紅糸清澄   作:茶蕎麦

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 今回も、設定を大分盛っているかもしれません。


第十三話 可愛い

 

 

「はぁ……」

 

 入浴剤によって乳白色に染まった浴槽に浸かって、染谷まこは溜息を吐く。そして彼女は掌でお湯を撹拌させながら、眼鏡を付けていないというそれだけでなく湯気によっても淡くなった視界を瞑ることで閉ざした。

 まこはしばらくそのままに、身体を温める。暗い中にて温水に疲労が溶けて出て行くようなそんな心地を覚え、緊張がどんどんと解れていくのを感じた。

 ふと目を開け、心なしか軽くなったような気がする右手を、湯船から出して灯りにかざす。途端に眩い光は隠れ、なだらかなまこの手の細さに合わせて水が滴った。水面に広がる白い波紋を見つめて、彼女は何かを思ってから口を開ける。

 

「……どうも、最近ちいと疲れが溜まっていけんの。全く。どこの誰のせいじゃろうかのぉ?」

 

 どこの誰か。いたずらっぽく独りごちているが、その人物の顔かたちをまこは端から想像ついていた。少し精悍さが出てきて出会った際の軽さも薄くなってきた彼、京太郎のことを今日も彼女は思い浮かべる。

 

「優希にはじまって、咲もあからさまになって。……和は機を伺っとるみたいじゃのう。おどけとるが、部長もどっか不機嫌で」

 

 まこをくたびれさせているのは、最近の麻雀部での変動。それは、京太郎への好意の表面化によるもの。

 優希が始めた猫っ可愛がりに続くように、翌日から行われるようになったのは咲の積極的なスキンシップ。和は両者を毎度堰き止め、そして時折意味深な目を京太郎に向ける。久はモテモテね、とからかうがそこに多少の険が見え。

 困る京太郎とざわめく彼女等の間で緩衝材となる以外に何も出来ないでいるまこが揉まれて疲労を蓄積させるのは、仕方のないことだろう。

 ただ、彼女等が恋愛に気が漫ろになるわけではなく、麻雀に真剣なままであることが救いといえばそうだろうか、とまこは考え。

 

「いや、むしろありゃあ……」

 

 いっそ怖いくらいに皆が麻雀に集中しているのは麻雀に向いている彼の目を最高の摸打によって自分に移行させるためでは。と、まこは邪推してしまった。

 思ってから流石にそれは違うだろうと首を振って、まこは仲間の集中を疑った自分を恥じる。ぽとり、水滴が彼女の癖っ毛に落ちた。

 

「……はぁ。けれども、取られたくはないのぉ」

 

 他人に裏を望むのは、それが敵であるから。自分が日向で相手が影。己が感情の正当化のためにも、そう考えたくなるのも仕方ないだろう。

 そう、まこの内で半年前に芽吹いた恋は胸の中で大きく育っていて。彼に味わってもらう前に、失望でその実りが萎れてしまうのは嫌なものだった。

 女子の間に挟まれ右往左往。はっきりとしない京太郎を格好悪いと多少がっかりするところもあったが、その逡巡に助けられているのも間違いなくて。

 

「恋は盲目、痘痕も笑窪。屋烏の愛ってのもあったかの。多少の瑕疵なんて可愛いもんじゃ。しかし、一人として愛想尽かんのは困ったもんじゃのう。咲も和も優希も……部長も。皆、京太郎の虜じゃけぇ。仕方がないんかの?」

 

 空に疑問を呈しながら、まこはざばりと立ち上がって、その白い肌を撫でる。お世辞にも起伏に富んでいるとはいえないなだらかな身体を濁った水が撫でるように滑り落ちていく。

 まこは湯船に腰掛け、暖まった身体の中心を指でなぞった。この火照りは自分のもの。しかし、彼女等も殆ど変わらぬそれを感じているのならば。それならば、仕方がないのだろう。

 清水のようにこんこんと湧き出る感情を、抑えきれなくなっても。しかしいくら強まったところで思いを表すことなんて、とても、まこには出来ないことだったが。

 

「好きと伝えれんなあ……きっと弱いからじゃけぇのぉ」

 

 吐き出すように言い、のろりとまこは浴槽から出て。ぺたりぺたりとシャワーの前へと立ってから、そして鏡に手を当て曇りを取った。

 

「はぁ……着飾らにゃあ、わしはわし、じゃな」

 

 冷たさと感情にギュッと握った白魚の手の内側の鏡面に映された彼女の顔は、眼鏡ないまま見定めるために眉根が少し、歪んでいた。

 そんな素直な自分が、少女には、認められない。

 まこは、蛇口を捻って冷水を被った。

 

