトテと足元に寄ってきたカピバラを、京太郎は抱きしめた。抱擁を喜ぶその懐き様に微笑ましさを覚えて、和の機嫌も僅かに良くなる。

 そう、カピーとは須賀家の一員であり、最大のげっ歯類でもあるカピバラだった。カピーはとても一般的な人家では飼えないその大きく茶色い身体をゴシゴシと、一番に世話してくれる飼い主に寄せる。

 

「よしよし。……お、行っちゃうのか」

「可愛い。ふふふ」

「ぷ。カピー。お前は狸か?」

 

 しかして、存分に可愛がられて満足し。そして、京太郎の気持ちが落ち着いてきたことも察したのか、カピーは彼から離れて大好きな水場へと向った。

 気ままにざぶんと泳ぎ始めたカピー。彼が一度潜ってから水面に出た際に乗っかった若い葉が中々落ちずにずっとそのままになったこと等、のそりとしていて色々とユーモラスなその様体は、京太郎と和に自然な笑顔を誘った。

 

「あれ、どうした?」

「カピーちゃん、リムジンが来たのに気付いたのですね……ワンちゃんみたいで、偉いです」

 

 だが、唐突にカピーは水から上がって飛沫と共に葉を落とし。そしてから、彼は近くに停まった車を見つめた。

 その長き車体の途中から飛び出してきたのは、兎の耳のような意匠のカチューシャをした小さな女の子。金色の長髪を揺らしてカピーを目掛けて走る彼女の後に、車から彼女の親類とひと目で分かる高貴な少女、長身痩躯な執事の男性に、星のタトゥーシールが特徴的なメイドさんが続いて現れた。

 彼女等は、どうにも興奮しているようで、鋒として先頭の少女、天江衣が振り向いて声を上げる。

 

「トーカ。京太郎の家の庭に、奇天烈な生き物が居るぞ!」

「珍獣ですわね! 捕まえて、私達が新聞の一面トップを飾りますわ!」

「透華お嬢様に衣様。あれは京太郎君のペットであるカピバラかと……」

「はは……二人共、あれだけ食い入るようにカピーの写真を見ていたのに間違えちゃうんだ。まあ、でもやっぱり生は違うね。可愛いけれど、迫力あるよ」

 

 訪れた相手は四人。その名前と特徴と、更には面白い人達と京太郎から言われていたが、カピーを目にした彼女等のやり取りに、さしもの和も目を丸くした。

 京太郎もその高いテンションに付いてはいけずに、思わず苦笑しながら、挨拶をする。

 

「こんにちは、透華さんに、衣さんに、ハギヨシさんに、一さん。そこの茶色くて大きいのがカピーで……そして彼女が和です」

「あ、はい。原村和です。皆さん、今日はよろしくお願いします」

「ハラムラノノカだな。よろしく!」

「衣さん……ののか、じゃなくてのどか……ん?」

「ふふ……京太郎君。そのくらいの間違えなんて、可愛いものじゃないですか」

「そうか?」

 

 挨拶を交わす、和と衣。その際京太郎は多少の齟齬を見咎めたのだが、豊かな少女はそれを笑って認める。

 小さな少女の小さな間違いなんてむしろ微笑ましくて、直すのが勿体無いくらい。夢の一つにお嫁さんというものがある和は、子供のように幼気な姿の衣を見て頬を緩ませる。

 衣が上級生であるという事実は、この場で披露されることはなかった。

 

「ノノカ。それで、だな。それでそれで……」

「衣さん、落ち着いて」

「……こほん。つい、周章狼狽してしまったな。突然で短兵急な話かもしれないが、ノノカ。衣と友達になってくれないか?」

「いいですよ」

「麻雀をやっている衣を見せずに誘うのは卑怯かもしれないが……でも、麻雀していない衣も衣だし……ん? いい? ノノカはいいと言ったのか?」

「はい。一向に構いませんよ。お姉さんを信じて下さい」

「お姉さん? まあいいや、わーい。やったー!」

 