 

 

 

 清澄高校で一番に自在の打ち手といえば、それは間違いなく染谷まこだろう。オカルトを活かすには独自のルールに則る必要があり、デジタルに打つというのは効率に縛られてしまうことでもある。

 奇しくも、過去に観たり経験したりした牌譜から類推しながら打っている、それだけのまこ以外に清澄では間違いを活かして打てる者は居なかった。

 不正解にて卓上を変える。それは河を見て流れを変えるのともまた違う。全体を人の顔と見て、不利となる状況つまりは嫌いな顔であれば、打ち方を変えて好きな顔へと歪ませてしまえばいいという発想。

 自己の歪み、つまりは一時の間違いこそ、勝利に帰結するという綱渡りのような打牌。流れを見るものと違って確信などそこにはない故に失敗は覚悟の上。だが勘ではなく経験則のみでそれを狂いなく行えるまこは、紛れもなく達者な打ち手だった。

 

「ロン。タンヤオ、ピンフ、赤一。三千九百の一本場は四千二百点です」

「あんた、それをダマに取っとったのか……」

「ええ。だって、染谷さんはこの方が間違えるでしょう?」

「……なるほど、のぉ」

 

 しかし、その実力すらも容れて、青と茶の瞳はまこの下家にて瞬く。福路美穂子は、両目を開いて楽しそうに笑んでいた。

 調子よく連荘中だった最後の親番を蹴っ飛ばされた上に、能力ではない実力すらも見切られてしまったまこは、愕然としてしまう。三面待ちの良形で黙聴。追いかける点差を思えばリーチをかけた方が自然な状況にて、敢えて美穂子は黙して待ったのだ。

 それは、場面を誤認させるため。過去の似た牌譜を、大勢が選んだ打ち方を敢えて避けて直撃を狙う。そして美穂子は見事に考えを的中させ、一位と二位の点のやり取りは行われた。

 それでも点差はまだ開いている。もっとも、メンタルの優位の度合いは既に逆転済みのようであるが。

 

「美穂子さんと、まこさん。この二人を相手取ると、やり辛いったらないな……」

「キャプテンは風越のランキング一位だから当たり前だけれど……両目を開けるまでに差を付けた染谷さんも強いね。勿論、須賀君もだけど。私一人沈みだよ……」

「吉留さん、さっきから何回もテンパってるのに、残念ですね」

「そうだよね……え? 黙聴バレてた?」

 

 火花を散らし合うまこと美穂子の横で、蚊帳の外気味な京太郎と未春は軽いじゃれ合いを見せる。

 ただ、話はどこか間が抜けていても表情には鋭いものを維持したままの京太郎と違って未春には諦めが見えていた。敏にそれを感じ取り、風越の二人の引率をしている貴子は彼女にそっと近寄り耳打ちする。

 

「吉留。ヤキトリは許さねぇぞ」

「コーチ。は、はい!」

 

 苛立った声からは鉄拳制裁すらあり得るものと思えてしまう。怯える未春。これにて、彼女がこれから最終局まで点数気にせずなりふり構わず速攻を狙うことが確定した。

 

「……凄いな」

 

 だが、それは貴子なりの教え子のコントロール。顔に心配を表した自分に向けたウィンクを見た京太郎は、それを察する。

 元ヤンという経歴から恐れられていることを知っていて、貴子は怒りやすい指導者の振りをしていた。だからきっと、彼女が手をあげることはないのだろう。

 それこそ、わざと悪役になって団結を誘うなど、そんな場合以外には。

 

 

「東、ホンイツ、ドラ一。八千点です」

「はい」

 

 それからは、場は混戦となっていく。皆の瞳に熱が帯びる中、炎を散らす京太郎は一時捲ることに成功した。しかし、自分を傍に置いた点数の推移すらも容れていたのか、勝ったのは、美穂子。

 僅かな点差で京太郎を抑えた美穂子の自信がこの一戦の間に揺れることは一度もなく。

因みに未春は振り込むことは一度しかなかったが、結局一度も和了れずに、ヤキトリに終わった。

 

「これは、いかんのぉ……」

 

 敢えて普通に打ってみた三局にて消極的になりすぎたためか何の収穫も得られなかったまこは、そう呟く。そして、好きな相手の前で情けないと目を伏せて。

 

 だが、そんな彼女を好意的に見定める目は一つではきかない。利き手で顎を押さえながら、貴子は考えを纏めるように言葉を発する。

 

「やっぱり噂や靖子さんの話通りにroof-topの看板娘は強いな。しかし須賀君は、部内は実力伯仲だとか言ってたが。……部長の竹井某が公式大会に一度も出ていないのは、実力を隠すためか? いや、それだけのために二年間を捨てるはずもない、か」

 

 分かんねぇな、と貴子は右手を動かし頬を掻く。その後、まあこの後本人が来るんだから、特に気にしないでもいいかと投げ出して。

 

「あら。時間的に、上埜さんはそろそろかしら?」

 

 貴子の独り言に応じるかのように、壁時計を見上げた美穂子はそう口にした。

 竹井久。旧姓は上埜。そう、ここroof-topにて風越と清澄の麻雀少女達が卓を囲むことになった理由は彼女にあった。

 

 

 

 

 以前、京太郎が初めて風越の少女達と出会った時。その時には既に麻雀部に入っていた京太郎は自身の部での活動等を語りながら仲間の話もしていた。

 何処か自慢気な語り口の内容。その中にて、部長は悪待ちが特徴的ですね、と京太郎が口に出したところ、美穂子がそれに食いついて彼の腕を取りながら、部長の名字は上埜ではと聞いてきた。

 池田家の緋菜が美穂子の胸元に行った京太郎の視線を糾弾するのを余所にして、二人は互いの情報のすり合わせをした。しかし、それだけで両者が確信を得るには至らず。

 ならばと、連絡先、携帯電話を持っていない美穂子の代わりとして未春の電話番号――華菜のものは既知であったがキャプテンにまで手を出すなし、と協力してくれなかった――を確保し、京太郎は後日久に確認を取ることにした。

 

 その日は麻雀部でゴタゴタが表面化する少し前。まこの五月五日の誕生日を祝ってからそれほど経たない日にち。

 休み明け、京太郎は休み時間に久を呼んで、真っ直ぐ疑問をぶつけた。二人きりのシチュエーションに期待をしていた彼女は少しの失望を見せながら、ロングの髪を弄る。

 

「上埜久? ……それ、誰から聞いたの?」

「美穂子さん、風越のキャプテンからですね。彼女が、もし部長が自分の知っているインターミドルで出会った上埜さんと部長が同一人物であるなら一度会ってみたいと言っていました」

「まあ、確かに私の旧姓は上埜だったけれど……まあ、細かく語る必要はない、か。面白くもないお話になるし。須賀君も、対して興味ないでしょう?」

「いや、部長の過去話、正直気になるんですけれど」

「うふふ。そう、気になるんだ」

 

 機嫌は一転。ミステリアスな学生議会長の年相応な姿に周囲が湧くが、それを気にする京太郎でもなく。彼はただ、久の笑みばかりを大切にする。

 そんな集中に気を良くした久は、しかし一本指を眼前に持ってきて、口元に当てるポーズを取った。

 

「でも、内緒」

「ええっ」

 

 気を惹かしたままにしたい。そのためだけに、彼女は秘する。それを知らない京太郎は、漫ろな気になりながら、生真面目にも話を先に進めんとした。

 

「まあ、無理強いはしませんが……それで、美穂子さんと、会ってもらえますか?」

「……仲がいいのね。まあ、風越は仮想敵の一つでもあったし、丁度いいかもしれないわ。ちょっと待っていてね」

 

 女子との距離が近すぎる京太郎に僅かむっとし、久はポップなピンク色が目立つ可愛らしい手帳を取り出してから、その中に記載されていたカレンダーを指し示す。

 すると近く、覗き込んできた京太郎にどきりとする思いを隠しながら、久はペンで日付にチェックを付けた。

 

「ちょっと後になるけれど……この辺りが良いと思うわ。連絡しておいて」

「分かりました。あれ、当日、カレンダーに赤い丸が付いていますね」

「その日は、学生議会の会議があるから、ね」

「あれ。なら遅くなっちゃいますね」

「ふふ。だから、いいのよ。須賀君は、先方には学校が終わり次第直ぐにroof-topへ来るように言っておいて」

「えっと……それだと、待たせてしまうのでは?」

「待たせるのよ」

「え?」

 

 不良ではない京太郎に、わざと待ち合わせ相手に暇をさせることなんて頭にない。思わず彼が呈した疑問の答え代わりに、久は笑みを見せる。

 大丈夫と雄弁に伝えるその微笑みの後、久が更に理由を伝えんと口が開いた時、遠巻きに見ていた周囲から飛び出すように向かってきた足音が耳響いた。

 

「何しとるんじゃ、二人共。学生議会長が一年坊に告白される、とか言われちょるぞ」

 