 少し屈んで衣と目を合わせながら、和は承諾する。すると、わーいわーいと兎の少女はまん丸お月さまみたいな胸部の少女の手を取りその場で飛び跳ね、大いに喜色を顕にした。

 一人ぼっちの隣に、また一人。近くに集まってきた衣の事情を知る皆は、そのはしゃぎように、快くなった。

 ただ、衣に友達が出来たのは良いことだと思いつつも、京太郎は和の言葉尻に勘違いを確認し、笑顔を微妙に歪ませる。そんな表情を見て、一は彼に耳打ちをした。

 

「あの子、絶対に衣の年、勘違いしているよね」

「まあ、俺も卓に着くまで気付けませんでしたから……」

「武者修行を積んだからと仰っていましが、牌山越しに向かい合っただけで衣様のお年に気付くことが出来るということは、私は凄いと思いますが」

「ボクもそう思うけれど……会ってひと目で衣の大体のことを理解しちゃったらしいハギヨシが京太郎を褒めるのはちょっとおかしいよねえ」

「黒子の性能なんて、気にするようなものではないかと」

「いや、ハギヨシさんが一度表に出たら、色々な常識が覆されることになると思うのですが……」

「本人にその気がないのが残念だよねー」

 

 京太郎は、穏やかに笑うハギヨシを見て、彼がハンドボールの大会でその得意の縮地と隠形を用いて世界の場で活躍を見せる姿を想像する。彼は年若い、十九歳。今から学んで鍛えれば、或いはそんな夢想も現実になるのかもしれない。

 だが、ハギヨシが執事以外の職に就くことはありえないと、一だけでなく、京太郎もよくよく知っていた。

 出過ぎないのが、執事。そうハギヨシは京太郎に己が心構えを言っていた。そんな彼が、主よりも目立つことなんてする筈もない。

 また、ハギヨシが衣の孤独を知って尚、見守ることを選んだのは、成長を望んだため。いたずらに助けてその機会を奪うなんて、可能性を信じることも出来ない執事失格のすること。そう、彼は一に言っていた。

 

 そんな優秀な執事たるハギヨシが一歩下がる。その様子を見て、京太郎達は主が前に出たのだということを察す。

 視線を移してみれば、お嬢様たる龍門渕透華が、未だ喜んでいる衣から解放されて少し息を乱している和に向かっているところだった。

 僅かに緊張しているのだろう、透華のその背筋はピンと伸びている。周囲は彼女が毎日立ち上がるようにセットしている癖っ毛が、更に真っ直ぐに伸び上がったような、そんな印象すら受けた。

 

「貴女が、のどっち?」

「ええと……」

「まあ、私が勝手に突き止めたこと。自分からは言い難いことなのかもしれませんわね。後で貴女の打ち筋に直接聞きますわ」

「ノノカは達者な打ち手と聞いているぞ! 衣も、楽しみだ」

「はぁ……あれ? すっかり意識していませんでしたけれど、天江衣って……貴女?」

「うん? 衣は衣だぞ?」

「なるほど」

 

 和は、自分の間違いを、ここで理解する。可愛さばかりを見てしてしまい、名前を認識とすり合わせることを忘れていた。天江衣は上級生で、更には強力な雀士。そんな情報を少女の矮躯とここで合致させた。

 途端に、思わず、釣り上がる口角。和の意識は、直ぐに衣との闘牌へと向う。

 そう、天江衣は敵を倒すために、和が越えるべき壁と決めた相手。何せ、あの藤田靖子が自分と同程度の力を持つと認めた存在である。

 和は満面の笑みを見せる少女を見つめる自身の瞳に、熱が篭るのを感じた。

 

「むぅ。何だかのどっちは衣にお熱のようですわね。とても、距離が近い。歩ならここで、勘違いをして変なことを口走るのでしょうか?」

「そういえば、他の三人はいらっしゃらなかったのですか?」

「あまり大勢で押しかけるのも良くないと思いまして。未だ機会はあるでしょうからと、今回は平等に、メイド四人から一人、ジャンケンで決めましたわ!」

「そう、平等に、ね」

「はぁ……」

 