 果たして、京太郎と久が向いたその先からやって来たのは、まこ。彼女は周囲に広がる噂を語り。級友に彼が取られちゃうかもよ、と囃し立てられながらやって来たことは、決して口にはしなかった。

 その時、カチャリと芯がぶつかる音が鳴って響き。そのため久はまこが手にしている緑色のシャープペンシルを見つけることが出来た。

 

「あら、それ大事にしているのね」

「べ、別にいいじゃろ」

 

 それは京太郎が誕生日プレゼントとして送った文具の一つ。収まりがいいそれを中々手放せないこともまた、口外出来はしない。

 しかし、何を察したのかにんまりと笑ってから、久は続けた。

 

「丁度よかったわ、まこ。話があるわ。須賀君も聞いておいて」

「何だか嫌な予感がするのぉ……」

「同感です」

「ふふふ」

 

 それは、小さな悪巧み。だから彼らの予感は当たらない。大した意味はなかったのかと、京太郎もまこも脱力した。

 ただ、その策が上手く実ることを思って、久は今回待つのではなく、待たせる。

 

 

 

 

「ねぇ、染谷さん」

「……なんじゃ?」

 

 京太郎君にも言ったのだけれど別に敬語は要らないわ――三年生がそう言ってから少しの悶着の後に大分馴染んだ二人。まこと美穂子の仲は闘牌を挟んでからも悪くはなっていないようで、長椅子に座りながら、並んで久の到着を待っていた。

 

「上埜さん……ううん。今は竹井さんね。ひょっとしたら、彼女が会議を忘れていたってこと、嘘じゃないかしら?」

「確信があるようじゃな……よお分かったのぉ」

「思い返したら、染谷さんが嘘を吐いたあの時だけ普段と比べて、少し固さがあったような気がしたのよ」

「その観察眼は、流石じゃな」

「私としては、貴女の記憶力のほうが凄いと思うのだけれど……」

「わしの打ち方が記憶を元にしているとあれだけ短時間で気づけたことの方がよっぽどじゃと思うがの」

 

 互いに褒めあっているが、持つものに対する驚きの度合いは二人の間で大分違う。

 内心おののいてすらいるまこは、溜息を呑み込んで、美穂子を流し見る。性格は明らかに良く、整った顔には人好きのする笑顔が浮かんでいて、更には男性ウケ――特に京太郎に――しそうな体つきをしていた。

 麻雀の力量では負けたくないが、これはとても敵わない。まこはそう思う。

 

「それで、どうして竹井さんは貴女に嘘を吐かせたの?」

「……出来るだけ自然な形で、わしにあんたの腕前を体験させたかったそうじゃ。そら、雀荘で暇をつぶすのにゃあ麻雀が一番じゃからのぉ」

「染谷さんの記憶力なら、私の牌譜を後でおこすことも出来る……でも、自意識過剰でなかったらだけれど、私の牌譜なんてそんなことをしなくても探せば見つかるものだと思うのだけれど」

「言われんでも判っとるじゃろうが、実戦で感じることもあるからの。……まあ、一番に肌で感じられたのは、あんたの強さだったんじゃが」

「そう言ってもらえると、嬉しいわ」

 

 本当に、嬉しそうに美穂子は笑む。言われ慣れているだろう強いという褒め言葉に、これだけ無垢な反応を返すことが出来る。純な強者はあまりに眩いものだった。思わず、劣等感をチクチクと刺激されてしまうくらいに。

 

「……これで、疑問は大体溶けたかの?」

「ええ。片一方は溶けたわ。ありがとう」

「うん? まだあるんか?」

「ええ。あの――――どうして、染谷さんはそれ程強い想いを秘めていられるのかしら?」

「ああ、それも分かっとったんか……」

 

 その目はどこまで見通すのか。何時の間にか開かれていたオッドアイの瞳はまこへと向いていて、捉えて離さなかった。

 

「ごめんなさい。これは私の好奇心でしかないわ。でも、私の好きの何倍も、大きなものを持っていながら、それを口に出さずにいるのは苦しいのではないかって、そう思ってしまったのよ」

「ああ、苦しいのぉ。……ちゅうか、あんたも京太郎に好意を持っとったんか」

「私は親愛の範囲。でも、染谷さんは……」

「ああ、わしは狂おしいほどに京太郎が好きじゃよ」

 

 誰にも伝えたことのない好意が僅か姿を覗かす。想いによって頬は紅潮し、貴子に未春と会話していた京太郎を見つめていた瞳の熱は強まる。そして、まこの表情は蕩けるような甘さに変貌した。それはそれは、蠱惑的な様子である。

 好きはこうまで人を変える。それを間近で理解して、より疑問は深まった。だから、美穂子は提案をする。

 

「そのこと、伝えてみたらどう?」

「無理じゃよ」

 

 しかし、にべもなくまこは断った。どこか悲しげに、彼女の眉は降りる。

 

「わしに京太郎は勿体無い」

「そんなことは……」

「あるんじゃよ」

 

 彼女の中で、最初から秤の片手は落ちていた。確信を持って、まこは言っている。それが、美穂子には痛いくらいに判った。

 

「わしはのぉ、記憶力ばかりよくての。それでじいちゃんの言葉を覚えられたのは良かったんじゃが、悪いことも忘れられなくての」

「悪い、こと?」

「こんな言葉遣いに髪の毛じゃけえ。わしは、よく男子にからかわれたんじゃ。やれ婆さんだの、ワカメだの。小学の頃なんてしょっちゅうの」

「酷い……」

「それだって小さなことじゃ。もっと、本当に酷いことだってあったんじゃが……わしは、それを一々思い出してしまうんじゃよ」

 

 まこは、目を瞑って悪夢のように思い返す。とても、悲しいことがあった。それが忘れられない。更なる辛いことがあった。それも、消すことは出来ない。

 染み付いて離れない、そんな過去の感情が、まこを痛め続けている。それが、彼女の自信を弱めているのだ。

 

「思い返せば、その都度恨んで濁るんじゃ。真っ黒で小さい。こんなわしが清澄なんて名前の高校に入っていることなんてお笑い草じゃろ?」

「そんな、そんな……」

「こんな可愛くないのが、京太郎と一緒になるなんて……ムグ、な、何じゃ……」

「それ以上言わないで! 染谷さんは可愛い、可愛いのよ!」

 

 察し、相手の気持すら分かる。きっと、それだってとても辛いもの。自らを傷つかせることを発する口を掌で塞いで、美穂子は大いに叫ぶ。

 美穂子の涙腺は緩い。まこの心を代弁するかのように、彼女はぽろぽろと涙を零し出す。

 そして、美穂子はただ、可愛いのだと、それでも貴女は可愛らしいのだと言い張った。まこの弱音に負けないように。何事かと寄ってきた京太郎にも、彼女は矛先を向ける。

 

「可愛い。染谷さんは可愛いわっ! ねえ、京太郎君もそう思うでしょ?」

「は、はぁ……いや、そんなこと、当たり前じゃないですか」

「あ、あた……ムグッ」

「なら、好き?」

「好き……いやそれは当然好き……違うな。もっと真面目に考えないと」

「ぷは。きょう、太郎?」

 

 怖い。つい、美穂子の掌から逃れたまこはそう思う。それくらいに、京太郎は真剣な表情をしていた。

 何しろこれは、何人もの少女と自分を困らせてきた悩み。好きの重さをようやく彼は計ることが出来るようになっていた。だから京太郎は、至極真面目に返す。

 

「すみません。分からないです……」

「そ、そうか。いや、仕方ないのぉー。こういうときは冗談でも……」

「好きなのには、決まっています。俺、初めてあった時から可愛い人だと思っていました。麻雀と出会わせてくれた恩とか、色々な人との縁を繋いでくれたありがたさとか、全てひっくるめて俺はまこさんが大好きです」

「な、なぁっ……」

 

 それはまるで告白のよう。いや、これは真にそれなのだろう。全ての胸の内を浚いながら、京太郎は訥々と続ける。

 

「でも、これってきっと違いますよね。馬鹿な俺だって分かります。今は恋愛の意味で、言うべきなのだって」

「れ、恋愛って京太郎……」

「まこさんが俺のことを好きなのかは判りませんが、隣の美穂子さんを見れば真剣に問われているのは分かります。大好きの中で一番を、決める。キツいですけど、言わなきゃ待ってる皆がもっとキツい」

 

 もう間違えない。その思いは確かに京太郎の鈍感を少し正した。背筋を伸ばして、彼は核心を述べる。

 

「この場で言うのは恥ずかしいですけれど、決めました。俺の一番は……」

 

 

「――止めて! 言わないで!」

 

 

 胸元に巻き起こるは喜びに不安。これ以上は私が壊れてしまう。訛りを忘れ、彼女は言った。

 沢山の落涙の隣で、涙が一つ、零れ落ちる。

 

「っ」

 

 その悲痛が解ってしまったから。京太郎は、口を噤んだ。

 

 

 




 ダイスの結果……染谷まこ74+10

 今回は恵まれなかったダイスを逆手に取ったところ、このようになりました。

 まこさんの想いは作中屈指ですが、上手く表に出せない。そんな風に想定して作ったお話です。

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