 透華が口にした平等、をわざわざ強調する一を、京太郎は胡乱だと見る。彼女は父親がそうであるだけに、マジシャン裸足の手品の腕を持っていた。それを思えば、ジャンケンの結果くらい操れるのではないのだろうか。

 龍門渕のメイドの中でも、一ほど透華に親愛を寄せている者はなく。だから全てをひっくるめて思えば、彼女が愛する主人に付いていくためにズルをしたと京太郎が考えてしまうのは仕方がない。

 目が合った際に行われたウィンクの意味を、京太郎は上手く計れなかった。

 

 

 

 

「貴女はそのペンギン? のぬいぐるみを普段から抱えて打っているのですね。インターミドルで打った時との違いはそれくらい、だと」

「はい。私はエトペンが大好きなので。でも……皆の前でするのは少し、恥ずかしいですね」

「そこは、目立つからむしろいいと思うべきですわ。まあいいです。取り敢えず、打ってみましょうか」

 

 今回、龍門渕の面々、もっと言えば透華が和との闘牌を求めてやって来た理由は一つ。それは、ネット麻雀界隈で伝説とすら謳われたのどっちというハンドルネームの打ち手。透華は全中王者、原村和の打ち筋からその影を見出していたから。

 同じデジタルとして大いに意識しているのどっち。それを彷彿とさせるそんな打ち手と、奇しくも京太郎との縁で繋がることが出来た。ならば、卓を囲んでみたいと思うのは仕方のないことだろう。

 

「万全の貴女と打つのは楽しみですわ」

 

 似ている。しかし、だからこそ解せないところがあった。運営の用意したプログラムとすら言われたのどっちはミスのないデジタル打ち。しかし、和はミスをすることも多い。

 その違いの故は。和とのどっちが同一人物だと確信している透華は、それを現実の緊張や情報を過分に受け取りすぎているためではないか、と考えた。

 だから、今回は出来るだけ自宅でパソコンに向かって打つのと同じ環境にする。それを頼んで、透華は通していた。

 丸いペンギンに胸を乗せ、何時の間にかハギヨシが了承を取り須賀家の客間にセットしていた自動麻雀卓を囲む席に座って、牌に触れている和を見ながら、透華は策の成功を願う。

 

「それじゃあ、後卓に付くのは和と透華さんと衣さんと……一さんでいいですか?」

「あら。京太郎は遠慮しないでいいのですよ?」

「そうだぞ。場を貸してくれたきょーたろーが先に打つべきだろうに」

「いや……ちょっと今回俺は見て学ぼうかな、と」

 

 そして、この会の主催でもある京太郎は及び腰に場を仕切ろうとする。今彼のその目は、牌を見ていなかった。

 

「どうか、しましたの?」

 

 それが彼を明確に想う少女には不思議に感じ取れるもの。普段の高いコンセントレーションを受け取れない現在の京太郎の態度は、少し異様だった。

 だが、牌の前にて常に気を張っているのも、本当はおかしなことかもしれない。こういうこともあるのだろうと、透華は受け取る。

 

「いえ、決して京太郎は打ちたがり、という訳でもありませんでしたわね。……私ったら、どうしたのでしょう?」

「そうだ。まあ、衣の後ろを壟断して、参考にするのもいいだろうな!」

「いえ、京太郎には私の勇姿を存分に見ていて貰いましょう。衣も万全ではないですし、私の勝機は充分、ですわ!」

「駄目ですよ、京太郎君――――卓に着いて下さい」

「ノノカ?」

 

 そして、再び和やかな空気が場を包もうとした時に、それを両断するかのように静かな声が響く。

 それを発した和は、何かを確かめるかのように左手で牌を握っていた。そして、確信を持って何かを嫌がる様子の京太郎にまた言葉をかける。

 

「いや、俺は……」

「知るのを、怖がらないで下さい」

「……俺が、怖がってる?」

「そうです。それでも、打って下さい。そして、今の京太郎君は一度負けるべきです」

「負ける……か」

 

 考え込む京太郎に向かって、和は勝ち気にも笑顔で、京太郎君は私が負かしますから、と力強く宣言をした。

 

 

 

 

「以前の牌譜とも、のどっち……とも違いますわね」

 

 比べてから、大人しげな彼女が、こんなに攻撃的な麻雀をするなんて、と透華は舌を巻く。

 河の様子と牌姿によって分かるその判断に打ち方。それが、兎に角勝つことばかりに拘っているようにも思えた。先の宣言もあるのでそれも当然なのだろうが、リーチされた後での回し打ちの精度、そして思い切りの良さには驚くべき部分も多々あって。

 

「はい、四千三百点ですわ」

 

 それ以上に驚愕すべきは、その聴牌スピードと打点の高さ。現在東三局で和が親の四連荘。これまで和了ったのは衣と彼女ばかりであって、更に今のところ和は七千点以下の点数で和了ることすらなかった。

 当然、周囲の点棒は風前の灯火。このまま一度七千七百の一本付けの直撃まで受けている京太郎がトんでお終い、となるのが現実味を帯びてきていた。

 そして、周囲の目を惹かせるのはそのヒキの強さ。実は既に披露していた衣の周囲の相手を一向聴で抑えるという、そんなとんでもない支配の能力をすら上回るそのヒキは、むしろ強引にすら映って。

 誰もが静かに気炎上げる和の横に、鋭いものを向けて来る天使の姿を幻視した。

 

「気持ちだけで出鱈目をするものだ……強いな、ノノカ」

「強くないと京太郎君には勝てませんから」

 

 和は素直な衣の賞賛を、軽く頭の中でチャットログと変えて流し。そして、闘牌を続けていく。

 せり上がって来た牌を、和は脳裏で平たいパソコン画面のものへと変換してから、のどっち、いやそれ以上の打ち方を模索し、うずく左手を抑えながら右手を伸ばした。

 そして、彼女は少しばかり道筋を考えてから、牌を捨てる。

 

 

「和は、早打ち極まって来ているな……」

 

 西から捨て始めた河を望みながら、隣で秒の迷いもなしに牌が置かれる音に、京太郎は僅かに気を取られた。

 惑わされまいと思っていても、目の前で行われるそのあまりの選択速度には思わず瞠目してしまうもの。

 それよりも、もう七千点しか入っていない自分の点箱を気にした方がいいのだろうが、しかし強く、また美しい彼女を無視することは今の京太郎には出来ない。そして、内にある不明な喪失感に不安感も。

 

「駄目だ」

 

 基本と自分の力の要点のみを抑えているだけの、漫ろな闘牌。そんなもので真剣一途に勝たんとしている和を打倒できるはずもなく。

 引きどころかそもそも配牌もすこぶる悪いものであれば、この局はオリに徹した判断をした方がいいだろうと京太郎も思う。

 別段まだ場が煮詰まっているという訳でもないが、和了りは諦めて黙聴警戒をした方がいいかもしれない、と考えた時に。

 

「ん……」

 

 赤ドラで一つの嵌張塔子が埋まった。だが、それでもシャンテン数が一つ少なくなったばかり。この面子の中この速度で先に和了るというのは難しく。

 だが京太郎は回し打てば或いは、と思ってしまった。甘い判断。そのツケは直ぐに来た。

 場を見ながらも親の現物を落とすことを中途半端に嫌い、和の河に落ちていた五萬を目に入れてから反射的に八萬を捨てる。

 それが、和の当たり牌だった。

 

「ロン。三色同順、ドラ一。七千七百の四本付け。八千九百点です」

「引っ掛けだったか……箱下なし、だったよな……トんだよ」

 

 京太郎は、ぎしりと椅子の背もたれに身体を預ける。終わってみればそれはもう、和の圧倒だった。

 一矢も報うことも出来ずに、負ける。それは随分と久しぶりのことだと京太郎は思う。

 

「のどっちの鱗片、確かに伺えましたわ。その正確な打牌、怖いくらいです。しかし、今回は一度たりとてオリませんでしたね。回し打ちも華麗でしたわ。少し強引な部分もありましたが……」

「絶対に勝つには、無理しないといけませんから」

「凄いぞ、ノノカ! 衣の支配を破るなんて!」

「支配?」

「ふふ。多分、貴女には判らない言葉なのでしょうね……」

 

 盛り上がる和の周囲。彼女等の仲が深まって嬉しいと、素直に京太郎は思う。だから彼は、必要経費だったのだと、この負けも素直に呑み込もうと思った。

 だが、その時に背後から一の声がかかる。彼女の手を戒める、メイド服に不釣り合いの手錠が、ジャラリと鳴った。

 

「今回はコテンパンにやられたねー、京太郎後ろから見ていたけれど、良い所一つもなかったよ?」

「ああ、そうですね。……ちょっと悔しいです」

「ちょっと? やっぱり京太郎、何だか変だね」

「変、ですか?」

「そうだよ、だって……そんなに悔しそうな表情をしているというのに」

「え?」

 

 思わず、京太郎は疑問符を浮かべる。一の言葉は意外だ。何せ、悔しさの自覚なんて一つもない。

 京太郎は、自分の顔に手を当てる。そして、指が額に険を見つけた時に、ようやく彼女の言葉を理解した。

 

「ああ、そうか。俺、悔しがっているのか……そりゃそうだ。皆の前で格好悪い所見せるのなんて嫌だし……」

 

 それに、大好きな麻雀に本気になれていなかった。皆まで口にせずともそのことにも気付いて、京太郎の胸の内は爆発する。

 

「ああ、俺は半端だった。そりゃあ悔しい。途中で引くくらいなら、最初から押さなければ良かったんだ……拙いこと、しちまった」

「京太郎?」

「すみません、一さん。次、交代しなくていいですか?」

「別にいいけれどさ……はは。何時もの京太郎に戻ったみたいだ。みんなー、京太郎がもう一度やりたいってー」

 

 彼の内の炎は、胸を焼き瞳から垣間見えるまでに膨れ上がった。振り向返り、彼の方に向いた和等の目に入ったのは、真っ赤な篝火。

 それに照らされた彼女達の頬は、自ずと、紅く染まった。

 

「これからはもう、半端はしない……もう一局、お願いします!」

 

 皆に頭を下げる京太郎。その本気は、熱気は、この場の誰にとっても心地良いものだった。何しろ皆、そんな彼のことが好きだったのだから。

 

 

 

 

 赤い空の下、自転車を代わりに転がしながら歩む男子にその隣を歩む女子。

 昼と夜の隙間。暮れた日に染まり、全てが融和しているかのようで。自然と二人の距離は近くなった。

 しかし、それは過ぎたるものがあったのだろうか。兼ねてからの疑問。それが、彼の口から自然と口から転び出てしまった。

 

「あのさ。自意識過剰じゃなかったら、だけれどさ……和って俺のこと、好きなのか?」

「好き、ですよ」

「それは嬉しい、な」

 

 こんな自分でも、と口走る彼に、少し意地悪に彼女は笑んで言う。

 

「今日は京太郎君がもっと好きになりました。それまで格好悪かったから……ちょっと、ですけれどね」

「そっか……」

 

 直ぐに答えなければ。そう思っても彼の口は中々開かない。

 幾ら以前感情の大小で決めたつもりでも、迷いは、確かにあったのだ。想いの深み。そして、恩に愛だって参照できた。

 焦りに追われず、心底真面目に考えた時には、好きを比べるのも存外難しくなるものである。そう、彼は痛感していた。

 

「……返事は後でもいいか?」

「この場で直ぐに答えられたら、むしろ信じられませんでしたから、いいですよ」

 

 そうですね、ただ、夏が終わる頃までには答えが欲しいです、と言う彼女に、彼はああ、とだけ答える。

 

 彼のはにかみを見て、彼女は目を細めた。

 

 

 




 ダイスの結果……原村和93+13

 今回も、百を超えていますが抑えめに。
 確固たる信念強い意志がツキを呼ぶ、という作中の下りから気合が入った和さんが一旦波に乗ればこれくらい強くてもおかしくないかな、と個人的に思っています。

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